①出陣
2014.11/8 更新分 1/1 2015.12/25 誤字を修正
2014.12/15 収支計算表に「干し肉の売り上げ」を追加
それから家長会議までの間は、これといって特筆するべきこともなかった――とは、言えないのだろうと思う。
ルウ家における勉強会の翌日、宿場町での商売を再開させた俺たちは、なんと200食もの料理を完売させることになってしまったのだ。
店を休む前日には170食を売りさばいてしまったし、今回は仕込みをする時間も十分に取れたので、おもいきって『ギバ・バーガー』と『ミャームー焼き』を100食ずつ用意したのだが。規定通りの時間できっちり売り切る結果と相成ってしまったのだった。
その翌日は少し勢いが落ち、もとよりこちらとしても170食しか準備することはできなかったが。それでもやっぱり商品が売れ残ることはなかった。
1日休んで2日営業して、その翌日からまた2日休み、という変則的なスケジュールが、おかしな具合にお客様がたの購買意欲を刺激してしまったのだろうか。その前までは150食でも多少は売れ残りの出ていたはずの我が店なのである。
とりあえず、家長会議を終えた後は、休みを入れるとしても10日にいっぺんとか規則的なスケジュールにしておくべきだな、と俺は胆に命じておくことにした。
何せ、150食以上の料理が準備できるのは、ルウの集落を拠点にしている間だけなのである。
ファの家に立ち寄る必要がないため、ヴィナ=ルウには2時間ほど別の仕事に従事する時間が増える。その2時間を使って仕込みの手伝いをしていただかない限り、150食以上の料理を準備することは難しいのだ。
さらに、家長会議の翌々日からは、《南の大樹亭》における仕事も始まるわけであるし。屋台における売り上げの増大は嬉しい話だが、今しばしは安定を求めたい時期でもある。
ちなみに、余談だが、《南の大樹亭》においては、『ミャームー焼き』とも『ギバ・バーガー』とも異なる料理を提供することになった。
いくらジャガルの皆さんがギバ肉の料理を求めているとはいえ、朝も夜も同じ献立ではすぐに飽きてしまうだろうと思われたため、俺が新しい献立を考案したのである。
あまり売れ行きが芳しくなかったら、『ミャームー焼き』かそれに似た料理に切り替える方針だが。とりあえず宿の主ナウディスからはゴーサインがいただけたので、まずはチャレンジさせていただこうと思う。
宿場町における戦いの、それが第2ラウンドになるのであろう。
そういった、もろもろの思いを抱えこみつつ、青の月の8日と9日は流れ過ぎていき――そして、家長会議の日が、やってきた。
◇
「……スンの集落ってのは、ずいぶん遠いんだな」
黄色く踏み固められた森辺の道をひたすら歩きながら、俺はこっそりアイ=ファに耳打ちした。
野生の豹みたいにしなやかに足を進めつつ、アイ=ファもこっそり言葉を返してくる。
「スンの集落は北の要であり、ルウの集落は南の要であるのだからな。遠く感じるのは当たり前だ」
森辺の集落は、南北に細長く伸びる形で形成されている。
東側にそびえるモルガの山と、西側に広がるジェノスの領土を分断する形で森が切り開かれたため、そのような地理になっているのである。
で、スンの集落はかなり北側に位置しており、間にファの家を含む小さな氏族の集落をはさむ格好で、南寄りの位置にルウやルティムの集落が存在する。
太陽の位置から察するに、すでに2時間ばかりも歩いているはずであったが、到着にはまだあと30分ぐらいはかかるようだった。
「ん……つまりあのルティムの祝宴の夜も、スン家の連中はこんなに長い道中を踏みこえて、わざわざ嫌がらせに出向いて来たってことなんだな」
俺がまた耳打ちしてみせると、アイ=ファも「うむ」とうなずいて顔を寄せてくる。
「まともに狩人としての仕事を果たしておらぬから、時間などはいくらでもあるのだろう。まったく、腹の煮える話だ」
「本当だよな。そんなひまがあるなら1頭でも多くギバを狩ってみせろと言いたくなるよ」
