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異世界料理道  作者: EDA
第五章 宿場町のギバ肉料理店
116/1675

⑧十日目~後半戦~

2014.10/26 更新分 1/1 2015.10/5 誤字を修正

2015.6/15 文章を一部修正(カロン肉の部位の表記)

2016.6/7 誤字を修正

「それはいったい――どういう意味なのでしょうか?」


「言葉の通りの意味でありますよ。うちの宿の晩餐でも、あなたの料理を取り扱わせていただきたいのです。城下町のように料理人として迎え入れることは難しいですが、あなたの作った料理のみを買い上げて、わたしの店の献立に加えさせていただくことはできないものかと――おっと、失礼」


 気づけば、シム人のお客さんがナウディス氏の背後にひっそりと立ちつくしていた。


「いらっしゃいませ。おひとつですか?」


 すると、その背後からも双子のように似通ったシム人がすうっと現れて、左右から銅貨を差し出してくる。


「おふたつですね。ありがとうございます」


 ナウディス氏は、申し訳なさそうな面持ちで褐色の髭をしごき始めた。


「そろそろ中天でありますな。もっと早い時間に来られれば良かったのですが。わたしにも朝の仕事がありましたので」


「いえ。……それじゃあ、少々お待ちいただくことは可能でしょうか? 予備の肉を焼きあげておけば、俺も少しは屋台を離れることができますので」


『ミャームー焼き』をこしらえつつ俺がそう呼びかけると、ナウディス氏は「はいはい、もちろんです」と応じながら屋台の横合いに引っ込んでくれた。


 さほど身長の変わらないユーミが、うさんくさそうにその姿をにらみつける。


「アスタの料理を取り扱いたいって、どういう意味? 料理だけを買い上げて、それを晩餐の時間に売ろうっての?」


「そうです。何せジャガルの民にはこちらの料理がとても好評ですので。お客様はみな、ギバが食べたいギバが食べたいと文句を言いながら、それはもう不満そうにわたしの宿の晩餐をつついておるのです。あるじとしては、まったく忸怩たる思いであるのですよ」


「だけど、それで親父さんの宿でまで儲けを出そうと思ったら、料理の値段も上がっちゃうじゃん? そんなの、誰も食べないんじゃない?」


「どうでしょうな。まともな儲けを出そうと思ったら、確かに値段はつり上がってしまいますが。他の料理よりも少し上乗せするぐらいでしたら、あるていどの売れ行きは見込めるのではないでしょうかね」


「だから、それじゃあ宿の儲けにならないでしょって言ってんの」


「確かに、料理から得られる儲けは、うんと下がります。それでも宿のお客様が増えれば、結果的に儲けは上がります」


 肉を焼きながら横目で盗み見てみると、ナウディス氏はやはり厳めしい面立ちに柔らかい表情をたたえて、ユーミと相対していた。

 南の民の荒くれた感じと、西の民の線の細さが、なかなか複雑にからみあった気性のように見受けられる。


「たとえば、ギバの料理が赤5枚、カロンの料理が4枚、キミュスの料理が3枚、と定めてしまえば、高い銅貨を払ってでも食べたいと願うお客様だけに食べていただくことがかないます。そうしてカロンやキミュスの料理もそれなりに売りさばくことができれば、極端に儲けが下がることもないでしょう」


「ふーん……いちおうちゃんと考えてるんだね」


「考えぬいたために、決断するのに何日もかかってしまいました。わたしはジャガルのお客様からこちらの料理の評判を聞いたその日の夜から、ずっと頭を悩ませていたのです」


 そこまで聞いたところで、ようやく肉が焼きあがった。


「すみません。すぐに戻るので、しばらくお願いします」とシーラ=ルウに言い置いて、俺はナウディス氏の前に立つ。


「お待たせいたしました。……そちらのユーミ様が色々と話してくださったおかげで、俺もだいぶん考えをまとめることができました」


「様とかやめてよ。気色悪いなあ」


「申し訳ありません。……あの、俺にも仕込みや家の仕事がありますので、夕暮れ前には家に戻らないといけないのですが。俺の身体は必要なく、ただ料理だけをお渡しすればいいというお話なのでしょうか?」


