②皮剥ぎと解体
2014.10/29 文章を修正。ストーリー上に変更はありません。
「よし! それじゃあ、始めるかな!」
ギバの巨体を前に俺が声を張り上げると、壁にもたれてあぐらをかいていたアイ=ファは「勝手にしろ」と不機嫌そうにつぶやいた。
たぶん、機嫌が悪いのではなく、単純に疲れているのだろう。
俺だって、けっこうヘトヘトである。
まず、このギバを川辺から持ち帰るだけでも大仕事であったのに、その後には、本来の目的であるピコの葉と薪の採取を為すために、そのまま川辺へとUターンしなくてはならなかったのだ。
今度はアクシデントも生じなかったが、すべての仕事を終える頃には、もう太陽も中天を過ぎていた。
つまりは早朝から正午まで、合間にマダラマの大蛇との死闘をはさみつつ、みっちり働き尽くしたのである。
で、午後はギバ狩りにあてる予定であったため、特に急ぎの仕事はない、とのことであったので、俺はさっそくギバの下ごしらえに取りかかることにしたのであった。
俺の要望でかまどの火を炊いてくれたアイ=ファは、役目を終えるとどっかりと腰を下ろし、あとはもう知らんとばかりに干し肉をかじっている。
それを横目に、俺はアイ=ファから借り受けた小刀をつかみ取った。
血抜きと内臓の摘出を完了したのだから、次のステップはもちろんのこと、「皮剥ぎ」である。
物置部屋に戸板の壊れたやつが眠っていたので、それを作業台として使わせていただくことにした。
机の類いは見当たらなかったので地べたでの作業になってしまうが、まあこればかりはしかたがない。
ギバの身体を仰向けに引き起こして、左右に準備しておいた木材を設置し、体勢を固定する。
まずは、後ろ肢からだ。
ごつい蹄のくっついた足首に一周切れ目を入れて。肢の内側から腹まで刃を入れていく。
で、皮と肉の間に刃先を入れて、べりべりと引き剥がす。
うーん、脂がのっているな。
皮と肉の間にみっしりと。厚みはざっと1・5センチぐらいか。
食材としては大変けっこうな話なのだが。そのぶん作業の困難度は増加する。シカみたいに脂身の少ない動物なら、肉と皮はけっこうすみやかに分離してくれるのである。
まあ、すべては美味い食事のためだ。
毛皮に穴を開けないように、なおかつできるだけ脂が肉のほうに残るように、刃先を横に傾けて、ぐいぐい皮を引っ張っていく。
やがて、両足の肉が露出した。
べろりとめくれた毛皮から、真っ白い脂に包まれた肢が屹立している。なかなかにシュールな光景だ。
その頃には、もう小刀はほとんどナマクラになってしまっていた。
刃が、ねっとりとした脂にまみれてしまったのだ。
ということで、ぐらぐらと煮立った鉄鍋の湯に刀身をひたして、脂を溶かす。
これが、野外では皮剥ぎの作業ができない理由である。
かまどを移動できれば良かったのだが。すでにけっこうな血と肉の匂いが部屋に充満してしまっている。
ともあれ、アイ=ファにもらった布切れで小刀をぬぐい、作業再開だ。
同じ手順で、前肢の皮を剥ぐ。
口で言うのは簡単だが、この時点ですでに1時間ぐらい経過している。
しかし作業はまだまだ序盤である。四肢が済んだら、いよいよ胴体だ。
腹がぱっくり割れているので、その断面をスタート地点とする。
要領は、肢と一緒である。皮と肉の間に刃先を入れ、切りながら皮を引き剥がしていく。
しかし、胴体ともなると尋常な面積ではないので、作業を進めていくうちに、皮を引っ張るのが困難になっていく。脂で滑るし、これでは握力がもたない。
そうなったら、皮の端に穴を開けて、そこに指を引っ掛ける。
何せ分厚い毛皮であるから、全力で引っ張ってもそうそう破れたりはしない。
破れたら破れたで、別の場所にまた穴を開ける。
こまめに刃の脂も除去しつつ、とにかくひたすら剥ぎまくる。
