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異世界料理道  作者: EDA
第六十八章 躍る日常
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六氏族の会合①~提案~

2022.2/28 更新分 1/1

・今回は全7話の予定です。

 デルシェア姫の開催した城下町の晩餐会に、ヴァルカスたちを森辺にお招きした合同勉強会、レビとテリア=マスの婚儀の祝宴に、ジャガルの建築屋の送別会――さまざまな催しに彩られた白の月も、ついに半月を過ぎて折り返しとなった。


 あとに残されているイベントは、シムの商団《銀の壺》の送別会のみだ。

 ただし、《銀の壺》もジェノスにおける滞在を数日ばかり延長することが決定されていた。本来であれば、建築屋の送別会の3日後あたりが出立の予定日であったのだが、このたびはいつになく商売が難航しているそうなのである。


「城下町、贅沢をつつしむ気風、はびこっているため、装飾品や雑貨など、買い控える傾向、強いようなのです。もうしばし、時間をかけよう、思います」


《銀の壺》の新たな団長たるラダジッドは、そのように言いたてていた。

 まあ、ジェノスへの逗留が長引けば長引くほど、ラダジッドたちは滞在費がかさんでしまうのであろうが――彼らと1日でも長く過ごせるのは、俺にとって大きな喜びである。俺としては、彼らが少しでも楽しい気持ちでジェノスでの日々を過ごせるようにと微力を尽くすばかりであった。


 その一件を除けば、騒がしいながらも平穏な日々である。

 家長会議において新たなローテーションが取り決められた生鮮肉および腸詰肉の販売に関しても順調であるし、各氏族の家に引き取られた雌の犬たちも大過なく過ごしているという。婚儀をあげたレビとテリア=マスも幸福そうであるし、モラ=ナハムとの婚儀を願うフェイ=ベイムも無事にナハムの家に逗留し始めたそうであるし――日々是好日といってもまったく問題のない様相であったことだろう。


 そうして建築屋の送別会の、2日後――白の月の16日である。

 骨休みの休業日を経て、俺たちが屋台の商売を再開させると、そこにはまた嬉しい驚きが待ち受けていた。露店区域にて、ドーラのおやっさんが野菜の販売に勤しんでいたのである。


「やあ、アスタ! ついに露店で売る分を確保できるようになったよ! よかったら、なんでも買っていってくれ!」


 現在のジェノスはダレイム南方の畑が全滅してしまったため、深刻な野菜不足の状態にあったのだ。日々の糧としては外来の野菜で十分にまかなえるものの、ダレイムで収穫される新鮮で安値の野菜は裕福ならぬ人々に買いあさられて、あっという間に売り切れてしまっていたのだった。


 そこで、外来の野菜がそれほど高値ではなく、取り扱いも難しくないということをアピールするべしというアイディアが出されたのは、デルシェア姫の開催した晩餐会においてである。朝の市場でも外来の野菜を売りに出し、ヤンを始めとする城下町の料理人らが味見用の料理をふるまい、それらの取り扱いを解説するという、例の作戦が実行に移されたのだ。それから数日が経過して、ついにダレイムの野菜も余剰が生じたというわけであった。


「やっぱりアリアやポイタンなんかは、あっという間に売り切れちまうんだけどさ。でもほら、それ以外の野菜はご覧の通りだよ!」


「ああ、チャッチにプラにネェノンに、それにナナールも……これはありがたい限りです」


「だろう? ミシル婆さんのところではギーゴを売りに出してるし、ラマムやシールやアロウも買い放題さ! ……ただやっぱり、どこの店でもタラパやミャームーなんかは売り切れちまうみたいだねぇ」


「タラパとミャームーは、外来の食材でもなかなか代わりがききませんもんね。でも、チャッチやナナールが買えるだけで大助かりですよ。……ただ、俺たちがあんまり欲張ると、他の方々のご迷惑になってしまいますかね?」


