城下町の勉強会④~城下町の料理人~
2022.5/5 更新分 2/2
・今回は2話同時更新です。読み飛ばしのないようにご注意ください。
それからおよそ、半刻後――俺たちは、完成した料理を順番に味見していくことになった。
まず最初に完成されたのは、ティマロの菓子である。ゾゾとチャッチを加えた生地に果実の餡を封入してオーブンで焼いた、焼き菓子であった。
「おいしー! ちょっとゾゾの香りが強いけど、それでも美味しいね!」
リミ=ルウが満面の笑みで声をあげると、レイ=マトゥアも同じような笑顔で「はい!」と応じた。
「ゾゾというのは苦みや渋みがありますので、わたしはなかなか菓子で使う気にはなれなかったのですけれど……でも、これは美味しいと思います!」
「左様ですな。ゾゾの茶というのはその苦みや渋みでもって菓子の甘さを引き立てるべき存在であるのですから、その味わいを菓子に取り込むには入念に味を組み立てる必要があるかと思われます」
ティマロの講釈に、トゥール=ディンも「そうですね」と同意の声をあげる。
「わたしはゾゾの風味を調和させることが難しかったため、どうしても分量を減らすしかありませんでした。でも、こちらの菓子は具材の味わいによってゾゾの風味が活かされておりますし……十分な量のゾゾを加えているため、生地の食感がとても好ましく感じられます」
「トゥール=ディン殿にそうまで賞賛していただけるのは、光栄の至りでありますな」
ティマロは取りすました表情を保持しながら、とても誇らしげな眼差しになっていた。
するとそこに、ティカトラスの甲高い声が響きわたる。
「うん! これは素晴らしい味わいだね! ラマムとミンミとアマンサの味わいが混然一体となって、まるで未知なる果実を食しているかのようだ! そしてそれらの味わいが、ゾゾの風味とも調和しているのだろう! このような菓子を作りあげるには、さぞかし細やかな気遣いが必要となるに違いない! 見たまえ! こちらの侍女などは、懸想していた相手と巡りあえたかのようにうっとりしているではないか!」
そのように指摘されたのは、ルイアである。彼女は城下町の作法で作られた料理や菓子が、ずいぶん好みに合うようなのだ。そうして数多くの視線を集めることになったルイアは、気の毒なぐらい真っ赤になってしまっていた。
「それに、普通は菓子に使うこともないゾゾを加えることで、実にジェノスらしい愉快な味わいになっている! 君もダカルマス殿下から授かった栄誉に恥じない料理人であるようだね、ティマロ!」
「恐れ多き言葉でございます」と、ティマロは恭しく一礼した。
次に完成されたのは、ヤンの菓子である。こちらは砂糖水に漬けた卵と天日干しにしたフワノを使った、パイのような菓子であった。
天日干しにしたフワノには、独特の香ばしい風味が生まれる。ただし、いくぶんボソボソとした食感になりがちであったため、上手く使うには工夫が必要であるのだ。
もちろん菓子作りを得意にするヤンは、それらの特性を正しく使いこなしていた。食材の分量や攪拌の加減、さらには火の入れ方に至るまで、さまざまな点で的確な配慮が為されているのだろう。また、その菓子はパナムの蜜をラマムの果汁で溶いたものを塗られた上でオーブンで焼かれており、とても小気味のいいサクサクとした食感になっていた。
なおかつ、砂糖漬けにした卵によって、繊細な甘みが加えられている。表面に塗られた蜜の甘さと二段構えになっているような感じで、他には具材も使われていないのに、きわめて奥行きのある味わいであった。
「これはこのままでも十分に美味ですけれど、普段は具材を加えているのですよね?」
トゥール=ディンの問いかけに、ヤンは「ええ」と穏やかに応じた。
「具材を加えるというよりは、砂糖漬けにしたアロウやラマムなどと一緒に召しあがっていただくのが常でありました。ただ……こちらにはチャッチもちやくりーむなども調和するのではないかと思案しております」
「はい。わたしも同じように考えていました」
トゥール=ディンが嬉しそうに微笑むと、ヤンも同じように口もとをほころばせる。
そうして他の人々も順番に感想を申し述べていくと、最後にまたティカトラスが声を張り上げた。
