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異世界料理道  作者: EDA
第六十六章 再興の日々
1142/1682

森辺の家長会議⑤~晩餐と酒宴~

2022.1/3 更新分 1/1

・今回の更新はここまでです。更新再開まで少々お待ちください。

 そうしてさらに数刻が過ぎて――半日がかりであった家長会議も、ついに終わりを迎えることになった。

 外界では日が沈み、祭祀堂ではいくつもの燭台に火が灯される。そうして女衆らの手によって晩餐が届けられると、あちこちから快哉の声があげられることになったのだった。


「ああもう腹が減りすぎて、胃袋がねじ切れてしまいそうだぞ! さあ、アスタとアイ=ファもこちらに来るがいい!」


 と、ラウ=レイにヘッドロックをされた俺は、ルウの血族の輪に引きずられてしまう。すると、ガズの家長が不平がましい眼差しを向けてきた。


「またルウの血族に先を越されてしまったな。俺たちも、のちほどファの両名と語らせてもらいたいく思うぞ」


「晩餐のあとは酒宴なのだから、語る時間はいくらでもあろうよ! そういえば、今日も盤上遊戯の準備をしてきたからな!」


「うむ。そちらでは、レイの家長とも楽しませてもらいたく思うぞ」


 と、ガズの家長も眼差しをやわらげた。そういえば昨年の家長会議では、誰がファの人間と先に語らうべきか、盤上遊戯の勝敗で決められていたのだった。


 ともあれ、まずは晩餐である。

 ラウ=レイに引っ張られた先にはリリンのおふたりにジーダやシン=ルウもいたので、俺も相好を崩すことになった。


「みなさん、お疲れ様です。今年も去年に負けない密度の会議でしたね」


「うむ。俺たちは新たな生き方に踏み出したばかりなのだから、しばらくは落ち着くいとまもなかろうよ」


 笑い皺を深めながら、ギラン=リリンはそう言った。

 その間も、女衆の手によって料理が届けられてくる。今日は中天に干し肉をかじっただけであったので、俺もぎゅるぎゅると腹が鳴ってしまった。


「そういえば、アイ=ファと初めて出会ったときは、腹の音のせいで殺されそうになったもんだよなぁ」


 俺がそんな軽口を叩くと、アイ=ファはやわらかい笑顔で「うつけもの」とこめかみを小突いてきた。

 やがてひと通りの配膳が終了すると、スンの女衆は自分の家に戻っていき、手伝いで訪れた女衆らはそれぞれの血族のもとに腰を据える。ラウ=レイとシン=ルウとジーダには隣に座るべき女衆が存在し、アイ=ファの隣にはリミ=ルウがやってきたので、人口密度が一気に高まることになった。


「では、晩餐を始めたく思う。今日の晩餐の準備をしたのはルウ、ザザ、フォウの血族、およびスンとマトゥアとナハムの女衆であり、食材の代価を支払ったのはザザの家となる。今後も晩餐の代価は族長筋の家が受け持ち、銅貨に不足が生じた際は共有の資産をつかうことになるので、そのように心するがいい」


 そのような前置きとともに、ドンダ=ルウが食前の文言を唱えた。

 女衆を加えて90名ぐらいになった人々が、静かな声音でそれを復唱する。祝宴では食前の文言も唱えられないので、この人数の詠唱というのは家長会議ならではの行いであった。


「よし、食うぞ! どれも美味そうで、どれから手をつけるか悩んでしまうほどだな!」


 ラウ=レイはにこにこと笑いながら、ヤミル=レイが料理を取り分けてくれるのを待っている。これがかつてラヴィッツの長兄が言っていた、ねぎらいの仕草というやつであろうか。ラウ=レイは料理と一緒に、ヤミル=レイの姿にも熱い視線を送っていた。

 シン=ルウにはララ=ルウ、ジーダにはマイムが率先して料理を取り分けるのも、まあ必定であろう。ただし女衆の数がまったく足りていないため、ギラン=リリンたちはひょいひょいと自らの手で料理を取り上げていた。


