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異世界料理道  作者: EDA
第六十七章 白の月の四つの催事
1160/1682

送別の祝宴②~宴の始まり~

2022.2/14 更新分 1/1

 その後も何かのアクシデントに見舞われることなく、俺たちは順調に作業を進めることができた。

 4時間ばかりも経過して、下りの二の刻を半分ほど過ぎると、屋台の商売に励んでいた面々が帰還してくる。宿場町のほうも平穏そのもので、何も問題はなかったとのことであった。


「建築屋の方々も、日没の前には問題なく来られるはずだという話でした。祝宴をとても楽しみにしているとのことです」


 そんな言葉を告げてくれたのは、取り仕切り役を担ってくれたラッツの女衆であった。

 そうして彼女たちも小休止を入れたのち、宴料理の準備を開始する。ここから取り仕切り役をバトンタッチするレイ=マトゥアは、朝から奮起しっぱなしであった。


 監督役である俺はすべてのかまど小屋を巡回しているが、どの場所でも問題なく作業が進められている。ユン=スドラが取り仕切るフォウの血族も、マルフィラ=ナハムが取り仕切るラヴィッツの血族も、それにトゥール=ディンが取り仕切るザザの血族も、昨今では凝った宴料理を準備するのが定例になっていたため、技術的にもまったく問題は見られないようであった。


 そうして太陽が西に傾くにつれ、あちこちの集落から男衆らもやってくる。荷車の数には限りがあるため、一部の氏族は早めに仕事を切り上げて来場し、また別の氏族へと荷車を送り届けるのだ。それでもルウ家が聖堂に幼子を預ける都合から3台もの荷車を新調したので、こういった際にもずいぶん有効活用できている様子であった。


(それにしても、やっぱりすごい顔ぶれだよな)


 ファの家は取り仕切り役という立場であったので、どの氏族から何名の人間が参じるかは事前に把握している。ただし、どういった立場の人間が参じるかは当日のお楽しみであったのだが――やはりいずれの氏族においても、本家の家長かその長兄のどちらかは必ず組み込んでいるようであったし、そうでなくとも錚々たる顔ぶれであることに疑いはなかった。


 ルウの血族からはガズラン=ルティム、ダン=ルティム、ディム=ルティム、ラウ=レイ、ギラン=リリン、シュミラル=リリン、ジィ=マァム。小さき氏族からはバードゥ=フォウ、ライエルファム=スドラ、チム=スドラ、ジョウ=ラン、デイ=ラヴィッツ、モラ=ナハム、ザザの血族からはゲオル=ザザ、ディック=ドム、ラッド=リッド、ゼイ=ディン、そして族長のダリ=サウティなど、よく見知ったお相手がそろいぶみだ。


 それに名前は知らなくとも、ちょっと頑固で甘党なベイムの家長、血気盛んなラッツの若き家長、誠実で穏やかな気性をしたスンの家長、真面目で苦労性のヴェラの若き家長、狩人として卓越した力を持つダナの若き家長、同じくハヴィラの長兄、父親にそっくりの幅広い体格をしたジーンの長兄、などなど――この2年ばかりでご縁を結んだ相手が数多く存在した。


 なおかつ女衆などは、屋台の仕事に関わる人間は全員参加であるため、俺が懇意にしている相手は勢ぞろいしていると言っても過言ではなかった。また、屋台に関わっていなくとも、ミル・フェイ=サウティ、イーア・フォウ=スドラ、スフィラ=ザザ、モルン・ルティム=ドムといった面々は宴料理の準備に駆り出されていたので、少なくとも俺が名前を知っている相手はすべて参じているのではないかと思われるほどであった。


(男性陣だと、モガ=サウティやラー=ルティムなんかのご老人がたとか、ディガやドッドとか、ディール=ダイやマサ・フォウ=ランとか、何人かは思いつくんだけどな)