そうしてギバの右半身がむきだしになる頃には、俺も汗だくになってしまっていた。
体感としては、2時間半ぐらいか。窓から差しこむ光も、まだ明るい。
「ふう。ちょいと休憩するかな」
小刀をギバの枕もとに置いて、敷布の上にへたりこむ。
そうして、ひさかたぶりにアイ=ファのほうを振り返ってみると――
やっぱり、アイ=ファはきょとんとしていた。
癒されるなあ、そのちっちゃな子どもみたいに目を丸くしている顔は。
とげとげしい表情がデフォルトになっているせいか、なかなか素敵な格差なのである。
「……お前はずいぶん手先が器用なのだな、アスタ」
「ああ。まあ料理に関してだけはな」
「それに、ずいぶん真剣なのだな」
「ああ。まあ料理に関してだけはな」
「……そんな厄介な手順など踏まずとも、ギバの肉など煮れば食える。どうしてそのように余計な仕事で、そこまで真剣になれるのだ?」
ここで気分を害するほど、俺は狭量ではないつもりだ。
だから、「美味い飯を食ったり食わせたりするのが好きなだけだよ」と穏便に答えさせていただいた。
俺の仕事が余計な手間であったかどうかは、食べた後に判断していただきたい、と思う。
「よし! 作業再開だ!」
この休憩中に、俺はひとつの事案を思い出していた。
このまま左半身に取りかかる前に、為すべきことがあったのである。
首の切断、だ。
首には、いろんな器官がひっついている。
目だの口だの鼻だのというやつが。
それゆえに、皮を剥がすのもなかなかに困難なのである。
だから、首だけはあらかじめ切断して、別物として扱ったほうが賢明なのだ。
そんなわけで、首の切断に取りかかる。
頭蓋を割られて、無残な死に顔をさらしているギバに、「美味しく頂いてやるからな」と念じつつ、俺は下顎の下に小刀を突きたてた。
すでに死後硬直が始まっているのか、血抜きをしたときよりも手応えが固い気がした。
それに、切り開いていくうちに、けっこうな量の血が滲みだしてくる。
これもまあしかたがない。血抜きをしたってすべての血液がスッカラカンになるわけではないし、ましてや、俺は素人だ。3年前の記憶に頼っておっかなびっくり作業しているだけの、見習い料理人に過ぎないのだ。
イノシシ解体の経験は一度きり。道具は狩猟用の小刀一本。まともな作業台もなく地べたに這いつくばって、死骸の首を切り落とそうと奮闘している、17歳の見習い料理人。
それはアイ=ファでなくったって、失笑の一つも禁じ得ないかもしれない。
だけど俺は、楽しかった。
自分の汗と動物の血にまみれながら、生きていることを実感できた。
そんな発言をしてしまうと、猟奇的な趣味でも持ち合わせているのではないかと誤解されてしまいそうだが。食うためでなく、遊び半分で動物を解体するサイコ野郎なんて、糞くらえだ。
俺は、料理が好きなのだ。
物心ついたときから親父の背中を眺めて育ち、小学校に入る頃には、もう店を手伝わされていた。
それは自分の意志で選んだ道ではなく、用意されたレールの上を走っているだけの人生だったかもしれないが。それでも、俺に不満はなかった。
親父の口癖は、「料理より面白いもんを自力で探してみろ」だった。
それでも何も見つからなかったら、しかたがないので店を継がせてやらなくもない、と親父は笑っていた。
親父が俺を高校に行かせたのも、そういう配慮の一つなのだろうと思う。
だけど俺は、毎日料理ばかりしていた。
料理がこんなに面白いのに、どうしてわざわざ他のものを探さなければならないのか。その必然性を、自分の中に見出すことができなかったのだ。
いつか、親父をうならせるような料理を作ってやる、と、そんなことばかり考えていた。
俺は、料理が好きなのだ。
「ふう。さすがにしんどいな」
首が半分ほど切断できたところで、俺は水瓶から水を一杯いただいた。