「……ところで、アスタよ」
「うん、何だい、アイ=ファ?」
「お前はどうしていちいち声を潜めて話しかけてくるのだ?」
おや、その意味もわからぬまま、内緒話につきあってくれていたのか。
「別に、深い意味はないんだけどな。なんか、世間話をするのもはばかられる雰囲気じゃないか?」
俺たちは、ふたりきりでスン家の集落に向かっているわけではない。
ルウの眷族たちと、道中をともにしているのである。
ルウには、血の縁で結ばれた6つの眷族が存在する。
ルティム、レイ、ミン、マアム、リリン、ムファ、の6氏族である。
それらの家長と、ひとりずつの男衆。
そして、かまどの番を果たすべく同行した、ルウとルティムの女衆たち。
俺とアイ=ファを含め、総勢24名の団体様なのである。
なおかつ男衆に関しては、家長と、家長会議への出席を許された精鋭の猛者たちであるのだから、それはもう圧巻という他ない顔ぶれなのだった。
いずれもルウの眷族であるのだから、全員があのルティムの祝宴に出席していたことになるが。男衆で面識があるのは、ドンダ=ルウとダルム=ルウ、それにダン=ルティムの3名のみだ。
しかも彼らは、今宵の晩餐で使う食材を手分けして運んでくれている。
何せ140名分の食材であるからして、8名の女衆プラス俺だけでは、とうてい運びきれる量ではなかったのである。
もちろんドンダ=ルウたちにしてみても、女衆のみをスンの集落に先行させる心づもりなど一切なかったようであるが。けっきょくのところ、最終的にスン家の仕事を受諾したのは俺とアイ=ファであるわけだから、やっぱり恐縮せざるを得ない。
「……ああ、何だか眠くなってきてしまったな」と、いきなり背後から大きな声があがった。
振り返ると、男衆では最年少と思われる少年が、歩きながら大あくびをしている。
「こんな早い時間に起こされたのはひさびさだ。ドンダ=ルウ、スンの集落に着いたら、俺は少し眠らせてもらってもかまわないだろうか?」
「……好きにしろ」と、ドンダ=ルウはそっけなく答える。
「それは助かる。まあ、何か騒ぎがあったらすぐに起きるから、それで勘弁してくれ。……ん、何を見ているのだ、ファの家のかまど番よ」
「あ、いえ、失礼しました」
「別に礼など失していない。何を見ているのだと聞いているのだ、俺は」
べつだん不機嫌そうな様子ではないが、そんなに気性の穏やかそうな顔つきでもない。
どうしたものかと言葉を選んでいるうちに、その少年は足を速めて俺の隣りに並んできた。
「そういえば、俺はお前の名前をまだ聞いていない。俺はラウ=レイという者だが、お前の名は何というのだ、ファの家のかまど番よ?」
「はい。俺はアスタと申します」
もしかしたら俺より年下かもしれないが、ここは下手に出ておくことにした。
とか考えていたら、その少年が少し不機嫌そうな顔になってしまう。
「俺は17歳だが、お前は何歳なのだ、アスタよ」
「あ、俺も17歳です」
「ならば、そのように丁寧な言葉は使わなくてもいい。普通に喋れ、普通に」
何だかユーミのようなことを言う少年である。
だけどその少年には、なかなかの貫禄が備わってもいた。
ほとんど金色に近いぐらいの淡い色合いをした髪を長く伸ばしており、首の後ろで結んでいる。切れ長の目も淡い水色で、鼻が高く、唇は薄い。ルド=ルウを少し大人っぽくした感じで、顔立ちはちょっと中性的なのに、気性の荒そうな表情をしている。
身長は俺より少し高いぐらいで、体格も、どちらかといえば細身である。
そんな風貌で、年齢も若いのに、迫力は周囲の男衆に負けていない。
「まあ、宿場町の商売がどうしたとか、ガズラン=ルティムの言うことは今ひとつよくわからなかったがな。スン家がお前たちに難癖をつけてきたという話なら、いくらでも力を貸してやるさ」
「はい。ありがとうございます」
「……普通に喋れと言っている」
「いやあ、宿場町で商売を始めたせいか、こういう喋り方のほうが楽だったりもしてしまうのですよね」