「こんな時間でも売れ残ってるんだから、誰の迷惑にもなりはしないさ! アスタたちはずっと遠慮して朝の市場にも出向かなかったんだから、もう遠慮なんて不要だよ!」


 そんな風に言ってから、親父さんはしみじみと微笑んだ。


「実のところ、俺も森辺のお人らに自分の育てた野菜を買ってもらえないのが、すごく寂しくってさ。顔をあわせるのも数日にいっぺんがやっとだったし、このままご縁が薄くなっちまうんじゃないかって心配だったんだよ」


「親父さんたちとのご縁が薄くなるなんて、ありえませんよ。でも俺も、親父さんの野菜で料理を作れることを嬉しく思います」


 俺がそのように言葉を返すと、にこにこ笑いながら話を聞いていたターラが元気いっぱいに声をあげた。


「それにもうすぐ、ターラたちのおうちに遊びに来てくれるんだよね! 母さんたちも、すっごく楽しみにしてるの!」


「うん。まずはルウ家の人たちだけだけど、しばらくしたら俺もお邪魔させてもらおうと思ってるよ」


《銀の壺》の送別会が終了するのを待って、ルウの血族はドーラ家を訪問する予定を立てている。俺の参加が遅れてしまうのは、送別会のあとにもサウティやレイの人々をファの家に逗留させるという予定を控えているためであった。


(それが無事に済んだら、本当にスケジュールもまっさらだな。……まあどうせ、その頃には新しい予定が入ってるんだろうけどさ)


 ともあれ、今は親父さんの野菜を買える喜びを噛みしめるばかりである。

 屋台の当番である女衆らも購入を希望すると、その場に残されていた野菜はひとつ余さず売り切れてしまった。


「やあ、終わった終わった! これで店番を頼む手間がはぶけたよ! 帰り支度を整えたら、屋台のほうにお邪魔させてもらうからね!」


「はい。お待ちしています」


 俺たちは笑顔の父娘に別れを告げて、所定のスペースを目指すことになった。

 その道中で、一緒に屋台を押していたレビが笑いかけてくる。


「飛蝗の騒ぎからひと月半も経って、ようやくアスタたちもダレイムの野菜を買えるようになったんだな。こっちは何の苦労もなかったから、ずっと心苦しく思ってたんだよ」


「宿屋に優先して野菜を卸すっていうのはジェノスの立場ある方々が定めた方針なんだから、レビが心苦しく思う必要はないよ。宿屋の料理の質が落ちたら宿場町の評判に関わってくるんだから、それも当然の判断だと思うしね」


「って言っても、宿場町の宿屋だって2年前まではロクな料理を出してなかったんだからな。そいつがこんなに上等になったのは、みんなアスタたちのおかげだろ?」


「いやいや。色んな食材が宿場町にまで流通するようになったのは、むしろ貴族のお人たちのおかげだよ。俺が宿場町で勉強会を開いたのだって、貴族からの依頼だったわけだしさ」


「でも《キミュスの尻尾亭》は、前々からアスタたちの手ほどきを受けてたからな。感謝しないと、罰が当たるよ」


 俺たちのラリーがそこまで至ると、別の荷車を押していたユン=スドラがくすりと笑った。


「アスタもレビも同じぐらい謙虚な気性をされているために、なかなか話が終わらないようですね。ついつい微笑ましい気持ちになってしまいました」


「いやいや、謙虚ってよりは頑固なだけだろ。俺もアスタもさ」


 と、レビは気恥ずかしそうに笑った。

 ちなみにレビはマス家に婿入りした身であるが、けっきょく氏は授からなかった。これはジェノスの法であり、たとえ自由開拓民の末裔と婚儀をあげても伴侶に氏を与えてはならないのだそうである。

 その代わりに、テリア=マスがお子を生したならば、そちらにはマスの氏が受け継がれる。どんどん先細りになっているというマスの氏が末永く繁栄できるように、レビとテリア=マスにはあれこれ頑張っていただきたいところであった。


