お披露目の祝宴⑤~魂の色合い~
2022.5/10 更新分 1/1
・今回の更新はここまでです。更新再開まで少々お待ちください。
そうして俺たちは、リコとベルトンの手による傀儡の劇、『森辺のかまど番アスタ』を観賞することになってしまった。
それもティカトラスの言いつけで、最前列の特等席である。その中央に陣取るのがティカトラスで、右側にはファとルウの面々、左側にはレイの両名に東の民の一行という配置であった。
リコとベルトンは3枚の肖像画を背景に、壇上で劇を披露している。席は50ほど準備されており、その後ろには立ち見の人々もずらりと並んでいたが、まともに鑑賞できるのはせいぜい参席者の半数ていどであろう。ただし、ティカトラスの要請でおしゃべりが禁じられ、楽団の演奏も停止されたために、リコの澄みわたった声音だけは大広間の隅々にまで届けられているはずであった。
俺やアイ=ファはもう何度となくこの演目を観る羽目になっていたが、リコたちは日を重ねるごとに腕が上がっている。この演目が初めて披露されたのはもう9ヶ月以上も前のはずであるから、きっとその頃とは比較にならない仕上がりであるのだろう。俺やアイ=ファを筆頭とする劇の登場人物たちは、瑞々しい生命力をほとばしらせながら、数々の苦難を乗り越える姿を見せていた。
俺やアイ=ファにしてみれば、出会った当時の出来事を追体験させられるような心地である。
そうして半刻にも及ぶ長い劇が終了すると――会場には、割れんばかりの歓声と拍手が鳴り響いたのだった。
可愛らしい準礼装を纏ったリコとベルトンは、火照った面持ちで一礼する。
それを祝福するように、楽団が演奏を再開させた。
「いやあ、素晴らしい劇だった! それじゃあみんなは引き続き、祝宴を楽しんでくれたまえ! もう少ししたら、舞踏の時間とさせてもらうからね!」
ティカトラスがそのように宣言すると、小姓の集団によって座席が片付けられ始めた。
貴族たちは満足げに語らいながら、祝宴の場に戻っていく。森辺の一行もそれに続こうとすると、ティカトラスに「おっとっと!」と呼び止められた。
「ちょっとアスタに話があるので、しばらく居残ってもらえるかな? 他の方々は、お好きなように過ごしてくれたまえ!」
とたんにアイ=ファは青い瞳を鋭く光らせたが、口に出しては何も言わなかった。
「その前に、傀儡使いの両名をねぎらってあげないとね! 君たち、こちらに来てくれたまえ!」
壇から下りたリコとベルトンがヴァン=デイロと合流したのち、こちらに近づいてきた。
ティカトラスは左右にデギオンとヴィケッツォを侍らせつつ、笑顔でそれを出迎える。
「君たち! えーと、リコにベルトンだったかな? 今の劇は、素晴らしい出来栄えであったよ! しかもこれは、君たちが独自に作りあげた演目であるのだよね?」
「はい。ジェノスの方々にご協力をいただき、なんとか完成させることがかないました」
「うんうん! 実に見事な手腕であった! 君たちのような若年の傀儡使いが、まさかたったの2年ていどでこれほどの腕を身につけるとはね!」
そう言って、ティカトラスは長衣の懐をまさぐった。
「何日か前にも広場で劇を拝見したけれど、その日の見物料も今日まとめて支払う約束だったよね! どうかそれを受け取ってもらいたい!」
「ありがとうございます」と、リコが頭を垂れる。
そして次に目を上げたとき、リコの目がまん丸に見開かれた。
「あ、あの、ティカトラス様、それは……?」
「これが、君たちの素晴らしい劇に対する代価だ!」
ティカトラスが細長い指先でつまんでいたのは、きらきらと輝く銀貨に他ならなかった。それがしかも、3枚だ。
銀貨は白銅貨100枚の価値であるのだから――俺の感覚で言うと、60万円の額になるのだった。
「ティ、ティカトラス様! たった2回の劇に対して、そのお代はあまりにも……」
「いや! 君たちの傀儡の劇には、それだけの価値が存在した! 数々の劇を目にしてきたわたしが言うのだから、それは間違いのないことだよ!」
そんな風に言いながら、ティカトラスは無邪気に微笑んだ。
