西の果ての道楽者⑥~招待~
2022.4/16 更新分 1/1
「……そんなわけでな。デルシェア姫とジェムドのおかげで、ティカトラスって貴族の人となりがずいぶんわかったように思えるよ」
俺がアイ=ファにそのような報告をしたのは、その日の晩餐の刻限においてであった。帰り道は何かとせわしなかったため、なかなか込み入った話をする時間も作れなかったのである。
「確かにティカトラスってお人は、20人どころか30人近い子供をこしらえてるらしくってな。その男性のほとんどは、武官か船員として働いてるらしい。どうやら、自分の遺せる財産なんてたかが知れてるから、野垂れ死にたくなかったら手に職をつけろっていう教育方針らしいよ」
「……では、女の子供らは?」
「女性陣は、おおよそ侍女とかだってさ。どうやら7、8人ばかりもいる側妻ってのはみんな同じ屋敷で暮らしていて、新しい子供が産まれると総出で侍女としてのたしなみや心得を習得させるらしい。その側妻たちも、半分ぐらいは侍女の出であるみたいだしな」
「……しかしそれでも、貴族の子は貴族とされるものなのではないのか?」
「いや。俺もよくわからないんだけど、ティカトラスは公爵家の相続権ってやつを正式に放棄してるらしくってさ。ティカトラス自身はまぎれもなく公爵家の人間なんだけど、その子たちには何の継承権も発生せず、ただティカトラス個人の財産だけを相続できるっていう立場らしい。で、ティカトラスは官職にもつかず、自分の持ち物である船の交易で莫大な財をなしてるみたいだから……一代限りの貴族っていう身分を携えた大商人みたいなものなのかもしれないな」
「……かえすがえすも、私には理解の及ばぬ話であるようだ」
晩餐を食しつつ、アイ=ファは力なく首を横に振った。
「それに、デギオンにヴィケッツォなる両名までもが、あやつの子であるという話もな。……それはまぎれもなく、真実であるのだな?」
「うん。ふたりもまったく隠す気はないみたいだから、確かな話だと思うよ。で、これは俺の推測なんだけど……あのふたりもダームのお屋敷に戻ったら、ティカトラスときちんと親子らしい交流を持ってるんじゃないのかな。なんか言動の端々に、ティカトラスに対する情愛みたいなものを感じたんだよ」
「それは、私も感じていた。どうしてこのように酔狂な主人に、これほど忠実な従者がついているのだろう、とな。しかし、親子であったなら、得心がいく。あやつらはおそらく、親子の情を忠誠心の源としているのであろう」
「森辺の家長のお供をする男衆みたいなものか。それにしても、驚きだよなぁ」
「驚くというよりも、呆れるばかりだ」
アイ=ファは深々と息をついてから、足もとの何もない空間に手をさまよわせた。
俺が「どうしたんだ?」と尋ねると、アイ=ファは真っ赤になって「なんでもない」と言い捨てる。
「いや、なんでもないって感じじゃなかったけど……俺たちの間に隠し事はなしって話じゃなかったっけ?」
「……無意識の内に、果実酒の土瓶を探ってしまったのだ。お前を家人に迎える前は、このあたりに土瓶を準備していたからな」
「ええ? アイ=ファが果実酒を欲しがるなんて、珍しいな! 食料庫に行けば、料理用のお酒を各種取り揃えてるぞ」
「よい。お前さえいれば、酒など不要であるのだ」
アイ=ファは赤い頬をしたまま怖い顔をして、木皿の回鍋肉を口の中にかきこんだ。
「でも、無意識に果実酒を求めたってことは、何か気に入らない話でもあったのかな?」
「気に入らないというよりは……やはり、理解が及ばないというだけだ。何名もの伴侶を迎えているばかりでなく、それらの女衆と子供らが同じ家で睦まじく暮らしているなど……森辺の民には、とうてい理解し難い話であろう」
「ああ、うん。森辺の民じゃなくっても、そうそう理解は及ばないと思うよ。でもまあ、一夫多妻が許されるなら、理想的な生活かもしれないけどな」