「そうか。それじゃあ、丁寧な言葉を使うごとに、1回殴ろう」
「…………」
「お前、本当にファの家のかまど番なのか?」と、ラウ=レイなる少年がぐっと顔を寄せてくる。
「あのスン家の連中が婚儀の宴に踏みこんできたとき、威勢のいい啖呵を切っていたのはお前なのだろう? 何だか、まるで別人みたいじゃないか」
「いや、まあ、あのときは俺も少なからず頭に血がのぼっていたもので」
「ふん。だったら今日も血をのぼらせておけ。スン家などに弱みを見せたら、好きなようにつけこまれてしまうからな」
どうも俺とは対極の勝負論を有する少年であるようだった。
俺としては、危うい場面でこそ冷静でいたいと思ってしまうのだが。
「ところで、アスタ、レイの家でもガズラン=ルティムにギバの血抜きや解体というわざを習ったのだがな。それで確かに肉の味は美味くなったが、宴でお前に食べさせられた食事には遠く及ばない。あのぐにゃぐにゃとした肉などは、いったいどのように作るのだ?」
「あれは、肉を刻んでから丸めなおして……って、言葉だけでは説明しきれない料理なんだよね。ルウやルティムの女衆はもうその作り方をわきまえているはずだから、そちらで習ってもらうしかないんじゃないのかな」
殴られてしまわないように気をつけながら俺がそう応じると、ラウ=レイは斜め後方を振り返った。
「だったら、アマ・ミン=ルティムよ、レイの女衆にその作り方を教えてやってくれ。俺は家でもあの料理が食べたいのだ」
みなと同じように野菜の詰まった袋を背負って歩いていたアマ・ミン=ルティムは、ラウ=レイなる少年にお行儀よく頭を下げた。
「了解いたしました。まだ私もそこまで上手には作れませんが、レイの女衆とともに腕を磨きたいと思います」
「……アマ・ミン=ルティム、お前は何歳だ?」
「はい。わたしも17歳です、ラウ=レイ」
「だったらそのように丁寧な言葉でなくていい。アスタのように、普通に喋れ」
「いえ。ルウの眷族として、レイの本家の家長にそのように失礼な口はきけません」
レイの本家の家長――この少年が?
「家長になったとたん、女衆はみんなそれだ。……お前はかまど番とはいえ一応男衆のようなのだから、普通に喋れよ、アスタ?」
どうやらなかなかに扱いの難しい少年とお近づきになってしまったようである。
アイ=ファのほうをうかがい見ると、もちろん我が家長は素知らぬ顔でそっぽを向いていた。
「何だ何だ、レイの家長ははんばーぐなどがお好みなのか? はんばーぐが不味いとは言わんが、やはり1番美味いのはあばら肉であろうが?」
と、横槍を入れてきたのは、ルティムの家長殿である。
太鼓腹をゆすりながら、どすどすと近づいてくる。この御仁が助け船に――ならないのだろうなあ、きっと。
「あばら肉か。もちろんあれもたいそう美味かったが――しかし、骨がついていると食べにくいではないか?」
「何を言っている! あれは骨からかじりとるのが美味いのではないか! できることなら、俺はギバの足だって骨をつけたままかじりたいぐらいだぞ?」
それは火を通すのが大変そうだ。
だけど、もうちょっと蒸し焼きなどの技術を研鑽すれば、不可能ではないと思う。
「大体が、はんばーぐを好むのは女衆と子どもに多い。その若さで家長をつとめるとは見上げたものだが、まだまだ子どもの面は抜けきっておらぬということか」
ダン=ルティムはガハハと大きな声で笑い、ラウ=レイの顔には見る見る不機嫌そうな表情がたちのぼってくる。
「ルティムは、レイに喧嘩を売る気か? 狩人たる男衆を子ども扱いするとは、あまりに無礼な言い草であろうが?」
「だったら文句を言わずにあばら肉を食え。あれこそ狩人に相応しい最高の料理なのだからな」
ラウ=レイの怒りなど意に介した様子もなく、ダン=ルティムはぎょろりとしたどんぐりまなこを俺のほうに向けてきた。
「アスタ! もちろん今日もあばら肉を食わせてくれるのだろうな? あのミャームーとやらを使った薄っぺらい肉も確かに美味いは美味かったが、やっぱりあばら肉の美味さには及ばん!」
