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異世界料理道  作者: EDA
第六十八章 躍る日常
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レイとサウティの逗留③~晩餐~

2022.3/23 更新分 1/1

 そうして勉強会を終えたのちは、客人を迎えて初めての晩餐である。

 サウティの血族が6名で、レイの家人が2名。ここ最近は10名以上の客人を迎えることも多かったので、それに比べればどうということもなかったが――ラウ=レイひとりで数名分の騒がしさであるので、広間は大変に賑わっている。部屋の隅っこで丸くなっているサチも、時おりうるさそうにラウ=レイのほうをうかがっていた。


「それでは、晩餐を始めたく思う。同じ料理で同じ喜びを分かち合いながら、ぞんぶんに絆を深めてもらいたい」


 客人の招待にもすっかり手馴れてきたアイ=ファはそのような挨拶とともに、食前の文言を唱えた。残る9名でそれを復唱して、晩餐の開始である。


 初日の晩餐は、せっかくなので血抜きをしていないギバ肉で作りあげることにした。それも、漬け汁に漬けた肉と香草のパウダーをまぜた衣で仕上げた、『ギバ・カツ』である。これはここ数日で、レイナ=ルウやトゥール=ディンたちと力を合わせて考案したひと品であった。


 汁物料理は豆板醤に似たマロマロのチット漬けを主体にした濃厚なスープであり、こちらにも血抜きをしていないギバ肉を使っている。あとは舌を休ませるために、まっさらなシャスカと、レモンのごときシールのドレッシングでいただくティノとネェノンの千切りサラダ、ポテトサラダならぬチャッチサラダ、ミソだれでいただくキュウリのごときペレの添え物というラインナップだ。


「ふーむ! これが血抜きをしていないギバ肉で作られているのか! 事前に聞かされていなければ、まったく違いもわからんな!」


 そのように語るラウ=レイは無邪気そのものの面持ちであったが、ダリ=サウティらは驚嘆の表情である。特に、根が素直なヴェラの若き家長などは思い切り驚きの色をあらわにしていた。


「本当に、普段の晩餐よりも美味に感じられるほどだ。もちろん多少は強い味であるように思えるが……もっと強い味をした料理など、いくらでもあるのだろうしな」


「うむ。俺の家ではかれーの辛みを強くしているので、そちらのほうがよほど強い味であるように思えるぞ」


 そんな風に応じてから、ドーンの長兄はラウ=レイのほうに向きなおった。


「ところで、レイの家長は口の内側を痛めていたという話であったな。もうこのように香草のきいた料理を口にしても、大事ないのであろうか?」


「大事ない! 《銀の壺》の人間に手当てをされたら、5日ていどで傷もふさがったからな! それまでは口の内側を縫われていたので、なかなかに面倒であったぞ!」


「なに? 口の内側を縫われてしまったのか?」


「うむ! 溜まっていた膿を絞り出すのに、傷口をさらに大きく切り開く必要があったのでな! しかし、鋭い刃で切られた傷は、案外たやすくふさがるものだ!」


 女衆らの何名かは痛ましそうな面持ちになっていたが、食欲には影響がなかったようで何よりであった。


「まさか、町の人間に殴られただけで、そのような深手になってしまおうとはな。口の内側に傷を負うというのも、なかなか厄介であるようだ」


「まあそれは、俺が軽い手傷と侮ってしまったゆえだからな! レビにも誰にも罪のある話ではない!」


 それは言外に、ヤミル=レイのせいでもないとフォローしているのだろう。当のヤミル=レイは、素知らぬ顔で黙々と料理を食していた。

 けっきょくラウ=レイたちは日が暮れるぎりぎりまで仕事に励んでいたため、ヤミル=レイと語らう時間は取れなかったのだ。しかしヤミル=レイは普段通りの取りすました態度で、格別冷たい印象が際立ったりはしていなかった。


(まあきっと、ヤミル=レイだって普段通りに振る舞おうとしてくれてるんだろうからな)


 なおかつ、ヤミル=レイは俺に対する気恥ずかしさやら何やらで調子を乱しているようであるのだから、俺がむやみに刺激するべきではないのだろう。ヤミル=レイと語らうとすれば、それは余人の目の及ばない場所を選ぶべきであるはずであった。


「確かにこれほど美味なる料理であれば、文句をつける人間はあるまい。これで俺たちも、血抜きに成功した肉はすべて商売に回せるということだな」


 ダリ=サウティがゆったりとした笑顔でそのように言ったので、俺が「はい」と応じてみせた。


「ただし、調味料や香草を普段以上に使っているというのは、まぎれもない事実です。身体の害になるほどではないかと思いますが、それでもやっぱり商売の当番でない期間は血抜きをした肉で普段通りの食事を口にするべきだと思います」


