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異世界料理道  作者: EDA
第六十九章 西の果てより
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城下町の勉強会①~新たな出会い~

2022.5/3 更新分 1/1

 ティカトラスがジェノス城を出て、宿場町の屋台にまでやってきた日の、3日後――灰の月の12日である。

 ティカトラスがジェノスにやってきてから2度目の休業日となるその日に、俺たちは城下町の勉強会を敢行することになった。


 本来であれば6日前に行う予定であった、勉強会だ。

 ティカトラスのジェノス滞在がどれだけ長引くかはまったく予想もつかなかったため、なるべく早い日取りで決行してしまおうと決断した次第であった。


 ちなみにティカトラスはこの3日間、宿場町にて猛威を振るっていた。

 最初の夜は《南の大樹亭》、次の夜は《キミュスの尻尾亭》、さらにその次は《玄翁亭》と1日ごとに宿をかえながら、ティカトラスは宿場町に居座っていたのだ。どうやら彼は、試食会に選出された宿屋を1軒ずつ巡っていこうという算段であるようだった。


「つまりいずれは、うちの宿にまで出張ってくるってこと? 本当に、正気の沙汰とは思えないね!」


 そのように言いたてていたのは、《西風亭》のユーミである。ティカトラスの行状を聞き及んだラン家と《西風亭》の人々は、家人を預け合う計画をしばし延期することになってしまったのだ。ジョウ=ランなどは、しきりに残念がっていたものであった。


 まあ、それはともかくとして――《西風亭》は貧民窟の一画に存在するのだから、ユーミの驚きも当然のことであろう。無法者の逗留客が多い《西風亭》に貴族が宿泊を願い出るなど、通常では考えられない椿事であったのだ。


 しかしティカトラスたちは、無法者などこれっぽっちも恐れてはいなかった。ジェノスの町並みを隅々まで検分するために、《西風亭》に逗留する前から貧民窟にまで足をのばしていたという話であったのだ。

 幸いなことに、今のところは荒事に発展することもなかったようだが――荒事になっても危険はないという自信があるのだろう。アイ=ファの見立てによると、森辺の狩人でもデギオンとヴィケッツォに打ち勝てるのは勇者の力を持つ者だけであろうという話であったのだった。


「だけどまあ、貴族とは思えないぐらい話のわかるお人だよなあ。昨日なんかは宿の食堂も、祝宴みたいな騒ぎだったぜえ」


 そんな話を伝えてくれたのは、最初の夜にティカトラスたちと過ごすことになった、ワッズであった。《南の大樹亭》に押しかけたティカトラスはその場に居合わせた人々に酒と料理を振る舞い、とんでもない乱痴気騒ぎを繰り広げたようである。


 しかもティカトラスはそれと同時に、デルスと商談を進めたらしい。かつてフェルメスが手配した陸路ばかりでなく、南の王都を経由した海路においてもミソを買いつけられるようにと、そんな算段を抱いていたのだ。


「ダカルマス殿下は定期的に、君たちからミソを買いつけるのだろう? それと一緒に、わたしの買いつける分も持ち帰っていただこうという寸法だ! デルシェア姫にお頼みしてダカルマス殿下に使者を走らせていただいたから、うまくいけばひと月ていどで商談が成立するはずだよ! それまでに、必要な量のミソを準備できるように手配しておいてくれたまえ!」


 ティカトラスは、そのように言いたてていたらしい。

 それでデルスは翌日デルシェア姫に事実確認をした後、慌ただしくコルネリアに帰還していったのだった。


 そんな感じに、ティカトラスは宿場町での滞在を満喫していたのだ。

 夜は宿屋の食堂で飲んだくれて、翌日は中天近くまで眠りこけ、俺たちの屋台や宿屋の屋台村で腹を満たしたのちは、町なかを散策し――そして隙あらば、南や東の商人たちと商談を進めているようである。彼は陸路の行商人にも太いパイプを持っているようで、そこからシムとの行商を発展させようと目論んでいるようであった。


