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異世界料理道  作者: EDA
第六十八章 躍る日常
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レイとサウティの逗留⑥~三日目~

2022,3/26 更新分 1/1

 客人たちの滞在3日目――白の月の27日である。

 伝え聞いた話によると、ガズラン=ルティムの子たるゼディアス=ルティムが聖堂で洗礼を受けたのは、去年の今日であったらしい。ゼディアス=ルティムは生誕から5日目に洗礼を受けた、という記憶がガズラン=ルティムたちに残されていたのだそうだ。


 つまり、ゼディアス=ルティムは5日前に1歳になっていた、ということである。

 あんなに小さかったゼディアス=ルティムがついに1歳になったのかと思うと、俺も感慨深くてならなかった。いずれはジザ=ルウの子たるルディ=ルウも1歳になり、スドラ家の双子は2歳になり、コタ=ルウやアイム=フォウは4歳となり――そんな当たり前の話が、俺の胸を震わせてやまなかったのだった。


(まあ俺だって、来年には20歳になっちゃうわけだしな。17歳の高校2年生だった俺が、20歳なんて……それだって、十分にとてつもない話だよ)


 それにまた、齢を重ねるのを当たり前と判じてしまうのは、大きな驕りであるのだろう。俺自身、この2年間で生命の危機に見舞われたのは1度や2度ではない。幼子たちだって、『アムスホルンの息吹』という大きな試練を乗り越えなければならないし、誰もが無条件に安穏な生活を約束されているわけではないのだ。


 そんなわけで、ゼディアス=ルティムの成長を伝え聞いた俺は、いっそう身を引き締めて日々の仕事に取り組もうという気持ちを新たにしていた。

 朝方の下ごしらえに関しては、本日も至極順調である。4名の客人たちもすっかり手馴れた感じであるし、ヤミル=レイも表面上は完全に復調していたので、いらぬ軋轢が生まれることもなかった。


 そうして俺たちは、意気揚々と宿場町に向かったわけであるが――思わぬハプニングは、そちらに待ち受けていた。

 今日も行きがけに宿屋の屋台村に立ち寄ってみると、昨日はあんなに楽しそうにしていたランの末妹が意気消沈してしまっていたのである。


「ど、どうしたのです? 身体の調子でも悪いのでしょうか?」


 ユン=スドラがそのように呼びかけると、ランの末妹はお客におつりを渡してから、「いえ」と答えた。


「実は、昨日……わたしは銅貨を数え間違えて、《西風亭》に大きな損をもたらしてしまったのです」


「銅貨を? つまり、お客におつりを多く渡しすぎてしまったということですか?」


「はい。……宿に戻って屋台の売り上げを数えてみたら、白銅貨3枚分も足りていなかったのです」


「白銅貨3枚分?」と、ユン=スドラは目を丸くした。

 白銅貨3枚といえば、俺の感覚では6千円にも及ぶ金額であるのだ。


「いくら何でも、おつりの間違いで白銅貨3枚も失うことにはならないでしょう。帰り道かどこかで、落としてしまったのではないですか?」


「いえ。屋台で得られた銅貨は袋の口を縛って持ち歩きますので、途中で落とすことはありえないかと思います。きっとわたしが、赤銅貨と間違えて白銅貨をお客に渡してしまったのでしょう」


 そんな風に述べながら、ランの末妹は目もとに浮かんだ涙を手の甲でぬぐった。


「白銅貨は古くなると汚れがついて赤銅貨と見分けが難しくなることがあるので気をつけるようにと、ユーミやシルからも念入りに注意を受けていたのです。それなのに、うかうかと間違いを犯してしまって……本当に、自分の迂闊さを不甲斐なく思います」


「いや、ちょっと待っておくれよ。足りなかったのは、本当に白銅貨3枚分だったのかな? 白銅貨と赤銅貨を間違えてお客に渡してしまったんなら、普通は白銅貨2枚と赤銅貨7枚分が足りなくなるはずだよ」


 俺がそのように口をはさむと、ランの末妹は覚束ない面持ちで「え?」と首を傾げた。


「だからさ、白銅貨3枚をお客に渡してしまったら、本来渡すはずだった赤銅貨3枚が手もとに残るはずだろう? だから、その場合の損失は白銅貨2枚と赤銅貨7枚になるはずなんだよ」