「はいはい。できうれば、隣の屋台の料理のように、温めるだけで提供できるような料理が望ましいですな。それを、軽食ではなく晩餐の量で――手始めに、30食から50食ほども仕込んでいただければ、十分でありましょう」


「なるほど。晩餐だともう少し食べごたえが必要になるわけですね。……その1食あたりの分量はどれぐらいで、それをいかほどの値段で買い取っていただけるのでしょうか?」


「そうですな。量としてはこちらの料理の1・5倍ほどで、それを赤3枚――より、もう少しだけ安く売っていただければ幸いと思っております。10食で赤25枚、20食で赤50枚ぐらいが適正ではないかと思うのですが、如何でありましょう?」


『ミャームー焼き』の材料費は、ギバ肉を計算に入れなければ、屋台のサイズでおよそ0・5赤銅貨、原価率としては25%である。


 その1・5倍の量ということは、材料費は0・75赤銅貨。

 売り値は、2・5赤銅貨。

 売上原価÷売上高×100が原価率なので、0・75÷2・5×100は――30%だ。


 原価率で5%というのはかなりの差異であるはずだが。人件費や拘束時間のことを考えれば、屋台で売るよりも割のいい商売にはなるであろう。


 まあ、そこまで考えずとも、このような好機を逃がす気持ちはないが。やっぱり商売としてのラインはきっちり確保しておかねばなるまい。


「こちらとしては、ありがたい話だと思います。でも、それをそちらのお店では赤銅貨5枚で売る、ということなのですよね? そうすると、この屋台で売っている料理と比べて、量は1・5倍なのに値段は2倍以上になる、ということになってしまいますが」


「それで売れなければ、さらに値段を引き下げます。本来であれば、赤4枚ぐらいが相応でありましょうから。……そうしたらますます利益は下がってしまいますが、わたしとしては悪い商売ではないと思っております」


 そのあたりのことを、何日もかけて考え、心を決めたということか。


 この時点でも、俺にとっては万々歳の展開である。

 昼は屋台で軽食を売り、夜は宿屋で晩餐の料理を売ることができるようになれば、いっそう多くの人々にギバ肉の味を知ってもらうことができるのだから。


 しかし俺は、さらにもう1歩踏み込んでみることにした。


「……失礼ですが、カロンの肉自体の仕入れ値などを教えていただくことは可能でありましょうか?」


「カロンの肉の仕入れ値でありますか? わたしの店では、ちょうど1食分で赤1枚といったところですかな」


「え? それはこの店の料理の1・5倍の量の肉のお値段ということですよね?」


「はいはい。そうですな」


 これはまた計算が必要だ。

 うちの店で使っている肉は、およそ180グラム。

 その1・5倍ということは、およそ270グラム。


 それで赤1枚ということは……100÷270が、およそ0.37であるから、100グラムが0.37赤銅貨、ということでいいのかな?


 一般家庭においては、カロンの肉も100グラムで赤銅貨1枚弱の値段であったはずだから、その半額以下の値段になってしまう。業者価格おそるべし、といったところか。


 では――ギバ肉がカロンの肉と同額で売ることができるようになったら、どのような感じになるであろう?


 100グラムで0.37赤銅貨なら、1キロで3.7赤銅貨。

 成獣のギバからは平均40キロていどの肉が取れるので、1頭あたりに換算すれば、赤銅貨148枚だ。


 角と牙だけなら赤銅貨12枚、毛皮をなめしても同じく12枚ぐらいにしかならないのだから、それと比べれば10倍以上の額である。


 10日目にして、ついに具体的な数字が、見えた。


 キミュスよりも高価であるカロンと同じぐらいの値をつけることが可能であるかどうか、そこが勝負どころになるかもしれない。


「そうですね……料理を売ること自体は前向きに考えたいのですが、ただ、ポイタンだけは加工するのに手間がかかるので、そこは今まで通り、フワノという食材を使っていただいたほうがいいかもしれません。それならば、屋台の商売の後に50食ていどの料理を仕込むことは可能だと思います」