「おお、今日もかれーが準備されているのだな。シュミラルも、ありがたい限りであろう?」


「はい。2日連続、カレー、夢のようです」


 ギラン=リリンとシュミラル=リリンは、実の親子のように仲睦まじい。それを心から嬉しく思いつつ、俺も会話に加わらせていただいた。


「リリンの家でも、連日でカレーというのは避けているのですか? カレー風味の料理は、別ですよね?」


「はい。カレー、出されない日、カレー料理、出されます。もちろん、不満、ありません」


「それでもやはり、本物のかれーというのがシュミラルの好みに合うようだな。これは、いずれの女衆が手掛けたのであろうか?」


「それは、ユン=スドラが取り仕切ってた組の料理だねー。あっちはみーんなアスタに直接手ほどきされてるんだから、味に心配はないでしょ」


 ララ=ルウが、即座に言葉を返してくる。このあたりの反応速度が、彼女の特性であり美点であった。

 それでそのカレーというのは、俺たちがリリンの勉強会で編み出した和風出汁のカレーのようである。それを口にしたシュミラル=リリンは、幸福そうに目を細めて微笑んだ。


「まさしく、リリンのカレー、匹敵する、味わいです。なおかつ、新しい工夫、見られます」


「新しい工夫? それは、楽しみなところだな」


 カレーをまぶしたシャスカを口に運んだギラン=リリンは、「ふむ」と目を見開いた。


「これは確かに、ずいぶん風味が異なるな。リリンの家で作られるかれーと、何が異なっているのであろうか?」


「ああ、これは和風出汁で、しかも海鮮の要素まで加えられていますね。俺が以前、肉を食せない外交官のために編み出した料理です」


 そのカレーには燻製魚と海草ばかりでなく、貝やヌニョンパの乾物まで使われていた。特にこのホタテガイのような乾物は強烈な出汁が取れるので、味が一変してしまうのだ。

 また、貝とヌニョンパは出汁を取ったあとに具材としても使われるため、それがギバ肉と愉快なハーモニーを奏でている。やはりカレーでギバ肉を使わないと不満を抱く人間も多かろうから、こうしてミックス仕立てにされることになったのだろう。


「もしシュミラル=リリンたちのお気に召したのなら、次にリリンの家に出向く際に貝とヌニョンパの乾物を持参しますよ。何も扱いは難しくないので、リリンの方々だったらすぐに使いこなせるはずです」


「そうか。ファの家の屋台を手伝っていない俺たちは、なんらかの形でその尽力に報いなければならんな」


 俺が思わず眉を下げてしまうと、ギラン=リリンは「案ずるな」と笑った。


「何も、銅貨を払おうというわけではない。アスタが心苦しさを覚えないような形で、何か報いたいと思っているぞ」


「はあ。それなら、幸いです」


 すると、シュミラル=リリンも俺に心配げな眼差しを向けてきた。


「アスタ、気分、害していますか? 私、アスタの弁、否定する形、なってしまったので、心苦しいです」


「いえいえ、俺も最終的には納得できましたから、どうぞご心配なく。相手が誰でも公正でありたいというシュミラル=リリンの心意気は、ご立派だと思っておりますよ」


「ありがとうございます。ただ、ガズラン=ルティム、即時、有効な案、提示しました。あの明敏さ、私、有していないこと、口惜しいです」


「お前は、十分に明敏だ。ただ、ガズラン=ルティムには誰もかなわないということであろうよ」


 ギラン=リリンは気さくに笑いながら、シュミラル=リリンの肩を叩いた。

 そのガズラン=ルティムは、少し離れた場所でドンダ=ルウと語らっている。本日の家長会議のおさらいでもしているのであろうか。少なくとも、雑談に励んでいる様子ではなかった。


