エイラの祝宴②~秘めたる想い~
2022.2/8 更新分 1/1
俺はたいそう重い心地で、《キミュスの尻尾亭》に向かうことになった。
5名から成る森辺の女衆も、そんな俺を取り囲むようにして街道を歩いている。ユーミはもうしばらく屋台の商売に励んでから、のちほど合流したいと言いたてていた。
(そりゃあもちろん、レビとテリア=マスが結ばれたら、俺も嬉しいけど……)
しかし俺はもともとの性分として、「個人の意思を尊重したい」と願う人間であった。俺自身、こうと決めたことを人からとやかく言われたくない性分であるため、それなら自分もそのように振る舞うべきであろうと考えているのだ。
ましてや、今回は色恋にまつわる案件である。
色恋にまつわる話ほど、俺は人にとやかく言われたくないし、人にも言いたくない――という気持ちが、この2年間ですっかり補強されてしまっていた。俺とアイ=ファはきわめて特殊な関係性を構築している立場であったため、どうか本人の気持ちを尊重してくださいという思いが強まってしまったのだろう。
(だから、レビにとやかく言いたくはないんだけど……)
しかしまた、テリア=マスの心情を慮ると、俺も胸が痛くなってしまう。本当に好きな相手をあきらめて、宿の存続のために婚儀をあげるなどというのは――それもまた、俺の性分に合致する話ではなかった。
だがしかし、それを打開するのは当人たちの役割であるはずなのだ。
レビとテリア=マスがそれぞれ自分の意思で、自らの恋情を打ち捨てようと決断したのなら、余人に口をはさむ資格などないのではないか、と――俺は、そんな風に思ってしまうのだった。
(しかししかしのループだな。本当に、腰の据わらない男だよ)
ついには、そんな自虐的な気持ちまでわきたってきてしまう。
レビたちを放ってはおきたくないが、そこに介入するのは果たして正しいことなのか――と、俺の思考はそんな堂々巡りに陥ってしまったようだった。
「あの、あまり思い詰めないでくださいね、アスタ」
と、心優しきユン=スドラが、そんな風に呼びかけてくる。
「ユーミが願っていたのは、レビの心情を確かめることだけです。あとはどのような結果になろうとも、アスタに責任のある話ではありません」
「うん……でも、話を聞くだけ聞いて知らんっぷりてのは、なかなか難しいところだからねぇ」
「それはもう、アスタの思うままに語らえばいいのだと思います。アスタはどうか、ご自分の正しさをお信じください」
それは、はなはだ難しい話であった。こと色恋沙汰に関して自分が正しい見識を持っているなどと、そのように信ずる材料がどこにも存在しないのである。恥ずかしながら、俺はこちらの世界でアイ=ファと巡りあうまで、恋情らしい恋情を抱いたこともないような人間であったのだった。
(なんせ俺は、店の手伝いと料理の勉強で手一杯だったからなぁ。玲奈なんかは家族同然で、まったくそういう対象じゃなかったし……それでもって、玲奈と一緒に過ごすのが居心地よくって、人恋しくなることもなかったから……)
と、失われた故郷にまで思いが飛んでしまい、俺はいよいよ痛切な気持ちになってしまう。
そこで背後から忍び寄ってきた何者かに、いきなりヘッドロックを掛けられることになったのだった。
「アスタは、町でも隙だらけなのだな! そんなにぼんやりしていると、どのような災厄に見舞われるかもわからんぞ!」
「痛い痛い痛い! なんでラウ=レイが、こんな時間に宿場町にいるんだよ!」
「俺も仕事を終えたところだ! お前たちも屋台の商売、ご苦労であったな!」
ラウ=レイは陽気に笑いながら俺の首をひねりあげつつ、周囲の女衆に呼びかけていく。もちろんユン=スドラたちも、びっくりまなこでラウ=レイの姿を見返していた。