冷たくも何ともない常温の水だが、汗だくだったのでひどく美味く感じてしまう。
さあ、再開だ。
小刀の背は、きっと角や牙を切るためにだろう、ギザギザの鋸刃になっているので、首の骨はそれで断ち切る。
そうして何とか残りの部分も切り終えると、戸板の上に生首がごろりと転がった。
しばし考えて、頭部は必要な箇所だけ皮を剥がして、首周りと頬肉だけ切り取らせていただくことにする。
他にも食える部分はあるのかもしれないが、俺の腕ではそれぐらいが限界だ。タンとか魅力的なんだけどな。猟師さんに、しっかり教わっておけば良かった。
その後は左半身の皮剥ぎに取りかかり、それが終わったらギバの身体を横に寝かせて、残っていた背中の皮も引き剥がす。
これで皮剥ぎは完了である。
あちこち穴は空いてしまったが、首から下の毛皮を一枚つながりで剥がすことができた。
体長150センチの70キロ級であるから、広げてみると、なかなかの圧巻だ。
本体のほうは、全身に脂がのっているので、どこもかしこも真っ白の肉塊である。
頭の欠損した、巨大な肉塊。
もはや何の動物であるかも判別は難しい。
こちらもこちらで、圧巻だ。
しかし、余韻にひたっていられる時間はない。
いよいよラストスパートだ。
皮剥ぎが完了し、最後の工程「解体」である。
素っ裸になったギバの巨体を再び仰向けに寝かせて、まずは股関節の内側に刃先を入れる。
後ろ肢と股の境目を切っていき、あるていど切れたら、関節を逆方向にねじ曲げる。
めりっと鈍い音がして、骨盤から大腿骨の先端が抜けた。
つるんとしたむきだしの骨が、白くて美しい。
残りの腱や筋を切り、また逆方向に引っ張ってやると、べりべりと肉が剥がれ始める。
それに沿って刃先を入れて、右の後ろ肢を取り外す。
こりゃあ大物だ。1本で10キロ近くはあるだろう。
右が済んだら、次は左。
左も済んだら、次は前肢。
前肢は、骨盤のように関節がつながっていないので、表面の膜を切ればすぐに外れる。
さあ、クライマックスだ。
もはや時間感覚もわからなくなってきたが、日差しが少し黄色みをおびてきている感じがする。
作業の開始から4、5時間ぐらいは経っているのかもしれない。
「……あ、そうだ。アイ=ファ、ノコギリはどこにあるんだっけ?」
またひさかたぶりにアイ=ファを振り返ると、残念ながら、きょとんとはしていなかった。
というか、振り返った瞬間にハッとした様子でにらみつけられてしまい、どんな表情をしていたのか確認することもできなかった。
「何だ、寝てたのか? ごめんな、起こしちまって」
「寝てなどいない! こんな明るいうちから眠れるか!」
だったらどうしてそんなに怒っているのだろう。アイ=ファは口をへの字にして立ち上がり、戸口の向こうへと姿を消してしまった。
三つあるうちの、真ん中の部屋。器や木匙や調理器具などが収納されているはずの部屋だ。
そこから出てきたとき、アイ=ファの手には刃渡り30センチほどのノコギリが握られていた。
革鞘に収まっていると刀剣と見分けがつかないが、抜いてみると、確かにノコギリだった。
身幅は5センチほど。厚みは5ミリほど。俺の見知ったノコギリよりも厚刃だが、まあ問題はないだろう。森辺の民たちは、こいつを使ってこんな立派な家を造りあげたのだろうから。
「これで今のところは終わらせるつもりだから、もうちょいだけ待っててくれ」
そいつを受け取る際にそう呼びかけたが、アイ=ファは「ふん」とそっぽを向いて返事もしてくれなかった。
何だろうね。女心は不可解だよ。
とにかく、クライマックスである。
解体作業の大本丸、「背割り」だ。
背骨を、真っ二つに断ち割るのである。
しかも、横にではなく、縦に。
そうして胴体を左右で二つに分けてしまう。これを「枝肉にする」という。