なるほど、3日前の勉強会で『ミャームー焼き』の調理技術を習得したアマ・ミン=ルティムやモルン=ルティムが、さっそくルティム家の晩餐でその腕前を披露した、ということか。
それはそれで大いにけっこうな話であるのだが、俺としては「あれ?」と首をひねらざるを得ない。
「今日はルティムからも肉を分けていただいたはずなのですが。その中には、しっかりあばら肉も含まれていたでしょう?」
「知らん。そういえばガズランが何やかんやと言っていたような気もするが、眠かったので聞き流していた」
「……そうでありますか」
「スン家の連中にあのように美味い肉を食わせるのは業腹だが、まあ、それであいつらの腐った性根が少しでもましになるなら、許してやろう! 美味い肉を食いたいなら真面目にギバを狩れ、と俺があいつらの尻を蹴飛ばしてくれるわ!」
「いや、あの、なるべく穏便にお願いしますね……?」
「うん? 何をそのように心配そうな顔をしておるのだ? 蹴飛ばすと言ったのはものの例えだ。この俺がそんな短慮なふるまいに及ぶはずもなかろうが?」
そうなのかなあ、と俺はこっそり溜息をつかせていただく。
祝宴のときのスン家に対する怒りっぷりを拝見するに、ちっとも安心はできないのだが。
「……ただし、あいつらが血迷ってアスタを害そうなどとしたら、俺も何をしてしまうかはわからぬがな」
と、豪快に笑いながら、ダン=ルティムの陽気な顔に、一瞬だけ狩人の表情が閃いた。
「それでスン家と戦になるのはかまわんが、アスタを失ってしまっては何にもならん。スン家に婿入りなどという話は論外だが、それよりも何よりも、お前は決して生命を落としてはならんぞ、アスタ?」
ダン=ルティムは、宿場町の商売に関して興味がないらしい。
森辺に豊かな生活を、という俺やアイ=ファやガズラン=ルティムの言葉も、今ひとつ理解はできていないようだ。
だけど、スン家が俺の身柄を狙っているらしい、という報告をガズラン=ルティムから受けた際、この御仁はそのままスンの集落に怒鳴りこみそうになるぐらい怒り狂っていた――と、ガズラン=ルティムからは聞かされていた。
この御仁は、あばら肉の味に魅了されただけで、俺という人間そのものに対しては、それほどの関心もないんじゃなかろうか――とか考えていた自分を、恥ずかしく思う。
そんな思いを胸に、「はい、ありがとうございます」と答えると、ダン=ルティムはまたガハハと笑い、俺の背中をどしんと叩いてきた。
「まあ、かまどの間では女衆が、それ以外の場では俺たちが守ってやるからな! アスタは安心して美味い料理を作っておればよい!」
とても力強い言葉であり、とても力強いスキンシップだった。
肋骨の軋む音が聞こえたような気もするが、まあ何とかへし折られたりはしなかったようだ。
「ふん。スン家などは物の数ではないが、用心すべきは低能な眷族どもだな。お前のようにひ弱そうな男衆ではあらがうすべもないだろうから、まかり間違っても奴らの尻尾は踏んでしまわないことだ」
口は悪いが、ラウ=レイもそんな言葉をかけてくれる。
何だか思いの外、ルウの眷族たちは俺やアイ=ファに対して友好的であるように感じられた。
まだラウ=レイ以外とはまともに口をきいてもいないし、どこを見回しても武骨な仏頂面しか見当たらないのだが。何というか、余計な仕事が増えてしまったことを不満に思っている者はいない様子である。
その根っこにはもちろん、どのような案件であれスン家などのいいようにはさせない、という共通の思いが渦巻いているのであろうが。眷族でもない俺やアイ=ファを、ごく自然に受け入れてくれているような空気を感じる。
もしかしたら――それはさっきラウ=レイも口にした、ルティムの祝宴の一件が要因なのかもしれない。
スン家のぼんくら3兄弟が乱入してきたとき、男衆は、みんな怒りで気も狂わんばかりになっていた。
その男衆こそが、すなわち現在行動をともにしているこのメンバーたちなのである。
