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異世界料理道  作者: EDA
第六十九章 西の果てより
1197/1680

お披露目の祝宴④~眼力~

2022.5/9 更新分 1/1

 その後も俺たちは城下町の料理を堪能しつつ、行きあう先で出会う人々と交流を深めることができた。


 デルシェア姫の料理の卓ではたまたまご本人が待ちかまえており、ユン=スドラとチム=スドラ、マイムとジーダ、《玄翁亭》のネイル、《ラムリアのとぐろ亭》のジーゼなどが群れ集っていた。


「あら、こんなにたくさんの森辺の方々をお迎えできて、嬉しい限りですわ。さあどうぞ、遠慮のないご意見を聞かせてね?」


 無邪気に微笑むデルシェア姫のかたわらには、武官の礼装を纏ったロデともう1名が控えている。広間には東の民が多いためか、彼らも普段以上に気を張っている様子だ。

 料理を取り分けているのは城下町の料理人で、デルシェア姫はもちろん宴衣装である。招待客として祝宴を楽しむために、自分がつきっきりにならなくても済む料理を準備したのだろう。その内容は、サツモイモのごときノ・ギーゴを使って甘く仕上げたギバの煮込み料理と、ワサビのごときボナとツナフレークのごときジョラの油煮漬けを主体にした汁物料理であったが――どちらも文句のない味わいであった。


「へー。こんなに甘くしても美味いギバ料理ってのも、あるもんなんだなー」


 ルド=ルウが率直な感想を言いたてると、デルシェア姫はいっそう嬉しそうに微笑んだ。


「お口にあいましたかしら? 生粋の森辺の民にギバ料理をおほめいただけるのは、光栄な限りですわ」


「ああ。食べなれない味だけど、こいつは美味いよ。なあ?」


 女衆ばかりでなく、チム=スドラやジーダもうなずいている。ジーダは生粋の森辺の民ではなかったものの、毎晩マイムの料理を食しているのだから相当に舌は肥えているはずであった。


 しかし実際、その料理は美味しかった。じっくり熱を入れて限界まで甘くしたノ・ギーゴを使い、煮込み料理の調味液に仕上げているのだ。そこにはミソやタウ油やラマンパ油なども使われているようであったが、あくまで主体であるのはノ・ギーゴであり、最終的にそれは肉の味わいを引き立てるための存在であるのだった。


「こちらは本当に美味しいですね。これも本来は、カロンの肉を想定した料理なのでしょうか?」


「ええ。砂糖漬けにしたカロンの胸肉を想定して考案した料理ですわ。でも、今のジェノスの流行はギバ肉ですし、今日は森辺の方々もたくさんいらっしゃるから、あえてギバ肉を使いましたの。ギバ肉の強い味わいに負けないように調味液を調整するのが、なかなか悩みどころでしたわ」


「素晴らしい完成度だと思います。それに、ギバ肉をこんなに美味しい料理に仕上げてくださって、とても嬉しく思います」


 俺がそのように伝えると、デルシェア姫は輝くような笑顔で「ありがとう」と言ってくれた。


 次なる卓に準備されていたのはティマロの料理で、それを取り囲んでいたのはジザ=ルウとレイナ=ルウ、シン=ルウとララ=ルウ、それにダレイム伯爵家の当主たるパウドと伴侶のリッティア、そしてオーグにおつきの書記官という、なかなか興味深い顔ぶれであった。

 なおかつこちらでは、ティマロ自身が料理を取り分けている。べつだん調理助手にまかせても問題なさそうな作業であるが、本人が料理人として振る舞うことを選んだのだろう。別なる卓の料理に関しては、試食会のときのように調理助手が運んできている様子であった。


「ティマロ、お疲れ様です。こちらでは、料理と菓子をひと品ずつ準備されたのですね」


「ええ。本来であれば、菓子は菓子で卓をまとめるところなのでしょうが……ティカトラス殿の意向とあっては、是非もありませんな」


 料理はティマロが得意にする帽子焼き、菓子は真っ赤な色合いをした焼き菓子だ。そしてそちらの帽子焼きでも、ギバ肉が使われていた。

 帽子焼きとは、カロン乳と香草を主体にした煮込み料理に乾酪で蓋をした、グラタンと少し似たところのある料理である。それを口にしたリミ=ルウは、「へー!」と瞳を輝かせた。