「……ほう。お前もそのような生活を羨ましく思うわけか?」
「思わない思わない! 俺はひとりの相手を想うだけで手一杯だよ!」
アイ=ファはさらに顔を赤くして、鋭くのばした人差し指の先端で俺のこめかみを小突いてきた。普段よりも厳しいお仕置きであったので、それだけ俺の発言が不適当であったのだろう。
「あいててて……ただな、羨ましいとはこれっぽっちも思わないけど、少しだけティカトラスってお人を信用できるようになったと思うよ。もしあのお人が本当に下らない人間だったら、そんなにたくさんの側妻や子供たちに愛されるとは思えないからな」
「それはあくまで、お前の憶測であろうが?」
「うん。でも少なくとも、デギオンとヴィケッツォはティカトラスにまぎれもない情愛を抱いてるっぽいだろ? そんな突拍子もない環境で生まれ育っても、きちんと親子の情を深められたんなら……やっぱりそれは、すごいことなんじゃないのかな」
それにデルシェア姫は、船員たちがティカトラスを敬愛していると言っていた。彼の子供たる船員たちも、それを押しつけられた船長たちなども、同じようにティカトラスを敬愛しているのだとしたら、それはやっぱり大した話なのだろうと思えてならなかった。
「それにな、ティカトラスは自分の死後も屋敷が人の手にわたらないように、きちんと手を打ってるって話なんだよ。それで、母たちが老いたら面倒を見るのはお前たちの役目だぞって、普段から子供たちに言い含めてるらしい。それもあって、子供たちには自立をうながしてるわけだな。だからまあ、ティカトラス自身もただ好き勝手に生きてるわけじゃなく、愛した相手が健やかに過ごしていけるように心を砕いてるってことなんじゃないのかな」
「わかった。もうよい。確かにあの男は、決して悪人ではないのだろう。大きく分ければ、ダカルマスと同類なのであろうと思う」
「ダカルマス殿下? ……ああ、本人に悪意はなくても、周囲の人間に苦労をかけることはあるってことか」
「うむ。我々はすでに、十分に大きな苦労を背負わされているからな」
そうしてアイ=ファは、再び深く溜息をついた。
「しかしその苦労も、まずは明日までだ。その翌日には晩餐会を開こうと目論んでいるそうだが……今の苦労を思えば、何ほどのことでもあるまい」
「うん。何刻もただ座ってるだけなんて、本当に大変な役目だよな。今日もずっとそんな感じだったのか?」
「うむ。口をきくことも、水を飲むことも許されん。許されるのは、まばたきをすることのみだ」
「本当に大変だなあ。……でも、どんな絵になるのか楽しみだよ」
俺がそんな言葉を口にしてしまうと、アイ=ファはきょとんとした。
「いったい何が楽しみだというのだ? 絵など、しょせんは絵であるのだぞ?」
「うん。でも、他ならぬアイ=ファの絵だからな」
俺はそのように言葉を重ねたが、やっぱりアイ=ファにとっては理解の外であるようであった。
「まあ、それはともかくとして……お前の心が少しでも安らいだのならば、デルシェアとジェムドには感謝せねばならんな」
「うん。きっとジェムドなんかはフェルメスの命令で、ティカトラスの行状を俺たちに伝えてくれようとしたんだと思うよ。口の重いデギオンとヴィケッツォにいい感じで質問を投げかけて、どんどん話を広げていってくれたからな」
「うむ。あやつが自らそのような真似に及ぶとは思えぬので、フェルメスの命令と考えるのが妥当であろうな。……それに、デルシェアも似たような心情だったのではないだろうか?」
「ああ、そうそう。デルシェアはデルシェアで、俺たちの前でティカトラスの本性を暴こうとしてるみたいに思えたんだよ。それで余計に、話を広げることができたわけだな」
