レイとサウティの逗留②~勉強会~
2022.3/22 更新分 1/1
屋台の商売を終えた後、ユン=スドラがユーミのもとを訪れると、そちらからは「問題なし」との言葉が伝えられたとのことであった。
「あのビアという御方は、ユーミに負けないぐらいかまど仕事の手際がいいようですね。ランの末妹もそれは同様ですので、あれならばユーミがいなくとも屋台の商売を果たすことはかなうのでしょう」
よって、ランの末妹にはのちほど迎えを寄越し、この5日間の行状を家長らに報告させ、それで問題が見られなければ、明日からでもユーミをランの客人に迎え入れることになるだろうという話であった。
「その際も、また5日ていどの区切りでおたがいの家人を家に戻し、どのような行状であったかをそれぞれ語り合うことになるのでしょうね。そうまで長々とユーミを森辺に滞在させるのは、サムスたちも心配でしょうから」
「うん。これできっと、ずいぶん理解が深まるだろうね。ユーミとジョウ=ランの婚儀も、いよいよ目前なのかな」
「どうでしょう? ユーミたちより先に懸想し合っていたフォウとヴェラの人たちもまだ様子を見ているさなかですし、モルン・ルティム=ドムもドム家への滞在から1年ほども時間をかけていましたしね」
「そっか。フォウとヴェラの人たちなんかも、もう1年ぐらいは経ってるんだったね」
彼らがおたがいを見初めたのは、生鮮肉の商売を正式に開始した頃であるから、おそらく昨年の青の月あたりであるのだ。家長会議を終えるまでは、フォウとダイの血族がその仕事を担っており、それをサウティとラヴィッツあたりに引き継がせる際に、護衛役であったフォウの男衆と市場の当番であったヴェラの女衆が出会うことになった――という顛末であるはずであった。
「それからすぐに行動を起こしていたら、今ごろはもう婚儀をあげていたのかな。フォウとヴェラで家人を預け合うことになったのは、ディック=ドムたちの婚儀の祝宴に参席してからだもんね」
「ええ。ですが、長きの時間をかけて悪いことはないのでしょう。血族ならぬ相手との婚儀も、宿場町の民との婚儀も、慎重に相手を見定めるべきなのでしょうからね」
そんな風に語りながら、ユン=スドラはちょっと口もとをごにょごにょさせた。
その表情にピンときた俺は、ついつい笑ってしまう。
「特にジョウ=ランに関しては、本人まかせにしないで周囲の人間が厳しく見定めるべきって感じかな? 俺も同じ意見だよ」
「あ、いえ、決してそんな思いを抱いていたわけでは……あ、でも、虚言は罪ですよね……」
「あはは。俺だってジョウ=ランには振り回された立場だから、ユン=スドラの気持ちは痛いぐらいわかってるつもりだよ」
しかし、現在のジョウ=ランの気持ちは、真っ直ぐにユーミへと向けられている。それだけはまぎれもない真実であると信じることができるのは、誰にとっても幸いなことであった。
ともあれ、そちらの一件はラン家にお任せして、俺の当面の役割は客人たちの歓待だ。
森辺の集落に帰りつき、ルウ家の面々とお別れしたのちは、ファの家にて勉強会である。本日の参加メンバーは、常勤組のトゥール=ディン、ユン=スドラ、マルフィラ=ナハム、レイ=マトゥアに、ガズ、フォウ、ランの女衆、フォウの集落に滞在しているヴェラの家長の妹、そして4名の客人たちであった。
「この6日間は、ずっと生鮮肉の商売の当番だった氏族の人たちに、血抜きをしていないギバ肉の取り扱いを手ほどきしてたんだよね。で、次の当番にはちょうどサウティの血族が入ってるから、今日から5日間みっちり手ほどきしようと思うよ」
「はい! わたしたちも、話には聞いていました! 血抜きをしていないギバ肉で美味なる料理を作れるなんて、驚きです!」
サウティの末妹は、きらきらと瞳を輝かせている。
そのいっぽうで、ダダの長姉は「なるほど」とかまどの間に集まった面々を見回した。
「生鮮肉の次の当番は、サウティ、ヴェラ、フォウ、マトゥア、でしたね。その血族である人間が、あらかた集められているわけですか」
「うん。明日以降には、フェイとタムルの方々にも参加してもらうつもりだよ。そうすれば、サウティの血族にもひと通り伝授できるわけだからね」
「はい。サウティの血族はのきなみギバの収獲量が減ってしまったので、アスタの提案を心からありがたく思っていました」