「うむ。塩や砂糖や油などを必要以上に口にするのは危険である、という話だな。サイクレウスが病魔に冒されたのはそれが原因であるやもしれんという話とともに、そういった話は俺の胸に深く刻みつけられているぞ」


「はい。サイクレウスについては、あくまで憶測ですけれど……でも、そういった病魔は俺の故郷にも存在しました。特に、安楽な生活に身を置いていると、そういう病魔に見舞われやすいはずです。身体をきちんと使わないと、行き場のない滋養が毒に変じてしまうのでしょうね」


「うむ。アスタは最初から、美味なる料理が我々の毒にならぬようにと心を砕いてくれていたからな」


 ダリ=サウティは見る者を安心させてやまない笑顔で、そんな風に言ってくれた。


「だからアスタたちは、臭みを隠せるぎりぎりの味付けというものをずっと思案していたのだそうです。特に幼子などは大人ほど身体を使いませんし、それに舌も敏感ですから、それでも病魔を招くことなく美味なる料理を口にできるようにと、そのように配慮してくれていたのですね」


 サウティの末妹がそのように言葉を添えると、ダリ=サウティはいっそう穏やかに「ああ」と微笑んだ。


「確かにこのぎばかつや汁物料理であれば、俺の家の子供たちでも無理なく食せることであろう。口で言うのは容易いが、それには多大な苦労がかけられているのであろうな」


「はい。それでも力あるかまど番が総出で頑張ってくれたので、それなりの品数を考案することができました。これは俺ひとりではなく、みんなで頑張った結果です」


 晩餐の場にも、サウティの血族が織り成すやわらかな空気が満ちている。

 そしてそこにさらなる熱を加えるのが、ラウ=レイの役割であった。


「本当に、かまど番らの尽力は大したものだな! これらの晩餐を食する限り、サウティの血族らもまったく見劣りしない腕であるようだ!」


「うん。だって、サウティの血族だってルウの眷族に手ほどきされてきたんだろう? だったら、見劣りする理由もないさ」


「そうかそうか! その役割を担っていたのはリリンやムファであったので、俺はいまひとつ実態がわかっていなかったのだ! だがやはり、アスタやレイナ=ルウなどから直接手ほどきされていなければ、多少の不利というものが生じるのではないか?」


 俺はしばし思案してから、「そうだね」と答えてみせた。


「帳面に文字を記せるようになってからは、人伝の手ほどきもずいぶん順調に進められるようになったと思うよ。でもやっぱり、屋台の商売とか大きな祝宴に関わると、それ自体がものすごく大きな経験になるからね。そういう経験を得る機会が少ないっていう意味では、ファやルウの近在の人たちよりは不利な面があるんじゃないのかな」


「はい。わたしなどは礼賛の祝宴や建築屋の送別会などでアスタを手伝う機会を得られましたので、それを身にしみて理解しています。レイナ=ルウやユン=スドラといった方々は、ああいった仕事を数多く果たすことで、あれだけの手腕を身につけることがかなったのでしょう」


 サウティの末妹が熱っぽい口調でそのように言いたてると、ラウ=レイは「うむうむ!」とご機嫌の様子で応じた。


「だからこそ、俺はこうしてアスタにヤミルの手ほどきを願っているのだ! アスタから直接手ほどきされるというのが、かまど番にとっては一番の早道であろうからな!」


「そういえば……ヤミル=レイはルウの血族の中でただひとり、ルウではなくファの家の屋台を手伝っておられるそうですね」


 ダダの長姉が笑顔で割り込むと、ラウ=レイは同じ調子で「うむ!」と応じた。


「それも、こちらから願い出たことだ! まあ、ルウの血族に手伝いを願い出たのはアスタのほうであったが、それならばヤミルを使ってくれと俺が頼み込んだのだったな?」


「ああ、たしかそうだったね。その頃はまだこっちの近在でもあまりかまど番が育ってなかったし、フォウやランでは女手が少ないから手伝いを頼むことも難しかったんだよ」


「それで、ファの近在でかまど番が育ったのちも、ヤミル=レイがルウの屋台に移されることにはならなかったのですね?」


 ダダの長姉がそのように言葉を重ねると、ラウ=レイは「うむ?」と小首を傾げた。


「それは確かにその通りだが、何か不満でもあるのか?」


「いえ。不満に思っているわけではなく、ファとレイの絆について知りたく願っているのです。ファとルウが強い絆で結ばれていることは知れていましたが、レイについては聞き及ぶ機会もありませんでしたので」


