表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異世界料理道  作者: EDA
第六十九章 西の果てより
1188/1682

西の果ての道楽者⑨~緋色の肖像~

2022.4/18 更新分 2/2

・本日は2話同時更新です。読み飛ばしのないようにご注意ください。

・今回の更新はここまでです。更新再開まで少々お待ちください。

「さて! それじゃあすべての菓子を食べ終えたことだし、肖像画のお披露目と参ろうか!」


 と、食後の余韻もへったくれもなく、ティカトラスはそのように宣言した。

 ポルアースが合図を送ると、横合いの扉から3名の小姓がしずしずと入室してくる。それらの手には、いずれも豪奢な布を掛けられた画布と思しきものが抱えられており――その姿に、アイ=ファがうろんげに目を細めた。


「ティカトラスよ。それらがすべて、絵であるのか?」


「うむ? もちろんだとも! 君の美しさとわたしの熱情の結晶だよ!」


「では……あなたは3日をかけて、3枚もの絵を描いたというわけか」


「その通り! 本来であれば、1枚の画布に君の美しさを描き尽くすべきなのだけれどね! 凡夫たるわたしにそのような所業はかなわなかったため、3枚に分ける他なかったのだ!」


 すると、隣の卓のエウリフィアがつつましく声をあげた。


「ですが、これだけ大きな肖像画であれば、普通は1枚を仕上げるのに数日はかかることでしょう。わずか3日で3枚もの肖像画を描きあげるだなんて、並々ならぬ手腕ですわ」


「それはひとえに、アイ=ファの美しさからもたらされた情念ゆえだね! この胸に渦巻く情念をおさめるには、3日3晩絵筆を走らせるしかなかったのさ!」


 どうやらティカトラスは、目上のデルシェア姫以外の相手に対してはいずれも気安い態度であるようだ。

 それはそれとして――画布の大きさは、縦が1メートルで横が80センチばかりもありそうな、巨大なものである。そんな立派な肖像画を3日で3枚も仕上げるというのは、確かにただ事ではないはずであった。


「では、お披露目しよう! 君たち、3枚同時にね!」


 小姓たちは一礼したのち、目配せの合図だけで同時に布を取り去った。

 その瞬間――広間には、驚嘆のどよめきがわきおこる。

 それらの画布には、俺たちの想像を上回る情念が叩きつけられていたのだった。


 いずれも真紅の宴衣装を纏った、アイ=ファの肖像画である。

 その中央に掲げられていたのは、俺が予期していた通りの構図であった。すなわち、背もたれのない椅子に座した、アイ=ファの座り姿である。


 アイ=ファは毅然と背筋をのばして、鋭くこちらを見据えている。貴婦人のごとき宴衣装を纏いながら、若武者のごとき凛々しさであったが――これこそ、アイ=ファらしい姿と言えることだろう。そんな俺のよく知るアイ=ファが、きわめて写実的な油絵のようなタッチで画布に描かれていたのだった。


 もしも肖像画がこの1枚であったなら、俺たちもそこまで度肝を抜かれることはなかっただろう。ただティカトラスの見事な手腕に感服するだけで済んだはずだ。

 しかし、それと並べられた左右の画布には、アイ=ファのまったく異なる姿が描かれていた。


 右側は、アイ=ファの立ち姿である。

 中央と同じ真紅の宴衣装で、こちらに背中と横顔を向けている。視線はわずかに下向きで、輝かしい金褐色に半ば隠されたその横顔は――何かを慈しむように、優しく微笑んでいた。


 また、中央の肖像画は背景もいかにも城下町の一室めいた様相であったが、こちらの背景は夜の屋外である。たくさんの花が咲き誇る庭園のようであったが、それらはすべて青白い月光に濡れていた。アイ=ファの姿もどこかぼんやりと霞んでおり、それがいっそうそのやわらかい微笑に透き通った美しさを与えているようであった。


 そして、最後の1枚は――それこそ心に焼きつくような、鮮烈なる姿である。

 宴衣装を纏ったアイ=ファが、長い髪を振り乱して、地面に這いつくばっていた。

 鉤爪のように曲げた指先を地面につき、獣のように身を伏せて、下からすくいあげるようにこちらをにらみ据えている。そのポージングも、燃えるような双眸も、剥き出しにした白い歯も、恐ろしげな形相も、腕にねじれる筋肉も――何もかもが、野獣めいていた。


