レイとサウティの逗留⑨~思わぬ真情~
2022.3/29 更新分 1/1
・今回の更新はここまでです。更新再開まで少々お待ちください。
しばらくして、すべての敷物は広場の端へと寄せられて、スペースの空けられた中央では狩人の力比べが始められることになった。
もちろん余興の力比べであるが、もともとこの場に集まっていたのは午前中の力比べに参じていた顔ぶれであるのだ。ここ数日の修練の成果を見せるべく、多くの人々が闘志をたぎらせている様子であった。
広場のスペースには限りがあるため、1度に対戦できるのは3組までだ。俺や女衆たちはそれを取り囲む敷物に座して、晩餐の残りをつまみながら観戦する格好であった。
アイ=ファは着替えをするためにいったん母屋に戻ったため、まだ姿はない。俺の目の前で力比べを始めたのは、ラウ=レイとダリ=サウティだ。
さきほど語られていた通り、ダリ=サウティの強さというのは際立っていた。森辺においても特筆するぐらい大柄な体格でありながら、ダリ=サウティは力を受け流す技にも長けており、ルウの血族で屈指の力を持つラウ=レイをも寄せつけなかったのだ。
手空きの男衆らは吠えるような歓声をあげており、女衆らも瞳を輝かせながら見入っている。これでは本当に祝宴そのものだなと、俺はひそかに感慨深く思っていた。
(まさか本当に、ファの家でこんな騒ぎを目にできるなんてな)
ファの家は昨年の大地震で母屋を立て直すことになったため、家の周りの樹木を伐採されている。それでこれだけの人数を収容できる広場を手中にすることになったのだ。
しかし6氏族の合同収穫祭を行うには広さが足りていないため、これまで活用する機会がなかった。それが期せずして、このような賑わいを迎えることに相成ったのだった。
(他に血族を持たないファの家に、こんなにたくさんの人たちが集まってくれるなんて……本当にありがたい話だよな)
俺がしみじみとそんな想念にひたっていると、別の敷物からランの女衆が駆け寄ってきた。
「ユーミ! あちらでジョウ=ランがミダ=ルウに挑むようです! ともに見届けてあげましょう!」
「えー? ミダ=ルウなんて、ジョウ=ランの倍以上も目方がありそうじゃん! いくら何でも、厳しいんじゃない?」
そんな言葉を残して、ユーミはその女衆とともに駆け去っていった。
おおよその女衆には血族やごひいきの男衆があるために、余所でも頻繁に移動がされているようだ。それでいつしか、俺の座していた敷物は無人となり――そこに、ヤミル=レイがふわりと腰を下ろしてきたのだった。
「あ、どうも。ラウ=レイは残念でしたね」
俺がそのように声をかけても、ヤミル=レイは答えようとしなかった。
敷物で横座りになり、近い場所で始められた力比べを見るでもなしに見やっている。そうして10秒ぐらいも沈黙を保ってから、ヤミル=レイはふいに低い声をもらした。
「……わたしはあなたに詫びるべき立場であるのかしら?」
「え? いや、そんなことはないかと思いますけど……最初の日の夜から、ヤミル=レイはずっと普通に過ごしておりましたしね」
「そう。でも、その日の朝にはぶざまな姿を見せてしまったわよね」
ヤミル=レイは、羞恥心に苛まれている様子もなかった。
ただ、いつだったかの夜にも見せていたような――自分自身でも表情の選択をしかねているような面持ちである。
「でも、そもそもの始まりは、あなたであったのよ。《銀の壺》を見送る祝宴の日に、宴料理の準備をしているさなか、あなたがわたしなんかに余計な情けをかけるから……わたしはこれほどにぶざまな姿をさらすことになってしまったのだわ」
「俺が余計なことをしてしまったのなら、お詫びします。どうにか許していただけませんか?」
「そら、それよ。あなたがそのようにへりくだるから、わたしは気持ちのぶつけどころを見失ってしまうのよ」
そんな風に言いながら、ヤミル=レイは片膝を立てて、そこに頬杖をついた。
「でも……さらに突きつめるなら、あんなことで心を乱すわたしのほうがどうかしているという話よね。我ながら、子供じみた真似をしていると思っているわ」
「いえいえ。ヤミル=レイにもヤミル=レイなりのご苦労があるのでしょうから――」
「あなたがそうやって人の失敗をも呑み込んでしまうから、わたしはこのような気持ちになってしまうのじゃないかしら?」