「ほらほら、かれー以外の料理も食べてよね! こっちの料理は、あたしらが準備したんだからさ!」


 と、ララ=ルウとリミ=ルウとマイムが3人がかりでさまざまな料理を取り分けてくれた。

 シィマのすりおろしとタウ油ベースのタレでいただくギバ・カツや、キミュスの骨ガラで出汁を取った具沢山のコンソメ風スープ、金ゴマのごときホボイのドレッシングでいただくギバしゃぶの温野菜サラダなど、バラエティにとんだ品々だ。今回はとにかく、「ダレイムの野菜を使わずとも美味なる料理を」というテーマで献立が定められていた。


「うむ? これはギバ肉ではなく、魚か」


 ラウ=レイがそのように評したのは、ジョラの油煮漬けの団子であった。ツナフレークのごときジョラの油煮漬けを揚げ焼きにして、各種のソースでいただく自慢の品だ。


「それは例の試食会でも好評だった料理だよ。レイの家では、出されてなかったかな?」


「うむ! ギバ肉が使われていないと、俺が文句を言いたてるからな! しかしこうして食してみると、なかなか悪くないようだ!」


「そうだろう? ギバ肉を使わない料理を間にはさむことで、いっそうギバ料理を美味しくいただけると思うよ」


「そうか、そういう面もあるのだな! ヤミルよ、今後はギバを使わない料理にも励むがいいぞ!」


「うるさいわね。あなたの言葉ひとつで振り回される身にもなってちょうだいよ」


 ヤミル=レイは、クールな横目でラウ=レイをねめつける。よくよく見ると、そのしなやかな肢体の陰には、ツヴァイ=ルティムもちょこんと座していた。かつての姉妹が寄り添っている姿は、微笑ましいものである。


「お待たせしました!」と、そこにレイ=マトゥアが登場する。その手の大皿にのせられているのは、『ギバの玉焼き』に他ならなかった。


「なんだ、それは? 魚の団子なら、もう食したぞ」


「これは魚じゃなく、ギバを使った玉焼きという料理です! 族長ドンダ=ルウはすでに食したことがあるので、先に眷族の方々にふるまうべしと言いつけられました!」


 ルウ家には、たこ焼き器あらため玉焼き器をすでにレンタルしたことがあったのだ。

 ラウ=レイはうろんげな面持ちでそれを口に放り入れたが、たちまち喜色をあらわにした。


「これは愉快な食べ心地だな! いつこのような料理が編み出されたのだ?」


「これは鉄具屋のディアルから買いつけた、新しい調理器具で作られた料理です! その調理器具を買いつけたいと願う氏族がどれだけあるかを確かめるために、今日の晩餐で玉焼きを出すことになりました!」


「これは愉快だ! レイの家でも、そいつを買いつけたく思うぞ!」


「あっ! 他の方々にも味見をしていただかなくてはならないので、少々お待ちくあださいね! みなさんに3個ずつお出しする計算になっていますので!」


 ラウ=レイがすべてたいらげてしまいそうな勢いであったため、レイ=マトゥアは慌ててこちらに木皿を押しやってきた。

 すでに味見の必要のない俺やアイ=ファやシュミラル=リリンは遠慮して、他の面々に機会を譲る。ギラン=リリンも「ほう」と目を丸くすることになった。


「確かにこれは、不思議な食べ心地だな。これまで口にしてきたどの料理とも、あまり似通っていないようだ」


「はい。そのために、特別な調理器具が必要であったわけですね」


「なるほど……アスタは森辺に来てから2年以上も経つというのに、まだ新しい喜びを俺たちにもたらしてくれるのだな」


 そう言って、ギラン=リリンはいっそう温かい笑みを浮かべた。


「アスタを同胞に迎えられたことも、ファの家の行いが正しいと認められたことも、心より嬉しく思うぞ。やはり家長会議というのは、そういった思いをあらためて実感させられる日であるようだ」


