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異世界料理道  作者: EDA
第六十七章 白の月の四つの催事
1151/1681

森辺の合同勉強会④~晩餐~

2022.1/25 更新分 1/2

 およそ2時間半にわたる勉強会を終えたのちは、帰宅組と別れを告げて、晩餐の準備である。

 本来であれば、《銀星堂》の面々に半分ぐらいの献立をおまかせしたいところであったのだが、現在はきわめて献立の種類に限りがある上に、調理時間が一刻ていどではなおさら難しいということで、ひと品だけ準備していただくことになった。


「しかしそうすると、5名もの人手は必要ありませんからな。わたしとロイはアスタ殿のお手伝いをいたしましょう」


「ああ。アスタの料理を自分で手掛けるってのも、立派な修練になるだろうしな」


 ということで、ボズルとロイには俺の手伝いをしてもらうことになった。

 するとこちらにも人手にゆとりが生じるため、レイナ=ルウにはヴァルカスたちの調理の見学をしてもらうことにした。それでレイナ=ルウがどれだけ瞳を輝かせていたかは、言うまでもないだろう。


 あとは、リミ=ルウとニコラにそれぞれ菓子を作ってもらうことにして、俺の手伝いをお願いするのはマイムとプラティカだ。そこにボズルとロイが加わるわけであるから、これは何ともユニークな組み合わせであった。


「《銀星堂》の方々と一緒にファの家で晩餐をこしらえるなんて、本当に得難き体験です! しかも、プラティカとニコラまでいらっしゃるのですものね!」


 マイムはにこにこと笑いながら、そんな風に言っていた。


「そういえば、マイムをファの家の晩餐にお招きするなんて、ずいぶんひさびさのことだよね。下手をしたら、知り合ってすぐの頃までさかのぼるんじゃないかな?」


「そうかもしれません! だから余計に、わくわくしてしまいます!」


 すっかり森辺の装束が板についたマイムは、心から楽しそうにしてくれていた。それにつられたように、ボズルも朗らかに笑っている。


「次にルウ家で勉強会が行われる際は、ミケル殿の手腕をじっくり拝見したいところですな。あつかましいようですが、どうぞよろしくお願いいたします」


「あつかましいなんて、とんでもない! 父も、きっと喜びます!」


 そんな感じで、一刻ていどの調理時間も粛々と過ぎていき、ついに迎えた日没である。

 俺たちが完成した料理を携えて母屋に向かってみると、そこには解体の作業を終えたアイ=ファとジーダがゆったりとくつろいでいた。ルウ家のお迎え役であるジーダも、いつの間にやら到着していたのだ。


「おお、そちらの御方は礼賛の祝宴にもいらしていた、マイム殿の新たなご家族でありますな。どうもおひさしぶりであります」


 ボズルが持ち前の社交性で真っ先に挨拶の言葉を述べたてると、ジーダは落ち着いた面持ちで「うむ」と応じた。


「ルウの分家の家長、ジーダだ。森辺の祝宴においても、何度か挨拶をしていたはずだな」


「ええ。あなたがルウ家の客分というお立場であった頃から、お目にかかっていたかと思います」


 その頃から、ジーダとマイムは同じ家に住む間柄であったし、ボズルは祝宴でミケルのもとに留まることが多かったので、自然に顔をあわせる機会が多かったのだろう。


「では、ジーダがあまり見知っていないのは、ヴァルカスとタートゥマイのみということだな。そちらにも挨拶をしてもらいたいのだが――」


 アイ=ファが厳粛なる眼差しを向けると、タートゥマイが「承知しました」とヴァルカスの背後に回り込んだ。

 まずは防塵マスクが外されて、そののちに覆面も外される。数時間ぶりに素顔をさらしたヴァルカスはしとどに汗をかいており、褐色の髪もすっかり濡れそぼってしまっていた。


「少々お待ちくださいませ」と、タートゥマイが持参した手拭いでヴァルカスの髪と顔をぬぐい清める。その間、敷物に座したヴァルカスは幼子のようにされるがままになっていた。


「……何か、貴族と従者を見ているような心地だな。あなたは普段から、そのようにして主人の面倒を見ているのであろうか?」


「いえ。ただし、ヴァルカスが体調を崩された際は、わたしがご面倒を見る機会が多いように思います」


 ヴァルカスは寝起きのようにぼんやりとしていたが、それはいつものことであるので、現在の体調がどうであるのかはわからない。何にせよ、タートゥマイはヴァルカスの世話に手馴れている様子であった。