「一番最初に食べさせてもらったティマロの料理より、すっごく美味しいみたい! 見た目なんかは、あのときと同じなのにねー!」


「それは恐縮です。しかし、初めて口になさったわたしの料理というのは、ずいぶん昔の話でありましょう。そのような記憶が残されているのでしょうか?」


「うん! だって、初めて食べた城下町の料理だったからね! そのときは、お菓子が苦手な味付けだったんだけど……」


 と、リミ=ルウがおっかなびっくり真っ赤な菓子のほうに目を移す。その鮮烈なる色彩に、警戒心をかきたてられたのだろうか。帽子焼きを小皿に取り分けながら、ティマロはすました顔で言った。


「そちらに酒類は使っておりません。リミ=ルウ殿は、酒の風味がお好みにあわなかったのでしょう?」


「うん、そーそー! あれ? ティマロにそんな話をしたんだっけ?」


「ええ。のちのち再会した折に、おうかがいいたしました。あれは初めて森辺の方々に率直なご意見をいただいた日でありましたからな」


 それもまた、ずいぶん昔日の話であろう。俺たちがティマロと出会ってから、もう2年以上が過ぎているのだ。その歳月の長さを示すようなやりとりであった。


「うん! このお菓子も、美味しいね! 赤いのは、アロウの色だったのかー。でもそれより、ミンミの味のほうが強いみたい!」


「アロウだけでこれほどの色をつけたならば、酸味が過ぎてしまいましょう。そちらにはダイア殿も頻繁に使っておられる、特殊な木の実の煮汁を使っているのです。シムの香草と同じように滋養豊かな食材でありますが、こればかりは行商人との伝手がない限りはなかなか入手も難しいでしょうな」


 ティマロとリミ=ルウで論議が盛り上がるというのは物珍しく、そして何だか胸の温まる光景であった。

 すると、同じ料理と菓子を食していたリッティアが、ころころとした丸い顔で微笑みかけてきた。


「こういう城下町らしい料理を森辺の方々におほめいただけると、こちらも誇らしい心持ちになれるものね」


「うん! リミの父さんがよく言ってる、同じ喜びを分かち合うってやつだよねー!」


 リミ=ルウもまた、無邪気な笑みをリッティアに返す。リッティアのおかげで、和やかさも倍増であった。

 いっぽう伴侶のパウドは、相変わらず厳格な面持ちで赤い菓子を食しており――その斜め後ろには、侍女のテティアがひっそりと控えていた。


「……あの、侍女であるテティアにご挨拶をするのは、城下町の習わしから外れる行いになってしまうでしょうか?」


 俺がそのように問いかけると、パウドはふさふさとした眉の下からこちらを見据えてきた。


「我々はすでに先刻、あなたがたから挨拶をされておりますからな。主人より先に従者へと挨拶をするような無作法を控えれば、何も問題はありますまい」


「そうですか。ありがとうございます」


 俺はパウドに頭を下げてから、あらためてテティアのほうに向きなおった。


「テティア、お疲れ様です。侍女の仕事には、もう慣れましたか?」


「……10日足らずで仕事に慣れたなどと申し述べては、不遜に過ぎることでしょう。ですが、主人たる伯爵家のご一家と先達たちのおかげもあって、大過なく過ごすことができております」


 はかなげな微笑をたたえながら、テティアは恭しく頭を垂れた。

 ニコラとはまったく似たところのない、実につつましいたたずまいであるが――しかしきっとこの場には、彼女が貴族であった時代に交流を持った相手も大勢いるのだろう。それでこのように侍女としてつつがなく振る舞えていることが、彼女の決意のほどを示しているのだろうと思われた。


(皮肉でも何でもなく、彼女は家族に刃物を向けられるような人なんだもんな。きっとニコラに負けないぐらい、芯の強い人なんだ)


 なおかつ、彼女が悪辣な人間であったならば、ダレイム伯爵家の人々が救いの手を差し伸べるとも思えない。だから俺たちも憂いなく、テティアやニコラと絆を深めたいと願うことがかなうのだった。