「レ、レイの家長、おひさしぶりです。でも、仕事というのは……?」
「聖堂とやらの見物と、幼子たちの護衛だ! あのように幼い内から修練を積まなくてはならないというのは、難儀な話だな!」
俺がラウ=レイの腕に拘束されたまま後方に視線をやると、そこには荷車を引くヤミル=レイの姿があった。その後ろには、さらに2台の荷車が続いているようだ。
「それにしても、まだアスタたちが宿場町をうろついているとは思わなかったぞ! それに、トトスと荷車はどうしたのだ? まさか、無法者に奪われてしまったのではなかろうな?」
「いいから、離してくれってば! 俺のか弱い首がへし折れたらどうするつもりだよ?」
「アスタもずいぶん頑丈になってきたようなので、そんな心配はあるまいよ! ……なんだ、アスタは珍しく気落ちしているようだな。アイ=ファと何か揉め事でもあったのか?」
「いや、そういうわけじゃないんだけど……町の友人たちのことで、ちょっとね」
「ちょっととは、なんだ?」
ラウ=レイがしつこく食い下がってきたために、俺もざっくりと事情を説明する他なかった。
どうせこのような話に、ラウ=レイは無関心であろうと思ったのだが――案に相違して、ラウ=レイは「ほうほう!」と水色の瞳を輝かせた。
「それではこれから、レビに真情を問い質すところであるのだな? ならば、俺が同行してやろう!」
「え? なんで?」
「なんでとは、どういう言い草だ! 俺とてレビやユーミとは、それなりに絆を深めた間柄であるのだぞ! 友の身を案じるのは当然のことであろうよ!」
そういえば、ラウ=レイも一時はしょっちゅう宿場町に下りて、盤上遊戯や横笛の練習に励んでいたのだ。盤上遊戯でカーゴに負けて悔しそうにしていたのも、今となっては懐かしい思い出であった。
「いや、だけど、森辺と宿場町じゃ婚儀の習わしもずいぶん違うだろうし……これでラウ=レイにまで騒がれたら、俺は手が回らないよ」
「どうして俺が騒がねばならんのだ? そもそも俺は、余所の家の婚儀について口を出すつもりはないぞ」
「それじゃあ、何のために同行するのさ?」
「だから、友たるレビの身を案じてのことだ! ……それに何より、アスタまでそのように気落ちしているのだからな! これでは放っておけるはずがあるまい!」
そんな風に言いたてて、ラウ=レイは背後のヤミル=レイを振り返った。
「というわけで、俺はもう少し宿場町に居残ることにするぞ! 男衆は他にも3人いるのだから、そちらに危ういことはあるまい!」
「どうぞご勝手に。でも、そちらの荷車にあなたの乗る隙間はなさそうね」
「ならば、駆け足で帰るまでだ! 少しは身体を動かさんと、晩餐が味気なくなってしまうしな!」
ダン=ルティムに負けないバイタリティを持つラウ=レイを止めるすべなど、俺は持ち合わせていなかった。
そうしてやいやい騒いでいる間に、《キミュスの尻尾亭》はもう目前に迫っている。そちらに踏み込む前に、俺は最後の悪あがきをしておくことにした。
「それじゃあラウ=レイにも同行してもらうけど、くれぐれも余計な口ははさまないでくれよ? 町の人たちは、ラウ=レイよりも繊細にできてるんだからさ」
「そんなことは、百も承知だ! まあ、あまりに聞き分けが悪かったならば、ひとつふたつ頭を小突いてやることにしよう!」
「手を出すのは、もっと駄目だってば!」
ヤミル=レイは「ご愁傷様」と言い置いて、俺たちのかたわらを通りすぎていく。その顔はいつも通りにクールであったが、切れ長の目には俺の苦境を面白がっているような光が宿されているように思えてならなかった。
俺は意を決し、ラウ=レイと5名の女衆とともに、《キミュスの尻尾亭》の扉を開く。