「そのように言っていただけると、こちらこそありがたい限りです。な、アイ=ファ?」


「うむ」と応じるアイ=ファの瞳が予想以上にやわらかい光をたたえてこちらを見つめてきたので、俺は思わずドキリとしてしまった。


「で、でも、この人数でひとり3個っていうのは、作るほうも大変だね。レイ=マトゥアたちも、ちゃんと晩餐を口にできてるのかな?」


 内心のドギマギを緩和させるべく、俺はレイ=マトゥアへと視線を転じる。そちらには、いつも通りの無邪気な笑顔が待ち受けていた。


「はい! 5人で順番に仕事を果たしているので、大丈夫です! わたしの仕事も、これでおしまいですので!」


 5人とは、レイ=マトゥア、ユン=スドラ、マルフィラ=ナハム、フォウとランの女衆というメンバーであろう。この『ギバの玉焼き』は、そちらの班で受け持った料理であるのだ。


「そういえば、マルフィラ=ナハムの料理はいかがでしたか? わたし、味見だけでびっくりさせられちゃいました!」


「マルフィラ=ナハムの料理? どれのことだろう?」


「こちらの、香味焼きです! これまでの香味焼きとはまったく異なる味わいですが、すごく美味しいですよ!」


 マルフィラ=ナハムが新作の料理をお披露目しているとは、初耳である。レイ=マトゥアの指し示す大皿には、確かに香草のパウダーがまぶされたギバ肉が山積みにされていた。


「俺たちも、そちらはまだ食していなかったな。噂に名高いマルフィラ=ナハムとやらの料理を味わわさせていただくか」


 ギラン=リリンやシュミラル=リリン、それにラウ=レイやヤミル=レイも、その料理を取り分けることになった。

 そうしてその香味焼きのお味はというと――実に、目の覚めるような鮮烈さであった。


「うわ、これはすごいね。甘くて辛くて苦くて酸っぱくて……城下町の料理みたいだ」


「でも、食べにくいことはまったくないですよね! だからやっぱり、アスタとヴァルカスの作法が入り混じった料理なのだと思います!」


 果実の甘みに香草の辛み、ギギの葉やホボイ油の苦さや香ばしさ、ママリアの酢やレモングラスのごとき香草の酸っぱさ――それに、ショウガのごときケルの根や、セージのごときミャンツ、大葉のごときミャンの風味もきいている。さまざまな味わいが調和して、何にも似ていないのに食べにくいことはなく、そしてすべてがギバ肉の味わいを引き立てるために調合されている――マルフィラ=ナハムの本領が発揮された仕上がりだ。


「ぬわ、こいつはおかしな味わいだな! ……しかし、美味いぞ! ヤミル、お前もこいつの作り方を学ぶがいい!」


「勘弁してよ。マルフィラ=ナハムがどれだけ込み入った料理を作っているか、あなたは想像もつかないのでしょうね」


「だがこれは、苦労の甲斐もある料理ではないか! ナハムの三姉というのは、本当に大したかまど番なのだなぁ」


 ラウ=レイたちの向かいでは、ギラン=リリンとシュミラル=リリンも目を丸くしている。特に、シムの生まれたるシュミラル=リリンの感想が気になるところであった。


「こちら、美味です。香草、主体ですが、シム、存在しない味です。シム料理、違うのですから、当然かもしれませんが……」


「はい。シムにはない食材もふんだんに使われているのでしょうからね。さまざまな食材の集まった、ジェノスならではの料理であるはずですよ」


 レイナ=ルウやシリィ=ロウが口にしたならば、またものすごい勢いで対抗心を燃やしそうなところである。

 そしてレイ=マトゥアは、そんな人々の感嘆を我がことのように誇らしげに見守っていたのだった。


「ナハムやラヴィッツの方々も、さぞかし鼻が高いでしょうね! それではわたしも、血族のもとに戻ります!」


「うん、お疲れ様」


 そうしてレイ=マトゥアが立ち去った後も、俺たちは楽しく歓談しながら食事を続けることになった。

 しかしやっぱり、話題は家長会議の話に流れがちである。特にこの場には家長会議に参加していなかった女衆が多数存在したため、あれこれ興味を引かれている様子であった。


「へーっ! それじゃあファの家は、屋台の手伝いの代価を半分にすることになったんだ? それって、明日――いや、明日は休みにしたから、明後日か。明後日から、すぐにそうするの?」