 そうして露店区域の北端に到着したならば、すみやかに屋台の準備である。

 昨日を休業日にしたためか、すでに大勢の人々が屋台の開店を待ってくれている。その前には半月近くも営業を続け、最近では宿屋の屋台村も人気を博しているというのに、ありがたい限りであった。


 そこに建築屋の面々の姿がないのは、やはり物寂しいものだが――しかし俺は、2日前にしっかりとお別れを果たした身であるのだ。次に再会できる日を心待ちにしながら、俺は強い気持ちで日々を生き抜く所存であった。


(そういえば、ダカルマス殿下の送別会から、今日でちょうどひと月なんだよな。あちらはそろそろ南の王都に到着してる頃合いか)


 そうしてダカルマス殿下がジェノスにおける試食会の様相を喧伝したならば、俺やトゥール=ディンの料理や菓子を求めて来訪する人間も増えることだろう――と、デルシェア姫はそのように語らっていたものだが、あれは誇張ではなく真実なのであろうか。ジェノスの宿場町も美味なる料理のおかげでずいぶん逗留客が増えたように思えるが、それでも料理を味わうためだけに来訪しようとする人間はなかなか存在しないはずであった。


(まあ、お客が増えるのは何よりだけど……美食家で知られるダカルマス殿下のお墨付きとか期待されるのは、なかなかのプレッシャーだよな)


 そんな想念を頭の片隅に浮かべつつ、俺はその日の仕事に取り組んだ。

 朝一番のピークを終えると、予告通りに親父さんとターラが来店してくれる。ピーク時には青空食堂も立て込むため、それを避けるためにゆっくりと露店を片付けてきたのだろう。その後にはベンやカーゴなどもやってきて、大いに俺の心を和ませてくれた。


「よ、伴侶とはうまくやってるか? まさか、10日も経たない内に揉めたりしてねえだろうな?」


「レビに限って、それはねえだろうさ。そら、目尻も下がって幸せそのものの顔つきじゃねえか」


「うるせえな! 煮え湯をぶっかけられたくなかったら、引っ込んでろ!」


 レビは婚儀をあげても、こういった話を茶化されるのが苦手であるようだった。しかしまあ、ベンやカーゴは冷やかしのていを取りながら、レビが健やかに過ごせているかどうかを気にかけているのだろう。レビには気の毒であったが、傍から見ている分には微笑ましい構図であった。


 それからさらに中天のピークが過ぎ去ると、今度は城下町から来訪者があった。

 いつもトゥール=ディンからオディフィアのための菓子を受け取りに来る、ジェノス侯爵家の関係者である。ただし本日は菓子を受け取る期日ではなく、彼が真っ直ぐ足を向けたのはレイナ=ルウのもとであった。


 レイナ=ルウと短い会話を終えたその人物は、もののついでとばかりにトゥール=ディンの屋台で菓子を購入し、護衛役の武官とともに帰っていく。せっかく宿場町まで出向いたのだからと、オディフィアのために買いつけていったのだろう。

 そうしてその人物が立ち去るのを待って、頬を火照らせたレイナ=ルウが俺のもとに駆けつけてきたのだった。


「アスタ! 余所の領地からアリアが届いたそうです! 屋台の商売を終えて集落に戻ったら、ルウの人間が引き取りに出向くことになりました!」


「あ、そうなんだ? それは朗報だね」


「はい! ドーラの店で野菜を買えた日にアリアまで手に入るなんて、きっと母なる森と西方神のお導きです!」


 レイナ=ルウほどではないにせよ、この会話が耳に入った女衆の多くは快哉の声をあげていた。アリアを口にできなくなってからひと月半ぐらいも経過して、誰もがこの日を待ち望んでいたのだろう。もちろん俺だって、それは同様であった。


「わたしとしては、ラマムやアロウやシールを買いつけることがかなって、心より嬉しく思っています。そろそろオディフィアも、ダレイムの果実を使った菓子が恋しくなっていたでしょうから」