「今日はテティアも、ヤンの仕事を手伝ったのですか?」


「はい……ですが、菓子の取り分けにそれほどの人手は必要ありませんため、祝宴の場では侍女としての仕事を果たすことになりました。ニコラのみ、ヤン様のかたわらに控えているかと思います」


「そうですか。ニコラはヤンのもとで長らく学んで、素晴らしい技量を身につけられましたからね。もうニコラの手掛けたものを口にすることができましたか?」


「はい……ニコラはわずか2年であのような成長を遂げることになり……お屋敷の方々に感謝するとともに、ニコラの姉として誇らしく思っています」


 そう言って、テティアはにこりと微笑んだ。

 どこか、シフォン=チェルに似たところのある微笑みだ。それは辛くて苦しい時間を乗り越えた人間だけが持ち得る微笑みなのかもしれなかった。


「それでは、次の卓に参りましょうか。行きますわよ、テティア」


 リッティアに穏やかな声で呼びかけられて、テティアは「はい」と応じつつ、最後に俺へと一礼してくれた。

 そしてパウドもまた、俺に無言で目礼をして立ち去っていく。その仕草には、今後もテティアをよろしくお願いしたいという思いが込められているように思えてならなかった。


「それじゃあ俺たちも、他の方々に挨拶をしてから移動しようか」


 そんな風に言いながら、俺はジザ=ルウたちのほうに視線を巡らせた。そちらの面々は卓から少し離れたところで、外交官の補佐官たるオーグと何やら熱っぽく語らっていたのだ。ただその中で、レイナ=ルウだけは次の卓に向かいたくてうずうずしている様子であった。


「よー。レイナ姉は、動けねーのか?」


 ルド=ルウがこっそり呼びかけると、レイナ=ルウはちょっぴりしょんぼりした面持ちで「うん」とうなずいた。


「ジザ兄とララは、オーグと大事な話をしてるみたいだから……動くときは必ず男衆と一緒にって言われてるけど、シン=ルウはララのそばを離れたくないだろうし……」


「だったら、俺と一緒にいればいいんじゃねーの? 別に危険なことはねーだろ」


 ルド=ルウがそのように打診すると、ジザ=ルウは重々しく「よかろう」とうなずいた。


「ルドとアイ=ファであれば、3名の同胞を守ることもできようからな。ただし、決して気を抜くのではないぞ」


「わかってるって。今日なんかは、酔っぱらった南の民が騒ぎを起こしても不思議はなさそうだもんなー」


 そうしてジザ=ルウからの了承を得られると、レイナ=ルウは子供のようにはしゃぎながらルド=ルウの腕を抱きすくめた。


「ルド、ありがとう! やっぱりルドは優しいね!」


「あー、どうでもいいけどあんまり近づくと、胸が丸見えなんだよなー」


「み、見えてないよ! もう! せっかくほめてあげたのに!」


 セルヴァ風の宴衣装というのは、かなり際どいラインまで胸もとがあらわになっているのである。レイナ=ルウは顔を赤くしながら、悪戯な弟の耳を引っ張った。

 そちらは実に和やかな様相であるが、オーグと語らうジザ=ルウやララ=ルウの横顔は真剣そのものだ。もれ聞こえる会話の断片から察するに、つい最近まで戦を行っていたという王都の情勢について語らっているようであった。


(ララ=ルウはもともと社交的だけど、なんていうか……外交官的な資質を持ってるのかもしれないな)


 それを心強く思いながら、俺は次なる卓を目指すことにした。

 デヴィアスの一行はいつの間にか離脱していたため、俺とアイ=ファとルウ家の3名という顔ぶれだ。そしてやっぱり移動のたびに、俺とアイ=ファは挨拶の応酬を受けることになった。


