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異世界料理道  作者: EDA
第六十七章 白の月の四つの催事
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エイラの祝宴④~下準備~

2020.2/10 更新分 1/1

 そうして、婚儀の当日――白の月の10日である。

 その日も屋台の商売を終える昼下がりまでは、いつも通りの様相であった。何せ、花婿たるレビ本人までもが、屋台の商売を敢行していたのである。


「慌ただしいのは周りだけで、俺自身は夕方までやることもないんだからな。仕事をほっぽりだす理由はねえよ」


 そんな風にのたまいつつ、もちろんレビは朝からそわそわし通しであった。

「しょうがねえやつだな」と言いながら、ラーズはとても幸福そうだ。ひとり息子が立派に育って婚儀をあげる姿を目にできるのだから、父親冥利に尽きることだろう。


(俺は親父にそんな姿を見てもらうこともできなかったもんな)


 などという個人的な感傷を心の片隅に留めつつ、俺もその日の商売をやりとげた。

 そののちは、森辺に戻ってお祝いの料理の準備である。《キミュスの尻尾亭》の厨では規模的に無理があったため、俺たちは森辺で完成させたものをお届けする手はずになっていたのだ。


 作業場所は、ルウの集落である。ファの家に戻っても時間をロスするだけであったので、俺もこちらで作業をさせていただくことになったのだ。

 そうして俺たちがルウの集落に帰りつくと、そちらには見覚えのある荷車が待ち受けていた。白い骨の鳥がでかでかとペイントされた、リコたちの荷車だ。


「お疲れ様です! ちょっとおひさしぶりですね、アスタ!」


「やあ。リコたちはもう来てたんだね」


「はい! うっかり刻限に遅れてしまったら申し訳ないので、ルウ家にお邪魔することにしました!」


 最近のリコたちは森辺の集落を北から順に巡って、傀儡の劇を披露しつつ晩餐をいただき、日中は滅んだ氏族の無人の集落で劇の修練に励んでいるのだという話であった。


「道中でも稽古はしているのですけれど、道端では人が寄ってきてしまいますし、荒野では獣や野盗に襲われる危険があるため、なかなか難しいのです! 森辺で稽古をするお許しをいただくことができて、本当にありがたく思っています!」


 三族長からお許しをもらったとき、リコはそんな風に言いたてていた。

 リコたちはジェノスで数々の依頼をこなしたため、相当に懐が潤っているのだそうだ。それで現在は傀儡衣装の手直しと劇の稽古に時間を費やし、さらなるステップアップを目指しているというわけであった。


 そんなリコたちがこの場にやってきたのは、祝いの席で傀儡の劇をお披露目するためである。リコは『森辺のかまど番アスタ』を完成させるために《キミュスの尻尾亭》からも聞き込み調査をしていたので、もともとあちらの関係者とも顔見知りであったのだ。それに、《キミュスの尻尾亭》というのは俺にとって宿場町における活動の拠点であるため、リコにも深い思い入れが生じているようであった。


「劇で宿の名を出すこともできたのですけれど、それはやめてくれとご主人に言われたのです。これ以上、森辺の民の世話で名を売るのはおこがましいだろうと仰って……あちらのご主人は一見ぶっきらぼうですけれど、とても誠実なお人柄ですよね」


『森辺のかまど番アスタ』を手掛けていた当初、リコはそんな風に言っていたものであった。

 ともあれ、そういった経緯から、リコたちは祝いの席に参ずることになったのである。《キミュスの尻尾亭》からは定額の報酬をいただきつつ、現場で手にする見物料はすべてご祝儀として還元するという形式であるそうだ。もちろんお祝いの席上では、リコたちも好きに料理を食べられる手はずになっていた。


「夜間に劇をお披露目することについては、ミラノ=マスが衛兵からお許しをいただいてくれたからね。俺たちも、リコの劇を楽しみにしているよ」


「はい! わたしたちも、アスタたちの料理を楽しみにしています!」


 そんな一幕を経て、俺たちも作業を開始することにした。夕暮れ時には聖堂の婚儀にも参席するので、時間はかなりタイトであったのだ。

 とはいえ、あまり大勢で聖堂に押しかけては迷惑であろうから、小さき氏族のかまど番でその役目を担うのは俺とユン=スドラとレイ=マトゥア、それにフェイ=ベイムの4名のみだ。テリア=マスはルウ家の祝宴に参ずる機会が多かったため、どちらかといえばそちらを中心に参席者の顔ぶれが決められていた。


