城下町の勉強会②~森辺のかまど番~
2022.5/4 更新分 1/1
・明日は2話同時更新です。読み飛ばしのないようにご注意ください。
「とりあえず、自分は煮込みの料理を手掛けようかと思います」
俺の調理助手に任命されたユン=スドラとマルフィラ=ナハムが食材の準備をしてくれている中、俺は見物人の面々にそのように説明をしてみせた。
「かつてティマロたちには、肉の下ごしらえについて教えていただきました。それは酢漬けと砂糖漬けと蜜漬けの3種であったわけですが……森辺においてもっとも馴染みやすかったのは、砂糖漬けであるかと思われます」
「ふむ。蜜漬けではなく、砂糖漬けですか。森辺の方々であれば、もっとも肉質の変容する蜜漬けを好まれるのではないかと推察しておりましたな」
ティマロが真剣な面持ちで口をはさんできたので、俺は「そうですか」と笑顔を返してみせる。
「確かに蜜漬けにした肉というのは、面白い食感ですよね。ただ、個性的すぎてまだ使いこなすことができていないといった感じです。いっぽう酢漬けなんかはそこまで極端に食感が変わるわけではないので、応用しやすいかなと思ったのですが……大量の酢を消費するほどの甲斐はないと見なされてしまったようです」
「なるほど。森辺や宿場町の方々は、食材を無駄にしないという前提で調理に臨まれているそうですからな。……やはり宿場町でも、肉の下ごしらえに関してはあまり活用されていないのでしょうか?」
ティマロの問いかけに、レビが「そうですね」と応じる。
「ギバ肉はそのままでも十分に美味いんで、酢や砂糖や蜜を無駄に使う気にはなれませんでした。ただ、余所の宿なんかではキミュスの肉に活用したりしているようですよ」
「ほう、キミュスの肉に?」
「ええ。ギバに比べると、キミュスは格段に安いですからね。そっちでギバ料理ぐらい評判になる料理を仕上げられれば、食材の無駄にはならないって考えみたいです。実際、蜜漬けにしたキミュスの肉なんてのはこれまで食べたこともないような仕上がりになりますから、そこそこ評判になってるようですよ」
レビも漫然と働いているわけではなく、余所の宿屋のリサーチにも励んでいるのだ。ベンやカーゴであれば、「さすが跡取りの婿だ!」と冷やかしているところかもしれなかった。
「ただやっぱり、肉を漬けた蜜も捨てる気にはなれないもんで、煮込み料理なんかに強引に使ってるみたいです。それはそれで、評判も悪くないようですがね」
「うん。俺たちもやっぱり、肉を漬けた砂糖をそのまま料理に使っているよ。これから作る料理が、まさにそれです」
こんなこともあろうかと、俺たちは砂糖漬けにしたギバ肉を持参していた。その木箱を作業台の上で開封しつつ、俺はレイナ=ルウを振り返る。
「こっちの事前説明は、それぐらいかな。お次はレイナ=ルウのほうをどうぞ」
「はい。こちらでは、タウ油とレテンの油を煮込んだ調味液というものを、香味焼きの土台に使おうかと思います」
タウ油とレテンの油を一緒に煮込むと、何らかの化学変化が生じて融合するのだ。醤油とオリーブオイルを煮込んでもそのような現象は起きないはずであるので、これはこの世界の食材だけが持つ特性であった。
「それで、森辺ならではの手法をお知りになりたいというお話でしたけれど……わたしたちはミケルからも手ほどきをされていますので、多少は城下町の作法も入り混じるかもしれません」
「かまいません。ミケル殿の作法など、まったく城下町には伝えられておりませんからな。森辺の作法と同じぐらい、関心をかきたてられてやみません」
と、ティマロはいっそう勢い込んで身を乗り出す。
他の人々は静かであるが、それは真剣にこちらの説明を聞いているという証であろう。いつもおしゃべりなデルシェア姫も、きらきらと瞳を輝かせながらこちらの様子をうかがっていた。