 そこまで考えが及んだとき、俺はひとつの失念に思い至った。ヴィナ・ルウ=リリンやウル・レイ=リリン、それにリィ=スドラやサリス・ラン=フォウなど、幼子を抱える女衆には参席しない人間が多かったのだ。


(ああ、それにジャス=ディンやメイ・ジーン=ザザも見かけてないな。さすがに見知った相手が勢ぞろいすることなんてありえないか)


 しかしそれでも、森辺の民だけで180名ばかりの人間が集結するのである。また、これはすべての氏族を網羅する初めての祝宴であるのだから、画期的であることに疑いはなかった。


 そんな思いを馳せながら、粛々と仕事に取り組んでいると――ついに、建築屋の面々がやってきた。

 ちょうど最後の見回りの最中であった俺は、その足で挨拶に出向くことにする。もう日没までは半刻も残されておらず、料理の準備もほぼ完了していたのだ。


 ルド=ルウやシン=ルウの案内で、建築屋の乗ってきた荷車は家の裏手へと案内されている。そこに横から呼びかける格好になった。


「みなさん、お待ちしていました。今日はよろしくお願いいたします」


「ああ、アスタ。覚悟は決めてたつもりだけど……こいつはすごい騒ぎだなあ」


 アルダスが、感嘆しきった面持ちで笑顔を返してくる。広場にはもう男衆のあらかたが集結して、なかなかの賑わいになっていたのだ。


「前回は、建築屋のみなさんを含めても100名未満でしたもんね。あれでも十分に画期的な催しだったんですけれど」


「画期的?」


「はい。もともと森辺の民は血族だけで祝宴を開く習わしだったので、あんなにたくさんの氏族が集まる祝宴は初めてだったんです」


「で、今日はすべての氏族のお人らが集まるって話だったよな。なんだか、恐縮しちまうよ」


「そいつは、しかたねーんじゃねーの?」と口をはさんできたのは、ルド=ルウであった。


「この1年で、屋台の商売に関わる氏族もずいぶん増えたみたいだしよ。今となっては、屋台に関わってねー氏族なんて数えるぐらいしかねーんだろ?」


「うん。屋台に関わってないのはサウティとダイの血族と、ディンとリッドを除くザザの血族、あとはフォウとランだけだね」


「でも、スドラはフォウの血族だもんなー。本当にいっさい関わってねーのは、サウティとダイの血族だけってこった。で、サウティなんかは族長筋だから見届け人を出すわけだし、ダイだけ仲間外れにするわけにはいかねーんだろ」


 そう言って、ルド=ルウは白い歯をこぼした。


「ま、こんな人数を集めたのはこっちの勝手なんだから、あんたたちが恐縮する必要はねーだろうさ。復活祭のときみてーに、楽しく騒げばいいんじゃねーの?」


「ああ。どうせ酒が入ったらかしこまった気持ちなんて吹っ飛んじまうから、心配はご無用だよ」


 と、アルダスが陽気に笑ったところで、とある分家の裏手に到着した。

 俺は建築屋の面々に別れを告げて、そちらのかまど小屋へと足を向ける。そこはマルフィラ=ナハムの取り仕切るかまど小屋であったのだ。


「お疲れ様。こっちの準備はどうかな?」


「は、は、はい。ちょ、ちょうど今、すべての準備が完了しました。こ、刻限ぎりぎりになってしまって、申し訳ありません」


「何も謝る必要はないよ。他のみなさんも、お疲れ様でした。用意のある方々は、着替えのほうをどうぞ」


 本日も、未婚の女衆は宴衣装で客人を迎えることになったのだ。

 こちらで働いていた面々はリリ=ラヴィッツを除くと全員が未婚の女衆であったため、いそいそとかまど小屋を出ていく。そして、急ぐ必要のないリリ=ラヴィッツが俺のほうに近づいてきた。