「確かにな」と呑気な調子で声をあげたのは、ドーンの長兄であった。


「ルウの眷族の中では、ルティムがとりわけ深い縁を持っているのだと聞いた覚えがある。あとは、シュミラル=リリンを家人に迎えたリリンの家か。レイの家もルティムやリリンと同様に、ファの家と特別な絆が生じていたのであろうか?」


「いーや! ファの家と強い絆を持っているのは、レイの家において俺とヤミルだけだ! ……と、俺はそのように思っているのだが、アスタとしてはどうであろうかな?」


「うん。ここ最近で、ようやくラウ=レイのご家族と親密になれてきたって感じかな。それでも正直なところ、まだ名前までは覚えきれていないんだよ」


「うむうむ! あやつらは、俺たちの口からファの家の様子をうかがうばかりであったからな!」


「では、アスタとレイの家長はどのようにして絆を深めたのであろうかな?」


 と、ダダの長姉ではなくドーンの長兄がそのように言葉を重ねてくる。そしてダダの長姉は、どこか満足げな面持ちで俺たちの会話を聞いているようであった。


「たしかアスタは、年少であるザザの末弟を目上の存在として扱っていたように思うのだ。それに、同じ齢であるドムの家長に対してもそうではなかったかな?」


「ええ、その通りですが……でも、よく俺たちの年齢なんかをご存じでしたね?」


「それは、別々に聞き及んだ話だな。若年でありながら大きな仕事を果たす人間というのは、余所の氏族でも話題にあがる機会が多いのだ」


 のんびりと笑いながら、ドーンの長兄はそう言った。


「アスタの活躍は言うに及ばず、ザザの末弟は闘技会などに出ていたし、ドムの家長は若年ながら凄まじい力を持つ狩人だと聞き及んでいる。で、いったいどれだけ若年であるのかと、そういう話が取り沙汰されるわけだな。……それで、レイの家長の齢まではわきまえていなかったのだが、そちらはアスタよりも若年なのであろうか?」


「俺は、アスタと同じ齢だ! ……と思うのだが、どうであったろうか?」


「うん、そうだよ。だから丁寧な言葉を使うなって、ラウ=レイのほうが言いたててきたんじゃないか」


 ラウ=レイは「うむ?」と小首を傾げてから、「おお!」と手を打った。


「思い出した思い出した! それでもアスタが言葉づかいをあらためぬから、軽く小突いてやったのだ! あのときは、スドラの家長をずいぶん怒らせてしまったな!」


「待て」と、アイ=ファが鋭く声をあげた。


「ラウ=レイがアスタを小突いたとは、いかなる話だ? そのような話は、聞いておらんぞ」


「うむ? アイ=ファはその場にいなかったのだったかな?」


「いたならば、私も黙ってはいなかったはずだ。お前はライエルファム=スドラが怒るほどの力でもって、アスタを小突いたのか? それはいったい、いつの話であるのだ?」


「さて? スドラの家長はなかなかの気迫で俺のことをにらみつけていたので、それははっきり覚えているのだが……あれはいつの話であったろうな?」


「うん、まあ、言葉づかいでもめたんだから、ずいぶん昔の話だろうね。だからアイ=ファも、そんなに気にする必要は――」


「家人に暴力をふるわれて、それを捨て置けと抜かすつもりか?」


 アイ=ファの眼光がいよいよ鋭くなりまさり、サウティとドーンの末妹たちを不安げな面持ちにさせてしまった。

 ダリ=サウティも、これはどうしたものかと下顎を撫でさすり――そんな中、ヤミル=レイの声が響きわたる。


「あれは2年前の、家長会議のすぐ後のことよ。あなたとルティムの家長――当時は、まだルティムの長兄だったわね。とにかくあなたたちがわたしをスンからレイの家に連れ帰る道行きで、ファの家に立ち寄ったのでしょう?」


「ほう、そうだったか! そんな古い話を、よくも覚えていたものだな!」


「あなたたちがファの家に立ち寄ったのは、アスタにわたしの罪を許せるかどうかを問うためであったのよ。それでアスタがわたしを許せないようであれば、レイの家人になるという話は取り消されて、ザザかサウティで虜囚のように扱おうという算段であったわけね。そんな運命の分かれ道であった日のことを、わたしが忘れられるわけないじゃない」