「……大丈夫ですか、ヴァルカス? ご気分が悪くなったりはしていませんか?」


 シリィ=ロウが心配そうに声をかけると、ヴァルカスは茫洋とした声で「ええ」と応じた。俺たちが本日初めて耳にする、ヴァルカスの声である。


「今のところ、咽喉にも鼻にも変調は見られません。若干、頭が重いように思いますが……それはおそらく、呼吸が不自由であったためでしょう」


「そりゃあ1日中、そんなもんをかぶってりゃあね」


 と、ロイは溜息をついている。

 そうしてヴァルカスの身なりを整えたタートゥマイも着席すると、アイ=ファはあらためて口を開いた。


「では、紹介させてもらおう。こちらはルウ家の見届け人としてこの場に参じた、ジーダとなる。マイムの家の家長となるので、そのように見覚えてもらいたい」


「ジーダ殿。……わたしは人の名と姿を見覚えるのが不得手でありますため、次にお会いするときに礼を失してしまう恐れもあるやもしれませんが……ともあれ、承知いたしました。わたしは《銀星堂》の主人、ヴァルカスと申します」


「わたしはヴァルカスの弟子たるタートゥマイと申します。本日は、お世話をおかけいたします」


 ヴァルカスとタートゥマイは、深々と頭を垂れた。

 しかしどちらもそれぞれ内心をうかがわせないタイプであるため、アイ=ファやジーダの目にどう映ったのかはわからない。俺としては、なかなかに落ち着かない心地であった。


「では、あとは晩餐を食しながら語らうこととしよう。せっかくの晩餐を冷ましてしまっては、申し訳が立たんのでな」


 アイ=ファもアイ=ファで凛々しい表情に内心を隠しつつ、そのように言いたてた。

 そうして森辺の民は食前の文言を唱え、晩餐が開始される。


「今日は、海鮮のカレーをハンバーグカレーに仕立ててみたよ。ヴァルカスたちも試食会でハンバーグカレーを口にしているから、違いを確認してもらおうと思ったんだ」


 俺がそのように声をかけても、アイ=ファは「そうか」と静かに応じるばかりであった。せっかくの大好物であるのに、アイ=ファの嬉しそうな様子を目にできないというのは物寂しいところだ。


 ともあれ、本日の主役は海鮮ハンバーグカレーであり、その他には先日の晩餐会でも供した明石焼きに、ジョラの油煮漬けを添えた生鮮サラダ、具沢山だがさっぱり風味のキミュスの骨ガラスープというものを準備していた。


「それで、これがヴァルカスたちの準備してくれた、ギバ肉の香味焼きだな。これはもともとダレイムの野菜を使わない料理だったから、問題なく準備できたそうだよ」


「ほう。城下町の料理人が作りあげたギバ料理というのは、興味深いところだな」


 そのように応じてくれたのは、アイ=ファではなくジーダであった。ジーダも城下町への護衛役に選ばれることはなくもなかったが、あちらの料理を口にする機会はそれほど多くなかったはずだ。


 それでジーダは、まず《銀星堂》の香味焼きから口にすることになったわけであるが――それをひと切れ口に入れるなり、黄色みがかった目をぱちくりとさせることになった。


「こ、これは不可思議な味わいだな。マイムやルド=ルウからも、城下町の料理がいかに風変わりであるかは、さんざん聞かされていたのだが……」


「どれどれ」と、俺も味見をさせていただいた。

 ヴァルカスの料理のとてつもなさを重々思い知らされている俺でも、驚きを禁じ得ない味わいだ。甘さと辛さと苦さと酸っぱさが混在しているのはもはやデフォルトで、そこに形容しがたい風味までもが荒々しく渦巻いていた。