 金褐色の髪は炎のように渦を巻いて、野獣のごときアイ=ファの肢体にからみついている。青い瞳は炎そのもので、画布に触れたら指先が焼けるのではないかと思えるほどであった。それでいて、アイ=ファは豪奢な宴衣装を纏っているものだから、それが余計に凄愴なる迫力を生み出しているようであった。


「アイ=ファは……ずっと椅子に座ってたんだよな?」


 半ば無意識に俺がつぶやくと、アイ=ファは「うむ」と低い声を返してきた。


「ティカトラスが横や背後に回り込むことはあったが、私自身はいっさい動いていない。立ち上がることも、床に伏せることもなかったのだ」


 では――ティカトラスは想像だけで、左右の2枚を描きあげたということだ。

 俺が呆然としていると、ティカトラスが「どうだね?」と問うてきた。


「この中でアイ=ファのことをもっとも知り尽くしているのは、やはり同じ家で暮らすアスタであろう? ここは是非とも、アスタの感想をうかがいたいところだね!」


「か、感想と言われましても……ただ、見事だとしか……」


「これらの肖像画が、君の心に焼きつけられたアイ=ファの印象を壊したりはしないかな?」


「……はい。俺の印象の通りのアイ=ファです」


 俺にとって、もっとも驚愕させられたのはその一点であったのだ。

 俺は、これらのアイ=ファをすべて知っている。静かに微笑むアイ=ファの横顔も、怒りに燃えるアイ=ファの形相も、俺の知る通りのアイ=ファの姿であったのだった。


 もちろんアイ=ファが宴衣装で地面に這いつくばったことはない。しかし、その凄まじいまでの眼光や、何にも屈するまいとするその迫力は――邪神教団にギバやムントをけしかけられたときや、シルエルの率いる《颶風党》と対峙したときなどに見せていた姿そのままであったのだった。


(それに、あの優しい笑顔だって……)


 俺はこの2年と数ヶ月で、アイ=ファの優しい笑顔をたくさん目にすることができた。しかし、アイ=ファのそんな笑顔を目にしたことのある人間は決して多くないはずだし、いまだ本性の知れないティカトラスの前でそんな表情をさらすわけもない。そうであるにも拘わらず、月夜にたたずむアイ=ファは俺の知る通りの美しさで優しく微笑んでいたのだった。


「であれば、わたしはアイ=ファの美しさを正しく理解していたというわけだね! 生命を削るような思いで絵筆を取った甲斐もあったというものだよ!」


 そう言って、ティカトラスは屈託のない笑い声を響かせた。


「アイ=ファには、さまざまな美しさが混在している! それを1枚の肖像画におさめることは、どうしてもできなかったんだ! もしもそのようなことが可能な画家が存在するならば、わたしは箱いっぱいの銀貨を捧げてでもアイ=ファの肖像画を描いていただきたいものだね!」


「いえ……本当に素晴らしい手腕ですわ。文字通り、アイ=ファ様の美しさが余すところなく画布に塗り込められているようです」


 やがてデルシェア姫が我に返った様子でそのように評すると、ポルアースたちも慌ててそれに追従した。


「い、いや、本当に! これほど素晴らしい肖像画を描きあげられる画家など、大陸中を探してもそうそう存在しないことでしょう!」


「ええ。なんだか、心臓をつかまれたような心地でしたわ……」


「左の肖像画などは、今にもアイ=ファが画布から飛び出してきそうな迫力ですわね。オディフィアなんて、震えてしまっておりましたもの」


「うん。でも、みぎのアイ=ファは、すごくきれい」


「これは確かに、アイ=ファが並々ならぬ傑物であるがゆえの結果なのでしょうな」


 マルスタインの言葉に、ティカトラスは「その通り!」とはしゃいだ声をあげる。


「けっきょくもっとも得難いのは、アイ=ファの存在そのものであるのだよ! わたしなど、その恩恵に授かったに過ぎないということだ! わたしは心から、アイ=ファという存在をこの世に生み出した四大神に感謝の念を捧げよう!」