「フェルメスにデルシェア。お前に執心する両名が、そのように力を添えてくれたということだ。それもお前が、あやつらと正しく絆を深められたゆえであろう」
と、アイ=ファは優しい眼差しになりながら、苦笑めいた表情を浮かべた。
「私もお前を見習いたく思うが……今のところは、余計な苦労をかけられたという思いしか抱いていない。私のように不出来な人間には、なかなかに荷が重い試練であるようだ」
「でも、アイ=ファだったらきっと大丈夫さ」
「うむ。家人の前で、ぶざまな姿は見せられぬからな」
そのように語るアイ=ファは、昨日よりも少しだけ安らいだ表情になっているように感じられた。
フェルメスとデルシェア姫のおかげで獲得できた新たな情報が、どこまでその役に立っていたかはうかがい知れないが――何にせよ、俺としてはアイ=ファの背負った苦労が正しい形で報われるように願うばかりであった。
◇
そして翌日の灰の月の7日も、何事もなく過ぎ去って――肖像画のモデルになるというアイ=ファの使命は、ひとまず終了することに相成った。
「約定通り、3日間で君の美しさを心に焼きつけることがかなったよ! あとはこの心に渦巻く熱情に従って、絵筆を走らせるのみだ! 明日までには必ず完成させてみせるから、どうか楽しみにしていておくれ!」
別れ際、ティカトラスはそのように語らっていたらしい。
帰り道にそれだけ告げて、アイ=ファは森辺に帰っていった。その顔がとても清々しげな表情をたたえていたため、俺も屋台で働きながら安堵の息をついたものである。
明日が晩餐会ということで、アイ=ファはその日を半休の日と定めていた。もう灰の月の初日から7日連続で働くことになるため、そろそろ猟犬たちに休息が必要であったのだ。そうして翌日からは、リッドの狩り場で仕事を果たすらしい。すっかりティカトラスのほうにかまけてしまっていたが、ギバ寄せの実とギバ除けの実を使った新たなギバ狩りの作法というやつは、ラン家の人々に大きな感銘を与えたようだった。
同じ技を習得したダリ=サウティたちは現在、自分たちの狩り場で血族に伝授しているさなかとなる。サウティとヴェラは灰の月の10日まで生鮮肉を販売する当番であるため、その日を目処に血族への伝授を果たし、それから血族ならぬ氏族へと広めていく予定であるのだ。ラッツとベイムとダイの血族も北の一族およびヴィンの血族と家人を預け合い、血抜きをしていないギバ肉の扱いを伝授しているさなかであるし――ティカトラスの来訪とは関わりなく、森辺の民たちは果たすべき仕事をぬかりなく果たしているのだった。
そうして灰の月の7日は、平穏なまま幕を閉じ――灰の月の8日である。
晩餐会の開催については、族長たちからも了承を得ることができた。また、族長筋にも招待の話が持ちかけられたので、いつも通りの顔ぶれがそれに応じることになった。すなわち、ダリ=サウティ、ジザ=ルウ、ゲオル=ザザの強力なトリオである。何せこの段階では、いまだにルド=ルウとシン=ルウとリャダ=ルウぐらいしか、ティカトラスと顔をあわせていないのだ。族長筋の面々はティカトラスの来訪8日目にして、ようやく対面の機会を授かったのだった。
「わたしたちは、別の場所で晩餐を取ることになるのですよね? 残念なような、ほっとしたような……なんだか、複雑な心地です」
晩餐会の準備は屋台の商売の後でも十分に間に合うはずであったので、本日も営業を敢行している。そのさなかにそんな声をあげたのは、初日にファの家でティカトラスたちと対面していたレイ=マトゥアである。晩餐会に参席するのは族長筋とファの家の面々のみと定められたため、他のかまど番は別の場所で晩餐を取る手はずになっているのだ。
ダリ=サウティのお供となるサウティ分家の末妹は生鮮肉の販売を受け持ったのち、帰りがけにルウ家に寄って、俺たちと合流している。そちらはうきうきとした様子で青空食堂の手伝いに励んでいたが、それもティカトラスの実態を知らぬがゆえの昂揚なのかもしれなかった。
