西の果ての道楽者⑦~晩餐会~
2022.4/17 更新分 1/1
・明日は2話同時更新です。読み飛ばしのないようにご注意ください。
・2022.8/26 文章を一部修正。
そうして下りの五の刻をわずかに過ぎた頃、晩餐会の料理は完成した。
その後は、大急ぎでお召し替えである。晩餐会の開始は五の刻の半と定められていたため、なかなか時間ぎりぎりになってしまったのだ。
厨にいたメンバーで晩餐会に参席する男衆は俺ひとりであったので、お召し替えにはジョウ=ランが同行してくれる。そちらで準備されていたのは、かつてデルシェア姫がひそかにあつらえてくれたジャガル風の準礼装であった。
先月のデルシェア姫の晩餐会でも着用することになった、きわめて着心地のよろしい装束である。様式としては開襟の胴衣にストレートタイプの脚衣で、胸もとにまで大きく広げられた襟に豪奢な刺繍が施されている。それを初めて目にしたジョウ=ランは、「立派な装束ですね」とにこやかに微笑んでいた。
それから控えの間に移動すると、そちらにはすでに本日の参席者たる男衆が勢ぞろいしていた。すなわち、ダリ=サウティ、ジザ=ルウ、ゲオル=ザザの3名だ。彼らもまた、俺と同系統の準礼装であった。
「ラン家のジョウ=ランか。あとは俺たちがアスタとともにあるので、そちらは女衆の護衛に戻ってもらいたい」
「承知しました。……みなさんも、城下町の装束がよくお似合いですね」
そんな言葉を残してジョウ=ランが立ち去ると、ゲオル=ザザは「おかしなやつだな」と肩をすくめた。森辺の男衆というのは自身の婚儀でしか着飾る習わしがないため、装束に関しては無頓着なものであるのだ。
「どうもみなさん、お疲れ様です。本当に、そちらの装束はお似合いですよ」
「ふん。これが例の、デルシェアが勝手に準備した装束というやつなのだな? 頼まれもしないのにこのようなものを準備するとは、本当に酔狂なやつだ」
デルシェア姫は自身の開催する晩餐会に森辺の民を招待するために、あらかじめ準礼装の作製を仕立て屋に発注していたのである。それで、森辺の民の代表となりえるような顔ぶれを男女8名ずつ独自に選出していたわけであるが――この3名も、見事にその中に含まれていたのだった。
以前に纏った宴衣装を参考に採寸したという話であったので、こちらの3名もサイズはぴったりである。宴衣装ほど豪奢ではないものの、こちらの気品あふるる瀟洒な準礼装もダリ=サウティたちにはよく似合っていた。
「まあそれはともかくとして、俺たちもようやくティカトラスなる貴族と対面できるわけだ。ずいぶん遠慮のない人間であるようなので、ゲオル=ザザは短慮を起こさぬようにな」
ダリ=サウティがそのように声をあげると、ゲオル=ザザは「ふふん」とふてぶてしく笑った。
「アイ=ファが短慮を起こさずにいられたのなら、俺だって心配はなかろうさ。8番目だか9番目だかの伴侶になることを願われるなど、普通であれば我慢のならない話であろうしな」
「うむ。アイ=ファが落ち着いて対処したからこそ、話がこじれずに済んだのであろう。まったく、新たな貴族が現れるたびに、ファの家には苦労をかけてしまうな」
ダリ=サウティがいたわるような視線を向けてくれたので、俺は「いえ」と笑顔を返してみせた。
「俺なんかはおかしな出自をしているので、半分は自業自得みたいなものです。でも、森辺のみんなが同胞として力を添えてくれたからこそ、なんとか乗り越えることができました。アイ=ファだって、同じ気持ちだと思います」
「うむ。このたびも、力をあわせて正しき道を見定めるべきであろう」
そのように宣言したのは、ジザ=ルウである。いつも通りの穏やかなたたずまいであるが、やはり油断などとは無縁であるようだ。
しばらくして、女衆も控えの間にやってくると――とたんに、その場が華やいだ。
もっとも素直なゲオル=ザザが、「おお!」と感嘆の声をあげる。
「なんだ、そちらはひとりずつが異なる装束であるのだな! てっきり俺たちのように、似たり寄ったりの格好であるのかと思っていたぞ!」
「は、はい。どうもそれが、ティカトラスという貴族の意向であったようで……」