「ええと……わたしにはちょっとよくわからないのですが……それでしたら、きっと別のお客に赤銅貨3枚を多く渡してしまったということなのでしょう。昨日はずっとわたしが銅貨を受け取る仕事を果たしていたので、間違いを犯すとしたらわたしでしかありえないのです」


「いや、だけど……」


「それに、宿まで銅貨を持ち帰ったのも、わたしです。その道中で銅貨を落としてしまったのなら、それもまたわたしの責任であるのです。わたしを信頼して仕事を任せてくださった《西風亭》の方々には、本当に申し訳が立ちません」


 そう言って、ランの末妹は懸命に笑顔をこしらえた。


「きっとわたしは、宿場町で働ける楽しさに浮かれてしまっていたのでしょう。今日からは絶対に間違いを犯さないように、厳しく心を引き締めています。ですから、どうかご心配なさらないでください」


「そうですか……あなたの気持ちが報われるように祈っています」


 そんな風に応じながら、ユン=スドラはお好み焼きを焼きあげているビアのほうをちらりとうかがった。

 ユン=スドラの視線に気づいたのか、ビアは気弱げに目を伏せたまま、しかたなそうに口を開く。


「わ、わたしも以前に他の宿屋の屋台を手伝った際には、うっかり銅貨を数え間違うことになってしまいました。で、でも、《西風亭》の方々はとてもお優しいので……何も心配はいらないかと思います」


「はい! でもそのお優しさに甘えてしまわないように、力を尽くすつもりです! 申し訳ありませんが、今日も銅貨の受け渡しはわたしにお任せくださいね!」


 そう言って、ランの末妹はビアに笑いかけた。

 しかしやっぱりビアは目を伏せたまま、ひたすらポイタンの生地を焼きあげている。


「では、ユン=スドラたちも、どうぞご自分の仕事をお果たしください。わたしも自分の仕事を果たしてみせますので」


「はい。また帰りがけに立ち寄りますので、何かあったらお伝えください」


 そうして俺たちは大きな疑念を抱きながら、自分たちの仕事場を目指すことになった。

 その道中で、ユン=スドラが思い詰めた眼差しを俺に向けてくる。


「あの……アスタは今のお話をどのように思いますか?」


「うん。ユーミに仕事の腕を認められたランの末妹が、そんな大きな失敗をするとは思えないね。赤銅貨と白銅貨の取り間違えなんて、そうそう起きるわけがないし……同じ日に赤銅貨3枚を多く渡す失敗が重なるなんて、余計にありえないと思うよ」


「そうですよね。では、どうして白銅貨3枚が消えてしまったのでしょう?」


「それはやっぱり、落としたか盗まれたかしか考えられないんじゃないかな。宿場町には手癖の悪い人間も多いっていう話だしね」


「なるほど。でも、袋の口を縛っていたなら、帰り道で落としたり盗まれたりすることもありえませんよね。では、仕事のさなかに盗まれたというわけですか。ずっとふたりで番をしていたなら、それも難しいように思えるのですが……」


 と、ユン=スドラは深刻な面持ちで考え込んでしまう。


「わたしはつい、ともに働くビアのことを疑ってしまいました。でも、そのようなことはありえないのでしょうね」


「うん? どうしてありえないのかな?」


「それは、ランの末妹がまったくビアのことを疑っていなかったためです。わたしはビアのことを何も知りませんが、屋台で2日間も仕事をともにしたランの末妹であれば、もうあるていどの人柄をわきまえていることでしょう」


 ユン=スドラがあまりに迷いのない口ぶりであったため、俺もとっさに返事ができなくなってしまった。言うまでもなく、俺の中にもビアを疑う気持ちは少なからず生じていたのである。


(うーん。森辺の民の人を見る眼力を信じるべきか、純朴すぎる気性を疑うべきか……ちょっと難しいところだな)


 しかし何にせよ、俺たちはこの一件に関して部外者だ。問題の内容が内容であるので、迂闊に大騒ぎするわけにもいかなかった。


「本当は、今すぐにでもシルやサムスから事情をうかがいたいところなのですが……まずは、ランの家にこの話を伝えようかと思います。アスタも、それでよろしいですか?」


「うん。ランより先に俺たちが騒いだら、面倒なことになっちゃうかもしれないからね。それが賢明だと思うよ」


 ということで、俺とユン=スドラは晴らしようのない疑念を抱え込みながら仕事に取り組むことになってしまった。

 屋台は、本日も盛況である。邪神教団の殲滅からひと月半ばかりも過ぎ去って、もはやその痛手はどこにも見られない。もちろんダレイムの野菜はまだまだ品薄で、屋台においてもごく限られた料理でしか使用できていないものの、往来の賑わいは増していくいっぽうであるのだ。少なくとも、宿場町においては完全に復興が為されたといっても過言ではなかった。


