城下町の晩餐会③~料理と語らい~
2022.1/20 更新分 1/1
「前菜の料理をお持ちいたしました」
と、侍女たちが小さな皿を各人の前に配膳していく。本日は、最初に味見用の料理を小分けで供して、ひとつずつ順番に解説していただきたいというご依頼であったのだ。
それについては事前に説明があったらしく、他の貴族の面々も意外そうな顔はしていない。ポルアースやメリムはひたすら期待に瞳を輝かせてくれていた。
「ふむふむ。これは例の、玉焼き器というものでこしらえた料理のようだね。すでに聞いていると思うけれど、僕たちの家でもその器具を買いつけさせていただいたのだよ」
「はい。ディアルからもヤン本人からもうかがいました。本日は、俺の故郷で出されていた料理になるべく近い形で仕上げてみました」
ただし、もっともオーソドックスなタコ焼きではなく、これは明石焼きをイメージして作りあげた料理であった。基本的なタコ焼きの作り方はディアルに手本用として伝授していたし、現在は食材不足でウスターソースを準備できない状況にあるので、それならばと考案したひと品である。
本来の明石焼きには浮粉や沈粉と呼ばれる小麦でんぷんが使われていたように思うが、それらの代用品が見当たらなくとも、俺の理想から大きく掛け離れることはなかった。
「こちらは具材にヌニョンパを使っていますため、フェルメスでもお食べになられます。それに、ギバ肉を使っていないので屋台に出すこともなく、どなたにとっても初めての料理になるはずですね」
「玉焼きというのは、ころころとしていてとても可愛らしい見た目ですわね。それに、こちらの料理は……ヤンの作るものよりも色合いがやわらかくて、少しくったりしているようですので、いっそう可愛らしく思います」
ご本人も少女のように可愛らしいメリムが、そんな風に言ってくれていた。なおかつその言葉は、タコ焼きと明石焼きの違いを鋭く言い当てている。
「色合いがやわらかいのは、焦げ目がついていないせいですね。こちらはやわらかい食感が持ち味であるため、弱火で焼きすぎないように気をつけています。それで、やわらかく仕上げているために、見た目もくったりするわけですね」
「なおかつ、生地に卵も使っているために手早く熱が通って、やわらかくとも形が崩れることはない、というお話でしたわね。城下町で口にする玉焼きとどのような違いが生まれるのか、とても楽しみにしていました!」
と、誰よりも瞳を輝かせていたデルシェア姫が、元気な声でそのように言いたてた。
「それでは、さっそくいただきましょう! こちらの汁にひたして食べればよいのですね?」
「はい。もう火傷をするほど熱くはないはずですので、できればひと口でお召し上がりください」
人々は匙で玉焼きをすくいあげて、それを別の皿の出汁にひたしてから、口に運ぶ。その間に、俺も料理の出来栄えを確認しておくことにした。
箸は持参していないので、俺も匙を使うしかない。やわらかい生地を潰してしまわないように気をつけながらすくいあげて、それを出汁にひたしてから口にすると、思い描いていた通りの味わいが口内に広がった。
弱火で焼いた玉焼きの生地は、歯が必要ないぐらいやわらかい。なおかつ、そちらの生地にも燻製魚と海草の出汁を加えているため、後付けの出汁と二重でふくよかな味わいを生み出してくれていた。
ちなみに燻製魚は王都ではなくバルド産の、アゴに似たものを使っている。こちらは王都の燻製魚よりも繊細な味わいであるため、明石焼きにはいっそう適しているように思われた。
水で戻してから茹であげたヌニョンパは、とても食感がもちもちとしている。こちらにはスルメイカにも似た風味が備わっているが、明石焼きの味わいを邪魔するほどではなかった。
タウ油で薄く味をつけた後付けの出汁は、きわめてさっぱりとした味わいだ。長ネギに似たユラル・パの小口切りが、ほのかなアクセントとなっている。それ以外には何の細工もない、きわめてシンプルな味わいであるはずであった。
「これは……見た目通りの、とても優しい味わいですわね。このやわらかい食感などは、まるで菓子のようです」
メリムはうっとりとしながら、そのように言ってくれた。
その隣では、ポルアースが満足そうに笑っている。
「確かにこれは、ほっとするような味わいだね。アスタ殿の料理はたとえ強い味付けでも、どこかほっとするような味わいだけれども……これは優しい味わいであるものだから、余計に気持ちが解きほぐされてしまうねえ」