そのように応じるトゥール=ディンは、前回の晩餐会と同一の装束である。上半身はフィットしていて、腰から下がふわりと広がっており、むきだしの肩から胸の上部あたりは玉虫色のヴェールで覆われている。これが、デルシェア姫の準備した女性用の準礼装であった。
そうしてトゥール=ディンが気恥ずかしそうにもじもじしていると、サウティ分家の末妹が笑顔で進み出た。
「もともとわたしには、そちらの装束の準備がなかったようなのですね。そうすると、トゥール=ディンとララ=ルウだけが似たような装束になってしまい、あまり望ましくないということで、全員に別々の装束が準備されたようです」
そのように語る彼女が纏っていたのは、襟もとや袖のあたりに瀟洒な刺繍のされたワンピースである。それはかつて試食会で森辺の女衆が纏っていた準礼装と同系統の装束であり、城下町の装束を持たない彼女のために準備されたものであるのだという話であった。
いっぽう、ティカトラスの意向で別の装束を着させられたというララ=ルウは、礼賛の祝宴で着用していたセルヴァ伝統の宴衣装である。薄手の長衣に襟なしのガウンめいた上衣を羽織る様式で、通常はものすごく襟ぐりが開いているデザインであるが、ララ=ルウのようにつつましい胸もとをしている場合は華やかなフリルで飾られる。こちらは準礼装ではなく宴衣装であるため刺繍の具合などもきわめてきらびやかであったが、装飾品の類いを控えることでトゥール=ディンたちとのバランスを取っているようであった。
「しかし……アイ=ファだけは、ずいぶん豪奢に飾りたてられているではないか」
ゲオル=ザザがそのように声をあげると、アイ=ファは不機嫌そうな面持ちで「うむ」とうなずいた。
「肖像画なるものと比較するために、同じ装束を着用するべしと言いつけられてしまったのだ。私ひとりがやたらと着飾ることになってしまい、きわめて不本意に思っている」
そう、アイ=ファは肖像画のモデルとして着用していた、鮮烈な真紅のドレスを纏っていたのだった。
これもまたジャガル風の様式であるため、シルエットなどはララ=ルウやトゥール=ディンと大差ないのだが――ただ、刺繍やフリルの豪奢さが格段に違っている。なおかつ銀と宝石の飾り物もぞんぶんにつけられていたために、目もくらむような艶やかさであったのだった。
「まあ、これはアイ=ファの肖像画というものを披露するための晩餐会であると告げられているからな。あちらにしてみれば、アイ=ファが主賓という心持ちなのではないだろうか?」
アイ=ファをなだめるように微笑みながら、ダリ=サウティがそう言った。
「客人のひとりだけを飾りたてるというのは我々の習わしにはない行いであるが、目くじらをたてるほどのことではあるまい。許せる限りは、あちらの流儀というものを尊重するべきであろう」
「……うむ。不本意であるという気持ちに変わりはないがな」
アイ=ファはぶすっとした面持ちで、俺のほうに近づいてくる。
その目がちらりと俺の首もとを見やったのちに満足そうに細められたことを、俺は見逃さなかった。もちろん俺は、アイ=ファから生誕の日に贈られた黒い石の首飾りを着用したままであったのだ。前回の晩餐会でも着用を許されたのだから、今回だって外す理由はなかった。
やがて待つほどもなく「失礼いたします」と扉がノックされ、シェイラが現れる。シェイラは幸福そうな表情でアイ=ファに微笑みかけてから、一礼した。
「間もなく晩餐会の刻限となりますので、会場まで移動をお願いいたします」
俺たちは、列をなして回廊に出ることになった。
ダリ=サウティとサウティの末妹、ジザ=ルウとララ=ルウ、ゲオル=ザザとトゥール=ディン、俺とアイ=ファという順番で回廊を突き進む。こうして最後尾から拝見すると、似たような装束を纏った男衆に色とりどりの装束を纏った女衆という組み合わせは、統一感と多様性がいい感じに混在していて、なかなか悪くないようであった。
ただやっぱり、アイ=ファひとりが豪奢であるという印象は否めない。そしてこれはたまたまであるが、本日は女性らしさの際立ったプロポーションであるのも、アイ=ファひとりであるのだ。
(でも、他のみんながアイ=ファの引き立て役みたいに感じられないのは、さすがだな)