 きっとこれこそが、ティカトラスの趣味と実益を兼ねた旅の楽しみ方であるのだ。

 そして、驚くべきことに――3日も過ぎると、宿場町の人々はこの奇矯な存在をすっかり受け入れてしまったように感じられた。

 ティカトラスの貴族らしからぬ振る舞いが、人々の警戒心を解くことになったのだろうか。確かにティカトラスは貴族というよりも、大商人そのものであったのだ。なおかつ尋常でないぐらい金払いもいいものだから、商売を営む人々にとっては良質の客であるに違いなかった。


「しかしいまだに、族長たちには何の連絡もないようだな。このまま王都に戻ってくれれば、私にとってはありがたい限りなのだが」


 アイ=ファなどはむすっとした面持ちで、そんな風に言っていた。

 しかしまあ、ティカトラスはあれだけ森辺の民に関心を寄せていたのだから、いずれは必ずこちらにお鉢が回ってくることだろう。今は数日ばかりでも猶予期間をいただいたという心持ちで、英気を養っておくべきであろうと思われた。


 そうしてやってきた、灰の月の12日である。

 俺たちは中天ジャストの待ち合わせ時間に合わせて、城下町へと出立することに相成った。


 勉強会に参加するかまど番は、8名。小さき氏族からは、俺、トゥール=ディン、ユン=スドラ、マルフィラ=ナハム、レイ=マトゥア。ルウ家からは、レイナ=ルウ、リミ=ルウ、マイムという、試食会からすっかりお馴染みになった顔ぶれだ。

 護衛役の狩人は、4名。アイ=ファ、ルド=ルウ、ジーダ、ゼイ=ディンとなる。そしてスペシャルゲストとして、宿場町からレビを招待していた。


「俺なんて習うばかりの立場だから、本当にありがたく思ってるよ。雑用なんかがあったら、遠慮なくこき使ってくれ」


 宿場町で合流したレビは強い意欲をあらわにしながら、そんな風に言っていた。

 ラーメンの屋台は、俺たちの休業日にも店を出している。本日はラーズとお手伝いの女性で切り盛りしているのだそうだ。若いレビにはさまざまな経験が必要であろうと、ミラノ=マスも快く送り出してくれたとのことであった。


 レビと合流したのちは13名となってしまうため、片方の荷車に小柄な人間を集めて7名に乗ってもらう。普段は6名の定員に料理や調理器具を山積みにしているので、トトスの負担になることもないだろう。

 そして城門では、通常通りに通行証を発行してもらう。本日は貴族のお世話になることなく、自力で目的の場所に向かうのだ。


 ただもちろん、ポルアースたちが事前に段取りを整えてくれているからこそ、俺たちも通行証を発行してもらうことができるのだ。それをありがたく思いながら、俺たちは自前の荷車で目的の場所を目指すことになった。


 本日の会場は、かつてトゥラン伯爵家の私邸であった貴賓館である。

 これもポルアースに話を通して、場所を借り受けることがかなったのだ。


 中天の半刻前に到着した俺たちは、まず男女交代で身を清めさせていただく。「中天ジャストに厨に集合」という約束であったため、そこから逆算して動いているのだ。


 そうしてようよう、厨に到着すると――そこには《銀星堂》の面々とデルシェア姫、それにティマロが待ち受けていた。


「どうもお待たせしました。みなさん、おひさしぶりです」


 ヴァルカスやタートゥマイは森辺における勉強会以来であるので、およそひと月ぶり。ティマロなどは礼賛の祝宴以来であったので、ふた月以上ぶりだ。しかし誰もが元気そうであったのは何よりであった。


「このたびはこちらの都合で勉強会を延期することになってしまい、本当に申し訳ありませんでした」


「たったの6日の延期だったんだから、そんなに気にすることはないよ! ね、みんな?」


 白い調理着に身を包んだデルシェア姫が満面の笑みでそのように言いたてると、ティマロが恭しく「もちろんでございます」と一礼した。


「それも、西の王都の貴き御方にまつわるご事情であったというのなら、なおさら文句を言いたてることなどできませんでしょう。こうして今日という日を無事に迎えられたことを、何より得難く思っております」