「ええ、本当に! でも、これだけ細工の少ない料理を凡庸なる料理人が手掛けたら、きっと凡庸な味わいになってしまうのでしょう! 食材の分量や火加減に隙がないからこそ、このように素晴らしい味わいになるのだろうと思いますわ!」
と、デルシェア姫が烈火の勢いでポルアースたちの和やかな空気を粉砕した。
「こちらの料理は、とても美味です! わたくしも城下町にてさまざまな玉焼きを食しましたが、やっぱりアスタ様の料理が頭ひとつ飛びぬけているようですわ!」
「それは俺が、器具の扱いにもっとも手馴れているからでしょうね。……デルシェア姫は、そんなにさまざまな玉焼きを口にされたのですか?」
「はい! 玉焼き器を購入した方々のもとには、のきなみ巡らせていただきましたので! まだ料理を完成されていないというティマロ様とロイ様を除く8名の方々の料理は、すでに食べさせていただきました!」
そう、例の玉焼き器はヤンばかりでなく、ティマロやロイや、それにダイアも買いつけたという話であったのだ。それらの人々がどのような料理を作りあげるのか、俺もひそかに楽しみにしていたのだった。
「そういえば、玉焼きというのはアスタが新たにつけた名前であるようだと、ヤンからうかがっているのですけれど。アスタの故郷において、こちらの料理は何と呼ばれているのですか? 」
と、デルシェア姫の勢いに感化された様子もなく、メリムがほんわかとした口調で問うてくる。
「自分の故郷ではヌニョンパに似た食材がタコという名前であったため、そのままタコ焼きという名前でしたね。それで本日お出しした料理はまたちょっと種類が異なっていて、明石焼きと呼ばれていました。明石というのは、地名なのだと思います」
「たこやきに、あかしやきですか。……やはり、とても異国めいたお名前ですね」
そうだろうかと俺が内心で小首を傾げていると、それを見透かしたかのようにフェルメスも発言した。
「我々は、シムやマヒュドラの食材や地名や人名なども、異国的に感じますからね。この大陸の生まれでないというアスタの故郷の料理名であれば、なおさらでしょう。アスタにとっては、たこよりもヌニョンパのほうが異国的に聞こえるのではないでしょうか?」
「ああ、ヌニョンパというのは、とりわけ面白い名前だなあと思っていました。でもこれは王都の食材ですから、セルヴァ生まれの方々には異国的に聞こえることもないということですか」
「はい。我々にとっては、ギギやココリやアマンサのほうが、とても異国的に感じられます」
「でも、アスタ自身のお名前はあまり異国的に感じませんわね。少しジャガル風かしらとは思いますけれど」
メリムがそのように言いたてると、フェルメスは悪戯な妖精のように微笑んだ。
「それはおそらく、たまたまこちらの土地でも奇異に聞こえない名前であったのでしょう。アルヴァッハやナナクエムというのはとても異国的に聞こえますが、アリシュナやプラティカというのはそれほどでもないのと同じようなものです。……『聖アレシュの苦難』のアレシュなども、それほど異国的には聞こえませんが、シムの聖人たるユーハオなどはシムにおいてもセルヴァにおいても――」
「フェルメスよ」と、アイ=ファが少し硬い声をあげた。
「私たちは、心を偽らずに絆を深めるべきと定めている。その約定に従って、率直に言わせていただくが……今のあなたには、いささかならず落ち着かないものを感じる」
フェルメスは、ちょっと彼らしくない感じできょとんとアイ=ファのほうを見て、それから「ああ」と気恥ずかしそうに微笑んだ。
「仰る通りです。このように偏った学問的な話題は、晩餐会に不相応でありましょう。デルシェア姫にも、深くお詫びを申しあげます」
「いえいえ、とんでもない! ……でも確かに、フェルメス様は普段と異なるご様子でしたわ。もしかしたら、まだ体調がすぐれないのでしょうか?」
「熱はとっくに引いているのですが、ひさびさにアスタたちとお会いできた喜びで、少なからず浮かれているのかもしれません。本当に、申し訳ない限りです」
そのように語るフェルメスは、想い人を言い当てられた娘さんのように気恥ずかしそうにしている。その様子から鑑みるに、俺に対する知的好奇心を意図せず披露してしまったことを、本気で恥ずかしがっている様子であった。
「アイ=ファとアスタにも、お詫びを申し上げます。……これに懲りずに、僕との友誼を保持してくださいますか?
