エイラの祝宴①~発端~
2022.2/7 更新分 1/1
・今回は全10話の予定です。
《銀星堂》の面々を森辺に招いた、合同勉強会の翌日――白の月の7日である。
本来その日は休業日の日程であったが、前回連休にしてしまった分を取り戻すべく、俺たちは屋台の商売を敢行していた。とりあえず、10日間はこのまま連日で屋台を開き、あとはかまど番たちの疲労具合を鑑みつつ、建築屋の送別会までの営業日程を組み立てようという思惑であった。
(まあ、このメンバーだったら10日や半月どころかひと月連続の営業でも、平気な顔で乗り越えてくれそうだけどな)
それでもまあ、俺はさまざまな氏族の、ルウ家は眷族の女衆を借り受けている身であるため、あまり軽はずみな真似は許されない。たとえ屋台を休んでも、建築屋の面々を晩餐に招けば交流を深めることはかなうのだから、ここは無理をせずにフレキシブルな対応を目指したいところであった。
「でも、建築屋の方々の出立が遅くなったので、《銀の壺》の方々の出立とずいぶん日が近くなってしまうようですよね。そうすると、月の半ばにはまた屋台を休む日が続いてしまいそうですから……それまではなるべく休まずにおこうというのも、決して間違ってはいないように思います」
本日は隣の屋台の責任者であるユン=スドラが、そんな風に声をあげてきた。フェイ=ベイムに玉焼きの作り方を伝授していた俺は、その手際を見守りながら「そうだね」と応じてみせる。
「そういったことも含めて、レイナ=ルウたちと話し合おうと思うよ。……ただ、ルウ家のほうはそもそも連日で出勤してる人はいないから、休みがなくてもそれほど負担にはならないみたいなんだよね」
「ああ、言われてみれば、そうですね。連日で出勤しているのは、アスタとトゥール=ディンと……あとは、わたしとマルフィラ=ナハムとレイ=マトゥアだけですものね」
「うん。だからまあ、話し合うべきは俺とトゥール=ディンなのかな。ユン=スドラたちには、休みをあげようと思えばいくらでもあげられるわけだし――」
「わ、わたしも休みなどは不要なのですけれど!」
と、勢い込んで言ってから、ユン=スドラは気恥ずかしそうにもじもじとした。
「……でも、わたしたちはただでさえ毎日の出勤を許していただけている身であるのに、休みたくないなどと言い張るのはおこがましいですね。それでは数日に1度しか出勤できない他の方々に申し訳が立ちません」
斯様にして、今日も持ち前の善良さを発揮させるユン=スドラである。
俺がそちらにコメントを返そうとしたとき、突如としてその声が響きわたったのだった。
「あんたねー! いったい何を考えてるのさ!」
俺とユン=スドラはびっくりまなこで、そちらを振り返ることになった。
ユン=スドラの屋台とは逆の側、『キミュス骨ラーメン』の屋台である。そちらに裏から突撃してきたユーミが、レビの胸ぐらをつかまんばかりの勢いでがなりたてていたのだった。
「な、なんだよ、いきなり? こっちは商売中だぞ?」
レビが困惑気味の言葉を返すと、ユーミはいよいよ眉を吊り上げた。
「こっちだって、屋台の商売を抜けてきたんだよ! 今日の今日まで、そんな馬鹿げた騒ぎになってるなんてこれっぽっちも知らなかったからね! だいたい、あんたがもっとしっかりしてれば――!」
「《西風亭》のお嬢さん」と口をはさんだのは、レビの父親たるラーズであった。
「そんな風にでかい声を張り上げてると、衛兵のお人らが何事かと思っちまうでしょう。宿のご主人にご迷惑をかけたくないんで、今は勘弁してくれやせんかね?」
ユーミは同じ勢いのまま、ラーズのほうに向きなおる。
しかしラーズの柔和な笑顔にいくぶん気持ちが沈静化したらしく、ユーミはボリュームを落とした声で言いつのった。
「レビの親父さん、あんただって事情はすっかりわきまえてるんでしょ? だったらこのボンクラ息子をどうにかしようとは思わなかったの?」
「ええ……あっしなんぞが口をはさめるような話じゃありやせん。大事なのは、当人らの心持ちでしょうからね」
ユーミはまったく納得のいった様子もなく、またレビのほうに視線を転じた。
「親父さんの言うことも、もっともだ。だから、あんたがしっかりするべきなんだよ。……あんた、いったいどう始末をつけるつもりなのさ?」