受付台で待ち受けていたのは、仏頂面のミラノ=マスであった。
「なんだ、もう来たのか。森辺の娘さんからは、半日分の預かり賃をいただいてるぞ」
「あ、トトスと荷車はもうしばらくお願いします。……あの、レビはいらっしゃいますか?」
「レビとラーズは、夜の料理の下ごしらえだ。用があるなら、厨に入るがいい」
「あ、はい。えーと……ちょっと込み入った話ですので、少しだけレビをお借りしてもよろしいでしょうか?」
ミラノ=マスは仏頂面に内心を押し隠しつつ、肩をすくめた。
「俺はあいつの雇い主だが、いちいち休憩のやりくりまで指図をしたりはせん。都合がいいか悪いかは、本人に聞いてみろ」
すると、ユン=スドラがおずおずと俺のかたわらに進み出た。
「あの、わたしたちはテリア=マスにお話をうかがいたいのですが……そちらにもお許しをいただけるでしょうか?」
「……テリアは2階で、空いた部屋の掃除をしている。話しながらでも働くことはできるだろうさ」
「では、しばしお邪魔いたします」
ユン=スドラは俺ににこりと笑いかけてから、他の女衆とともに2階へと上がっていった。
俺は俺で覚悟を決めて、ラウ=レイとともに厨へと乗り込む。そちらでは、確かにレビとラーズが料理の下ごしらえに励んでいた。
「なんだ、またアスタかよ。こんなところにまで乗り込んできて、いったい何の用なんだ?」
レビはうんざりとした顔で、そのように言いたててきた。気のいいレビからこのような表情を向けられるのは、正真正銘初めてのことである。
「うん、仕事中にごめん。ちょっと話があるんだけど、外に出られるかな?」
「見ての通り、忙しいんだよ。話だったら、明日にしてくれ。どうせ嫌でも、顔をあわせるんだからよ」
「おい」と声をあげたのは、ラウ=レイではなくラーズであった。柔和な表情は損なわれていないものの、決して笑ってはいない。
「アスタに向かって、なんて口の利き方だい。お前はこれまで、どれだけアスタの世話になってきたと思ってやがるんだ?」
「……でも、忙しいのは本当だろ」
「でもじゃねえよ。そんな気もそぞろで働かれたら、それこそお粗末な料理になっちまうだろうさ」
そう言って、ラーズはじっとレビの顔を見据えた。
「仕事をきちんとやりとげようって気持ちがあるんなら、とっとと話をつけてこい。次にそんなしみったれた顔で仕事場に入ってきたら、叩き出してやるからな」
「その足で、どう叩き出すっていうんだよ」
レビはそのように反論していたが、ラーズの言葉には有無を言わさぬ力強さが込められていた。いかに普段は柔和であろうとも、ラーズとて過酷な貧民窟で生き抜いてきた人物であるのだ。しかもそれは、幼いレビを抱えてのことであったのだから、生半可な胆力ではつとまらないはずであった。
レビは頭をかきむしり、俺たちを押しのけるようにして厨を出る。そして、受付台に座したミラノ=マスに頭を下げた。
「あの、少しだけ外させてもらいます。仕事はきちんと間に合うようにしますんで……」
「仕事が間に合うなら、何も文句をつけるいわれはない。下げる必要もない頭を下げるな」
レビはぎゅっと唇を噛み、もう一度頭を下げてから宿の外に出た。ラウ=レイを引き連れた俺も、慌ててそれに追いすがる。
レビは無言のまま、宿の裏手へと足を向けた。まあ、こっそり語らうならそれが当然の選択であろう。俺たちは宿にも負けない大きさを持つ倉庫の前で、あらためて向かい合うことになった。
「本当にごめんね、レビ。でも、俺もレビたちのことが心配だったからさ」
「心配って、何がだよ? なんべんも言ってる通り、俺には関係のない話だろ」
レビは、徹底抗戦の構えであるようだった。