「でもわたしたちは屋台の商売を通じて、レビとは毎日のように顔をあわせていましたものね! わたし個人は、テリア=マスやミラノ=マスともご縁を深められるように心がけていましたし!」


 そんな風に語っていたのは、俺と同じ場で作業に励んでいたレイ=マトゥアである。今日の婚儀と祝宴に参席することを家長に許されてから、彼女はずっと嬉しそうにしていた。

 いっぽうフェイ=ベイムは、黙々と作業に従事している。噂によると、彼女は常にないほどの熱心さで婚儀への参席を願ったのだそうだ。


 それ以外のメンバーは、お祝いの席上で料理を配る仕事を受け持っている。トゥール=ディン、マルフィラ=ナハム、リリ=ラヴィッツ、ガズ、ラッツ、リッドの女衆という、とても頼もしい顔ぶれだ。そして他なるかまど小屋では、ルウの血族も同じぐらいの戦力で宴料理の準備に励んでいるのであった。


「それで他の氏族の方々は、自由に祝宴に参席されるそうですね。その中で聖堂にまで向かうのは、族長筋の方々と……あとは、ジョウ=ランでしたか」


「うん。やっぱり宿場町の人らと一番積極的に交流を重ねていたのは、ジョウ=ランだろうからね。ユーミだけじゃなく、レビやその友人たちとも確かなご縁を紡いでいるはずだよ」


「なるほど。わたしはむしろ、族長筋の方々が聖堂にまで出向くと聞いて、少し意外に思ったのですが……それはやっぱりスン家と《キミュスの尻尾亭》の因縁を考えてのことなのでしょうか?」


 こっそりそのように問いかけてきたのは、ユン=スドラであった。

 ミラノ=マスの義兄は大きな商団の副団長であり、スン家の誰かに殺められたのだと目されている。そして、その人物の死に心を痛めて、後を追うように亡くなってしまったのが、ミラノ=マスの伴侶にしてテリア=マスの母親にあたる人物であったのだった。


「もしかしたら、ダリ=サウティにはそういう気持ちもあるのかもね。……でもゲオル=ザザは、ただ宿場町の祝宴を見物したいだけなんじゃないのかな」


「あとは、トゥール=ディンも参席しますしね」


 と、本人の耳をはばかって、ユン=スドラが小声になる。それも十分にありえる話であったので、俺は「そうだね」と笑ってみせた。


「それで思い出したけど、俺が残念に思うのはレイトだよ。レイトにとってテリア=マスっていうのは姉同然の存在であるはずだから、きっと婚儀を見届けたかったろうね」


「ああ、ザッシュマは戻ってきてくださったのに、カミュア=ヨシュとレイトはなかなか戻ってきませんね。……カミュア=ヨシュたちは、チル=リムを《ギャムレイの一座》のもとまでお届けすることができたのでしょうか」


「どうだろう。そうであることを祈るばかりだよ」


 そんな感じに、俺たちはこの婚儀を起点としてさまざまなことに思いを馳せることになった。

 しばらくして、表のほうが騒がしくなってくる。仕事を早めに切り上げた狩人たちが集まり始めたのだろう。やがてアイ=ファもやってきて挨拶をしてくれたが、仕事の邪魔になってはならじと考えたのか、すぐにどこかに行ってしまった。


「よし、これで準備は完了だ。なんとか時間に間に合ったね」


 下りの五の刻を目前にして、ようやく準備が整った。聖堂にて婚儀の式が始められるまで、残りは半刻ていどである。


「では、アスタたちは出発してください。料理はわたしたちがお運びしますので」


 そのように言ってくれたのは、ラッツの女衆であった。俺とユン=スドラが同時に抜けるとなると、もっとも頼りになるのは彼女である。料理の準備という面ではトゥール=ディンやマルフィラ=ナハムの力がずば抜けているものの、こういう際にはララ=ルウのようにリーダーシップを発揮できるタイプが力を見せてくれるのだった。


 そんなラッツの女衆にお礼を言ってかまどの間を出ると、すでに広場のほうでアイ=ファたちが荷車の準備を整えてくれている。そちらに駆け寄った俺は、思わずぎょっと立ちすくむことになった。