ダダの長姉のそんな言葉に、レイ=マトゥアが心配げな声をあげた。
「やっぱりそちらでは、収獲量が減ってしまっているのですね。それはもちろん、飛蝗に狩り場を荒らされてしまった影響なのでしょう?」
「わたしは、そう聞いています。狩り場の何割かが失われてしまったのですから、致し方のないことですね」
そのように答えてから、姉御肌であるダダの長姉は力強く微笑んだ。
「でも、普段の生活に支障が出るほど、収獲量が落ちたわけではありません。ただ、商売用の生鮮肉を自力で準備するのが厳しい状況にあった、ということですね」
「ええ。それでも、血抜きに失敗したギバ肉で晩餐をまかなうことができれば……きっと、血族だけで肉を準備することもできるでしょう。サウティには、5つもの眷族があるのですからね」
サウティの末妹もそのように声をあげ、ドーンの末妹は笑顔でうなずいた。
あまり出しゃばったりはしないが、ゆったりと落ち着いていて力に満ちているのが、サウティの血族の特色である。彼女たちの織り成す穏やかな雰囲気を、俺はとても好ましく思っていた。
「でもそれなら、フォウも当番に含まれていたから、あなたもこうして大手を振って出向けたわけね。フォウとヴェラが同じ組であったのは幸いだわ」
と、ダダの長姉が笑いを含んだ目をヴェラの女衆へと送り届ける。余所の人間には礼儀正しいが、身内には気安い人柄であるのだ。
そして、そんな視線を向けられたヴェラの女衆は、ほんのり頬を赤らめながら「はい」とうなずいた。
「わたしもみんなに会いたかったので、本当に幸いでした。これから5日間、どうぞよろしくお願いします」
「あら、ずいぶん他人行儀な言いようね。たとえあなたがフォウに嫁いでも、わたしたちが血族であることに変わりはないのよ?」
「そ、それは十分にわきまえています。あまりからかわないでください」
兄たる家長を相手取る際にはマイペースで上手を取ることの多い彼女であるが、こうまで真っ向から婚儀の話を取り沙汰されると、少女らしい恥じらいを隠せないのである。なんとも微笑ましい限りであった。
(まあ、微笑ましいことは微笑ましいんだけど……ずっと前にデイ=ラヴィッツが皮肉ってた通り、フォウの血族ってのはなかなか大変な道を歩んでるよな)
現在は、フォウの男衆がヴェラの集落に滞在し、ヴェラの彼女がフォウの集落に滞在している。ヴェラは族長筋たるサウティの眷族で、しかも彼女はヴェラ本家の家長の妹であるのだから、バードゥ=フォウとしてはそれなりの気苦労を覚えているはずであった。
そしてこのたびは、フォウの眷族たるランの家で、《西風亭》と家人を預け合う計画を立てているのだ。どちらか片方でも大ごとであるのに、それを同時にこなさなくてはならないというのは、もうそれなり以上の気苦労であろう。
しかし、バードゥ=フォウがそれらの話で気落ちしている姿を見せたことはない。血族ならぬ相手との婚儀であろうと、森辺の同胞ならぬ相手との婚儀であろうと、とにかく正しい道を見いだせるようにと、バードゥ=フォウは強く真っ直ぐな気持ちで向き合ってくれているのである。バードゥ=フォウがそれだけ誠実なお人柄でなければ、ユーミもジョウ=ランもフォウとヴェラの両名も、もっともっと大きな苦労を抱えているはずであった。
「それじゃあ、勉強会を始めようか。まずは、血抜きをしていない肉の洗い方からだね。人数が多いんで、4つの組に分かれて実践してみよう」
俺がそのように声をあげると、ヤミル=レイはいつしかトゥール=ディンのもとにぴったりと寄り添っていた。
これはきっと、俺ではなくトゥール=ディンの組に自分を割り振りなさいという意思表示であろう。俺は苦笑を噛み殺しつつ、その要望に応えることにした。
(でも、笑ってばかりもいられないよな。サウティの人たちとの滞在が気まずくならないように、また後できちんと話し合っておかないと)
そんな思いを抱え込みつつ、俺は作業を開始することになった。
トゥール=ディンとユン=スドラとマルフィラ=ナハムを班長に任命し、レイ=マトゥアはマルフィラ=ナハムの補佐役だ。この4名はずっと修練を積んでいたので、もう血抜きをしていないギバ肉の扱いも完全に体得できている。あとは客人を含む8名を2名ずつ割り振り、俺はダダの長姉とドーンの末妹を預かることにした。
「えーと、まず、血抜きに失敗したギバ肉を塩水で洗った経験はあるかな?」