 ヤミル=レイは静かに光る瞳で俺たちの姿を見回しながら、そう言った。


「族長ダリ=サウティ。あなたであれば、その日のことを覚えているでしょう? 何せ、わたしのような厄介者を引き取るかどうかの瀬戸際だったのですからね」


「うむ。ディガやドッドをあやつって悪さをさせていたのは、お前であるという話であったからな。なおかつ、お前は非常に知恵が回るように思えたので、すぐさま自由を与えるのは危険であろうという判断であったのだ。よって、ザザやサウティに迎える際は虜囚のように手足を縛り、お前の本心を入念に探るべきという話になっていた」


 ダリ=サウティが落ち着いた面持ちでそのように答えると、サウティの末妹がびっくりまなこで発言した。


「ほ、本当にそのような話があげられていたのですか? わたしはまったく聞いた覚えもなかったのですが……」


「ヤミル=レイはけっきょくアスタに罪を許されて、レイの家人となったのだから、俺もいちいち伝える必要を感じなかったのだ。何せそれ以外でも、伝えるべき話が山積みにされていたからな」


「うむうむ! 俺も思い出したぞ! ザザやサウティがそのように忌避するならば、ルウやルティムで引き取ろうと願い出たのだ! しかし、かつての家族たちのそばに置くことはまかりならんという話であったので、俺が名乗りをあげることになったわけだな!」


「それでわたしが不埒な真似に及んだなら、その場で首を叩き斬ると豪語していたわよね、あなたは」


 ヤミル=レイがそのように口をはさむと、ラウ=レイはきょとんと目を丸くした。


「ふむ? 俺がそのような言葉で、ヤミルを脅していたのか?」


「ええ。しばらくは、わたしのことを毒婦よばわりしていたしね。……あの頃のあなたは、ずいぶん公正であったということよ」


「そうかそうか! 覚えておらんが、まったくもって俺らしい言い草だ!」


 いくぶん重くなりかけていた空気が、ラウ=レイの笑い声によって粉砕される。


「しかし、あの頃も今も、俺は何ら変わっておらんぞ! あの頃の俺はお前に警戒していたが、今は警戒する理由などひとつもないというだけのことだ! 俺の態度が変わったというのなら、それはお前自身の在りようが変わったゆえなのであろうよ!」


「……知恵は回らないのに口が達者というのは、なかなか厄介なものよね」


 そんな風に言ってから、ヤミル=レイはダダの長姉のほうに視線を飛ばした。


「そんないきさつがあったものだから、レイの家では家長とわたしだけがファの家と特別な縁を持つことになったというわけよ。これであなたの好奇心は満たされたのかしら?」


「ええ、おおよそは」と、ダダの長姉はにっこり微笑んだ。

 ドーンの長兄は「なるほどなぁ」と感心したような声をあげている。


「ヤミル=レイにそのような処断が下されていたとは、俺もまったく聞き及んでいなかった。もしもアスタがヤミル=レイの罪を許していなかったら、サウティに迎えていた可能性もあるということか」


「ええ。あなたがたにとっては、危ういところであったわね」


「いやいや。それならそれで、ヤミル=レイと血族になれていたのだから、なかなか愉快な顛末ではないか」


 ドーンの長兄が変わらぬ大らかさでそのように応じると、ラウ=レイがたちまち眉を吊り上げた。


「しかしヤミルは、レイの家人となったのだ! 今さらサウティに受け渡す理由はないし、ドーンとの婚儀は家長たる俺が許さんぞ!」


「俺には婚儀の約定を交わした相手がいるので、そのような心配は不要だぞ。ただ、ヤミル=レイのような女衆と血族になれるのは幸いであろうと思ったまでだ」


「うむ! ルウの血族は、誰もがその喜びを噛みしめているからな!」


 ヤミル=レイは何か言いたげであったが、口は開かぬまま肩をすくめた。

 そしてアイ=ファが、俺に鋭い視線を突きつけてくる。


「それで……どうしてお前は、ラウ=レイとの間に生じた諍いを、私に隠していたのだ?」


「いや、別に隠していたわけじゃないけど……ラウ=レイが荒っぽいのは、いつものことだろ? 別に報告するほどのことじゃないって考えたんじゃないのかな」


「しかし、ライエルファム=スドラが怒りを覚えるほどの話であったのであろうが?」


 俺が思わず閉口してしまうと、ヤミル=レイがひさびさにシニカルな微笑をたたえつつ発言した。


「わたしの記憶にある限り、アスタは一瞬意識を飛ばされていたようであったわね。額の真ん中を拳で殴られて、なんの受け身も取れずに倒れ込んでいたもの」


「ちょ、ちょっと、ヤミル=レイ――」


「あの日、アイ=ファはフォウやスドラの男衆に血抜きや解体の手ほどきをしていたそうね。でも、あの頃のあなたは左腕に深手を負っていたのだから、ともに森には入っていないはずよ。きっと表の騒ぎには気づかないで、家の裏手で仕事を果たしていたのじゃないかしら?」