 そうして次に待ちかまえていたのは、《銀星堂》の卓である。レイナ=ルウもこの卓は初めてであったようで、俄然目を光らせていた。


「よう、やっと会えたな。苦心の作を、ぞんぶんに味わってくれよ」


 料理を取り分けていたのは、ロイとボズルの2名のみだ。聞いてみると、残りの3名は厨で追加の料理を仕上げているとのことであった。


「何せこっちは、手伝いの人間を気安く集めることもできねえからな。たった5人で200名分の料理を仕上げるってのは、過酷なんてもんじゃねえよ」


「それでもロイが弟子入りしてくれたおかげで、こちらの苦労はずいぶん軽減しましたな! ともあれ、どうぞお召し上がりください!」


 そうして俺たちが料理を取り分けてもらったところで、別の一団が近づいてきた。ユーミとジョウ=ラン、レビとテリア=マスのカルテットである。彼らと出くわすのは、祝宴の開始直前以来であった。

 そちらの人々が料理を取り分けてもらっている間に、俺たちはお先にいただくことにする。最初に受け取ったのは、得体の知れない焼き物料理であった。


 何か四角くて平べったいものがこんがりと焼かれて、そこに3種のソースが掛けられているのだ。ソースの色は赤褐色、黒褐色、深緑色で、お好み焼きのマヨネーズのように網目状に掛けられており、食べる前からスパイシーな芳香が感じられた。


「これは……ジョラの油煮漬けであったのですね」


 さきほどのララ=ルウに負けないぐらい真剣な面持ちで、レイナ=ルウがそう言った。それはツナフレークに似たジョラの油煮漬けを平べったく成形した焼き物料理であったのだ。

 ジョラはフワノと卵がつなぎに使われているらしく、なかなかしっかりとした食感になっている。さらに、魚醤と夏ミカンに似たワッチの果汁なども練り込まれて、ソース抜きでも濃厚な味わいだ。また、ホボイとラマンパの油をブレンドしたもので焼きあげているらしく、香ばしさと甘い香りが際立っていた。


 そしてそこに複雑な味わいをもたらすのが、3種のソースである。

 赤褐色のソースはチットやマロマロのチット漬け、黒褐色はギギの葉、深緑色はブケラが主体となっており、辛みや苦みや酸味が織り込まれている。ヨモギに似たブケラのソースにはさまざまな果汁も添加されているらしく、それ単体ではちょっと好ましくない味わいであるのだが、それが他のソースやジョラとあわさることで得も言われぬ味わいに転じるのだった。


 ヴァルカスは料理の本体にさまざまな味わいを練り込む手法を得意にしているが、こうして後掛けの調味液に味を分散させるパターンでも、それに負けない鮮烈さを演出することができる。最初からひとつの味にまとまっているか、それとも食べる過程でひとつの味にまとまっていくかというのは、やはり重要なポイントであるのだ。


「わー、これまたすごい味だね! やっぱりヴァルカスってお人は、とんでもない腕をしてるんだなー!」


 後から食したユーミも、感嘆の声をほとばしらせていた。


「でもこれ、上から煮汁を掛けるだけだったら、別の人間にまかせてもいいんじゃないの? そうしたら、ロイたちも厨の仕事を手伝えるじゃん」


「いや、調味液の掛け方や量なんかも、他人まかせにはできないんだってよ。そこまで細かい味の区別をできる人間が何人いるんだって話だけどさ」


 そんな風に答えながら、ロイは割れ物でも扱うような手つきで料理に調味液を掛けている。その姿は、大事な仕事をまかされたことを誇らしく思っているように見えなくもなかった。


 いっぽうボズルは、一見豪快な手つきで肉の塊を切り分けている。それはギバのロースを蒸し焼きにした料理であった。

 見た目はロースト・ギバと大差なく、スライスされた肉にスティック状のフワノが添えられて、上から淡い茶色のソースと香草のパウダーがまぶされる。こちらにはどのような工夫が凝らされているのかと、期待しながら食してみると――蒸し焼きにされたギバ肉そのものに、複雑怪奇な味わいが封入されていた。


「なんだ、これ? ギバかと思ったけど、別の肉なのか?」


 ルド=ルウの問いかけに、ボズルは笑顔で「いえいえ」と応じる。


「こちらはまぎれもなく、ギバの背中の肉ですぞ。ただ、事前に細い針で穴を空けて調味液を流し込んでから、蒸し焼きにしているのです」


「あー、カロンだか何だかの肉に油を詰め込んだって料理と同じようなもんか。あの料理ほど気色悪い感じはしねーけど……ギバ肉が別のもんに変わっちまったみたいで、妙な気分だなー」


