レイとサウティの逗留⑧~ファの家の晩餐会~
2022.3/28 更新分 1/1
そして、その夜――客人たちの5日間の滞在を締めくくる、見送りの晩餐会である。
作りあげた料理を広場のほうに運び出した俺は、祝宴に負けない熱気に満ちた広場の様相にこっそり胸を高鳴らせることになった。
言うまでもなく、ファの家には屋外で晩餐を取るための設備など存在しない。広場に敷かれた敷物も、石で組まれた簡易かまども、外周に設置されたかがり火の台座も、すべて合同収穫祭で使用されている設備であった。
30名からの男衆らは、すでに敷物でくつろいでいる。それと同数の女衆らは、それぞれ料理を配膳したり簡易かまどで料理を温めたりしていた。ファの家のかまど小屋だけですべての料理を作りあげるのは難しかったため、半数ぐらいは自分たちの家でこしらえた料理を持ち寄ってくることになったのだ。
晩餐とは、それを食する家のかまどで作りあげるというのが、本来の森辺の習わしである。その習わしは二の次にされてしまっていたものの――料理を手掛けた人間は同じ場で同じものを食するという習わしは守られていることになる。何にせよ、晩餐の大切さをないがしろにしているような人間は、ひとりとして存在していないはずであった。
「どうもお待たせしました。こちらもすべての料理が完成いたしましたよ」
俺がそのように報告すると、それを聞き届けた男衆の多くが喜びの声をほとばしらせた。その中から立ち上がったのは、ダリ=サウティとアイ=ファだ。
「では、俺たちから挨拶をさせていただくか。たとえ祝宴ではなかろうとも、これほど大がかりな晩餐を挨拶もなしに始めることはできなかろうからな」
「うむ。しかし私はどのような挨拶が相応であるのかもわからんので、ダリ=サウティに取り仕切ってもらいたく思うぞ」
「うむ。そのように大仰な挨拶は必要なかろうよ」
そうしてダリ=サウティは、60名ばかりの人々が集まった広場に雄々しい声を響かせた。
「まずは、この場に集まった人間のすべてに感謝の言葉を伝えたい! まったく急な話であったが、このように立派な会で見送ってもらえることを、ありがたく思っている!」
敷物に座した男衆らが、また盛大な歓声でそれに応じる。女衆らはつつましく控えていたが、しかし彼女たちも男衆らに負けない喜びをあらわにしていた。
サウティの血族が6名に、ラウ=レイとヤミル=レイ。ルウ家からは、ルド=ルウ、シン=ルウ、ジーダ、ミダ=ルウ、ディグド=ルウに、リミ=ルウ、ララ=ルウ、マイム。ルティム家からは、ツヴァイ=ルティムとオウラ=ルティム。ラヴィッツの血族は、ラヴィッツの長兄、モラ=ナハム、マルフィラ=ナハム、そして客分たるフェイ=ベイム。――近在の6氏族を除いても、それだけの顔ぶれが集まっていた。
さらに近在からは、トゥール=ディンとゼイ=ディン、ラッド=リッド、バードゥ=フォウ、ランの家長、ジョウ=ラン、客分のユーミ、ライエルファム=スドラ、チム=スドラ、ユン=スドラ、イーア・フォウ=スドラといった面々を含む、40名近い人々が集結しているのだ。普段の祝宴よりは小規模であったものの、俺にとってはすこぶる豪勢な顔ぶれであった。
「俺たちの目的はファの両名と絆を深めながら、ギバ狩りの新たな作法を考案し、かまど仕事の力をつけることであったが……これだけ数多くの氏族の者たちと絆を深められたことを、ありがたく思っている! 今後もさまざまな氏族と家人を預け合うことになるかと思うので、その際にはまたよろしくお願いしたい! ……では、アイ=ファよ。晩餐の開始は、そちらから告げてもらいたい」
「うむ。……思わぬ成り行きになってしまったが、こうして同じ場に集まったからには、同じ喜びを分かち合いながら絆を深めてもらいたい! 森の恵みに感謝して、料理を手掛けたすべてのかまど番に礼を尽くし、今日の生命を賜らん!」
簡略化された食前の文言を、半数ぐらいの人々が復唱し、半数ぐらいの人々が歓声で応じた。かくして、祝宴まがいの晩餐会のスタートである。
おおよその料理は大皿に盛りつけられて、それぞれの敷物に届けられている。簡易かまどで火にかけられているのは、保温の必要な汁物料理や煮込み料理のみだ。30名ていどのかまど番が総出でそれらを小皿に取り分ければ、あとは全員で敷物に腰を落ち着けることができた。