「こちらもまた、実に繊細な味わいだ! ジェノスらしい愉快さという点ではさきほどの菓子に一歩劣るけれども、それを補って余りある美味しさだね! ……デギオンは、どう思うのかな?」
「はい。こちらの菓子には、さまざまな想像をかきたてられます。料理人の方々が仰っていたような具材が加えられたならば、いったいどのような味わいになるのかと……胸が弾んでやみません」
そんな風に語りながら、デギオンはまったくの無表情だ。なおかつ彼は骸骨のように骨ばった顔立ちで、やたらと陰気な眼差しをしているために、いっそう不似合いな言葉であるように思えてしまうのだが――しかしやっぱり、甘党であることに嘘はないように思われた。
「そういえば、君たちは試食会においてダイアよりも多くの星を集めていたという話であったのだよね! わたしであれば、ダイアの作る美しい菓子や料理に星を投じそうなところだけれども……しかし! ダイアの敗北に不服を申し立てることはないだろう! 君たちは、それだけの力を持つ料理人であるのだ!」
ヤンと一緒に、ティマロも再び一礼することになった。
そうして次に完成したのは、プラティカの料理である。プラティカがその旨を告げると、自分の料理の火加減を見ていたデルシェア姫が瞳を輝かせながら振り返った。
「へー! それが森辺の作法を取り入れた、プラティカ様の料理なんだね! どんな味わいなのか、期待がふくらんじゃうなー!」
「おやおや?」とティカトラスが笑顔で視線を送ると、デルシェア姫は悪戯を見つけられた幼子のように舌を出した。
「あ、うっかり地が出ちゃった。……でももう厨にいる間は、取りつくろうのをやめてもいいかなぁ? ティカトラス様だったら、そんな堅苦しいことは言わないでくれるでしょ?」
「もちろんです! デルシェア姫はこの場でもっとも身分の高い御方なのですから、なんのご遠慮もいりますまい!」
「ありがとう! 公の場では、きちんとするからさ!」
ふたりがそんなやりとりをしている間に、プラティカの料理が配膳された。3名の侍女たちの活躍どころである。
デルシェア姫が言っていた通り、これは森辺の作法で作られた料理であると、最初に説明が為されていた。
然してその内容は、なんと焼き餃子である。プラティカはタケノコのごときチャムチャムを使って、焼き餃子をこしらえていたのだった。
なお、こちらのチャムチャムは城下町流の下ごしらえとして、3日間ほどチットの実に漬けられている。そうするとチャムチャムは身が引き締まって、火にかける前からメンマのような食感に変ずるのだ。
そしてこちらの焼き餃子には、肉類がいっさい使われていない。ただ白菜のごときティンファとチャムチャムがみじん切りにされて、塩、タウ油、砂糖、ケルの根、ホボイ油といった調味料で味付けされているのみであった。
「より強い味付け、求めるなら、後掛けの調味液、有効でしょう。ですが、本日、素の味、確認してもらいたい、思っています」
そんなプラティカの説明を聞きながら、俺たちはチャムチャムの焼き餃子を味見させていただいた。
その味わいは――絶品である。
その思いを最初に口にしたのは、料理人ならぬアリシュナであった。
「……こちらの料理、肉類、使われていないのですね?」
「はい。調理の手順、披露した通りです」
「ですが、肉料理、食している気分です。心地、不思議です」
「ま、まさしく!」と、ティマロが勢い込んで発言した。
「こちらの料理は噛めば噛むほどに、豊かな味わいが口に広がります。それこそ、上質の肉料理を味わっているような心地です。しかしあなたは肉そのものだけでなく、肉の出汁すら使っておりませんでした。これはいったい、如何なる作用であるのでしょう?」
「チャムチャム、凝縮した味わい、肉と似た旨み、存在するのでしょう。また、食感にも、通ずるもの、あるように思います」
「確かにこれは、愉快な味わいだ!」と、ティカトラスが割り込んだ。
「しかし! 森辺といえば、ギバ料理なのだろう? どうして君は森辺の作法を取り入れながら、肉を使わない料理などを手掛けることになったのかな?」
「ゲルドもまた、ジェノスから遠いため、ギバの生鮮肉、持ち帰ること、できません。また、カロンやキミュスすら、希少です。ゲルド、帰還したならば、ギャマおよびランドル、代用できるか、試すつもりですが……まず、他なる食材、代用できるかどうか、試していたのです」
