《銀の壺》の送別会③~終わりなき楽しみ~
2022.3/6 更新分 1/1
・今回の更新はここまでです。更新再開まで少々お待ちください。
そうしていくつかの宴料理を口にしたのち、俺たちはようよう俺の準備した宴料理のかまどに到着することになった。
そこで働いていたのは、ラウ=レイの姉たる長姉と末妹である。次姉と母親には幼子の面倒を見る仕事があったため、こちらの仕事はこの両名が受け持ってくれることになったのだ。
「どうも、お疲れ様です。何も問題はありませんでしたか?」
「こんなの出来上がった料理を取り分けるだけなんだから、なんの問題もありゃしないよ!」
「そうそう。このていどの仕事なら、あんたやヤミルの手を借りるまでもないさ」
ラウ=レイの家族の中でもっともけたたましい両名であるが、それでもおっとりとした次姉が離席するだけで騒がしさが半減するように感じられるのは不思議な効果であった。
まあ、ラダジッドたちは前回の祝宴でも彼女たちと交流を結んでいたし、本日も夕刻に訪れた際に挨拶をしてくれている。よって、今さら彼女たちの騒がしさに驚くこともなかった。
「おっ! アイ=ファの宴衣装を拝見するのは、ちょっとひさびさだね! うーん、こうして見ると、女狩人だなんて信じられなくなっちゃうよねぇ」
「いやいや。狩人だからこそ、こんなに凛々しいんじゃないの? それでいて、そんじょそこらの女衆が及びもつかないぐらい色っぽいんだから、始末に負えないよね」
アイ=ファもまた、凛々しい無表情で姉妹の冷やかしを聞き流している。そして、心優しきシュミラル=リリンが何事もなかったかのように場をつないでくれたのだった。
「こちら、アスタ、料理ですね? カレーの香り、芳しいです」
「ありがとうございます。ラダジッドたちも、どうぞお召し上がりください」
俺の返事を合図にして、姉妹がてきぱきと料理を取り分けてくれる。まず最初に供されたのは、本日初お披露目である『ギバ骨スープカレー』であった。
「こちらはギバの骨ガラを出汁に使って、カレーを汁物に仕上げた料理です。シャスカにも合わないことはないかと思いますが、フワノで食べる前提で味を作っていますので、どうぞ」
レイナ=ルウは本日もギバ骨ラーメンを出す予定であったため、俺もギバ骨の出汁のおすそわけをお願いしていたのだった。
焼いたフワノをスープカレーにひたしたラダジッドたちは、なんとか表情を乱すまいとわずかばかりに肩を震わせる。そして年若き団員だけは、こらえきれずに大きく目を見開いてしまっていた。
「こちら、味わい、強烈です。カレーの味、さらに、力強く、支えられており……表現、不適切かもしれませんが、野太い味、感じました」
「野太い味というのは、いいですね。俺にもぴったりの言葉だと思えます」
ただでさえ強いカレーの味が、ギバ骨の力強い出汁によって支えられているのだ。俺としてもカレーにギバ骨の出汁を使うのはぶっつけ本番であったものの、想像以上の豪快な旨みとコクを実現できていたのだった。
「****! ***、********、******、***?」
と、若き団員がいきなり東の言葉を並べたてたため、ラダジッドがそれをたしなめた。
「アスタへの質問、東の言葉、述べること、不相応です。まず、心、落ち着けるべきでしょう」
「し、失礼です。いえ、失礼しました、です。……ジギ、ギャマの骨、出汁、使います。私、好物です。ギャマの骨、カレー、調和、どうでしょう?」
「それは試してみないとわかりませんが、カレーの強い味はさまざまな出汁と調和します。海鮮やギバの骨とも調和したのですから、ギャマの骨とも調和する可能性は高いのではないでしょうか?」
「さらなる喜び、授かりました。ジギ、戻ったら、即刻、試したい、思います」
そうして若き団員が静かになると、今度はシュミラル=リリンが俺に微笑みかけてきた。