「これは確かに、強烈な味わいですね。たしか、香草以外の調味料はいっさい使っていないというお話でしたよね?」


「はい。ですからダレイムの野菜を使えずとも、こうしてお出しできるのです」


 そのように答えてくれたのは、タートゥマイである。ヴァルカスは黙々と海鮮ハンバーグカレーを食しており、顔をあげようともしなかった。

 ルウ家の3名も真っ先にヴァルカスの料理から手をつけて、俺と同じ驚きを共有する。中でも、調理の見学をしていたレイナ=ルウは大きく打ちのめされた様子であった。


「あれらの香草の組み合わせで、このような味わいが完成されるのですね……でもきっと、余人がこの味を再現することは、きわめて困難なのでしょう」


「そーなの? でも、香草しか使ってないんでしょ?」


 リミ=ルウが素朴な疑問を呈すると、レイナ=ルウは激情を押し殺しているような面持ちで「うん」とうなずいた。


「でも、その香草をあらかじめ火で焙ったり、水に漬けたり、他の材料とあわせる前に煮込んでからほぐしたり……とても手がかかっているの。それに、火加減や火にかける時間や食材の分量をきちんと調整しないといけないんだけど……それは、香草の状態によって左右されるのだというお話でしたよね?」


 それに「はい」と応じたのも、やはりタートゥマイであった。


「香草はもともとの質や保存状態および保存期間などで味や香りが大きく変化しますので、事前に状態を確認してから調理の手順に微調整を施します。ヴァルカスの弟子としてもっとも長く付き従っているわたしでも、いまだその手際を習得することはかなっておりません」


「こればっかりは、誰も習得できないでしょうよ。まあ、ヴァルカスの料理の半分ぐらいは同様かもしれませんけどね」


 ロイは深刻ぶる様子もなく、そのように言いたてていた。ヴァルカスの弟子たちは、師匠の料理をそのまま再現しようという気持ちはそれほど持ち合わせていないようであるのだ。もしかしたら、それはヴァルカスぐらい鋭敏な味覚を有していないと不可能なことなのかもしれなかった。


「こちらの料理は、本当に不可思議な味わいですね。香草しか使っていないので、甘みは存在しないはずなのですが……もしかしたら、香草の作用によってギバの脂を甘いと感じているのでしょうか?」


 マイムがそのように発言すると、ようやくヴァルカスが顔を上げた。


「その通りです。ゆえに、脂の質が異なるカロンやギャマやキミュスや魚の肉において、こちらの料理は成立いたしません。これはギバ肉だからこそ成し遂げられた味わいであるのです」


「すごいですね。このような料理を思いつく時点で、ヴァルカスは余人と異なっているのだと思います」


「……マイム殿は、こちらの料理から何種の香草を知覚できたでしょうか?」


 ちょっと懐かしい、ヴァルカスからの謎かけである。

 マイムは可愛らしく小首を傾げつつ、「そうですね……」と考え込む。


「香草の名前はあまり把握していませんが、8種ていどは思い当たるような気がします」


「アスタ殿は、如何でしょうか?」


「うーん。俺は5種……シシの実も使われているなら、6種でしょうかね」


「6種ですか。アスタ殿なら、7種ぐらいは判別できるだろうかと考えていたのですが」


「チットとイラのどちらが使われているのか判別できなかったので、それは数に入れませんでした。……もしかしたら、両方使ってたりしますか?」


「はい。そこで確信を持たれていたなら、マイム殿と同じく8種を言い当てていたやもしれませんね。さすがは、アスタ殿です」


 なんの感情も感じられないぼんやりとした声で言い、ヴァルカスは食事を再開しようとする。それで俺は、慌てて声をあげることになった。


「それであの、実際は何種の香草が使われているのでしょうか?」


「11種です。以前は8種だったのですが、ミャンとミャンツとブケラを加えることで、より理想的な味に仕上げることがかないました」


 それだけ言って、ヴァルカスはすでに残りわずかなハンバーグカレーを食し始める。

 すると、お弟子たちではなくレイナ=ルウが補足してくれた。


「こちらの料理はダレイムの野菜を扱えなくなってから、ミャンなどの香草を加えることに成功できたのだそうです。だから、ゲルドの食材を使うべしと言いわたされた場でも、これまでは出す機会がなかったということですね」


「ああ、なるほど。ではこれも、店を休んで研究に注力した成果なのですね」


「左様です」と答えたのは、やはりタートゥマイだ。料理に夢中になると他者からの呼びかけに鈍くなるというのは、いかにもヴァルカスらしい奔放さであったが――今日ばかりは、アイ=ファの視線が痛かった。


(でも、俺があれこれ気をもんだってしかたないよな。料理を食べ終えるまではヴァルカスもずっとこんな調子だろうから、食後の語らいに期待をかけるしかないか)


