エイラの祝宴⑥~絆~
2022.2/12 更新分 1/1
「どうやら《銀の壺》は、まだ参じておらぬようだな」
アイ=ファがそのように言ったのは、一緒に広場を一周したのちのことであった。
広場はたいそうな賑わいであるが、東の民の一団を見逃すことはないだろう。ましてやアイ=ファは、狩人の眼力を備え持っているのだ。
「私もあの傷は、何か特別な処置が必要だと考えていた。《銀の壺》が参じたならばすぐに声をかけられるように私が目を光らせておくので、お前は心置きなく腹を満たすといい」
「うん。でも、あんまり呑気にはしていられないよ。この間にも、ラウ=レイは何でもかんでも食べあさっちゃうだろうから……」
「しかし、あやつを叩きのめして動きを封じるわけにもいくまい。……いや、そうするほうが、むしろ親切なのであろうか」
そんな物騒な言葉をつぶやいてから、アイ=ファは「うむ?」と目を光らせた。
「……ああ、違った。ラダジッドたちではなく、シュミラル=リリンだ。そういえば、あやつも参ずるという話であったな」
「え、シュミラル=リリン? どこに? シュミラル=リリンだって東の民だったんだから、何か特別な治療法を知ってるかもしれないぞ!」
「こっちだ」と、アイ=ファが俺の胴衣の裾をつかんで広場の人垣を突っ切り始めた。
その最果てに、シュミラル=リリンの頼もしい姿が現れる。そのかたわらに控えているのは、ギラン=リリンと10歳ぐらいの男女であった。
「リリンのみなさん、お疲れ様です。ちょっとシュミラル=リリンにご相談があるのですが……」
「はい。何か、変事でしょうか?」
シュミラル=リリンが、真摯な眼差しで俺を見つめ返してくる。それで俺が事情を説明すると、シュミラル=リリンは「なるほど」と思案した。
「ラウ=レイ、それほどの怪我、負っていること、知りませんでした。《銀の壺》、傷の化膿、くわしい団員、いますので、お力、なれると思います」
「本当ですか? 助かります!」
「はい。傷の化膿、適切な処置、必要です。到来、待ちましょう」
すると、話を聞いていたギラン=リリンが苦笑によって笑い皺を深くした。
「レイの一族はきわめて強い力を持っており、情けも深いように思うが、自らの苦痛や負担を顧みないという一面がある。それは他なる血族が支えてやらねばな。……ああ、お前たちは気にせず、町の祝宴を楽しむがいいぞ」
最後の言葉は、幼子たちに向けられたものであった。
どちらも聡明そうな面立ちをした、ちょっと大人びた雰囲気の幼子たちである。しかし彼らも広場の賑わいに昂揚している様子で、可愛らしく頬を火照らせていた。
「今日はアスタたちばかりでなく、宿場町や城下町の者たちも料理を出しているそうだな。こやつらにそれを食べさせてやりたいのだが、どこで配っているのであろうな?」
「あ、それじゃあご案内しますよ。ひと通りの配置は覚えていますので」
そんなわけで、ラウ=レイの去就に胸を痛めつつ、俺はギラン=リリンたちをエスコートすることになった。
その間も、幼子たちはきょろきょろと視線をさまよわせている。その初々しい姿が、焦る俺の気持ちを和ませてくれた。
「君たちが宿場町に下りるのは、復活祭以来なのかな? あのときにも負けない賑わいだろう?」
「は、はい。それにやっぱり婚儀の祝宴であるためか、復活祭ともまた異なる空気が満ちているように思います」
男の子のほうがしゃきっと背筋をのばしながら、そんな風に答えてくれた。
リミ=ルウやターラとほとんど変わらないぐらいの年頃であるのに、やっぱりずいぶんと大人びている。彼らは滅びに瀕していたリリンの家に生まれつき、物心がつくかどうかという頃合いでルウ家と血の縁を結ぶことになったのだ。そういう特殊な環境が、人格形成に何らかの影響を与えているのであろうと思われた。
そうして目的の屋台に到着すると、たいそうな賑わいである。
その中から、ベンが「よう!」と陽気な声を投げかけてきた。