 俺が「うん」と応じてみせると、ララ=ルウは考え深げに「そっかー」とスープをすすった。


「ま、ちょうど明日から白の月だし、ちょうどいいと言えばちょうどよかったね。これが中途半端な時期だったら、帳簿をつけるのもちょっと手間があったんじゃない?」


「ああ、言われてみれば、そうかもね。……そんなすぐに帳簿のことまで思いつくなんて、ララ=ルウはさすがだなぁ」


「おだてないでよ!」とララ=ルウは顔を赤くして、罪もないシン=ルウのことを横目でねめつける。シン=ルウは、まるで俺を見るアイ=ファのように優しげな眼差しになっていた。


「でも、あれだね。女衆に支払う代価が減って、ファの家の取り分が多くなるってことは、ジェノスに納める税も増えるってわけだ。それもまあ、幸いな話だよね」


「幸い? 何が?」


「何がって、ジェノスはダレイムの畑がああなっちゃって、大変な時期なんでしょ? アスタからもらえる税が増えれば、そのぶん助かるじゃん」


 これはもう、ララ=ルウ個人ではなく森辺の民の清廉さというべきなのであろう。俺の故郷では節税というものに血眼になる人間が多かったように思うし、宿場町などでもそういった感覚に大きな差はないという印象であったのだ。


「それで、ルウのほうはどうなったの?」


 と、アイ=ファと楽しく会話をしていたはずのリミ=ルウが、その切れ間でそんな声をあげてきた。


「ルウだって、ダイやレェンやサウティの眷族の人たちに手ほどきをしてるでしょ? でも、その人たちはルウの屋台を手伝ってるわけじゃないから、ファの家みたいに代価を半分にすることもできないよね」


「そうそう、あたしもそれが気になってたんだよ! まさか、そういう氏族から代価を受け取るべし、なんて話にはならなかっただろうね?」


「うん。そういう氏族は、ルウで商売の下ごしらえを手伝えばいいんじゃないかって話だね。労働を労働で相殺するわけさ」


「あー、なるほど! そうしたら少しはこっちの手間が減るから、いいこと尽くしだね! 余所の氏族の女衆らと、いっそう仲良くなれるだろうしさ!」


 と、ララ=ルウは白い歯をこぼす。そのかたわらでシン=ルウがまた優しい眼差しになっていることにも、気づいていない様子だ。


「しかしまさか、ラヴィッツの家長があのようなことを言い出すとはな。物言いや態度は相変わらずのようだが、多少はファの家と絆が深まってきたのではないか?」


 ギラン=リリンがそのように言いたてると、アイ=ファは「どうであろうかな」と肩をすくめた。


「しかし何にせよ、あやつはあやつなりに公正な人柄なのだろうと思っている。あちらの長兄も、ずいぶんファの家のありように関心を抱いている様子であるし……今後もたゆみなく、絆を深められるように心がけるべきであろう」


「うむ。アイ=ファとアスタのことであるから、俺も心配はしていないがな」


 ギラン=リリンが笑顔でそのように答えたとき、「し、失礼いたします!」という上ずった声が祭祀堂の中央から響きわたった。


「そ、そろそろ料理も尽きてきたようですので、菓子を配らせていただきます! こ、こちらはザザの血族で作りあげたものですので、お喜びいただけたら幸いです!」


 そのように告げているのは顔を赤くしたトゥール=ディンであり、そのかたわらにはナイト役のようにスフィラ=ザザが立ちはだかっている。これも前回の家長会議で見た覚えのある光景であった。