「いえ。話には聞いていましたが、経験はありません」
「わたしはつい最近、その話をうかがいました。きっと当時は、まだかまど仕事も覚束ない幼子だったもので……」
「ああ、2年も前の話だと、君はまだ11歳かそこらだったんだもんね。それじゃあ、ひとつずつ進めていこう」
肉を塩水で洗うのに必須であるのは、まず大きな容器である。ファの家ではこの手ほどきのためにたらいのような器を複数購入していたが、大きささえあれば鉄鍋でも何でもかまいはしなかった。
その容器に、あるていどの厚みで切り分けたギバ肉をどっさりと投じ、適正な量の水と塩を加える。これを四半刻ほど放置すると、塩水の浸透圧によって肉の中の血が外に押し出されるのだった。
「そうしたら塩水を取り換えて、今度は新しい塩水の中で肉を揉むんだ。これで、可能な限りは血を抜けるはずだよ」
「なるほど。でも、完全に血を抜けるわけではないのですよね? 塩水に漬け込む時間を長くしても、変わりはないのでしょうか?」
「うん。俺もあれこれ試行錯誤してみたんだけど、これ以上長く塩水に漬け込んでおくと、肉が硬くなって、色もすごく白くなっちゃうんだよね。肉が塩水を吸いすぎちゃうみたいなんだ」
実際のところ、これは俺が故郷で習い覚えた技術を実践の場で改良させた方法に他ならなかった。俺はかつてファームキャンプで猪肉の取り扱いを学んでいたが、それらのすべてがぴったりと当てはまったわけではないのだ。
まあ、ギバと猪は異なる獣であるし、この塩だってどこまで成分が一致しているのかもわからない。それらの違いを埋めるために、俺もあれこれ試行錯誤することになったわけであった。
ファームキャンプにおいて、血抜きが十分でない猪肉は1時間ばかりも塩水に漬けるべしと習い覚えた。しかしこちらの世界でギバ肉を1時間も塩水に漬けておくと、肉ががちがちに硬くなり、色も奇妙に白みがかってしまうのだ。もとより、この方法で血抜きをすると肉は白みを帯びるものであるが、本当に不自然なぐらい白濁してしまうのだった。
よって、肉が変色しすぎないぎりぎりの時間を計り、それが四半刻ていどという結果になった。
また、猪肉の場合は塩水が赤くなるたびに何度か交換すべきと習っていたが、漬け込む時間が四半刻であれば、途中で交換する甲斐はなかった。それで最後にだけ塩水を交換し、適度に肉を揉みほぐすのが最善であると思われた。
「実のところ、この洗い方をみんなに伝えた2年前には、塩や水の分量を量る器具も、時間を計る砂時計も手にしてなかったから、余計に大雑把なやり口だったんだよ。だから今以上に、臭みを取ることも難しかったわけだね」
「なるほど。それでさまざまな環境が整った現在に、あらためて取り組んだということなのですね。アスタの発想や手腕には、本当に感服させられてしまいます」
「わたしも、同じ気持ちです」と、ドーンの末妹が熱っぽく賛同の声をあげる。ヴェラの女衆と交代する形でファの家に滞在することになった彼女は、若年ながらもひときわ強い熱情を携えていたのだった。
「さあ、これで完成だ。血が抜けた分、少し色合いが落ち着いただろう?」
「はい。でも、不自然なほど白みがかってはいませんね。普通に血抜きをされたギバ肉と、大差ないように思います」
「うん。でもやっぱり、ちょっと臭みは残されちゃってるんだよ。というか、これはきっと血そのものが臭ってるんじゃなく、血に触れていた箇所の肉が臭みを帯びているってことだと思うんだよね。だから、ギバが息絶えた後にどれだけ肉を洗っても、完全に臭みを取ることはできないってことなんじゃないのかな」
そうして俺は、この段階の素の味を確認してもらうことにした。
他の組はまだ作業の途中であったため、全員分の肉を焼きあげてみせる。それを口にした一同は、みんなして「うーん」と渋い顔をした。
「確かにはっきりと、普段にはない臭みを感じます。……でも、アスタから手ほどきをされる2年前までは、これよりも遥かに臭みの強い肉を口にしていたのですよね」
「なんだかもう、それを思い出すのが難しいぐらいです。あとで、まったく血抜きをしていないギバ肉も味見をさせていただけないでしょうか?」
「うん。たまにはそういうのもいいかもね。それじゃあ他の組も作業が済んだら、今度はその肉に臭みを隠せるような味付けを施してみよう」