「2年ほど前にも、言っただろう? 君たちの成長に、期待しているとね! そして君たちは、見事その期待に応えてくれたのだ! あの見すぼらしいなりをした旅芸人の幼子たちがこれほどの存在に成長したことを、わたしは心から嬉しく思っている! だからどうか、遠慮なく受け取ってもらいたい!」
「は、はい……」と、リコは震える手を差し出した。
その小さな手に銀貨を握らせてから、ティカトラスはまた笑う。
「君たちは、その素晴らしい技量で世界を美しく彩ってくれたのだ! これからも修練を怠らず、世界に彩りと喜びを与えてくれたまえ! これまで以上に、期待させていただくからね!」
「……ありがとうございます」と、リコはあどけなく微笑みながらひと筋だけ涙をこぼした。
ベルトンは怒っているかのような面持ちで、ぎゅっと口もとを引き結んでいる。そしてヴァン=デイロは、そんなふたりの姿をとても優しげな眼差しで見守っていた。
「あっ! ただしこれは、君たちの成長に対する祝福という意味合いも込められているからね! 毎回これほどの見物料が得られるわけではないので、どうかそのつもりで! では、またどこかの広場で君たちと巡りあえる日を、楽しみにしているよ!」
「はい。わたしたちも、またお会いできる日を楽しみにしています」
リコはぺこりと頭を下げてから、ベルトンとヴァン=デイロに微笑みかけて、賑わう広間のほうへと戻っていった。
それを見送ったティカトラスが俺たちのほうに目を戻し、「おやおや」と笑う。
「用事があるのはアスタだけであったのに、ずいぶん大勢で居残っていたのだね! もう宴料理は堪能し尽くしたのかな?」
「そうは言っても、アスタをひとりにすることはできねーからなー」
当然のごとく、その場にはルウとレイの5名も居残ってくれていたのだ。
ティカトラスはにやにやと笑いながら、芝居がかった仕草で細長い下顎を撫でさする。
「しかしこれはわたしには珍しく、内密の話なのだよねぇ。同席するのはアスタの家族であるアイ=ファぐらいに留めてほしいのだけれど、どうだろう?」
「でも俺は、森辺の同胞に秘密を持つつもりはありません。それなら、同じことなのではないでしょうか?」
「いやいや! わたしは内密に話を進めたいと願っている! アスタがそれを信用の置ける相手にもらすというのは、アスタの自由だけれどね! わたし自身は、このような大人数を相手に語らう心持ちになれないのだよ!」
するとアイ=ファが、静かに燃える眼差しでルド=ルウのほうを見た。
「では、私とアスタで話をうかがおうと思う。ルド=ルウらは、目の届く場所で見守ってもらえるだろうか?」
「あー。こっちはそれでかまわねーぜ」
そうして俺はアイ=ファだけをともなって、広間の片隅に移動することになった。
先行したデギオンが声をかけて回ると、その付近にいた人々が速やかに遠ざかっていく。そうして200名の人間で賑わう大広間の一画に、ぽかりと無人のスペースができあがったのだった。
「いやいや、祝宴のさなかに呼びつけてしまって、申し訳なかったね。わたしは思ったことを口に出さずにはいられない性分であるからさ。どうしても、明日にのばすことができなかったのだよ」
赤煉瓦の壁を背に取って、ティカトラスはそんな風に言いたてた。その左右に立ち並んだデギオンとヴィケッツォは、アイ=ファの気迫に呼応したように双眸を光らせている。
「しかし、祝宴が開始されてから、すでに一刻以上が経っている。これまでは、懸命に気持ちを抑えていたということであろうか?」
感情を殺した声音でアイ=ファが問いかけると、ティカトラスは「いや」と首を振った。声をひそめてはいるものの、その細長い顔に浮かぶのはこれまで通りの無邪気な笑みだ。
「さきほどの傀儡の劇を拝見して、ついに黙っていられなくなったといったところかな。それまで抱いていた疑念に、ようやく答えが得られたとも言えるかもしれないね」
「傀儡の劇で? それはいったい――」
「それは君の出自に関してだよ、アスタ」
アイ=ファの言葉をさえぎって、ティカトラスは俺を見つめてきた。
「フェルメス殿が王陛下に提出した調書というものは、わたしも拝見した。それからさかのぼって、監査官たるドレッグ殿の調書も拝見したのだよ。君は一環して、海の外からやってきたと主張しているようだね、アスタ」