「さきほど、南の方々の笑い声が聞こえたように思います。あちらも無事に到着されたのですね」


「はい。みなさんの着替えが済んだら、すぐに祝宴が始められるかと思います」


「そうですか。わたしは昨年もこの祝宴に参ずることを許されましたが……わずか1年で、ずいぶん様変わりしたものですねぇ」


 昨年の送別会に参加したラヴィッツの血族のかまど番は、リリ=ラヴィッツとマルフィラ=ナハムのみであったはずだ。それが本年は眷族たるヴィンも含めて、ひとつの班を形成できるぐらいの人数が呼ばれている。そして表には、それとほぼ同数の男衆も参じているのだった。


「このさまが、森辺の変わりようをそのまま表しているのでしょう。そのように考えると……いささか恐ろしくなってしまいますねぇ」


「そうですか。もし何か不安なことでもあるようでしたら――」


「不安があれば、家長に相談いたします。今日も家長とともに、森辺の変わりようをじっくり検分いたしましょう」


 そう言って、リリ=ラヴィッツはお地蔵様のような微笑をにんまりとした笑みに変転させた。子たる長兄にも受け継がれている、得も言われぬ笑顔である。

 しかし彼女らのそういった笑顔に、俺が不安を覚えることはなかった。保守的な気性をした氏族の人々にはいっそう厳しい目で森辺の変革のさまを見届けてもらいたいと、俺はかねがねそのように願っているのだ。


「デイ=ラヴィッツにもよろしくお伝えください。それでは、失礼いたしますね」


 リリ=ラヴィッツに別れを告げた俺は、他なるかまど小屋を巡回する。サウティとフォウの班はすでに仕事を終えていたので、あとは混成部隊の班と、トゥール=ディンが取り仕切るザザの血族の組のみだ。

 が、混成部隊の班もちょうど作業を終えたところで、ザザの血族はかまど小屋ではなく母屋の前にモルン・ルティム=ドムが伴侶とともに待ち受けていた。


「さきほど仕事を終えましたので、他の皆は着替えに出向きました。何かお手伝いすることはありますか?」


「いや、こっちもみんな無事に作業を終えることができたよ。モルン・ルティム=ドムも、お疲れ様」


 モルン・ルティム=ドムは伴侶があるため、着替えも不要であるのだ。

 彼女とは宿場町の祝宴でも顔をあわせていたが、相変わらず持ち前の明朗さと婚儀で新たに得た落ち着きがほどよく混在したたたずまいだ。首の横で切りそろえたショートヘアも、彼女にはよく似合っていた。

 いっぽう伴侶のディック=ドムは、変わらぬ迫力である。190センチを超えようかという頑健なる体躯をしたディック=ドムは、ギバの頭骨の陰に光る黒い目で俺を見据えてきた。


「このように大きな祝宴の取り仕切り役を任されて、アスタもご苦労だったな。……それにしても、建築屋とさしたる縁も持っていない俺が参ずるのは、やはりいくぶん気が引けるのだが……」


「そうですか? ディック=ドムは復活祭で頻繁に宿場町に下りていたので、俺としてはまったく違和感もないのですが」


「それはまあ、ディンとリッドを除く他の血族に比べれば、多少は顔をあわせていたのだろうと思うが……」


「ドムを含めてそういう氏族は2名ずつしか招かれていないのですから、何もご遠慮する必要はないように思いますよ」


 すると、モルン・ルティム=ドムが優しい顔でくすりと笑った。


「家長はきっと、ディガやドッドを不憫に思っているのでしょう。彼らは常々、ルウの祝宴でかつての家族たちに会える日を心待ちにしていますので……それを差し置いてルウの祝宴に参じたことが心苦しいのだと思います」