「私もまた、ラダジッドたち、同じぐらい、驚かされています。ギバの骨、扱う、祝宴のみですね?」
「はい。ギバの骨から出汁を取るのは、半日がかりですからね」
「では、祝宴において、授かる喜び、倍増します。この料理、毎回、準備されるか、不明ですが」
「それは今日の評判次第でしょうね。レイナ=ルウの判断に期待いたしましょう」
俺たちがそのように語らっている間も、広場を行き交う人々が同じ料理を堪能している。その隙間から、姉妹の小さなほうが呼びかけてきた。
「あんたたちに取り分けた料理は、他の連中に持っていかれちゃったよ! 食べたいんなら、さっさと皿を持っていきな!」
「ああ、はいはい。俺が運んできますので、みなさんはこちらでお待ちください」
そうして俺が離脱すると、アイ=ファも影のように追従してくる。そうして俺たちは両手に皿を掲げながら元の場所に戻ることになった。
「俺の準備したもうひと品は、カレーコロッケという料理です。カレー料理の連続になってしまいますが、よろしければどうぞ」
「はい。カレー料理、連続、喜ばしい限りです」
チャッチはまだまだ大量に買いつけることが難しいため、このカレーコロッケもサツモイモのごときノ・ギーゴで仕上げられている。しかし味を調えれば、ノ・ギーゴの甘みが素晴らしい隠し味になることがすでに立証されていた。
『ギバ骨スープカレー』ほどのインパクトはなかろうが、ラダジッドたちは十分に満足そうな眼差しでカレーコロッケを食べてくれている。そして真っ先に発言したのは、またもや年若き団員であった。
「カレーのため、調合した香草、これほど、さまざまな料理、転用、可能なのですね。いっそう、希望、ふくらみます」
「はい。みなさんの故郷でも、ぜひ色々なカレー料理に挑んでみてください」
《銀の壺》の面々にご満足いただけた様子で、俺は心から喜ばしい限りであった。
なおかつ、シュミラル=リリンばかりでなくアイ=ファまでもが幸福そうなお顔をしているために、俺の喜びも倍増だ。こんな日でも、アイ=ファは俺の手掛けた料理を口にできる喜びをあらわにしてくれていたのだった。
そうして2種のカレー料理を食した俺たちは、いよいよ軽い足取りで次なるかまどに向かったわけであるが――その道中で、ちょっとした騒ぎが耳に飛び込んできた。それに最初に気づいたのは、狩人として卓越した聴覚を有するアイ=ファである。
「うむ? ラウ=レイとヤミル=レイが、何やら揉めているようだな」
「え? どうして、あのふたりが?」
アイ=ファの視線を追うと、ふたりは広場の賑わいから外れて、とある分家の母屋の前にたたずんでいた。確かに何か大きめの声で言葉を交わしているようであるが、その近くを通りかかった人々も事情をうかがうべきかどうか迷っているように見えた。
「あの両名、アスタたち、強い縁、持っています。様子、見にいくこと、了承、もらえますか?」
シュミラル=リリンの問いかけに、ラダジッドたちは快諾してくれた。
そうして俺たちが6名がかりで接近してみると――異なことに、騒いでいるのはヤミル=レイのほうであるようであった。
「おお、アスタにアイ=ファにシュミラル=リリン! 申し訳ないのだが、ちょっとこいつをなだめるのに助力を願えないだろうか?」
と、ラウ=レイがしかめっ面でそのように言いたててくる。ラウ=レイがそのような言葉を口にするのは、きわめて珍しいことであった。
「なだめるって、いったいどうしたのさ? ヤミル=レイと喧嘩でもしたのかい?」
「喧嘩などしておらん。こいつがひとりで騒いでいるだけなのだ」
ラウ=レイの言葉に、ヤミル=レイは「ははん」と鼻で笑った。
「ええ、そうよ。悪いのは、いつもわたしひとりよね。あなたもいい加減、こんな不出来な家人にかまうのは控えたほうがいいのじゃないかしら?」