「ほうほう。それでは買い上げの金額も多少変わってまいりますな」


「はい。それはフワノの原価分を差し引いていただいてかまいません。軽食の量で3食分が赤1枚ということは、晩餐の量なら2食分で赤1枚、ということですかね」


 ポイタンのほうが安価である分、こちらが少し割を食うことになるが。しかし、ポイタンの加工は本当に手間であるので、それを考えれば、損な話ではないと思う。


「ただ……俺のほうも来月や再来月といった先のことまでは予定が立っておりませんし、それに、もしかしたら、他の宿屋や食堂などからも、同じような仕事が舞い込む可能性がありますね」


「はいはい。それは大いにありうることですな。南の民が常宿としているのはわたしの店だけではありませんし、それと同じ数だけ、東の民が常宿としている宿屋も存在するのですから」


 まったく悠揚せまらずに、ナウディスは大きくうなずいた。


「そして、わたしの店でギバ肉の料理を売りに出せば、そういった者たちがこぞって真似をしようとするやもしれません。……というか、遅かれ早かれ、そういう状況は訪れるのでしょうな」


「そうですか。それは非常に光栄な話ですが――でも、限られた時間の中で、俺がそれらのすべてに応じることは不可能でありましょうね」


「……そうでしょうな」と、ナウディスは少しだけ目を細くした。

 それを理由に、俺が料理の値段を引き上げようとしている、とでも考えたのかもしれない。


 だけど、俺はまったく別のことを考えていた。


「もしもそのような事態に陥ってしまった場合、俺は、俺の料理ではなく、ギバの肉だけを購入していただくことはできないものかと交渉することになると思います」


「え!?」と声をあげたのは、ナウディスではなくユーミのほうだった。


「ですので、《南の大樹亭》におきましても、ゆくゆくは肉のみを購入して自分たちの手でそれを調理する、という道も考えに入れておいたほうがよろしいのではないでしょうか? そうすれば、ギバの料理でも他の料理と同じだけの利益をあげることが可能にもなりますし……」


「ちょっと待ってよ! そんなにあちこちでギバの料理が売られるようになったら、アスタの店の売り上げが落ちちゃうんじゃない!?」


 ずいぶんと慌てふためいた様子で、ユーミが俺の腕につかみかかってくる。


「絶対、料理だけを売ってたほうが得だって! ……それとも、肉そのものを売ったほうが、アスタにとってはいい商売なの?」


 そんなことはない。

 ファの家は、すでに昨日の段階でギバ肉を使い果たし、ちょうど本日から、ルウ家の肉を買い上げ始めたところであるのだ。

 ファの家だけの利益を重んじるなら、それはもちろん俺の作った料理だけを売り続けたほうが、得な話であろう。


 だけど、俺たちは、そんな目的でこの商売を始めたわけではない。

 なので、俺はユーミに、にっこり微笑み返すことにした。


「ちょっと説明は難しいのですが、俺にとっては、そのほうが望ましい道なのです」


「そうなの? ……だったら、いいんだけどさ……」


 あまり納得のいっていなそうな面持ちのまま、ユーミは俺の腕を離して、引き下がった。


 ナウディスは、「ふむふむ」とあごひげをしごいている。


「大変興味深いお話ですが、まずは、あなたの料理を売っていただければ、それで満足です。その後のことはその後に考えさせていただきたく思います」


「はい。ありがとうございます。……それでは、こまかい打ち合わせは商売の後でよろしいですか? いよいよ中天も近づいてまいりましたので」


「そうですな。わたしもそろそろ宿に戻らねばなりません。……それではいちおう《キミュスの尻尾亭》のご主人にも話は通させていただきます。何か誤解などが生じてはよくありませんので」


 そうしてナウディス氏はひょこひょこと立ち去っていった。

 その背中を見送りつつ、ユーミは「ちぇっ」と舌を鳴らす。


「宿屋の食堂でギバ肉の料理か……あたしのとこでも真似したいけど、南や東のお客さんなんてほとんどいないもんなあ。西の民のお客さんだけじゃあ、なかなかギバの料理なんて注文してくれそうにないもんね」