「そうだよねー! ……でも、あなたもそんなにかしこまらなくてもいいからね? 厨のわたしは王族じゃなくって、ひとりの料理人に過ぎないんだからさ!」


 たとえそのように言われても、すぐさま態度を変えることなどなかなかできないに違いない。ティマロは同じ調子で「かしこまってございます」と応じていた。


 しかしティマロもライバル視するヴァルカスとの同席を厭わず、この場に参じてくれたのだ。彼はひときわ城下町の作法というものを重んじているはずであったが、それと同時に強い向上心を携えているのだろう。彼もまた、レビや森辺のかまど番に負けないぐらい意欲を燃えさからせているように見えた。


 いっぽうヴァルカスは相変わらずの茫洋としたたたずまいで、俺たちの姿をぼんやりと眺めている。そしてタートゥマイが耳打ちすると、ヴァルカスは「ああ」と声をあげた。


「アスタ殿。先日は晩餐の終わり際に寝入ってしまい、大変失礼いたしました。また、当日になっていきなり押しかけてしまった非礼も、あらためてお詫びさせていただきます」


「いえいえ、とんでもない。その後、お身体に問題はありませんでしたか?」


「はい。ダレイムの食材もだいぶん扱えるようになってきましたので、憤懣の思いも多少はやわらぎました。ですが、タラパやミャームーやぺぺやアリアが扱えないことには、大きな不満を禁じ得ません」


 中身のほうも、相変わらずのヴァルカスのようである。レイナ=ルウの隣では、マイムがくすりと笑っていた。

 タートゥマイ、ボズル、シリィ=ロウ、ロイの4名も、まったく変わりはないようだ。あとはティマロが調理助手を、デルシェア姫が護衛の武官を2名ほど引き連れていたが、この広大なる厨にはまだまだゆとりがあった。


「あとは、ヤン様とニコラ様とプラティカ様だけだね! そろそろ中天のはずだけど、浴堂で出くわしたりしなかった?」


 デルシェア姫の問いかけに、何故だかアイ=ファが率先して「うむ」と応じる。しかしその理由はそれに続く言葉で明らかとなった。


「しかしちょうど、参じたようだ。複数の気配がこちらに近づいてきている」


「扉が閉まってるのに、よくわかるね! さっすが森辺の狩人さんだ!」


 デルシェア姫の浮かれた声に、扉の開く音が重ねられた。

 最初に姿を現したのは、まぎれもなくヤンである。ただ――その一団に、見知らぬ女性の姿があった。


「約束の刻限ぎりぎりになってしまい、申し訳ありません。本日は、どうぞよろしくお願いいたします」


 挨拶を述べるヤンの左右に、4名の女性が立ち並ぶ。

 その内の3名は、ニコラとルイアとプラティカだ。プラティカはダレイム伯爵家のお世話になることが多いという話であったので、本日も一緒に参じることになったのだろう。ひさびさに深い藍色の調理着を纏っており、とても凛々しいたたずまいであった。


 そんなプラティカのかたわらで、ニコラはきゅっと唇を結んでいる。先日の晩餐会で厨を見学していた際は、心ここにあらずといった雰囲気であったのだが――本日の彼女は一転して、普段以上に気を張ってしまっているようだった。

 ダレイム伯爵家の見習い侍女となったルイアは、とても心配そうな面持ちでニコラの姿をこっそりうかがっている。そしてプラティカも俺たちに一礼しながら、やっぱりニコラの様子を気にかけているようだ。


