森辺の家長会議③~中盤~
2022.1/1 更新分 1/1
・明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。
「ただ問題は、雌の犬を買いつけるための銅貨であろうな」
雌の犬の購入が決定されたのち、ダリ=サウティがそのような議題を提起した。
「雌の犬の値は白銅貨30枚で、1割を引かれても27枚だ。我々は数多くの猟犬を買いつけたところであるし、すぐさま銅貨を準備することが難しい氏族もあるのではないだろうか?」
「うむ。いちどきに蓄えが減ってしまうのは心もとないので、可能であれば期間を空けてもらいたく思う」
そのように応じたのは、ダイの家長である。やはり、屋台の商売に関わっていない氏族は生鮮肉や腸詰肉などの販売でしか銅貨を稼げないため、蓄えにゆとりが少ないのであろう。
「現在では、すべての氏族が1頭から3頭もの猟犬を手にしているはずであるからな。それに、いきなりすべての猟犬に伴侶を与えるのは、避けるべきであるように思える。我々とて、犬のお産を迎えるのは初めてであるのだから、慎重を期すべきであろう。まずはこのたびの10頭がどれだけの子を生し、それを健やかに育てられるかどうかを見届けてから、新たな雌の犬を買いつけるべきではないだろうか?」
ダリ=サウティの良識的な意見に反論する家長はいなかった。
そこでアイ=ファが、きりりとした面持ちで発言を求める。
「ところで、ファの家には猟犬ならぬ番犬のジルベも存在する。ジルベに伴侶を与えることは、ファの家の裁量に任せてもらえるだろうか?」
「番犬? ああ、あの妙にでかくて黒い犬のことか。あやつは見るからに鈍重そうだし、あのように長い毛を垂らしていたら森に入るのもひと苦労であろうよ」
と、デイ=ラヴィッツがぶっきらぼうな言葉を返してくる。
「あのようなものに伴侶を与えて子が産まれようとも、行商人とやらは引き取るのを拒むやもしれんぞ。どれだけ子が増えても、ファの家で育てきれるのか?」
「私は、そのつもりでいる。ジルベばかりが伴侶を娶れないというのは、あまりに不憫であるし……そもそも、雌犬のほうがジルベを見初めたなら、それを止める手立てもあるまい」
「ふん。得体の知れないものを家に置くから、そのような苦労を背負うことになるのだ」
デイ=ラヴィッツは相変わらずの調子であったが、まあこのていどの皮肉はご愛敬であろう。アイ=ファとしては、族長たちに了承さえいただければそれで満足な様子であった。
「では、次の議題に移りたく思うが――」
ドンダ=ルウがそのように言いかけると、バードゥ=フォウが「待たれよ」と発言した。
「猟犬についてもう一点、確認しておきたいことがある。このたび買いつけた猟犬たちはそれぞれの氏族で銅貨を準備し、その前の猟犬たちは共有の資産で買いつけたはずであるが、一番最初に買いつけた猟犬というのはルウとファが銅貨を出し、我々に貸し与えるという形を取っていた。我々はルウとファに然るべき銅貨を支払って、あれらの猟犬を正式な家人として迎えるべきではないだろうか?」
「うむ。俺もそのように考えていた。というか、あれらはもう立派な家人であるのだから、今さらルウやファに返すことはできん。であれば、銅貨を支払わずに済ませることはできまい」
と、ガズの家長もそのように追従した。
ドンダ=ルウは、「ふん」と下顎の髭をまさぐる。
「やはり、そういう声があげられることになったか。しかし、ルウもファも屋台の商売を行っているため、今のところ銅貨に不自由はない。それぞれの氏族は雌の犬を買いつけるために、銅貨を蓄えておくべきではなかろうか?」
「であれば、ルウとファは共有の資産からその分の銅貨を受け取るべきではないだろうか? あのときの猟犬はルウとファを除くすべての親筋の氏族に配られたのだから、文句をつける人間はいないはずだ」
「同じことだ。いざ雌犬を買いつけようという段で銅貨の足りぬ氏族があった場合は、共有の資産が必要になるのだからな。蓄えにゆとりのあるルウとファが、あえてそちらに手をつける理由はない」
「だが……それでは俺たちは、いつまでもルウとファに借りを負ってしまうことになろう」
「借りは、いずれ返せばよい。我々は氏族同士の貸し借りよりも、一族全体の安寧と繁栄をまず考えるべきであるのだ」
ドンダ=ルウは断固たる口調で、そう言い切った。