 そんな風に語っていたのは、トゥール=ディンだ。その小さなお顔は心から幸福そうな表情を浮かべており、見ている俺のほうまで胸が温かくなってやまなかった。


「あ、それと、ついさきほど猟犬の行商人が城下町に到着したため、森辺の民が10頭の雌犬をすべて買いつけるという旨を、ジェノス侯爵家の方々が告げてくれたそうです」


 と、自分の屋台に引き返そうとしたレイナ=ルウが、慌ててそんな言葉をつけ加えてきた。そういえば、森辺の民は預かった雌犬たちを正式に買いつけるかどうか、ひと月後に返事をするという話になっていたのだ。雌犬たちはダカルマス殿下がジェノスを出立した日にやってきたのだから、明日でちょうどひと月目になるわけであった。


「そっか。その代価ももうジェノス侯爵家のほうにお預けしておいたんだよね? それじゃあ10頭の雌犬たちも、これで晴れて正式に森辺の家人になれたわけだ」


「はい。きっとリミやルドも喜ぶことでしょう。もし行商人の気が変わってあの犬たちを連れ戻されてしまったらどうしようと、そんな不安を抱えていたようですから」


 そんな言葉を残して、レイナ=ルウは今度こそ自分の屋台に戻っていった。

 なんだか今日は、平和なばかりでなく吉日であるようだ。それで俺はこれまで以上に充足した気持ちで、屋台の商売に取り組むことがかなったのだった。


                  ◇


 そして、その日の夜である。

 今日の収獲の始末を終えて母屋に戻ってきたアイ=ファは、俺の顔を見るなりいぶかしげに眉をひそめることになった。


「どうしたのだ? お前はずいぶんと浮かれているようだな、アスタよ」


「うん。今日はいい一日だったから、一刻も早くアイ=ファとこの喜びを分かち合いたかったんだよ」


 アイ=ファはいくぶん曖昧な面持ちで「そうか」と応じつつ、狩人の衣を壁に掛ける。俺が嬉しそうにしているのは喜ばしいが、何かおかしな話で浮かれているようならば家長としてたしなめなければなるまい――といった心地でも抱えているのだろう。それがまったくの懸念であることを、俺はすみやかに伝えてあげたかった。


「さあさあ、準備ができたら席についてくれ。今日はいつも以上に、腕によりをかけて晩餐を準備したからな」


「それもまた、お前らしからぬ言いようであるな。お前が晩餐の準備に手を抜いたことなどは、ひとたびとしてなかったろうに」


「いいからいいから! なんか、俺のほうが焦らされてる気分だよ」


「……少しは気を静めるがいい」


 アイ=ファはほんのり苦笑を浮かべて、俺の頭を優しく小突いてから着席した。

 そしてまた、けげんそうに眉をひそめる。


「この夜の晩餐がかれーであることは、香りですでに知れていたが……しかし我々は、2日前の祝宴でもかれーを食している。通常であれば、お前がこれほど立て続けにかれーを準備することはなかろうな」


「ご名答! 実はドーラの親父さんからチャッチやネェノンを買うことができたから、ひさびさに普通のカレーを作ってみたんだよ!」


 俺はうきうきと肩を揺すりながら、木皿に盛られたハンバーグカレーを指し示してみせた。


「そして、これ! これを見てくれ! この透き通った輝きを! ダレイムの野菜を買えたばかりじゃなく、余所の土地からアリアも届いたんだよ!」


「そうか」と、アイ=ファは表情を引き締めた。

 その凛々しい面持ちに、俺はついつい笑ってしまう。


「アイ=ファって、素直に感情をこぼすときとそうじゃないときがあるけど、それには何か法則でもあるんだろうか?」


「やかましい。晩餐を始めるぞ」


 アイ=ファはわずかに頬を赤らめつつ、俺の頭をわしゃわしゃとかき回してきた。

 そして口の中で食前の文言を唱え、唇を撫でるような仕草を見せる。俺もそれにならってから、ハンバーグカレーの木皿を取り上げた。


 アリアにチャッチにネェノンという王道の具材を使い、日本式の味付けでこしらえた、シャスカでいただくハンバーグカレーである。さらに眼目は、ハンバーグのほうでもアリアのみじん切りを使っていることであった。