 俺はそのように意を決し、他の面々に視線を巡らせることにした。


「ロイやボズルは、いかがですか? みなさんのおかげで、問題なく料理を仕上げることがかないました」


「ああ。自分が手伝ったとは思えないような味わいだな。ヴァルカスと違って、お前の料理は再現が難しくないってことか」


 するとレイナ=ルウが、「いえ」と口をはさんだ。


「もちろんヴァルカスとは比べるべくもないでしょうが、アスタの料理もそれほど再現が容易いとは思いません。きっとロイたちは優れたかまど番であるからこそ、過不足なく役目を果たすことができたのでしょう。見知らぬ料理の調理を手伝うというのは、それほど簡単な話ではないはずです」


「いや、ただの軽口なんだから、そんなムキにならないでくれよ。自分が簡単な手伝いしかしてないことぐらい、俺だってわきまえてるさ」


「そうですな。これはむしろ、指揮をとるアスタ殿の手腕を賞賛するべきであるのでしょう。礼賛の祝宴でも思い知らされたことですが、アスタ殿は50名もの助手に的確な役割を与えて、300名分もの宴料理を準備することのできる御方であるのです。長年にわたって森辺の方々に手ほどきをしてきたアスタ殿であるからこそ、それだけの手腕を体得することがかなったのでしょう」


 ボズルがそのように言葉を添えると、レイナ=ルウはたちまち喜色をあらわにした。それはいかにも誇らしげな面持ちであり――最近では、ユン=スドラやレイ=マトゥアあたりがよく見せる表情であるように思えた。


「そうですね。数多くのかまど番とともに料理を作りあげるという手腕において、アスタにかなう人間はなかなかいないと思います。わたしもそんなアスタを目標にして、ルウ家において取り仕切りの仕事を果たしているのです」


「レイナ=ルウ殿もあれだけの祝宴を取り仕切ることがかなうのですから、たいそうな手腕でありましょう。100名規模の祝宴を取り仕切れる料理人など、城下町でも稀なはずですからな」


 ボズルはロイたちに比べると森辺を訪れる機会は少なかったはずであるが、誰よりも順応しているように感じられる。それは南の民の大らかで物怖じしない気質と、ボズル本人の朗らかな気性と、そしてこれまでに積んできた人生経験の結果であるのだろう。

 いっぽうヴァルカスは周囲のやりとりも耳に入っていない様子で、黙然と食事を進めている。タートゥマイもそれは同様であったが、どちらかというヴァルカスの体調を慮っていて、他に気を向けるゆとりがない様子だ。


 そしてシリィ=ロウは、そんな両名とアイ=ファの様子を交互にちらちらとうかがっている。

 もしかしたら、アイ=ファがヴァルカスの行状を快く思っていないということを察しているのであろうか。その眼差しには、どこか不安げな陰りがあるように見受けられた。


「このはんばーぐかれー、美味しいね! シリィ=ロウは、どう思う?」


 と、やおらリミ=ルウがそのような声を投げかけた。

 シリィ=ロウはぎょっとした様子で、思わず皿を落としそうになってしまう。


「え、あ、こちらのかれーが、どうかしましたか?」


「しーふーどかれーはルウ家でも作ったりするけど、そこにはんばーぐが入ってるのは初めてなの! リミはすっごく美味しいと思うけど、シリィ=ロウはどうかなーと思って!」


 リミ=ルウはきっと、覇気のないシリィ=ロウを気づかっているのだろう。シリィ=ロウはわたわたと慌てつつ、なんとか適切な答えを探している風であった。


「え、ええと……もちろん、素晴らしい仕上がりだと思います。海鮮の食材と獣肉を調和させるのは容易い話ではないはずですが、そういった不備も見られませんし……こちらのふくじんづけという薬味にも驚かされました」


「ふくじんづけ、甘くて美味しいよねー! かれーがもっと美味しく感じるし!」


「は、はい。これだけさまざまな味わいをはらんだかれーという料理に、いまだ味を加える余地があるのかと、そんな驚きを抱くことになりました。こちらは最近になって考案された薬味なのですね? 試食会でもこちらの薬味を準備していれば、いっそうの票を集めることができたやもしれません」