(だけどまあ、話に聞くだけだと、ティカトラスの厄介さは伝わりにくいんだろうな)
ティカトラスは手当たり次第に森辺の女衆を従者にスカウトしようとしたが、きっぱり断れば話がこじれたりもしない。また、アイ=ファに対する求愛も同様である。「誘うのは自由・断るのも自由」というティカトラスのスタンスは、それほど森辺の民の反感を招いていないようだった。
が、いざ本人を目の前にすると、少なからず印象が違ってくるだろう。それが、レイ=マトゥアとサウティの末妹の差として表れているのだ。
(俺も控えの間でジェムドたちと語らってたときには、ティカトラスの印象がいい方向に傾いたもんな)
しかし再び彼の気ままな言動を目の当たりにすれば、そんな印象も薄れてしまうに違いない。アイ=ファの言う通り、ティカトラスは吟遊詩人のニーヤと似たタイプであるのだ。極度に芸術家気質の人間というものは、なかなかに扱いが難しいように思えてならなかった。
それにティカトラスはダカルマス殿下のように、悪意なく周囲を振り回すタイプであるようだし――なおかつ俺は、出会った当時のカミュア=ヨシュとも少なからず共通点を見出していた。あの自由奔放で恐れを知らないたたずまいは、出会ったばかりで内心の知れなかった頃のカミュア=ヨシュを思い出させてやまないのだ。
(カミュアとニーヤとダカルマス殿下の特徴をあわせもったお人なんて、そんなの厄介じゃないわけないもんなぁ)
そんな想念を胸に、俺はその日の仕事をやりとげた。
後片付けをしていると、日中の護衛役をつとめる面々が荷車でやってくる。それはアイ=ファと同様に半休のスケジュールで仕事を切り上げた、ランの狩人たちであった。
「やあ。ジョウ=ランも来てくれたんだね」
「もちろんです。でも、城下町まで出向くのはひさびさのことですね」
そんな風に応じながら、ジョウ=ランはにこにこと笑っている。きっと行きがけに、屋台村でユーミと語らってきたのだろう。ユーミが自宅に戻って今日で8日目となるため、また近日中にラン家で預かる話が持ち上がるはずであった。
護衛役は、アイ=ファとジョウ=ランを含めて4名だ。あまり人数を増やすと晩餐の準備をする俺たちの負担になってしまうし、もはやティカトラスがらみで荒事になる可能性はきわめて低かろうと見なされていたのだった。
いっぽう、晩餐会に参席するかまど番は俺とララ=ルウ、トゥール=ディンとサウティの末妹の4名で、それ以外のお手伝いはレイナ=ルウ、ユン=スドラ、マルフィラ=ナハム、レイ=マトゥアとなる。晩餐会の参席者は総勢で20名に及び、そちらに参席しないかまど番と護衛役の晩餐まで準備することを考えると、これぐらいの人数が必要になってしまうのだった。
屋台の返却はガズの女衆やマイムたちにお願いして、俺たちは2台の荷車で城下町を目指す。城門で待ちかまえていたのは、またもやお馴染みの初老の武官だ。そうしてトトス車で送り届けられたのも、2日前と同じく白鳥宮に他ならなかった。
浴堂で身を清めたのちも、べつだん着替えは準備されていない。まあ、晩餐会に参席する人間は、また準礼装に着替えなければならないのだ。今日のアイ=ファはどのような衣装であるのかと、俺はひそかに楽しみにしていた。
そうして厨に出向いてみると――そこに待ち受けていたのは、ちょっとひさびさであるプラティカとニコラ、それにデルシェア姫と護衛の武官たちであった。
「やあ! 今日はひさびさに、調理の見学をさせてもらうからね!」
デルシェア姫は褐色の髪をアップにまとめて、男の子のような身軽な装束を纏っている。デルシェア姫のそんな姿も気安い喋り方も、ずいぶん懐かしく感じられてならなかった。
「あ、アイ=ファ様もお疲れ様! いったいどんな肖像画ができあがったのか、楽しみなところだね!」