「うむうむ! 形としては家長会議の晩餐に近いようだが、この賑わいは祝宴そのものだな!」
ラウ=レイはご満悦の面持ちで、料理を食していた。
ひとつの敷物につき10名ぐらいの人間が座しており、俺とアイ=ファが同席することになったのはラウ=レイとヤミル=レイ、ダリ=サウティとサウティの末妹、バードゥ=フォウとラッド=リッド、そしてジョウ=ランにユーミという顔ぶれとなる。ルウ家の面々がひとりもいないのは意外であったが、ひとまず最初は近在の氏族の方々に席を譲ろうという考えであるのだろう。どうせ後半は酒宴となって、好きなように移動できるはずであった。
「料理のほうも、祝宴に負けぬ豪勢さではないか! いきなりの話でこれだけの料理を準備できるとは、いずれのかまど番も大したものだな!」
このいきなりの晩餐会の言いだしっぺであるラッド=リッドも、満足そうに笑い声を響かせている。確かにこの場には、宴料理さながらの料理がこれでもかとばかりに並べられていた。
その中で俺が準備したのは、ただひと品。ギャマの乾酪を封入したギバ・タンのハンバーグのみとなる。俺と4名の客人たちは日没の一刻前までルウ家で勉強会であったため、ひと品だけで精一杯であったのだ。ただし、それぞれの氏族がアリアを持ち寄ってくれたために、しっかりとアリアのみじん切りも使用している。よってアイ=ファも、とても満足げな眼差しで大事そうにミドルサイズのハンバーグを食してくれていた。
同じ条件であったルウ家の4名は香味焼き、トゥール=ディンとユン=スドラとマルフィラ=ナハムは3名がかりで食後のデザートだ。あとの料理はそれ以外のかまど番たちが手掛けたものであった。
フワノでいただく海鮮カレーに、マスタードのごときサルファルやシールの果汁が添えられたギバ・カツ、野菜とキノコとギバ肉がたっぷりのミソ仕立てのスープに、サツモイモのごときノ・ギーゴを使った炊き込みシャスカなど――いずれも、非の打ちどころのない出来栄えである。
「あたしは初めて揚げ物の料理ってやつに挑ませてもらったけど、やっぱり難しいもんだね! 大事な料理を焦がしちまうんじゃないかって、ひやひやしちゃったよ!」
ユーミが元気よく発言すると、ダリ=サウティが笑顔でそちらを振り返った。
「たしかユーミは、明日までラン家に留まるのだったな。最後に晩餐をともにすることができて、喜ばしく思っている」
「こちらこそ! 族長さんとは、なかなかゆっくり語らう機会もなかったもんね! でもまあ他の族長さんたちと比べれば、けっこう言葉を交わせてるほうなんだけどさ!」
「そうなのか? ユーミはたびたびルウ家の祝宴に招かれているのであろう?」
「でも、あっちの族長さんはどっしり腰を据えてることが多いでしょ? だから、祝宴の場でもあんまり語らう機会はなかったんだよ!」
いっぽうダリ=サウティとは、ダカルマス殿下の主催する試食会や礼賛の祝宴で顔をあわせる機会が多かったのだ。これもダリ=サウティが自身の目で城下町の様相を見届けようと心がけてきた結果であった。
「それで、ラン家における生活はどうだったのであろうかな? 宿場町の民たるユーミが森辺の暮らしをどのように感ずるのか、ずっと気にかかっていたのだ」
「うん! やっぱり森辺のお人らは働き者だなーって痛感させられたよ! 朝から晩まで、何かしら仕事をしてるんだもんね! それにけっこう力仕事も多いから、あたしはへとへとになっちゃった!」
「ふむ。力仕事というと……薪割りや薪拾いなどであろうかな?」
「そうそう! でも、それだけじゃなくって……あたしにとっては、鉄鍋を運ぶのだってひと苦労なんだよね。でも、森辺ではこーんなちっちゃい子でも軽々と運んじゃうでしょ? なんか、自分が情けなくなっちゃった」
そうしてユーミが嘆息をこぼすと、にこにこ笑いながら話を聞いていたジョウ=ランが慌てて声をあげた。
「で、でも、ルウ家ではマイムだってきちんと仕事を果たしています。年若いマイムでも問題なく過ごせているのですから、きっとユーミだって――」
「いや。むしろ若い内から森辺で過ごしてるほうが、きちんと力をつけられるんじゃない? マイムがあたしぐらいの齢になる頃は、きっと今のあたしより力持ちなんだよ」
「だ、だけど、腕力がすべてではないでしょう? ユーミはこれほどに正しき心を持ち、魅力的な人間であるのですから――」