事ここに至ったならば、俺も覚悟を決めなければならない。俺はレビに対する申し訳なさを心の端に追いやって、言葉を重ねさせてもらうことにした。
「本当に、レビには関係のない話なのかい? テリア=マスが余所から婿を迎えても、レビにはどうでもいいことなのかな? それだったら、俺だってこれ以上話すことはないよ」
レビは不貞腐れきった顔で、何事か言いかけたようだが――その前に、俺の視線から逃げるように目をそらした。
「……マス家のおふたりは、路頭に迷ってた俺たちを救ってくれた大恩人だ。その婿入り話がどうでもいいわけねえだろ」
「ああ、もしテリア=マスが婿を取ったら、その相手が未来の主人になるかもしれないわけだもんね。でも、俺が聞きたいのはそういうことじゃなくって、レビ自身の気持ちなんだよ」
「……俺の気持ちなんて、関係ねえだろ」
「関係ないことはないよ。俺にとっては、レビもテリア=マスも大切な相手なんだ。ユーミだってそうだから、あんな風に怒ってたんだろう? 俺もユーミも、レビとテリア=マスに幸せになってほしいだけなんだよ」
「……だったら、テリア=マスの婚儀をお祝いしてやれよ」
目をそらしたまま、レビはそんな風に言い捨てた。
「酒屋の次男坊だったら、俺だって何べんも顔をあわせてるからな。ちょっと鈍臭いところはあるけど、真面目で気のいいやつだよ。ああいう優しそうなやつだったら……テリア=マスを不幸にしたりはしねえさ」
「でも、テリア=マスはあんなに元気がないじゃないか? あれは宿のために、無理やり自分の気持ちを押し殺してるからなんじゃないのかい?」
「だったら……俺にどうしろって言うんだよ? 親父ともども世話になってる俺に、いったい何ができるってんだ?」
ついに、レビの本音がこぼれたようだった。
レビに対する申し訳なさが、心の隅でずきずきと疼いている。それをねじ伏せて、俺は言いつのってみせた。
「《キミュスの尻尾亭》のお世話になっていたら、何か都合が悪いのかい? ミラノ=マスはああいうお人だから、そんなことでレビを責めたりは――」
「そんな簡単な話じゃねえよ! ミラノ=マスがああいうお人だからこそ、こっちが身をつつしむべきなんだろ!」
レビはそっぽを向いたまま、にわかに激昂した。
「ミラノ=マスぐらい懐がでかけりゃあ、俺がどんなふざけたことを抜かしたって、怒りもせずに受け止めてくれるだろうさ! だからだよ! だから……俺は、なんにも言えねえんだよ!」
「どうしてさ? ミラノ=マスが認めてくれるなら、何も問題はないじゃないか」
「問題はない? こんな貧民窟生まれの冴えない小僧に大事なひとり娘をかっさらわれて、何も問題はないってのかよ? 親父はイカサマ賭博師で、俺もちんけな小悪党で……こんなロクデナシを拾ってくれた大恩人に、そんな真似ができるもんかよ!」
レビの顔が、ようやく俺のほうを向いた。
その目には、うっすらと涙がたたえられている。レビは怒っているのではなく、その身の無念を言葉としてほとばしらせていたのだった。
「俺がテリア=マスの婿なんざに収まったら、世間のいい笑いものさ! あの宿は貧民窟の小悪党に情けをかけたあげく、大事な跡継ぎ娘まで手にかけられちまったんだってな! あんなに立派なミラノ=マスとテリア=マスに、そんな迷惑をかけられるかよ!」
「レビたちが小悪党だったのは、昔の話じゃないか。今はこうして立派に働いてるんだから、何も卑下する必要はないよ。それより大事なのは、本人の気持ちだろう?」
「他人事だからって、好き勝手言うんじゃねえよ! お前こそ、あれだけアイ=ファに熱をあげてるくせに、婚儀をあげる気配もないじゃねえか! そんなやつに、うだうだ抜かされる筋合いは――」
ぺしんっと、間抜けな音が響いた。