 ハンバーグはアイ=ファにとって一番の好物であるため、このひと月半ばかりでも何度となく晩餐で供している。しかしその際には、白菜のごときティンファをアリアの代用にするか、あるいは肉のみで仕上げる他なかったのだ。


 実際のところ、ハンバーグにアリアは必須なわけではない。俺の故郷でだって、タマネギを使われていないハンバーグなどいくらでも存在したはずだ。

 しかし俺はタマネギを使用したハンバーグをこよなく愛していたし、最初にアリア入りのハンバーグを食したアイ=ファもそれは同様であった。それでアイ=ファはこのひと月半ほど、ちょっぴり物寂しげな面持ちでハンバーグを食することになっていたのである。


 アイ=ファは平静な表情を保ちつつ、ハンバーグカレーの木皿を取り上げた。

 アイ=ファの木匙の動きに合わせて、俺も自分のハンバーグを切り分ける。そこからあふれ出るのは、ギバ肉の豊かな肉汁ととろけた乾酪だ。俺は礼賛の祝宴でも供した乾酪イン・ハンバーグカレー・シャスカを準備したのだった。


 礼賛の祝宴では小ぶりのパテでも噛み応えが損なわれないようにタンを使用していたが、本日はこれ以上もなく立派なサイズのパテであるため、通常のギバ肉だ。

 アイ=ファはあくまで落ち着いた面持ちで、カレーをからめたハンバーグとシャスカを口に運ぶ。

 アイ=ファは満足そうに目を細めつつ、それらを大事そうに噛みしめて――そしてまた頬を赤らめながら、俺のことをにらみつけてきたのだった。


「アスタよ。そうまで真正面から見据えられると、私も落ち着かなくてたまらないのだが」


「ごめんごめん。この瞬間だけは見逃したくなかったんだよ。俺にしてみても、ひと月半も心待ちにしていた瞬間だったからさ」


「……私がこれらを食する日を、そうまで心待ちにしていたというのか?」


「うん。だって、アイ=ファの一番の大好物を完全な形で食べてもらえないなんて、俺にとっても口惜しい限りだったからさ」


 アイ=ファはもじもじと身を揺すり、こらえかねた様子で再び俺の頭をかき回してから、あらためて木皿を持ち上げた。


「私は十分に満足している。だからお前も、ぞんぶんに腹を満たすがいい。お前にしてみても、これらは待ち望んでいた料理なのであろうが?」


「うん。自分がどれだけアリアやチャッチやネェノンを渇望していたか、あらためて思い知らされた心地だよ」


 そうして俺はアイ=ファの幸福そうな姿をちらちらと盗み見ながら、自分も食事を進めることにした。

 今日はハンバーグカレーを大盛りにして、副菜は肉野菜炒めとスープのみだ。森辺の狩人の頑健なる歯や顎を弱めないようにと、肉野菜炒めにはどっりとした肉厚のタンを使い、スープはキミュス骨で出汁を取ったさっぱり仕上げである。


「いちおう報告しておくと、今日になっても買えなかったのは、ポイタンとタラパとミャームーとペペだ。どうもミャームーやペペなんかはダレイムの南方で収穫されていた割合が高かったらしく、今でも品薄らしい。それでタラパは、余所から買いつけられる野菜にも似たものがないってことで、人気商品みたいだな」


「そうか。お前はタラパを扱うことが多かったので、さぞかし口惜しかろう」


「うん。ミャームーなんかも、それは同様だな。だけどまあ、俺たちはダレイムの野菜を使えないおかげで、他の食材でも立派な料理を作ってみせようって奮起することになったから……なんとか前向きに考えようと思ってるよ。人間は、逆境でこそ力を磨けるものだろうしな」