「ふむふむ! それで、チャムチャムに行き着いた、と? では、最初からチャムチャム料理を目指していたわけではないのだね?」
「はい。ですが、期待していました。チャムチャム、旨み、豊かですので、肉料理に似た、野菜料理、目指せる、考えていたのです」
「素晴らしい発想力だ! ゲルドの藩主殿は、実に有望な料理番を確保しているのだね! 君をダームに連れ帰れないことが残念でならないよ!」
プラティカは無表情に一礼してから、デルシェア姫のほうを振り返った。
調理しながら味見を済ませたデルシェア姫は、無邪気な笑顔でそれを迎え撃つ。
「確かにこれはすごく美味だし、あなたの発想力にも驚かされたよ! まさか、チャムチャムを料理の主体にするなんてね! 次の機会には、君の手際をじっくり拝見させてほしいな!」
「恐縮です」と頭を下げてから、プラティカは俺へと向きなおってきた。
俺自身、プラティカの料理を口にするのはものすごくひさびさであったのだ。それがこのような完成度であったことが、喜ばしい限りであった。
「これは素晴らしい出来栄えですね。今度フェルメスに料理をお出しする機会があったら、真似をさせてもらってもいいですか?」
「……アスタ、真似られるなら、光栄の限りです」
感情をこぼすまいと眉をきつくひそめながら、プラティカはそんな風に言ってくれた。
ちらりとアイ=ファのほうをうかがうと、そちらは凛々しい面持ちのまま優しい眼差しでプラティカの姿を見守っている。アイ=ファもまた、プラティカの苦労が正しい形で報われることを強く願っているひとりであるのだ。
そうして他の面々も、プラティカの焼き餃子を賞賛しまくったわけだが――最後の最後で、ヴァルカスが不平を申し立てることになった。
「確かにこちらの料理は、素晴らしい完成度です。それゆえに、かすかな物足りなさが際立ってしまっています。こちらの料理は香草を加えることで、またとない調和が得られることでしょう」
プラティカはたちまち狩人めいた眼差しでもって、ヴァルカスをねめつけた。
ヴァルカスもまた調理中であるため、こちらに背中を向けている。ただどの道、ヴァルカスとその弟子たちは白い覆面を着用しているため、表情をうかがうことはできなかった。
「香草、ペペとミャームーのことでしょうか? アスタもまた、こちらの料理、ペペ、あるいはミャームー、使っていました。ですが、現在、手に入りません」
「ああ、きっとペペは調和するでしょう。ただし、このチャムチャムは肉と見まごう味わいでありますが、やはり肉ではありません。ミャームーと肉の掛け合わせで生じる調和は期待できないかと思われます」
「では、ペペですか。どちらにせよ、手に入りません。それに、他の香草、いくつか試しましたが、満足な味わい、得られませんでした」
「……アスタ殿は、どのようにお考えでしょう? もともとこれは、アスタ殿の考案された料理なのでしょう?」
自身の料理のかまどに視線を据えたまま、ヴァルカスはそのように問うてくる。
俺は「うーん」と思い悩んでから、ひとつのアイディアに思い至った。
「俺が試すとしたら、ミャンでしょうかね。具材に混ぜ込むか後掛けにするかは、迷いそうなところですけれども」
ミャンとは、大葉のごときゲルドの香草である。
プラティカは鋭い視線のまま、「いえ」とかぶりを振った。
「ミャン、真っ先に試した、香草のひとつです。ですが、効果的、ありませんでした。調和、壊さない代わり、存在感、消えてしまうのです」
「こちらは具材に強めの味をつけているので、それに負けてしまうのでしょうかね。では、ミャンと干しキキを合わせた調味液など如何でしょう?」
それは俺がサラダのドレッシングや生春巻きのタレなどで多用している、梅しそを思わせる組み合わせであった。
プラティカはハッとした様子で唇を噛み、こちらに背を向けたヴァルカスはぼんやりとうなずく。
「食べずとも、調和の想像がつきました。分量に間違いがなければ、またとない調和を得られることでしょう」
「……はい。自分の未熟さ、思い知らされました」
プラティカが悔しそうにうつむいてしまったため、俺は慌てて「いえいえ」とフォローする。