「私はべつだん、そのようなものに関心は抱いていないが……先日はアスタたちが世話になったそうで、お礼の言葉を伝えたく思っていた」
「んー? わたしは別に、なんの世話を焼いた覚えもないよ! だけどまあ、あんまり厄介なお人に留学の邪魔をされたくはなかったからね!」
おひさまのように笑いながら、デルシェア姫はそのように言いたてた。
「とりあえず、厄介は厄介だけど厄介すぎるわけではないって感じかな? アイ=ファ様も、あんなお人に求愛されちゃって大変だったね! ……まあ、アイ=ファ様が貴族の側妻なんかになることはないって信じてたけどさ!」
デルシェア姫の無邪気な笑顔に、アイ=ファは複雑そうな面持ちで「いたみいる」とだけ返した。デルシェア姫は俺とアイ=ファの間に存在する絆を察知しながら、それでもなお俺などに懸想してしまい――そうして自らその想いを断ち切ったという、ユン=スドラと似たような立場であったのだ。
「まあ挨拶はこれぐらいにして、どんどん作業を始めちゃってよ! 今まで我慢してた分、じーっくり拝見させてもらうからね!」
「はい、承知しました。……プラティカとニコラも、どうぞよろしくお願いします」
プラティカはいつも通りの凛々しさで、「はい」と応じてくる。
しかし、そのかたわらにたたずむニコラは――心ここにあらずといった雰囲気で頭を下げるばかりであった。
「どうしました、ニコラ? 体調でも悪いのでしょうか?」
俺がそのように呼びかけると、ニコラは「え?」と見返してくる。その顔に普段の張り詰めたものはなく、どこか茫洋としているように感じられた。
「あ、いえ……なんでもありません。どうぞわたしのことはお気になさらず、作業をお進めください」
本人がそのように言うのなら、俺も無理に詮索はできない。そうして俺が後ろ髪を引かれながら作業を開始すると、さりげなく近づいてきたプラティカが耳打ちしてきた。
「ニコラ、個人的な事情、抱えています。時期、至ったならば、打ち明けられる機会、あるでしょう。それまで、お見守りください」
プラティカの紫色の瞳には、とても真剣な光がたたえられている。ふたりは何かと行動をともにする機会が多いので、すっかり絆を深められたのだろう。
「わかりました。詮索はしません。ただ……ティカトラスに関係あるかどうかだけ、お聞かせ願えますか?」
「関係、いっさい、ありません」
であれば、なおさら早急に問い質す理由はない。俺はプラティカにお礼を言って、作業に集中することにした。
2名の狩人は扉の外に出ていたが、かまど番が8名に、護衛役が2名に、見物人が武官のロデを含めて4名という人数であるため、厨はなかなかの人口密度である。そんな中、なかなか口をつぐんでいることのできないデルシェア姫のお相手を買って出たのは、ララ=ルウであった。
「ね、デルシェアは南の王都でもティカトラスって貴族の風聞を耳にしてたんでしょ? そっちでも、そんなに悪い風聞は出回ってなかったの?」
「うん! 貴族でありながら商人みたいに独自で販路を切り開く豪気なお人だって、けっこう評判になってたよ! きっとあのお人は貴族の生まれじゃなくっても、ひとかどの人物になってたんじゃないのかな!」
「ふーん。でも、そいつ自身が南の王都に乗り込んだわけじゃないんでしょ?」
「うん! でも、船団の船長たちに指示を送ってたのは、ティカトラス様みたいだからね! たぶんあのお人は、自分の欲望をうまく商売に重ねることができたんだよ!」
「自分の欲望?」
「あのお人は、美しいものや美味しい料理を愛してるんだって公言してるでしょ? だから、ジャガルの立派な品や食材なんかを手に入れるために、商売を成功させようって意欲に燃えてたみたいだね! それが大当たりして、今ではダームでも指折りで大きな船団の責任者にまで成り上がったのさ!」