俺の言葉をさえぎって、ヤミル=レイはそのように言葉を重ねた。
「きっとそれは、あなたにとっての美点なのでしょう。それとも、器量というべきかしら。あなたは誰のどんな思いも、その器に受け入れることができるから……これほど多くの人間に信頼されているのでしょうね。それを心苦しく思うのは、わたしのような偏屈者だけということよ」
「ヤミル=レイが心苦しく思っているなら、俺も行いをあらためたく思うのですが……こんな物言いも間違っているということでしょうか?」
「あなたは間違ったりしない。間違いを犯すのは、いつもわたしのほうであるのよ」
「そんなことは、絶対にないと思います。ヤミル=レイは、森辺でも指折りで聡明な御方だと思っておりますよ」
「聡明が、聞いて呆れるわ」と、ヤミル=レイは前髪をかきあげた。
その手が途中で止められたために、ヤミル=レイの表情が腕の陰に隠されてしまう。
「けっきょく、わたしは……人に心を見透かされるのが耐え難いというだけのことなのよ。だからこんな風に、あなたのことを憎たらしく思ってしまうのだわ」
「ヤミル=レイに憎たらしく思われるのは、悲しいことです。というか、俺はヤミル=レイの心を見透かしたりはしていないように思うのですけれど……」
「でも、あなたはわたしをあのおしゃべりな三姉妹から救ってくれたじゃない」
「あれはまあ……あの方々に3人がかりで責めたてられれば、誰だって居たたまれないでしょう? 他の誰が困っていたとしても、俺は同じように行動していたと思います」
「そこね」と、ヤミル=レイは物思わしげな声でつぶやいた。
「今までのわたしだったら、あんなおしゃべりなんかに困らされることもなかったし、あなたに救われたなんていう気持ちを抱くことにもならなかった。だからやっぱり、問題はわたしの側にあるということよ」
「ええと、今ひとつ話が見えないのですが……」
「わたしは余人から婚儀の話をせっつかれたくないの。わたしは自分だけで、自分の心を見定めたいのよ。それはべつだん、森辺の民として間違った心情ではないはずだわ」
俺はついつい、「ああ」と微笑んでしまった。
「そうですね。俺もまったくの同感です。だからこそ、俺もついつい黙っていられなくなってしまったのですよ」
俺がそのように答えたとき、ひときわ大きな歓声がわきたった。着替えを済ませたアイ=ファが、広場に戻ってきたのだ。
数多くの狩人がその場に殺到しかけたが、それを蹴散らすようにしてラウ=レイが進み出る。この場からは5メートルていどの距離があったが、ラウ=レイの水色の瞳が爛々と燃えているのが見て取れた。
「……あなたは余人から婚儀をせっつかれる辛さを思い知らされているから、黙っていられなかったということ?」
アイ=ファとラウ=レイの力比べを見守りながら、ヤミル=レイがまた口を開いた。
「わたしの知る限り、ルウの血族でそんな話を持ち出そうとするのは、うちの家長とルド=ルウぐらいのものだけれど……ファの近在には、そんなにおせっかいな人間が多いのかしら?」
「いえ、何もせっつかれているわけではないのですが……俺とアイ=ファは複雑な関係なものですから、誰にも干渉されたくないという気持ちが先立ってしまうんだと思います」
「複雑って? アイ=ファは狩人として生きることを選び、誰とも婚儀をあげないと決めているのでしょう?」
「はい。でもまあ、男衆だっていつかは狩人としての仕事から身を引くわけですから……」
ラウ=レイは、ラウ=レイなりに緩急をつけた動きでアイ=ファを攻めたてている。その気迫のこもった猛攻に、多くの人々が歓声をあげていた。
「なるほど……それじゃあアイ=ファが狩人としての仕事から身を引いたら、あなたと婚儀をあげようという心づもりなのかしら?」
「いやまあ、それはちょっと、アイ=ファのいない場では語れません」
「アイ=ファがいたら、なおさら語れないでしょうに」
ヤミル=レイは忍び笑いをもらしながら、ようやく表情を隠していた腕を下におろした。
そうして俺のほうを見たヤミル=レイは――いつも通りのクールな微笑をたたえている。ただその切れ長の目には、妙に子供っぽい光がたたえられているように感じられた。
「今のあなたはとても困った顔をしているようだわ、アスタ」
「ええまあ、そうでしょうね。だから、婚儀にまつわる話は苦手なのですよ」