「しかし、氏なき家人に見届け役を命ずることはできんからな」


 重々しい声音で応じつつ、ディック=ドムの眼差しも優しげになっている。彼もまた、婚儀によって大きな変化を遂げていたのだ。


「ドムとルティムも、今後はもっと絆を深めようというお考えなのでしょう? それでディガたちがこちらに出向く機会が増えるといいですね」


「うむ。それにはまず、気兼ねなく祝宴を開けるようになりたいものだな。今日の祝宴がひとつのきっかけになればと考えている」


「きっとドンダ=ルウも同じ気持ちなのでしょう。俺もそのように願っています」


 俺がそのように答えたところで、新たな一団がこちらに近づいてきた。ミーア・レイ母さんに率いられた、ルウの血族の年配の女衆たちだ。


「アスタ、こっちの料理はみんな表に移したよ。そっちがまだなら、手を貸そうか?」


「あ、そうしていただけると助かります。こっちはまだみんな着替え中だと思いますので」


「余所から来るのは、若い女衆がほとんどだものね。それじゃあ、取りかかろうか」


 すると、ディック=ドムがけげんそうに小首を傾げた。


「荷運びなら、俺も力になれるように思うが……そもそも男衆ならば、いくらでも手が空いているのではないだろうか?」


「男衆は、力加減を知らない人間が多いもんでね。せっかくの宴料理を台無しにされたら大変だから、なるべく頼らないようにしてるんだよ」


「そうか。確かにそのような不始末を犯してしまったら、どのように詫びようとも許されまいな」


 ディック=ドムが薄く笑うと、ミーア・レイ母さんも楽しげに微笑んだ。

 そうして俺とモルン・ルティム=ドムもその一団に加わって、片っ端から宴料理を簡易かまどに運び出していく。そのたびに、広場の男衆たちが歓声をあげていた。

 途中からはリリ=ラヴィッツとミル・フェイ=サウティも加わって、じきに作業は完了する。


「いやあ、片付いた片付いた。そっちの料理も美味そうなのばかりで、ますます腹が減っちまうね」


 そんな風に言いながら俺に笑いかけてきたのは、金褐色の髪をした端麗なる女性――ラウ=レイの母親に他ならなかった。4人の子供と同じ数の孫を持つとは思えぬ、若々しくて活力に満ちた女性である。