 何か、普通でない雰囲気である。

 そんな中、俺の知らない最後の人物は、とても静かな面持ちで目を伏せていた。

 まだ若い、俺と同世代ぐらいの女性だ。

 ニコラたちと同じように侍女のお仕着せを纏っているが、びっくりするぐらい色が白いせいか、ひどくはかなげに見えてしまう。淡い栗色の髪は首の横で切りそろえており、眉目などは貴婦人のように整っているのだが――どこか病み上がりのように線が細く感じられた。


「本日は、3名もの侍女を引き連れておられるのですな。そちらの方々は、ヤン殿の新たなお弟子ということでありましょうか?」


 ティマロがうろんげに問い質すと、ヤンは穏やかな面持ちのまま「いえ」と応じた。


「わたしが弟子として迎えたのは、あくまでニコラひとりとなります。ただしこちらの両名も、わたしの手伝いを頼むことが多かろうと思いまして……この機会に、ご挨拶をさせていただこうかと考えた次第です」


 そこでシリィ=ロウが「あっ!」と大きな声をあげた。


「ルイア! あなたはユーミのご友人であられる、ルイアではないですか!」


「あ、は、はい。ど、どうもご無沙汰しております、シリィ=ロウ――様」


「シ、シリィ=ロウ様? どうしてあなたが、侍女のお仕着せなどを着られているのですか?」


「こちらのルイアはダレイム伯爵家のお屋敷において、見習いの侍女として働くことになったのです。以前の試食会や礼賛の祝宴などでは《西風亭》の関係者として参席しておりましたので、皆様にもご挨拶を申し上げる機会があったかと思われます」


 ヤンがそのように説明すると、ティマロやロイたちも驚きの表情に成り果てた。


「なるほど、わたしも思い出しましたぞ。あのユーミというけたたましい御方と一緒におられたご婦人でありますな。それが伯爵家のお屋敷で働くことになろうとは……なかなかに奇妙なご縁ですな」


「よ、よろしくお願いいたします!」


 ルイアは真っ赤になりながら、深々とお辞儀をした。

 そうすると、人々の視線は自然に最後の人物へと集中する。ヤンはそれに応じるように、口を開いた。


「そしてこちらは昨日づけでダレイム伯爵家の侍女となった、テティアと申します。……このテティアは、ニコラの姉と相成ります」


 その言葉で愕然と立ちすくんだのは、おそらく俺ひとりであった。

 それとも、トゥール=ディンやレイ=マトゥアなども驚きに打ちのめされているだろうか。しかし俺には、そちらを振り返るゆとりもなかった。


 ニコラの前身は貴族であり、そしてその姉は――実質的な当主であった貴婦人を刃物で刺し、その罪で収監されているという話であったのだった。

 詳しい事情は、俺にもよくわからない。ただ、ニコラもまた姉の罪を隠すために大きな罪を働いて、貴族の身分を剥奪されることになったのだと、俺はカミュア=ヨシュからそのように聞かされていたのだった。


(そういえば……俺がニコラと出会ったのは、2年前の今ごろだったんだよな)


 俺がシェイラからニコラを紹介されたのは、サイクレウスにまつわる騒乱が完全に終結して、ほどなくしてからだ。だから少なくとも、灰の月であることに間違いはないだろう。

 では、同じ灰の月にその痛ましい事件が起きたのだとすると――ちょうど丸2年が経過したことになる。それで禁固の刑期を終えたテティアが、妹のニコラと同じくダレイム伯爵家に引き取られたということなのであろうか。


(貴族を殺めた罪の刑罰が禁固2年っていうのは、ちょっと軽いような気もするけど……でも、事件の背景がまったくわからないもんな。それに、その貴婦人は刺された傷がもとで翌日に亡くなったっていう話だったから……その場で刺し殺したっていうわけでもないはずだ)


 俺がそんな風に考え込んでいる間に、こちらの陣営から小さな人影が進み出た。

 誰かと思えば、トゥール=ディンである。トゥール=ディンは涙をこらえているような面持ちで、懸命に微笑んでいた。


「初めまして、テティア。わたしは森辺の民、ディンの家のトゥール=ディンと申します。そちらのニコラには大変お世話になっていますので……姉であるあなたとも絆を深めさせていただけたら、嬉しく思います」