「そら、この調子なのだ。ヤミルのこんな姿を見るのは、俺にしても初めてのことだぞ」
ラウ=レイはいよいよ顔をしかめながら、腕を組む。
ヤミル=レイは母屋の壁にもたれて、だらしなく立ち尽くしており――そしてその手には、果実酒の土瓶が握られていた。
「……もしかして、ヤミル=レイは酔っぱらっているのかな?」
俺がこっそりラウ=レイに耳打ちすると、ヤミル=レイは「何よ」とけだるげに言った。
「言いたいことがあるのなら、はっきり言えばいいじゃない。男同士で内緒話なんて、あんまりみっともいい姿ではないわよ」
「見ての通り、ヤミルは酔っている。俺が見つけたときにはこの状態であったので、どれだけの果実酒を口にしたかはわからんのだがな」
そんな風に言いながら、ラウ=レイは鋭い眼光で年老いた団員をねめつけた。
「おい。お前はたしか、星読みを得意にしていたな。念のために確認しておきたいのだが……ヤミルに星読みを願われたりはしておらんだろうな?」
「およしなさいよ。客人にあらぬ疑いをかけるだなんて、礼を失しているにもほどがあるでしょう?」
「しかしヤミルが我を失うほどに酒を飲んだのは、あの旅芸人に星読みを願った祝宴以来であろう。あのときだって、今ほど我を失ってはいなかったがな」
「わたしは我なんて失っていないわよ。どのように見えたって、これがわたしの本性よ」
そのように語るヤミル=レイは声量も落ち着いていたため、さきほどまでのように騒がしくは感じられなかった。
が、だらしない姿勢で壁にもたれかかり、挑発するように俺たちを見回してくるその姿は――普段のクールな雰囲気が霧散してしまい、豪奢な宴衣装と相まって、何だかむやみに色っぽい。もともとヴィナ・ルウ=リリンに匹敵するぐらい容姿は端麗なヤミル=レイであるのだが、酒気のせいで理性が減退し、妖艶なる色香がとめどもなく放出されてしまっているかのようであった。
「星読みが関係ないというのなら……おい、アスタよ。ヤミルは今日も、俺の姉たちと仕事を果たしていたそうだな。それでまた、あれこれ余計な口でも叩かれたのか?」
「だから、罪もない相手に疑いをかけるのはおよしなさいな。いつだって、悪いのはわたしひとりであるのよ」
「だから、その言い草が気に入らんのだ。お前にもあれこれ至らぬ点はあるのであろうが、何も悪人というほどの悪さはしていないのだから――」
「たった2年やそこらで、わたしの何をわきまえているというの? なんでも見透かしているような口を叩くのは、勘弁願いたいところよね」
ラウ=レイはぎゅっと口もとを引き締めて、ヤミル=レイの姿をにらみ据えた。レビたちの婚儀ではずっとにこにこ笑っていたので、ラウ=レイのこのように厳しい表情を目にするのはずいぶんひさびさのことである。
「……これは念入りに言葉を交わす他ないようだな。アスタよ、さきほど助力を願ってしまったが、それは取り消させてもらう。お前たちは、心置きなく祝宴を楽しむがいい」
「いやいや、ラウ=レイたちを放ってはおけないよ。あ、ラダジッドたちは、よければシュミラル=リリンと――」
「いえ。我々、ルウの血族、等しく、絆、深めたい、願っています」
ラダジッドたちは、きわめて落ち着いた眼差しでラウ=レイたちの様子をうかがっている。
そんな中、厳しい表情をしたアイ=ファが進み出た。
「しかし、余人の目があると余計に話がこじれるという面もあろう。アスタよ、我々はあちらで待っているので、お前が話を聞いてみるといい」
「え? 俺がひとりで?」
「うむ。ラウ=レイとヤミル=レイの両方と深く絆を深めているのは、お前のみであろうからな」
そのように述べたてるアイ=ファは、とても真剣な眼差しであった。
アイ=ファが騒ぎの場に俺だけを残そうとするのは、かつてなかった行いだ。俺はこれ以上もなく気持ちを引き締めながら、「わかった」と応じてみせた。