「ああもう! 人前で小っ恥ずかしいことを言いたてるんじゃないよ! あんたがあたふたしたって、しかたないでしょ!」
ユーミは顔を赤くしながら、ジョウ=ランを叩くふりをした。
「実際問題、あたしが弱っちいことは確かなんだから! それ以外の部分で頑張るしかないってことは、あたしだって重々わきまえてるよ!」
「うん。森辺の女衆はみんな力持ちだもんね。俺だって最初の頃は、頭ひとつ分も小柄なレイナ=ルウに勝てるかどうかって感じだったよ」
俺がそのように口をはさむと、ユーミは「ほんとに?」と身を乗り出してきた。
「本当だよ。でも今は、たいていの女衆に負けないぐらいの腕力のはずだって言ってもらえたんだ。森辺でしっかり働いて、ギバ肉の料理を食べていれば、誰でもあるていどの力をつけられるんじゃないかな」
「うむ! それに、森辺においても非力な女衆はいなくもないからな! ヤミルなど、このように立派な身体つきをしているのに、幼子のように非力であるのだ! もう2年ぐらいは真面目に働いているのにこの有り様であるのだから、これはもう持って生まれた資質なのであろうよ!」
愉快げに言いたてるラウ=レイのかたわらで、ヤミル=レイは知らん顔で食事を進めている。そちらを振り返ったユーミは、「えー?」と疑わしげな顔をした。
「ヤミル=レイなんて、いかにも力が強そうじゃん。ラウ=レイは自分がすごい怪力なもんだから、そんな風に思えるだけなんじゃないの?」
「そのようなことはないと思うぞ! 疑うなら、ヤミルと力比べでもしてみるがいい!」
「いやいや、そんな勝負は勝っても負けても気まずいから、やめとくよ。……それにとにかく、あたしが森辺の人らより非力だって事実に変わりはないんだからね」
そのように語りながら、ユーミは毅然と頭をもたげた。
「とにかく、あたしはあたしなりに頑張るしかないって思ってるよ。ただ、たった5日間じゃまだまだわからないことだらけだから……いったん家に戻ってしばらくしたら、またお世話になりたいなって考えてるの」
「うむ。ランの家長からも、そのように聞いている。俺たちはじっくりと時間をかけて、おたがいの存在を見定めるべきであろう」
バードゥ=フォウが落ち着いた面持ちでそのように応じると、ユーミは「よろしくお願いします」と頭を下げた。
「ふむ! やはり町の人間を家人に迎えるというのは、生半可な苦労ではないようだな! しかし俺もランの友として、しっかり見守らせてもらいたく思っておるぞ!」
しばらく食欲を満たすことに集中していたラッド=リッドが、元気いっぱいに声をあげた。
「もうひと月も経てば、俺たちは収穫祭のはずだからな! その際には、またユーミも見物におもむくがいい! 俺の家族らも、ユーミの歌を楽しみにしておるのだ!」
「えー? 森辺の娘さんたちだって、けっこう歌を覚えたんでしょ? あたしがしゃしゃり出る必要はないじゃん!」
「いやいや! それでもまだまだユーミの技量には及ぶまい! この夜とて、多くの人間がユーミの歌を心待ちにしているはずだぞ!」
「はい。もちろん俺も、横笛を準備してきましたよ」
ジョウ=ランが笑顔で口をはさむと、ユーミはまた右の拳を振り上げた。
「あー、叩きたい! あたしはどれだけ腹を立てたら、こいつを叩くことが許されるんだろ!」
「それにはまず、ランの家人になることであろうな。あとはランの家長次第であろう」
苦笑まじりに言いながら、バードゥ=フォウはユーミとジョウ=ランの姿を見比べた。
「しかし4日が過ぎても、ふたりの様子に変わりは見られんようだ。これはやはり、腰を据えておたがいの存在を見定めるべきであろうな」
「本当にね! こんな腹の立つ相手を伴侶にできるかどうか、あたしもじっくり見定めさせてもらうつもりだよ!」
そうして顔を赤くしながら、ユーミは俺たちの姿を見回してきた。
「ていうか、さっきからあたしばっかり喋っちゃってるじゃん! ラウ=レイや族長さんたちはこれで最後の夜なんだから、アスタたちと存分に語らってよ!」
「あはは。ディアルもおやっさんたちの送別会で、同じようなことを言ってたよ。ユーミとディアルは、少し似たところがあるよね」
「ふーんだ! どうせ短気だって言いたいんでしょ?」
「いや。それは周囲の人たちを気づかえる優しさなんじゃないかな」
「やめてよー!」とわめきながら、ユーミはいっそう赤くなってしまった。