 テティアは伏せていた目を上げて、トゥール=ディンのほうを見た。

 するとその隣に、レイ=マトゥアが笑顔で進み出る。


「わたしは、レイ=マトゥアと申します! あなたのことはカミュア=ヨシュからおうかがいしていましたので、お会いできる日を楽しみにしていました!」


「わたしは、ユン=スドラと申します。どうぞよろしくお願いいたします、テティア」


「わ、わ、わたしはマルフィラ=ナハムと申します。い、色々と至らない点はあるかと思いますが、どうぞよろしくお願いいたします」


 ユン=スドラは穏やかな笑顔であり、マルフィラ=ナハムもふにゃんと笑っている。

 そういえば、俺がカミュア=ヨシュから話を聞いたとき、同席していたのがこの4名であったのだ。

 そしてトゥール=ディンはあのときも、スン家の罪人であった自分にはニコラの話が他人事とは思えないと涙をこぼしていたのだった。


「わたしは、レイナ=ルウと申します。ヤンとニコラの技量には、いつも感服させられています」


「リミは、リミ=ルウだよー! よろしくね、テティア!」


「わたしはルウ分家の家人、マイムと申します。どうぞよろしくお願いいたします」


 と、ルウ家の3名も笑顔で挨拶の声をあげる。

 ニコラと顔をあわせる機会のあるメンバーには、のちになって情報を共有したのだ。


 それもこれも、罪を贖った人間を責めるいわれはないという、森辺の習わしを信じてのことである。

 俺は胸中に満ちていた驚きや困惑の念を打ち捨てて、遅ればせながら挨拶をさせていただいた。


「俺はファの家のアスタと申します。森辺のかまど番はみんなヤンやニコラのお世話になっていますので、どうかあなたとも仲良くさせてください」


 テティアはしばらくぼんやりと俺たちの姿を見回していたが――やがて透き通った微笑みとともに、頭を垂れた。


「ニコラの姉の、テティアと申します。わたしのほうこそ、至らないことばかりでしょうが……どうかよろしくお願いいたします」


 ヤンは穏やかな表情で、俺たちのやりとりを見守っている。

 そしてニコラは怒っているかのような顔でうつむいており、その小さく震える肩にプラティカがそっと手を当てていた。


 レイ=マトゥアがカミュア=ヨシュの名を出したことで、俺たちが過去の事件についてわきまえているということはニコラたちにも伝わっただろう。その上で、俺たちはテティアとも正しい絆を結びたいと願っているのだ。

 そうしてその場に、どこかしっとりとした静寂がたちこめると――デルシェア姫が「あれれ」という朗らかな声をこぼした。


「ルイア様は、大丈夫? 織布がないなら、貸してあげようか?」


「だ、大丈夫です! た、貴き御方の前でだらしない姿をお見せしてしまい、申し訳ありません!」


 と、ルイアはお仕着せのポケットから引っ張り出した織布で、その頬に伝う涙をぬぐった。当のテティアやニコラが涙をこらえているのに、ルイアのほうがこらえきれなくなってしまったのだ。きっと彼女も同じ侍女として働く身として、事情を打ち明けられることになったのだろう。


 いっぽうティマロや《銀星堂》の面々は、いくぶんうろんげにこのやりとりを見守っている。どうやらニコラたちの一件は市井で伏せられているらしく、ロイたちもニコラの素性などはまったくわきまえていなかったのだ。


「お騒がせしてしまい、まことに申し訳ありません。本日はこのままルイアとテティアも同席させていただいてよろしいでしょうか?」


 ヤンがそのように問いかけてくると、トゥール=ディンが「もちろんです!」と答えてからお顔を真っ赤にした。


「あ、わ、わたしなどが出しゃばる場面ではありませんでしたね。ど、どうも申し訳ありません」


「何も謝ることはないよ。みなさんにも、ルイアとテティアの同席をお許しいただけますか?」


 俺があらためて確認すると、誰もが了承してくれた。

 その中から、ヴァルカスが茫洋とした声を投げかけてくる。


「手伝いの人間をどれだけ増やそうとも、何も支障はありませんでしょう。それよりも、予定されていた顔ぶれが集まったのでしたら、早々に勉強会を始めるべきではないでしょうか?」