「プラティカは最初から、後掛けの調味液も有効と仰っていたでしょう? 素の味としてはこれで十分な仕上がりなんですから、そんなに気にすることはないかと思います」
「いえ。考察、足りませんでした。ペペ、使えない段階で、若干の物足りなさ、生じていたのですから、その欠落、埋まるまで、披露するべきではありませんでした」
そう言って、プラティカは射るような眼光を俺に突きつけてきた。
「私、さらなる修練、必要です。近日中、森辺、お邪魔したい、思います。許し、もらえますか?」
「もちろんです。また一緒に、あれこれ頑張りましょう」
そんな風に答えながら、俺はアイ=ファがヴァルカスの背中をじっとりとにらみつけていることに気づいた。
まあ、アイ=ファの気持ちもわからなくはないが――こういう悔しさもまた、プラティカにとっては大きな糧であるのだ。ヴァルカスのおかげでプラティカがまた一歩成長できたのだと思えば、腹も立たないはずであった。
「まったくもって、質の高い討論であるようだね! 君たちのそういった飽くなき執念こそが、これだけの美味なる料理を生み出しているわけだ! 君たちの気高い志を、わたしは心から寿ぎたく思うよ!」
ティカトラスは、呑気に笑い声を響かせる。
しかし、貴賓館の料理人たちも、いっそう感嘆の表情になっているようだ。これだけの完成度である料理にまだ満足がいかないのか、という心持ちであるのだろうか。確かにヴァルカスとプラティカの執念というものは、人並み外れているはずであった。
そうしてこちらの騒ぎが一段落したタイミングで、デルシェア姫と《銀星堂》の料理が完成した。
「わー、同じ下ごしらえを選んだ上に、料理を出すのも同時になっちゃった! どうぞお手柔らかにね!」
そんな風に言いたてながら、デルシェア姫は自信満々の面持ちであった。
そちらの2組が担当したのは、タウ油とレテンの油を煮込んだ調味液である。デルシェア姫には調理助手がいなかったため、手余りとなったボズルが力を添えていた。
そうして同時に出されたのは、どちらも煮込み料理である。
《銀星堂》のほうはひと口大に切り分けられたギバのロース肉、デルシェア姫のほうはブロックのバラ肉が使われている。デルシェア姫はカロン料理のために考案した味付けをギバ料理に転用したのだという話であった。
デルシェア姫は肉の塊を切り分けて、一緒に煮込まれていた具材とともに皿へと取り分けていく。具材の内容は、パプリカのごときマ・ティノとズッキーニのごときチャン、それにシイタケモドキであった。
いっぽう《銀星堂》のほうはネェノン、ティノ、プラ、ギーゴ、ナナール、シィマ、アロウ、ラマムといった食材を使っていたが、それらは細かく切り分けられた上に半刻ばかりも火にかけられて、すっかり煮汁に溶けてしまっていた。
切り分ける必要のない《銀星堂》のほうが早く届けられたため、俺たちはそちらから先に味見をさせていただく。
とたんに、鮮烈な味わいが口内に広がった。こちらにはさまざまな調味料と香草が使われていたため、実にヴァルカスらしい複雑な味わいが完成されていた。
ヴァルカスはそう簡単にレシピを明かさないというスタンスであるが、その反面、調理を見られることに抵抗の色を示したりはしない。ヴァルカスの料理は調理手順が複雑である上に、使う食材の分量こそが肝要であるため、よっぽど念入りに指南されない限りは再現することなど不可能であるのだ。
実際問題、食材の内容と調理手順をしっかり見届けた俺でも、どうしてこのような味わいになるのか判別はできなかった。甘くて辛くて苦くて酸っぱい、あらゆる味わいが絶妙なバランスで均衡を保った、ヴァルカスの料理の真骨頂だ。レイナ=ルウは真剣きわまりない面持ちで、マルフィラ=ナハムはふにゃんと弛緩した顔で、それぞれヴァルカスの料理を味わっていた。
そしてその感想を述べあう前に、デルシェア姫の料理が届けられる。
チャッチのお茶でできる限り舌をリセットしてからそちらの料理を食した俺は、さらなる驚きにとらわれた。
こちらもまた、鮮烈な味わいである。
しかし、ヴァルカスの料理とは対極的な味わいだ。
まずガツンと頭に響くのは、ワサビに似たボナの風味と辛みである。
タウ油とレテンの油を煮込んだ調味液に土台を支えられて、ボナの豊かな風味が奔流のように口内を駆け巡った。