「それじゃあ、ちょっとだけ時間をいただくよ。ラダジッドたちも、申し訳ありません」
「いえ。解決、願っています」
アイ=ファとシュミラル=リリンとラダジッドたちは、こちらの言葉が届かない距離にまで遠ざかっていく。
その過程で、ヤミル=レイがまた色っぽく鼻を鳴らした。
「いったい何の騒ぎなのかしらね。アスタであれば、わたしに手綱をつけられるとでも思っているのかしら」
「俺はただ、ヤミル=レイを心配しているだけです。手綱を握ろうだなんて、そんな僭越なことは考えておりませんよ」
「でも日中は、そうしてわたしを庇い立てしていたじゃない。まるで、幼子を守るみたいにね」
そう言って、ヤミル=レイは果実酒の土瓶を傾けた。
ラウ=レイは――鋭い表情を保持しながら、すうっと気配を薄くしている。なんだかそれは、ギバの目をくらますために気配を殺しているかのようであった。
「あれはどちらかというと、三姉妹の手綱を握ろうとしていたということなのかしら? まあどちらにせよ、大した手際よね。あの騒がしい三姉妹を好きなように操って、自分の望む通りの状況を作りあげてみせたのですもの。わたしなどには、とうていかなわない手際だわ」
「いえ、ですから俺は――」
「そんなわたしのぶざまな姿を見かねて、アスタはそのように振る舞うことになったのでしょう? まったく、お優しいことよね。わたしは、お礼でも言うべきなのかしら? そんなおせっかいな真似を、わたしが望んだわけではないはずなのだけれどね」
「なるほど! ようやく理解できたぞ!」
と――ラウ=レイが、いきなり大声を張り上げた。
その秀麗なる顔に浮かべられていた狩人の迫力はかき消えて、子供のような無邪気さが舞い戻っている。
「つまりヤミルは、アスタに助けられたことを恥じているわけだな! いつも偉そうに取りすましているものだから、こういう際には余計に気恥ずかしくなってしまうわけだ! そうかそうか、まったく強情なやつだ!」
「何よ、いきなり大きな声を出して。なんでも見透かしているような口を叩くなって――」
「お前は酒のせいで、よほど心を乱しているのだろうな! 普段よりも、よっぽど見透かしやすくなってしまっているぞ!」
そう言って、ラウ=レイはにっこりと笑った。
「原因さえわかれば、どうということもない! アスタにも、苦労をかけてしまったな! あとは俺ひとりで何とかしてみせるので、アイ=ファたちのもとに戻るがいい!」
「ちょっと待ちなさいよ。わたしは別に、恥ずかしがってなんか――」
「やめておけ」と、ラウ=レイはは手の平でヤミル=レイの口をふさいだ。
ヤミル=レイはむーむーうなりながらその腕を引っぱたくが、ラウ=レイは朗らかな顔で笑ったままである。
「言葉を重ねれば重ねただけ、きっと酔いが覚めた後にいっそう気恥ずかしい心地を抱え込むことになると思うぞ! 俺たちは明日からでもファの家の世話になろうとしているのだから、それでは居たたまれなかろう!」
「えーと……本当にもう大丈夫なのかな?」
「うむ! 俺としても、大事なヤミルにこれ以上の恥をかかせたくはないのでな!」
そうしてラウ=レイは、一点の曇りもない笑みを俺のほうに向けてきたのだった。
「しかし、アスタの親切には感謝している! どうかこれからも、俺の目の届かない場所ではヤミルに力を添えてやってくれ! 本人がどれだけ気恥ずかしく思おうとも、俺はありがたく思っているからな!」
「うん、わかった。逗留の話については、また後でね」
「うむ! その話も楽しみにしているぞ!」
そのように言いたてるラウ=レイの顔が、赤く染まった。
ヤミル=レイが腕をのばして、土瓶の中身をラウ=レイの頭にぶちまけたのだ。