音もなく進み出たラウ=レイが、レビの頭を引っぱたいたのだ。
が、森辺の狩人の腕力である。レビは「いってぇ!」とわめきながら、その場にうずくまることになってしまった。
「うむ、思わず手が出てしまったな。しかし、俺の友たるアスタを侮辱することは許さんぞ、レビよ」
「ラ、ラウ=レイ! 手も口も出さないでくれって言っただろ!」
「しかたあるまい。それだけ、腹が立ってしまったのだ」
ラウ=レイは平然と言いながら、レビの襟首をひっつかんで強引に立ち上がらせた。
「しかしまあ、レビもまた友であることに違いはないからな。それを叩いてしまったことは、申し訳なく思っている。よければ、叩き返すがいい」
「……ふざけんなよ。森辺の狩人に、俺なんかがかなうわけねえだろ」
「かなうかなわんの話ではない。お前とも正しく絆を深めたいから、わだかまりを残したくないのだ。俺はもう決して手を出さんから、おもいきり殴ってみろ」
そんな風に言ってから、ラウ=レイはきょとんと小首を傾げた。
「お前は宿場町の若衆の中で、ずいぶん腰の据わったやつであると思っていたのだが。こうまで言われて、殴り返すこともできんのか? 先刻のアスタに対する物言いも見苦しかったし、俺は残念に思っているぞ」
俺は慌てて止めに入ろうとしたが、もう遅かった。レビがおもいきり拳を振りかぶって、ラウ=レイの左頬を殴りつけてしまったのである。
が――再び「いてえ!」とわめいたのはレビのほうであり、ラウ=レイのほうはけろりとしていた。
「うむ。なかなか容赦のない拳だったな。しかし、そんな勢いで顔ではなく頭を殴っていたら、指のほうが折れていたやもしれんぞ。指の骨とは、存外にもろいものであるからな」
「ちくしょう……あんた、いったい何がしたいんだよ……?」
自分の右拳を抱え込んだレビは、涙目でラウ=レイをにらみつけた。
ラウ=レイは、邪念のない眼差しでそれを見つめ返す。
「アスタとお前のやりとりを聞いていて、ひとつ疑問に思ったのだ。……レビよ、お前は自分が小悪党であったなどと言っていたが、うちのヤミルよりも大きな罪でも犯しているのか?」
「ヤ、ヤミル=レイが何だって? さっぱりわけがわからねえよ」
「では、くわしく語らってやろう。……以前に何かの祝宴で語らった通り、俺は家人のヤミルと婚儀をあげるつもりでいる。しかし、ヤミル本人がなかなか了承してくれないので、いまだ成し遂げられずにいるのだ」
ラウ=レイは引き締まった腰に両手をあてながら、滔々と語り始めた。
「ヤミルは、なかなかに頑迷な人間でな。大罪人であった自分が家長の伴侶になるなどとはとんでもないと、いまだにそのように考えているようなのだ。……ヤミルがかつてスン家の人間であったことは、お前も知っているはずだな?」
「ああ。祝宴で、あんたがべらべらと語ってたろ。それが何だっていうんだよ?」
「ヤミルはかつて、アスタを殺めようとした。無理やり自分と婚儀をあげさせようと画策したあげく、それが上手くいかないと見るや、アスタを殺めて崖の下に捨てようと目論んでいたのだ」
レビはぎょっとしたように身をすくめ、俺は「ちょ、ちょっと!」と声をあげることになった。
「い、いきなり何を言い出すんだよ? それに、ヤミル=レイは――」
「うむ。きっとヤミルは、スン家を滅ぼしたかったのであろうな。なおかつ、分家の人間は救いたかったので、本家の人間だけが罪をかぶれるようにと、あのように無茶な真似をしたのであろうよ」
なんでもない風に、ラウ=レイはそのように言いたてた。