俺がそのように宣言したところで、表のジルベが「わふっ」と嬉しそうな声をあげた。大切な家人らが、森から帰った合図である。
「まだ日は高いから、持ち帰れる分の収獲を運んできたのかな。ちょっと様子を見てくるから、みんなは作業を続けててね」
が、俺の組は手空きとなるため、ダダとドーンの両名は一緒にかまどの間を出ることにした。
そして、アイ=ファたちが姿を現すなり、ドーンの末妹が「うわあ」と声をあげる。
「兄さん、お帰りなさい! こんな明るい内から、すごい収獲だね!」
「ああ。ファの狩り場は、ギバであふれかえっているな」
ドーンの長兄はのほほんと笑いながら、ヴェラの家長とふたりがかりで棒にくくったギバを担いでいた。
そして、アイ=ファはラウ=レイとともに、ダリ=サウティはひとりでギバを担いでいる。そのいずれもが、100キロ超えの大物であるようだった。
「しかし、この時間で3頭ものギバを狩れたのは、これだけの狩人が居揃っているためであろう。アイ=ファはもちろん、レイの家長の力量も大したものであったぞ」
「なんのなんの! それもお前たちが、ギバ寄せやギバ除けの実を見事に使いこなしているゆえであろう! あとは何と言っても、やはり猟犬を扱うアイ=ファの手腕だな!」
ラウ=レイはいつも通りの朗らかな口調であったが、その水色の瞳にはまだ狩人としての気迫がぞんぶんに残されていた。いまだ仕事のさなかであるため、集中を切らしていない、ということなのだろう。
ただし、そういった気迫を保持しているのはラウ=レイとヴェラの家長のみで、アイ=ファやダリ=サウティやドーンの長兄は、いつも通りのたたずまいである。気持ちの切り替えが速やかであるかどうかは、各人の気性によるのであろうと思われた。
「この3頭は、いずれも血抜きに成功できた。しかし、1頭ぐらいは血抜きをしていないギバが必要であるという話であったな?」
「うん。でも明日の勉強会はルウ家だから、明後日までに確保してもらえたらありがたいって感じだな」
「相分かった。では、今日のところはかなう限り、血抜きを施すこととしよう。サウティとヴェラは、間もなく生鮮肉を売る当番であるという話であったしな」
当番の切り替えは6日後であったので、本日の収獲分も市場に回すことは十分に可能であるのだ。ダリ=サウティたちもあらかじめ、ギバ肉を保管するための木箱とピコの葉を持参していた。
「こちらとしては、ありがたい限りだ。しかし本当に、俺たちが半分もの肉を受け取っていいものなのであろうか? 収獲は、果たした仕事の大きさによって割り振るものであろう?」
ダリ=サウティがそのように発言すると、ラウ=レイが「大事ない!」と応じた。
「ルウの眷族も、屋台の商売に必要な肉を準備することでルウから銅貨を受け取っているが、レイでは俺ぬきでもその仕事を果たすことがかなうのだ! 俺が肉を持ち帰ったところで使い道はないのだから、この5日間の収獲はファとサウティで分け合うがいいぞ!」
「うむ。それに、果たした仕事の大きさといえば、このたびの収獲もギバ除けの実の力が大きかろう。また、そちらは3名もの狩人が仕事を果たしているのだから、収獲の半分でも足りていないように思えるぞ」
アイ=ファも、そのように言葉を添えた。
「ただし、ラウ=レイもまた大きな仕事を果たしていることに疑いはない。せめて牙と角と毛皮だけでも持ち帰ってもらいたく思うのだが、どうであろうか?」
「うむ! それだけの牙と角を持ち帰れば、レイの家人らも仰天することであろう! それはちょっと見てみたい気がするので、アイ=ファの申し出をありがたく受け入れたく思うぞ!」
「では、毛皮は手早くなめすべきであろうから、アスタたちがルウの集落に立ち寄る際に受け渡すとするか。アスタ、明日からはそのようにな」
「うん、了解」
そうして話のまとまったアイ=ファたちは、解体部屋へと踏み入っていった。
それで俺たちもかまどの間に戻ろうとすると、ラウ=レイだけが駆け足で舞い戻ってくる。そして、俺にヘッドロックを仕掛けながらひそひそと囁きかけてきたのだった。
「アスタよ、ヤミルは大事ないか? よもや、仕事に支障は出ていなかろうな?」
「うん。仕事のほうは、問題ないよ。ただ、まだちょっと態度が硬いかな。あまり馴染みのない人たちには、冷たい印象を与えてしまうかもね」
「それはいかんな。まったく、しかたのないやつだ」