ラウ=レイはダン=ルティムにも負けない声で「わはははは!」と笑いながら、ヤミル=レイのなよやかな腕をひっつかんだ。
「本当に、酔ったヤミルは幼子のようだな! 可愛らしくてたまらんが、大事な果実酒を無駄に扱うことは許されんぞ! 家長として説教をほどこすので、覚悟するがいい!」
まだ口もとをふさがれているヤミル=レイは、むーむーとうなりながらラウ=レイの胸もとをぺしぺしと引っぱたく。が、ラウ=レイがとても楽しそうな笑顔であるため、俺は素直に引き下がることにした。
「お待たせしました。なんとか丸く収まったみたいです」
俺がそのように告げると、ラダジッドは「そうですか?」と細長い首を傾げた。
「声、聞こえませんが、姿、見えていました。あまり、大丈夫、思えなかったのですが……」
「いや。ラウ=レイが笑っているので、きっと大丈夫なのであろう。あやつは怒ると、直情な面が悪く出てしまうが……そうでなければ、酔ったヤミル=レイに後れを取ることもあるまい」
そうしてアイ=ファは、俺に向かって「ご苦労であったな」と呼びかけてきた。
「いや、俺はほとんど何もしてないんだよ。ただ、ヤミル=レイがひとりで騒いで、ラウ=レイがひとりで納得しただけだから……」
「しかしヤミル=レイは酔っていても、よほど心を許していない相手の前では本心をさらせなかろう。ゆえに、お前だけをあの場に残す他なかったのだ」
「うん、そっか。まあ、俺は2年ばかりもヤミル=レイに屋台を手伝ってもらってる身だからな」
アイ=ファは「うむ」とうなずいてから、俺の耳もとに口を寄せてきた。
「それにかつてはヤミル=レイに婚儀を迫られて、裸身を目にした立場であるしな」
俺が目を白黒させていると、「アイ=ファー!」という元気いっぱいの声が近づいてきた。救いの天使、木箱を抱えたリミ=ルウである。
「お菓子を出す時間になったよー! ラダジッドたちも一緒に、ヴィナ姉のところに行こー! みんなの分まで、いーっぱいお菓子を持ってきたから!」
アイ=ファはすました顔で「うむ」と応じて、三段重ねであった木箱の二段を抱えあげた。
「では、行くか。……どうしたのだ、アスタよ? 何やら浮かぬ顔をしているようだが」
「……その理由に、心当たりがないとでも?」
「うむ。さっぱりわからんな」
そうしてしなやかに身をひるがえす寸前、アイ=ファは一瞬だけ小悪魔のような微笑みを閃かせていた。
俺はすっかり情緒をかき乱されつつ、意地悪な家長に続いて足を踏み出す。その際に、ラウ=レイたちの様子をうかがってみると――ふたりは家の壁にもたれて座り込み、何やら小声で語り合っている様子であった。
(レビたちの婚儀に引き続いて、またヤミル=レイの意外な姿を見せられちゃったな)
レビたちの婚儀においては、顔を腫らしたラウ=レイを心配するあまり、ヤミル=レイは怒鳴り声をあげていたのだ。ヤミル=レイが酔っぱらって正体をなくした姿をさらすというのは、それにまさるとも劣らない椿事であるはずであった。
(でもまあ、なかなか本心をさらしてくれないヤミル=レイだから、そんな姿も貴重だよな)
そんな思いを抱え込みながら歩を進めていくと、やがて到着したのは本家の母屋であった。
リミ=ルウの許しを得てシュミラル=リリンがその戸板を引き開けると、まずは犬たちのお出迎えである。その中にはファの家人たる4頭も含まれており、めいっぱい嬉しそうに俺たちの足もとにまとわりついてきた。
「お待たせー! お菓子を持ってきたよー!」
リミ=ルウの声に、幼子たちが「わーい!」と歓呼の声で応じる。そのうちの1名たるコタ=ルウが、ちょこちょこと土間のほうまで駆けつけてきた。
「やあ、コタ=ルウ。お待ちかねの、お菓子だよ」
「うん」とうなずきながら、コタ=ルウは俺のもとから離れようとしない。その瞳はジルベたちに負けないぐらいきらきらと輝いていた。