そしてそこに、さまざまな旨みが追いかけてくる。デルシェア姫はデルシェア姫で、塩に砂糖にミソにホボイ油、ピーナッツに似たラマンパや干しブドウに似たリッケやサツマイモに似たノ・ギーゴなど、さまざまな調味料と食材を調味液に加えていたのである。
しかしそれらはあくまでボナを引き立てるための存在であり、そして、ボナを指揮官にした調味液はギバ肉と具材の味を引き立てている。ギバ肉にもしっかり調味液の味わいがしみこんでいたが、大きなブロックで煮込まれていたために、その内側には本来の味わいが力強く主張されていたのだった。
ギバ肉の部位はバラであるので、もっとも脂が豊かである。しかし、ボナの清涼感がそれをいい具合に調和させている。もともとくどさがなくて食べやすいギバの脂がいっそう抵抗なく旨みを広げて、この料理をとても豪奢な印象に仕立てあげていた。
「まったくもって、素晴らしい味わいでありますな。ヴァルカス殿の料理とは正反対と言ってもいいような仕上がりでありますが、完成度においてはまさり劣りもございません」
と、真っ先に口を開いたのは、ティマロであった。
「なおかつ、タウ油とレテンの油を煮込んだ調味液の活用法という主題に関しましては、デルシェア姫のほうが正しく示されておりましょう。ヴァルカス殿の料理はあまりに味が入り組んでおりますため、調味液の存在もどこかに隠れされてしまっておりますからな」
「それでもこれは、タウ油とレテンの油の調味液なくして成立し得ない料理であるのです」
そのように反論したのは、ヴァルカス当人ではなくシリィ=ロウだ。主人の名誉を守るために、シリィ=ロウは剣呑な目つきになってしまっていた。
「何もそのように言い争う必要はあるまいよ! デルシェア姫の料理もヴァルカスの料理も、実に素晴らしい味わいじゃないか!」
と、ティカトラスが無邪気な声で両者の間に割り込んだ。
「ヴァルカスの料理には、心から驚かされた! 確かにこれこそが、ジェノス流の複雑きわまりない料理の究極系であるのだろう! さまざまな土地を巡ったわたしでも、このような料理は想像することすらできていなかった! いったい食材をどのようにこねくり回したらこのような味わいを生み出せるのか、調理手順を眺めていたはずなのにさっぱり見当がつかないよ! 君は天才だね、ヴァルカス! わたしは稀有なる才能を有した画家や音楽家や彫刻家に巡りあえたときと同じ感動を覚えているよ!」
「恐縮です」と、ヴァルカスはぼんやりと一礼する。
「うんうん!」と大きくうなずいてから、ティカトラスはデルシェア姫に向きなおった。
「そんなヴァルカスの料理を先に食べたものだから、デルシェア姫の料理の素晴らしさもいっそう際立ったようです! デルシェア姫も実に込み入った手順で料理を完成させたようですが、その味わいは純朴の極致! ボナとギバ肉の味わいがどれだけ素晴らしいものであるかを、心から思い知らされました! 豪快でありながら粗野にはあらず、その裏側に細やかな気遣いと情け深さをひそめた、デルシェア姫のご気性が皿の上にはっきりと示されておりましたよ!」
「過分なお言葉、光栄ですわ」と、おどけて微笑みながら、デルシェア姫は調理着の裾をつまんで貴婦人の礼をした。
ティカトラスもまたにっこりと微笑んでから、またヴァルカスのほうに向きなおる。
「しかし残念ながら、ジャガルの王族たるデルシェア姫を従者にお誘いすることはできません! ……君はどうだろう、ヴァルカス? どうかわたしの従者になってもらえないものかな?」
「……従者?」
「そう、従者だ! 君だったら、わたしの屋敷の料理長に任命してもいい! なんだったら、弟子の全員を引き連れてでもかまわないよ!」
「はあ……公爵家の直系たるティカトラス殿のお屋敷の料理長というわけですか」
「その通り! 王都はシムから遠いため、香草などもなかなか割高になってしまうのだけれどね! そこはわたしの財力でどうとでもできるので、君にはぞんぶんに腕をふるってもらいたく思っているよ!」
「なるほど……」と、ヴァルカスはぼんやりと考え込んでしまう。そのかたわらではロイとシリィ=ロウが慌てふためいた顔をしているが、まったく気づいていない様子だ。
(まさか、承諾したりしないよな?)