「アスタたちも来たんだな! ここの料理は、ちょっとすごいぞ!」
「はい。それを期待して、参上しました」
ベンはさらに言葉を重ねようとしたが、俺の背後に控えている人々の姿に気づいて、再び「よう!」と破顔した。
「えーと、ヴィナ=ルウと婚儀をあげた……たしか、シュミラルだったよな! そっちのあんたも、復活祭で話したのを覚えてるぜ!」
「うむ。息災なようで、何よりだ。今日婚儀をあげたレビというのは、そちらの友人であるという話であったな」
「ああ、そうさ! レビのほうがずいぶん若いのに、先を越されちまったよ! さあさあ、あんたたちも城下町の料理ってやつを味わってみな!」
ベンが屋台の前にたむろしていた若衆を追い散らしてくれたので、ようやくロイの姿が見えた。そちらで鉄鍋にかけられているのは、煮込み料理だ。
「よう、来たな。これは《銀星堂》じゃなく俺の料理だから、そのつもりでな」
「それはそれで、また期待が高まりますね」
鉄鍋からは、実にスパイシーな香りが匂いたっている。リリン家の人々に先を譲ってから、俺とアイ=ファも木皿を受け取った。
煮汁の色合いは、鮮烈な赤紫色だ。これはマヒュドラの食材、カブに似たドルーの色合いであろう。その煮汁にねっとりと絡めとられているのは、小さく切り分けられた肉とユラル・パとチャン、それにマ・ギーゴやキクラゲモドキなどであるようであった。
果たして、その味わいは――果汁の甘みとギギの葉の香ばしさが際立ちつつ、どこかカレーに似た風味を有していた。俺がカレーで要としているいくつかの香草がふんだんに使われているのであろう。
「こちら、カレーですか?」と、シュミラルがダイレクトな質問をぶつけると、ロイは「さあ?」とにやりと笑った。
「ま、アスタから影響を受けてることは否定しねえよ。ただし、同じぐらい師匠の影響も受けてるはずだけどな」
「はい。アスタの作るカレー、異なっていること、わかります。ですが、美味です」
と、シュミラル=リリンは優しい微笑を送りつける。その足もとでは、幼き子供たちが目を丸くしていた。
「ほ、本当にかれーみたいです。でも、かれーとはちょっと違っていて……ううん、うまく説明できません」
「でも、美味しいですね」
礼儀正しい幼子たちに、ロイは「ありがとよ」と屈託のない笑顔を返す。
「森辺のかれーに食べなれてるお人らにそう言ってもらえると、心強いね。ギバ肉の扱いも、まあまあだろ?」
「はい。とても美味しいです。城下町の料理というのはとても風変わりだと聞いていましたけれど……たとえ風変わりでも、すごく美味しいと思います」
「救われるね。師匠からは、まだまだ不備だらけだって言いわたされてるからよ」
そんな風に言ってから、ロイが真剣なる眼差しを俺にぶつけてきた。
「アスタとしては、どう思う? 率直な感想をお願いするよ」
「そうですね……もちろん俺も美味だとは思いますけれど、あえて言うなら……果汁の甘さとギギの風味が、ちょっと浮いているかもしれません。でもきっと、そのふたつがこの料理の要なのですよね」
「ご名答。味の要となるべきギギとミンミが調和をぶっ壊してるんだってよ。もうしばらくは、研究だな」
「でも、ベンもすごい料理だって言ってましたからね。ヴァルカスの他に文句をつける人間はいないと思いますよ」
「俺もそう信じて、こいつを今日の料理に選んだんだよ。めでたい席で、そんな粗末な料理は出せねえからな」
そう言って、ロイは白い歯をこぼした。屋台で料理を出すという体験を、ぞんぶんに楽しんでいる様子だ。
「それで、代価はどうするのだったかな?」
料理をたいらげたギラン=リリンがそのように問いかけると、ロイがそちらに向きなおった。
「料理の代価じゃなくて、婚儀をあげた一家へのお祝いって形で銅貨を集めてるそうだよ。そうなんだろ、アスタ?」
「はい。広場の中央に大きな壺が置いてありますので、銅貨はそちらにお願いいたします。とりあえず、食べた分と同程度の銅貨を支払えば、宿場町の習わしから外れることもないそうですよ。あとはお祝いの気持ちで、支払う人しだいということです」