「ラ、ラウ=レイ! その顔は、いったいどうしたんだい?」


「おお、あひゅた。みためほろひろいきるれはらいんれ、ひんぱいはむようらろ」


 いったい何を言っているのか、半分も聞き取ることができない。それもそのはずで、ラウ=レイは左の頬がぷっくりと腫れあがり、食べ物を含んだハムスターのようになってしまっていたのだった。


「レビの拳で負った傷が、膿んでしまったのだそうだ。口の内側の傷というのも、なかなか厄介なものであるからな」


 アイ=ファがそのように答えると、ラウ=レイのかたわらに控えていたヤミル=レイが深々と溜息をついた。


「よりによって、その日の晩餐が香草を使った汁物料理だったのよね。傷が痛むのなら別のものを作りなおすと言ったのに……」


「しぇっかくやみるらつひゅったものを、しょんなしょまつにあつひゃうわけにはいかんらろう」


 当のラウ=レイは、邪気のない顔でにこにこと笑っている。顔の左側だけが福々して、まるでミダ=ルウみたいに見えてしまった。


「あ、あのさ、レビがその顔を見たら、びっくりしてしまうと思うよ。式が終わるまでは隠しておいたほうがいいんじゃないのかな?」


 ラウ=レイは同じ表情で笑ったまま、狩人の衣の隠しポケットから長い帯のようなものを引っ張り出した。聖堂では、それを襟巻きのように巻き付けるつもりであるのだろう。


「では、出発するぞ。6名ずつ荷車に乗るがいい」


 アイ=ファの号令で、俺たちは荷車に乗り込んだ。聖堂にまでお邪魔するのは、荷車3台分の定員である18名だ。ルウの血族からはレイのおふたりの他に、ララ=ルウやリミ=ルウ、ルド=ルウやシン=ルウ、それにジバ婆さんが参じている。やはり社交的な人物ほど、レビやテリア=マスと親交が深いということなのだろう。小さき氏族の狩人からは、まるでジョウ=ランのお目付け役のようにチム=スドラが選出されていた。


 また、あちらで荷車を預ける都合から、ザザとサウティの面々もいったんこの場に集結している。その顔ぶれは、ダリ=サウティとサウティ分家の女衆、ゲオル=ザザとスフィラ=ザザというものだ。ちょうど人数的に切りがよかったので、俺とアイ=ファがそちらの4名と同乗することに相成った。


「なんだ、トゥール=ディンは聖堂まで出向かんのか? あやつは誰よりも古くから宿場町に下りていたろうに」


 と、荷車が発進するなりゲオル=ザザがそのように言いたててきたので、俺が解説することになった。


「テリア=マスはずっと宿の中で働いているので、屋台の受け渡しぐらいでしか顔をあわせる機会がないのですよね。それでテリア=マスはけっこう奥ゆかしい気性をされているから、森辺でもとりわけ社交的な気性をした人たちのほうが仲良くなりやすいという面があったのだと思います」


「そうか。まあ俺自身、その娘がどういった顔をしていたかもあやふやであったしな。ユーミという娘などは同じていどしか顔をあわせていなくとも、はっきり印象に残されているのだが」


「ああ、ユーミはものすごく積極的で、誰に対しても物怖じしませんからね。……でも、俺にとってはどちらも大切な友人です」


「ふん。俺とて、物怖じする人間を忌避しているわけではないぞ」


 と、トゥール=ディンを大切に思うゲオル=ザザはそんな風に言いながら、白い歯をこぼした。

 スフィラ=ザザは揺れる荷車の中でも折り目正しく座しており、サウティ分家の女衆はにこにこと微笑んでいる。この女衆はふだんファの家に逗留するメンバーのひとりで、俺と目が合うといっそう楽しそうに破顔した。


「わたしなどは婚儀をあげるおふたりとほとんど面識がないのに、また族長の供になることを許されてしまいました。宿場町における婚儀というものがどのような様相であるのか、とても楽しみです」