 俺はまだ動悸のおさまらない胸もとに手をやりつつ、ようよう周囲の人々の様子をうかがった。

 城下町の人々は誰もが感服しきっており、森辺の一行は――感服しているのが半分、鋭い検分の眼差しになっているのが半分といったところであろうか。その最たるはジザ=ルウで、その糸のように細い目は肖像画よりもむしろティカトラス本人を鋭く見据えているようであった。


 そして、アイ=ファ当人は――ずいぶん複雑そうな面持ちで、眉をひそめてしまっている。

 俺の視線に気づいたアイ=ファは、同じ表情のまま俺の耳もとに唇を寄せてきた。


「お前の目に、私の姿はあのように映されているのだな。それはべつだんかまわないのだが……あのように性根の知れない人間に内面を見透かされたような心地で、きわめて不愉快だ」


「うん、まあ、アイ=ファはなるべく人前で笑うこともつつしんでるぐらいだもんな」


 アイ=ファは卓の陰で、俺の足を蹴ってきた。

 そこでティカトラスが、「さて!」と声をあげる。


「では、肖像画のお披露目もここまでだね! アイ=ファ! わたしの願いを聞き入れてくれて、心から感謝しているよ! その代価としては、あまりにちっぽけに過ぎるのだが……今、君が纏っているその宴衣装を記念の品として捧げさせてもらいたい!」


「いや。いかなる代価も不要であると、最初に言い置いたはずだ。そもそも私には、宴衣装など不要であるし――」


「それでは、わたしの気が済まないのだ! それに君とて、たびたび城下町の祝宴に招かれている身なのだろう? そのように豪奢な宴衣装を着こなせる女人はそうそう存在しないのだから、どうか今後もその美しさで人々に喜びと感動を与えてくれたまえ!」


 アイ=ファはなおも文句を言いたげに口を開きかけたが、途中で思い直したように目礼をした。ここで言い争っても得はないと判断したのだろう。ポルアースも、ほっとした様子で息をついている。


「ああ、アイ=ファ! いまだわたしの胸は無念の思いに満ちみちているが、君の自由な魂に縄をかけることは許されまい! 約束通り、君を側妻に迎えられなかった無念は、これらの肖像画で癒やすこととしよう! 君は今後も森辺の美しき女狩人として、誇り高く生きてもらいたい! 君がいつまでも幸福に生きていられるように、わたしは魂を返すその瞬間まで祈っているからね!」


 ティカトラスの大仰な物言いにも心を動かされた様子もなく、アイ=ファはまた無言で目礼を返す。

 ティカトラスは満足そうにうなずいて、隣の卓のマルスタインを振り返った。


「ジェノス侯も、わたしのためにこのような宮殿を準備してくれて、心から感謝しているよ! それに、メルフリード殿とポルアース殿も! この8日間、きっと君たちにはたいそうな苦労をかけてしまったのだろうね! このように気ままな客人を受け入れてくれて、どうもありがとう! 君たちの厚意は、この先も決して忘れないよ!」


「滅相もない。ティカトラス殿にご満足いただけたのなら、こちらも光栄の至りであります」


 マルスタインがゆったりとした笑顔でそのように応じると、ティカトラスは「うんうん!」とうなずいた。


「そんな苦労も、明朝までだからね! 明日の朝、わたしはジェノス城を出ることにしよう! ただ、ひとつだけお願いしたいことがあるのだけれど……」


「ええ。如何なるお話でありましょうかな?」


「あれらの肖像画を、しばしジェノス城で預かってもらえるかな?」


 マルスタインは同じ笑顔を保持したまま、「はて?」と小首を傾げた。


「あちらの肖像画を、ジェノス城で? ですがあちらは、ダームにお持ち帰りになるために描かれたのでしょう?」


「うん! だからわたしがダームに戻る日まで、大事に預かっておいてもらいたいのだよ!」


「いえ、ですが、明朝にジェノスを出立されるのでは?」


「いやいや! 明朝にはジェノス城を出るだけで、それ以降は気ままに過ごすつもりだよ! ジェノスの楽しさを味わい尽くすまで、ダームに帰れるわけがないじゃないか!」


 ポルアースが、かしゃんと酒杯を皿に落とした。


「で、ですがそれでは、明日以降はどちらで夜を明かすご予定なのでしょうか?」


「それはもう、風の吹くまま気の向くままにだね! 城下町にも宿場町にもたくさんの宿があるようだから、何も困ることにはならないだろうさ!」


「い、いえいえ! ダーム公爵家の直系たるティカトラス殿を、町の宿などにお泊めするわけには……ジェノスに滞在されるのであれば、然るべきお部屋をご準備いたしますよ!」