「どうもこうもねえよ。そもそも、俺には関係のない話だろ。お前だって無関係なんだから、おかしな騒ぎを起こしたりするなよな」
「この……!」とユーミが再び激昂しそうな気配であったので、俺が慌てて口をはさむことになった。
「ユーミ、いったいどうしたんだよ? レビが何か、悪さでもしたっていうのかい? そんなことは、ありえないと思うんだけど」
「それじゃあ、アスタにも知らせてなかったの? もう! とことん救いようのないやつだね!」
ユーミは、子供のように地団駄を踏んだ。それを見やるレビは苦虫を嚙み潰したような面持ちで、ラーズはいくぶん切なげな笑顔だ。
「テリア=マスに、婿入りの話が舞い込んだんだよ! それなのに、このボンクラは何もしないでぼへーっとしてんのさ! こんな馬鹿げた話はないでしょ!」
◇
その後、ユーミはユン=スドラにたしなめられて、しぶしぶ自分の屋台に帰っていった。
ユーミがいなくなってもレビの様子に変わりはなく、ぶすっとした面持ちで口をつぐんでいる。俺はたいそう気が引けてしまったが、しかしレビともユーミともテリア=マスとも懇意にさせてもらっている人間として、声をかけずにはいられなかった。
「あの、レビ……さっきの話は本当なのかい? 俺も初耳だったんだけど……」
「そんなもん、あちこち触れ回るような話じゃねえだろ。ユーミのやつが、おかしいんだよ」
「うん。でも、ユーミはテリア=マスの友達なわけだから……」
「だったら、テリア=マスの相談に乗りゃあいいだろ。なんで無関係な俺のところに怒鳴り込んでくるんだよ」
いつも気のいいレビが、不貞腐れた子供のようになってしまっている。
しかし俺も、ここで引き下がるわけにはいかなかった。
「いや、ユーミとのつきあいは、テリア=マスよりもレビのほうが長いんだよね。それならユーミは、レビのことも心配してるんだと思うよ」
「どうして俺が、あいつに心配されなきゃいけねえんだよ。アスタまで、わけのわかんねえことを言わないでくれよな。テリア=マスに婿入り話が持ち上がったって、俺には何の関係もねえだろ」
そのように言われてしまうと、俺も二の句が告げなかった。テリア=マスがレビに恋心を抱いているというのは、もはや間違いのない話であるはずなのだが――レビのほうがテリア=マスのことをどう思っているかは、いまだに謎であったのだ。
そうして俺が思い悩んでいると、相方のフェイ=ベイムが「アスタ」と囁きかけてきた。
「あちらのレビという御方は、ひどく心を乱しておられる様子です。ここで言葉を重ねても、さきほどの繰り返しになるだけなのではないでしょうか?」
「はい。でも、俺としては放っておけない心情なのですよね」
「であれば……レビではなく、テリア=マスかユーミにお話をうかがうべきではないでしょうか?」
それはなかなかに、意外な申し出であった。フェイ=ベイムは森辺の民としてもなかなかの堅物で、余所の家の話に立ち入ることは嫌うように思えたのである。
しかし、フェイ=ベイムの言葉には一理あるように思えた。とにかく俺は、状況がまったくわかっていないのだ。ここでレビ当人にあれこれ問い質しても、埒が明かないように思われた。
(俺だって、よそ様の色恋沙汰にちょっかいを出したくはないけど……でも、このまま放ってはおけないよな。商売が終わったら、まずユーミに話を聞いてみよう)
そうしてその後は何の騒ぎが起こることもなく、玉焼きも終業時間の四半刻前に売り切れとなる。
それで青空食堂の手伝いに参ずるべく、そちらに向かってみると――ぎりぎりで玉焼きを購入することがかなった《銀の壺》の面々が待ちかまえており、団長のラダジッドが俺に声をかけてきた。
「アスタ、お疲れ様です。……アスタ、何か懸念、抱えていますか? 先刻から、表情、暗い、思います」
「心配をおかけしてしまって、申し訳ありません。ちょっと友人たちにトラブルが……あ、いや、揉め事があったみたいで」
「揉め事。……私、力、なれますか?」
そんな言葉を即座に投げかけてくれるラダジッドの優しさに、俺は涙をこぼしてしまいそうであった。
しかしラダジッドは無関係の立場であるし、営業中にお客様とそんな話にふけるというのは気が進まなかったので、俺はお礼だけ言ってその場を離れようとしたのだが――そこでまた、フェイ=ベイムが俺に囁きかけてきたのだった。