「でも、美味しいよ」と声をあげてから、レイナ=ルウが凛々しい眼差しを俺のほうに向けてきた。俺はしばし思案してから、「そうだね」と答えてみせる。


「俺も、美味しいとは思うよ。でも、ヴァルカスの料理に食べなれていない森辺の狩人だと、異論が出るかもね」


 これはギバ肉の味を引き立てるための工夫ではなく、ギバ肉の味をひとつの道具として作りあげられた複雑な味わいである。一部の森辺の民がこういった料理を好まないことを、俺は経験から学んでいた。

 ただやっぱり、見事な手際であることに疑いはないし、こちらの料理でもゲルドや南の王都の食材がふんだんに使われている。こだわりが強いために目新しい食材を使いこなすのに時間のかかるヴァルカスであるが、着実に手数は増えているのだった。


「うーん。どれもこれも、真似しようのない仕上がりだなぁ。……テリアは、どう思う?」


「はい。わたしも驚かされるばかりです。でも、無理に真似る必要はないのではないでしょうか? わたしたちの宿のお客も、これほど入り組んだ味わいを求めてはいないでしょうから」


 と、レビとテリア=マスはひそめた声でそのように語らっていた。

 テリア=マスの丁寧な言葉づかいに変わりはないものの、きちんと夫婦らしい親密さが感じられる。そしてそんなふたりの姿を、ジョウ=ランはやたらと嬉しそうな眼差しで見守っていた。


 そこに「やあやあ」と近づいてくる者がある。ポルアースとメリムの夫妻に、侍女のルイアである。ユーミの姿に気づいたルイアは、真っ赤になって顔を伏せてしまった。


「森辺と宿場町の面々がおそろいだね。君たちにも、ちょっと話を聞かせていただけるかな?」


「えー? 話って、何の話?」


 試食会や礼賛の祝宴を経てすっかり気安くなったユーミが軽妙に応じると、ポルアースは真剣な面持ちで声をひそめた。


「もちろん、ティカトラス殿についてだよ。君たちの宿にも、ティカトラス殿は逗留されたのかな?」


「うん、来た来た! まさか本当に貧民窟の宿にまで出向いてくるとはねー! でも、おつきの連中がすごい迫力だから、うちのお客の小悪党どもも悪さはできなかったし……最後には、一緒に酒を飲んで騒ぎだす始末だったよ」


「そうか。やっぱりティカトラス殿というのは、規格外のお人だねぇ」


 ポルアースがしみじみと息をつくと、ユーミはそれを励ますように笑った。


「まだ南のお姫さんも居残ってる最中だってのに、貴族のお人らは苦労が絶えないね。おかげさんで、あたしらは平穏無事に過ごせてるけどさ」


「そう言ってもらえるのは、幸いだよ。しかし、アイ=ファ殿にはさんざん苦労をかけてしまったしねぇ」


「苦労がなかったとは言えないが、ポルアースらはそれよりも大きな苦労を担っていたのであろう。そちらの尽力に感謝を忘れたことはないぞ」


 アイ=ファが凛然とした面持ちで答えると、ポルアースは眉を下げながら微笑んだ。


「しかしティカトラス殿がジェノス城を出た時点で、僕たちの手綱からは外れてしまったからね。ほっとしたような、余計に気苦労がつのるような、複雑な気分だよ。……だけどティカトラス殿は、いまだに森辺の集落を訪れていないのだよね?」


「うむ。今日の祝宴に森辺の民を招待するために、ひとたびだけルウの集落を訪れていたが、それ以外にはいっさい足を踏み入れていないようだ」


「まずは行商人との商談を重んじたということなのかな。でも森辺の集落を訪れないままお帰りになることはないだろうから……森辺の民に無用の苦労が生じないように祈っているよ。何かあったらすぐに連絡をくれるようにと、ダリ=サウティ殿らにも伝えているからね」