「おそらくこちらの料理がもっとも手早く作りあげられるでしょうから、あとの説明はアスタたちが調理を始めてからにいたします」
「では次は、トゥール=ディン殿の菓子ですな」
「は、はい。わたしはフワノにチャッチとゾゾを加えた菓子を作ろうかと……あ、あと、砂糖の水に漬けた卵も使おうかと思います」
それらもすべて、ティマロたちから伝授された城下町の作法である。フワノにチャッチとゾゾのすりおろしを加えると食感が変化し、キミュスの卵を砂糖水に漬けると殻の内側にまで甘さが浸透するという、やはり俺の故郷では再現できなそうな下ごしらえの手法である。
「た、たぶんこちらの菓子がもっとも時間がかかるので、調理を開始しますね。まず、チャッチとゾゾをすりおろします」
トゥール=ディンの助手となったのは、リミ=ルウとレイ=マトゥアの可愛らしいコンビだ。ふたりは嬉々として、皮を剥いたチャッチとゾゾの実をすりおろし始めた。
「宿場町でダレイムの野菜があるていど買えるようになったのって、先月の半ばぐらいだったよね? それじゃあトゥール=ディン様たちは、このひと月ぐらいでその作法を習得したってことなのかな?」
ついにデルシェア姫がこらえかねた様子で発言すると、トゥール=ディンは「はい」とうなずいた。
「こちらの作法を習い覚えたのは、もっと以前の話でしたけれど、それからすぐに飛蝗の騒ぎがあって、ゾゾやチャッチを買えなくなってしまったので……ここ最近になって、ようやく修練を進めることがかないました」
「ふーん! それじゃあここ最近でわたしに出してくれた菓子にも、その作法は活用されてたの?」
「いえ。先月の晩餐会では、まだダレイムの野菜も扱えませんでしたし……この前の晩餐会では試食会と同じ通りの菓子を作るように言いわたされたため、これらの作法は取り入れていません」
「そっかー! それじゃあ、いっそう楽しみだね!」
デルシェア姫は、うきうきと身を揺する。周囲の料理人たちがそれほど緊張していないように見えるのは、このふた月ほどでデルシェア姫に対する免疫ができてきたためなのだろう。デルシェア姫は森辺まで出向くのを我慢しているぶん、城下町のあちこちの厨に突撃しているはずであるのだった。
「そ、それで、ええと……フワノに混ぜるゾゾとチャッチの分量は、多少変更することになりました。ティマロから教えていただいた基本の分量と比べると、ゾゾの量は半分で、チャッチの量は7割ていどとなります」
「ほう。では、その下ごしらえから生じる独特の弾力も、半減してしまうことになりましょうな」
「はい。茶の原料であるゾゾはどうしても風味が強いため、減らすしかなかったのです。チャッチは7割より多くを入れても大きな差がないようでしたので、その量に定めました」
「ゾゾを半分にしたのなら、普通はチャッチも半分にするところでありましょう。ですが、チャッチはゾゾよりもやや多めに加えたほうが望ましい食感になると判じたわけですな?」
「は、はい。仰る通りです」
やはりティマロは菓子に対する関心が高いため、いっそう積極的になるようだ。トゥール=ディンも多少の緊張感をにじませつつ、返答のほうはよどみがなかった。
「そ、それで、砂糖水に漬けた卵のほうも、こちらの生地で使います。もともとこの生地には砂糖と卵を使っていましたので、それを砂糖水につけた甘い卵でまかなうわけですね。あとは、具材のほうですが……ちょこかラマンパか果実のくりーむでしたら、どれが望ましいでしょう?」
「わたしは、ラマンパを希望いたします。他のみなさんはいかがでありましょう?」
「わたしもラマンパがいいかなー! ついこの間も食べたばかりだから、生地の違いがわかりやすくなるだろうしね!」
「しょ、承知いたしました。ではまず、生地を仕上げますね」