「森辺と町では、婿入り話に関しても大きく習わしが異なるのでしょう。町の方々にお話をうかがうというのも、決して無駄にはならないのではないでしょうか?」
今度こそ、俺は驚かされることになった。
「えーと、フェイ=ベイムはレビやテリア=マスとけっこう交流を深めていたのでしたっけ?」
「いえ。もちろん宿場町の民とも正しい絆を結べるようにとわたしなりに尽力しているつもりではありますが、元来偏屈な人間であるため、なかなか思うようにはいっていません」
父親似でちょっと平家蟹に似た四角い顔に厳しい表情をたたえつつ、フェイ=ベイムはそんな風に言いつのった。
「ですが、アスタはそれらの方々と深く交流を持たれているのでしょう? 食堂の仕事などは手が余っていますので、どうぞ友人がたのために尽力していただきたく思います」
「はあ、了解です。……それじゃあ少しだけ、話を聞いていただけますか?」
俺がそのように呼びかけると、ラダジッドは嬉しそうに瞳を輝かせてくれた。
ラダジッドの優しさには胸が熱くなるばかりであるのだが――東の民の恋愛観などはまったくの不明であるし、相談相手を間違えているのではないかという疑念を消すことは難しかった。
しかし、ここまで来ては乗りかかった船である。俺はラダジッドたちの座した卓に身を寄せて、声をひそめつつ打ち明けることになった。
「えーと……揉め事というのは、女性の友人に持ちかけられた婿入り話についてであるのです」
「はい」
「その女性の友人は、もうひとりの友人である男性に懸想しているようなのですね。でも、男性のほうがどのように思っているかは、俺にもわからないのです」
「はい」
「それで、男性のほうは自分には関係ないと言い張っているのですが……それを聞きつけた共通の友人が、さきほどすごい剣幕で怒鳴りこんできてしまったのですよ。あんたがしっかりしていれば、こんな騒ぎにはならなかったんだと言って」
「はい」
「ただ、何か騒ぎになっているのか、俺はまだ知りません。でも……女性の友人は昨日お会いしたとき、ずいぶん元気がない様子であったのですよね」
昨日、《銀星堂》の面々と合同勉強会を開く前、屋台を返しにいった際、テリア=マスは悄然としていて口数も少なかった。それに対して、レビは「色々あるみたいだよ」と他人事のように言っていたのだ。
「だから共通の友人は、女性の友人に元気がないことを心配して、あんな風に怒っていたんだと思うのですけれど……すみません。俺自身が、まだ全容を把握していないのです」
「はい。ですが、状況、理解しました。アスタ、心、痛める、当然です」
ラダジッドは、落ち着いた声でそんな風に言ってくれた。
「まず、事実確認、必要でしょう。一、女性の友人、何故、元気、ないのか。二、男性の友人、女性の友人に対して、どのような気持ち、抱いていのるか。その二点、肝要である、思います」
「そうです」と割り込んできたのは、《銀の壺》でもっとも若いと思われる団員であった。彼も同じ卓で、俺たちの話を聞いていたのだ。
「その男性、女性の気持ち、察しているでしょうか? 察しているなら、不実です。たとえ、自分、恋心、抱いてなくとも、女性、いたわる気持ち、必要です。無関係、言い張る、不実です」
「それ、あなた、想像です。想像で、他者、貶めることこそ、不実です」
ラダジッドがやんわりたしなめると、若い団員は不満そうに口をつぐんだ。若いゆえか、彼は他の東の民よりも感情が表れやすいようであるのだ。
「それで、アスタ、3名とも、友人ですか?」
「はい。俺もその3名も、全員が友人同士です」
「であれば、いっそう、心、痛むことでしょう。まず、怒っていた友人、話、聞くべき、思います」
「はい。俺もそのように考えていました。……ありがとうございます。ラダジッドに後押ししていただけると、とても心強いです」
「いえ。アスタ、懸念、晴れること、願っています」
俺はラダジッドたちに厚くお礼を言って、食堂の仕事に戻ることにした。
すると、フェイ=ベイムがすかさず接近してくる。
「アスタ、如何でしたか?」
「あ、はい。とりあえず、ユーミに話を聞いてみようかと思います。テリア=マス本人に話をうかがうのは、あまりにぶしつけでしょうから……」
「そうですか。……わたしも同行することを許していただけますか?」
「え? 何故です?」