「そっか。でも、そんなに派手な式ではないみたいだから、期待しすぎないようにね」


「はい。派手かどうかは大きな問題ではないと思っています」


 これは俺のほうが不見識であったようだ。森辺の民のように純真な一族が、派手かどうかで儀式の質を問うわけがなかったのだった。


 3台の荷車は順調に道を駆け抜けて、やがて宿場町に到着する。

 ひさびさに拝見する、夕暮れ時の宿場町だ。日没までには一刻を切っており、太陽もだいぶん西に傾いていたが、往来は昼下がりと大差ないぐらい賑わっていた。


 そうしてまずは《キミュスの尻尾亭》に向かってみると――そちらには、普段よりも立派な装いをしたミラノ=マスとラーズが待ち受けていた。


「ようやく来たか。さっさと荷車を片付けて出発するぞ」


 婚儀をあげる両名は事前に聖堂で身を清めるため、先に出立しているのだ。俺たちは大急ぎでトトスと荷車を片付けて、ともに街道に繰り出すことになった。

 18名もの森辺の民が闊歩しているため、行き交う人々は目を丸くしてしまっている。が、こちらが速足であるためか、そうそう声をかけてこようとする人間もいなかった。


「それにしても、こんな大人数で押しかけてしまって、本当によかったのですか?」


 俺がそのように呼びかけると、ラーズがはにかむように笑いながら「ええ」と応じた。


「なんせ俺とレビには、縁者ってもんがいねえもんで……マス家の縁者さんだけじゃあ、聖堂がだだっ広く感じられてしかたねえんでやすよ」


「そうか。家人がふたりきりというのは、ファの家と同様だな。ならば、婚儀の喜びもひとしおであろう」


 と、俺の隣からアイ=ファが声をあげる。その青い瞳には、とてもやわらかい光が宿されていた。


「そして今日より、あなたがたもミラノ=マスらの血族となるのだ。かえすがえすも、めでたき話だな」


「本当に、もったいねえ話ですよ。まああっしなんざは、くたばるのを待つだけの身でありやすが……若いレビに立派な道が開けて、心よりありがたく思っておりやす」


 すると、せかせかと先頭を歩いていたミラノ=マスが「ふん!」と鼻を鳴らす。


「俺より5歳ばかりも若いくせに、何を言っておるのだ。レビはまだまだ頼り甲斐のない小僧っ子なのだから、お前さんにもしっかりしてもらわんと俺の手が回らんぞ」


「へい。レビが不始末をしでかしたら、あっしが尻を蹴り飛ばしてやりやすよ」


 ラーズが柔和な笑みを返すと、ミラノ=マスも不敵と言いたくなるような笑みをこぼした。

 それにしても、ミラノ=マスがそれほど年長であったというのは意外である。ミラノ=マスは精力的で若く見えるし、ラーズはどこか老人めいた雰囲気があるので、そういったギャップが生じるのだろう。


 しかし、縁者の数に違いはあれど、同じ家に住む家族がふたりきりというのは、ミラノ=マスも同様であるのだ。それが4人家族になれるという喜びは、なかなか余人に想像できるものではなかった。


「しっかし、今日の聖堂ってのはずいぶん遠いんだなー。俺はセルヴァとミザとマドゥアルの聖堂ってやつにしか出向いたことがねーからさ」


 と、ジバ婆さんを背負ったルド=ルウがそのように言いたてた。今日もリコたちからプレゼントされた車椅子を持参していたが、この歩調では揺れがひどくなると見て、早々にルド=ルウが背負うことになったのだ。無人の車椅子は帰り道に備えて、ララ=ルウが押していた。


「婚儀をあげるエイラの聖堂は、住宅区域の真ん中に建てられておるのだ。旅人には用事のない場所であるから、街道のそばに置く甲斐もないのだろうよ」


「あー、マドゥアルの聖堂には南の民が、ミザの聖堂には東の民がよく出向くって話だったなー。商売がうまくいくようにとか、安全な旅ができるようにとか、祈りを捧げるんだって?」


「うむ。そちらもずいぶん小神や聖堂にくわしくなったようだな」


「いやー、俺は子供らや女衆の付き添いで見物してるだけだけどよ。でもまあ、それまでは小神の名前すら覚えてなかったからなー」


 そんな風に言いながら、ルド=ルウは俺を振り返ってきた。


「最初の日に、3台の荷車に乗れるだけ乗せてセルヴァの聖堂に出向いてみたら、そんないっぺんには預かれないとか言われちまってよ。それ以来、ミザとマドゥアルの聖堂にも割り振ることになったんだよ」