「はい。少なくとも、この大陸で生まれ育ったという記憶はありませんので……」
「ではやはり、君は渡来の民が出自であると主張していることになる。それが真実であるかどうかを確認するように、わたしは王陛下から密命を受けていたのだよ」
俺は思わず言葉を失い、アイ=ファはいっそう鋭い気迫をこぼした。
ヴィケッツォは爛々と黒い瞳を燃やしながら、Vの字に切れ込んだ宴衣装の内側に指先を差し入れる。ティカトラスはそれをなだめるように、ヴィケッツォのなめらかな肩に手を置いた。
「わたしがそのような密命を帯びているとは、意外だったかね? こう見えて、わたしは王陛下からそれなりの信頼を得られているのだよ。まあ自慢話に聞こえたら恐縮だけれども、わたしはわたしなりの才覚でもって、王都に莫大な富をもたらしているはずであるからね。だからこそ、これほど自由に振る舞うことにもお許しをいただけているわけさ」
「……それで?」
「それで、わたしは確信している。少なくとも、アスタはわたしの知る渡来の民ではない、とね。ダームの港に訪れるのはディロイアとラキュアとボッドの民ぐらいだけれども、アスタはそれらのいずれとも似ていない。容姿はもちろん、魂の色合いそのものが異なっているのだ。まあもちろん、シムやジャガルの港には、わたしの知らない渡来の民の一族が訪れているという可能性もあるわけだけれども……でも君には、そもそも竜神の民らしい気配を感じないのだよね。だからまあ、君が渡来の民でないことには首をかけてもいいと思っているよ」
「…………」
「アスタもアイ=ファもずいぶんうろんげな顔をしているけれども、王陛下のご懸念は至極もっともな話だろう? このジェノスはアスタの登場によって、大きく変革されたようなのだからね。森辺の集落のみならず、ジェノスそのものが変革されたのだ。それがもしも、渡来の民の意思による変革であるとしたら……それは、マヒュドラやゼラドの意思によるものより、いっそう危機的であるだろう? マヒュドラやゼラドは我々の仇敵であるけれども、しかし同じアムスホルンの子であるのだからさ。かつてこの大陸を侵略しようと目論んでいた竜神の民よりは、まだしも近しい存在であるはずだ」
そんな風に言いながら、ティカトラスはにんまりと口の端を上げた。
「だから、王陛下のご懸念はひとまず晴らされた。少なくとも、君はわたしの知る渡来の民ではない。ジェノス城にも、竜神の民の影響を受けた様子は皆無であるしね」
「……あなたはそうして、ジェノス城の様子をもうかがっていたということか」
「うん。自由が信条のわたしでも、さすがに王陛下の密命をないがしろにすることはできないからねぇ」
そう言って、ティカトラスは長羽織のような装束の袖をふわりとひるがえし、自分のこめかみを拳で小突いた。
「ではそうすると、アスタの正体は何者であるのかという疑念に行き着くわけだけれども……それがさきほどの傀儡の劇で、ようやく判明したということさ。あれはおおよそ真実に基づいた内容であるという話であったからねぇ」
「アスタの正体? それはつまり――」
「アスタは、渡来の民ではない。ただし、四大神の民でも聖域の民でもない。君の魂の色合いが、それを如実に示している。だから、君は――『星無き民』であるのだね、アスタ。それが唯一の答えであるようだ」
あくまで無邪気な笑顔のまま、ティカトラスはそのように言葉を重ねた。
「その可能性に関しては、フェルメス殿ではなくドレッグ殿の調書に記されていた。迂闊にも、アスタ自身が東の民からそのように告げられたのだと、自分で申告してしまったそうだね」
「しかし……そもそも西の王国においては、『星無き民』について知る人間などほとんど存在しないのだと聞き及んでいる」
「うん。でも、ほとんど存在しないということは、わずかばかりに存在するということさ。たとえば、このわたしのようにね」
ティカトラスの言いように、ついにアイ=ファも口を閉ざすことになった。