「ふむ。料理の値段や祝いの銅貨の相場など、俺には見当もつかんからな。ここはシュミラルを頼りにさせていただこう」
「はい。おおよそ、把握できる、思います」
さすが大陸を股にかけるシュミラル=リリンは、頼もしい限りであった。
しかしまあ、お祝いの銅貨というのは本当に支払う側の気分しだいで、婚儀をあげる家が嫌われていたりすると、大赤字になることもありえるのだという話であった。
(だから、祝宴の規模を大きくすればするほど、損をかぶる危険が高まるんだろうけど……ミラノ=マスとしては、可能な限り盛大にお祝いしてあげたかったんだろうな)
そんな思いを噛みしめながら、俺たちは隣の屋台に移動した。
するとそちらでは、男女の若衆が入り乱れている。ベンの率いる男連中とユーミの率いる女連中が混在して、さきほど以上の騒乱を巻き起こしていたのだった。
「あっ、リリンの人らも来たんだね! ほらほら、料理を受け取ったやつは脇にどきなよ!」
今度はユーミが取り仕切って、屋台の前を空けてくれた。
お礼を言って進み出ると、屋台の内ではシリィ=ロウがげっそりとしている。すっかり若衆の熱気にあてられてしまったようだ。
「ああ、森辺のみなさん……今はあなたがたの落ち着きを、何より得難く思います……」
「あはは。騒がしくしちゃって、ごめんってばー! それだけシリィ=ロウの料理が美味しかったってことだよ!」
横からひょいっと顔を出しながら、ユーミがそのように言いたてた。
こちらで出されているのは、汁物料理だ。シチューのようにとろりとした質感で、色合いもクリーミーな黄白色である。
「こちらはカロンの乳と乳脂と乾酪を主体にした汁物料理です。ダレイムの野菜を扱えないため、具材がいささか物足りなくなってしまいましたが……祝いの料理に恥ずかしい出来栄えではないと自負しています」
「美味しそうですね。いただきます」
ロイの料理ほど香りは強くなかったが、その味わいの強烈さはまったく負けていなかった。カロンの乳製品を主体にした煮汁はとてもまろやかであるのだが、後から香草の風味や食材の旨みなどがぶわっと時間差で押し寄せてくるような心地であるのだ。こちらの料理でも、リリンの幼子たちは驚嘆をあらわにしていた。
「こ、これは何にも似ていない料理ですね。くりーむしちゅーと少しだけ似ていますけど、後味がまったく違っているし……」
「でも、やわらかいギバ肉がとても美味しいです。城下町の方々でも、こんなにギバ肉を使うものなのですね。なんだか、それだけで嬉しい気持ちになってしまいます」
幼き男女がそのように言いたてると、シリィ=ロウはほろりと涙をこぼし、慌ててそれをぬぐうことになった。
「な、なんでしょう? き、きっとこれも、ユーミたちに心を乱されたせいです」
「なんでもかんでも、あたしたちのせいにしないでよー! テリア=マスの婚儀だから、シリィ=ロウも涙もろくなってるんじゃないの? あたしだって、気を抜くと涙をこぼしちゃいそうだもん!」
ユーミは朗らかな笑みをたたえつつ、そのように言い返した。
穏やかな面持ちでそのやりとりを聞いていたギラン=リリンが、ふと小首を傾げる。
「ところで今日はジョウ=ランも参ずると聞いていたのだが、姿が見えぬようだな」
「あー、あたしは仲間連中の案内があるから、しばらく近づかないでって言いつけておいたんだよ。……じゃないと、こいつらが騒いで案内もへったくれもなくなっちゃうからさ」
ユーミはいくぶん顔を赤くしながら、そのように答えた。
確かにまあ、婚儀で浮かれた娘さんがたの前にジョウ=ランが現れたならば、ユーミへの冷やかしが大変なものになってしまうのであろう。ユーミのお許しが出るのをそわそわしながら待ち受けているジョウ=ランの姿を想像すると、俺は何だか気持ちがほっこりしてしまった。
「ところで、アスタにこちらの料理のご感想をお聞きしてもよろしいでしょうか?」