「ああ、そうだったんだね。まあ、聖堂は普段から町の子供たちでいっぱいなんだろうから、それが当然の話なのかな」


「そーゆーこった。で、エイラとギリ・グゥの聖堂だけは幼子を預からねーって話だったんだ。エイラは婚儀、ギリ・グゥは葬儀のための聖堂なんだってよー」


 俺が「なるほど」と感心していると、ミラノ=マスが何やら感慨深そうに息をついた。


「俺たちにとっては当たり前の話でも、森辺の民にはそうではないということだな。まあ、森辺の民は婚儀も葬儀も自分たちだけでやりとげていたのだから、当たり前といえば当たり前なのだろうよ」


「そうだねぇ……だから、宿場町の婚儀を見届けられることを、とても得難く思っているよ……」


 と、ルド=ルウに背負われたジバ婆さんが透き通った眼差しでそう言った。


「そしてそれが、宿場町で一番最初にアスタに親切にしてくれたあんたの娘の婚儀だってのが、いっそう嬉しい話だよねぇ……」


「……何か話が大仰に伝えられているようだな。俺はカミュアという馴染みの風来坊に頼み込まれて、しぶしぶ屋台を貸してやっただけのことだぞ」


「でもその後、スン家のせいでアスタたちが忌避されそうになったときも、あんたは変わらずに縁を紡いでくれたんだろう……? だから今日という日があるのは、あんたのおかげでもあるんだよ……」


「ええ。俺もそのように思います」


 俺もすかさず賛同したが、ミラノ=マスは「ふん」と前方に向きなおってしまう。こういう際に本音を見せてくれないのが、ミラノ=マスの奥ゆかしさであるのだ。


「余計な口を叩いている間に、到着したぞ。あれが、エイラの聖堂だ」


 俺の目も、すでにその建物をとらえていた。聖堂というのは宿場町において数少ない石造りの建物であるので、どうしたって目を引くのだ。

 俺が知っているセルヴァの聖堂と同じように、とても大きな建物である。土地面積は通常の家屋の倍以上もあり、背の低い石塀によって他の建物と隔てられている。聖堂と聞く前から、どこか厳粛なる雰囲気の感じられるたたずまいであった。


 が、そちらの内部を覗いてみると、厳粛とはほど遠い活気が満ちている。

 詰め込めば100人ぐらいも入れそうな空間に、3、40名ていどの人間があちこちに輪を作って歓談していたのだ。

 入り口のそばには受付台のようなものがあり、そこには白い長衣に赤と黄の肩掛けを羽織ったご老体の修道女が控えていた。


「エイラの聖堂にようこそ。本日の婚儀に参席される方々でしょうか?」


「うむ。俺とこちらのラーズは、婚儀をあげるふたりの親だ」


「ああ、お待ちしておりました。ただいま案内をさせましょう」


 老女の合図で、同じ格好をした若い娘さんが楚々とした足取りで近づいてくる。その娘さんの案内で、ミラノ=マスとラーズは奥の扉へと消えていった。


「下りの五の刻の半になりましたら、誓約の儀を開始いたします。それまでは、どうぞおくつろぎください。……刀と外套は、こちらでお預かりいたします」


 それは事前に聞かされていたので、アイ=ファたちはすみやかに刀と外套を修道女に預けた。

 そうして聖堂の広間に足を踏み入れるなり、小さな人影がてけてけと駆けてくる。それに気づいたリミ=ルウが、めいっぱいに両腕を広げて抱きとめる姿勢を整えた。


「リミ=ルウ、待ってたよー! 会いたかったー!」


「わーい! ターラ、ひさしぶりー!」


 10歳同士の幼い少女たちが、おたがいの小さな身体をぎゅーっと抱きすくめる。その微笑ましい姿に苦笑したのは、ララ=ルウであった。


「ひさしぶりって言っても、5日は経ってないはずだよね。ターラはいっつもリミが当番の日に居残ってるんだからさ」


「でも、それまでは1日置きに会えてたから!」


「そーなの! ひさしぶりなのー!」


 露店で野菜を売る仕事がなくなってしまったドーラの親父さんとターラは、朝方に市場と馴染みの宿屋に野菜を届けるだけで仕事が終わってしまうのだが、数日にいっぺんだけ屋台の営業時間まで居残ってくれているのだ。

