幕間 狭間の一日
2022.5/2 更新分 1/1
・今回は全10話で、2回ほど2話同時更新する予定です。
・5/6追記 最終話で2話同時更新する予定でしたが、1話ずつの更新に変更いたします。
アイ=ファの肖像画がお披露目された晩餐会の、翌日――灰の月の9日である。
今日も今日とて、俺たちは屋台の商売に励んでいる。なおかつ、ティカトラスたちのジェノス滞在がまだまだ長引きそうだと告げられたため、本日はレイとマァムの人々が護衛役として参じてくれていた。
「まあ、今さらその貴族たちが悪さをする恐れは薄いという話であったが、どうせ俺たちも休息の日取りであったしな! 出番がなければ宿場町の者たちと言葉を交わすだけで、時間の無駄にはならなかろうさ!」
そんな風に言いたてていたのは、レイの若き家長たるラウ=レイである。本日はたまたまヤミル=レイも出勤の日取りであったため、護衛役に志願したのであろう。
それにマァムからは、本家の長兄たるジィ=マァムも参じてくれている。ルウの血族でももっとも大柄な体格をした、頼もしい狩人だ。
「しかし、そやつはこれまででもっとも身分の高い西の貴族という話であったのに、城を出て町の宿屋に泊まろうなどと考えるとはな。これは確かに、俺たちの知る貴族とはずいぶん毛色が違っているのであろう」
昨日の晩餐会の様子は朝方に連絡網で伝えられたはずであるので、ジィ=マァムは不審の念をあらわにしている。が、ラウ=レイのほうはいつも通りの陽気さであった。
「けっきょく貴族だろうが何だろうが、ひとくくりにはできぬというだけの話だ! 俺やお前だって同じルウの血族でありながら、気性はまったく違っているしな! 何も不思議がる話ではないのであろうよ!」
「うむ。その貴族も、レイの家長のように変わり種であるということだな」
「うわははは! お前も言うようになったではないか!」
ラウ=レイは楽しそうに笑いながら、ジィ=マァムの広い背中を平手で叩いた。まあ、これこそ血族の気安さであろう。いずれはジィ=マァムもラウ=レイのように家長の座を受け継ぐのであろうから、末永く仲良くしていただきたいところであった。
ティカトラスの巻き起こした騒乱とは関わりなく、宿場町は本日も賑わっている。
そんな中、ラウ=レイが「うむ?」とうろんげな声をあげたのは、中天のラッシュが一段落した頃合いであった。
「何かあやしげなやつがやってくるな。アスタ、いちおう用心しておけよ」
「え? どれのことだい?」
俺は屋台の内側から可能な範囲で、街道の左右に視線を巡らせた。
そこで目に留まったのは、北の方角からやってくる大柄な人影だ。その人物は東の民のようにフードつきマントで人相を隠しており、酔っ払いのような千鳥足になっていた。
周囲の人々もいぶかしげにしながら、その人物のことを避けている。そしてその人物は頼りなげにふらつきながらも、俺たちの屋台を目指しているようであった。
「殺気……とまではいかないが、おかしな気迫をこぼしているな。それにどうやら、手負いであるようだ」
ジィ=マァムも鋭く目を細めながら、刀の柄に手をかけた。
その人物は、ようやく俺たちの眼前に到着し――そして俺は、心からの驚きにとらわれることになった。
「ガ、ガーデルじゃないですか! いったいどうなさったのですか?」
「アスタ殿……ご無事で何よりです……」
そのように語るガーデルのほうこそ、まったく無事には見えなかった。フードの陰に覗くその顔は血の気を失っており、色の淡い瞳は手負いの獣のようにぎらぎらと光っていたのだ。
「ガ、ガーデルは古傷の治療をやりなおしているのだとうかがいましたよ。そんな身体で出歩いて大丈夫なのですか?」
「ですが……新たな王都の貴族がやってきたと聞き及びましたので……」
屋台に力なくもたれながら、ガーデルはそんな言葉を振り絞った。
「しかもその貴族は、目にかけた人間を王都に連れ帰ろうとしているのだと聞きました……アスタ殿も、そのような誘いをかけられたのでは……? よもや……よもや、ジェノスを捨てたりはなさいませんよね……?」
「も、もちろんです! まさか、そんな話で治療の場を抜け出してきてしまったのですか?」
「わたしは……わたしは、アスタ殿の生を見届けなければならないのです……」
ほとんどうわごとのように、ガーデルはそう言いつのった。
ラウ=レイは「ふむ」と下顎を撫でさする。