と、さきほどのロイと同じように、シリィ=ロウも鋭い視線を向けてくる。
「そうですね。かなり意外性のある味わいでしたけれど、食べにくいことはまったくありません。普通に美味しいと思うのですけれど……ただ、何か決め手に欠けているような……」
「決め手とは?」
「感覚的な話ですので、ちょっと説明が難しいのですよね。あえて言うなら……ほっとするような味わいと、びっくりするような味わいが、よくも悪くも分離していて、どっちつかずになってしまっているような……ロイやボズルの料理は、もっとそのどちらかに寄っているように思うのですよね」
シリィ=ロウはきゅっと唇を噛んでから、「なるほど」と言った。
「それはまったく意想外のご指摘でした。そのお言葉の意味を理解できるように、思案したく思います」
「でも本当に、あえて言うならの話ですよ? 自分としては、難癖をつけているような気分です」
「それでも率直に語ってくださるアスタの親切に感謝いたします」
きわめて厳しい態度であったが、その言葉にはシリィ=ロウのまぎれもない真情が込められているように感じられた。
そうして俺たちが語らっている間に、ユーミたちはやいやい騒ぎながら別の屋台を目指していく。よって、ボズルのもとにはまったく異なる一団がひしめいており――それは、建築屋の面々に他ならなかった。
「ああ、みなさんもいらっしゃったのですね。どうもお疲れ様です」
「よう! ジェノスの婚儀の祝いってのは、こんな感じなんだな! 面白い経験をさせてもらったよ!」
すでに酒気で顔を染めているメイトンが、笑顔でそのように言いたてた。
「婚儀をあげた人らと浅いつきあいの人間は、さっさと食ってさっさと引き上げるのが礼儀なんだってな! それが惜しいぐらい楽しい気分だよ!」
「それは何よりでした。森辺の祝宴では、じっくり腰を据えてお楽しみくださいね」
「ああ! そっちの前にこんな祝宴を味わえて、なんだか得した気分だなぁ」
他の面々も、心から楽しそうにボズルの料理を食している。
その中から、バランのおやっさんがシュミラル=リリンに目を向けた。
「お前さんも来たのだな。お前さんが行商をしている間に伴侶が身ごもったのだと、アスタから聞かされたぞ。その後、無事に過ごせているのか?」
「はい。とても健やか、過ごしています」
「それは、何よりのことだ」
なかなか甘い顔を見せないバランのおやっさんであるが、そんな風に声をかけてくれるだけでシュミラル=リリンへの気づかいが感じられる。シュミラル=リリンもやわらかい笑顔で「ありがとうございます」と一礼した。
そんなわけで、ボズルの料理であるが――こちらは保温の必要のない、焼きフワノに具材をのせた料理である。城下町の祝宴では主流である様式だ。
本日の具材は、細かく挽いた肉と野菜に赤褐色の調味液がまぶされている。食してみると、マロマロのチット漬けの風味が鮮烈であった。ホボイの油もぞんぶんにきいており、俺の感覚としては中華料理を思わせる味わいである。
「美味しいです。ボズルは試食会でもマロマロのチット漬けを使っていましたよね」
「あれはまあ、ゲルドの食材を使うべしというお達しでありましたからな。しかしマロマロのチット漬けというのはホボイの油にきわめて調和するようですので、わたしも重宝しております」
豆板醤に似たマロマロのチット漬けとゴマ油に似たホボイ油であれば、それは調和するだろう。しかしそれらはゲルドを通じて輸入されたドゥラなる領地の食材と、ジャガルの食材であるのだ。ドゥラというのはシムにおいても東の果てにある領地だという話であったので、それがジェノスという地で幸福な邂逅を果たしたわけであった。
「こちらの料理は申し分ありませんね。ロイやシリィ=ロウには難癖みたいな言葉をひねり出すことになったのですが……こちらの料理には、そんな言葉も思いつきません」
「それは残念です。アスタ殿からご指摘をいただけたら、それは大きな糧となることでしょう」