ヴァルカスがなかなか返答しないため、俺まで焦ってきてしまう。レイナ=ルウなどは、シリィ=ロウに負けないぐらいオロオロしてしまっていた。
そんな中、タートゥマイがさりげなくヴァルカスの背後に回り込む。
ティカトラスからは死角になる位置で、タートゥマイがヴァルカスの後頭部に何事かを囁きかけ――そうすると、ヴァルカスは茫洋とした面持ちのまま一礼した。
「……申し訳ありません。わたしは今後もジェノスで料理人として生きていきたく思います」
「そうか! 残念きわまりないね! 気が変わったら、いつでも声をかけてくれたまえ!」
ティカトラスはいつもの調子で笑い声を響かせ、その場にたたずむ面々をぐるりと見回してきた。
「では、わたしはそろそろ失礼しようかな! いつまでも部外者が大きな顔をしていたら、迷惑になってしまうだろうからね! どうか存分に研鑽を積んで、至高の料理を目指していただきたい!」
それはずいぶん唐突な申し出であったが、こちらとしては願ったり叶ったりである。ティカトラスはこういう場を活性化させてくれる面も持っているのであるが、やはり一部の人々は遠慮をして口が重くなってしまうのだ。
「ただ、その前に! 次の機会には、君たちの料理を心ゆくまで味わわさせていただきたい! ここはひとつ盛大に祝宴でも開いてみようかと思うのだけれど、いかがかな?」
「祝宴? でも、ティカトラス様はジェノス城を出た身だよね?」
デルシェア姫の問いかけに、ティカトラスは「そうですな!」と陽気に応じる。
「ですがやっぱり城下町の料理人がもっとも力を発揮するのは、華々しい祝宴の場でありましょう! ジェノス侯に相談してみますので、承諾を得られたならば、デルシェア姫も是非お招きさせてください!」
「そういうことなら、喜んで」と、デルシェア姫は笑顔で答える。
ティカトラスは満足そうにうなずきながら、ひさびさにアイ=ファのほうを見た。
「そしてもちろん、森辺の面々にも声をかけさせていただくからね! アイ=ファも、よろしくお願いするよ!」
「……私は族長の許しなくして、返事をすることはできん」
「うんうん! 明日には族長のもとにおもむくことにしよう! しかしまずは、ジェノス侯だ! デギオン、ヴィケッツォ、ジェノス城に出発するよ!」
そうしてティカトラスの一行は、登場したときと同じ唐突さで立ち去っていった。
ジェムドは独立した影のようにその後を追い、アリシュナも一礼して退室していく。そうしてその場には、もとのメンバーだけが取り残されることに相成ったのだった。
「……ティカトラス様というのは、お噂通りの大らかなお人であられましたな。しかしまた、美食家の名に相応しい舌をお持ちのようです」
いくぶん毒気を抜かれつつ、ティマロはそのように評していた。
他の人々はデルシェア姫の耳をはばかってか、手近な相手と声をひそめておたがいの心中を語り合っている。そんな中、俺はタートゥマイにこっそり呼びかけることにした。
「あの、さっきはヴァルカスにどういった言葉を届けていたのですか?」
「……お気づきになられていましたか」と、タートゥマイは静かな面持ちで俺を見下ろしてくる。
「王都に移り住んだならば、このさきアスタ殿の料理を口にすることもできなくなりましょう。……わたしは、そのようにお伝えいたしました」
意想外な言葉を聞かされて、俺は思わず言葉を失ってしまう。
すると今度は、ヴァルカスがぼんやりとした顔で向きなおってきた。
「下りの二の刻の鐘が鳴りました。勉強会も、残り半分ですね。早々に再開いたしましょう」
俺とタートゥマイのやりとりが聞こえていなかったのか。あるいは、聞こえていても関係ないのか。ヴァルカスは、いつも通りのたたずまいであった。
そんなヴァルカスに、俺は「はい」と笑顔を返してみせる。
「それじゃあ、再開しましょうか。でもその前に、まずは俺たちもヴァルカスとデルシェア姫の料理について語らせてもらいたく思います」
そうして俺たちは一刻ばかりの時間をティカトラスによってかき回されながら、その後は満ち足りた気持ちで勉強会を続けることがかなったのだった。