「ガーデル、か。お前はずいぶんアスタに執心しているようだと、ルド=ルウからそのように聞いているぞ。これは確かに、尋常ならざる執心であるようだな」
「呑気に語っている場合ではあるまい。これでは、商売の邪魔になろう」
ジィ=マァムがその巨体に似合わぬ素早さで、屋台の前側に回り込んだ。
ガーデルも大柄であるが、ジィ=マァムはそれよりも10センチぐらい背丈でまさっている。ジィ=マァムはその丸太のごとき腕で、ガーデルの力ない身体を支えてくれた。
「お前は確かに、ひどい深手を負っているようだ。そのような身で手当てをおろそかにすれば、生命に関わるぞ。衛兵を呼んでやるので、それまで裏で休んでいるがいい」
「しかし……しかし、アスタ殿が……」
「アスタは森辺を捨てたりはしない。いいから、大人しく――」
そのように言いかけたジィ=マァムが、街道の北側を鋭く振り返った。
ラウ=レイもまた、同じ方向に目をやっている。その視線を追いかけた俺は、西方神の悪戯心に思わず溜息をついてしまった。まるでガーデルを追いかけるようにして、見間違えようもない人々がこちらに近づいてきたのである。
「ほうほう! これが森辺の民による屋台というやつか! 屋根のついた食堂まで設えて、なかなか立派なものじゃないか!」
やたらと周波数の高い声音が、街道に響きわたる。言うまでもなく、それは王都の貴族ティカトラスであった。
その左右には、もちろんデギオンとヴィケッツォも控えている。そちらの両名は武官らしい白装束と黒装束の上に旅人用のマントを羽織っていたが、ティカトラスはいつも通りのけばけばしい長羽織のような姿であったため、誰よりも周囲の注目を集めてしまっていた。
「ティ、ティカトラス。ついに城下町を出られたのですね」
「うん! 目が覚めたら、もうこのような刻限であったのだよ! まあ、3日3晩絵筆を走らせたあげく晩餐会に興じたのだから、さもありなんといったところだね! さあさあ、あらためてアスタの手腕を味わわさせていただくよ!」
ガーデルに続いてティカトラスたちまでやってきてしまったため、他のお客たちはすっかり身を引いてしまっている。
そんな中、ガーデルの低く潰れた声が陰々と響きわたった。
「では……あなたが王都からやってきたという貴族なのですね……」
デギオンとヴィケッツォが、すかさず主人の盾となった。
ガーデルは瀕死の獣めいた目つきで、ティカトラスのことをにらみ据えていたのだ。これでは警戒するなというほうが無理な話であった。
「待て。こやつは、怪我人だ。お前たちに悪さをするような力は残されていない」
ガーデルの身を支えたジィ=マァムがそのように言い放ったが、ヴィケッツォなどはもうその黒い瞳を炎のように燃やしてしまっていた。
「人も獣と同じように、死にかけたときこそ思わぬ力を発揮するものです。……あなたも我らの主人に害を為そうというおつもりでしょうか?」
「そんなわけがあるか。いいから、そちらも殺気を収めろ。これでは、無用な血を流すことになるぞ」
ジィ=マァムがそのように応じても、ヴィケッツォたちは緊迫したままである。
するとラウ=レイが「ふむ」と言いながら、俺の肩に手をかけた。
「アスタ。少しばかり肩を借りるので、鉄鍋に倒れ込まないように気をつけるのだぞ」
「え? それはどういう――うわあっ!」
ラウ=レイは俺の肩を支えにして跳躍し、屋台の屋根の骨組みにぽんと手をついて、街道のほうに舞い降りた。
屋台を跳び越えるという軽業に、往来の人々がどよめきをあげる。そんな騒ぎもどこ吹く風で、ラウ=レイはティカトラスの一行とガーデルの間に立ちふさがった。
「実に剣呑な空気だな! このような場で騒ぎを起こされるのは、アスタたちに迷惑だ! それに、お前たちが争う理由など、どこにもないはずだぞ!」
「おお! これまた凛々しい狩人だ! 本当に森辺の集落というのは、美男美女の宝庫だね!」
ヴィケッツォの肩ごしに、ティカトラスが緊迫感の欠片もない声をあげる。それを見返すラウ=レイも、取り立てて激昂している様子はなかった。
「このガーデルなる者は、お前がアスタを王都に連れ去ってしまうのではないかと気に病んでいるのだそうだ! しかしアスタは、すでにその誘いを断っているはずだな?」
「うん? 話がよくわからないけれど……確かにわたしはアスタに誘いをかけたし、アスタはそれを断っているよ! それで何か、問題でもあるのかな?」