リミ=ルウたちのすりおろしたゾゾとチャッチ、砂糖水に漬けたキミュスの卵、そしてカロンの乳をフワノに加えて、混ぜ合わせる。その際に、トゥール=ディンが金属製のホイッパーを取り上げると、ティマロがたちまち目を光らせた。
「そちらがゼランドの鉄具屋に特別注文したという、金属製の泡だて器でありますな。泡だて器というのは去年になってからジェノスに流通し始めた、ずいぶん目新しい調理器具であったのですが……森辺の方々がすぐさま金属製に作りかえたと聞き及び、ずいぶん驚かされたものです」
「そ、そうですか。もともとわたしは生地もくりーむも念入りにかき混ぜていたので、この道具はとても便利に感じました。金属製ですと頑丈ですので、いっそう使いやすいように思います」
そうしてトゥール=ディンがホイッパーで生地を攪拌し始めると、貴賓館の料理人たちがどよめきをあげた。
「そちらの器具は、そのように扱うのですか。それほどまでに念入りに攪拌すると、どのような効果があるのでしょう?」
「は、はい。生地にたくさんの空気が取り込まれて、食感がとてもやわらかくなるのです。これもアスタから習い覚えた、森辺の作法となります」
すると、ティマロに劣らず真剣な眼差しをしたシリィ=ロウが、ひさびさに発言した。
「トゥール=ディンがそちらの泡だて器を活用していると聞き及び、わたしたちも購入いたしました。ですが……お恥ずかしいことに、トゥール=ディンほど力強く使いこなせるのは、タートゥマイとボズルのみでありました」
ホイッパーの手は止めないまま、トゥール=ディンは「え?」と不思議そうな顔をする。ここは、俺の出番であるようだった。
「要するに、そんな勢いでかき混ぜていたら、町の人たちはすぐに疲れちゃうってことだよ。森辺の民は女衆でも、腕力に秀でているものだからね」
「そ、そうなのですか? わたしなどはまだまだ若年で、大して力のあるほうでもないはずですが……」
そんな風に語りながらも、トゥール=ディンはものすごい勢いでホイッパーを動かしている。それは電動ホイッパーさながらの力強さであり、それこそがあのふんわりとした生地を作りあげる秘訣なのである。
「ユーミでさえ、10歳ぐらいの幼子に力負けしそうだって嘆いてただろう? トゥール=ディンなんかはもう12歳なんだから、きっとロイやヴァルカスより力持ちってことなんだと思うよ」
「うるせえな。こちとら、か弱き城下町の民なんだよ」
不機嫌そうに言ってから、ロイは大慌てで口をつぐんだ。そちらを振り返ったデルシェア姫が、にこりと笑う。
「だから、わたしのことは気にしないでいいってば! わたし自身がぞんざいな言葉づかいなんだから、あなたたちだって遠慮する理由はないでしょ?」
「い、いえ、そういうわけには……」
と、ロイがごにょごにょ口ごもったところで、攪拌の作業が終了した。
「それでは、生地を焼きあげます。くりーむは、そちらが焼きあがってから手掛けようかと思うのですが……」
「それじゃあ、次は俺の出番だね。煮込み料理の調理を開始いたします」
トゥール=ディンの講釈を拝聴している間に、具材の切り分けは完了している。見物人たちを引き連れて、俺はかまどへと移動した。
「具材として使用するのは、ティンファとレミロムとファーナです。でも、これらの野菜は火が通りやすいため、まずは肉から煮込んでいきます。そしてその前に、まずは煮汁の作製でありますね」
俺は鉄鍋に水と赤の果実酒を投入し、それを火にかけた。
そちらが沸騰したならば、魚醤とタウ油、ミソとマロマロのチット漬け、そしてギバ肉を漬けていた砂糖を投入する。砂糖もあるていどの血を吸っていたが、それが臭みにならないことはすでに検証済みであった。
「調味料は、5種ですか。砂糖を除く4種は、アスタ殿が以前から好んで使われていた組み合わせであるようですね」