「しかし、アスタが死なずに済んだのは、ドンダ=ルウがこっそりルド=ルウらを呼びつけていたのと、ダン=ルティムがたまたま目を覚ましていたからに過ぎん。おそらくヤミルは、自分の仕掛けた悪さをファとルウの人間が見事に退けられるかどうか、すべてを母なる森の手にゆだねていたのであろうと思うが……もしもアスタが救われずに死んでしまっていたとしても、喜んでその罪をかぶるつもりであったのであろう。あやつはザッツ=スンのせいで、この世に絶望していたのであろうからな」
「…………」
「それに、ヤミルを含むスン本家の人間は、分家の者たちにギバ狩りの仕事を取りやめて、森の恵みで腹を満たすように命じていた。森辺において、それは頭の皮を剥がすほどの大罪となる。ヤミルとは、それだけの大罪を犯してきた人間であったのだ」
レビの顔を真っ直ぐに見つめながら、ラウ=レイはさらに言葉を重ねる。
「しかし、諸悪の根源はザッツ=スンとズーロ=スンであると定められて、ヤミルたちは許されることになった。ただ罰としてスンの氏を奪われ、それぞれレイやルウやルティムやドムの家人になることになったのだ。だから、ヤミルの罪はもう贖われている。誰と婚儀をあげようとも、もはや文句を言われる筋合いはないはずであるのだ」
「…………」
「しかしヤミルは、いまだに俺と婚儀をあげようとしない。いくら何でもレイ本家の家長と婚儀をあげるなどというのは、周囲の人間だって許しはしないと言い張ってな。……どうだ、お前と似ているであろう? だから俺も黙っていられなくなってしまったのだ」
そう言って、ラウ=レイは力強く微笑んだ。中性的な美貌の持ち主であるのに、きわめて雄々しい笑顔である。
「アスタはさっき、大事なのは当人の気持ちだと言っておったろう? 俺もまさしく、そう思っているのだ! 周囲に何と言われようとも、俺はヤミルと婚儀をあげたい! それがレイの家長に相応しくない振る舞いだというのなら、別の部分で挽回してみせよう! とにかく俺は、愛する相手と結ばれたいのだ! さすれば、どのような苦労でも案ずるに足りんからな!」
「……あんたは、立派なお人だよ。でも、俺はあんたじゃない」
レビが力を失った声で言うと、ラウ=レイは愉快そうに笑い声をあげた。
「当たり前だ! お前と立場を同じくしているのは、俺ではなくヤミルなのだからな! 俺を見習うべきはテリア=マスであり、お前はヤミルの手本になってもらいたいのだ!」
「て、手本?」
「うむ! 周囲の目などという下らんもののために、自分の幸福を犠牲にするべきではないのだ! そして何より、お前はテリア=マスの気持ちを慮るべきであろう!」
熱のこもった声で言いながら、ラウ=レイはレビに詰め寄った。
「俺はヤミルと婚儀をあげることがかなわなかったら、胃の腑が千切れるぐらい苦しいぞ! お前はテリア=マスに、そのような苦しみを与えたいのか? お前はテリア=マスよりも、周囲の目のほうが大事であるのか? そんなのは、絶対に間違っている! おたがいに懸想し合っている人間は、何が何でも結ばれるべきであるのだ!」
レビはきつく唇を噛み、涙がこぼれるのをこらえるように眉をひそめた。
ラウ=レイはにっと白い歯をこぼしつつ、レビの心臓のあたりにぐっと拳を押し当てる。
「俺が言いたいのは、それだけだ。あとはお前が、どれだけの想いをテリア=マスに抱いているかだな。これ以上は口を出さんから、お前の好きなように振る舞うといいぞ」
「……勝手なことばかり言いやがって……」
レビは固く目を閉ざし、それを再び開いたかと思うと、弾かれたような勢いで宿のほうに駆け出した。
慌ててその後を追いかけながら、俺はラウ=レイに笑いかけてみせる。
「ごめん。俺はラウ=レイのことを見くびってたみたいだよ」
「うむ? 何を詫びられているのか、さっぱりわからんな」
そんな風に応じつつ、ラウ=レイはいきなり地面に唾を吐き捨てた。それが生々しい真紅であったことに、俺はぎょっとする。