「いや、こちらのぶしつけな申し出を聞き入れていただき、ありがたく思っている。……ただ、そのように熱っぽい眼差しを向けられるのは、別の意味で落ち着かないのだが……」
「これはアイ=ファたちに対する親愛の表れですので、どうかご容赦ください」
と、フェルメスは華奢な身体をもじもじさせる。ただでさえ貴婦人のように美しく、本日などは瀟洒な準礼装であるため、そうするとますます可憐な乙女のように見えてしまうフェルメスであった。
「それでは、味見の続きと参りましょう! 次の料理をお願いいたします!」
仕切りなおしとばかりにデルシェア姫が元気な声を張り上げると、それを待ちかまえていた侍女たちが楚々とした足取りで近づいてきた。
明石焼きの食器が下げられて、新たな食器が配膳される。その芳香に、ポルアースが「ふむふむ!」と瞳を輝かせた。
「お次は、かれーだね! 優しい味わいであった前菜の後に、これは刺激的だ!」
「はい。最近はダレイムの野菜が使えない関係でカレーの研究をすることが多かったので、その成果をお披露目したく思いました」
カレーは、2種を準備している。フェルメスのためのシーフードカレーと、ギバ肉を使った和風出汁のカレーだ。
あくまで味見であるために、カレーもシャスカもごく少量である。そしてそこに2枚ずつの小皿が加えられて、貴き人々の好奇心を刺激することになった。
「何か見慣れぬものが準備されているね! こっちの小皿は……ああ、ペレか」
「はい。生鮮のペレをただ切り分けただけのものです。お好みで、カレーの上にお掛けください」
ペレというのはゲルド産の、キュウリに似た野菜である。和風出汁のカレーに調和する野菜を求めて、俺はついにペレをも使うようになったのだった。
なおかつ後掛けで生鮮のペレを準備しただけではなく、2種のカレーにはどちらにも具材としてペレが使われている。カレーにキュウリというのは俺の流儀になかったので、ずいぶん後回しにされた具材であるのだが――驚くことに、煮込んだペレも生鮮のペレも、カレーにはずいぶん調和したのである。
(やっぱり既成概念ってのは、大きな壁だよな)
煮込んだペレはとろとろにやわらかくなって、カレーの具材としてもまったく申し分なかった。生鮮のペレはシャキシャキとした食感と瑞々しさが、意外なほどカレーと調和するのだ。それはダレイムの野菜が扱えるようになっても継続して使いたくなるほどの美味しさであったのだった。
「うわあ、美味しい! ……です! 屋台のかれーはつい最近にも買わせていただきましたけれど、そちらにペレは使っていなかったですよね?」
「はい。ちょっと食材費の兼ね合いもあって、屋台ではまだ使っていません。いずれは別の具材を削ってでも、ペレを加えたいところですね」
「素晴らしいです! ……それで、こっちの付け合わせは――」
「そちらは、俺の故郷で福神漬けと呼ばれていたものを模したものです。後掛けの薬味としてお使いください」
俺には漬物の知識が足りていないため、あくまで福神漬けと似た味わいを目指した薬味である。具体的には、ダイコンに似たシィマを各種の調味料で煮込み、最後に金ゴマに似たホボイをまぶしたものであった。
調味料は、タウ油に砂糖にジャガルの蒸留酒、赤ママリアの酢にケルの根と、さまざまなものを使っている。それらを海草の出汁でもって、細かく切り分けたシィマとともに煮込むのだ。煮込みすぎるとただの煮物になってしまうため、シィマの心地好い食感を残せるように手早く引き上げて、そののちに煮詰めた汁に漬けておいて味をしみこませるように取り計らった次第だ。
「ふむふむ! このように甘酸っぱい味わいが、かれーと調和するのだね!」
ポルアースが、デルシェア姫に負けないぐらい元気な声でそのように言いたてた。