そんな風に言いながら、ボズルは嬉しそうに笑ってくれた。
ボズルはジャガル流の味わいというものを重んじており、それが俺の好みとずいぶん合致するようであるのだ。また、彼もヴァルカスから強い影響を受けているはずであるのだが、それは「緻密な技巧で純朴な味わいを組み立てる」という方向に活かされているようで、味が破綻しにくいのではないかと思われた。
「こいつは、本当に美味いよなぁ! おやっさんやアルダスは、城下町でこんな美味いもんを食いあさってたってことか!」
「いやいや、このお人の料理は格別だよ。もちろん愉快な料理はたくさんあったが、やっぱり南のお人の料理ってのは俺たちの舌に馴染むんだろう」
「アスタたちの料理も、同じぐらい馴染むけどな!」
南の民の有するあけっぴろげな情感が、その場に渦を巻いているかのようだ。
俺が心地好くその熱気を満喫していると、アイ=ファが「アスタ」と囁きかけてきた。
「《銀の壺》だ。ラダジッドは背が高いので、こういう際には助かるな」
「え、本当か? すみません、みなさん。ちょっと失礼いたしますね」
俺は再びアイ=ファに裾を握られながら、広場の人垣を突き進むことになった。そして後から、シュミラル=リリンのみが追従してくる。ギラン=リリンに了承をいただいて、同行してくれたのだろう。
で――呆れたことに、ラダジッドたちがたたずんでいたのは、ほとんど広場の反対側であった。いかにラダジッドが190センチはあろうかという長身でも、このような夜間にすぐさま発見することのできるアイ=ファの眼力というのは、やはり尋常ではなかった。
「アスタ、アイ=ファ、シュミラル=リリン。……何か、変事ですか?」
挨拶もそこそこに、ラダジッドが真剣な眼差しで問うてくる。俺たちの表情から、ただごとではないと察してくれたのだ。
「実はですね、口の中の傷が化膿してしまった友人がいて――」
俺が事情を説明すると、ひとりの団員が前に進み出た。星読みを得意とする、初老の団員である。
「私、化膿の処置、得意です。容態、確認したい、思います」
「ありがとうございます! ……それじゃあ今度は、ラウ=レイを探さないとな」
「うむ。アスタよ、肩を貸すがいい」
「え? 肩って……うわあ!」
アイ=ファは俺の背後に回り込み、両方の肩に手を添えるや、それを支えにしてぐいっと上にのびあがった。
俺が慌てて足を踏ん張ると、アイ=ファはその体勢で広場に視線を巡らせる。幸いなことに、アイ=ファは俺が音をあげる前に地面へと降り立った。
「ラウ=レイは、あちらだ。ともに来ていただけるであろうか?」
「はい」とうなずく初老の団員と、あとはラダジッドだけが同行を望んだ。あまり大人数では移動に手間取るという判断であろう。
5名の人数となった俺たちは、また人垣をかきわけて突撃する。ラウ=レイたちが陣取っていたのは、レイナ=ルウが担当する屋台の前であった。
「よー。そんなに急いで、どうしたんだー?」
ラウ=レイはジバ婆さんの護衛役でもあるため、そばにはルド=ルウたちの姿もあった。ドーラ家の父娘ともども、レイナ=ルウ特製の汁物料理を味わっていたようだ。
「うわ、また辛そうな料理を……ラウ=レイ、ちょっといいかな? このお人が、化膿の処置に長けているそうなんだよ」
「うみゅ? おれはべつらん、ふじゆうをしておらんじょ」
「いや」と声をあげたのは、沈着なるシン=ルウであった。
「俺もそのように傷口が腫れあがる怪我は目にしたこともない。口の中では薬もすぐに流れ落ちてしまうのだろうから、何か異なる処置が必要なのだろうと思うぞ」
「ううむ。めんろうららあ」
ラウ=レイが難色を示すと、ヤミル=レイが冷徹なる面持ちで詰め寄った。
「家長。みんなあなたを心配して、このように取り計らっているのよ。それを面倒などという言葉で片付けるのは、あまりに不実なのではないかしら?」
ラウ=レイは一瞬きょとんとしてから、幼子のように微笑んだ。