ヴァルカスがぼんやりとした声で問うてきたので、俺は「はい」と応じてみせる。
「肉を漬けた砂糖をどのように消費しようかとあれこれ試した結果、この組み合わせも採用することになりました。タウ油やミソを主体にした味付けでもまったく問題はないのですが、そういった料理はヴァルカスたちももうご存じでしょうしね」
「南の何とかいう宿のご主人がこしらえていた、ギバのかくにという料理のことですね。あれは確かにタウ油の味わいと砂糖の甘みが、見事に調和されていました。……ただあちらは、ママリアの果実酒ではなくニャッタの蒸留酒を使っていたものと記憶しております」
さすがヴァルカスは宿屋の名を忘れても、料理に関しての記憶は確かであるようだ。
「そうですね。ただ、ニャッタの蒸留酒と巡りあうまでは、あちらの料理でも果実酒を使っていたのですよ。こちらの料理でも両方試してみたのですが、果実酒のほうがより調和するように思えたので、採用することにしました。……では、鍋もいい具合に煮立ちましたので、ギバ肉を投入します」
砂糖漬けにされたギバのロースは、ひと口大に切り分けられている。それを鍋に投入したのち、俺は蓋をかぶせた。
「ギバ肉は煮込めば煮込むほどやわらかくなりますので、このまま四半刻ほど煮込みます。その間に、レイナ=ルウの調理を拝見いたしましょう」
「承知しました。では、調味液を作りあげます」
こういった作業の流れは森辺の勉強会でもお馴染みであるため、みんな手慣れたものであった。
タウ油とレテンの油の煮込み作業はマイムに託して、レイナ=ルウは作業台にシムの香草をずらりと並べる。種類は、6種だ。
「この中で3種の香草は、香りを引き出すために鉄鍋で火にかけます。残りの3種はこまかくすり潰したのち、そのまま調味液に加えます」
「ふむ。そちらの3種は、香りを引き出す必要がないということでしょうかな?」
ティマロが質問の声をあげると、レイナ=ルウではなくヴァルカスが答えた。
「そちらの3種は火にかけると、むしろ風味が飛んでしまうのです。香草の風味を弱めたいのでしたら分量を減らすだけで事足りますので、わざわざ火にかける意味はないでしょう」
「……わたしは、レイナ=ルウ殿に質問したのですぞ」
「答えはひとつであるのですから、誰が答えようとも同じことでしょう」
ヴァルカスとティマロの相性が悪いのは、いったいどちらにより多くの原因が存在するのか。俺には想像の外であった。
ともあれ、調理は進められていく。鉄鍋で炒った香草もそのまま使う香草もタウ油とレテンの油を煮込む鉄鍋に投入され、さらに塩とホボイ油で味が調えられた。
「調味液は、これで完成です。こちらにギバ肉をひたしたのち、フワノの粉とラマンパの実を砕いたものをまぶして、レテンの油で焼きあげれば完成となります」
その頃にトゥール=ディンの生地が焼きあがったが、そちらは常温まで冷めるのを待つ必要があったため、レイナ=ルウの香味焼きを完成させてもらうことにした。
調味液とフワノの衣をまぶされたギバのバラ肉が鉄鍋で焼かれて、これまで以上に芳しい香りが充満する。肉と脂の焼ける匂いとあわさることで、調味液のスパイシーな香りがいっそう食欲中枢を刺激するのだ。ヴァルカスたちほど森辺の料理に免疫のない貴賓館の料理人たちは、この段階で驚嘆の表情になっていた。
「完成です。こちらはフワノやシャスカと一緒に食することを前提にしていますので、味が強いことはご容赦ください」
レイナ=ルウはきりりと引き締まった面持ちで、焼き上がった肉を皿に取り分けていった。
それを真っ先に口にしたデルシェア姫は、「おいしー!」と元気いっぱいに吠えたてる。
「いや、辛くて辛くてたまらないけど、これは美味しいね! やっぱりこの、香草を加える前の調味液が確かな土台になってるんだと思うよ!」