「お手伝いありがとうございました。お会いするのは、ちょっとひさしぶりですね」


「うん。こういう祝宴は若い人間を出すべきなんだろうけどさ。なんか今回は、わたしに出番が回ってきちゃったんだよね」


 そう言って、彼女は息子とそっくりの顔で微笑んだ。


「ま、ルウだけでもたくさんの幼子を抱えてるだろうから、あとはそっちの面倒でも見ておくことにするよ。それなら、こんな年寄りが出張ってきた甲斐もあるだろうしね」


「そんなことを言わずに、あんたも祝宴をお楽しみよ。普段の祝宴だって、幼子の面倒ばかり見てるんだからさ」


 ミーア・レイ母さんも、苦笑をしながら会話に入ってくる。ラウ=レイの母親は異常なぐらい若く見えるが、おそらくは何歳も変わらない両名であるのだ。


「わたしは祝宴で騒ぐより、幼子の面倒を見てるほうが落ち着くんだよ。若い頃に馬鹿騒ぎをしてた反動なのかね。ま、年をくってから馬鹿騒ぎするよりは始末もいいだろうさ」


「ダン=ルティムは年をくってもまったく変わっちゃいないし、あたしは迷惑とも思っちゃいないよ。たまにはあんたと果実酒を楽しみたいところだね」


「あはは。ミーアとふたりで静かに飲むんなら大歓迎だけどね」


 そこで俺が思わず「あ」と声をあげてしまうと、ふたりがそろって視線を向けてきた。


「なんだい、おかしな声をあげて。わたしらが何かおかしなことを言ったかい?」


「あ、いや。まったく今さらの話なんですが……ミーア・レイ=ルウはレイのお生まれなんですよね。ということは、おふたりは幼馴染であったわけですか?」


 ラウ=レイの母親はきょとんと目を丸くしてから、「ああ」と微笑んだ。


「そっか。ついついミーアを氏なしで呼んじまったね。それでわたしが余所からレイに嫁入りしたんじゃないって見当がついたわけかい?」


「はい。それに、金褐色の髪が多く生まれるのはレイの家だと聞いた覚えがありましたので」


「ご明察。わたしもミーアもそれぞれレイの分家の生まれだよ。で、わたしはレイの本家に、ミーアはルウの本家に嫁入りしたってわけだね」


「なるほど。同じ家で生まれ育ったわけではないのですね。氏なしで呼んでいたので、姉妹の可能性も考えていたのですが」


「あはは。わたしは根っこが雑だからねぇ。ま、ミーアとは本当の姉妹みたいに仲良くしてたしさ」


 ラウ=レイの母親が朗らかに笑い声をあげると、ミーア・レイ母さんもつられたように笑った。なんだか無性に、胸の温かくなるさまである。


「幼い頃からお孫さんができる年になっても仲良くいられるなんて、素敵な話ですね。なんだか羨ましく思います」


「若いあんたが、何を言ってるのさ! きっとあんたも20年後には、同じような相手と仲良くしているよ!」


 ラウ=レイの母親は俺の背中をばしんと叩いてから、「おっと」と手をひっこめた。


「ついつい気安くさわっちゃったよ。アイ=ファには内緒にしておいてね」


「あ、いや、ファの家に隠し事は禁物なのですが……」


「それじゃあ別にかまわないよ。アイ=ファはわたしじゃなくあんたを責めるような気がするしね」


 と、ラウ=レイの母親は茶目っ気たっぷりの笑みをこぼす。彼女は顔立ちのみならず、表情までもが若々しいのだ。


「じゃ、わたしはサティの様子でも見てくるよ。下の子が寝付いてるようなら、サティにも祝宴を楽しんでもらいたいからね」


「まったく、せわしないのは相変わらずだねぇ」


 苦笑をしながら、ミーア・レイ母さんもラウ=レイの母親を追いかけていく。その後ろ姿を見守りながら、俺は小さからぬ感慨にとらわれていた。


(俺はこの2年ぐらいで、すごくたくさんの人たちとご縁を紡がせてもらったけど……まだまだ知らないことだらけなんだろうなぁ)


 そこでいきなり背後から「アスタよ」と呼びかけられて、俺は「うひゃあ」と飛び上がることになった。


「何がうひゃあだ。そろそろドンダ=ルウのもとに参ずるべきではないのか?」


 俺がおそるおそる振り返ると、そこには光り輝くようなアイ=ファの姿があった。

 アイ=ファは婚儀の祝宴でのみ宴衣装を纏うのだと、自分でそのように取り決めたのであるが――昨年の送別会でも宴衣装を纏っていたし、周囲の女衆からも是非にと乞われて、しぶしぶ宴衣装を持参することになったのだ。


 デルシェア姫の晩餐会でも、俺はアイ=ファの美しさに心を乱されたばかりである。が、ひさびさに見る森辺の宴衣装によって、そのときに負けないぐらい心を揺さぶられてしまった。

 城下町の宴衣装や礼装も、アイ=ファにはこよなく似合っている。仮面舞踏会における扮装だって、目を見張るような美しさであった。それでもやっぱりアイ=ファに一番似合うのは森辺の宴衣装であるのだと、俺はそんな思いを強烈に再確認させられていた。


 俺の贈った髪飾りと首飾りは、当然のように着用してくれている。さらに、玉虫色のヴェールやショールと背中に流れ落ちる金褐色の髪が、黄昏刻の薄闇の中でぼんやりと輝き――アイ=ファは、夢のように綺麗だった。