「シリィ=ロウは、そんなに福神漬けがお気に召したのですね」


 俺も会話に加わると、シリィ=ロウがあたふたと振り返ってくる。


「わ、わたし個人の好みの話ではありません。こちらの薬味にはかれーに存在しない甘みと酸味が備わっているのですから、より深く味が重ねられることにより、城下町の民の気風に沿うだろうと判じたまでです」


「それはいささか、一辺倒な見解であるように思います」


 と――ふいにヴァルカスが口を開いた。


「こちらの薬味によって味がより深く重ねられるという見解に間違いはありませんが、それは果たして城下町の気風に沿う味わいでしょうか? わたしはむしろ、これだけ多彩な味わいを有しながら、簡素な料理を好む方々の気風に合致するのではないかと考えました。アスタ殿の料理はどれだけ細工を凝らしても、城下町の気風とは異なっているのです。それでも城下町の方々がアスタ殿の料理を高く評価するのは、これまでの気風には合致しないにも拘わらず、これほどの完成度であるからなのでしょう」


「そ、そうですか。申し訳ありません。自分の至らなさを恥ずかしく思います」


「あなたはまだお若いのですから、何も恥じる必要はありません。ただ正しい見識を持てるように、これからもお励みください」


 シリィ=ロウは、しゅんとうなだれてしまう。

 するとリミ=ルウは「むー」と可愛らしく口をとがらせながら、ヴァルカスに照準をあわせた。


「それじゃあヴァルカスは、今日の料理をどう思ったの? そろそろ感想を聞かせてほしいなー」


「感想は、すべての料理を食べ終えるまでお待ちください」


 ヴァルカスは、普段以上に素っ気ないように感じられた。これではアイ=ファならずとも、無遠慮とそしられそうなところだ。とりわけ、その素っ気なさでしょげることになったシリィ=ロウが気の毒でならなかった。


「……なんかさ、そういう区分ってもう古くせえんじゃねえのかな」


 と、いくぶん反感のこもった声で、ロイがそのように言いたてた。


「あの試食会ってやつのおかげで、城下町と宿場町と森辺の人間は、それぞれ自慢の料理を食べ合うことになったろ。それでおたがいの料理に感心しあって、おたがいの作法に興味を抱くことになったんだ。しかも、どんな作法で作られた料理でも美味いもんは美味いってことが証明されたんだから……今後は城下町がどうした宿場町がこうしたなんて区分けする意味がなくなっていくように思うよ」


「…………」


「聞いてます? 俺は師匠に意見してるつもりなんですけどね」


 ヴァルカスは木皿のスープを残らずすすってから、ロイに向きなおった。


「わたしは最初から、区分などにこだわっていません。シリィ=ロウが誤った見解を述べたてていたので、それを指摘しただけのことです」


「へえ。城下町の料理人の代表である師匠が、区分にこだわってないっていうんですか?」


「無論です。わたしは自分の理想とする味わいを追究しているに過ぎないのですから、それを食する側の出自など気にかけたことはありません。それに……森辺や宿場町や城下町など、いずれジェノスの領土ではないですか。あなたがたもそのように小さなことにはかまけず、いずれの王国の御方にでも美味と思っていただけるような料理を目指すべきであるかと思います」


 ロイは「むぎぎ」という擬音が似合いそうな面持ちで歯噛みした。

 するとボズルが「申し訳ありませんな」と、俺たちに笑いかけてくる。


「《銀星堂》では、いつもこのような有り様であるのです。罪のない親子喧嘩のようなものですので、どうぞお気になさらないでください」


「こんなお人の子供に生まれつかなくて幸いでしたよ。なんせ本人が、子供そのままなんですからね」


 ロイはぷんすかとしながら、海鮮カレーのハンバーグをかじった。

 まあ、ヴァルカスの言葉でシリィ=ロウがしょげたりロイがムキになったりというのは、きっといつものことなのであろうが――今日のヴァルカスは無理を言って森辺にまでひっついてきた身であるのだ。それでさんざん苦労させられたロイたちをこのようにやりこめるのは、あまりに傲慢ではないかと――生粋の森辺の民であれば、そのように感じてしまいそうなところであった。


 その証拠に、リミ=ルウはまだちょっと眉の角度が上がったままであるし、アイ=ファの眼差しはいよいよ鋭く冴えわたり、そしてレイナ=ルウはとても気の毒そうにロイたちの姿を見やっている。おそらく俺と似たような感受性を有しているだろうと思われるマイムとジーダは、何か場が荒れたりはしないかと心配している風であった。