ぐんぐん背ののびているララ=ルウはきわめてしなやかな身体つきをしており、若鹿のような生命力があふれかえっている。また、いつもポニーテールにしている真っ赤な髪を自然に垂らすと、ララ=ルウは格段に女性らしさが増すのだ。城下町の宴衣装でも颯爽とした足取りで歩を進めるララ=ルウは、後ろから見ていても格好がよかった。
また、サウティの末妹も年齢はララ=ルウと同程度であるのであろうが、こちらは小動物のような可愛らしさを持っている。そんな彼女にはすとんとしたワンピースタイプの準礼装がとてもよく似合っており、同世代の少年にはとても魅力的に見えることだろう。
トゥール=ディンは、もう存在そのものが愛くるしい。きっと誰よりも緊張しているのであろうが、懸命に背筋をのばして歩いているさまは、庇護欲をかきたてられてやまなかった。そして、彼女がただ庇護されるだけの存在ではないという事実が、さらなる魅力をかもし出すのだろうと思われた。
(そう考えると、ティカトラスが最初にはしゃいでたのも、素直な反応ってことなのかな)
俺がそんな想念に至った頃、目的の場所に到着した。
入室の許しをもらったシェイラが扉を開き、俺たちが室内に踏み入っていくと――とたんに、「おお!」という甲高い声が響きわたる。
「来たね来たね! さあさあ、座ってくれたまえ! 席順はこちらで決めさせていただいたからね!」
そこは20帖ていどの広間であり、10名掛けの巨大な円卓が2脚設置されていた。貴き身分にある方々はすでに6名ずつに分かれているため、森辺の民は4名ずつ分かれることになるようだ。
右の卓は、ティカトラス、デギオン、ヴィケッツォ、ポルアース、メリム、デルシェア姫で、左の卓は、マルスタイン、メルフリード、エウリフィア、オディフィア、フェルメス、オーグという顔ぶれである。ジェノスへの居残りを命じられていたデルスたちはけっきょく招待されておらず、「いったいいつまで足止めする気なのだ!」とひそかに憤慨していたのだった。
それで、オディフィアがどこかすがるような眼差しであったのは――俺とアイ=ファ、ゲオル=ザザとトゥール=ディンの組が、ティカトラスと同じ卓に案内されたためであるようであった。
トゥール=ディンもまた切なげな視線をそちらに送り、エウリフィアは愛娘をなだめるようにそっと肩に手を置く。ティカトラスはトゥール=ディンの力量を高く評価していたため、このような配置になったのだろう。ティカトラスがやってくる前日に茶会を開いて存分におしゃべりを楽しんでいたのが、せめてもの慰めであった。
ちなみに、ティカトラスは左右を従者にはさまれており、ヴィケッツォの側にアイ=ファ、俺、トゥール=ディン、ゲオル=ザザ、と並ぶ格好であった。逆側はデルシェア姫、ポルアース、メリムという並びで、ゲオル=ザザとメリムが隣り合う配置である。
「おお、アイ=ファ! 君のおかげで、肖像画は完成したよ! あれは晩餐会の終わりにお披露目するつもりであるので、どうか楽しみにしてくれたまえ!」
アイ=ファの無言のまま、目礼を返す。その姿に、ティカトラスはうっとりと目を細めた。
「やっぱりその装束は、君にまたとなく似合っているね! その美しさを心と画布に焼きつけたわたしでも、また目が眩んでしまいそうな心地だよ!」
「…………」
「それにしても、他の面々も心を奪われるような美しさだ! 女性ばかりでなく、男性たちもね! 特に、君!」
と――ティカトラスが、隣の卓のジザ=ルウを指先で指し示した。
「君は何か、とてつもない迫力を感じるよ! こちらの彼は火のように情熱的だし、そちらの彼は大樹のようにどっしりとしているけれど……まず目を奪われるのは、君だ! 君、私の従者になるつもりはないかね?」
「……申し訳ないが、俺は森辺を捨てるつもりはない」
「そうかそうか! うーん、無念だね! デギオン! ヴィケッツォ! やはり君たちでも、この御仁に勝利することは難しいのかな?」
「……わたくしとヴィケッツォがふたりがかりで死力を尽くそうとも、勝利することは難しいように存じます」
デギオンは陰気な声で答え、ヴィケッツォはぎらぎらと両目を燃やしている。これだけの狩人たちを目の当たりにして、ヴィケッツォはこれまで以上に緊迫してしまっているようであった。
「なんだ、ヴィケッツォは怖い目をしているね! 森辺の民と争う理由などないのだから、何もそのように気を張る必要はないじゃないか!」