「ありがとうございます。タウ油とレテンの油を煮込んで調味液に仕上げるという作法は、南の王都にも存在するのでしょうか?」
「そりゃーそーさ! タウ油はもちろんレテンの油だって、ジャガルには流通してるからね! でも、それにシムの香草をあわせた料理なんて食べる機会はなかったから、新鮮でたまらないよ!」
そんな風に言ってから、デルシェア姫はエメラルドグリーンにきらめく瞳でその場の料理人たちを見回した。
「それで、香草の料理を食べなれてるジェノスのみんなにとっては、どうなのかな?」
「ええ。きわめて美味であります。こちらはギバ肉の力強い味わいに、この上なく調和しているのでしょう」
ティマロがおごそかな口調で答えると、ボズルが「まったくですな!」と豪快に言葉を重ねた。
「わたしはレイナ=ルウ殿の手掛ける香味焼きを何度か口にしておりますが、こちらはさらに深みが増しているように感じられます! これこそが、調味液の恩恵であるのでしょう!」
「はい。レイナ=ルウは、城下町から伝えられた作法を見事に使いこなしているということですね」
そんな言葉を口にしてから、シリィ=ロウは勢いよくヴァルカスのほうを振り返った。
すでに試食を終えていたヴァルカスは、ぼんやりとした顔でそれを見返す。
「わたしも、とりたてて異存はありません。もとよりレイナ=ルウ殿は香草の扱いが巧みであるという印象でありましたが、順調に成長を遂げておられるようです」
レイナ=ルウは懸命に感情を押し殺しているような面持ちで、「ありがとうございます」と一礼する。やはりレイナ=ルウにとっては、ヴァルカスの言葉が重要であるのだろう。
「わたしも同意いたします。味付けが素晴らしいのはもとより、フワノやラマンパの衣から生じる食感も秀逸でありましょう。こういった衣を纏わせるというのはまぎれもなく森辺の作法でありましょうし……そこに城下町の作法をこうまで自然に併用できるレイナ=ルウ殿の柔軟性にも感服いたします」
そのように発言したのは、ヤンである。
しかし彼らはレイナ=ルウの力量をわきまえているために、それほどの驚きもないのだろう。驚いているのは、貴賓館の料理人たちである。そちらはもう、驚愕のあまりなかなか言葉も出ない様子であった。
「ルイアは、いかがですか?」
と、レイナ=ルウに水を向けられると、うっとりとした面持ちで香味焼きを食していたルイアが「はいっ!?」と背筋をのばした。
「あ、いえ、あの、その……わ、わたしは侍女の身に過ぎませんので!」
「でもルイアは、屋台でわたしの香味焼きを何度も食べてくださったでしょう? わたしはこちらの料理を屋台で出すべきかどうか思い悩んでいますので、ご感想をおうかがいしたいのです」
「え、で、でも、こんなに美味しいのですから、何も悩む必要はないのでは……?」
「屋台の料理は、なるべく内容を変えないように心がけているのです。同じ料理で完成度をあげるということなら問題はないのですが、これはもはや別の料理と言ってもいいような仕上がりでしょう? ですから、これまでの香味焼きを取りやめて、こちらの香味焼きを売りに出すべきかどうか……ルイアであれば、どう思いますか?」
ルイアがあたふたしていると、ヤンが穏やかな面持ちで助け船を出した。
「レイナ=ルウ殿は、あなたの率直な意見を求めておられるのでしょう。何も非礼なことはありませんので、どうぞレイナ=ルウ殿のご要望にお応えください」
「は、はい! ……わ、わたしはこちらのほうが、いっそう美味しいと思います! これで文句を言うような人間は、宿場町にいないと思います!」
「ありがとうございます」と、レイナ=ルウは口もとをほころばせた。
そしてその目が、テティアのほうに移される。
「では、テティアはいかがでしょう? そちらの料理にご満足いただけましたか?」