(確かにこれは、ちょっと森辺の晩餐ではなかなかありえなかった雰囲気だよな。ヴァルカスがあまりにマイペースだから、こんな雰囲気になっちゃうってことなのかなぁ)


 俺がそんな風に考えたとき、ヴァルカスがやおら「さて」と声をあげた。


「すべての料理を食べ終えましたので、わたしの抱いた感想をお伝えしたく思います。……まずこちらの海鮮の食材をもちいたはんばーぐかれーですが、これは見事な仕上がりでありました。アスタ殿が試食会にて出されたはんばーぐかれーとは、もはや別物の料理と称するべきでしょう。海鮮の食材とギバ肉をこうまで調和させられるというのがまずお見事でありますし、香草の分量の微調整に関しても不備は見られません。また、ダレイムの食材を扱わなくとも具材に不満が出ないというのも、素晴らしい手際です。アスタ殿はかれーという料理の可能性をどれだけ引き出せるのかと、そんな感慨を抱くことになりました」


「あ、あの、ヴァルカス?」


「ただ、一点……普段はアリアを混ぜ入れているはんばーぐにティンファをもちいていることが、わずかな疑問として残されました。細かく切り分けられたティンファは食感もなめらかで適度な噛みごたえが心地好く、なおかつギバ肉の味をより高める効能を有しているかに思いますが……それでも一歩、アリアに及んでいないように思うのです。ティンファはティンファで美味であると言ってしまえばそれまでですが、わたしはどうしてもアリアの噛みごたえと風味を想起せずにはいられませんでした。不満というほどの不満ではないのですが、それでもはんばーぐにもっとも調和するのはアリアなのではないかと……そんな思いをぬぐいさることができません。ですからこれは、きわめて高度な段階におけるささやかな問題提起として心にお留めいただけたらと思います」


「ヴァルカス、アスタが面食らってますよ。いくらなんでも、唐突すぎないですかね」


 ロイがぶすっとした顔で口をはさんだが、ヴァルカスはかまわずに言葉を重ねた。


「次に、こちらのあかしやきなる副菜についてです。ロイが玉焼き器なる調理器具を購入して同系列の料理を試作しておりましたが、こちらはまったく別物の料理でありました。これはもう、アスタ殿の乾物を扱う手腕が如何なく発揮されているかと思われます。具材はヌニョンパのみであるにも拘わらず、こちらは素晴らしい調和を果たしております。また、何日か前にはボズルがアスタ殿の屋台から商売用の玉焼きという料理を購入しておりましたが……あちらはあちらで、見事な仕上がりでありました。これだけ似て異なる料理を作りあげることがかなうのでしたら、新たな調理器具を開発する甲斐もあったことでしょう。あくまで前菜や副菜の範疇でありますが、主菜を引き立てる料理としては何の不足もないかと思われます」


 そんな調子で、ヴァルカスは生鮮サラダと骨ガラスープと、ついでに勉強会で試食した数々の料理に関しても同じぐらいの長広舌を披露してくれた。


「よって、今宵の晩餐に不備があるとしたら……それは、アスタ殿の料理とわたしの料理がまったく調和していないという一点のみでありましょう。これはおたがいの献立を確認しないまま準備したものなのですから、調和を得られないのが当然なのですが……これだけ見事な料理の中で、わたしの料理が浮いた存在となり、おたがいの魅力を削り合う格好になってしまったことを残念に思います。皆様にもご不快な思いをさせてしまったことを、心よりお詫びいたします」


 そうして深々と頭を下げて、ヴァルカスの独り舞台は終了したようであった。

 が――仏頂面のロイが何か言いかけると、ヴァルカスはそれを手で制してさらに新たな言葉を発した。


「では、料理の感想はここまでということで……アスタ殿、息災なようで何よりでありました。森辺や宿場町が飛蝗の被害にあったと聞き及んで以来、ずっと心を痛めていたのです。森辺の方々に人的被害はなかったと聞いていたのですが、ダレイムでは家屋を失った方々が多数おられたという話でしたし……木造りの家屋に住まわれているというアスタ殿が本当に健やかに過ごしておられるのか、この目で確認するまではなかなか安心できなかったのです」