「……だからどうして宴衣装を纏うたびに、お前は心を飛ばしてしまうのだ」


 と、羞恥に頬を染めたアイ=ファが、俺に詰め寄ってくる。それがまた俺の心をいっそうかき乱すのだと、本人にはなかなか自覚できないのであろうか。


「いや、ごめんごめん。こればっかりは、抑制のしようがないんだよ。それは何故かと言うならば――」


 アイ=ファは俺の足を優しく蹴り飛ばすことによって、俺の浮かれた言葉を封殺した。


「ともかく、ドンダ=ルウのもとに参ずるぞ。今日の祝宴は、ルウとファの取り仕切りであるのだからな」


 そうして俺たちは人間でごったかえした広場を突っ切って、ルウの本家を目指すことになった。

 母屋の前には大きな敷物が敷かれており、ドンダ=ルウやジバ婆さん、それにダリ=サウティやゲオル=ザザなどが座している。俺たちの姿に気づいて「おお」と声をあげたのは、ゲオル=ザザであった。


「お前の宴衣装を目にするのも、ひさびさのことだな。まったく女狩人とは思えないような、大層な姿だ」


 大層な姿というのは、ぎりぎり森辺の習わしに抵触しない誉め言葉なのであろうか。アイ=ファはむっつりと黙り込んだまま、声をあげようとしなかった。

 そしてジバ婆さんが同性のよしみで賞賛の言葉を連ねると、アイ=ファは厳粛なる面持ちによって羞恥の気持ちを押し隠してしまう。ただ気恥ずかしさをこらえかねたようにしなやかな肩をもじもじと揺するのが、俺にはとてつもなく愛くるしく感じられてならなかった。

 そうしてひとしきりの挨拶が終わるのを待ってから、ドンダ=ルウが重々しく声をあげる。


「そろそろ太陽も隠れそうなところだな。女衆の支度は済んだのか?」


「うむ。最後に支度を始めた女衆らも、着替えを終えて出てきたようだ」


「では、こちらも始めるか。客人らを、この場に」


 建築屋の面々も近い場所に待機していたようで、すぐに案内をされてやってきた。そしてまずは、アイ=ファの美しさに歓声をほとばしらせる。


「うわあ、他の娘さんらも大層な姿だったけど、やっぱりアイ=ファは段違いだな!」


「ああ、こいつは大層だ!」


 と、建築屋の面々も大層だ大層だと繰り返す。察するに、森辺の習わしに触れない誉め言葉を誰かから伝え聞いたのであろう。それはきわめて誠実な心づかいであるはずなのに、やっぱりアイ=ファは文句を言いたげに口もとをむずむずとさせていた。


「それでは、祝宴を始めようと思う。まずは俺とファの者たちが挨拶をするので、客人たちはその場に控えていてもらいたい」


 そうしてドンダ=ルウは、200名からの人間がひしめく広場に怒号のごとき声を届けた。


「森辺の同胞らよ、静まるがいい! これより、祝宴の始まりの挨拶を告げる!」


 建築屋の面々は仰天した様子で首をすぼめ、広場は水を打ったように静まりかえる。そんな中、少しだけボリュームの落とされたドンダ=ルウの声が響きわたった。


「通常であればすべての人間に身分を告げてもらうところであるが、この人数ではそれもままならぬだろう! この夜の祝宴には、ルウの家人が40余名、ルウの眷族が40名弱、他なる氏族の人間が100名弱ほども参じている! 中にはまったく見知らぬ顔もあろうが、森辺の同胞として諍いを起こすことなく、正しく絆を深めてもらいたい!」


 これほどの声量であれば、広場の端にたたずむ人々でも聞き届けることができるだろう。下手をすれば、屋内にこもっている幼子たちにすら聞こえているぐらいかもしれなかった。


「そしてこの祝宴は、明朝に故郷へと出立するジャガルの建築屋の者たちを送別するための会となる! こちらとも、今さら諍いを起こす理由はないかと思うが……異なる地に生まれつき、異なる習わしに身を置く者同士であっても、おたがいを尊重し合い、異国の友として手を携えてもらいたく思う!」