「そうでしょうね。今のところは」


 今のところは、しかたがない。

 たった10日間で、西の民の差別感情を根こそぎひっくり返すことなど、できるはずがない。


 しかし、南と東の民をここまで魅了することはできた。

 最終目的のための架け橋をかけることは、できた。


 まずは《南の大樹亭》を相手に、成功を収めることができるかどうかだ。


「あーあ。これじゃあもし《キミュスの尻尾亭》との契約が今日限りになっても、あたしの店の出番はなさそうだね。……まあ別に、どの取り仕切り役に銅貨を払ったところで、あんたの料理の味が変わるわけじゃないから、いいんだけどさ」


 と、最後にはいつもの屈託のない笑顔を浮かべて、ユーミが俺の腕を引っぱたいてきた。


「それじゃあね! いいかげん友達も待ちくたびれてるだろうから、あたしも帰るよ。また明後日からも、楽しみにしてるからね?」


「はい、ありがとうございます」と、ユーミと別れを告げてから、俺はようやく屋台に戻ることができた。


 ひとりで『ミャームー焼き』の屋台を預かってくれていたシーラ=ルウが、とても穏やかに微笑みかけてくる。


「おかえりなさい。……こちらの料理は、残り26個となりました」


「え? ずいぶん売れてしまいましたねえ」


「こっちは、24個よぉ……」と、『ギバ・バーガー』のほうからもヴィナ=ルウが声を飛ばしてくる。


「合計で、残りはちょうど50個ですか。……これはもう、遅かれ早かれ早仕舞いになってしまいそうですね」


 と言った矢先に、またお客さんがやってきてくれた。

 黄褐色の肌をした、かなりガラの悪そうな3人組だ。


「いらっしゃいませ。3つですね?」と俺は笑顔で出迎えた。

 このお客さんがたにも、見覚えがある。


 数日前、『ギバ・バーガー』の屋台に難癖をつけにきたものの、ヴィナ=ルウらにあしらわれて商品を購入する羽目になった方々だ。

 始まりはそんな感じであったのに、今ではすっかり常連様なのである。


「ふん……今日も繁盛してるみたいだな、あんちゃん」


「はい、おかげさまで」


「まったくよ、この俺が銅貨を払ってギバの肉なんざを食うようになるなんて、いったいどこで道を踏み外しちまったんだかな」


 どうやら本日はお酒を召していないらしく、口調は荒っぽいが表情は穏やかな感じだった。


「お待たせしました」とシーラ=ルウが商品を差し出し、それを受け取ったひとりが憮然とした様子で俺のほうに顔を寄せてくる。


「それにしても、森辺の民ってのは美人が多いよなあ。ギバの肉がこんなに美味くて、女がこんな美人ぞろいだったら、まあ森辺に住みつこうだなんていう酔狂な考えを起こすやつがいてもおかしくないってことか」


「あはは。別にそういうわけではないんですけどね」


「そういうわけじゃなきゃどういうわけなんだ? どうせこの中にはお前さんのお手つきも混じってるんだろ?」


「いえいえ、滅相もない! 俺みたいな若輩者にそんな不埒な真似などできようはずもございませんよ」


 ちらりとシーラ=ルウを見てみたが、彼女は礼儀正しい無表情でお客さんの戯言を聞き流しているばかりだった。


 3名のお客さんたちは『ミャームー焼き』を手に去っていき、俺は「ふう」と、かいてもいない汗をぬぐう。


「まったく愉快なお客さんたちですね。すみません、シーラ=ルウ」


「アスタが謝るようなことではありません。……しかし、わたしをアスタの嫁と勘違いする方は多いようですね」


「え? そ、そうなのですか?」


「はい。1日に1、2回はそのような言葉をかけられていると思います。……わたしのように不出来な女衆がアスタの嫁だなんて、町の人間とはおかしなことを考えるものですね」