 リミ=ルウから身を離したターラは、車椅子に下ろされたジバ婆さんの姿に気づいて、「あーっ!」とさらなる声を張り上げた。


「ジバおばあちゃんも、ひさしぶりー! 一緒にテリア=マスのお祝いをしようねー!」


「ああ、そうだねぇ……」と、ジバ婆さんも幸福そうに微笑む。

 そこに、ドーラの親父さんもおっとり刀で駆けつけてきた。


「こら、ひとりで動くんじゃないと言っただろ。……森辺のみんな、待ってたよ。最長老さんは、おひさしぶりだねぇ」


「ああ、ドーラも元気そうだねぇ……今日は立派な身なりじゃないか……」


「ああ。さすがに普段の格好じゃあ、気安いにもほどがあるからな。こんなもんを着るのは息子の婚儀以来なんで、窮屈でしかたないよ」


 普段の親父さんは袖なしのベストのようなものを羽織っているか、もしくは腰巻ひとつの半裸であるのだ。それがごく一般的な半袖の胴衣を纏っているだけで、格段にかしこまって見えるのが可笑しかった。

 ターラはいつも通りのワンピースめいた装束で、ただ焦げ茶色の頭にちょこんと花飾りをつけている。宿場町の婚儀における参席者は着飾りすぎないのがマナーと聞いていたため、俺たちも普段の格好で来場していたのだった。


「おお、アスタたちもやっと来たのか! ずいぶん遅かったじゃねえか!」


 と、さらにどやどやと人が集まってくる。ベンとカーゴを筆頭とする、レビの悪友たちだ。宿場町の不良少年に分類される彼らも、今日はちょっぴりだけ装束の着崩しを控えている様子であった。

 復活祭でご縁を持ったザッシュマもその一団に溶け込んでおり、さらにもう一名、別のグループのリーダー格であるはずのダンロを発見する。ベンたちよりは少しだけ年長の、かつてはトトスの早駆け大会で入賞した若者だ。俺の視線に気づくと、ダンロは屈託なく笑った。


「俺も最近、ベンたちとつるむことが多くてよ。肝心のレビとは、あんまりつるんでないんだが……」


「レビは毎日、仕事漬けになっちまったからな! でも、レビの親父さんが何でもかまわないって言ってくれたんだよ。ま、賑やかに越したことはねえだろうさ」


 ならば俺たちと同様に、賑やかしで招かれたということなのだろう。この一団を除くと、他の参席者はずいぶん平均年齢が高いようで、それはみんなマス家の側の関係者なのだろうと思われた。


(きっとラーズは貧民窟を出るときに、悪い仲間とすっぱり縁を切ったんだろうな)


 ならば俺たちはレビの友人として、しっかりこの婚儀を見届けるべきなのであろう。

 俺がそんな感慨を抱いていると、ユーミとルイアに引き連れられた若い女性陣も加わってきた。


「あんたたち、いつまでも騒いでるんじゃないよ! そろそろ式も始まるだろうからね!」


「さっきまでは、お前たちのほうが騒いでたろ。……でもまあ、いい加減に大人しくしておくか」


 聖堂の奥側には背もたれのないベンチのような椅子がずらりと並べられており、年配の参席者はすでに着席を始めていた。

 それらの人々が右側に固まっているのは、きっと新婦側の来賓であるということなのだろう。ユーミたち女性陣とドーラ家の父娘はそちらの後列に収まり、俺たちは左側に陣取ることになった。


 レビとのつきあいの長さを考えて、最前列にはベンたちに座っていただく。ジバ婆さんも車椅子から席を移って、左右からルド=ルウとララ=ルウにはさまれた。


 着席した人々は口数が少なくなり、最前までの賑やかさが粛然とした空気に変じていく。

 そして、どこか遠くから小さく鐘の音が響き――それを合図にして、祭壇の前に祭祀長と思しき人物が現れた。


「それでは、《キミュスの尻尾亭》の息女テリア=マスと、同宿屋の雇人レビの婚儀を執り行います。参席者の方々は、起立をして両名をお迎えください」


 いよいよ、婚儀の式が始められるのだ。

 俺は高鳴る心臓をおさえつつ、他の人々とともに腰を上げることになった。

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