「お前はひとたび誘いを断られたならば、決してしつこくつきまとったりはしないのだと聞いている。その言葉に、偽りはないか?」
「もちろんさ! わたしは何より、自由に生きることを得難く思っているのだからね! そんなわたしが、他者の自由なる生を脅かすわけがないじゃないか!」
ラウ=レイは「うむ」とうなずいて、逆側のガーデルを振り返った。
「俺の見たところ、こやつは決して虚言を吐いていない。だからお前も懸念を晴らして、その殺気を仕舞い込むがいい。さもなくば、俺たちが庇いだてすることもかなわんぞ」
「そう……ですか……」
ガーデルがぐらりと倒れかかったため、ジィ=マァムが強靭なる腕でそれを抱きとめた。
ラウ=レイはもうひとたびうなずいて、今度はヴィケッツォたちに向きなおる。
「ご覧の通り、こやつは気を失った。もはやお前たちの主人に害を為そうとするものはないから、その殺気も仕舞い込むがいい」
「……あなたがたも、我々に害意はないのですね?」
「俺たちが、殺気を放っているようにでも思えるのか?」
ラウ=レイがむしろ不思議そうに反問すると、まずデギオンのほうが剣の柄から手を離した。
「あなたがたは、あまりに生命力が強烈であるのです。そうしていつなりと刀を抜けるように気を張っておられるのでしょうから、我々がそれを殺気と見まごうても不思議はありますまい」
「それは俺たちとて、護衛の仕事のさなかであるからな。しかし、殺気などはこぼしていないつもりだぞ」
そう言って、ラウ=レイはにっと白い歯をこぼした。
そこに、おっとり刀で衛兵たちが駆けつけてくる。その先頭に立つのは、小隊長のマルスよりも立派な房飾りを兜につけた、壮年の男性であった。
「ダ、ダーム公爵家のティカトラス様であられますね? 何か失礼でもありましたでしょうか?」
「いやいや! わたしはただ、屋台の料理を味わいにおもむいてきただけだよ! 何も心配はいらないから、職務に戻ってくれたまえ!」
「さ、左様ですか。では、警護の必要などは……」
「そういった気遣いはいっさい不要と、ジェノス侯から通達されていないのかな? わたしは身軽にこの宿場町の賑わいを楽しみたいので、どうか放っておいてくれたまえ!」
「し、失礼つかまつりました!」と、衛兵の責任者は直立で敬礼する。
その背後に居並んだ衛兵たちに、ジィ=マァムがガーデルの身を差し出した。
「では、この者の身を預けたい。たしか飛蝗の騒ぎの際にも、こやつの身はそちらに預けられたはずだ」
「ひ、飛蝗? これは、何者か?」
「名はガーデルで、城下町の民であるようだが、もともとは護民兵団の衛兵であるのだと聞いている。であれば、そちらの同胞であろう?」
ジィ=マァムの巨体と魁偉な風貌に尻込みしつつ、衛兵たちはガーデルの身を受け取った。
そうして衛兵たちが引き下がっていくと、ティカトラスが満面の笑みで周囲に視線を巡らせる。
「お騒がせしてしまって、申し訳なかったね! 君たちも森辺の料理を楽しみに来たのなら、思うぞんぶん楽しんでくれたまえ! わたしもそうさせていただくからね!」
街道にたむろした人々は、やはり困惑の表情で立ち尽くすばかりである。
しかしティカトラスは何事もなかったかのように、俺のほうに向きなおってきた。
「ではさっそく、料理を買わせていただこうかな! しかしこれだけの屋台が並んでいると、目移りしてしかたがないね! これらがすべて、森辺の民の屋台であるのかな?」
「は、はい。隣のこちらの屋台だけは、俺がお世話になっている宿屋の屋台ですけれど」
レビとラーズは目をぱちくりとさせながら、ティカトラスの素っ頓狂な姿を眺めている。そちらの屋台の看板に目をやったティカトラスは「ふむ?」と小首を傾げながら、くちばしのようにとんがった鼻の先をかいた。
「《キミュスの尻尾亭》……どこか聞き覚えのある名前だね。いったいどこで聞いたのだったかな」
「それは、ダカルマス殿下の試食会で勲章を授かった宿屋であったかと思われます」
デギオンの返答に、ティカトラスは「おお!」と目を輝かせた。
「そうだったそうだった! しかもそれは、宿場町の部門で第1位の座を獲得した宿屋じゃないか! 君! そちらの料理も、ひと皿頼むよ!」
「へい。小盛りなら赤銅貨1枚と半分、大盛りならその倍の値段になりやすが、どういたしましょう?」
さすがは年の功で、ラーズのほうが愛想よく応じる。