 ともあれ、こちらのかまど番たちも立ち上がって、菓子を配る仕事を手伝い始めた。本日の菓子は、ラマンパショコラとスイート・ノ・ギーゴである。


「ああ、これは試食会で勲章を授かった菓子ですね。どちらも絶品でありますよ」


 礼賛の祝宴には数多くの男衆らも参席していたが、その際は若い人間がほとんどであったため、これらを口にしたことのある家長というのは数少ないことだろう。ギラン=リリンやラウ=レイたちも、たいそう感心した面持ちでそれらの菓子を食していた。


「これは驚くほどに甘くて、そして美味だな! ヤミルよ、お前も――」


「ああもう、いい加減にしてもらえないかしら? わたしのように腕の足りていないかまど番が、そんな次から次へと新しいものを覚えられるわけがないでしょう?」


「お前は立派なかまど番だと思うがなぁ。腕が足りていないというのなら、そろそろまたファの家の世話にでもなるか? もちろん、俺と一緒にな!」


 ラウ=レイに熱っぽい視線を向けられて、アイ=ファは「いや」と素っ気なく応じた。


「こちらはようやく生活が落ち着いたため、またサウティの血族を招こうとしているさなかであるのだ。レイの家には遠慮してもらいたく思うぞ」


「サウティばかり、ずるいではないか! ファの家と絆を結んだのは、俺のほうが早いはずだぞ!」


「早い遅いの話ではないが、私やアスタがお前やダリ=サウティと親しく口をきいたのは、どちらも前々回の家長会議が初めてであったはずだな」


 ラウ=レイは「むぎぎ」とうなりながら、ギラン=リリンのほうに視線を転じた。


「ギラン=リリン! お前もルウの血族では知恵者の部類であるはずだ! 血族たる俺のために、この頑固者を説得してもらいたく思うぞ!」


「俺は決して知恵者などと称される立場ではないように思うのだが……しかし、サウティの血族とラウ=レイたちを同時に招くことはできんのか?」


 と、ギラン=リリンは笑顔でそのように言いたてた。


「そうすれば、ラウ=レイたちはサウティの血族とも絆を深めることがかなうし、いっぺんに招けばファの家の負担も軽かろう。サウティの血族が帰ったとたんにラウ=レイたちに押しかけられたら、余計に苦労がつのってしまうのではなかろうかな?」


「それは、ギラン=リリンの言う通りやもしれんな」


 と、アイ=ファが俺のほうに視線で問うてきたので、こちらは笑顔を返すことになった。


「晩餐の支度なら、特に問題はないように思うよ。でも、寝所を使う女衆が5人になっちゃうと、ちょっと窮屈じゃないかな?」


「多少は狭苦しくなろうとも、眠れぬことはあるまい。ヤミル=レイも、私とふたりでは気詰まりであろうからな」


「それは、こちらの台詞ね。わたしのせいでサウティとの絆に亀裂が入っても、わたしは責任取れないわよ」


「ヤミルに限って、そのような不安はあるまい! ギラン=リリンは、やっぱり知恵者だな! では、そのように取り計らってもらいたく思うぞ!」


 ラウ=レイはうきうきとしていたが、アイ=ファは「ただし」とつけ加えた。


「それもこれも、すべては10日が過ぎてからのことだ。ジャガルの建築屋はあと10日ほどでジェノスを出立してしまうため、それまではかなう限りそちらと絆を深めたいと考えている」


「ほう、ジャガルの建築屋か! あやつらが出立する際には、また祝宴を開くのか?」


「うむ。近在の氏族の家長らと話を進めているさなかだ」


「そうかそうか! ルウの血族ではまだ飛蝗の騒ぎが収まってから祝宴を開く機会がなかったので、羨ましい限りだな!」


 そんな風に言いながら、ラウ=レイはぐるりと周囲を見回した。


「しかしこの夜などは、まるで祝宴のような騒がしさだ! 俺の気が昂っているのは、きっとそのせいもあるのであろうな!」


 確かに90余名もの人間が集まって晩餐を楽しんでいるのだから、この場には祝宴に似た熱気と活力があふれかえっていた。

 そしてそれに追い打ちをかけるかのように、ドンダ=ルウが立ち上がって宣言する。


「では、すべての料理と菓子を食べ終えたようであるので、ここからは酒宴とする。普段なかなか顔をあわせることのない相手と、存分に絆を深めてもらいたい」


 人々はいっそうわきたって、ドンダ=ルウの言葉に応じた。

 本日は樽で果実酒が準備されていたため、多くの人々が深皿を手にそちらへ群がる。そうして果実酒を手中にした人々の過半数が、俺とアイ=ファのもとに寄り集まってきたのだった。