 そうしてドンダ=ルウは、俺とアイ=ファのことをぎろりとねめつけた。


「では次に、ファの者たちからも挨拶を告げてもらおう!」


「うむ。……この祝宴は、ルウとファが取り仕切ることに相成った! 何か問題が生じた際には、すみやかに私かドンダ=ルウに伝えてもらいたい!」


 アイ=ファが凛然とした声を届けると、広場が少しだけざわめいた。光り輝くようなアイ=ファが戦場の指揮官を思わせる凛々しさをほとばしらせたため、感嘆する人々も少なくなかったのだろう。また、そうして毅然と振る舞うことによって、アイ=ファはいっそう美しく見えるのだった。


「また、この祝宴には森辺に存在する37の氏族の人間をすべて招くことができた! このような祝宴を取り仕切ることができて、心より誇らしく思っている! どうか今日は血族ならぬ相手とも、ぞんぶんに絆を深めながら祝宴を楽しんでもらいたい!」


 そうしてアイ=ファは、俺のほうに視線を転じてくる。

 俺は呼吸を整えて、200名からの人々とあらためて相対した。


「俺は大声を出すのが得意ではないため、ひと言だけ! ……俺も、ドンダ=ルウやアイ=ファと同じ気持ちです! 心を尽くして宴料理を準備しましたので、それを楽しみながら絆を深めてもらえたら幸いです!」


 それだけの言葉を伝えるだけで、俺は咽喉がかれてしまいそうだった。

 そしてドンダ=ルウが再び声をあげようとすると、バランのおやっさんが「いいだろうか?」と進み出た。


「俺も客の代表として、ひと言だけ伝えさせてもらいたい」


 ドンダ=ルウが目礼で了承を与えると、バランのおやっさんは分厚い胸に息を吸い込んで、ドンダ=ルウにも負けない大声を振り絞った。


「俺たちのような者にこれほど立派な祝宴を準備してもらい、心より感謝している! 決して悪さをしないと誓うので、最後までともに祝宴を楽しませてもらいたい! 以上だ!」


 森辺では、こういう際にも言葉や拍手を返さないのが習わしである。

 しかし広場の人々は、誰もが心のこもった眼差しをおやっさんに返している。おやっさんは満足そうに引き下がり、ミーア・レイ母さんから果実酒の土瓶を受け取ったドンダ=ルウが再び進み出た。


「今日は客人らが果実酒を樽で贈ってくれたので、この夜の内にすべて飲み干すがいい! それでは、送別の祝宴を開始する! ……儀式の火を!」


 広場の中心に待機していたルウの血族たちが、高く積み上げられた薪の塔に火を灯す。紅蓮の炎が天高くたちのぼり、建築屋の面々に歓声をあげさせた。

 さらにそれを追いかけるようにして、広場の外周にもかがり火が灯される。黄昏刻の薄闇が駆逐されて、世界がオレンジ色の輝きに満たされた。


「母なる森と父なる西方神、父の兄弟たる南方神に祝福を!」


「祝福を!」の声が、200名がかりで復唱された。

 文字通り、肌がびりびりするほどの大合唱である。そしてその場には、かつてないほどの熱気と活力が渦を巻いたのだった。


 笑顔で声をあげていた建築屋の面々も、その多くが仰天した様子で身を引いている。それほどに、森辺の民の生命力というのは凄まじいものであるのだ。人数がけた違いであるのだから、昨年の送別会における経験も用を為さないのであろうと思われた。


 森辺の外で生まれた俺には、建築屋の人々の心情が痛いほどに理解できる。祝宴で解放される森辺の民の尋常ならぬ生命力というのは、ちょっと怖いぐらいであるのだ。

 しかし、その熱気と活力に身をゆだねたとき、どれほど自分が昂揚して、幸福な心地になれるものか、俺はこの2年ばかりで知り尽くしている。

 そんな喜びを分かち合うために、俺は建築屋の人々を熱気の渦中にいざなうことにした。

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