ティカトラスは「うーん!」と悩ましげな声をあげながら、ずらりと並んだ屋台を見渡した。
「さすがにこれだけの数となると、まずは小盛りで様子を見るべきかな! 我慢のきかない味わいであったなら、もういっぺん買えばいいだけの話だしね! 君! 小盛りを1人前お願いするよ!」
「承知しやした。少々お待ちを」
「アスタ! そちらの料理も、1人前ね! まずはすべての料理を小盛りで1人前ずつ買わせていただくよ!」
「は、はい。こちらは皿に盛るだけですので、《キミュスの尻尾亭》のラーメンと同時にお渡ししましょうか?」
どっちみち、他のお客はティカトラスらに恐れをなして、屋台の前から離れてしまっているのだ。そんな状況に気づいているのかいないのか、ティカトラスは無邪気そのものの顔で「気遣い、ありがとう!」などとのたまわった。
「あ、だけど、屋台は全部で8つもあるのだね! それをひと品ずつ買ったとして、3人で食べきれるだけの量なのだろうか?」
「あ、はい。大人の男性であれば、たいていは3品ほど買っていかれます」
「なんだ! それなら、楽勝だね! わたしばかりでなく、デギオンやヴィケッツォも美味なる料理なら人の倍ぐらいは食べられるはずだからさ! すべての料理を食べ比べたのち、おのおの気に入った料理を買い足すことにしよう!」
さきほどまでの騒ぎなど、まるで念頭にない様子である。屋台の裏手に戻ってきたラウ=レイとジィ=マァムも、いささかならず呆れた様子でティカトラスの挙動を見守っていた。
「いやあ、心が弾むなあ! せっかくジェノスまでやってきたのに、わたしはずっと石塀の中に閉じこもったままであったからね! まあ、アイ=ファの美しさを描き尽くすという崇高な仕事に取り組んでいたのだから、それも致し方のないことだけどさ! だけどやっぱり旅の楽しさというものは、石塀の外にこそ広がっているものだよね!」
「そ、そうですか。でも、貴族という身分は隠されておいたほうが安全なのでは……?」
「そんなものは、隠すからこそ人の注目を集めてしまうのだよ! 数日もすれば、ああまた酔狂な貴族が騒いでいると、誰にも見向きされなくなるものさ!」
俺は気安く賛同はできなかったが、しかしきっとティカトラスはどのような地でもこのように振る舞っているのだろう。その証拠に、ガーデルの騒ぎが収まってからは、ヴィケッツォたちも普段通りの静けさを取り戻していた。
いっぽう往来の人々は、目引き袖引きでこちらの様子を遠目にうかがっている。それでも豪胆なる南や東のお客などは料理を買い求めてくれていたが、やはりティカトラスが陣取る俺の屋台とその両隣だけは誰も近づいてこようとしなかった。
「今日はこれから日が暮れるまで、宿場町の賑わいを楽しむつもりだよ! それで夜は、《南の大樹亭》なる宿で明かすつもりさ!」
「え? 宿場町の宿で、夜を明かすのですか?」
「うん! そちらの宿には、ミソの行商人を待たせてしまっているからさ! いやぁ、こんな何日も足止めさせてしまって、本当に申し訳なかったなぁ! だけどすべてはアイ=ファの美しさが原因であるのだから、彼らにも納得してもらうしかないよね!」
デルスとワッズなら、ついさっき料理を食べ終えて立ち去ったところである。彼らに居残りを命じていた貴族本人が宿にまで押しかけてきたら、いったいどれだけの驚きに見舞われることか――俺としては、彼らの安息を願うばかりであった。
「それにしても、さきほどの人物には驚かされてしまったね! 彼はアスタが懇意にしていた人物なのだろう? わたしがアスタを力ずくで連れ去ることなどは絶対にありえないので、どうか彼にも安心するように伝えてもらいたい! わたしはジェノスの誰とも諍いを起こすつもりはないので、どうかよろしくお願いするよ!」
「しょ、承知いたしました。……あ、ラーメンもそろそろ仕上がりますね。ヤミル=レイ、そちらの料理もお願いします」
レビたちの屋台の逆側では、ヤミル=レイがギバ・カレーの販売を受け持っていたのだ。ヤミル=レイは肩をすくめながら、木皿にカレーを盛りつけて――そちらの屋台を覗き込んだティカトラスが、「おおっ!」と金切声をほとばしらせた。
「これはなんと美しき女人だ! 君! わたしの従者に――いや、側妻に――いやいや、やっぱり従者になってはもらえないかね?」
「どちらにせよ、お断りさせていただくわ」