「そうですね。本当に、6日もお待たせしてしまって申し訳ありませんでした」


「かまいません。ですが、延期にされたぶん期待がふくらんでしまい、昨晩などはなかなか寝つけない状態でありました」


 そんな言葉をまったく熱情の感じられない声音で発言できるのが、ヴァルカスである。

 それで俺たちは、ようやく楽しい勉強会を開始することがかなったのだった。


「では、どういう主題で取り組みましょうかね。城下町でも、ダレイムの野菜はあるていど扱えるようになったのでしょう?」


「ええ。さきほどヴァルカス殿も仰っていた通り、いまだに買いつけることが難しいのはタラパとミャームーとペペとアリアの4種になりますな」


 と、こういう会ではフットワークの軽いティマロがそんな風に答えてくれた。


「まあ、わたしの店におきましては、もともとアリアなどは買いつけておりませんでしたが……タラパとミャームーが扱えないというのは、やはり痛手であるものです。あれらはどのような食材でも代わりのきかない味わいでありましょうからな」


「それは、ペペも同じことです。どれだけシムの香草を扱えようとも、ペペの代わりにすることはかないません」


 そんな風に発言してから、ヴァルカスは切なげに息をつく。ペペというのはニラに似た食材であり、森辺においてはそこまで使用頻度も高くはなかったのだが、ヴァルカスにとってはずいぶん痛手であるようだった。


「まあ、いくら嘆いてもタラパやミャームーが生えのびてくるわけでもございません。また、それらの食材に代わりがきかないというのは厳然たる事実でありましょうから、勉強会の主題にすることも難しいでしょう。扱えない食材のことはいったん忘れて、現状で可能な主題を考えるべきではありませんでしょうかな」


「そうですね。ティマロは何か、お考えでもありますか?」


「わたしとしましては、以前にお伝えした城下町の作法というものがどういった形で活用されているのか、森辺や宿場町の方々におうかがいしたく思っておりました。また、それに相当するような森辺の作法というものをおうかがいできれば幸いと考えております」


 そんなティマロの言葉を受けて、まずは森辺のかまど番がいくつかの料理と菓子を披露することになった。

 俺とレイナ=ルウとトゥール=ディンが班長となって、それぞれひと品ずつ作りあげることにする。その献立が決まったところで、厨の扉がノックされた。


「アスタよ。この建物で働くかまど番たちが見学を願い出ているそうだ」


 扉の外に待機していたルド=ルウとゼイ=ディンから話を伝え聞いたアイ=ファが、そのように告げてくる。こちらが了承の返事を送ると、5名もの料理人がぞろぞろと入室してきた。


「見学のお許しをいただき、ありがとうございます。皆様のお邪魔にならないよう取り計らいますので、何卒よろしくお願いいたします」


「いえいえ、とんでもない。こちらこそ、中天のお忙しい時間から場所をお借りしてしまって、申し訳ありません」


 この貴賓館にはディアルやアリシュナを筆頭とするさまざまな客人が逗留しているため、彼らが厨を預かっているのである。ただまあディアルいわく、おおよその人間は商談などの仕事を抱えているため、昼の食事をこの場でとる人間はごくわずかであるという話であった。


「試食会にて勲章を授かった方々の手際を拝見できるというのは、何より得難い機会であります。何か手伝いでもありましたら、ご遠慮なくお申しつけくださいませ」


 そんな風に語る料理長の双眸には、まぎれもなく期待の光が灯されている。

 そうして俺たちは数多くの人々が見守る中、調理をスタートさせたのだった。

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