「い、今のは血かい? もしかして、さっきのレビの拳で、口の中を切ってたとか?」
「うむ。骨や歯はびくともしなかったが、口の中の肉はやわいからな。しかしレビに知られるといっそう心を乱してしまいそうであったから、とりあえず隠しておいたのだ」
「お見それしたよ。今日のラウ=レイは、これまでで一番かっこいいかもしれないね」
「ふふん。そんな言葉は、ヤミルの口から聞きたいものだな」
ラウ=レイがまんざらでもなさそうにそう言ったとき、俺たちも宿の入り口に到着した。
そうして、扉を引き開けると――とたんに、盛大な泣き声が聞こえてくる。
立ちすくむレビの肩越しに内部の様子をうかがってみると、受付台の前でユン=スドラに取りすがったテリア=マスが、子供のように泣いてしまっていた。
これはいったい、どういう状況であるのだろう。受付台のミラノ=マスはこれ以上もなく苦々しい顔で溜息をついており、厨からはラーズが、1階の客室からは逗留客たちが、仰天した面持ちでこちらの様子をうかがっている。そしてユン=スドラを除く4名の女衆は、テリア=マスを守るように周囲を取り囲んでいた。
「……アスタ、お疲れ様でした」
と、その輪から外れたフェイ=ベイムが、俺のほうに忍び寄ってきた。
「テリア=マスはひどく気を落とされていたので、ユン=スドラやレイ=マトゥアが慰めの言葉をかけていたのですが……ともに1階まで下りたところで、テリア=マスの我慢が切れてしまったようであるのです」
「ああ……そういうことですか」
昨日の合同勉強会でも、レイナ=ルウにいたわりの気持ちを向けられたシリィ=ロウが涙をこぼすことになった。あまりに純真かつ力にあふれた森辺の民に真っ直ぐな気持ちを向けられると、気の弱っている人間は容易く情動を揺さぶられてしまうものであるのだ。
「そっちもようやく、話が終わったのか」
と、ミラノ=マスがぶすっとした顔でこちらをにらみつけてくる。
「レビ。これも全部、お前の不始末だぞ。責任を取って、なんとかしろ」
レビはぎゅっと拳を握りながら、テリア=マスたちのほうに近づいた。
ユン=スドラは慈母のように優しい面持ちでテリア=マスの肩を叩き、その顔を上げさせる。
その正面に立ちはだかったレビは、肩を震わせながら言った。
「お嬢さん、すみません。俺がみんな、間違ってました。……酒屋の次男坊なんかを、婿に迎えないでください」
テリア=マスは信じ難いものでも見るように大きく目を見開き、そこから新たな涙をこぼして――そして、レビの胸に飛び込んだ。
テリア=マスはいっそう大きな泣き声をあげて、レビはおずおずとその肩を抱く。ちょうどそんなタイミングで、俺の背後から聞きなれた声があがった。
「なーんだ、丸く収まったみたいじゃん。大急ぎで駆けつけることなかったね」
振り返ると、ユーミがいつも通りの笑顔を見せていた。
「こんなことなら、最初っからアスタたちに相談するべきだったよ。さっすが森辺の民は、頼りになるね!」
「いや、まあ、ユーミも含めて、みんなのおかげだね」
俺としては、そんな風に答えるしかなかった。
テリア=マスはなかなか泣きやまず、逗留客たちは目をぱちくりとさせている。
ただ――そんな中、ミラノ=マスは苦笑を浮かべながら、ラーズのほうを振り返っていた。それを迎えるラーズのほうは、申し訳なさそうな笑顔だ。
きっと彼らもハラハラしながら、息子と娘の行く末を見守っていたのだろう。
決して甘い言葉はかけずに、ただ当人たちの覚悟を見定めようとしていたのだ。
俺などは、本当に何の役にも立っていないように思われてならなかったが――今は黙って、大事な友人たちの想いが報われたことを祝福したかった。