「もともとかれーというのは辛くて香ばしいのに、甘さと酸っぱさまで調和したら、まるで城下町の料理だね! それでもやっぱりアスタ殿の料理というのは独自の美味しさで、城下町の料理とは似ても似つかないけれど!」
アイ=ファと逆側の隣から、くすりと笑う声が聞こえた。
それで何人かの視線を招いてしまったため、ユン=スドラはお顔を真っ赤にしてしまう。
「も、申し訳ありません。ポルアースのお喜びようが、あまりに微笑ましかったので……貴き身分にあるポルアースに、失礼いたしました」
「何も謝る必要などはありませんわ。ポルアースがこんなに元気なお姿を見せてくれるのはひさしぶりのことですので、わたくしも嬉しく思っています」
メリムが優しい笑顔で応じると、ポルアースは「あはは」と頭をかいた。
「いや、最近はなかなか自分の屋敷で晩餐を口にすることもできず、ヤンやニコラやプラティカ殿の料理を味わうこともままならなかったのだよ。それでひさびさにアスタ殿の料理を口にしたものだから、ついつい我を失ってしまったようだね」
「それは致し方のないことですわ! だって、これほどに美味なる料理なのですもの!」
デルシェア姫も元気いっぱいの声をあげて、ますますその場の空気が温められていく。シーフードのカレーを口にしたフェルメスも、満足そうに吐息をついていた。
「確かにアスタの料理というのは、心を躍らせる効能と安心させる効能が両方備わっているように思います。ダイアも、それに近いものを持っているように思いますが……やはり、アスタの手腕は際立っていますね」
「ありがとうございます。みなさんにご満足いただけたら、俺も嬉しく思います」
隣の卓も、こちらに負けないぐらい賑やかな様相である。自分の料理に人々が喜んでくれるという、俺にとってもっとも基本的な喜びのひとときであった。
「アスタ様は食材が不足している今だからこそ、調味料や薬味に細工を凝らして料理に彩りを与えるべきではないかと考え、このふくじんづけという薬味に着手したそうですよ! それは本当に、素晴らしいお考えであると思います!」
と、デルシェア姫は日中の厨で仕込んだ情報をもお披露目してくれた。
「それに、こちらのシャスカはほんの少しだけレテンの油を加えて炊き込んでいるのだそうです! それは、配膳をする方々のことを思っての細工ということでしたわね?」
「あ、はい。普通のシャスカは粘り気が強いため、上手に取り分けるには多少の慣れが必要になってしまうのですね。かといって、事前に取り分けて保温という形にすると、シャスカの粒が水気を失って食感が悪くなってしまいます。それで、レテンの油と一緒に炊き込めば、シャスカの粒が油に覆われて水気を失うこともなくなるかなと考えた次第です」
たしか俺の故郷においても、サフランライスにバターやオリーブオイルを加えて炊き込むという作法があったように記憶している。そうすると、油で炒めるチャーハンほどではないにせよ、パラパラとほぐしやすい質感になるのだ。今回は事前に盛りつけて保温する必要があったため、場当たり的にその調理法を採用した次第であった。
「なるほど! 僕たちの気づかない部分でも、そういった細工が施されているわけだね!」
「はい! わたくしだけの胸に収めておくのは忍びなかったので、アスタ様にあらためて解説していただきました!」
向かいの席から、デルシェア姫が無邪気な笑顔を届けてくる。髪をほどいて綺麗な装束に着替えても、彼女のあどけなさや力強さが減ずることはないのだ。俺も邪心なく、そちらに笑顔を返すことができた。
そしてカレーの次には、2種の料理が届けられてくる。マルフィラ=ナハムの考案した香味焼きと、舌を休ませるための生鮮サラダだ。
「今日の料理長は俺ですが、デルシェア姫のお許しをいただいてマルフィラ=ナハムにもひと品準備していただきました。解説は、マルフィラ=ナハムにお願いします」