 アイ=ファは再び肩を揺すると、再び俺の頭をかき回してきた。よくわからないが、俺の表情か物言いのどちらかが琴線に触れたようだ。


「で、けっきょくアリアは半月にいっぺん入荷することになったらしい。俺は10日にいっぺん買いつけたいって考えてたんだけど、やっぱりジェノスとしては輸送の手間をなるべく軽減させたいらしいな。しかたないから、半月ごとに2食分のアリアを買いつけようかと思うんだけど……アイ=ファにも了承をもらえるかな?」


「……私がそれに反対するとでも思うのか?」


「いやまあ、いちおう確認としてな。アリアはけっこう保存がきくから、なるべく均等に日を空けて使おうと考えてるよ」


 つまり、月に4度はアイ=ファにアリア入りのハンバーグを食べていただけるということだ。もともとは月に3度の予定であったので、きっとアイ=ファも喜んでくれるだろうと確信していた。


「ただ……余所の氏族では、ファの家よりもたくさんのアリアを買い込んでたみたいだな。家人が多いから数が多いって話じゃなく、他の食材費を切り詰めてでも割高のアリアを買おうって決めた氏族が少なくないみたいなんだ」


「それはやはり、我々が生まれた頃からアリアを食し続けてきたゆえであろう。それはポイタンも同様であったのだが……そちらはフワノでも不満は生じないのであろうな」


「うん。でもその理屈でいくと、ポイタン汁を恋しく思う人も多いってことなのかなぁ?」


 俺が素直な疑問を告げると、アイ=ファは迷いなく「いや」と応じた。


「少なくとも、私はまったく望んでいない。お前の周囲では、そのような声があがっているのか?」


「いや、まったく。ちょっとでもそんな声が聞こえてきたのは、ガズラン=ルティムたちの婚儀の祝宴までだと思うよ。焼いたポイタンに不満はないけど、ポイタン汁をすすらないと食事をした気にならないってさ。……でも、それ以降はさっぱりだな」


「そうであろう。やはり、ポイタン汁というのは『美味ならぬ食事』であったのだ。それに、血抜きをしていないギバ肉というものもな。……生まれた頃からそれらを食してきた我々がまったく恋しく思わないというのが、その証左であるのであろう」


「うん、そっか。それならポイタンの加工や肉の血抜きを広めた甲斐があったよ」


 俺が何気なくそのように応じると、アイ=ファはとても澄みわたった眼差しを向けてきた。


「お前をファの家人に迎えてから2年以上の歳月が過ぎ、森辺の生活は一変した。今では誰もが美味なる食事の喜びにひたることができているが……そのありがたみを忘れることは許されまいな」


「それじゃあたまには、血抜きをしていないギバ肉でポイタン汁でもこしらえてみようか?」


「うむ。それも有効な手立てであるやもしれん」


「いやいや、冗談だよ。今さら不味いとわかっている料理なんて食べたくないだろう?」


「であれば、この喜びのかけがえのなさを、胸に刻みつけるべきであろうな」


 そう言って、アイ=ファは透き通った微笑を浮かべた。


「この夜もこれほどに美味なる料理を口にすることができて、私は幸福だ。私の両親はこれほどの喜びを知ることもできないまま魂を返すことになってしまったのかと、そんな思いが生じるほどにな」


「ああ……できることなら、アイ=ファのご両親にも俺の料理を食べてもらいたかったよ」


「うむ。さすれば父ギルはより強き力で狩人の仕事を果たし続け、母メイは病魔を退けられたやもしれんな。……しかし、そのようなことを語っても詮無きことだ。私は私だけでもお前と巡りあえた幸運に、感謝せねばならん」


「うん。俺もアイ=ファと巡りあえた喜びは、血が出るぐらい胸に刻みつけてるつもりだよ」


 俺が笑顔でそのように答えると、アイ=ファもくすりと笑ってくれた。

 そうして俺たちは、どこか深沈たる喜びの念にひたりながら、晩餐を進めることになったのだが――しばらくして、アイ=ファが改まった面持ちで告げてきた。


「そういえば、お前に早急に伝えなければならん話があったのに、すっかり失念していた。アスタよ、屋台の商売のあとに時間を作ってもらいたいと願われたならば、どのような日取りが望ましいだろうか?」