「じゃ、あたしたちはこのままダレイムに向かうからさ。そっちに乗せてもらう女衆たちは、どうぞよろしくね」


 屋台の商売が完了すると、ララ=ルウがそんな風に呼びかけてきた。そのかたわらでは、リミ=ルウが満面に喜びの笑みをたたえている。本日は、ついにドーラ家のお泊まり会が敢行されるのである。


 終業時間の少し前には、ジバ婆さんと護衛の狩人たちを乗せた荷車も到着している。その中には、半休で仕事を切り上げたジザ=ルウの姿もあった。やはりジバ婆さんを参じさせる際には、それ相応の狩人が派遣されるようだ。


「……アスタは何か、問題でも抱えているのであろうか?」


 と、そのジザ=ルウが別れ際にそんな言葉を投げかけてきた。


「いや、アスタには珍しく、どこか気落ちしているように思えたのでな。もしそれにラウ=レイが関わっているならば、俺も見過ごすことはできなかろう」


「いえいえ、ラウ=レイはまったく関係ありません。ただちょっと、《西風亭》に預けられたランの女衆がらみで問題がありまして……」


「問題とは、どのような?」


 次代の族長たるジザ=ルウにそのように言われては、隠し立てすることもかなわない。俺はランの血族たるユン=スドラにも同席をお願いして、一緒に事情を説明することになった。


「なるほど。屋台の商売を手がけたこともない俺には、何とも判じようのない問題だが……商売のさなかに銅貨を盗まれるなどという話は、これまでに聞いた覚えもないようだな」


「ええ。ですから、不思議でならないのです」


「そうか。ではまず、《西風亭》とランの人間でよくよく話し合い、責任の所在を明確にするべきであろう。何か進展が見られた際には、ルウ家にも報告をお願いする」


 そんな言葉を残して、ジザ=ルウは可愛い妹たちとともにダレイムへと出立していった。

 屋台の当番であったルウの眷族の何名かも、そちらに同行する。今回はファを始めとする小さき氏族の面々が不参加であるため、レイやルティムやミンなどの女衆らが初めて参席するのだという話であった。


 それ以外のメンバーは、いつも通りに森辺の集落へと帰還する。ルウの集落では、本日もすでにサウティの血族らが参上していた。


「みなさん、お疲れ様です。俺は明後日にまた参加させてもらいますので、そのときはよろしくお願いいたしますね」


「はい。その日を心待ちにしております」と応じてくれたのは、昨日の勉強会でご縁を紡いだフェイの年配の女衆であった。


 ララ=ルウとリミ=ルウが不在であるため、本日はレイナ=ルウが単身でてきぱきと取り仕切っている。ルウの血族は層が厚いため、ララ=ルウたちがおらずとも問題はないのだろう。サウティへの手ほどきと同時進行でドーラ家のお泊まり会をも敢行できるというのは、本当に大したものであった。


 そうして俺たちはファの家に戻り、同じように手ほどきの勉強会だ。

 ただし、手ほどきの効率を高めるために、本日も熟練者の何名かはフォウやガズの家に出向いてもらうことになった。俺のもとに留まるのはユン=スドラのみで、そのぶん大勢の人間をファの家に招いたわけである。


 レイナ=ルウたちはサウティの血族を受け持ってくれているので、こちらでお迎えするのはフォウとガズの血族だ。そしてその中には、ランの女衆とユーミも含まれていた。


「やあ、いらっしゃい。ファの家にようこそ、ユーミ」


「うん! 今日はお世話になるよ!」


 昨日はがちがちに緊張していたユーミであるが、さすがに丸一日が経過した現在は、元来の活力を取り戻していた。

 ランの家ではどのように過ごしていたのか。とても気になるところであるが、まずは手ほどきだ。昨日の内にアイ=ファが準備してくれた血抜きをしていないギバ肉をかまどの間に運び込み、俺は前置きの講釈を垂れることに相成った。