「ヤミルもそれほろまれにおれをひんぴゃいしてくれているのらな。おれはこうふくなここちらろ」
「ああもう、そんな顔をしていなければ、引っぱたいてやるところなのに」
そんな一幕を経て、ラウ=レイは診察を受けることになった。
手近なかがり火を明かりとして、初老の団員がラウ=レイの口内を覗き込む。そして、水筒の水で清めた指先で患部を圧迫されると、ラウ=レイは「あひゃひゃ」と笑い声をもらした。
「くひゅぐったいろ。くひのなはなろしゃわられたのは、はじめれら」
「……痛み、ひどいはずです。痛み止め、服用していますか?」
「家長は眠る前にだけ、ロムの葉を煎じて口にしているわ。あとの痛みは我慢がきくといって、そのままギバ狩りの仕事を果たしているのよ」
「おそるべき、精神力です。多くの神経、圧迫されて、百の針、含んでいる、心地であるはずです」
穏やかな無表情の中で黒い瞳を静かに光らせながら、初老の団員はそう言った。
「即刻、切開して、膿、絞り出すべきです。放置すれば、毒素、頭に回る、危険、あります」
「……家長は、そこまでの深手あったの?」
「はい。最初の夜、香草の料理、原因であったのでしょう。チットの実、イラの葉など、傷口に与える影響、甚大です」
「だから、別の料理を作りなおすと言ったのよ!」
と――ヤミル=レイが、びっくりするぐらいの大声を張り上げた。
2年以上のつきあいである俺も、初めて耳にするほどの大声である。そしてヤミル=レイは冷たい無表情を保ちつつ、ぎゅっと拳を握ることで激情をこらえていた。
ヤミル=レイのそんな姿に、ラウ=レイはたちまち眉を下げてしまう。
「ヤミルらしょんなおこるのをみたのは、はじめてら。とてもつらくなってしまうのれ、どうかいかりをおさめてほしい」
「……だったら、さっさと治療を受けなさいよ」
しかし、町なかで刃物を扱うのは宿場町の法に抵触する恐れがある。マルスをつかまえて相談した結果、ラウ=レイはもっとも近い場所にある衛兵の詰め所で処置を受けることになった。
そちらにはヤミル=レイとラダジッドだけが同行し、俺たちは広場に居残りだ。護衛役であるラウ=レイの代わりに、アイ=ファとシュミラル=リリンがジバ婆さんのそばに控えることになった。
「ラウ=レイの傷って、そんなに深手だったんだなー。本人が平気そうな顔をしてるから、俺はちっとも気に止めてなかったぜー」
「ラウ=レイは、我慢がききすぎるのだ。それがいっそう傷を悪化させることになってしまったのだろう」
すでに祝宴が始まってからそこそこの時間が経っていたので、ルド=ルウたちもそれなりに腹は満たされているのだろう。なんとなく、屋台を巡って料理を楽しもうという気持ちにもなれず、俺たちはかがり火のそばで広場の賑わいを眺める格好になった。
そこにやってきたのが、新郎新婦の一団だ。ようやくひと通りの挨拶を終えて、彼らも広場を巡り始めたようであった。
「よう。こんなところで、何をやってるんだ? アスタたちは誓約の儀まで見届けてくれたんだから、遠慮なく最後まで騒いでいってくれよ?」
「あ、うん。実はちょっと、ラウ=レイが東のお人に治療を受けることになってね。その帰りを待っていたところだったんだよ」
虚言は罪であるために、俺はそのように答えてみせた。ただし、レビたちに余計な心労を負わせないために、ラウ=レイの傷が思っていた以上に悪化していたことは伏せておく。他の森辺の面々も、それを咎めようとはしなかった。
「そっか。東の民ってのは薬草の扱いにも長けてるんだろうしな。あんな顔じゃあせっかくの宴料理を味わうのもひと苦労だろうから、何とかよくなってほしいもんだよ」
レビはむしろほっとした様子でそんな言葉をもらし、ミラノ=マスはその肩越しに目礼をしてきた。
「レビたちは、まだ何も口にしていないんだろう? 俺たちにはかまわず、宴料理を味わっておくれよ」
「ああ、うん。でも、それはあれを見届けてからかな」