「おやおや、ずいぶんな人数だね。幼子を3つの家に分けておいて、よかったよ」
と、リミ=ルウから木箱を受け取ったのは、ラウ=レイの母親であった。
その目がアイ=ファのほうに向けられて、楽しそうに細められる。
「ひさしぶりだね、アイ=ファ。あんたの宴衣装をこんな間近から拝見したのは初めてだけど、こりゃあ大層な美しさだねえ」
アイ=ファは曖昧な表情で「いたみいる」と応じつつ、二段の木箱を床に下ろした。屋内に上がるには、まずサンダルの帯を解かなくてはならないのだ。
そうしてリミ=ルウを含めた7名で広間にお邪魔すると、そこには意想外な人物も待ち受けていた。ずっと敷物で祝宴を楽しんでいたはずの、ジバ婆さんである。
「ジバ婆も、こちらに出向いていたのか」
「うん……ここにいればアイ=ファたちに会えると、リミが教えてくれたからねぇ……」
アイ=ファは「そうか」と嬉しそうに口もとをほころばせた。
すると、ラウ=レイの母親がいよいよ楽しそうに笑いながら「へえ」と顔を寄せてくる。
「そんな姿でそんな風に笑われたら、女のわたしでも心を奪われちまいそうだ。あんたみたいに身も心も美しい人間はそうそういないだろうね、アイ=ファ」
「いや、私はそのように大層な人間ではない」
と、アイ=ファはまた曖昧な表情になってしまう。アイ=ファ自身もラウ=レイの母親を好いているはずであるのだが、自分の亡くなった母親を連想してしまうため、妙に心を揺さぶられてしまうという話であったのだ。
ともあれ、まずは菓子のお相伴である。
幼子たちは、すでに瞳を輝かせながら数々の菓子をつまみあげている。木箱の中に詰め込まれていたのは、ひと口大の可愛らしいサイズに仕上げられた月餅や、同じていどの大きさをしたまん丸の焼き菓子に、ピーナッツのごときラマンパのソースをしみこませたメレスのフレークの大皿などであった。
「カロンの乳も持ってきたから、メレスのふれーくにかけたい子はこっちの木皿を使ってねー! ジバ婆の分は、いまリミが作ってあげるから!」
ルウ家では長らくチャッチ餅を作れなかったために、リミ=ルウがジバ婆さんの口に合いそうな菓子をあれこれ模索していたのだ。メレスのフレークをカロン乳でふやかすというのもそのひとつであり、さらにこちらには甘いラマンパのソースまでもが使われていた。このフレークはそのまま食しても美味であるが、カロン乳をかけるとラマンパソースの甘みが溶けだして、いっそう得も言われぬ味わいとなるのである。
木箱のひとつには小皿がどっさりと詰め込まれていたため、リミ=ルウがそこにメレスのフレークを取り分けていく。ラウ=レイの母親もそれを手伝い、客人やその他の女衆の分までカロン乳をかけてくれた。
この場には10名ばかりの幼子が集められており、それを見守っていたのはラウ=レイの母親と、その次姉と、ヴィナ・ルウ=リリン、シーラ=ルウ、そしてサティ・レイ=ルウであった。
「サティ・レイ=ルウも、ちょっとおひさしぶりです。多少は祝宴を楽しまれましたか?」
「はい。宴料理も、ひと通り口にできたように思います。かれーの料理でも、ひと口ぐらいであれば乳の味に影響はないという話でしたので」
やわらかく微笑むサティ・レイ=ルウのかたわらでは、まだ0歳のルディ=ルウが草籠で寝かされている。そしてコタ=ルウはあぐらをかいた俺の足にもたれながら、笑顔で木皿のフレークを食していた。
「何年か経てば、ルディもコタたちと同じ喜びを分かち合えるようになるでしょう。今からその日が楽しみでなりません」
「うん! リミもすっごく楽しみー! ほらほら、みんなもいーっぱい食べてねー!」
和気あいあいとした空気の中、広間に座したラダジッドたちはヴィナ・ルウ=リリンと向かい合う。大きなおなかに薄手の毛布をかけたヴィナ・ルウ=リリンは、サティ・レイ=ルウにも負けない柔和な面持ちでラダジッドたちに微笑みかけた。