「血抜きをしてないギバ肉は、時間が経てば経つほど臭みが強くなります。ですから本来は、収獲したその日の内に塩水で洗うのが理想です。ただ、男衆が収獲を持ち帰るのは遅い時間になることも多いので、なかなか理想通りにはいかないでしょう。ですからこうしてファの家でも、昨日の収獲であるギバ肉を使って手ほどきをしているわけですね。収獲した当日に塩水で洗ったギバ肉は、これよりも薄い味付けで美味なる料理に仕上げられるのだと覚えておいてください」


 女衆らは、誰もが真剣な面持ちで俺の言葉を聞いている。この行いが血族にさらなる豊かさをもたらすのだと、誰もがそのように理解しているのだ。

 すでに経験者である顔ぶれはユン=スドラの監督のもとに作業をしてもらい、これが初の体験となる顔ぶれには俺が手ほどきをする。しかしその際にも俺は口頭で指導をして、実際の作業はすべて手ずから行ってもらった。


「わー、ほんとに水が赤くなってきた! 肉を美味しく仕上げるのって、こんなに苦労がかかるもんなんだね!」


 ランの女衆とともに作業をしていたユーミは、好奇心を剥き出しにしてそのように言っていた。無邪気きわまりない言動であるが、決して仕事をおろそかにしている気配はないので、森辺の女衆に反感を買うこともないだろう。


「これはあくまで、次善の策だけどね。本当の血抜きっていうのは、獲物を仕留めたときに施すものなんだよ」


「獲物を仕留めたときに? どうやって血を抜くの?」


「まだ心臓が動いているうちに、咽喉の血管を切るんだよ。きっとカロンやキミュスでも、そういう処置がされてるんじゃないかな」


「へー! でも、牧場とかで飼われてるカロンなんかとは、比べ物にならない苦労だよね! 生命がけでギバを狩った直後にそんな作業までしないといけないなんて、森辺の狩人さんたちは本当に大変だね!」


 ユーミは他者におもねることがないために、こういった際の発言にも混じりけのない真情が込められている。よって、周囲の女衆らも温かい眼差しでユーミの挙動を見守っていた。


「そういえば、うちで預かったランの娘さんはどうだった? 今日も様子を見てきてくれたんでしょ?」


 と、肉を塩水に漬けている間に、ユーミがそのように問うてきた。

 取り急ぎ、俺はユン=スドラを呼びつける。やはりこの一件は、血族の口から語らうべきであるように思うのだ。


「実はあちらで、少々問題が生じていました。勉強会の後、ランの方々にお伝えするつもりであったのですが……」


 そうしてユン=スドラが事情を説明すると、ユーミは「何それ!」と眉を吊り上げた。


「白銅貨3枚分も稼ぎが足りないなんて、ありえないよ! あのふたりが、そんな数え間違いをするわけがないからね!」


「昨日はずっと、ランの末娘が銅貨のやり取りを受け持っていたそうです。よって、間違いを犯すとしたらランの末妹でしかありえないのですよね」


「……ん? 最初っから最後まで、ビアは料理を作る役割を負ってたってこと? 普通は途中で役割を交代するでしょ?」


「さあ、わたしは話をうかがうばかりですので、そのあたりのことはよくわからないのですが」


 ユン=スドラの返答に、ユーミはますます剣呑な表情に成り果てた。


「なんか、話がおかしいね。ビアのやつは、なんて言ってるのさ?」


「ビアは、ランの末妹を気づかってくれているようでした。いまひとつ、内心は知れない様子であったのですが……でも、ビアはシルの血族なのでしょう? ランの末妹もビアには信頼を寄せているようですし、きっと心正しき人間なのだろうと思います」


「血族って言っても、普段は交流のない遠縁の娘だし――心正しい人間でも、罪を犯すことはあるんだよ」


 ユーミの目に、鋭い気迫がたたえられた。

 そしてその目が、かたわらにたたずむランの女衆へと向けられる。


「ごめん。あたし、ちょっとだけ席を外してもいいかな?」


「え? 席を外すとは?」


「どうしてこんな話になったのか、探りを入れてみようと思ってね。ランの娘さんがいわれのない罪悪感を抱え込んでるなら、とうてい放っておけないしさ」


「ですが、それは……まず、おたがいの家長にうかがいを立てるべきではないでしょうか?」


「いや。あのふたりに屋台を任せても大丈夫って判断を下したのは、あたしだからね。それで問題が起きたら、あたしの責任でしょ? だから、あたしがどうにかしないといけないんだよ」