「……わたくしはただ、自らの至らなさを口惜しく思っているばかりです」
「君たちだって、どこに出しても恥ずかしくない剣士だよ! 君たちのおかげで、わたしは余計な兵士を引き連れずにのびのびと旅を楽しむことができているのだからね!」
ティカトラスは愉快げに笑いながら、ヴィケッツォの肩にぽんと手を置いた。
そこに父親らしい情愛を感じてしまったのは――俺の先入観なのだろうか。ただ、それでヴィケッツォの眼光が少しだけやわらいだのは事実であるはずであった。
ティカトラスは初日と同じような派手派手しい装束を纏っており、デギオンとヴィケッツォもそれぞれ武官のお仕着せめいた白と黒の装束だ。
この奇妙な主従が、ジザ=ルウたちの目にはどのように映っているのか。俺としては、激しく気になるところであった。
「さて! それでは晩餐会を始めようか! 何も仰々しい挨拶などは必要ないだろうからね! アスタ、料理をお願いするよ!」
「承知いたしました。では、お願いします」
俺のそばに控えていた小姓が恭しく一礼して、扉の外に消えていく。
隣室に運んでおいてもらった料理がたくさんのワゴンに積まれて運び込まれ――そして、それに付き従っている森辺の女衆の姿に、ティカトラスは「おお!」と瞳を輝かせた。
「これまた美しい女人がやってきたと思ったら、君はユン=スドラじゃないか! それに、そちらの君は初顔だよね! 君、わたしの従者になる気はないかね?」
「申し訳ありません。わたしは母なる森に魂を返すと決めています」
そのように応じたのは、レイナ=ルウである。料理を取り分けるために、レイナ=ルウとユン=スドラの両名がこちらに参じてくれたのだった。
普通、こういう際は城下町の調理着を纏うものであるが、事前におうかがいを立てたところ、着替えは不要と申しつけられていた。察するに、ティカトラスは余計な礼儀作法を重んじないタイプであるのだろう。それでも参席者に準礼装を纏わせたのは――礼儀や作法の問題でなく、ただ派手好きなのだろうと思われた。
そうして広間には俺たちの準備した料理の香りがたちこめ、レイナ=ルウたちの手によってそれが取り分けられていく。わざわざレイナ=ルウたちの手を借りたのは、小姓や侍女ではシャスカの盛りつけが難しかろうと考えたためだ。
「あ、ティカトラス様。あちらがさきほどお話しした、ジョウ=ラン様ですわ」
と、デルシェア姫がデギオンごしにティカトラスへと呼びかける。レイナ=ルウたちの護衛をするために、ジョウ=ランも扉の近くに控えていたのだ。その姿に、ティカトラスはまた「ほうほう!」と声を張り上げた。
「あちらの若者も、ずいぶん秀麗な面立ちをしているね! アイ=ファとともにおもむいていた両名も、それぞれ魅力的な若者であったけれど……うーん、こうまで誰もが魅力的な人間ばかりだと、ますます森辺の民というものに興味をひかれてしまうよ!」
「それで、肖像画の件は如何かしら?」
「ああ、あの若者が肖像画を目にしたいと願っているのですね? もちろん! そのような願いを退ける理由は、どこにもありません! ユン=スドラにもそちらの美しい女性にも、ぜひわたしの作品を観ていただきたい! 肖像画を披露する段になりましたら、本日来訪している森辺の民たちを残らずお招きすることにいたしましょう!」
ジョウ=ランは嬉しそうな面持ちで、「ありがとうございます」と一礼した。アイ=ファは心底どうでもよさそうに、そんなやりとりを無言で眺めているばかりである。
その間に、すべての料理がそれぞれの卓に配膳された。
役目を終えたレイナ=ルウたちは退室し、ティカトラスは「ほうほう!」という感嘆の言葉を繰り返す。
「これはもう、見た目からして愉快な料理だね! ダカルマス殿下の試食会で勲章を授かったのは、どの料理であるのかな?」
「こちらのハンバーグカレーと、生春巻きという料理になります」
そのふた品は、ティカトラスの要望で作りあげた料理であった。前日にそれを伝えに来た使者に、ハンバーグにはアリアが必要であると伝えたため、本日の朝の市場で城下町の人間が必要な分を確保したのだという話である。