「わたしはいまだシムの地に足を踏み入れたことのない身であるけれども、大勢の東の商人と懇意にさせてもらっている。それに『星無き民』というものは、何もシムにだけ出現する存在ではない。西や南の領土の辺境の地に伝わる伝承や、東の民の間に残されている伝承が、わたしを答えに導いてくれた。君はどこか異なる世界から飛ばされてきた、この世の運命から外れた存在であるのだ、アスタ。まさかわたしも、この目で『星無き民』の姿を見ることができるだなんて、想像だにしていなかったよ」
「…………」
「だがこれは、由々しき事態とも言えるだろう。すでに聞いていると思うけれども、王陛下は魔術やまじないの類いをことのほか忌み嫌っておられるのだよ。『星無き民』というのは魔術をも超越した存在であるのだけれども、それではいっそう王陛下のご不興を買うだけだ。王陛下は『星無き民』についての詳細などわきまえておられなかったため、ドレッグ殿の調書を読み流していたのだろうけれども、もしもその意味を知ってしまったら――そして、アスタがまぎれもなく『星無き民』であるのだと知ってしまったら――アスタはよくて国外追放、最悪は斬首の刑だろうねぇ」
「つまり……我々の命運は、あなたの口先ひとつにかかっているということか」
鋼の精神力で感情を殺した声音で、アイ=ファがそのように囁いた。
しかしティカトラスは、きょとんとした顔で「うん?」と細長い首を傾げる。
「わたしの意向は、このさい関係あるまいよ。君たちが警戒すべきは、外交官たるフェルメス殿やオーグ殿の存在だろう?」
「……しかしあなたも、王から密命を受けている立場であると語らっていた」
「だからそれは、アスタが渡来の民であるか否かを見定めるべしという密命だよ。『星無き民』であるか否かを見定めるべしなどと命じられた覚えはないからさ」
そう言って、ティカトラスは愉快げに微笑んだ。
「まあ、そもそも王陛下は『星無き民』がどのような存在であるのかもご存じではないのだから、そのような命令を下せるわけがないのだけれどね。『星無き民』について知るのは、よほど東の民と懇意にしている人間か、辺境の地に自らの足でおもむく酔狂者か、あるいは『賢者の塔』にこもる学士ぐらいのものだろうからさ」
「では……王に報告するつもりはない、と?」
「嫌だなあ。どうしてわたしが、そんな無粋な真似をしなくちゃならないのさ。アスタのおかげで、ジェノスはこんな愉快な発展を遂げたというのにさ」
ティカトラスは大笑いするのをこらえるように、口もとをおさえてくすくすと笑った。
「そうでなくても、アスタは素晴らしい腕を持つ料理人だ。それだけでも、わたしがアスタの健やかな生を望むには十分すぎるぐらいだよ。だからこうして、君たちに用心するように忠告しているんじゃないか」
「そう……なのか」
「そうなのだよ。いっそ最初から、海の外からやってきたなんて口走らなければよかったのにねぇ。でもまあ森辺の民は正直なのが美徳だという話だし、こればかりは致し方のないことなのかな」
「…………」
「それに、フェルメス殿ほど聡明で博識であられるのなら、アスタが『星無き民』であるという事実にとっくに行き当たっているはずだけれども……彼にも何か思惑があって、口をつぐんでいるのかな? それなら、幸いな話だね」
そう言って、ティカトラスは装束の袖を翼のようにはためかせた。
「以上! わたしの密談は、これにて終了だ! さてさて、舞踏を始める前に、胃袋の隙間を埋めさせていただこうかな!」
ティカトラスは俺とアイ=ファを迂回して足を踏み出し、デギオンとヴィケッツォは影のように追従した。
そこでアイ=ファが、「待たれよ」と声をあげる。
「ティカトラス。あなたの言動には困惑させられることも多いが……このたびの配慮には、心からの感謝を捧げさせてもらいたい」
「美しきアイ=ファに感謝されるというのは、心地好いものだね! そろそろ森辺にもお邪魔したいと考えているから、どうぞよしなにね!」
ティカトラスは足を止め、悪戯小僧のような笑顔でアイ=ファに手を差し伸べた。
「あと、舞踏の刻限にはアイ=ファに1曲お願いしたいところなのだけれども、そちらに関してはどうだろう?」
「……申し訳ないが、家族ならぬ異性と舞踏に臨むことは控えている」
