城下町の勉強会③~予期した来客~
2022.5/5 更新分 1/2
「では次は、我々が腕を見せる番でありましょうな」
鼻息も荒くそのように宣言したのは、ティマロであった。
「森辺の方々は、どのような点を学びたいとお考えでありましょう? それに沿った料理や菓子を作りあげて、意見を交わし合いたく思います」
「そうですね。自分としては、みなさんの調理を拝見できるだけで、十分に有意義なのですが……みんなはどうだろう?」
俺がそのように呼びかけると、やはり真っ先に反応したのはレイナ=ルウであった。
「ここはやはり、わたしたちが習い覚えた城下町の作法というものが、これまでどのような形で活用されてきたのかをご教示願うべきではないでしょうか?」
それは確かに、俺たちの活用法と比較検討するという意味においても、楽しい試みであるかもしれない。
すると、マルフィラ=ナハムが目を泳がせながら発言した。
「あ、あ、あと、わたしは長らくデルシェアやプラティカの料理を口にしていませんので、そちらも味見させていただけたらありがたいのですが……お、王族たるデルシェアにこのような願い出をするなんて、ぶしつけであったでしょうか?」
「ぶしつけなんて、とんでもない! わたしなんかの料理に関心を持ってくれるなんて、光栄な限りだよ! ……アスタ様なんかは、これっぽっちも興味を持ってくれてないみたいだもんねー?」
「え? あ、いや、決してそういうわけでは……」
「あはは。冗談だから、そんなに慌てないでよー! アスタ様ってしっかり者なのに、こういう不意打ちには弱いよね!」
デルシェア姫の笑顔は無邪気そのものであったが、その少し甘えるような眼差しには、かつての恋心の残り香みたいなものが感じられてならなかった。
背後の壁際に陣取ったアイ=ファは、果たしてどのような眼差しでこちらのやりとりを見守っているだろうか。むしろそちらに冷や汗を誘発されつつ、俺も「あはは」と笑ってごまかすばかりであった。
「ちなみに、ティマロたちは他にどんな下ごしらえの作法を森辺や宿場町のお人らに伝授したんでしたっけ?」
ロイの問いかけによって、その内容がつまびらかにされる。
それを耳にして、ボズルが「ふむ」と考え込んだ。
「《銀星堂》にはこういう場で手早く仕上げられる献立というものが、あまり存在しませんからな。その中で合致するのは……タウ油とレテンの油の調味液ぐらいやもしれません」
「では、そちらは《銀星堂》の方々におまかせいたしましょう。わたしはゾゾとチャチを使った菓子の生地に取り組みたく思います」
「であれば、わたしは砂糖水に漬けた卵にいたします。あと、天日干しにしたフワノの余分は、こちらにありますでしょうか?」
ヤンの言葉に、貴賓館の料理長がイエスと答える。それで城下町の料理人らは、献立が決定したようだった。
「それじゃあわたしも、タウ油とレテンの油の調味液かな! 蜜漬けにしたカロン肉でもいいんだけど、森辺のみんなの参考にはならなそうだもんね!」
「ああ、デルシェア姫はギバ肉を扱っておられないのですよね」
「うん! だって、ギバ肉は干し肉ぐらいしか故郷まで持ち帰れないからさ! ギバ料理の修練を積んでも、宝の持ち腐れになっちゃうんだよ!」
そんな風に応じながら、デルシェア姫は期待に満ちた眼差しをプラティカのほうに突きつける。プラティカは紫色に強く光る切れ長の目で、そちらを見返した。
「では、こちらの厨、チャムチャムの準備、あるそうなので、私、そちら、使います」
「チャムチャム? ずいぶん地味なやつを選んだね!」
タケノコに似たチャムチャムは、3日ばかりもチットの実に漬けておくと、身が引き締まって独特の食感が生まれる。それもさきほどティマロが説明した通り、かつて宿場町の勉強会で伝授された城下町の下ごしらえの作法であった。
「地味、問題、ありますか? あるならば、変更します」
「問題なんて、これっぽっちもありゃしないよ! プラティカ様があえて選ぶってことは、きっとそれだけの自信があるんだろうからね!」
満面の笑みであるデルシェア姫と無表情に闘志をたぎらせるプラティカが、近い距離からおたがいを見つめ合う。護衛役の武官たちはハラハラしているようであるが、俺としてはきわめて興味深い競演であった。
「では森辺の方々と同じように、我々も順番に説明をしながら調理を進めるべきでありましょうな」