テティアはひそやかに微笑みながら、「はい」とうなずいた。
「わたしは初めてギバ料理というものを口にしましたので……言葉にならないほどの驚きに打たれています。ギバ肉とは、これほどに美味なる味わいなのですね」
「そうでしたか。そちらのお屋敷では、まだギバ料理を口にされていなかったのですね。……あなたが初めて口にするギバ料理を手掛けられたことを、光栄に思います」
レイナ=ルウはとても優しげな眼差しで、テティアに微笑みかける。するとニコラは感情をこぼすまいと唇を噛み、ルイアはまた目を潤ませることになった。
「私も、美味、思います。レイナ=ルウ、香草の扱い、巧みです」
プラティカがニコラの背中を撫でながら凛々しい声をあげると、レイナ=ルウはそちらにも笑顔を送った。
「ありがとうございます。わたしはミャンツを扱うようになってから、いっそう香草の組み合わせにさまざまな道を見いだせたような心地であるのです。ですから、ジェノスにミャンツをもたらしてくれたゲルドの方々に、深く感謝しています」
「はい。こちらの料理、ミャンツ、重要です。……私も、レイナ=ルウ、見習いたい、思います」
プラティカの双眸には対抗心の光が煮えたぎっていたが、これも向上心の表れであるのだ。レイナ=ルウは誇らしげな面持ちで、「光栄です」と応じていた。
「おっと、四半刻が経ちましたね。それではこちらも、具材を追加いたします」
タイムキーパー役を担ってくれていたマルフィラ=ナハムの合図で、俺は自分の担当するかまどへと移動した。
まずは白菜のごときティンファを投入し、しばしの時間を置いてから小松菜のごときファーナの茎、さらに時間を置いてからファーナの葉とブロッコリーのごときレミロムを投入する。それぞれの食感を活かすための、時間差攻撃だ。
「ふむ。野菜とて、煮込めば煮込むほど出汁が出るものですが……それよりも、野菜の食感を重視しているということでありますな」
ティマロの目ざとい発言に、俺は「その通りです」と応じてみせる。
「城下町で手掛けられる煮物や汁物の料理は、どの野菜でもとろとろにやわらかくなるまで煮込まれていることが多いですよね。それで良質の出汁が取れることは承知しているのですが、俺はそれよりも野菜が持つ本来の食感をなるべく活かしたいと考えています」
「それもまた、まぎれもなく森辺の作法でありましょう。ただし、ボズル殿の作法とも相通ずるようですな」
「そうですな。どれもこれもが同じ食感ではつまらないというのが、ジャガルの気風だと思われますぞ」
ボズルの陽気な返答に、ティマロは「なるほど」と重々しく応じる。
そうして俺が塩とホボイ油で味を調えると、今度はプラティカが鋭く声をあげてきた。
「アスタもレイナ=ルウも、塩だけでなく、ホボイ油、最後に加えます。ホボイ油、元来の風味、活かすためですね?」
「ええ。もちろん最初から調味液に加えることもありますけれど、よりホボイ油の香りを際立たせたいときはこのように使います」
そのように説明しながら、俺は完成した料理を皿に取り分けていった。
その反応は、レイナ=ルウのときとほぼ同様である。そしてやっぱり真っ先に声をあげるのは、デルシェア姫であった。
「これはもう、ずーっと前から言ってることだけど! ジャガルの食材とシムの食材がこんなにぴったり調和するのが、不思議だよね! それだけで、魔法にかけられたような気分だよ!」
ジャガルの食材であるタウ油とミソとホボイ油、シムの食材であるマロマロのチット漬けと魚醤。それらは俺が中華風の味付けを再現するために、きわめて重要な役割を担ってくれているのだ。そして今回は、そこにジャガルの砂糖も加えられているのだった。