レビの指し示した方向に目をやると、リコたちが傀儡の劇の準備をしている姿が見えた。それに気づいた他の人々も、期待に満ちた歓声をあげている。
「お祝いの席に、失礼いたします。本日婚儀をあげたおふたりに、わたしどもの芸をお祝いとして捧げさせていただきたく思います」
リコたちは復活祭の期間も宿場町で芸を見せていたため、その力量は広く知れ渡っているのだろう。人々の多くは傀儡の劇が見える場所に陣取って、せかすように歓声をあげていた。
そんな中、傀儡の劇が粛然と開始される。
その題名は、『運命神ミザの祝福』というものであった。俺もまだ目にしていなかった劇であるようだ。
それは、運命神ミザの従者である精霊が、人間と恋に落ちてしまうという内容であった。
お相手は、ミザの聖堂に仕える修道女である。ミザの神託を届けるために聖堂を訪れた精霊がその修道女を見初めて、道ならぬ恋に苦しむことになってしまったのだ。
そして修道女のほうも精霊に心を奪われるが、自分の気持ちを押し殺して精霊の求愛を拒絶する。何故ならば、彼女は病魔に冒されて余命いくばくもない身であったのである。
しかし精霊は、すべてを捨て去って人間に生まれ変わった。精霊として永遠を生きるのではなく、愛する人間と最後の数日をともにする道を選んだのである。
ふたりは限りなく幸福な時間を過ごしたのち、ともに運命神ミザのもとに魂を召される。美しくも悲哀に満ちた物語であった。
リコが最後の言葉を語り終えると、広場にはとてつもない歓声が吹き荒れる。そして、リコとベルトンの掲げた木箱に大量の銅貨が投じられることになった。
「みなさん、ありがとうございます。……婚儀をあげられたテリア=マスとレビに祝福を」
リコとベルトンが広場の中央に置かれた壺の中に木箱の銅貨をじゃらじゃらと落とし込むと、いっそうの歓声がわきたった。リコたちはのちほどミラノ=マスから適正な報酬をいただくわけであるが、とにかくこの場ではすべてが新郎新婦のためにという演出がなされているのだった。
「いやあ、やっぱりあの娘さんらの劇は大したもんだな! こんな日にあんな劇を見せられたら、涙をこぼしちまいそうだよ」
そんな風に語りながら、レビはとても幸福そうな笑顔であった。テリア=マスも、それは同様だ。
「あの精霊に比べたら、俺なんて何の苦労もなかったはずなのに……ひとりでうじうじ思い悩んじまって、本当に不甲斐ないよ。アスタにも苦労をかけちまったな」
「俺の苦労なんて、それこそ豆粒ていどのものだよ。どうか末永くお幸せにね」
「ああ」と素直に応じつつ、レビはまた情愛のあふれる眼差しをテリア=マスと交わし合った。
それからすぐに、気恥ずかしそうに頭をかきながら、俺のほうに向きなおってくる。
「それにしても、アスタは聖堂でも気をつかって、俺たちの席についてくれたよな。その心づかいはありがたいけど、ああいうときはきちんとご縁の深い相手のほうの席につくのが決まりだぜ?」
「うん。でも俺はレビともテリア=マスともご縁を持ってたから、それなら男性側の席につくのが相応かなって考えたんだよ」
「でも、俺とテリア=マスじゃ、つきあいの古さも深さも段違いだろう?」
「そんなことないよ。つきあいの深さなんて比べようがないけど……つきあいの古さなら、レビのほうがずっと上じゃないか」
レビは「え?」と目を丸くした。
「そんなことはないだろ。アスタたちは《キミュスの尻尾亭》で屋台を借りて、商売をしてたんだからさ」
「いや、俺がテリア=マスときちんと挨拶を交わしたのは、トゥラン伯爵家にまつわる騒ぎが収まってからなんだよ。そうでしたよね、テリア=マス?」
「はい。それまでは、わたしが森辺の方々に恐怖の念を抱いてしまっていたので……お顔をあわせる機会があっても、逃げるような態度を取ってしまっていたのです」
テリア=マスが申し訳なさそうに言うと、レビは「そっか……」と頭をかき回した。
「それじゃあ屋台の客だった俺のほうが、少しばかりは早くアスタと縁を持ってたってことなんだな。そいつは知らなかったよ」