 そうしてポルアースたちの会話が一段落したところで、ユーミがルイアのほうに向きなおった。


「で、あんたは何を小さくなってんのさ? こういうときには、ご主人のために料理を受け取ったりするもんなんじゃないの?」


「え、いや、だって……この格好でユーミに会うのは初めてだったから……」


「えー? あたしがそれを冷やかすとでも思ってんの? ずいぶん見くびられたもんだね! あたしはベンやカーゴじゃないんだからさ!」


 ユーミがけらけら笑うと、ルイアはいっそう小さくなってしまった。そして、にこにこと笑いながらそのやりとりを聞いていたメリムが、ルイアの肩にそっと手を置く。


「ルイアは、よくやってくれています。ルイアのような働き手を奪う形になってしまって、《西風亭》の方々に申し訳ないほどですわ」


「でも、それがルイアの望みだったからね。ダレイム伯爵家のお屋敷だったら、あたしも心配しないでいられるしさ。……そういえば、こういう場でルイアは料理を食べられないんだっけ?」


「はい。祝宴の後に料理が残されていれば、侍女や小姓などが口にすることになりますけれど」


「そっかー! それじゃあたくさん料理が残るといいね! あんたは城下町の料理に心をひかれたようなもんなんだろうからさ!」


「そ、そんなことないよ! ……あ、いえ、そのようなことはありませんのです……」


「あはは。やっぱりあたしらがいると、やりにくいか。じゃ、機会があったら、また後でねー」


 ユーミはジョウ=ランやレビたちを引き連れて、別の卓へと向かっていった。

 それを潮時として、俺たちもポルアースらに別れを告げる。俺たちは、ようやく7割ていどの卓を巡った見込みであったのだ。


「俺たちがまだ巡ってないのは、ヤンとサトゥラス伯爵家の料理長と……それに、ダイアはふたつかみっつの卓を受け持ってるはずなんだよね。レイナ=ルウは、どんな感じだい?」


「ヤンはふた品とも菓子であったため、素通りしてしまいました。あとは……プラティカとダイアの料理を口にしていませんね」


「そっか。それじゃあまずは、ダイアの卓の制覇を目指そうか」


 そんな風に語らいながら前進していくと、行く手にはひときわ大きな喧噪が待ちかまえていた。

 俺がそこにデギオンの長身を発見するのと同時に、アイ=ファが溜息をつく。俺たちは、ついにティカトラスの一行と出くわしてしまったようであった。


「おお、アイ=ファ! いいところに来てくれたね! わたしがもっとも美しいと思う女人が、そろいぶみだ!」


 ティカトラスは長羽織のような装束の袖をぱたぱたとそよがせながら、そのように言いたてた。

 その左右にはデギオンとヴィケッツォの他に、アリシュナにプラティカにククルエルという東の民がそろいぶみしており、さらにその正面にはラウ=レイとヤミル=レイの姿があった。


 どこか似たような妖艶さを秘めるヤミル=レイとヴィケッツォが向かい合っているのは、なかなかの壮観である。そしてそこにアイ=ファが加わると、いっそうの輝きが生じるようだった。


「確かにアイ=ファは、ヤミルに負けないぐらい美しいからな! そして、お前の娘も決して見劣りはしないようだ!」


「そうだろうそうだろう! 何せヴィケッツォは、わたしが側妻に迎えたいと願った母親と生き写しの美しさであるのだからね!」


 どうやらラウ=レイとティカトラスは、順当に絆を深められている様子である。ただ、それに付き添う美しい女性たちはそれぞれクールな無表情を決め込んでいた。


 ヤミル=レイとヴィケッツォはそれぞれ長い髪をポニーテールの形に結いあげていたし、かたや黒っぽいダークグリーン、かたや黒くきらめく宴衣装に艶めかしい肢体を包んでいる。それでいっそう、似た雰囲気がかもし出されるのかもしれなかった。


 ただし、眼差しまでもが冷ややかなヤミル=レイと異なり、ヴィケッツォは戦士らしい眼光をアンズ形の目に宿している。凛々しい無表情で眼光が鋭いというのは、むしろアイ=ファやプラティカに近いはずだった。


(うーん。そう考えると、ヴィケッツォはアイ=ファとヤミル=レイに少しずつ似たところがあるっていうことなのかな)