豆板醤のごときマロマロのチット漬けを主体にした中華風でありながら、砂糖の甘さを前面に押し出すというのは、俺にとってそれなりの挑戦であったのだが――幸いなことに、不満の声をあげる人間はいないようである。貴賓館の人々は、またもや言葉も出ない様子であった。
「砂糖漬けにしたギバ肉も、こちらの料理とはこの上なく調和しているようです。あらためて、ギバ肉の質の高さを思い知らされる心地でありますね」
「それにやっぱり野菜の食感の心地好さが、この強い味付けに合っているのでしょうな! これですべての野菜が同じように溶けてしまっていたならば、多少ながら物足りなさが生じていたように思いますぞ!」
ヤンやボズルたちも、思い思いに感想を述べてくれる。そしてテティアは、感極まったようにまぶたを閉ざしてしまっていた。
(もし彼女がつい最近まで禁固の刑に服してたんなら、ゲルドや南の王都の食材だって初体験なのかもしれないもんな。それじゃあ、驚くのも当然だ)
そうしてひと通りの感想を聞き終えたのちは、いよいよトゥール=ディンの菓子である。
トゥール=ディンはラマンパクリームの作り方を披露して、それを特別仕立ての生地に添えて配膳する。あくまで味見用なのでふた口ていどの少量であるが、本来はロールケーキに仕上げられるべき生地とクリームである。その味わいは、もともとのロールケーキをも凌駕していた。
「これは確かに、生地の食感と味わいが一変しているね! あんなに美味しかったろーるけーきにまだこんな改善の余地があったなんて、驚きだよ!」
デルシェア姫は作業台に突っ伏して、そんな風に声を張り上げていた。
フワノにチャッチとゾゾのすりおろしを加えると、普通とは異なる弾力が生まれる。それが攪拌しまくったふわふわのスポンジケージに、また新たな魅力を添えてくれるのだ。とてもやわらかいのにどこか弾むような食感で、俺にとっても未知なる味わいであったのだった。
それに、砂糖水に漬けた卵というものは、とても繊細な甘さをもたらしてくれる。きめの細かい甘さとでもいうべきか、砂糖と卵を別々に使うときとはまったく異なる味わいであるのだ。そしてその繊細な甘さが、スポンジケーキにはまたとなく調和するのだった。
「このラマンパのくりーむというものには、砂糖と卵を別々に使っておられましたね。その使い分けも、完全に正しいのでしょう。それに、ゾゾとチャッチからもたらされる食感にも、まったく過不足はないようですし……こちらの菓子は、試食会で出されたものよりも遥かに味が向上しているものと思われます」
ティマロはいくぶん震える声で、そのように語らっていた。
すると、悶絶寸前であったデルシェア姫ががばりと身を起こし、悪戯小僧のような笑顔になる。
「そう考えると、ティカトラス様はまだアスタ様やトゥール=ディン様の最高傑作を口にしてないってことになっちゃうね! あのお人は、試食会で出されたのとまったく同じ内容でって言い張ってたからさ!」
「それは致し方ありませんでしょう」と応じたのは、珍しくもヴァルカスであった。
「ダカルマス殿下の試食会からは、いまだ2ヶ月から3ヶ月ていどしか経ってはいないのです。それだけの期間でこうまで味が向上するなどとは、想像することも難しいのではないかと思われます」
「それじゃあ、ヴァルカス様もぞんぶんに感服してるのかな?」
デルシェア姫が笑顔で問いかけると、ヴァルカスはぼんやりとした面持ちのまま「もちろんです」と応じた。
「必要な食材を満足に扱えないという憤懣が、優しくなだめられたような心地です。美味なる料理がこうまで人を幸福な心地にさせてくれるからこそ、わたしたちも生涯をかけて取り組もうという気持ちになれるのでしょう」
それはまったくもって、ヴァルカスらしからぬ熱情的な言葉であったが――それでもやっぱりヴァルカスは、寝ぼけているように茫洋としたたたずまいであったのだった。