小声でそんな風に言いながら、ラウ=レイはどこか楽しげにも見えた。
「では、俺も時間を見つけて、もういっぺんヤミルと話し合っておくことにしよう。その前にヤミルが不始末を犯すようであれば、アスタが遠慮なく叱りつけてやってくれ」
「うん、了解。でも、晩餐の場とかでは、そういう話はしないほうが――」
「わかっている。馴染みの薄い人間の前では、ヤミルも余計に頑なになってしまおうからな」
さすが2年以上もともに暮らしていれば、ラウ=レイにもヤミル=レイの気性が十分に理解できているようであった。
なおかつ、あれだけ直情的なラウ=レイでも、ヤミル=レイのためであればきちんと気を回せるようになっていたのだ。それは何より、喜ばしい話であった。
「まったく世話の焼けることだが、これもヤミルが多少は人間らしい部分を素直に見せられるようになってきたという証であろう。アスタにも世話をかけるが、俺のいない間はあいつを見守ってやってくれ」
「了解したよ。ラウ=レイも頑張ってね」
ラウ=レイはにっと白い歯をこぼしてから、解体部屋へと戻っていった。
こちらもあらためてかまどの間に戻ろうとすると、ダダの長姉が明るく笑いかけてくる。
「レイの家長というのは、燃える火のような御方なのですね。さすが勇猛なるルウの血族で、勇者になられたこともあるという御方です」
「うん。ちょっと短気で森辺の習わしをないがしろにしがちなところもあるけど、とても魅力的で頼り甲斐のある男衆だよ。何かと驚かされることもあるかもしれないけど、長い目で見守ってほしいかな」
「承知しました。……ヤミル=レイという御方には、さらに長い目が必要なのでしょうか?」
俺はいささかならず虚を突かれたが、これもいい機会かと思って「そうだね」と答えてみせた。
「ちょっとわけあって、ヤミル=レイは普段通りじゃないみたいだからさ。でも、決して悪いお人ではないんで、じっくり絆を深めてもらいたく思うよ」
「承知しました」と繰り返し、ダダの長姉は力強く微笑んでくれた。ドーンの末妹も、きゅっと引き締まった顔でうなずいている。
そうして俺たちが戻ってみると、かまどの間にはさまざまな香草や調味料の香りがあふれかえっていた。どの組も塩水による肉の血抜きを終えて、臭みを消すための調理に取りかかっていたのだ。
ヤミル=レイはサウティの末妹とともに、トゥール=ディンから手ほどきを受けている。つきあいの長いトゥール=ディンが相手であるためか、朝方のようなぎこちなさは皆無であるようだ。マルフィラ=ナハムもガズとランの女衆を相手に、のびのびと手ほどきできているようであった。
「……そういえば、ヤミル=レイもトゥール=ディンも、ともにスンの人間であったのですよね?」
と、こちらで作業を再開するなり、ダダの長姉がそのように囁きかけてくる。
漬け汁を作製するための調味料を準備しつつ、俺は「うん」と応じてみせる。
「ただ、ヤミル=レイは本家で、トゥール=ディンは分家だったからね。スンの家を出てすぐに再会した頃は、トゥール=ディンもヤミル=レイに怯えていたんだ。でも、一緒にかまど仕事を習うことで絆を深めて、あんな風に仲良くなることができたんだよ」
「なるほど。確かにヤミル=レイの側も、トゥール=ディンには心を開いているように見受けられます。でもそれは、同じ血筋であったことが原因ではない、ということですね」
ダダの長姉は穏やかな表情であったが、俺はまたもや虚を突かれた思いであった。気さくで姉御肌である彼女は、俺が想像していた以上に鋭くヤミル=レイのことを観察しているようである。
(でも確かに、ヤミル=レイは厳しく見定められるべき立場なんだろうしな)
ルウの血族や屋台に関わっている人間であれば、ヤミル=レイがこの2年間をどのように過ごしてきたかを実際に見届けている。しかし、そうでない人間にとっては――ヤミル=レイは、かつての大罪人であるのだ。それにきっと、レイ家に引き取られるなりあっさりと氏を与えられたという風評も聞き及んでいるのであろうと思われた。
だが、どれだけ厳しい目で見定められようとも、ヤミル=レイに恥ずべきところはない。彼女はしっかりと罪を贖い、森辺の民として正しい道を歩んでいるのだ。
それを理解してもらうためにも、ヤミル=レイにはまずいつもの彼女に戻ってもらわなくてはならなかった。