「いやあ、不出来なのは俺のほうですよ! シーラ=ルウのように素敵な女衆が俺の嫁だなんて……うわーっ!」


 突然、ぽんっと肩を叩かれて、俺はおもいきり大声をあげてしまった。

 振り返ると、右手にいくつかのアリアを抱えたアイ=ファが顔をしかめて立っている。


「いきなり大声を出すな。驚くではないか」


「お、お、驚いたのはこっちのほうだ! 気配を殺して背後から近づくなって言ってるだろ!」


「だったらわざわざ足音をたてながら歩かなくてはならないのか? あまりたわけたことを言うな」


 シーラ=ルウはこれといって動揺した様子もなく、アイ=ファからアリアを受け取っていく。


「ありがとうございます。……アスタはお忙しそうでしたので、今のうちにと思い最後の買い出しをアイ=ファに頼んでおいたのですよ」


「そ、それはお気遣いありがとうございます。……あれ? リミ=ルウはもう帰ったのか?」


「とっくの昔にルウの次姉らが迎えに来たわ。お前が屋台を離れて何やら話しこんでいる間にな」


 言いながら、アイ=ファは俺とシーラ=ルウの姿を、じーっと見比べた。


「ど、どうした、アイ=ファ?」


「いや……確かにこうして改めて見ると、嫁と夫に見えなくもないものなのだなと思ってな」


 やっぱりしっかり聞かれていたか!

 俺は何と言い返してやろうか頭を悩ませたが、それよりも早くシーラ=ルウが「とんでもないことです」と微笑した。


「アスタがわたしを嫁に選ぶことなど、絶対にありえないでしょう。……そしてまた、わたしもアスタに深い信頼と尊敬の念を抱いてはおりますが、夫として選ぶことはありえないと思います」


「……そうなのか」と言い捨てて、アイ=ファはくるりときびすを返した。

 その姿がまた木陰に落ち着くのを待ってから、シーラ=ルウが申し訳なさそうに耳打ちしてくる。


「すみません。アスタに対して非常に失礼なことを言ってしまいました。……でも、アイ=ファにはしっかり自分の考えを伝えておくべきだと、わたしには思えてしまったのです」