「か、か、解説と申しましても、ただギバ肉を香草や調味料と一緒に焼きあげただけの料理ですので……」
と、マルフィラ=ナハムは恐縮しきった様子で小さくなってしまう。以前に比べれば頼もしくなったものの、まだまだ貴き人々には気後れが出てしまうようだ。
「なるほど。こちらも辛そうな料理なので、まずは野菜料理で舌を休ませてもらおうかな」
うきうきとした声で言いながら、ポルアースは生鮮サラダを口に運んだ。
「うん、いいね! ジョラの油煮漬けには、やっぱりマ・ティノが合うようだ!」
そちらはツナフレークのごときジョラの油煮漬けをワサビのごときボナとマヨネーズで和えて、生鮮の野菜にトッピングしたサラダであった。野菜はレタスのごときマ・ティノ、キュウリのごときペレ、ダイコンのごときシィマを使い、ドレッシングは干しキキとミャンの梅しそ風となる。
「自分は生鮮の野菜料理を手掛ける際、ティノやアリアやネェノンといったダレイムの野菜を基調にしていました。それでも余所の地の野菜をふんだんに使えるため、なんとかやりくりできています」
「いやあ、さっきのかれーといいこの野菜料理といい、まったく申し分ない味わいだよ! デルシェア姫の仰る通り、この苦境をもっとも速やかに乗り越えられたのは、やっぱりアスタ殿なのじゃないかな!」
「ええ、本当に。ヤンやニコラも頑張ってくれていますけれど、やっぱりダレイムの野菜を扱えないというのは、本当に大変なことなのだと思います」
メリムはそんな風に言いながら、侍女として控えるニコラに優しく微笑みかけた。ニコラはぶすっとした顔で、それでも申し訳なさそうに一礼する。
「……それではやはり、ダレイム伯爵家においてもダレイムの野菜は扱っていないのだな」
と、アイ=ファがひさびさに発言した。
ポルアースは、きょとんとした顔でそちらを振り返る。
「うん。ジェノスの貴族とそれにまつわる料理人は、ダレイムの野菜を買い控えるように心がけているよ。そういった話は、森辺にも伝わっているんじゃなかったかな?」
「うむ、確かにそのように聞いていた。しかし、ダレイムの領主までもが自らの領地の恵みを買い控えるというのは、本当に立派なことであるように思う」
「それはダレイムの上に立つジェノス侯までもがそのように取り計らっているのだから、僕たちだけがいい目を見るわけにはいかないさ。領主の立場としても、領民を粗末に扱ったら、それはいずれ自分に返ってくるものなのだからね」
そう言って、ポルアースはにっこりと微笑んだ。
「僕たちはダレイムを管理する立場だからこそ、その土地の恵みを正しく運用しなければならないのだよ。領民を飢えさせたりしたら、けっきょく国家が衰退してしまうわけだからね」
「うむ。そうして衰退したのが、かつてのトゥランということか」
「ああ、サイクレウスの不始末は、僕たちにとって大いなる反面教師となっただろうね。領主が私欲に走るとどうなるかっていう、あれがいい見本さ」
「それなら」と、デルシェア姫も会話に加わった。
「ジェノスの貴き方々が清廉であられるのは、そういった苦境を乗り越えたゆえなのかもしれませんわね。わたくしも父様も、ジェノスの貴き方々の清廉さには心から感服していたのです」
「ジャガルの王族たるデルシェア姫にそのように言っていただけたら、光栄の至りであります」
ポルアースとデルシェア姫は、朗らかな笑みを交わし合った。
その末に、デルシェア姫が「さて!」と大きな声をあげる。
「それでは、マルフィラ=ナハム様の料理をいただきましょう! いったいどのような味わいであるのか、わたくしはずっと心待ちにしていたのです!」
「そうですな! 是非、いただきましょう!」
そうしてマルフィラ=ナハムの料理を口にした両名は、期待通りの喜びを授かることができたようだった。
「これこそまるで、城下町の料理のようだね! いやあ、これを試食会で出していたら、もっと票を集めていたかもしれないよ!」