「へー。でも、子供たちに遺せるものはそんなにないとか言ってたんじゃなかったっけ?」
「それはきっと、妻子が多すぎるからじゃないかなぁ。あとはまあ、稼ぐのと同じ勢いで豪遊してるのかもね! このジェノスでも、飛蝗の被害にあったダレイムのために物凄い額の銀貨を寄付したって話だしさ!」
それは俺も、初耳のことであった。ララ=ルウは「へえ」と目を見開いている。
「そいつは知らなかったよ。意外に善良な部分もあるんだね」
「あはは。意外かな? でもまあ確かに、善良というよりは……やっぱり豪気ってほうが合ってるかもね! とりあえず、思ったことはすぐ口にするお人だから、裏表はいっさいないんだと思うよ!」
デルシェア姫の楽しげな声を聞きながら、俺はプラティカに問いかけてみた。
「プラティカは、もうティカトラスとお会いしたのですか?」
「いえ。ポルアースから、近日中、引き合わせる、言われていましたが……今もなお、保留中です」
すると、すかさずデルシェア姫がこちらに向きなおってきた。
「それはねー、ティカトラス様のほうがそれどころじゃなかったからだよ! いまだにティカトラス様とご挨拶できたのは、侯爵家の方々を除くとポルアース様だけみたいだしね!」
「え? 他の伯爵家の方々は、まだご挨拶もできていないのですか?」
「うん! だって、最初の2日間はアイ=ファ様に側妻の件を断られたことで嘆き悲しんでたし、次の日はアイ=ファ様に肖像画の件を了承してもらえるか気に病んでたし、その次の日は了承をもらえたことで浮かれきってたし……それ以降はこの宮殿に閉じこもって、絵画ざんまいでしょ? 他の人たちと交流を深める機会なんて、これっぽっちもなかったみたいだよ!」
「つまり、それだけアイ=ファに夢中だったってわけか」
ララ=ルウが呆れた様子で肩をすくめると、他の面々はこっそりアイ=ファのほうをうかがった。アイ=ファ自身は、仏頂面で頭をかき回している。
「ティカトラスという貴族はそれだけの執心を、肖像画というものに込めたわけですね。それがいったいどのような仕上がりであるのか、俺も気になるところです」
ジョウ=ランが呑気な声をあげると、アイ=ファはじろりとそちらをねめつけた。
「いったい何が気になるというのだ? 絵など、しょせん絵ではないか」
「ライエルファム=スドラもそのように言っていましたけれど、俺は期待してしまうのです。城下町に飾られている絵なんて、みんな素晴らしい出来栄えではないですか?」
「……たとえ私とそっくり同じ姿が描かれていたとしても、そのようなものは薄気味悪いだけだ」
「描かれるほうは、そうなのかもしれませんね。でも俺たちは、ユーミのおかげで歌というものの素晴らしさを知ったでしょう? 絵というものにも俺たちの心を震わせられるような力が生じるものなのかどうか、とても気になるのです」
「あなたはとっても進歩的な考え方をしてるんだね! わたしもティカトラス様がどんな肖像画を描きあげたのか、とても楽しみにしているよ!」
デルシェア姫が元気いっぱいに声をあげると、ジョウ=ランは残念そうに眉を下げつつ微笑んだ。
「でも俺は、晩餐会に参席できないのです。護衛も不要と言われていますので、きっとその絵を目にすることはできないのでしょう」
「あ、そーなの? だったら、わたしから頼んであげるよ! ちらっと見るぐらいなら、きっとティカトラス様も許してくれるだろうからさ!」
「本当ですか? ありがとうございます」
ジョウ=ランは瞳を輝かせて、デルシェア姫と笑顔を見交わす。さすが森辺の変わり種となるジョウ=ランは、さして面識もないジャガルの王族ともすみやかに意気投合できるようである。
そんな感じで、晩餐会の料理の準備は賑々しい空気の中で進められていったのだった。