「待たれよ」と、アイ=ファがこらえかねたように声をあげた。


「それは、顔をあわせてすぐに交わすべき挨拶であろう。あなたはもう何刻もアスタとともに過ごしていたのではないのか?」


「ですがわたしは砂塵を防ぐための器具を装着しておりましたため、頭がうまく働かなかったのです。そのような状態では見当外れの言葉を吐いてしまいかねなかったので、この晩餐の刻限をお待ちしていました」


 寝起きのようにぼんやりとした顔で、ヴァルカスはそのように言いつのった。


「ともあれ……アスタ殿がご無事であったことを、心より喜ばしく思っております。そして本日は突然の申し出を聞き入れていただき、本当にありがとうございました。わたしはダレイムの野菜が扱えなくなってからのひと月ばかり、泥沼でもがいているような心地から脱することがかなわず……今日になって、不満の思いが噴出してしまった次第です。このように子供じみた行いに文句をつけることなく受け入れていただけたこと、心より感謝しています」


 そうしてヴァルカスは、身体ごとアイ=ファに向きなおった。


「そして、家長のアイ=ファ殿。……城下町においてロイやシリィ=ロウたちは、さんざん森辺の習わしというものについて語ってくれました。当日になっていきなり来訪を願うのはあまりに礼を失していると、ロイたちはずっとわたしをたしなめていたのです。それを振り切って森辺に押しかけたのは、あくまでわたしの勝手なふるまいですので……どうか他の者たちにはお怒りの気持ちを向けず、わたしひとりに責任を負わせていただきたく存じます」


「……それだけシリィ=ロウらが心を砕いてくれたというのに、あなたは自分を抑えることがかなわなかったのだな」


「はい。アスタ殿の料理を食せば、この煮えたった泥のような気持ちも少しは浄化されるのではないかと……そんな思いから脱することがかないませんでした。本当に、心より申し訳なく思っています」


 さらにヴァルカスは、右手側に並んで座していたロイとシリィ=ロウに向きなおる。


「シリィ=ロウ、ロイ。あなたがたの説得を無下にしてしまい、申し訳ありませんでした。あなたがたはわたしと森辺の方々の関係性を慮って、あれだけ心を砕いてくれたのでしょうが……わたしはどうしても、気持ちを抑えることができませんでした。わたしがこれだけ苦しんでいるのに、あなたがただけが森辺でアスタ殿の料理を味わえるのかと考えると……身を裂かれるような思いであったのです。それでも決してあなたがたの言葉を軽んじていたわけではありませんので、それだけはどうぞご理解ください」


「い、いえ、わたしは……」と、シリィ=ロウは赤くなったり青くなったりしてしまっている。

 そちらにひとつうなずきかけてから、ヴァルカスは逆側に向きなおった。そちらに並んでいるのは、タートゥマイとボズルだ。


「タートゥマイとボズルにも、ご迷惑をおかけしました。まだお若いシリィ=ロウたちとわたしの間を取り持たなければならないあなたがたは、さぞかし大きな苦労を背負っておられることでしょう。また、このように急な話であったにも拘わらず、このように見事な器具を準備してくださったこと、心より感謝しています。あなたがたのおかげで、わたしの鼻と咽喉を守られました。このような森の中でわたしが倒れずに済んだのは、ひとえにあなたがたのおかげです」


「それでしたら、朝から細工屋に頼み込んだ甲斐もありましたな」


 ボズルは大らかに笑い、タートゥマイは無言で一礼した。

 そしてヴァルカスは、正面のレイナ=ルウたちに向きなおる。


「本日は勉強会に招いていただいたにも拘わらず、実のある話をできずに申し訳ありませんでした。こちらの器具を装着していると、ずっと水の中を漂っているような心地であり、わたしはまったく頭が回らなかったのです。……ただし、わたしの舌はしっかりとあなたがたの料理の味を知覚しておりました。料理の修練を初めてから2年ていどであるというあなたがたには、歳月の重みというものがまったく違っているのでしょう。試食会からふた月ていどしか経過していないにも拘わらず、あなたがたは着実に成長しているのだなと実感することがかないました。それでも今日はアスタ殿の助手という立場でありましたので、次回にはあなたがたの料理や菓子を存分に味わわさせていただきたく思います」