「え? アイ=ファがそんな話を持ちだしてくるなんて、珍しいな。いったいどういう用件なんだ?」


「うむ。実は今日、お前が宿場町に出立してから、バードゥ=フォウがやってきてな。近在の6氏族で会合をしたいと告げられたのだ。それで今回は、お前にも同席してもらいたいという話であるのだ」


 近在の6氏族というのは、収穫祭をともにしているファ、フォウ、ラン、スドラ、ディン、リッドのことであろう。収穫祭の時期が近づくと、その6氏族の家長は祝宴や力比べの内容を取り沙汰するために、小さな会合を開くのが定例になっていたのだ。


「へえ。俺はまったくかまわないけど、どうして今回に限って同席を求められたんだろう?」


「我々が会合を行う際は、屋台の商売や城下町から持ちかけられる仕事についても取り沙汰されることが多いのだ。ならば、お前にも同席してもらったほうが話も早いのではないかと、ライエルファム=スドラがそのように提案したらしいな」


「なるほどなるほど。それなら、納得だ。えーと……できることなら、明後日にお願いしたいかなぁ。勉強会を取りやめるなら、俺個人の修練の日が一番影響が少ないからさ」


 そんな風に応じてから、俺はわずかに身を乗り出すことになった。


「ところで、6氏族の会合が持ち出されたってことは、いよいよ収穫祭も近いのかな? もう前回の収穫祭から、とっくに半年は過ぎてるもんな」


「いや。実のところ、ファの狩り場はいまだ森の恵みが尽きる気配もない。そういった狩り場の状況を再確認したいという思いもあって、バードゥ=フォウらも会合を望んだのであろう」


 そう言って、アイ=ファは静かな眼差しで俺を見つめてきた。


「では、日取りは明後日ということで伝えておこう。《銀の壺》の送別会を終えたならばサウティやレイの者たちをファの家に招く約定があるので、その前に会合を行う必要があったのだ」


「そっかそっか。それで、その日の晩餐はどうしたらいいんだろう? 日没の一刻前に会合が終わるんなら、別に問題はないんだけど――」


「いや。それではあまりに慌ただしいし、どうせならば晩餐もともにしたいという願い出を受けている。お前は会合に参加するので、残る5氏族から女衆を準備してくれるそうだ」


「そうか。それなら、問題なしだな。まあ、また家人だけで過ごす時間が削られちゃうけど……そこは我慢しますので、どうぞご心配なく」


 俺がおどけた調子でそのように告げると、アイ=ファはどこか甘えるような面持ちで口もとをほころばせた。


「晩餐を終えたのちはバードゥ=フォウらも自分たちの家に戻るのだから、甘えん坊たるお前にも大きな不満は生じまい。……しかし私は、別なる理由で大きな不満を抱えてしまっているのだがな」


「え? いったい何が不満なんだ?」


「知れたこと。その日は、お前の料理を口にすることがかなわぬのだ。私にとって、それが不満にならぬわけはなかろう」


 俺は大いに胸を揺さぶられつつ、「ああ」と笑ってみせた。


「もし半刻でも時間をもらえたら、ひと品だけでも準備できるけどな。何かうまい理由をつけて、バードゥ=フォウたちにそう提案してみたらどうだろう?」


「うまい理由とは? そのようなものをひねり出せるのか?」


「アイ=ファのためなら、何としてでもひねり出してみせるよ」


 アイ=ファはぐいっとのびあがると、俺の額に自分の額をこつんとぶつけてきた。


「家人が頼もしく育ったことを、家長として心から喜ばしく思う」


「家長に過分なるお言葉をいただき、こちらこそ光栄の至りでございます」


 俺たちは近い距離からおたがいの顔を見つめ合い、くすくすと忍び笑いをもらすことになった。

 そんな感じに、白の月の後半戦はゆったりとした幸福感の中でスタートを切ったのだった。

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― 新着の感想 ―
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