「わざわざ足を運んでくれて、ありがとう……どうしてもこの身体だと、賑やかな広場に出る気にはなれなくって……」
「いえ。ヴィナ・ルウ=リリン、お会いできて、この上なく、嬉しい、思っています」
ラダジッドがそのように応じると、左右の団員たちも恭しげに一礼した。
ヴィナ・ルウ=リリンに寄り添ったシュミラル=リリンは果てしなく幸福そうに微笑んでおり、それを見守るラダジッドたちも懸命に無表情を保っている様子である。
「我々、シュミラル=リリンの想い、報われたこと、喜ばしい、思っていましたが……子供、授かった、耳にして、天、のぼる心地でした」
「ええ……リリンの家を訪れたときにも、同じような言葉で祝福してくれたわよねぇ……あなたがたの気持ちは十分に伝わっているので、心配はご無用よぉ……あなたがたがそれほどまでにシュミラルの幸せを願ってくれていて、わたしも本当に嬉しく思っているの……」
「はい。シュミラル=リリン、かけがえのない、同胞ですので」
ラダジッドがそのように答えたとき、「ふやあ」という何とも可愛らしい声が響いた。
サティ・レイ=ルウが幸福そうに微笑みながら、草籠のルディ=ルウを抱きあげる。ルディ=ルウはしばらくふやふやと騒いでいたが、母親の腕に抱かれているとすぐに安らかな寝息をこぼし始めた。
「……申し訳ありません。幼子、眠り、妨げてしまいました」
「いえ。あなたがたではなく、幼子たちの騒ぐ声に驚いてしまったのでしょう。何もお詫びには及びません」
「あははあ。こんなに大騒ぎされたら、目を覚ますのが当然だよねえ。それでもうちの子供は、ぐっすりだけどさあ」
のんびりと笑うラウ=レイの次姉にかたわらにも、小さな草籠が置かれている。彼女もまたルディ=ルウと変わらない年頃の赤子を授かった身であるのだ。
ヴィナ・ルウ=リリンとシーラ=ルウは、サティ・レイ=ルウの腕に抱かれたルディ=ルウの姿を愛しくてたまらない様子で見やっている。自分の身にもこれほど愛くるしい存在が宿されていると実感できるのは、いったいどれだけの喜びであるのか――女人ならぬ俺には、想像することさえ難しかった。
そして、ヴィナ・ルウ=リリンらに負けない熱心さで、ラダジッドたちもルディ=ルウの寝顔を見つめている。それに気づいたジバ婆さんが、「どうしたんだい……?」と、笑いを含んだ声をあげた。
「何か、ただならぬ様子だねぇ……赤子が珍しいわけでもないんだろう……?」
「はい。ただ……歴史、重み、感じていました。こちら、ルディ=ルウ、最長老にとって、孫の孫なのですね?」
「ああ、そうだよ……あたしの孫であるドンダの孫だから、孫の孫としか言いようはないだろうねぇ……」
「……そして、これから産まれる、シュミラル=リリンとヴィナ・ルウ=リリンの子、同様ですね?」
「ああ……ヴィナだってドンダの子なんだから、ジザとサティ・レイの子であるこのルディと、何も変わりはしないよ……」
「ルウの血筋、脈々と、受け継がれ……そこに、シュミラル=リリンの血、加わること、得難く思います。そして、何だか……シュミラル=リリン、ルウの血族、迎えられたこと、いっそう実感、できるのです」
そんな風に言いながら、ラダジッドは大きな手の平で口もとを覆い隠した。
どうしても、表情を崩さずにはいられなかったのだろう。それが笑顔であるのか泣き顔であるのかはわからなかったが――ただ、その切れ長の黒い目にはうっすらと白いものが光っていた。
「シュミラル=リリン、最後の家族、父親、失ったとき……私、弔いの場、立ちあいましたので……どうしても、情動、揺さぶられてしまうのです。申し訳ありません」
「何も謝る必要なんて、ありゃしないよ……あんたは幸せ者だね、シュミラル=リリン……」