 そう言って、ユーミはにっと白い歯をこぼした。


「大丈夫。何も騒ぎを起こしたりはしないからさ。……アスタ、悪いけどトトスを1頭貸してくれる? 荷車はいらないから」


「うん。それはかまわないけど……でも、本当に大丈夫かい?」


「大丈夫だよ。ちょいと探りを入れてみるだけだからね」


 そうしてユーミはファファにまたがって、ひとり宿場町へと向かってしまった。

 かまどの間に集まった面々の多くは、呆れ顔である。森辺において、女衆が家長の判断も仰がずに大きな行動を起こすというのは、あまりありえない話であるのだ。


「でも、ユーミというのは果敢なお人なのですね。わたしはとても好ましく思います」


 そのように発言したのは、姉御肌たるダダの長姉である。

 そして、ヤミル=レイもすました顔で肩をすくめていた。


「まあ、町で起こった間違いは、町の人間のほうが正しく対処できるのではないかしらね。森辺の民が下手に動くと、大ごとになってしまいかねないもの」


「でも……仕事を途中で放り出してしまって、ユーミが家長らに不興を買ってしまわないか……いささかならず、心配です」


 ユーミに付き添っていたランの女衆は、不安げな面持ちでそう言っていた。

 そちらに笑顔を向けたのは、ユン=スドラだ。


「ユーミの行動が正しいかどうかは、皆で見定めるべきだと思います。理解を深め合うというのは、そういうことなのではないでしょうか?」


「ええ、わたしもそう思います。ただ森辺の習わしを押しつけるだけでは、理解を深め合うことにはならないのでしょう」


 と、サウティの末妹も笑顔で声をあげる。

 いつも通りの朗らかな表情だが、その眼差しはとても強くて明るい輝きを灯していた。


「ユーミは、町の家族と血の縁を断って森辺の家人になることを望んでいるわけではないのでしょう? それでしたら、わたしたちにも町の習わしを正しいかどうか見定めて、それを容認する気持ちが必要なのだと思います」


「そう……なのでしょうね。族長筋の御方にそう言っていただけると、わたしも心強く思います」


「わたしの身分は、このさい関係ありません。でもわたしもアスタのおかげで宿場町や城下町に出向く機会を授かりましたので、昔よりは多くの物事を考えられるようになったのかもしれません」


 サウティの末妹がそのように言葉を重ねると、ランの女衆は真剣な面持ちで「はい」とうなずいた。

 そうして四半刻の時間が過ぎたため、俺たちはギバ肉を漬けておいた塩水を交換し、さらなる処置を施すことになったが――その後、勉強会が終了するまで、ユーミが戻ってくることはなかった。


                 ◇


「それで、けっきょくどういう顛末であったのだ? やはり銅貨をかすめ取ったのは、そのビアなる娘であったのか?」


 夜になり、晩餐の刻限である。

 旺盛な食欲を満たしながら問いかけてくるラウ=レイに、俺は「うん」と応じてみせた。


「結論から言うと、犯人はビアだったよ。屋台の後片付けをしている間に、ランの末妹の目を盗んで白銅貨3枚を拝借していたんだってさ」


「まったくもって、見下げ果てた話だな! ランの末妹は、どうしてそのように悪辣な人間を信用してしまっていたのだ?」


「そのビアって娘さんも、根っからの悪人ではなかったんだよ。親に内緒で交際していた男性が病魔に苦しんでいて、その薬を調達するために銅貨が必要だったんだってさ」


 そうしてユーミにその真相を暴かれたビアは、子供のように泣きながらランの末妹に取りすがっていたらしい。ランの末妹が彼女を疑う素振りも見せなかったものだから、ずっと良心の呵責に苛まれていたようであるのだ。