「そう。だからあなたは三姉妹にとやかく言われるわたしに同情して、あのように振る舞ったというわけね。なんだか……ようやく腑に落ちたわ」
俺の顔を真っ直ぐ見つめながら、ヤミル=レイはそう言った。
「最近のあなたは、なんだか鼻についたのよ。やることなすこと、すべてが正しくて……まるで、この世の間違いを正すために神から遣わされた存在のように思えるほどであったのよね」
「それはあまりに、大げさですよ。俺なんて、ちっぽけな人間です」
「ちっぽけな人間が、これほど頑迷な森辺の民をこうまで変えられるわけがないじゃない。あなたは、大した人間よ。いえ、そんな簡単な言葉では済ませられないぐらい、すごく特殊な存在であるのよ。それが、わたしには……いささかならず、薄気味悪く思えるほどであったのよね」
子供っぽい光をたたえていたヤミル=レイの瞳に、一瞬だけ鋭く冷たい光が瞬いた。
「だからわたしは、あなたの器量に呑み込まれたくなかった。それじゃあザッツ=スンに従っていたときと同じなのじゃないかと思ってしまったものだからね」
「お、俺がザッツ=スンと同じような存在だと仰るんですか?」
「ザッツ=スンは恐怖と絶望で人を縛っていたけれど、あなたは希望の光で人を虜にしているわ。あなたたちはまったく正反対の存在でありながら、同じぐらい強い力を持っているように思えるのよ。だけどわたしはもう2度と、そんな力の奔流に呑み込まれたくはなかった。だから……あなたを憎み、遠ざけるべきかと考えてしまったのよね」
そんな風に語りながら、ヤミル=レイの瞳にはまた無垢なる輝きが戻されていた。
「裏を返すと、わたしはあなたに魅了されかけていたということよ。あなたにすべてをゆだねてしまえば、どんな苦しみからも解き放たれるんじゃないかって……そんな妄念に取り憑かれかけていた自分に、ぞっとしたわけね。それで、あなたに心を見透かされるなんて我慢がならないと、必要以上に心を乱してしまったわけよ」
「……まさか、ヤミル=レイがそんな風に考えていただなんて、俺は夢にも思っていませんでした」
「でしょうね。実のところ、わたしもこの5日間でようやく自分の心を見定めることができたのよ。自分がどうしてこれほどまでに、心を乱してしまっているのか……どうしてこんなにあなたのことが憎たらしくて、それと同じぐらい愛おしく思えてしまうのか……さんざん頭を悩ませたけれど、ようやく自分なりに納得することができたわ」
ヤミル=レイはクールに微笑みつつ、広場の中央へと視線を戻した。
アイ=ファとラウ=レイの熱戦は、まだ同じ勢いで続けられている。広場に満ちた熱狂は、もはや収穫祭と変わらぬほどであった。
「でも、誤解しないでちょうだいね。あなたを愛おしいと思っても、あなたに懸想していたわけではないのよ。あなたを父親か何かのように見なして、すべての苦悩を打ち明けてしまいたい……なんて、そんな風に思いかけていたというだけのことなのよ」
「ヤミル=レイの父親なんて恐れ多いばかりですけれど、でも、どんな相談にでも乗りたいとは思いますよ」
「いえ、けっこうよ。人に心を見透かされるなんて我慢がならないと言ったでしょう? ……わたしの苦悩は、わたしだけのものよ。誰にも手出しはさせないわ」
ヤミル=レイは、彼女らしいシニカルな微笑みをたたえた。
しかしその眼差しは、あくまで澄みわたっている。
「それに、この場であなたと語らって、ようやく安心することができたわ。あなたは全能の存在なんかじゃない。こと色恋に関しては、小娘のように初心だしね」
「それはまったくその通りですよ。ヤミル=レイのお悩みが色恋にまつわるお話だったら、なんのお力にもなれないかもしれません」
「あら、お返しのつもりかしら? そういう子供じみたところも、今では可愛く思えるわ」
ヤミル=レイは咽喉で笑いながら、横目で俺を見つめてきた。
「それじゃあ、わたしもお返しをしてあげるわね。……あなたはきちんと、自分の気持ちをアイ=ファに伝えるべきよ。ほんのささやかな誤解でも、のちのち生命とりになってしまうかもしれないからね」
「ご忠告ありがとうございます。でも、俺とアイ=ファの間に隠し事はありませんよ」
「だから、この夜もそうしなさいと言っているの。……あなたはさっき、アイ=ファとダリ=サウティのやりとりに心を乱したのでしょう? たぶんあなたは、何かを誤解しているのよ」