こうすると、のちのちの分離が楽なのだ。……あくまで猟師さんの受け売りだが。
で、これだけの大物だったらチェーンソウを使ったっていいぐらいなのだが。電気も通っていない地ではしかたがない。どんな肉体労働でも甘んじて従事する所存である。
というわけで、作業に取りかかった。
予想通り、この最終工程が、肉体的には一番しんどかった。
やっぱり無理にでも吊るし上げたほうが作業も楽だったかなあと後悔しながら、俺はゴリゴリとノコギリを奮い続けた。
切れ味のほうは、まあ申し分ない。俺に日曜大工の趣味でもあったら、そこまで手こずりもしなかっただろう。
しかし、そんな趣味はなかったので、十分に手こずった。手こずらせていただいた。脂で滑る背骨を縦に断ち割るなんて、それはもう生半可な苦労ではなかった。
ときおり刃の脂を溶かし、3回ほどの休憩をはさんで――終了したのは、きっと1時間後ぐらいだった。
割った背骨を引き剥がし、肋骨も1本ずつ抜いていき、腰まわりはほとんど肉を切りわけていく感じで、肉と骨を分離させていく。
これでようやく――
「……終わったあ!」と、いっぺん大の字に寝転んでから、すぐに起きあがる。
作業は終わったが、事後処理は終わっていない。
「さあ、とっととピコ漬けにしちまおう。何せこの気温だから、せっかくの肉がどんどん傷んでいっちまう」
最後だけはアイ=ファにも手伝ってもらい、無事に肉塊を香辛料の山にうずめることができた。
70キロ級のギバから、40キロ以上50キロ未満ぐらいの肉を採取できたと思う。こんな作業は専門外である見習い料理人としては、まあ上出来なのではないだろうか。
「あああ疲れた! もう腕が上がんねえよ!」
今度こぞ、俺は大の字に寝転んだ。
窓から差し込む陽光は、完全に夕暮れ時のそれへと変化している。
昼下がりから、夕暮れ時まで。作業に5、6時間ほど費やしたと考えれば、まあ計算は合う。やっぱりこの世界も1日は24時間なのかなと、俺は疲れきった頭の片隅でぼんやり考えた。
「……おい。後の始末は、どうつける気だ?」
そんな風に呼ばれて振り返ると、アイ=ファがかまどの横で仁王立ちになっていた。
その足もとの戸板に転がるのは、二つに折られた巨大な毛皮と、顔の左右を削られた生首、それに骨ガラの山である。
「ああ、そうか。惜しいけど、ガラは捨てるしかないかなあ。……ふだん、毛皮はどうしてるんだ? 足だけでも毛皮は剥いでるんだろ?」
「付着した脂を削ぎ取って、後は捨てている。皮をなめすのは大変な手間だからな」
「捨てちまうのか。勿体ないな。他の家では皮の加工までしてるんだろ? だったらその人たちに進呈すればいいんじゃないか?」
「……私と関われば、スン家を敵に回すことになる。そうまでして毛皮などを欲しがる家など存在しない」
「ちぇっ。心のせまい連中だな。……あ、脂ってのは燃料に使うんだよな? 削ぎ落とすって、どうやるんだよ?」
そう言って俺が身体を起こそうとすると、アイ=ファに「起きるな」と冷たく押し留められた。
「そのように精根突き果てた人間に手を出されては手間が増えるばかりだ。お前は寝ていろ」
「いや、でもさ……」
「脂を削ぐのも角と牙を採取するのも私の仕事だ。お前の仕事は夕餉の仕度なのだから、それまでは休んでおけ」
ものすごくぶっきらぼうな口調ではあったが、それは大変にありがたい申し入れであった。
今日は朝から身体を酷使しまくっていたので、俺は文字通り精も根も突き果てかけていたのである。
実のところ、さっきからまぶたが重くてしかたがない。
「お前は本当に優しいよな」と、口に出してしまったのか胸の中だけでつぶやいたのか、そんなことすらハッキリとは認識できぬまま、俺はほとんど失神するような勢いで、睡魔の谷へと転げ落ちていった。