「うん。それにレビは、出会ったその日から親切にしてくれたしね」
レビは「はあ?」とうろんげな顔をする。
「そいつは何かの間違いだろ。俺はユーミやベンたちと一緒に、難癖をつけるために出向いたんだぜ?」
「でもその後にミダ=ルウがやってきて、けっこうな騒ぎになっただろう? それでレビが、ミダ=ルウの無法な行いについてあれこれ教えてくれたんだよ」
笑いながら、俺はそんな風に答えてみせた。
「それで、ああいう連中を何とかしない限り、森辺の民が本当の意味でジェノスの民に受け入れられることはないだろうって忠告してくれたんだよね」
「お前……なんでそんな古い話を、こまかい部分まで覚えてるんだよ?」
「それだけレビの言葉がありがたかったんだよ。あの頃の俺は、どうやったら森辺の民が町の人たちに受け入れられるんだろうって頭を悩ませてたからさ」
温かい気持ちに胸を満たされながら、俺は言葉を重ねていく。
「レビの名前を知ったのはずいぶん後になってからのことだけど、その頃から俺はレビと仲良くなりたいなって思ってたよ。だから、今日の婚儀がすごく嬉しくて……あれ、レビ?」
「ごめん、ちょっと待ってくれ」
レビは目もとに手をやって、顔を背けてしまっていた。
その指の隙間から、ぽたぽたと透明なしずくが垂れていく。
「俺、アスタがそんな話を覚えてるなんて思ってもいなかったから……どうせ俺なんて、ユーミのおまけぐらいにしか思われてないだろうって……」
「そんなわけないじゃないか。商売柄、人の顔を覚えるのは得意なほうなんだよ」
俺はあえておどけた調子で言いながら、レビの肩を叩くことにした。
「ほらほら、こんなおめでたい席で新郎が泣いてたらさまにならないよ。テリア=マスだって心配しちゃうじゃないか」
「まったくだ。そんなざまでは、すぐに尻に敷かれてしまうぞ」
厳しい表情で言いながら、ミラノ=マスの眼差しは優しかった。
テリア=マスもまたうっすらと涙をにじませながら、そっとレビの手を取る。ラーズは好々爺のように笑いながら、涙を止められないレビの頭を小突いた。
「おーい、戻ったぞ! すっかり待たせてしまったな!」
と、そこに陽気な声が響きわたる。振り返ると、ラウ=レイがぶんぶんと手を振りながら急接近してくるところであった。
「見ろ、これを! あやつに口の中をいじくられたら、すっかり腫れがひいたのだ! 東の民とは、あれほど傷の手当てに長けているものなのだな!」
確かにラウ=レイは中性的な美貌を取り戻していたし、その言葉もはっきりと聞き取ることができた。
あとを追いかけてきたヤミル=レイとラダジッド、それに初老の団員も合流する。初老の団員は、落ち着いた眼差しで言葉を添えてきた。
「膿、毒素、除去できましたので、快方、向かうでしょう。ただし、香草の料理、および酒類、お控えください」
「うむ! ヤミルを悲しませることはできんので、今日ばかりは従おう! ……おお、レビ! こんなめでたい日に、何を泣いておるのだ!」
ラウ=レイはずかずかと進み出て、レビにヘッドロックを仕掛けた。
「涙を流してもかまわんが、泣くのではなく笑っておけ! さすれば自然に、楽しい気分がわきたってこようさ!」
「なんだよ、もう。そんな簡単にはいかねえよ」
レビが泣き笑いの表情で答えると、ルド=ルウやリミ=ルウたちが笑い声を響かせた。テリア=マスやラーズも笑い、さしものミラノ=マスも苦笑を浮かべている。そんな人々の笑顔が、あらためて俺の心を喜びで満たしてくれた。
広場の宴はたけなわで、見知った森辺の同胞の姿もちらほらと見受けられる。《銀の壺》や建築屋の面々も参じているために、それこそ復活祭を思い出させてやまない混沌とした熱気が渦を巻いているかのようだ。
きっとレビやテリア=マスだけではなく、多くの人々にとってこれは忘れられない一夜になることだろう。
そして自分にとってもそれは同じことなのだと、俺は心の奥深いところで理解していた。