共通の敵を前にすると、集団内の結束は固くなる。その定理が、俺やアイ=ファの身にまで及んでいるのかもしれない。
(そうだとしたら、ありがたい話だよな)
そこには、誤解も何もない。
俺たちと彼らは眷族でも何でもなかったが、スン家を忌まわしく思う、というその一点においては、どこにも齟齬はないはずだった。
そんなことを、考えるでもなしに考えていると――
先頭を歩いていたドンダ=ルウが、「見えてきたな……」と、低い声でつぶやいた。
慌てて前方に向きなおった俺は、少しばかり息を呑む。
ちょっと想像を絶するような建造物が、梢の向こうに見え隠れしていたのだ。
建造物、と言えるほど立派なものではなかったかもしれない。
切り開かれた空き地の真ん中に、干し草でできた小山のようなものが、こんもりと盛り上がっている。旧石器時代の竪穴式住居みたいなたたずまいである。
ただし、規模が途方もない。
お椀を伏せたようなドーム型の形状をしているのだが、その直径は20メートル以上にも及ぶだろう。
かなり平べったい形状であるが、そのお椀の頂点だって、2階建てぐらいの高さがある。
入口は、四方にぽっかりと黒い穴が空いているようだ。
お椀の頂点には三角の帽子みたいな屋根が載せられており、そこにも換気のためと思しき四角い穴が空いている。
作り自体は粗末でも、森辺の環境でこれほど巨大な建造物を作れるというのは、ものすごい権勢の証であると言えるかもしれない。
祭祀堂――と、森辺の民には、そう呼ばれているらしい。
本日の家長会議も、この祭祀堂にてとりおこなわれるのだ。
そのあやしげな祭祀堂を中心に、見なれた木造の建物があちこちに点在していた。
その数も、多い。
分家の数は5戸、と聞いていたのに、10戸以上はありそうだ。
半分ていどは空き家である、ということなのだろうか。
「……ようこそ、スンの集落に」と、ひとりの男衆が俺たちの前にゆらりと現れる。
灰色の髪を後ろになでつけて、同じ色の髭を生やした、体格はいいのに生気の欠落した、初老の男衆――テイ=スンである。
「ずいぶん早いお着きでしたな。中天に訪れるのは、かまど番の方々のみと思っておりました」
「ふん。女衆のみで、これだけの荷が運べるか」
それと相対したドンダ=ルウが、地鳴りのような声音で応じる。
「本家のかまどまで案内してもらおうか。族長への挨拶は、その後だ」
「はい。……その前に、牙と角をお預かりしてもよろしいでしょうか?」
ヤミル=スンとの商談が成立したその日のうちに、「家長会議の際には4本の牙と角を持参すること」というお達しが、すべての氏族に通達されたらしい。
ギバ1頭分の角と牙、である。
ルウの眷族や我がファの家にとっては、大きな損失ではない。
しかし、フォウなどの小さな家にとっては、死活に関わる損失であっただろう。
それだけの損失に見合う希望の光を、そういった人々にも提示できればいいのだが――何にせよ、スン家を黙らせないことには、話が始まらない。
「では、こちらへ……」
合計8頭分の角と牙を預かったテイ=スンは、それを1本の革紐で連ねてから、集落の奥へと歩き始めた。
相変わらず、覇気も生気もない男衆である。
だいたい、このような案内など、狩人たる男衆の仕事とも思えぬのだが。どうしてこの御仁は毎回、小間使いのような役割を負わされているのだろう。
(……あれ? 刀は預けなくていいのかな?)
ルウの集落においては、かまどの間に入る前にいったん包丁を預ける風習があるのだが。そんなことを要求されることもなかった。
まあ、預けなくて済むなら面倒がなくていいのだが――何だか、杜撰な印象が強まってしまう。
「……陰気臭さは相変わらずか」
と、俺のかたわらを歩きながら、ラウ=レイが小声で吐き捨てた。
それはテイ=スンに向けられたものなのか、それともこの集落そのものに向けられたものなのか――たぶんその両方に、なのだろうと思う。
もうすぐ中天という頃合いであるのに、そこには人影のひとつも見当たらなかったのだ。