「本当ですわね! 甘くて辛くて苦くて酸っぱくて……でも、アスタ様の料理に通ずる温もりのようなものを感じます! これこそアスタ様とヴァルカス様の作法の正しき融合でありましょう!」
そんな風に述べてから、デルシェア姫はくりんとマルフィラ=ナハムに向きなおった。
「でもマルフィラ=ナハム様にとっては、この味わいさえもがまだ未完成だと仰るのですね?」
「は、は、はい。ほ、本当は、アリアとミャームーとラマムも使いたかったのですが、それはダレイムの畑が復興するのを待たなくてはなりませんので……」
「アリアは間もなく、余所の地から買いつけることになるそうですね! それにミャームーとラマムでしたら、今でも余所の地から多少は買いつけているのではないでしょうか?」
「そ、そ、そのようですね。で、でも、割高な食材は使わないようにと、家長に言いつけられていますので……そ、それに、余所から買いつける野菜は上質であったり新鮮でなかったりという理由から、ダレイムの野菜と味わいが異なっているという話ですので……わ、わたしのように未熟なかまど番では、使いこなせないかもしれません」
「それは未熟ではなく、よほど精緻に味が組み立てられているということなのでしょう! ヴァルカス様も、余所から買いつけるタラパやペペやミャームーでは、また根本から味を作りなおさなければならないと仰っていましたもの!」
そう言って、デルシェア姫はもどかしげに小さな身体をよじらせた。
「それではやっぱり、こちらの料理の完成品を味わうには、ダレイムの畑の復興を待たなくてはならないということですね! そちらを味わわさせていただかない限り、わたくしは故郷に戻ろうという心持ちになれませんわ!」
「あ、い、いえ、そ、そのようにご期待をかけられると、わたしは困ってしまうのですが……」
と、ますます小さくなってしまうマルフィラ=ナハムである。放っておいたら、小柄なユン=スドラよりも小さくなってしまいそうなところであった。
「でも、もともとアリアは日持ちのする野菜だし、今回買いつけるのも上質ってわけじゃないそうだから、それほど変わりはないんじゃないかな」
マルフィラ=ナハムを救うべく、俺はそのように声をあげることにした。
「あとは、ミャームーとラマムだっけ? ……余所の地から買いつけられるミャームーやラマムというのは、そんなに質が違っているのですか?」
「うん。ダレイムで安く買えるものを、わざわざ余所の地から買いつけていたわけだからね。ミャームーは独特の風味を持っているし、ラマムはものすごく甘みが強いよ。ただ、値段はダレイムのものより倍以上するから、城下町でも買いつけていた人間はごくわずかだね」
「なるほど。風味が異なるとなると、ミャームーは使い勝手が違ってきそうですね」
すると、メリムが「あの」と控えめに発言した。
「アリアはともかくとして、ラマムやミャームーをそうまで買い控える必要はないのではないでしょうか? 貧しき方々が切実に欲しているのは、アリアとポイタンぐらいなのでしょうから……」
「うむ。私もそのように考えていた」
と、アイ=ファも粛然と声をあげる。こんなに美麗な姿であるのに凛々しい態度であるものだから、家長会議を思い出させる風情であった。
「アスタから町の様相を聞き及んだとき、私はいぶかしく思ったのだ。ダレイムで作られたチャッチよりも余所から買いつけるユラル・パのほうが安いのに、どうして我々はチャッチを買うことができないのだろう、とな。それはつまり、チャッチを買えるほどの財を持つ人間であれば、余所の地の食材も好きに買えるということであろう?」
「うん。余所から買いつける食材でも、半分ぐらいはチャッチと同じかそれ以下ぐらいの値段だと思うよ」
「では何故に、チャッチはすぐさま売り切れてしまい、余所から買いつけられる食材は売り切れないのだろうか?」