そこに、リミ=ルウがひょこりと現れる。大皿を抱えたリミ=ルウは、その中身をこぼさないように気をつけながらアイ=ファにすり寄った。
「ねえねえ! リミもアイ=ファの隣に座っていい?」
「うむ? 晩餐は……なるほど、そのように運んできたわけか」
「うん! かれーと汁物料理は食べ終わったから、他の料理はお皿にのせてきたの!」
リミ=ルウの手にした大皿には、食べかけのギバ・カツや香味焼きや炊き込みシャスカなどがお弁当のように配置されていた。アイ=ファが優しい面持ちで腰をずらすと、リミ=ルウは「えへへ」と空いた場所に腰を落ち着ける。
「ラウ=レイもヤミル=レイもサウティの人たちも、おつかれさま! ファの家に5日もお泊りして、楽しかったでしょー?」
「うむ! きわめて有意な日々であったぞ! しかし! アイ=ファの手ほどきがあってもダリ=サウティに勝ち越せなかったのは、無念なところだな!」
「へー! ダリ=サウティって、すっごく強いんだね! ルドもそんな風に言ってたけど!」
「うむ! ディグド=ルウすら、ダリ=サウティには手こずらされていたからな! ダリ=サウティは、相手の動きを見切ることに長けているようであるのだ! ルウの血族で一番近いのは、やはりギラン=リリンやガズラン=ルティムであるように思えるが……あいつらとも、いささかならず毛色が違っているようだしな!」
解説を求めるように、ラウ=レイがアイ=ファのほうを見た。
リミ=ルウの頭を撫でていたアイ=ファは、凛然とした面持ちとなって「うむ」と応じる。
「相手の力を受け流すという手腕においてはギラン=リリンに、相手の動きを沈着に見定める眼力においてはガズラン=ルティムに、それぞれ似たところはあるように思う。ただし、動きの機敏さにおいては、そちらの両名のほうが上回っていよう。その代わりに、ダリ=サウティは相手の力を受け流すばかりでなく、真正面から受け止める強靭さをも携えているのだ」
「うむうむ! 俺やミダ=ルウの突進でも、ダリ=サウティは平気な顔で受け止めていたからな! しかし……よくわからんが、ドンダ=ルウやダン=ルティムとは手応えが違っているように思えるのだ」
「ドンダ=ルウやダン=ルティムは、同等かそれ以上の力で相手の突進を受け止めているのであろう。ダリ=サウティは真正面から受け止めつつ、どこかに力を逃がしているような……ドンダ=ルウらが巨大な岩ならば、ダリ=サウティは根を張った大樹のようなものなのであろう」
「ううむ、よくわからんな!」
「私とて、感じたものをそのまま口にしているに過ぎん。それに……ダリ=サウティの卓越した力は、力比べではなくギバ狩りの場において本領を発揮していよう」
アイ=ファは凛々しく引き締めた面の中で、その青い瞳にまぎれもない感嘆の光をたたえていた。
「私はそれほど数多くの狩人と仕事をともにしてきたわけではないのだが……それでもダリ=サウティのように視野が広く、ともに働く人間に巧みな指示を飛ばせる人間を見た覚えはない。ギバ狩りの新たな作法をこうまで速やかに構築できたのは、ひとえにダリ=サウティのおかげであろう」
「アイ=ファほどの狩人にそのように言われるのは、面映ゆいことだな。……しかし確かに、俺とアイ=ファでは資質が異なっているのであろう」
「うむ。やはり私は単身で猟犬のみを引き連れているときこそ、もっとも自由に力を振るえるようだ。しかし、ダリ=サウティは……ともに働く狩人の力を引き出すことに長けているのであろう。同じ人数で仕事を果たすならば、ダリ=サウティこそがもっとも多くの収獲をあげられるように思う」
「それは、大した手腕だな! もしやダリ=サウティは、盤上遊戯の合戦遊びにも長けているのではなかろうか?」
ラッド=リッドが勢い込んで問い質すと、ダリ=サウティは「ああ」とゆったり微笑んだ。
「それほど盤上遊戯を手掛ける機会はないが、血族の狩人を相手に負けた覚えはないな。あれは確かに、ギバ狩りで指示を出す手腕と深く関わっているように思える」
「やっぱりか! 力比べだけではなく、盤上遊戯でも挑むべきであったな!」
「しかし、それを言うなら……アイ=ファも盤上遊戯に長けているのではないだろうか?」
そう言って、ダリ=サウティは澄みわたった眼差しをアイ=ファに向けた。
「アイ=ファは時を重ねるごとに、猟犬の扱いが巧みになっているように思える。なおかつアイ=ファは、猟犬を人間のように扱っているのであろう? であれば……人を相手に的確な指示を出すこともできよう」