薪を割っている者もいない。
ピコの葉を乾かしている者もいない。
立ち話をしている女衆や、楽しそうにはしゃぎ回る子どもの姿もない。
まるで、打ち捨てられた無人の集落であるかのようだ。
それに、通りすがりに観察してみると、くだんの巨大な祭祀堂も、どえらく古びているということが見てとれた。
あちこち修繕はなされているのだろうが、干し草で覆われた壁面も半分がた腐りかけているように見受けられる。
それなりに雨量の多いこの森辺に、このような作りの住居が相応しいとは思えぬから、これはもしかしたら、森辺の民が南の森に住んでいた頃の様式であるのかもしれない。
この建物が作られた頃は、スン家も族長筋として正しく民を導くことができていたのだろうか。
俺には、わからない。
「こちらになります……」
その恐竜の死骸みたいな祭祀堂の裏に、ルウ本家にも負けない立派な木造の建物が隠されていた。
きっとこれが、スンの本家の家なのだろう。
自然と、気持ちが引き締まっていく。
ここが敵の総本山――数々の悪縁を結んでしまったディガ=スンたちの、根城なのである。
テイ=スンは、ロボットのように規則正しい足取りで、その建物の裏手へと進んでいく。
「……こちらが、かまどの間となります」
やはりルウ家と同じように、本邸の裏に小さな建物が併設されていた。
規模も、ルウ家と同じぐらいだ。
屋外に、焼き肉用のかまどがふたつ設置されているところまで同様である。
「ふん。スン家の女衆はどこに行ったんだい?」
ミーア・レイ母さんが声をあげると、テイ=スンは虚ろな目つきのまま一礼した。
「ただいま呼んで参ります。少々お待ちください」
テイ=スンは姿を消し、荷物を担っていた人々は入口のわきにそれを積んでいく。
およそ90キロ以上の、肉。
400個以上のアリア。300個近いポイタン。
果実酒、岩塩、ミャームーなどの調味料。
調理器具と、配膳用のゴムノキモドキの葉。
こうして一箇所に集めてしまうと、なかなか途方もない質量である。
家長会議に出席する人間が79名、スンの人間が41名、俺たちかまど番が9名――それにミダ=スンのための余剰分が10名分で、しめて139名分の食糧なのだ。
で、表向きは、男衆の手伝いもここまでであるのだが、家長会議の開始までにはまだ2、3時間ほども猶予がある。それまでは、彼らもこのかまどの間の周囲で待機する心づもりだった。
「……しかし、家長会議が始まったのちも、スン家の分家の男衆などは自由に動くことができるのだからな。決して油断はするなよ、アスタ?」
もう何度目になるかもわからない言葉を、アイ=ファが小声で告げてくる。
「わかってる。とにかく何があっても、絶対に単独行動はしない。……お前のほうも、気をつけてくれよな?」
「ふん。私のほうに危険はないが、ただ、ガズラン=ルティムがいないことだけが悔やまれる」
そう、家長会議において、アイ=ファはファの家が如何なる心情で宿場町に店を出したかを発表する算段であるのだが。その場に、ガズラン=ルティムはいないのだ。
ドンダ=ルウやダン=ルティムではほとんどその助けにはならないし、ルティムの次兄も、兄ほど弁舌が巧みな人物ではなかった。
というか、おそらくはガズラン=ルティムが特異に過ぎるのだろう。
あれほど理知的に言葉を操れる人間を、俺は森辺では他に見たことがない。
それは、森辺の民の気質によるものなのだろうと思う。
情が深く、感性が豊かな人間は多いが、理や知を重んずる人間は、それほど見かけない。俺の矮小な交友の範囲において、やはりそのような特性を有するのは、ガズラン=ルティムと、ジバ=ルウと――あとは、ジザ=ルウやサティ・レイ=ルウ、それにアマ・ミン=ルティムにその片鱗を感じるぐらいだった。
「……大丈夫だよ。大事なのは、気持ちを伝えることなんだから」
と、俺もアイ=ファにこっそりと囁き返す。