「……ベイムの家は、長らく町の人間を忌避していました。町の人間と絆を深めるために、まずその人柄や習わしなどを理解したいと願っています」
それはいかにもフェイ=ベイムらしい堅苦しい言いようであったが――その反面、やっぱりフェイ=ベイムらしからぬ要求であるように思えてならなかった。
(でもまあフェイ=ベイムも、モラ=ナハムに嫁入りするかどうか思い悩んでる真っ最中なんだろうしな。こんな話がフェイ=ベイムの役に立つかどうかはわからないけど……本人がそうしたいっていうなら、同行してもらおう)
そんなわけで、下りの二の刻の終業時間となり、青空食堂のお客たちも残らずお帰りになられたのち、俺はユーミのもとを目指すことになった。
ただし、このような大人数で押しかけては迷惑であろうし、森辺では勉強会も控えている。ここは最低限の人数だけで居残るべきであろう。
その結果、居残るメンバーは俺とフェイ=ベイム、ユン=スドラとレイ=マトゥア、リリ=ラヴィッツとラッツの女衆という顔ぶれに相成った。最近は3台の荷車の定員である18名がかりで宿場町に下りているため、荷車1台分の人間にまるまる居残ってもらう他なかったのだ。
「本当は昨日の勉強会のおさらいをする予定だったのに、ごめんね。なるべく早く合流できるようにするからさ」
「いえ。どうかテリア=マスたちのために、ご尽力ください。……トゥール=ディンとマルフィラ=ナハムがいてくだされば、こちらは有意義な時間を過ごせますので」
本日のルウ家の取り仕切り役であったレイナ=ルウは、笑顔でそんな風に言ってくれた。勉強会に甚大なる熱情を注いでいるレイナ=ルウであっても、やはりテリア=マスたちのことを二の次にしたりはしないのだ。
そうして俺たちがこそこそと話し合っている間に、レビはさっさと帰ってしまっている。それもまた、レビらしからぬ振る舞いであろう。彼は彼で、やはり平常心ではないように思われた。
ギルルの荷車はマルフィラ=ナハムに託して、《キミュスの尻尾亭》で預かってもらうようにお願いする。そうして俺たちは、宿屋の屋台村で働くユーミのもとに突撃したのだった。
「あ、森辺のみなさん、いらっしゃいませ。みなさんがこちらにいらっしゃるのは、おひさしぶりですね」
と、笑顔で出迎えてくれたのは、ユーミとともに働く友人のルイアである。
いっぽうユーミは、まだ憤懣が収まっていない様子で俺たちをねめつけてきた。
「ずいぶんな大人数だね。レビの味方について、あたしをとっちめにきたってわけ?」
「そんなわけないだろ。俺はさっぱり事情がわからないから、ユーミに話を聞かせてほしいんだよ」
俺がそのように答えると、ユーミはたちまちしゅんとしてしまった。
「ごめん、アスタにまで八つ当たりしちゃった。アスタがそんな真似するわけないのにね」
「そうだよ。そんなんじゃ、森辺に嫁入りできないよ?」
ルイアが小悪魔的な笑顔でからかうと、ユーミは赤い顔をして「もう!」とその肩を引っぱたいた。
「でも、事情って? そいつはさっき、説明したでしょ?」
「まあ、おおまかなところはね。でも俺は、どこの誰がテリア=マスに婿入りを願っているのかも、テリア=マスがどういう気持ちなのかも知らないんだよ」
「それなら、ユーミがくわしく話してあげれば? 屋台はもう、わたしひとりで大丈夫だよ」
屋台村の面々は、俺たちよりも早く店を開けて遅く閉めるのが常である。しかしさすがに下りの二の刻を越えると、客足はまばらであった。
俺たちはルイアの親切に甘えて、裏手の雑木林にまで足をのばす。適当な樹木にもたれかかったユーミは、あらためて俺たちの姿を見回してきた。
「にしても、なんか意外な顔ぶれだね。この中でテリア=マスと仲がいいのって、せいぜいユン=スドラとレイ=マトゥアぐらいじゃない?」
「わたしも多少は、ご縁を深めさせていただいています。もちろん、ユン=スドラたちほどではないのですけれど」
そのように答えたのは、ラッツの女衆である。俺よりも年長で、しっかりものの人物だ。そういえば、若年の人間が多い屋台のメンバーにおいて、この場には最年長のリリ=ラヴィッツとそれに次ぐフェイ=ベイムとラッツの女衆が居揃っていた。
「わたしは確かに、テリア=マスという御方ともレビという御方とも、確たるご縁は築いておりません。ですが、宿場町に下りる森辺の女衆として、町の方々の人柄や習わしを正しく理解したいと願っております」