 ティカトラスはアイ=ファを側妻に迎えたいと願い、ヤミル=レイにも迷う素振りを見せていた。それでヴィケッツォが、かつて愛した女性と生き写しなのだとすると――節操がないように感じられるティカトラスにも、何か一貫した好みの女性像というものが存在するのかもしれなかった。


(ただ、他の側妻の方々がみんな似たタイプかどうかは、知れたもんじゃないけどな)


 俺がそんな埒もない想念にふけっていると、アリシュナが楚々とした足取りで近づいてきた。彼女は普段からたくさんの飾り物をさげているので、宴衣装と変わらぬきらびやかさだ。


「アスタ。お伝えしたいこと、ありました。……ティカトラス、不思議です」


「はい? それはまあ、なかなか他には見られないようなお人柄であるようですけれど……」


「人柄、違います。ティカトラス、人間の本質、見抜く眼力、有しているのです」


 ティカトラスとラウ=レイの笑い声が響く中、アリシュナは囁き声でそのように言いつのった。


「肖像画のアイ=ファ、こちらのヤミル=レイ、そして、族長ダリ=サウティの供たる女衆。宴衣装、選んだ、ティカトラスですね? ……運命、語らないので、星について語ること、お許しください。アイ=ファたち、宴衣装、色合い、それぞれの星、合致しているのです」


「それぞれの星? それはつまり――」


「アイ=ファ、赤の猫の心臓。ヤミル=レイ、緑の蛇の頭。サウティの女衆、黄の犬の瞳です。また、肖像画のアイ=ファ、猫の美しさと気迫、および、心臓に相応しい脈動、伝わってきます」


 俺はすっかり混乱しながら、アリシュナの夜の湖めいた黒い瞳を見返すことになった。


「それじゃあ、まさか……ティカトラスには、星読みの才覚があるということですか?」


「いえ。星読みの才覚、皆無であるのです。ティカトラス、星を読めないまま、人の本質、見抜いているのです。それがいっそう、不思議であるのです」


 アリシュナに不思議と言われては、俺などにはもう理解の外であった。

 アリシュナは静謐な面持ちのまま、俺の瞳をじっと見つめてくる。


「ティカトラスの目、アスタの姿、どのように映っているのか、気になります。占星師、アスタの星、見えませんが……ティカトラス、星、見ているわけではないので、アスタの本質、見えるのかもしれません」


 そこでアイ=ファが、「おい」と顔を寄せてきた。


「お前が何に関心を持とうと勝手だが、わざわざそれをアスタに告げる必要はあるまい。我々が星読みにまつわる話を好んでいないことは、お前もわきまえているのであろうが?」


「……話、聞こえましたか? 聴力、驚異的です」


「ふん。私に聞かれては、不都合な話であったか?」


「いえ。アスタ、アイ=ファに秘密、持たないでしょうから、同じことです」


 アリシュナはゆったりと一礼して、ククルエルのかたわらに引き下がっていった。

 そうしてアイ=ファが文句を言いたげに口を開きかけたとき、大広間に歓声がわきおこる。何かと思えば、ベンチのような椅子を抱えた小姓や侍女たちが列を為して突入してきたのだ。


「さあ! それでは、傀儡の劇の時間だね! 近くで目にできる人数は限られてしまうだろうが、彼女の声を耳にするだけで相応の満足感は得られるはずだ! これから半刻ほどは、どうかおしゃべりを休んで耳をすましていただきたい!」


 そんな風に大声を張り上げてから、ティカトラスはアイ=ファに笑いかけてきた。


「では、どうかアイ=ファとアスタは最前列に! 傀儡使いの両名には、『森辺のかまど番アスタ』を披露するように申しつけておいたからね!」


「……我々は、すでにその劇を目にしている。ここは他なる者に席を譲るべきであろう」


「いやいや! わたしのために、お願いするよ! 生身の主人公たちとともに傀儡の劇を観賞する機会なんて、この先もなかなか訪れないだろうからさ!」


 そう言って、ティカトラスは子供のように無邪気な笑顔をさらしたのだった。

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― 新着の感想 ―
[良い点] ティカトラスは星読みじゃないのか! じゃあたしかにアリシュナの言うとおり、星の無いアスタをどう見ているかが気になりますね フェルメスが言ってたのもこれかぁ
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