「レイの家長らは、もう存分にファのふたりと語らったであろう? 約束通り、こちらに順番を回してもらいたく思うぞ!」


「いやいや、それは盤上遊戯で決めるという話ではなかったか? 俺とて、まだまだアスタたちとは語り足りていないからな!」


 ラウ=レイはむしろ楽しげな様子で、供の男衆に盤上遊戯の準備を命じた。

 こちらに集まったのは、ガズとラッツを筆頭とする近在の氏族の家長らに、ダイやレェン、ハヴィラやダナの家長などの姿も見受けられる。ダイやレェンは飛蝗の始末でアイ=ファと行動をともにしていたし、ハヴィラやダナはザザの収穫祭でご縁を持てた相手だ。昨年よりも交流を深められた分、いっそうの騒ぎになってしまったようだった。


 が、本末転倒というか何というか、ファの人間と語らう順番は盤上遊戯で決めるべしという流れになってしまったため、俺とアイ=ファはエアポケットに入ったかのように、ぽつんと取り残されることになった。

 それで一計を案じた俺は、かたわらのアイ=ファに囁きかけてみせる。


「なあ、今の内にひと息つくというのはどうだろう?」


 アイ=ファは肘で俺の腕を小突くことによって、OKのサインを出してきた。

 ラウ=レイたちの騒ぎを微笑みまじりに見守っていたシュミラル=リリンにその旨を告げて、俺とアイ=ファは祭祀堂の外を目指す。


 1メートルほどの段差を乗り越えて、毛皮のとばりの向こう側に這い出ると――そこには夜の闇と涼気が待ち受けていた。

 決して寒いわけではないのだが、祭祀堂の熱気が物凄かったため、夜風が普段以上に涼しく感じられる。そして、闇の中に家の明かりがぽつぽつと灯されているさまが、とても情緒的であった。


「ああ、すごい騒ぎだったな。……でもまあそれも、色んな人たちと絆を深められた証拠か」


「うむ。昨年もその前も、ほとんど同じような騒ぎであったがな」


 祭祀堂の天幕に沿って少しだけ移動しながら、アイ=ファはそのようにつぶやいた。


「それまでは、家長会議で私や父ギルに近づこうとする人間など、皆無であった。女衆を狩人にすることにスンの者たちが異を唱えていたため、他の家長らもファの人間を忌避するしかなかったのであろう」


「うん。だけどアイ=ファは、実力でその立場をもぎとることができたんだよ。別に俺の存在がなくったって、今のアイ=ファを狩人として認めない人間なんていないんだろうからな」


「それでも、あれほどの人間が私のもとに集まろうとする理由はあるまい」


「いや、腕に覚えのある狩人ほど、アイ=ファのことは放っておけないはずだよ。……まあ、嫁取りを願う筋違いなお人なんてのも出てくるかもしれないけどさ」


 歩みを止めたアイ=ファは俺の足を優しく蹴ってから、天幕を背にする格好で腰を下ろした。

 俺もその隣に陣取りつつ、青白い月の瞬く星空へと視線を転じる。天幕の向こうからは、酒宴の熱気と喧噪がひしひしと感じられたが――それを忘れさせてしまうぐらい、天上の輝きは静謐であった。