「誤解?」と、俺が反問したとき――熱風のように、歓声が吹き荒れた。
広場の中央に目をやると、ラウ=レイが地面にひっくり返っている。そしてアイ=ファは自分の両膝に手をついて、ぜいぜいと荒い息をついていた。長きにわたって繰り広げられた戦いが、ようやく終結したのだ。
「それじゃあ、わたしは失礼するわね。……あなたと語らえてよかったわ、アスタ」
ヤミル=レイはふわりと立ち上がり、どこへともなく立ち去っていった。
そして、俺のもとには汗だくのアイ=ファが近づいてくる。
「アイ=ファ、お疲れ様。余興とは思えないような熱戦だったな」
「うむ。ラウ=レイの側に、余興という頭はないのであろうしな」
アイ=ファはどかりと腰を下ろし、長袖の胴衣の前を開いた。しかし胸あても二重でぎゅうぎゅうに巻かれているために、とても窮屈そうだ。
「……それでそちらは、何を熱心に語らっておったのだ? ずいぶん深刻げな雰囲気だったではないか」
「あんな勝負のさなかに、こっちの様子までうかがってたのか? それが一番びっくりだよ」
「……それで、何を語らっていたのだ?」
アイ=ファは今にも口をとがらせそうな面持ちであった。
長時間にわたる熱戦を終えたばかりであるので、他の狩人たちもしばらくはアイ=ファへの挑戦を控えようという構えであるようだ。ならば俺も、この場でアイ=ファの懸念を晴らさなければならなかった。
「ひと言で説明するのは、ちょっと難しいんだけどな。どうしてヤミル=レイが俺なんかの言動に心を乱していたのか、その理由を説明してもらってたんだよ。やっぱりヤミル=レイは頭が回りすぎるせいで、普通の人にはありえないような発想にまで思い至っちゃうみたいだな」
「ふむ。それで今度は、お前が心を乱されたというわけか?」
「え? いや、俺は別に心を乱されたりはしてないけど……」
「しかしお前は、どこか不安げな眼差しになっている。迷いや葛藤を抱えている証であろう」
なめらかな頬に伝い落ちる汗を胴衣の袖で拭いながら、アイ=ファは真剣な眼差しを突きつけてきた。
これは誤魔化しがきかないようであるので、俺も覚悟を固めてみせる。
「ヤミル=レイの言い分に心を乱されたわけじゃないんだよ。ただ、ヤミル=レイが最後におかしなことを言い残していって……俺が何か誤解をしているって言うんだよ」
「誤解とは?」
「それがよくわからないんだけど……力比べが始まる寸前の、アイ=ファとダリ=サウティとのやりとりについてみたいなんだよな」
俺は本当にヤミル=レイの思惑がわからなかったので、考え考えそのように答えてみせた。
「それで俺が心を乱したのは、何かを誤解しているせいだって言われたんだけど……俺にもさっぱり意味がわからないんだよ」
「お前は何か、心を乱していたのか?」
「いや。だから、余計に意味がわからないんだ。ダリ=サウティはしきりにアイ=ファのことを褒めてくれていたから、俺も誇らしい気持ちでいっぱいだったし……まあ、ほんの少しだけ切ない気持ちにもなっちゃったけど……」
「切ない気持ちとは?」と、アイ=ファがいっそう引き締まった面持ちで顔を寄せてくる。
「いや、本当に誤解しないでくれよ? 俺はとにかく、アイ=ファの望む通りに生きてほしいと願ってるんだからな」
「……私がお前の真情を疑っているとでも思っているのか?」
「いや、そんなことはこれっぽっちも思っちゃいないよ。だから、そういう大前提のもとの話だけど……アイ=ファはダリ=サウティに、まだまだこれからも狩人として新たな力を身につけていくはずだって言われて、すごく嬉しそうにしてただろ? だから、その……俺がアイ=ファと婚儀をあげられるのはまだまだ先なんだろうなって、そんな想像をしちゃっただけの話なんだよ」
あるていどの痛撃を覚悟しながら、俺はアイ=ファのリアクションを待ち受けた。
しかしアイ=ファは、俺の身にはいっさい触れようとせず――ただ一瞬で、その顔を真っ赤に染め上げたのだった。
「お前は……本当にうつけであるのだな、アスタよ」
「うん、まあ、それは否定しないけど……でも、そんなに見当違いだったかな?」
「見当違いも、甚だしい。……こちらに来るがよい」
と、アイ=ファは俺の襟首を引っつかみ、猛然と身を起こした。
そしてほとんど俺を引きずるようにして、薄明りにたたずむ母屋へと向かう。広場ではライエルファム=スドラとルド=ルウの勝負が始められて、さらなる歓声を巻き起こしていた。