試食会とまったく同じ内容にするべしという言いつけであったため、ショートサイズのハンバーグにはギバ・タンを使い、内側にギャマの乾酪を封入している。粒状のシャスカでいただくので、カレーの味付けは日本式だ。具材のほうも、アリアにネェノンにチャッチというもっともシンプルな組み合わせであった。
いっぽう生春巻きは、3種類を準備している。ペレとネェノンを細切りにして、湯がいたティンファとギバのバラ肉で巻いたもの。アマエビのごときマロールをボイルして、マ・ティノとオンダとペレを一緒に巻いたもの。そして、ツナフレークのごときジョラの油煮漬けをマヨネーズで和えて、細切りのネェノンおよびマ・プラとともに大葉のごときミャンでくるんだものだ。後づけのタレは、梅干しのごとき干しキキとミャンでこしらえた梅しそ風で統一させていただいた。
「試食会で勲章を授かったのは、こちらのギバ肉を使った生春巻きとなりますね。せっかくですので、今日はそれ以外にも2種を準備いたしました」
「なるほどなるほど! 獣肉を食せないというフェルメス殿には、さぞかしありがたい配慮であったろうね!」
隣の卓であるフェルメスは、遠い位置から俺に優美な微笑を投げかけてきた。調書の件でお礼を言いたいのに、それは次の機会を待たなければならないようだ。
それに、数ヶ月ぶりに見る、補佐官のオーグである。オーグは相変わらず不機嫌に見えかねないほど厳格な面持ちで座しており、しきりにティカトラスの様子をうかがっている。ララ=ルウはオーグがジェノスを出立する寸前ぐらいに交流を持つことができたので、そちらが同席となったのがせめてもの救いであった。
「あとは、こちらのふた品と調和を取れるような汁物料理や副菜をご準備しました。お気に召したら、幸いです」
「それでは、さっそくいただこう! いやあ、これは胸が高鳴ってしまうね!」
ティカトラスがうきうきとした面持ちで食器を取り上げたため、他の人々もそれにならった。
汁物料理は野菜や卵やキノコ類をたっぷり使いつつ、キミュスの出汁を前面に押し出したシンプルな味付けで、こちらにもギバ肉は使っていない。反面、副菜には主菜にしてもおかしくないような、ギバ肉たっぷりのどっしりとした中華風の炒め物も準備している。あとは、ツナフレークのごときジョラの揚げ焼き団子や、ギバ肉の冷しゃぶサラダなど――獣肉を食せないフェルメスとギバ肉を愛する森辺の同胞のためにバランスを取るのが、なかなかの悩みどころであったのだった。
ともあれ、メインはハンバーグカレーと生春巻きであったわけだが――乾酪入りのパテをカレーやシャスカとともに頬張ったティカトラスは、「おお!」と快哉の叫びをほとばしらせた。
「この味わいに、この食感! このような料理を口にしたのは、生まれて初めてのことだよ! この肉などはギャマの腸詰肉を思わせる食感だが、これもギバ肉であるのかね?」
「はい。部位は、舌になります。こちらのハンバーグという料理は小ぶりにすると噛みごたえが損なわれてしまうため、しっかりとした肉質である舌を使うことになりました」
「ほうほう! 硬い肉質の部位をあえて細かく刻むことで、このような食感が生まれるわけだね! とてもやわらかいのに噛みごたえはあって、実に不思議な心地だよ!」
やはり美食家だけあって、コメントもそれらしい内容であるようだ。
「それに、このシャスカ! わたしもシャスカは何度か口にしたことがあるけれど、これは似ても似つかない仕上がりだね! この粘ついた食感などは、やはりシャスカならではのものなのだろうけれど……うん! やっぱり似ていない! これほどに小さな粒がそれぞれ粘り気と弾力を持っているという、実に愉快な食感だ!」
「本当に美味ですわね。それでわたくしたちも、迷わずシャスカを買いつけることになったのですわ」
ポルアースたちが遠慮しているために、デルシェア姫が愛想よく相槌を打った。
ティカトラスはしたり顔で、「なるほど!」と首肯する。
「シャスカは東の食材でありますが、やはり美味なる料理に国の境などは存在しないのですな! この香草を主体にした味付けも、秀逸であります! いったいいくつの香草が混ぜ合わされているのか、想像もつかないほどですな!」
「ええ。南の民にはまったく馴染みのない味わいですけれど、わたくしもひと口で魅了されてしまいましたわ。ですから、ゲルドばかりでなくジギからも香草を買いつけられるように手配しておりますの」