「はい。森辺の民と《銀の壺》、ともに同胞、あれること、何よりの幸いです。それが、どれだけ幸福なことか、決して忘れぬよう、胸、刻みつけています」
シュミラル=リリンは静かに微笑みながら、ラダジッドの肩にそっと手を置いた。
「失礼する」という声とともに戸板が開かれたのは、まさしくそんなタイミングであった。
「やはり、客人らはこちらであったか。そろそろ族長ドンダに挨拶を願いたいのだが、いかがであろうか?」
大きな人影が、土間に踏み込んでくる。その精悍なる姿に、リミ=ルウが「あ、ジザ兄だー!」とぶんぶん手を振った。
「ラダジッドたちを探しに来たのー? ほらほら、ルディがすぴすぴ眠ってて、かわいいよー!」
「ルディの可愛さは、親たる俺が一番わきまえている」
内心の読めない声で応じつつ、ジザ=ルウは糸のように細い目で広間を見回してきた。コタ=ルウにぴったりと寄り添われていた俺は、何とはなしに背筋がのびてしまう。
「ご足労、かけました。族長、挨拶する、刻限でしょうか?」
口もとから手を離したラダジッドがそのように応じると、ジザ=ルウはしかつめらしく「いや」と首を振った。
「べつだん、そのような刻限が決められているわけではない。ただし、そろそろ舞の見せられる刻限であろうし、うかうかとしていれば挨拶もないままに祝宴の終わりを迎えてしまうのではないかと危惧したまでだ。我々は外来の客人を迎える祝宴をどのように執り行っていくか模索しているさなかとなるが、おたがいの責任者が挨拶もないまま祝宴を終えるというのは、やはり正しくないように思える」
「承知しました。いらぬ世話、かけてしまったこと、お詫びします」
「べつだん、詫びには及ばない。時間を忘れるほどに祝宴を楽しんでもらえているのならば、俺も嬉しく思っている」
「はは」と笑い声をあげたのは、他ならぬラウ=レイの母親であった。
「あんたは見るたびに貫禄が増していくね、ジザ=ルウ。うちのラウにも見習わせたいところだよ」
「本当にねぇ……まあ、習わしに厳しいのも、気持ちのままに生きるのも、どっちもルウの血族らしいんだと思うよ……」
そんな風に語りながら、ジバ婆さんはラダジッドたちの姿を見回した。
「ご覧の通り、ルウの血族っていってもさまざまだからねぇ……どの相手とも等しく絆を深めてもらえたら、ありがたく思うよ……」
「はい。我々、そのように、願っています」
ラダジッドはジバ婆さんに深々と頭を下げてから、音もなく立ち上がった。
「すべての血族、絆、深めること、長きの時間、かかるでしょう。ですが、一歩ずつ、成し遂げたい、思っています」
「はい。私、同じ気持ちです」
シュミラル=リリンがゆったりと微笑みながら身を起こし、2名の団員たちもそれに続く。それから俺も、アイ=ファと一緒に立ち上がることになった。
もう森辺で2年以上もお世話になっている俺でさえ、ルウの血族のすべてと絆を深めたとは言い難いところであるのだ。そもそも160名もの相手と等しく絆を深めることなど、ひとりの人間には一生をかけても不可能なのかもしれなかった。
ただ、シュミラル=リリンの言葉を借りるならば――それは、一生をかけても味わい尽くせないほどの大きな幸せを抱え込んでいる、とも言えるのだろう。
去年の俺は、ラウ=レイの母親とも三姉妹たちとも面識を得ていなかった。ディグド=ルウなどは雨季の終盤まで挨拶をする機会もなかったし、ルディ=ルウなどはまだ産まれてさえいなかった。そんな楽しい出会いがまだまだいくらでも残されているのかと思うと、俺はたまらなく幸福な気持ちであり――そして、シュミラル=リリンやラダジッドたちもきっと同じような心地であるのだろうと、そんな風に信じることができた。
そうして《銀の壺》の送別会は、やはり建築屋の送別会とは一風異なる幸福感の中で過ぎ去っていったのだった。