「いやいや、気遣いは無用だよ! 旅先で毎日同じ場所に帰るだなんて、そんなつまらないことはないからね! 肖像画さえ預かってもらえれば、それで十分さ!」


「で、ですが……」とポルアースが口ごもると、オーグが感情を押し殺した声で発言した。


「ティカトラス殿は、いずれの地においてもそのように振る舞っておられるのです。このジェノスでだけ行いをあらためることはありませんでしょうな」


「その通り! ……ああ、そうか! わたしは順番を間違えていたね! デギオン!」


 デギオンは無言でうなずくと、白装束の懐から小さな筒のようなものを取り出した。さらにその中から抜き取られたのは、丸められた1枚の書面である。


「わたしがこの地で不慮の事態にあおうとも、ジェノスの立場ある方々にはいっさいの責任を問わない! そのように記した、誓約書だよ! デギオン、誓約書をジェノス侯に!」


 デギオンは無言のまま、その書面をマルスタインのもとまで届けた。

 マルスタインは素晴らしい精神力で穏やかな表情を保ちつつ、オーグのほうを振り返る。オーグは仏頂面寸前の厳格な面持ちで、ひとつうなずいた。


「そちらの誓約書は、王国の公文書として正式な体裁が整えられております。また、ティカトラス殿がこういった誓約書を扱う旨は王陛下も認めておられますので、そのように思し召しいただきたい」


「……では本当に、ティカトラス殿は市井の宿で過ごされるのですな?」


「うん! 決して面倒はかけないから、よしなにね!」


 そんな風に言ってから、ティカトラスはダリ=サウティのほうに向きなおった。


「そんなわけだから、いずれは森辺の祝宴というものも味わわさせていただきたいものだね! それにわたしは、森辺の集落の生活というものにも大きく心をひかれている! 今後はジェノス侯らの手を煩わせることなく、わたし本人が交渉させてもらいたく思っているのだけれども、承諾をいただけるかな?」


「我々の君主筋はジェノス侯爵家であるため、まずはそちらの了承を得る必要があろうな。あとの細かい話に関しては、三族長で協議することになろう」


「そうかそうか! それじゃあそれに関しては、また追々ということで! いやあ、楽しい滞在になりそうだ!」


 ティカトラスは、ひとりで楽しそうにしている。ただ、デギオンやヴィケッツォの様子に変わりはないので、そちらは最初から了承済であったのだろう。

 ダリ=サウティは穏やかながらも力強い眼差しで、ジザ=ルウは感情のうかがえない眼差しで、それぞれ静かにティカトラスの姿を見据えている。女衆のおおよそは困惑の表情であり、ゲオル=ザザはこの状況を面白がっている様子であり――そしてアイ=ファは、懸命に溜息をこらえているようであった。


(まあやっぱり、そんな簡単に話が片付くわけはないよな)


 俺としては、そんな心境であった。

 かくして――ティカトラスたちのジェノス滞在は、これから本番の幕が開けられるようだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] ティカトラスが現れて物語を読むのが楽しくなった。 やっぱりこうゆう明るくて周りを吹き飛ばす様なキャラが現れると テンポも良くて楽しいな。 それに、渡来の民のことが少し聞けて面白かった。
[一言] やっぱただの道楽貴族には見えないんだよな……いや、本気で道楽してるんだろうけどチラホラ気になる点が 善人悪人とかじゃない公人貴人としての本質もあるような?
[良い点] ティカトラスは心の底から開放的な芸術家肌なんでしょうね。感性は鋭いし自分に行動に必要なものは全て自分で調達して気ままにふるまうけど、他人に押し付けたりはしない。 正直めっちゃ好き。 どうし…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