 すました顔で、ヤミル=レイはそのように言葉を重ねた。


「そしてアスタは、フォウやスドラの女衆にポイタンの焼き方を手ほどきしようとしていたところで、こちらの家長たちに呼び止められたのよ。あれは家長会議の翌々日ぐらいの話であったから、あなたもアイ=ファもずいぶん忙しかったのじゃないかしら?」


 ヤミル=レイのそんな言葉が、俺の記憶巣を刺激した。

 確かにあの日は、俺もアイ=ファもずいぶん多忙であったのだ。家長会議で美味なる料理の意義を知ったフォウやスドラの人々に、さまざまな手ほどきをすることになり――しかも、アイ=ファは負傷の身であり、俺には屋台の商売もあったものだから、余計に目まぐるしく感じられたのだった。


「ああ……思い出したよ。あの日はアイ=ファが、ものすごくしんどそうにしてたんだ。これまで交流を断っていたフォウやスドラの人たちにいきなり好意的な態度を寄せられて、調子が狂うって言ってたんだよな。これまではスンやルウの尊大な男衆ばかりを相手取っていたから、余計に疲れるってさ」


「……うむ。それは確かに、ヤミル=レイがレイの家人になったと聞き及んだ日の夜に交わした言葉であるな」


 驚異的な記憶力を有するアイ=ファは、神妙な面持ちでそのように答えた。

 いっぽう俺が思い出していたのは、アイ=ファの温もりである。くたびれ果てていた俺たちは、なんやかんやと言い争いをして――そののちに、アイ=ファが俺の手を頭に乗せるようにと要請してきたのである。


「そもそも家長会議では大変な目にあわされたし、これからジェノスの貴族とも話をつけなきゃならないって時期だっただろう? あの頃はカミュア=ヨシュの思惑もわからなくって、そっちにもずいぶん振り回されてたし……だからいっそう、俺にとってはラウ=レイに小突かれたことなんて些細なことだと思えて、アイ=ファに報告しなかったんだろうと思うよ」


「……そうか。確かにお前は自らが痛手を負うことに頓着しない気質であるため、余計そのように思いそうなところだな」


 アイ=ファは憤懣をぐっと吞み下した様子で、そう言った。

 そして、ラウ=レイのほうを鋭くにらみつける。


「しかし、たかが言葉づかいの話で意識を失うほどの暴力を加えることなど、決して許されまい。今後そのような真似に及んだならば、お前とのつきあいも考えさせてもらうぞ」


「わかっている! きっとあの日は、俺も気が昂っていたのだ! 家長会議のあともスン家に居残って、あれこれ語らった帰り道であったのだからな!」


 ラウ=レイは無邪気に笑いながら、木皿の汁物料理を口の中にかきこんだ。

 ずいぶん長々と語らってしまったが、その間もおおよその人々はきちんと食事を進めていたのだ。そうして話が一段落すると、サウティの血族の女衆らも人心地がついた様子で穏やかな表情を取り戻していた。


 そんな中、ヤミル=レイはひそかに深々と息をついている。

 そして、俺の視線に気づくと――ほんの一瞬だけ頬を赤らめ、ぷいっとそっぽを向いてしまった。なんとなく、「これで文句はないでしょ?」とでも言いたげな挙動である。


 ひとたび口を開いてから、ヤミル=レイは普段通りの彼女らしさを見せていた。いささかならず人を食った態度であり、ちょっぴり偽悪的な面もあり、そうして皮肉っぽい言葉を並べたてながら、最終的には上手い具合に話をまとめるという、彼女の複雑で魅力的な人柄がぞんぶんに発揮されていたように思う。

 だから、やっぱり――彼女は調子を乱しながら、なんとかいつも通り振る舞おうと懸命であるのだろうと思われた。


(ヤミル=レイだったら、ダダの長姉にじっくり観察されてることにも気づかないはずがないからな)


 なおかつ、俺やラウ=レイが時間を作ってヤミル=レイと個人的に語らおうとしていたことにも、気づいていたに違いない。それで、そんな真似は不要であると主張するために、ヤミル=レイは自分らしさを全開にして語りたおしてみせたのだろう。ヤミル=レイというのは、そういう人物であるのだ。


(きっと、人にあれこれ世話を焼かれることが、ヤミル=レイにとっては一番落ち着かないことなんだろうしな)


 俺はそのように結論づけて、自分も食事を進めることにした。

 そうして客人らを招いた最初の夜は、あちこち思わぬ方向に話が転がりつつも、まずは平穏に過ぎ去っていったのだった。

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