そんな歓声を背中で聞きながら、俺たちは無人の母屋へと身を隠す。
人はいないが、土間では3頭のトトスが、広間では4頭の犬と1匹の黒猫が身を休めている。そんな中、アイ=ファはあらためて俺に詰め寄ってきた。
「……私は確かに、ダリ=サウティの言葉から大きな喜びの気持ちを授かった。しかしそれは、お前の考えたような理由ではない」
「そ、そうなのか? でも、他に解釈のしようはないように思うんだけど……今後も狩人として成長して、より大きな収獲を見込めるようなら、それは喜ばしい話に決まってるしさ」
「そうではない。ダリ=サウティは、いずれ私にも他なる狩人に指示を出せるだけの力が備わるやもしれんと言いたてていたのであろうが? だから、私は……」
そこでいったん言葉を切って、アイ=ファはいっそう顔を赤くした。
「だから、私は……いずれ自分の子にも、狩人として正しく手ほどきできるようになるのではないかと……そんな想念にとらわれただけであるのだ」
俺が思わず言葉を失ってしまうと、アイ=ファはさまざまな激情をはらんだ瞳で俺をにらみつけてきた。
「それなのに、お前は私が狩人としての生を長々と楽しむつもりなのではないかと、切ない気持ちに陥っていただと? 人の気も知らずに、お前というやつは……!」
「ご、ごめん。まさかアイ=ファが、そんな風に考えてたなんて……でもさすがに、あのやりとりだけでそこまで察するのは無理な話だろう?」
「しかしお前は、私の心情を見誤っているではないか」
アイ=ファの熱い指先が、俺の胸ぐらをつかんできた。
「私とて、お前を5年や10年も待たせたくはないと念じている。本当であればすぐにでも刀を置いて、お前と同じ喜びを分かち合いたいと願っているのだ」
「うん、ごめん。俺だって、アイ=ファが俺のことをないがしろにしてるなんて思ってるわけじゃないんだよ。ただ……アイ=ファには望む通りの生を生きてほしいし、俺の存在を負担に感じないでほしいだけなんだ」
「お前の存在が負担になることなど、ありえまい。それを言うなら、お前に我慢を強いている私の存在こそが、負担であろうが?」
その言葉で、俺はようやく理解することができた。
俺が幸福感の裏側に小さな痛みを抱えているように、アイ=ファもまた――同じものを心に抱えていたのである。
「……俺たちは、やっぱり似た者同士なんだな」
俺は心の奥底からわきおこってくる感情に従って、笑ってみせた。
そして、胸ぐらをつかんだアイ=ファの手に、そっと自分の手を重ねる。
「俺はアイ=ファが大好きだから、アイ=ファの負担になりたくないと思ってる。だけどアイ=ファにしてみたら、そんなのは自分の気持ちを疑われてるような心地なんだろう? ……俺も、まったく同じだよ」
「私は、お前を愛している」
アイ=ファは激情に青い瞳を燃やしながら、とても静かな声音でそれだけ言った。
俺は「ありがとう」と、アイ=ファの額に自分の額を押し当ててみせた。
「一番大事なのは、その気持ちなんだ。ちょっとした誤解やすれ違いなんて、こうしてきちんと語り合えば、すぐに解決できるんじゃないかな」
「……うむ。私たちはあまりに幸福であるがゆえに、ほんのわずかな不安や惑いだけで心を乱してしまうのやもしれんな。水瓶にいっぱいの水に垂らされた、一滴の果実酒のように……その色合いが、まざまざと際立ってしまうのであろう」
そんな風に言いながら、アイ=ファは自分の鼻先を俺の鼻先にすり寄せてきた。
「しかし、そんな果実酒の色合いは、すぐに散って消え失せよう。……私は、お前を信じている」
「俺も、アイ=ファを信じてるよ」
俺たちはわずかに触れ合った場所からおたがいの体温を感じつつ、しばらくその暗がりで過ごすことになった。
戸板の向こうからは、盛大な歓声が響きわたっている。ルド=ルウとライエルファム=スドラの勝負に、決着がつけられたのだろうか。
たくさんの客人を迎えることも、アイ=ファとふたりきりで過ごすことも、俺にとっては大きな喜びであり――そしてそれらは、決して取り換えのきかないものであるのだ。
だから俺は、ふたつの喜びを同時に味わえる今日という日の幸福感を、大事に噛みしめたかった。
そうしてレイとサウティの面々を招いた5日間は、これまで以上の騒がしさと静けさの中で終わりを迎えることに相成ったのだった。