これは、俺以外の面々に対する問いかけである。
「うーん?」と首をひねったのは、ポルアースであった。
「言われてみれば、その通りだね。ダレイムの被害というのは本当におびただしくて、下手をしたら全領土の2割ぐらいの畑が台無しになってしまった見込みなのだけれども……貴族はともかく、森辺の方々まで買い控える羽目になっているというのは、いささか不思議なところだね」
「それは、集団心理や強迫観念といったものが働いているのではないでしょうか?」
と、フェルメスが流麗なる声音で発言した。
「ダレイムの畑が被害にあって、流通の量が激減した。ダレイムの野菜を買い損なうと、大きな損をする。……そんな心理が広まって、ダレイムの野菜を買いあさっている層があるのかもしれません。実際はもっと安値の食材も存在するのに、視野狭窄を起こしてしまっているわけですね。たとえばラマムやシールやアロウといった果実などは、それなりに凝った料理でなければ出番のない食材でしょう? 本当に貧しき生を送っている人々は、最初から果実など買いつけていないように思います」
「なるほどなるほど! ……でも、それならどうしたらいいのでしょうねぇ」
「まずは、食材の値段を周知させるべきだと思います。あまり裕福でない層は、そもそも外来の食材を高額だと決めつけて、値段を把握していないのではないでしょうか? ダレイムの野菜と外来の野菜は扱っている問屋が異なっているため、販売場所も異なっているわけですからね。ダレイムの野菜が売られる朝の市場で外来の野菜も販売するように手を打つだけで、ことは済むかもしれませんよ」
「ああ、なるほど! ……と、このような話を王都の外交官殿に示唆されるまで気づかないとは、なんとも忸怩たる思いでありますねえ」
「ジェノスの方々は、まず領民が飢えてしまわないように食材の流通を整備する必要に駆られていましたからね。僕とて、アスタたちの話を聞いていなければ、このような話は思いつきもしませんでした」
と、フェルメスは優美に微笑んだ。滋養を補給して、だいぶ普段の彼らしいペースになってきたようだ。
「そうしたら、ダレイムにおいて比較的高値であるチャッチやプラやネェノンあたりは在庫にゆとりができて、森辺の方々も自由に買いつけることができるようになるのではないでしょうか。ミャームーやペペなどは香草の部類ですので、どういう結果に落ち着くかは予想しにくいところですが……それでも、これまでよりは買いつけやすくなるように思います。ラマムやアロウやシールなどは、言わずもがなですね」
「そうしたら、マルフィラ=ナハム様の料理も完成を望めるやもしれませんね!」
デルシェア姫は尻尾を振る子犬のように喜色をあらわにして、マルフィラ=ナハムもまたふにゃんとやわらかい笑みをこぼした。
「そ、そ、そうですね。そ、それに、チャッチやプラやネェノンを買えるようになったら、家人も喜びます。や、やっぱりわたしたちは、ダレイムの野菜がもっとも馴染み深いので……」
「うんうん! 今日の料理も素晴らしいけれど、僕もダレイムの野菜で森辺の料理を味わいたく思っているよ!」
マルフィラ=ナハムの料理を食べたいというデルシェア姫の願いから、思わぬ方向に話が転がってしまった。そしてその起点となったのがメリムとアイ=ファであるというのが、何とも愉快なところである。
(それで最後に解決策を提示するのがフェルメスっていうのは、いかにもな話だけどな)
そんな風に思いながら、俺がフェルメスのほうを振り返ると――そこには、ちょっとはにかむような微笑みが待ちかまえていた。ようやく彼らしくなってきたところであるのに、これまた彼には珍しい表情である。
それは、なんとなく――「さきほどは失礼しました。これで許していただけますか?」と、言外に語っているかのような表情であったのだった。