「はい、その判断はとても正しいと思われます。……そして俺も、シーラ=ルウには深い信頼と尊敬の念を抱いておりますよ」


 シーラ=ルウはとても嬉しそうに微笑んでから、すみやかに正面に向き直った。

 また新たなお客さんが近づいてきていたのである。


 いよいよ、中天だ。

 普段以上に、人通りが多い。

 そしてやっぱり、西の民のお客さんがじんわり増えているような気がする。


「シーラ=ルウ、ぎばばーがーの残りが2つになっちゃったわぁ……交代してくれるぅ……?」


「はい」とシーラ=ルウが『ギバ・バーガー』のほうに移動して、入れ替えでヴィナ=ルウがやってくる。


 80個用意した『ギバ・バーガー』も、ついに最後の20個に突入か。

 かくいう『ミャームー焼き』も、残りは23個である。


「これはひさびさの完売ねぇ……やっぱり売れ残るよりは、売り切ったほうが楽しいわよねぇ……?」


 ヴィナ=ルウの言葉に応じるように、客足が止まらない。

 10日間の最終日にして、これまでで最高のハイペースである。


 そうして商品は次から次へと売れていき、中天を1時間も過ぎる頃には、『ミャームー焼き』も残り3個となってしまった。


「うわあ、今日はこっちのほうが先に売り切れちゃいそうだなあ」と、俺が嬉しい悲鳴をあげたとき、その人物が、やってきた。


 ミラノ=マスである。


「あ、どうも」


 朝一番の監視役として以外でミラノ=マスが屋台に近づいてきたのは、これが初めてのことだった。


 ミラノ=マスは、木皿に残った肉を見て、「ふん」と鼻を鳴らす。


「それを売り切ったら、もうおしまいなのか? 今日はいったい何食分を用意してきたんだ?」


「こちらはいつも通りに90食で、あちらの屋台は80食にしてみました」


「合計で170食か。まったく、馬鹿げた数字だな」


 言いながら、ミラノ=マスは銅貨を差し出してきた。

 赤い銅貨を、2枚。


「え? 料理を買ってくださるのですか?」


「ああ」


「ありがとうございます。……あの、こちらの小さな木皿のほうで味を確かめてみることも……」


「やかましいやつだな。銅貨を出しているのだから、さっさと売れ。味見など、不要だ」


 いつも通りの不機嫌そうな声で言い、「どうせこれで最後だからな」と、付け加える。


「最後って、それはどういう――」


 と、そこにミラノ=マスと同じ色の肌をした男女ふたり連れが近づいてきた。


「ほら、これだよ。看板にもギバって書いてあるだろ? これが噂の、ギバ肉の料理ってやつだ」


「うわあ、気持ち悪い……ねえ、やっぱりやめましょうよ……」


「俺も最初はそう思ったんだけどな! こいつが不思議と、無茶苦茶に美味いんだよ!」


 そして、まだずいぶんと若そうなその青年が、ちょっと斜にかまえた感じで赤銅貨を4枚差し出してくる。


「おい、2個だ」


「はい、ありがとうございます!」


 ミラノ=マスと合わせれば、これできっちり完売だった。

 俺は3つの商品をこしらえて、ヴィナ=ルウの手を経てそれらがミラノ=マスたちの手に渡っていく。


 ミラノ=マスは、何も言わずに賑やかな南の方角へと歩きだした。


「……ヴィナ=ルウ、火の始末をお願いします」


 俺はそれだけ言い置いて、ミラノ=マスの後を追う。


「ミラノ=マス、待ってください!」


 ミラノ=マスは、止まらない。

 しかし、ことさら速足なわけでもなかったので、『ギバ・バーガー』の屋台を少し越えたところで追いつくことができた。


「あの、これで最後というのは、どういう意味なのでしょうか?」


 ミラノ=マスは歩みを止めぬまま、『ミャームー焼き』をかじっている。

 その表情にも、べつだん普段と変わりはない。


「……何を血相を変えているんだ、お前さんは? 明後日からは、《西風亭》と契約するんだろうが?」


「え……いやでも、その件については……」


「それとも、《南の大樹亭》に鞍替えか? どちらにせよ、どこと契約しようが何も変わらん。屋台の貸出賃など、娘の小遣いぐらいにしかならないのだからな。ぐだぐだと抜かしていないで、お前さんを重宝してくれそうな店と契約をすればいいだけのことだろう」


 ミラノ=マスは、道の端に寄っていき、そこで立ち止まった。

 俺よりも少し低い位置から、不機嫌そうな眼光が飛んでくる。


「俺は、森辺の民が嫌いだ。娘だって、お前さんたちのことをひどく怖がっている。お前さんたちを引き止めたい理由なんて、こっちには何ひとつないんだよ」


「それは……ミラノ=マスにとってもそのほうが良い、ということなら、もちろんやぶさかではありませんが……」


 だけどそれなら、どうして一昨日の時点でそう告げてくれなかったのだろうか。

 そして――どうしてそのように難しい顔をしながら、ギバ肉の料理を食べているのだろう。


「……たとえ小遣いていどの稼ぎでも、屋台を貸せば白銅貨1枚だ。そんな稼ぎをみすみす他の店に渡しちまうのは、商売として間違っている。森辺の民が憎くても、そんなもんのせいで自分が損をするなんて馬鹿のやることだ。……そういう思いもあったから、納得がいくまで考えさせてもらっただけだ」


「それでは――納得がいくまで考えぬいた上で、他の店に契約を譲るという気持ちになられたということなのですね?」


 それはとても残念な話であったが、1番に尊重すべきはミラノ=マスの心情であろう。


 しかし、ミラノ=マスはかじりかけの『ミャームー焼き』に目線を落としつつ、「別にそういうわけでもない」と言い捨てた。


「ええ? では、どういうわけなのでしょう?」


「商売人としては、契約するべきなんだろうと思う。だが、おたがいに不愉快な思いをしてまでしがみつく意味はない、と思ったまでだ。……どうせ、俺や娘が森辺の民を許せる日なんて永遠に来るはずもないからな」