「たぶん、俺やカミュアみたいな人間は、いくら言葉が達者でも、なかなか森辺の民に気持ちを伝えることはできないんだと思う。だけど、同じ森辺の民であるアイ=ファなら、きっと上手くやることができるさ」
「……これまでの私を見てきて、どうしてそのような言葉が吐けるのかは理解し難いが、まあ、お前には無理だと言われるよりは、数段ましか」
ぶっきらぼうに言い捨てて、アイ=ファは鼻の頭をかく。
「力の及ぶ限り、私は私の仕事を果たそう。……お前も仕事の時間がやってきたようだぞ、アスタ」
アイ=ファの目線を追いかけると、家の陰から再びテイ=スンが姿を現すところだった。
その背後には、10名以上の女衆が追従している。
そのうちのひとりが、途中でテイ=スンを追い抜いて、俺とアイ=ファの前に立った。
「お待ちしていたわ、ファの家のアイ=ファに、アスタ。家長ズーロも、弟ミダも、今日という日を心待ちにしていたようよ?」
スン本家の長姉、ヤミル=スンである。
森辺で出会うのは、これが初めてだ。
宿場町においてはヴェールやショールで素肌を隠していたヤミル=スンは、胸あてと腰あてと金属細工の飾り物だけをつけた身軽な姿で俺たちの前に立ちはだかり、町で会うよりもいっそう美しく――そして、いっそう薄気味が悪かった。
褐色の長い髪を、ドレッドヘアのようにこまかく編みこんでいる。
切れ長の瞳は、限りなく黒色に近い。
すらりと背が高く、手足も長く、ヴィナ=ルウにも負けないぐらい優美な肢体を有している。
だけどやっぱり――その美しい肉体には、腐敗した血の匂いがねっとりとからみついていた。
(……だけど、アイ=ファやヴィナ=ルウには感じられないっていうんだよな、この匂いは)
たぶん、俺が唯一、森辺の民にまさっている部分があるとすれば、それは嗅覚の鋭さだと思う。
基本的な身体能力ばかりでなく、視覚や聴覚においても森辺の民は非常にすぐれた力を有しているようなのだが。嗅覚だけは、かろうじて俺のほうがまさっているようなのだ。
それゆえに、俺は他の誰よりもこのヤミル=スンという女衆に警戒心をかきたてられてしまっている。
まさか人間の血ではあるまいが、それにしたって、常に血臭を纏っている人間など、薄気味悪く感じられて当然であろう。
「……そういえば、最初に伝えておかなければならないことがあるのだけれど」
と、ヤミル=スンは冷たく笑いながら、そう言った。
「ファの家に支払う代価は、ギバの角と牙を40頭分ではなく、36頭分になってしまったのよ。了承してもらえるかしら?」
「はい? ……それは理由次第だと思いますが」
「理由は簡単よ。この1年間で、氏族の数が40から36に減ってしまっていたの。家人が絶えてしまったり、絶える前に他の家に入るなりして、4つの氏が滅んでしまったというわけね。……だから、作る料理も8名分減らして、代価は36頭分、ということにしてほしいのよ」
「……人数が増えるよりはましですが、森辺の約定がそんな簡単に覆せるものだとは思いませんでしたね」
「簡単ではないわ。だからこうして、真摯にお願いしているのよ」
真摯が聞いて呆れるね、と俺は肩をすくめてみせる。
本当に、真面目に相手をするのが馬鹿らしくなるぐらいの不実さだ。
だけど、こちらはこちらの土俵で戦うしかない。
「それで今さらこの大荷物を抱えて帰る気にもなれませんからね。ルウやルティムの皆様がたが了承してくれるようでしたら、承りますよ」
「代価なんて、どうだっていいさ。そんなことより、とっとと仕事に取りかかろうじゃないか」
ミーア・レイ母さんが、まったく動じた様子もなく、ヤミル=スンの前に進み出る。
ヤミル=スンは、何の興味もなさそうに、そちらに冷たい一瞥をくれた。
「それでは、よろしくお願いするわね、ファの家のアスタ。この15名の女衆を好きに使ってくれてかまわないから」
15名か。なかなかの人数だ。
スンの集落の総勢は41名と聞いていたので、ほとんどの女衆をかき集めてくれたのだろうか、と俺は視線を巡らせて――
そして、言葉を失うことになった。
(……何だよ、これ?)