必要な食材を食料庫から取りそろえたところで、ティマロがそのように取り仕切った。
そうしてティマロが意気揚々と語り出そうとしたとき――厨の扉がノックされたのだった。
扉を細く開いて応対したアイ=ファの肩が、ぴくりと震える。
そしてアイ=ファは、明らかに不機嫌な気持ちを押し殺した声を俺たちのほうに投げかけてきた。
「アスタよ。ティカトラスを含む5名の人間が、見学を申し出ている。了承を与えるかどうか、返事をもらいたい」
俺としては、「やっぱりか」という心地であった。あのティカトラスがこのようなイベントを見逃すはずがないと、半ば覚悟を固めていたのである。
そして彼が押しかけてくる可能性については、勉強会の参加メンバーにも事前に周知している。幸いなことに、それで大きく動揺する人間はいないようであった。
「王都の貴き御方を追い返すわけにはまいりませんでしょう。すみやかに入室していただくべきでは?」
城下町の料理人を代表する形で、ティマロはそのように言っていた。まあ、ティマロやヴァルカスは自分の店でも貴族を客としているため、そうまで腰が引けたりはしないのである。そうして俺たちは、奇矯なる客人を厨に迎え入れることに相成ったのだった。
「やあやあ! 入室を許してくれて、感謝しているよ! 決してお邪魔はしないので、どうか気兼ねなく勉強会というものに励んでくれたまえ!」
ティカトラスは長羽織のような上衣の裾をひらめかせながら、ずかずかと厨に踏み入ってくる。俺としては、その後に続くメンバーのほうにいささか驚かされてしまった。
「あら、ジェムド様とアリシュナ様もご一緒でしたのね」
貴族の来訪によって口調を切り替えたデルシェア姫が、そのように指摘した。
ティカトラスはにこにこと笑いながら、「おお!」と幅広の袖をはためかせる。
「そうかそうか! デルシェア姫もおいでだったのですね! これはぞんざいな口を叩いてしまい、申し訳ありませんでした!」
「いえ、まったくかまいませんわ。でも、どうしてそちらのおふたりがご一緒なのです?」
「どうせこちらにお邪魔するならと、わたしはアリシュナのもとを訪れていたのです! そうしたら、アリシュナもこちらの勉強会に興味を抱いていたようであったので、ついでにお連れしたのですよ!」
アリシュナはこちらの貴賓館に逗留しつつ、星読みの仕事に励んでいるのである。アリシュナは相変わらずの神秘的なたたずまいで、俺たちに向かって一礼してきた。
「こちらのフェルメス殿の従者は、所用があってこの貴賓館を訪れていたそうですな! それで彼もアスタたちに挨拶をするべく厨に向かっていたそうで、たまたま回廊で出くわしたのです!」
「まあ。それは楽しい偶然でしたわね」
デルシェア姫に微笑みかけられて、ジェムドは折り目正しく一礼する。
が、ティカトラスのかたわらに控えたヴィケッツォは、そんなジェムドの姿をうろんげにねめつけていた。
(なるほど。ジェムドがたまたまこういう場で出くわすってのは、これが2回目だもんな)
アイ=ファが肖像画のモデルを務めていた日には、デルシェア姫がジェムドと出くわして、ともに俺たちのもとにやってくることになったのだ。そしてあのときの彼は、おそらくフェルメスの命令で乗り込んできたのだろうから――本日も同様であると考えるのが自然であるのかもしれなかった。
(ってことは、ティカトラスたちがやってくるまでは、ずっと回廊かどこかにひそんでたってことなのかな)
つまり、ティカトラスたちが来訪していなければ、彼は俺たちのもとに顔を出すことなく、フェルメスのもとに帰っていたのかもしれない。それも十分にありえそうな話であった。
とりあえず、初対面となる貴族への礼儀として城下町の料理人たちが名乗りをあげていく。その自己紹介を聞きながら、ティカトラスはきらきらと目を輝かせた。
「《銀星堂》のヴァルカスにボズル! 《セルヴァの矛槍亭》のティマロ! ダレイム伯爵家の料理長ヤン! それらはいずれも、ダカルマス殿下の試食会で勲章を授かった料理人であるはずだね! いやあ、これはわざわざ出向いてきた甲斐があったというものだ!」
そんな風に言いたててから、ティカトラスはくりんとプラティカのほうに向きなおった。
「それに、君! ようやく会えたね、ゲルドの料理番プラティカ! 君とアリシュナにはずっと会いたいと願っていたのだけれど、ついつい宿場町が楽しくて、先延ばしにしてしまっていたのだよ!」
「はい。お会いできて、光栄です」