 目線を伏せたまま、ミラノ=マスは静かにつぶやく。


「俺の親友は、森辺の民に殺された。そして、それが原因で俺の女房もくたばっちまった。もう10年も前の話だがな。……だから俺は、森辺の民なんてみんなくたばっちまえばいいと思ってる。農園の被害なんて知ったことか。狩人なんて、くそくらえだ」


「ですが、それは――」


「それでも悪逆な真似をした人間がきちんと裁かれるなら、俺だってうだうだと文句を言ったりはしない。しかし森辺の民は、領主に庇護されてやりたい放題だ。俺の親友は崖から落ちてくたばっちまったんだが、その手にはギバの角と牙の首飾りが握られていた――それなのに、森辺の民が裁かれることはなかった」


 俺は、こっそり拳を握りこむ。

 証拠も何もなかったから、話はうやむやになってしまった、とユーミは言っていたが――証拠は、あったのか。


 その上で、森辺の民に詮議の手が及ぶことはなかった、というのか。


 感情をかき回される俺の眼前で、むしろミラノ=マスは普段以上に落ち着き払っている。

 その茶色い瞳にうっすらと浮かぶのは、怒りではなく悲しみの色であるように思えた。


「そうしてうちの女房は、心労で寝込んだまま、あっけなく逝っちまった。……死んだ男は俺の親友であり、そして、女房にとっては親の代わりに自分を育ててくれた大事な兄貴だったんだよ。だからきっと、俺や娘は一生森辺の民を恨み続けるんだろう」


「でも……それは……」


 森辺の民は、旅人を襲い、作物を奪い、女をかどわかす、と、かつてドーラの親父さんもそう語っていた。

 アイ=ファも、それを否定しようとはしなかった。

 そういう人間は、確実に、森辺の内部に存在するのだ。


(それも全部、スン家の仕業だってのか……?)


 わからない。

 ただ、スン家とルウ家の確執が決定的になったのは、20年前――先代家長の代であったはずだ。

 その頃に、スン家はルウ家への嫁入りが決まっていた女衆をかどわかし、自害にまで追いこんだ。


 そんな頃から、すでにスン家は、腐っていたのだ。


「だけど、それでも……」と言いかけて、俺は途中で口をつぐむ。


 だけど、それでも、森辺の民のすべてが、そんな悪逆な人間なわけではない。

 アイ=ファや、ルウ家やルティム家の人々が、そんな連中と混同されてしまうのは、俺には到底、耐えられないことだった。


 そして――たった1回会ったきりの、か弱げな女衆の姿が脳裏に蘇る。

 サリス・ラン=フォウという名を持つ、幼い子どもを抱いた女衆の姿だ。


 必要なだけのギバを狩る力を持たない小さな氏族の人間は、飢えて死ぬことすら、あるという。

 アイ=ファがこっそり毛皮を分け与えてくれなければ、幼子に乳をやることさえできなかったと、サリス・ラン=フォウも述べていた。


 森にはいくらでも食用に適した果実がなっているというのに、ギバを飢えさせないために、みずからが飢え――ジェノスの領主との盟約を守り、狩人としての誇りに殉じて、死んでいく森辺の民も存在するのだ。


 そんな、壮絶なばかりの自己犠牲の上に、ジェノスの繁栄は成り立っている。


 それなのに――ジェノスの民の胸中に渦巻くのは、恨みや、恐怖や、蔑みの感情だ。


 こんな馬鹿げた話があるだろうか?


 悪逆な真似をはたらく一部の人間と、それを庇護する一部の人間たちは、何ひとつ痛い目を見ないまま、森辺においても、宿場町においても、市井の人間たちだけが、苦難の生を負わされてしまっている。


 もっとはっきり言うならば――ジェノスの支配階層の人間たちと、族長筋のスン家だけが、持ちつ持たれつで甘い汁を吸い、それ以外の人間たちがその分の苦難と不幸を背負わされている、という構図なのではないのだろうか?