年齢もさまざまな、森辺の女衆である。
1番年かさなのは五十路ぐらいで、1番若いのは10歳ぐらい。
既婚の女衆もいれば、未婚の女衆もいる。
これといって、外見上におかしなところはない。
ただ――
全員、目が死んでいた。
年のいった女性も、幼い女の子も、誰も彼もが、テイ=スンと同じように、どろりと濁った眼差しをしていたのだ。
その褐色の顔からも、あらゆる表情が欠落してしまっている。
森辺の民としての、すこやかな生命力や躍動感といったものが、いっさい感じられない。
べつだん痩せ衰えているわけでもないし、健康には何の不備もなさそうなのだが、ただひたすらに無気力なのである。
宿場町の人間たちよりも、俺のいた世界の人間たちよりも――俺がこれまでに見てきたどんな人間たちよりも、彼女たちは生気に乏しく、不出来な泥人形のように、ぼんやりと立ちつくしていた。
「それじゃあ、わたしには別の仕事があるので、失礼するわ。……あ、家長はまだ目を覚ましていないので、そちらの男衆たちも挨拶はまたのちほどにね」
毒蛇のような微笑を残して、ヤミル=スンは去っていく。
テイ=スンも、当然のごとく、去っていく。
そんなふたりを見送ってから、ミーア・レイ母さんは大きな手の平をパンと打ち鳴らした。
「それじゃあ荷物を運んでしまおうかね! まずはポイタンからお願いするよ!」
スン家の女衆は返事もせぬままに、ゆらゆらとこちらに近づいてくる。
べつだん動作が極端に緩慢なわけでもないのだが、何となく、ゾンビの大群みたいに見えてしまう。
「……あの薄気味悪い女衆は、何だったのだ?」と、俺の背後でダン=ルティムが不機嫌そうにつぶやいた。
どうやら独り言であるようだが、俺はいちおう「本家の長姉で、名はヤミル=スンというそうです」と、答えておいた。
「本家の女衆か。ぼんくら3兄弟に比べれば気骨はありそうだが、あんな不愉快な臭いを撒き散らしている人間と晩餐をともにするのは御免だぞ、俺は」
「え?」
ちょっと驚いてダン=ルティムの巨体を仰ぎ見ると、その丸っこい鼻がぴくぴくとひくついていた。
「どうしてあの女衆は腐った血の臭いなどを撒き散らしておるのだ。あんな細腕で皮剥ぎの仕事をつとめているわけでもなかろうにな」
「……ダン=ルティムは、ずいぶん鋭敏な鼻をお持ちなのですね」
「うん? 俺は森でも臭いでギバを嗅ぎわけるからな。ルティムでも、こんなことができるのは俺と父ラーだけだ」
と、自慢たらしく太鼓腹を震わせてから、その丸い鼻を指先でこする。
「とにかく、気に食わん。スンの連中はみんな気に食わんが、あの女衆は格別だ。アスタ、あの女衆にだけは特に心を許すのではないぞ?」
「はい。そのお言葉には、心の底から同意いたします」
俺はうなずき、みずからもポイタンの袋をつかみ取った。
そうして、アイ=ファを振り返る。
「それじゃあ、俺も仕事に取りかかるよ。……頑張ろうな、おたがいに」
アイ=ファは厳しい表情で、無言のまま、うなずいた。
こうして、スンの集落における俺たちの戦いは、静かに幕を開けたのだった。
アスタの収支計算表 2期目(青の月8~17日)
・第一日目(青の月8日)
①食材費
『ギバ・バーガー』100人前
○パテ
・ギバ肉(18kg)……ルウ家から購入。別途換算
・香味用アリア(25個)……5a
○焼きポイタン
・ポイタン(100個)……25a
・ギーゴ(100cm)……1a
○付け合せの野菜
・ティノ(5個)……2.5a
・アリア(5個)……1a
○タラパソース
・タラパ(7個)……7a
・香味用アリア(14個)……2.4a
・果実酒(2.25本)……2.25a
・ミャームー(0.3本)……0.3a
合計……46.45a
『ミャームー焼き』100人前
○具
・ギバ肉(18kg)……ルウ家から購入。別途換算
・アリア(50個)……10a
・ティノ(5個)……2.5a
○焼きポイタン
・ポイタン(100個)……25a
・ギーゴ(100cm)……1a
○漬け汁
・果実酒(3.3本)……3.3a
・ミャームー(3.3本)……3.3a
・香味用アリア(5個)……1a
合計46.1a
2品の合計=46.45+46.1=92.55a
②その他の諸経費
○人件費……21a
○場所代・屋台の貸出料(日割り)……4a
○ギバ肉……12a(ルウ家から購入)
諸経費=①+②=129.55a
200食分の売り上げ=400a
純利益=400-129.55=270.45a
(ギバの角と牙およそ22頭分)
*干し肉は、2000グラム、30aの売り上げ。10日目にまとめて集計。
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2期目(青の月8~17日)
・第二日目(青の月9日)
①食材費
『ギバ・バーガー』80人前……37.85a
『ミャームー焼き』90人前……41.55a
2品の合計=37.85+41.55=79.4a
②その他の諸経費
○人件費……21a
○場所代・屋台の貸出料(日割り)……4a
○ギバ肉……12a(ルウ家から購入)
諸経費=①+②=116.4
170食分の売り上げ=340a
純利益=340-116.4=223.6a
純利益の合計額=270.45+223.6=494.05a
(ギバの角と牙およそ41頭分)
*干し肉は、800グラム、12aの売り上げ。10日目にまとめて集計。