「よくわからんな。懸想していた男衆が病魔に苦しんでいたならば、それを救うのは家族や血族の役割であろう?」


「だから、その男性も貧民窟の生まれで、天涯孤独の身だったらしいよ。放っておいたら魂を返すしかないっていう状況だったみたいだね」


「町には、家族も血族もない人間が存在するのだな。その時点で、俺たちにとっては想像の外であるのであろう」


 ダリ=サウティが、落ち着いた声音でそのように語らった。


「それで、ユーミはどのようにしてその真相まで辿り着いたのであろうかな?」


「それはもう、持てる人脈を総動員したようです。ユーミは友人が多いですからね。人海戦術でビアの身辺を調査して、病魔に苦しむ恋人の所在を突き止めたそうですよ」


「それは、大した話だな。それでユーミはそちらの騒ぎを片付けてから、ランの家に舞い戻ったというわけか?」


「はい。戻ってきたのはずいぶん暗くなってからだったので、今ごろは晩餐を食しながらランの家長に事情を伝えているのではないかと思います」


「なるほど」と声をあげたのは、ヴェラの家長であった。


「それは確かに大した手際であったように思えるが……ランの家長としても、なかなか扱いに困りそうなところだな」


「ふむ? 騒ぎは無事におさまったのだから、何も困ることはあるまい?」


 ラウ=レイがそのように言いたてると、ヴェラの家長は生真面目な面持ちで「いや」と応じた。


「ユーミはラン家に預けられ、森辺の仕事を覚えるという名目でアスタから手ほどきを受けていたのだ。それを中途で放り出して、勝手に宿場町まで戻ってしまうというのは……やはり、感心できた話ではあるまい」


「しかし、ユーミが力を尽くしたからこそ、いわれのない罪を晴らすことができたのだぞ?」


「それはきちんとランの家長から了承を得たあとでも、かなったはずだ。話を聞く限り、一刻を争うような事態ではなかったのだから、今少し沈着に対処するべきであろう」


「いやいや! ユーミとしては、ランの末妹がいわれのない罪で苦しむことに耐えられなかったのであろうよ! 俺がユーミと同じ立場でも、きっと同じように振る舞っていたろうな!」


 正反対の気性をした両名がそのように言い合うと、ゆったりと微笑んだダリ=サウティがそれを仲裁した。


「外界の民を家人に迎えるというのは、こういうことだ。我々はアスタやシュミラル=リリンのときと同じように、もっとも正しき道を見定めるしかあるまいな」


「ふむ。しかしこれは、アスタやシュミラル=リリンの起こした騒ぎとは、いささかならず趣が違っているように感じられるな」


 と、今度はドーンの長兄がのんびりとした声をあげる。


「アスタなどは言うに及ばず、森辺の家人となっても行商の生活を続けようというシュミラル=リリンも、なかなか人騒がせであったに違いない。しかし、アスタやシュミラル=リリンは森辺で生活する限り、その習わしを厳しく守ろうという気持ちを携えている。きっとアスタやシュミラル=リリンであれば、家長の許しを得るまで勝手な行動はつつしむべきと考えるのではなかろうかな」


「うむ。しかしユーミはラン家への嫁入りを願いつつ、宿場町に家族を残しているのだ。ユーミはたとえ嫁入りがかなっても、森辺の民として正しく生きると同時に、《西風亭》の人間としても正しく生きられるように力を尽くさねばならんのだろう。そこのところが、アスタやシュミラル=リリンとは違っているのやもしれんな」


 それは、サウティの末妹が日中に語らっていたのと同じ内容を含む言葉であった。


「アスタやシュミラル=リリンは森辺の外に家族を持たず、ジーダやミケルたちは家族ぐるみで森辺の家人になることに相成った。ゆえに、ユーミは森辺の外に家族を残しながら嫁入りを願う、初めての人間になるわけだな。きっとユーミも我々も、これまでとはまた異なる大きな苦労を抱え込むことになるのであろうが……しかしそれは、森辺の民と宿場町の民が正しく手を携えるための、大きな架け橋にもなり得よう。我々は森辺の習わしだけにとらわれず、より広く世界を見渡しながら、もっとも正しき道を見定めなければならないということだ」


「まったくもって、面倒な話だな! まあきっと、その面倒に見合う価値はあるのであろうよ!」


 ラウ=レイは陽気に笑い声をあげ、ヴェラの家長は難しげな面持ちで思案する。

 そうして森辺の民のひとりひとりが問題に向き合うことで、きっと正しい道が見えてくるのだろう。ダリ=サウティの言う通り、そこには大きな苦労がつきまとうのかもしれないが、俺は何も心配していなかった。


(何せ森辺の民っていうのは、俺みたいに素っ頓狂な素性の人間ともしっかり向き合って、正しい道を指し示してくれたんだからな)


 そうして小さからぬ騒乱を乗り越えつつ、その日も粛然と過ぎ去っていったのだった。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 誰よりもジョウ=ランが暴れてそうで心配だよ
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