「それでも、何だ? 森辺の民のすべてが悪逆なわけではない、とでも言いたいのか、お前さんは?」


 と、ミラノ=マスが、低く言い捨てる。


「そんなことは、百も承知だ。森辺に住むという500名もの民が全員そんな悪逆な人間だったら、毎日のように人死にが出ているだろうさ。そんなことは、誰だってわかっている。――そうじゃなかったら、最初からお前さんなどを商売相手と認めるものか」


 そう言って、ミラノ=マスは『ミャームー焼き』の最後の一口を口の中に放りこんだ。


「それに、町の人間だって馬鹿じゃない。お前さんたちがそんな悪逆な人間だったら、誰も料理など買わないだろう。……だから、べつだん、お前さんたちを引き止めるつもりもない代わりに、追い払うつもりもない。それでも、《南の大樹亭》や《西風亭》なんかがお前さんたちを重宝してくれるっていうんなら、そっちだって俺なんざの店に居残る理由は何ひとつないだろうが?」


「いえ……追い払うつもりはないと仰っしゃてくださるならば、俺は明後日からも《キミュスの尻尾亭》のお世話になりたいと思います」


「なに?」と、ミラノ=マスはぎょっとしたように目を見開いた。


「何故だ? そんなことをしても、お前さんには何の得にもならないだろうが?」


「何故、と言われると困ってしまうのですが……ミラノ=マスが俺の料理を食べてくれたのが、とても嬉しかったからでしょうか」


 それに、ミラノ=マスは、自分の気持ちを定めるのに、3日間も思い悩んでくれたのだ。

 その末に、引き止めるつもりもなければ追い払うつもりもない、という結論を得ることができたのならば――俺の側に、《キミュスの尻尾亭》を離れる理由はどこにもない。


「俺みたいな若輩者が店主ですので、色々いたらない点も多いとは思いますが、精一杯頑張りますので、どうか明後日以降もよろしくお願いいたします」


 俺はタオルをむしり取って、頭を下げてみせた。


「……わけのわからん小僧だな、本当に」


 と、ミラノ=マスは、溜息混じりの言葉をこぼす。


「別に頭を下げられるような話じゃない。……銅貨を払ってまで不愉快な思いをしたいというのなら、勝手にしろ」


「はい! ありがとうございます!」


 俺が面を上げると、ミラノ=マスはもう背を向けて歩き始めてしまっていた。


 俺はタオルを巻き直し、急ぎ足で屋台に戻る。

 だけど、やっぱり、胸には穏やかならざる感情が渦巻いたままだった。


(10年前ってことは、ディガ=スンやヤミル=スンなんかは関係ない。――だけどやっぱり、それはスン家の人間が犯人なんだろうか?)


 真相は、わからない。

 だけど、そんな罪人を野放しにしたまま、ジェノスと森辺の民たちの溝を埋めることなど、不可能なのではないだろうか。


 仮に、俺たちの商売が、宿場町と森辺の架け橋となり、過半数の人々がわだかまりなくギバの肉を食べられるようになったとしても――実際に被害を受けた人たち、ミラノ=マスのような立場の人々の無念が完全に晴れることはないだろう。


 罪人は、裁かれなくてはならない。

 そんな当たり前のことが、当たり前のこととして執行されない限り、本当の意味での相互理解などありえないと思う。


(それじゃあ、いったいどうしたら――)


 答えの出ない煩悶を抱えこみつつ、屋台に戻る。

 そうして、戻ると――金褐色の頭をしたひょろ長い男が、『ギバ・バーガー』の屋台の前に立っていた。


「やあ、今日はひさびさに顔を出せたよ」


 無論のこと、カミュア=ヨシュである。

 確かにその姿を見たのは、4日ぶりぐらいであるはずだった。

 かたわらには、亜麻色の髪をした少年もきちんと控えている。


「本当におひさしぶりですね、カミュア=ヨシュ。お元気そうで何よりです」


 軽く頭を下げてから、俺は屋台の内側に回りこんだ。

 とたんにララ=ルウが、にっと笑いかけてくる。


「このおっさんたちが、最後だったよ。ぎばばーがーも、これでおしまい!」


 まだ中天を過ぎて、1時間と少ししか経過していなかったのだが。

 170食の料理は、これで完売してしまったようだった。

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