プラティカは凛々しい面持ちのまま、一礼する。
ティカトラスは「うんうん!」とうなずきながら、プラティカとアリシュナの姿を見比べた。
「やはりシムの女人でも、ジギとゲルドではまったく趣が異なるようだね! アリシュナは優美な猫さながらだけれども、君などはしなやかな黒豹のごとき美しさだ! わたしはどちらの美しさも得難く思っているよ!」
プラティカは変わらぬたたずまいで、また一礼する。そういった反応は、森辺の女衆とほぼ一緒であった。
「では、君にもひとたびだけ声をかけさせていただこう! プラティカ、わたしの従者になるつもりはないかね?」
「申し訳ありません。私、ゲルドの藩主のご一家、忠誠、誓った身です」
「うんうん! やっぱりそうだよね! 無念きわまりないけれども、こればかりはしかたがない!」
ティカトラスはまったくめげた様子もなく、笑い声を響かせる。
「さあさあ、それでは勉強会とやらを進めてくれたまえ! それでできれば、わたしたちにも味見をさせていただきたいところだね!」
「それはかまいませんけれど、わたしたちは料理の説明をしながら調理を進めていく手はずになっておりますの。料理人ならぬティカトラス様には、少々退屈であるやもしれませんわ」
そのように語るデルシェア姫はこれまで通りの笑顔であったが、エメラルドグリーンの瞳には真夏の日差しめいた強い光が宿されている。その眼差しに込められた料理人としての気概を察知したのかしていないのか、ティカトラスはのほほんと笑っていた。
「わたしなどは部外者であるのですから、何も気になさる必要はありません! ここでこうして大人しく見学しておりますので、どうぞご随意にお進めください!」
「承知しましたわ。ではみなさん、試食用の料理を少々多めに作りあげることにいたしましょう」
つくづく、ティカトラスより身分の高いデルシェア姫が居合わせたのは幸いなことであろう。城下町の料理人たちは恭しく一礼し、必要な分の食材を食料庫から補充することになった。
その間、新たな来訪者である5名は森辺のかまど番たちのすぐそばで待機している。また、これまで壁際に控えていたアイ=ファとジーダも、それをはさみこむようにして黙然とたたずんでいた。
と――料理人たちの挙動をうかがっていたティカトラスの目が、アイ=ファではなくジーダのほうに向けられる。
「ところで! 君はアスタと同様に、褐色の肌をしていないようだね! もしや君も、後から森辺の民になったという身の上であるのかな?」
ジーダは黄色みがかった瞳を用心深そうに光らせながら、「うむ」と応じる。
ティカトラスは芝居がかった仕草で身を屈めて、小柄なジーダの顔を覗き込んだ。
「なるほどなるほど! しかし君はアスタと異なり、狩人らしい迫力と美しさを兼ね備えているようだ! もしかして、君は……グレン族が前身であるのかな?」
「……グレン族?」
「うん! シャーリの川を母とする、自由開拓民の一族だよ! シャーリの大鰐を狩るグレン族の狩人には、君のように赤い髪と黄色い瞳をした人間が多いのだよね!」
ジーダはうろんげに眉をひそめつつ、ティカトラスの無邪気な笑顔を見返した。
「俺の前身は、マサラの狩人だ。……ただし、マサラで生まれたのは俺の母であり、父の生まれ素性は母にも知らされていない」
「そうかそうか! まあ、自由開拓民の中にも故郷を捨てる人間は少なくないようだから、君の父親もそのひとりであったのかもしれないね! マサラのバロバロ鳥もシャーリの大鰐も、わたしは等しく美味だと思うよ!」
そこで食材の準備が整ったため、ティマロが意気揚々と料理の内容を語り始めた。
ティカトラスは何事もなかったかのようにそちらへと向きなおったが、ジーダはずいぶん難しげな面持ちになってしまっている。自身も母親も知らない父親の生まれ素性などをいきなり示唆されたら、困惑するのが当然であろう。俺自身、ティマロの言葉に耳を傾けつつ、大きな驚きにとらわれてしまっていた。
(ティカトラスってのは、本当に物知りなんだな。フェルメスなんかは書物でたくさんの知識を身につけたらしいけど、このお人は自分の足であちこちをうろつき回って、それだけの知識を身につけたわけか)
そんなティカトラスに対して、フェルメスはどのような思いを抱いているのか。自分自身は足を運ばず、こうしてジェムドだけを差し向けているのが、その答えの一端であるのかもしれなかった。