ヤミル=レイがクールに応じると、ティカトラスは「おお」と頭を抱え込んだ。
「森辺には、このような美しさを持つ女人もいたのだね! アイ=ファと出会う前であったなら、迷わず側妻に迎えることを願っていたことだろう! 君はまるで、脱皮したての蛇のように美しいね!」
ヤミル=レイはぴくりと肩を震わせたが、その冷たい無表情を崩したりはしなかった。
そしてラウ=レイは獲物を嗅ぎ当てた猟犬のごとき眼差しになってしまっていたが――幸いなことに、ティカトラスはそこで矛先を収めてくれた。
「これはますます、森辺の集落にお邪魔するのが楽しみだ! しかしまずは、こちらの料理を楽しませていただくよ! では、またのちほどね!」
3つの皿を従者たちに運ばせて、ティカトラスはさらに奥側の屋台へと向かっていく。その姿を横目に、ラウ=レイが「ふん」と鼻に皺を寄せた。
「アイ=ファはあやつが旅芸人のニーヤに似ていると言っていたそうだが、まさしくその通りであったな! あやつが拳の届かない場所にいたことを幸いに思うぞ!」
「王都の貴族を殴りつけたりしたら、大問題よ。こんなくだらない話で、森辺やジェノスの行く末を危うくするつもり?」
「だから、こらえてみせたではないか! やっぱりヤミルやアイ=ファは美しすぎるがゆえに、ああいった輩まで引き寄せてしまうのだな!」
そうしてラウ=レイがぷんすかしていると、ラーズが笑いを含んだ声を投げかけてきた。
「確かにあれは、なかなか素っ頓狂なお人のようですねぇ。でも、あっしは少し安心しやしたよ」
「安心? 何がですか?」
「あのお人は、料理を食べきれるかどうか心配なさっていたでしょう? 貴族にとっては屋台の料理のお代なんて、取るに足らないもんでしょうに……余っちまったら残せばいいなんて考えは、これっぽっちもないようじゃないですか」
「なるほどな」と、レビも苦笑まじりの声をあげた。
「城下町の試食会なんかでは、食べきれない料理を捨てるための瓶が準備されてたもんな。あれはあんまり、見ていて気分のいいもんじゃなかったよ」
「まあ、それが貴族様の流儀なんだろうさ。……でもあの貴族様は、下々の流儀をわきまえた上で、ああして乗り込んできてるんじゃないですかねぇ」
「……そうですね。少なくとも、料理を粗末に扱うようなお人ではないと思います」
俺がそのように応じると、ラウ=レイは納得のいっていない様子で「ふん!」と鼻を鳴らした。
「食事を残さず食べることなど、当たり前の話ではないか! それだけで、あやつを善人と決めつけられるものか! 俺が様子をうかがってくるので、ジィ=マァムはこちらを頼んだぞ!」
俺が止める間もなく、ラウ=レイは青空食堂のほうに駆けていってしまった。
と、いうか――ひと通りの料理を買い集めたティカトラスらは、青空食堂に腰を据えていたのだ。俺としては、まずその事実に驚かされてしまった。
(まいったなぁ。俺も様子を見にいくべきかなぁ)
しかし、ティカトラスらが立ち去ったため、こちらの屋台にもお客が殺到してしまっていた。そしてお客らは口々に、あれは何者かと問うてくる。その対応で、俺は屋台を離れられなくなってしまった。
そうして俺がやきもきしている間に、四半刻ほどの時間が過ぎ――そろそろこちらの料理も売り切れかという頃合いで、ティカトラスたちが舞い戻ってきたのだった。
「アスタ! こちらの料理も、美味であったね! もう1人前、お願いするよ! あと、そちらのらーめんという料理は、大盛りをもう1人前だ! 小盛りを3人がかりでは、味見ていどの量しか口にできなかったよ!」
「しょ、承知いたしました。……あの、ラウ=レイは大丈夫でしたか?」
「ラウ=レイ? ああ、あのアイ=ファと似た美しい髪色の若者か! うん! あれは愉快な若者だね! 早く祝宴で酒でも酌み交わしたいものだよ!」
どうやら俺の心配は、杞憂に終わったようである。破天荒な人柄同士で、むしろ気があってしまったのだろうか。隣の屋台では、ヤミル=レイが溜息を噛み殺していた。
「宿場町に足を一歩踏み込むなり、この楽しさだ! つくづくジェノスというのは、魅力的な土地だね! どうかこれからも末永くよろしくお願いするよ、アスタ!」
と、ティカトラスは俺たちの心労などまったくおかまいなしで、無邪気な笑みを振りまいている。
そうして俺たちは、あらためてこの素っ頓狂なる人物を迎え撃つことに相成ったのだった。