リリ=ラヴィッツはお地蔵様のような顔で微笑みながら、さきほどのフェイ=ベイムとほとんど同じようなことを言いたてた。彼女はラヴィッツの若い女衆と交代で屋台に参加しているため、宿場町に下りるのは10日に1度ぐらいであるのだが――こういう際には率先して居残る積極性を有していた。
「ふーん、なるほどね。……ま、色んな人の意見を聞けたほうがいいのかな。どうしたって、あたしはテリア=マスに気持ちが寄っちゃうからさ」
そんな風に言いながら、ユーミはぎろりと俺をねめつけてきた。
「特に、男のアスタがどう思うのかは気になるところだよ。もう怒鳴ったりしないから、正直な意見をお願いね」
「虚言は罪だから、そのつもりだよ。……まず最初に確認しておきたいんだけど、その婿入り話ってのは現在も進行中なのかな?」
「そうだよ。だから、厄介なのさ。このままじゃあ、テリア=マスは好きでもない相手と婚儀をあげる羽目になっちゃうかもしれないんだからね」
そうしてユーミは、語り始めた。
事の起こりは、3日前――俺たちがデルシェア姫の晩餐会に参じた日のことである。その日の昼頃に、酒屋の主人がミラノ=マスに婿入り話を持ちかけてきたのだそうだ。
「どうもうちの次男坊が、おたくの娘さんに懸想しちまったみたいでね。ほら、あいつもちょくちょく酒の配達で、こちらの宿にお邪魔してるだろう? それで娘さんの優しい人柄に、すっかり心を奪われちまったみたいなんだ」
酒屋の主人は、そのように言っていたらしい。まあ、あくまで伝聞の話である。
「うちの坊主も真面目なだけが取り柄の、冴えない野郎だがよ。でも、とにかく働き者だ。それにまだまだ若いから、宿の仕事を覚えるのにそんな苦労もねえだろう。よかったら、婿入りを考えてもらえねえかなぁ」
ミラノ=マスは、その話をそのままテリア=マスに伝えたらしい。
もちろんレビに懸想するテリア=マスは、すぐさま断ろうとしたのだが――一緒に話を聞いていたレビがあまりに無関心な様子であったため、ひどくショックを受けてしまったのだという話であった。
「で、テリア=マスもひとり娘だから、宿を継ぐなら婿が必要なわけじゃん? レビにその気がないんなら、別の人間を婿に迎えるしかないのかって……そんな風に思い詰めることになっちゃったわけさ」
「なるほど。ユーミはそれを、今日になって知ったわけだね?」
「うん。きっとあたしが大騒ぎするのは目に見えてるから、なかなか打ち明けられなかったんじゃない? でも、3日も経ってついにひとりでは抱えていられなくなったんだろうね。朝方に井戸で出くわしたルイアに、半べそで打ち明けてきたんだってさ」
「では、ご本人から話をうかがったのは、さきほどの御方であったのですねぇ」
と、リリ=ラヴィッツがするりと会話に入ってきた。
「それでしたら、わたしどももあちらの御方から話をうかがうべきなのではないでしょうか?」
「ルイアとテリア=マスもそれなりに仲良くはなったけど、あたしのほうがもっと仲良しなの! それにあたしは、ルイアの姉貴分なんだからね!」
傲然と腕を組みながら、ユーミはそのように言い放った。
「こんな話に首を突っ込んだら、のちのち揉め事になるかもしれないでしょ? だったらあたしが責任をひっかぶってやろうと思ったんだよ! なんか、文句でもある?」
「なるほど。町においても、余所の家の縁談に口をはさむのは望ましくない、ということなのですねぇ」
「そりゃあそうさ。でも、テリア=マスは大事な友達だからね! たとえ酒屋の連中に恨まれることになったって、あたしは引っ込む気はないよ!」
「まあまあ、落ち着いて。……ちなみに、その酒屋の次男坊っていうのは、ユーミも面識のあるお人なのかな?」
「うん。うちもそこから酒を仕入れてるからね。真面目で働き者なのかもしれないけど、うちのお客にびくつくような根性なしだよ。あんなやつに、テリア=マスはまかせられないね!」
「ユーミ、落ち着いてください」と、ユン=スドラも発言した。
「ユーミがそのように思うのは、レビの存在があるためなのではないですか? もしテリア=マスがレビに懸想していなかったら、ユーミもその御方を忌避したりはしないのではないでしょうか?」
「え? まあ、うーん……それはそうかもしれないけど……」