「それでこそ、アイ=ファだ! どうかアイ=ファは、その気高き美しさをいつまでも守ってくれたまえ!」
ティカトラスはこれまでこらえていた分を解き放つかのように大声で笑いながら、賑わいの向こうへと立ち去っていった。
アイ=ファは額に手をあてて、深く深く息をつく。
「アスタの安全を引き換えに持ち出されたら、舞踏の相手に肯んずる他ないかと覚悟を決めていたが……いらぬ懸念であったようだな」
「うん。わざわざあんな忠告をしてくれるなんて、ティカトラスは想像以上に親切なお人だったな」
「親切というよりは、やはり何よりもおのれの心情に忠実なのであろう。それが今回は、我々の利害と一致したということだ」
俺たちがそうして語らっていると、ルド=ルウとリミ=ルウとレイナ=ルウの3名が駆け寄ってきた。
「ラウ=レイは、ティカトラスの後を追いかけていっちまったよ。アイ=ファはずいぶんしんどそうだけど、何も問題はなかったのかー?」
「うむ。仔細は明日にでも、ドンダ=ルウに伝えようかと思う」
「そっか。なら、今日のところはゆっくり休んどけよ。俺たちは、腹を満たしてくるからさ」
ルド=ルウはにっと白い歯をこぼして、姉と妹の手を引いていった。
まだ人払いの効果が残されているのか、俺たちの周囲には誰も寄ってこようとはしない。それをいいことに、俺とアイ=ファはしばし無人のスペースから喧噪のさまを眺めることにした。
「……ティカトラスは、想像以上に鋭いお人だったな。あれじゃあフェルメスが心配するのも当然だ」
「うむ。あやつとも、今宵の内に言葉を交わしておかなければな。あやつもわずかばかりは胸を撫でおろすことができよう」
そのように語るアイ=ファの声が本当に深い疲労をにじませていたので、俺は「大丈夫か?」とその横顔を覗き込むことになった。
「なんだか、顔色が悪いみたいだぞ。誰かにお願いして、椅子でも運んでもらおうか?」
「大事ない。ただ……あまりに頭を使いすぎただけのことだ」
「頭を?」
「うむ。もしもセルヴァの王と対立するような事態に至ったならば、どのようにしてそれを切り抜けるか……なかなか簡単に答えを出せるような問題ではなかろうからな」
そう言って、アイ=ファは静かに微笑んだ。
俺は思わず胸を詰まらせながら、無意識にアイ=ファの手をつかんでしまう。
「短い時間だけど、俺も色々と頭を悩ませちゃったよ。東の人たちに協力してもらって、俺が『星無き民』じゃないと主張することはできないか、だとかさ」
「なるほど。しかしそれでは、虚言を弄することになってしまおうな」
「うん。でも俺は、どんな汚い手を使ってでも、今の生活を守りたいんだ」
俺がそのように言いたてると、アイ=ファは優しい表情のまま、俺の手を力強く握りしめてきた。
「そのときは、私もともに泥にまみれよう。何にせよ……私たちは、ともにあるのだ」
俺は「うん」とうなずきながら、アイ=ファの手を同じ力で握り返してみせた。
広間には優美な音楽が流されて、若い男女が舞踏を始めている。そしてその中心には、ティカトラスとヴィケッツォの姿もあった。
誰よりもきらびやかなティカトラスと影のように黒いヴィケッツォが、優雅にステップを踏んでいる。俺たちの心をどれだけ脅かしたかも知らぬげに、ティカトラスはこの世に生きる喜びを満身から解き放っているかのようだった。
「そういえば……ティカトラスの目に、俺の存在はどんな風に映っているんだろうな」
アリシュナとの会話を思い出しながら、俺がそのようにつぶやくと、アイ=ファの指先が少し甘えるような感じで力を込めてきた。
「誰の目にどう映ろうとも、関係あるまい。お前は、お前であるのだ」
「うん、そうだな」
俺が笑顔で振り返ると、アイ=ファも優しく微笑んでくれていた。
どうやらティカトラスの鑑識眼によると、俺の魂というやつは四大神の民とまったく異なる見てくれをしているようであるが――そんなことは、関係ないのだ。
俺は俺、ファの家のアスタとして生きていくことを誓った身なのである。アイ=ファたちがいてくれる限り、俺の覚悟が脅かされることはなかった。
そうして俺たちは最後の最後で大きく心を揺さぶられつつも、ティカトラスとの出会いの第一幕を終えることに相成ったのだった。