 レイナ=ルウは晴れがましい笑顔で、「光栄です」とだけ答えた。

 リミ=ルウは眉の角度を平常に戻してにこりと笑い、マイムも戸惑い気味に微笑みを返す。

 それらの姿を見届けてから、ヴァルカスはふっとファの家の広間を見回した。


「アスタ殿は、こういった場所で暮らしていたのですね。今日はこれだけの客人が詰めかけているのですから、まったく様相も違っているのでしょうが……それでもどこか、人の温もりのようなものを感じます。きっとこういった環境が、アスタ殿の料理を形づくっているのでしょう」


 それは何だか、ヴァルカスらしからぬ言いようであるように思えた。

 するとヴァルカスは、俺の気持ちを察したかのように言葉を重ねてくる。


「わたしは若い頃に家を捨て、自分のためだけに料理の修練を始めました。言わばわたしは、自分を納得させたいがために、至高の料理を目指しているのです。ですがおそらくアスタ殿は、他者のために美味なる料理を作りあげているのではないかと……かねがね、そんな風に思っておりました」


「はい。だけどヴァルカスだって、ご自分の料理を美味しいと言ってもらえたら嬉しいでしょう? そこに変わりはないのではないでしょうか?」


「嬉しい……という感情とは、また異なっているように思います。わたしは自分で満足できた料理に他者も満足できるのかどうか、それを確かめているだけなのかもしれません。それでもしも他者が満足できなくとも、わたしが自分の舌を疑うことはないでしょうから……やはりわたしは、自分のためだけに料理を作りあげているような心地であるのです」


 そうしてヴァルカスは、いきなり口もとに微笑をたたえた。


「ただ……母に料理の出来栄えを褒められたときは嬉しく思いますし、亡くなった父に自分の料理を食べていただけないことを口惜しく思うこともあります。それはわたしという料理人にとって、決して大きな要素ではないのですが……そうだからこそ、アスタ殿にはそういった事象が大きな要素なのではないかと、そんな見当をつけることがかなったのです」


「そうですか……ヴァルカスは、父君を亡くされていたのですね」


「はい。アスタ殿も、現在の家族はアイ=ファ殿のみであるのでしょう? どうか、ご家族を大切に。それがきっと、あなたの原動力なのでしょうから」


 ヴァルカスはヴァルカスらしからぬ言葉とともに、その微笑みを幻のように消し去った。

 そしてぴたりと膝をそろえたまま、まぶたを閉ざしてしまう。


「それでは、失礼いたします」


「え? 失礼って……ヴァ、ヴァルカス、どうなさったのですか?」


「体力の限界です。しかし、語るべきことは語り終えることがかないました」


 ヴァルカスの首が、かくんと前側に折れ曲がった。

 シリィ=ロウは慌てふためき、リミ=ルウはきょとんと目を丸くする。


「ヴァルカス、寝ちゃうのー? まだリミとニコラの菓子が残ってるんだけど!」


「明朝……城下町にて、いただきます……」


 そんな言葉を最後に、すうすうという安らかな寝息が聞こえ始めた。

 タートゥマイは、背中の側に保管していた覆面と防塵マスクを取り上げる。


「森辺を出るまでは、こちらを装着していただくべきでしょう。ボズル、手伝っていただけますか?」


「ええ。まったく、世話の焼けるご主人ですな」


 ボズルとタートゥマイがふたりがかりで、眠れる主人に覆面をかぶせていく。もちろんヴァルカスの弟子ならぬ面々は、呆れかえった面持ちでそのさまを見守ることになった。

 そうしてヴァルカスとの語らいは、唐突に始まって唐突に終了することに相成ったわけである。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 彼もまた「壊れた天才」なのでしょう。 でも、それが既に「ヴァルカスらしさ」と言う魅力に昇華されてるのが面白い。 [一言] こんなにあけすけなヴァルカスの身の上話、城下町の料理人達だって聞い…
[良い点] ヴァルカスって一言で言ってしまうと料理アンドロイドですねwwww 古今東西こんなキャラ見たことないです。 人間性はちゃんとあるんでしょうけど、わかりづらすぎるw
[良い点] ヴァルカスの電池が切れたw 料理以外の事に感情を動かして言葉にするのは物凄い体力を使うんでしょうね。 常日頃、意識のどこかでこんな事は思っていたんでしょうけど、表に出す時がやって来たって事…
感想一覧
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