「なるほどなるほど! それは南の方々であれば、シムの香草を口にする機会などなかなかありませんでしょうからな!」
ティカトラスはにんまりと笑いながら、ヴィケッツォのほうを振り返った。
「デルシェア姫は、このように仰っているよ! 君はこの料理をどう思うのかね、ヴィケッツォ?」
「……肉やシャスカは、美味だと思います。ですがやはりこういった味付けは、苦手に思えてなりません」
ヴィケッツォは眉をひそめながら、冷たいチャッチ茶を口に含んだ。
ティカトラスは「そうかそうか!」と大笑いする。
「そんな顔をしかめるほどの辛さではないと思うのだけれどね! やっぱり君は、幼子のように舌が過敏にできているようだ!」
「あら。ヴィケッツォ様は、香草がお苦手ですの? 東の血を引いておられるようですのに、意外ですわ」
デルシェア姫が不思議そうに口をはさむと、ティカトラスはいっそう愉快そうに口の端を上げた。
「たびたび誤解されるのですが、ヴィケッツォはシムと無関係であるのです! 彼女の母親は、ディロイアの民なのですよ!」
「ディロイアの民……聞き覚えのないお名前ですわ」
「ディロイアの民とは、渡来の民です! 西竜海においては黒き女海賊の一族として悪名を馳せておりますが、もちろん彼女の母親は海賊などではなく真っ当な商船の船員でありましたよ!」
室内に、驚愕の念が颶風のように吹きすさんだ。
「ティ、ティカトラス殿。今、渡来の民と仰いましたか? 渡来の民というのは、北の民のごとき風貌をしていると聞き及んでいるのですが……」
ポルアースが勢い込んで尋ねると、ティカトラスは「いやいや!」と手を振った。
「北の民のごとき風貌というのは、青竜神を崇めるラキュアの民のことであろうね! 確かにダームにおいても通商の大半を担っているのはラキュアの民だけれども、黒竜神を崇めるディロイアの民や赤竜神を崇めるボッドの民なども少なからず来訪しているのだよ! ただ、彼らは決して船から降りようとしないため、ダームにおいても取り引きをしている人間ぐらいしか目にする機会がないのだろう! それでおそらく、渡来の民すなわちラキュアの民という認識が広まってしまったのではなかろうかな!」
「何故にそれらの者たちは、船から降りないのであろう?」
隣の卓から、ダリ=サウティが穏やかな声音で問うてくる。
ティカトラスはにまにまと笑いながら、そちらを振り返った。
「それはね! 彼らが《アムスホルンの息吹》を恐れているからだよ! あれは齢を重ねてから罹患すると、致死率が何倍にもはねあがってしまうからね! だから、生命知らずのラキュアの民ぐらいしか、ダームの港町をうろつき回ったりはしないのさ!」
「なるほど……アムスホルンの外で生まれた人間は、幼い内に《アムスホルンの息吹》に見舞われていないため、そのような危険が生じるというわけか」
「その通り! ……そして君は、出自が渡来の民であると言い張っているそうだね、ファの家のアスタ」
ティカトラスが笑顔のまま、くりんと俺のほうに向きなおってきた。
俺よりも手前の側に座しているアイ=ファは、ティカトラスのほうをにらみすえながら青い瞳を強く光らせている。そして、ティカトラスとアイ=ファにはさまれたヴィケッツォもまた、それに対抗するように爛々と両目を燃やしていた。
「それが真実であるならば、君も《アムスホルンの息吹》を発症する恐れがある! ……それともすでに発症して、地獄の苦しみを味わわされたのかな? そこのところは、フェルメス殿の調書にも書かれていなかったようなのだよねぇ」
「いえ、それは……」
「まあいいさ! わたしは外交官でも監査官でもないからね! わたしにとって重要であるのは、君が優れた料理人であるということだ! やはりダカルマス殿下の舌に間違いはなかった! 君こそが、ジェノスで一番の料理人であるのだろう! 君の優れた手腕にありったけの敬意を表させていただくよ、アスタ!」
周囲のどよめきなどどこ吹く風で、ティカトラスは無邪気な笑い声を響かせた。
そんな中、フェルメスは優美な微笑をたたえつつ――その神秘的なヘーゼルアイで、ティカトラスの横顔をじっと見つめていたのだった。