「うむ……何せ私は、ずっと父とふたりで仕事を果たしており、最後まで指示を出される立場であったからな。これまでに、人に指示する機会はなかったのだ」
「それが猟犬を家人に迎えたことによって、指示を出す立場になったというわけか。俺とアイ=ファは資質が異なっているなどと言ってしまったが、それは間違っていたかもしれん。きっとアイ=ファにも、多くの狩人を率いることのできる資質が備わっているのであろう」
ダリ=サウティの声音には、しみじみとした情感が込められているように感じられた。
「俺はこれまでに、2度ほど死の淵を覗いている。1度目はザッツ=スンらにギバをけしかけられたときで、2度目は森の主と相対したときだ。その両方で深手を負い、それらの深手から回復したとき……俺は、これまでにない眼力を体得できたような心地だった。自分ばかりでなく、ともにある同胞までもが生命の危険にさらされたことが、俺には無念でたまらず……そんな無念が、俺に新たな力を授けてくれたように思うのだ」
「そうか。俺の父も片目を失うほどの深手を負ったが、その後もそれ以上の力でギバ狩りの仕事を果たしていたな」
と、ラウ=レイも彼にしては落ち着いた声で、そのように発言した。
「しかしそれでも失った片目は戻らなかったので、けっきょく父も魂を返すことになってしまった。片目さえ失っていなければ、父は今でもダリ=サウティのように強き力で仕事を果たしていたやもしれんな」
「うむ。俺もあちこち深手を負ったが、治らない手傷というものはなかった。こればかりは……運というしかなかろうな」
「運とは、すなわち母なる森の意思であろう。あとは俺が、父から受け継いだ力でより大きな仕事を果たすまでだ」
ラウ=レイはにやりと不敵に笑い、ダリ=サウティは穏やかに微笑んだ。
「ともあれ……アイ=ファは単身で働くことで、他の狩人にはない力を身につけた。そして猟犬を手にすることで、また新たな力を身につけた。この先も、さまざまな力を身につけることがかなうのではなかろうかな」
「うむ。……すべては、森の思し召しだな」
そんな風に答えながら、アイ=ファはそっと目を伏せた。
その姿に、俺は思わずハッとしてしまう。金褐色の長い睫毛にはさまれたアイ=ファの青い瞳が、思いも寄らないほど幸福そうな輝きを灯していたのだ。
(それはまあ……ダリ=サウティほどの狩人にこんな言葉をかけられたら、アイ=ファもものすごく嬉しいんだろうな)
アイ=ファはいまだ19歳であるのだから、まだまだ成長の余地を大きく残しているのだろう。現時点でもこれだけ力を認められているアイ=ファに、まだそれだけの可能性が秘められているのかと思うと、俺も誇らしい限りであった。
ただ――純然たる喜びを覚えた俺の胸の裏側に、ちくりと小さな痛みが疼いた。
アイ=ファはまだまだこれからも、狩人として長きの生を過ごしていくのだと考えると――どうしたって、俺の胸には隠しようのない痛みが生じてしまうのだった。
しかし俺はそんな痛みを消したり誤魔化したりするのではなく、痛みを抱えたままアイ=ファのそばにあることを選んだ身なのである。
だから俺は、幸福そうな眼差しをしたアイ=ファのかたわらで、同じように幸福な心地でいることができた。
「よー、そっちもあらたか食い終わったかー?」
しばらくして、今度はルド=ルウがやってきた。
「フォウの男衆に力比べを挑まれたんで、ちっとばっかり場所を空けてほしいんだよなー。他の連中も、すっかりその気になっちまってるしよー」
「おお、力比べか! ならば俺たちも、黙ってはいられんな!」
と、ラウ=レイが木皿に残されていた料理を慌ててかきこんだ。
そしてその目が、アイ=ファを真正面から見据える。
「アイ=ファもぐずぐずしておらんで、さっさと装束を着込んでくるがいい! ここ数日は見届け役に徹していたのだから、今日ばかりはその力を味わわさせていただくぞ!」
「このように食べたそばから、力比べに興じるつもりか。まったく、せわしないことだな」
そんな風に応じながら、アイ=ファの眼差しにはまだ幸福そうな光が残されている。それほどに、ダリ=サウティの言葉が嬉しかったのだろう。俺は小さな痛みを抱えつつ、それ以上に大きな喜びの気持ちでもって、そんなアイ=ファの姿を見守ることができた。