「去年みたいにファの家の行状が取り沙汰されたわけじゃないけど……でもやっぱり、去年に負けないぐらいの充実した家長会議だったな」


「うむ。ギラン=リリンも申し述べていた通り、我々は変革のさなかであるからな。これからも、長きにわたって問題が尽きることはなかろう」


「それをひとつひとつ解決していけば、いっそう幸せな生活を送れるんだろうしな」


 俺は頭上の星空から、アイ=ファのもとへと視線を戻した。

 アイ=ファはとても穏やかな表情で、俺の顔をじっと見つめている。俺が星空を見上げている間もこんな優しい眼差しで見つめられていたのかと思うと、俺は気恥ずかしくなってしまい――そしてそれ以上の、満ち足りた気持ちを抱くことができた。


「やはり家長会議というものは、お前の得難さをとりわけ強く感じることのできる日であるようだ。お前と出会えた喜びを、これほど深く噛みしめることができるのは……家長会議を除けば、お前の生誕の日ぐらいであろうな」


「ありがとう。確かに家長会議ってのは、年に1度の区切りの日だよな」


「うむ。お前を同胞に迎えることによって、森辺の民は大きく異なる道に足を踏み出すことになった。それを決めたのは族長らを始めとする森辺の民の全員であっても、最初のきっかけとなったのは、やはりお前の存在であるのだ。私はそれを、何より誇らしく思っている」


 きっとアイ=ファは過去の家長会議に思いを馳せることで、そのような感慨を抱くことになったのだろう。俺が森辺にやってくる前の家長会議についてなど、俺はほとんど耳にしたこともなかったのだが――スン家が族長筋というだけで、どれだけ不毛なものであったかは容易に想像することができた。


「お前は森辺に大きな幸いをもたらした存在だ。……しかし私は、それを理由にお前を大切だと思っているわけではない。それだけは、勘違いするのではないぞ」


「勘違いは、してないつもりだよ。俺だって、アイ=ファが卓越した狩人であることを誇らしく思ってるけど……たとえアイ=ファがへっぽこ狩人でも、気持ちに変わりはないからさ」


「へっぽことは、なんという言い草だ」


 アイ=ファはどこか甘えているような声音でそう言うと、俺の肩にそっと頭を乗せてきた。


「今日は、特別だ。祭祀堂に戻ったならば、もはや休むいとまもなかろうからな」


「了解です、家長殿。……そういえばこの時間、去年のアイ=ファは可愛らしく酔いつぶれてたんだよな」


「やかましい」と囁くような声で言いながら、アイ=ファは俺の肩に頬ずりをしてきた。

 アイ=ファの温もりと甘い香りが、俺の心を満たしていく。いったん騒ぎの場から離れると、半日も会議に臨んでいた疲労がどっと実感できたが――アイ=ファの存在が、そんな気怠い心地を優しく包み込んでくれるかのようだった。


 俺たちは去年や一昨年のように、家長会議の場で矢面にさらされることもなかったが――逆に言うと、今回はファの家の行いが正しいものだと認められてから、初めての家長会議であったのだ。それでもすべての氏族の人々はつつがなく1年を過ごすことがかない、去年の決定が覆されることもなかった。だからやっぱり、今日という日も俺たちにとって、忘れられない大事な日になるはずであった。


(来年も再来年も、こうしてアイ=ファと一緒に家長会議に参席して、自分たちのやってきたことを再確認できたら、そんな幸せなことはないよな)


 そんな思いを噛みしめながら、俺は肩に乗せられたアイ=ファの頭に頬を寄せた。

 祭祀堂では、数ある家長たちが盤上遊戯でどれほどの激戦を繰り広げているのか――そんな騒ぎとは無縁な静けさの中で、俺とアイ=ファは限りなく幸福であった。

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― 新着の感想 ―
[一言] やっぱりあの外交官が出てこない話は読んでいて楽しいな
[良い点] 異なる血族との婚姻が進んで行ったら、マルフィラ=ナハムとミダ=ルウの仲も進展するんでしょうか。あの引っ込み思案と子供のように無邪気な二人がどんな親愛を深めるのか、楽しみです。
[良い点] 複雑な会話、長い文章なのにテンポよく読める [一言] 今回も楽しませていただきました。次回の更新を楽しみにしています。
感想一覧
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