「何より、重んずるべきはテリア=マスの心情だと思います。まずテリア=マスは、本当にレビに懸想しているのでしょうか?」
「それは間違いのないことだよ! ね、アスタ?」
俺は「うん」と応じてみせる。テリア=マスは、かつてユーミに心の内を打ち明けており――俺はそれを立ち聞きしてしまったことがあるのだ。
「そういえば、あのときもレビの反応が鈍いせいで、テリア=マスがやきもきすることになったんだよね。実際のところ、レビはテリア=マスのことをどう思ってるんだろう?」
「そんなの、惚れてるに決まってるじゃん! あんな可愛い娘と同じ屋根の下で暮らしてるんだからさ!」
「でも、テリア=マスに婿入り話が持ち上がっても、レビは無関係だって言い張ってるわけだよね」
俺がそのように言いたてると、ユーミがずずいと詰め寄ってきた。
「だからあたしも、わけがわかんないんだよ。同じ男として、アスタはどう思うの?」
「それは……やっぱり大恩人の娘さんってことで、気が引けてるんじゃないかなあ。ベンやカーゴに冷やかされたりすると、レビはあんな立派なお嬢さんに自分なんかは相応しくないって言い返すことが多いからね」
「相応しくないって、雇われの身だから? 貧民窟の出だから? そんなんで惚れ合った相手をあきらめるなんて、馬鹿げてるよ!」
「それはそうかもしれないけど、本人にとっては大ごとのはずだよ。レビは父親ともども住む場所を失って、そこをミラノ=マスに救われたわけだから……それで娘さんと恋仲になるなんてとんでもないって考えるのは、そんなにおかしい話かな?」
「……アスタはやっぱり、レビの味方なの?」
「俺はどっちの味方でもないよ。ただ本人たちが納得できるような結末になってほしいと願ってるだけさ」
すると、ラッツの女衆が「あの」と発言した。
「さきほどから、テリア=マスの父親であるミラノ=マスについてまったく語られていないようですが……森辺において、婚儀について決めるのは家長の役割となります。ミラノ=マスは、なんと仰っているのでしょう?」
「ミラノ=マスは、みんな本人にまかせようって考えみたいだね。だから、テリア=マスがレビと結ばれたって、何も文句は言わないはずだよ」
「それでもレビは、テリア=マスの心情に応じようとはしないのですね。……レビは真実、テリア=マスに懸想しているのでしょうか?」
ラッツの女衆の真っ直ぐな問いかけに、さしものユーミも口ごもった。
「あたしは絶対そうだって思ってるけど……本人から聞いたことはないよ。アスタはどう?」
「俺もだよ。さっきも言った通り、レビはむしろ遠慮をして身を引こうとしているような印象だね」
「あいつが遠慮して、テリア=マスは幸せになれるの?」
今度は、俺が口ごもる番であった。
「それはまあ……おたがいに懸想し合ってるなら、結ばれてほしいと思うけど……」
「ではやはり、肝要なのはレビの心情であるのでしょう」
ラッツの女衆が、また迷いのない口調で言いたてる。彼女はとても気さくで朗らかな気性であるが、家長に似て果断な気性でもあるのだ。
「レビがテリア=マスに懸想していないというのなら、周りが騒いでも詮無きことです。まずは、レビの心情を確かめるべきではないでしょうか?」
それは先刻、ラダジッドからも忠告された言葉であった。やはりこの際、もっとも不確定であるのはレビの心情であるのだ。
ユーミは「そうだね!」と言いながら、自分の手の平に拳を打ち込んだ。
「それじゃあ、アスタが聞いてみてよ! あいつは絶対、本音を隠してるはずだから!」
「え? 俺が? そういう話は、ベンやカーゴのほうが……」
「あいつらは茶化すばっかりで、絶対に話が進まないもん! ……そういえば、レビって昔っから色恋沙汰の話は茶化したりしないやつだったんだよね。そういう部分は、きっともともと真面目だったんだよ」
と、ユーミは俺の顔をじっと見つめてきた。
「同じ男で、同じぐらい真面目なアスタだったら、きっとあいつも本音を話してくれるはずさ。あたしはどうしたってテリア=マスの肩を持っちゃうから、どうかお願いするよ」
俺は困惑しながら、あてどもなく視線をさまよわせることになったが――ユン=スドラを筆頭とする森辺の女衆らも、そのおおよそは納得した顔で俺の姿を見やっていたのだった。