「血族の全員が健やかに生きていけるだけの、銅貨。および、猟犬の伴侶を買いつけるための、銅貨。それらが十分に確保できた氏族から、ルウとファに銅貨を返すがよい。これが俺の考えであるが……ファの家長に異存はあろうか?」
「ない」と、アイ=ファは沈着に答えた。
「では、族長たるグラフ=ザザとダリ=サウティは?」
そちらも、返事は同一である。
ドンダ=ルウは、満足そうに首肯した。
「では、これを三族長の総意とする。これに異存のある者は、我々3名を説き伏せられるような道理を思案するがいい。今この場で、意見を申し述べたい家長はあろうか?」
ドンダ=ルウにこうまで言われて、おいそれと声をあげる者はなかった。
ドンダ=ルウは、情けや優しさで先のような言葉を述べたわけではないのだ。それは本当に、一族全体の安寧と繁栄を願ってのことであり――そうだからこそ、これほどの迫力と説得力が生じるのだろうと思われた。
「……そもそも貸し借りだの損得だのいう話を持ちだしたならば、フォウの家とて大きな損をかぶっているのではなかろうかな?」
と、いくぶん張り詰めた空気の中に、穏やかな声が響きわたる。サウティの長老、モガ=サウティである。
「何故に前回猟犬が届いた際には、共有の資産で買いつけることがかなったのか……それは、フォウとダイが町でギバ肉を売った代価の大半を共有の資産に回し、大きなゆとりがあったためであろう? その後の我々は稼いだ銅貨をすべて手中にすることがかなったのに、同じだけの仕事を果たしたフォウとダイは一族に富を差し出すことになったのだ。見ようによっては、これほど大きな損もあるまい」
「いや、あれはファとルウが考案した商売の方法を確立するために、フォウとダイが力を添えたに過ぎん。その後の商売では、我々もすべての稼ぎを手中にしているのだから――」
「しかし、一番最初に手探りで商売を始めたフォウとダイの家は、我々以上の大きな苦労を担っていたはずだ。また、おぬしたちの尽力があったからこそ、我々もその仕事を滞りなく受け継ぐことができたのであろうから……功労者たるフォウとダイこそ、大きな富を授かるべきであろう」
そんな風に言ってから、モガ=サウティはいっそうやわらかく口もとをほころばせた。
「斯様にして、森辺の民はどれだけ大きな富を授かろうとも、自らが損をかぶることを厭うておらず、むしろ不当な利益が生じることを忌避しておる。おぬしもダイの家長も、族長ドンダ=ルウもファの家長も、いずれ同じことよ。……このように老いぼれてから大きな変化を迎えることになった身としては、それを何より得難きことと思うておるぞ」
「うむ。長きの時を生きた長老の面々には、いっそう厳しく公正な目で我々の行いを見定めてもらいたく思う」
ドンダ=ルウは厳粛なる声音で応じ、バードゥ=フォウは敬服した様子でモガ=サウティに一礼した。
俺もバードゥ=フォウと同じ思いで、モガ=サウティのほうを見やっていたのだが――居並ぶ家長たちを見回していたモガ=サウティの穏やかなる眼差しが、ふっと俺のほうを見て優しげに細められた。
(モガ=サウティやジバ婆さんみたいなお人たちに見守ってもらえるのって、ものすごく心強いことだよな)
そんな思いを込めながら、俺もこっそりモガ=サウティに目礼を返すことになった。
そこにドンダ=ルウが、場を仕切り直すように力強い声をあげる。
「では、次の議題だな。銅貨の話が出たので、生鮮肉や腸詰肉の商売について論じ合うとするか。……シン=ルウよ、ツヴァイ=ルティムをここに」
シン=ルウは無言のまま一礼し、空気も乱さぬ所作で祭祀堂を出ていった。
「生鮮肉や腸詰肉などの商売は、すべての氏族がひとたび以上受け持った時点で、ひと月ごとの持ち回りとするように定められた。しかし、それでもなお平等ならぬ部分があるように思えるので、それを改善できるように思案したく思う」
「平等ならぬと言えば、やはりファとルウの家だな。けっきょくこの1年、ファとルウはその商売に関わらなかったのであろう? それではやはり、ファとルウばかりが損をしているように思える」
そのように発言したのは、またガズの家長だ。こういう際は親筋の家長が意見を申し述べるのが大半であるため、どうしても顔ぶれは限られるのだった。
「それは前回の家長会議でも取り沙汰された話だな。ファの家長よ、貴様が意見を申し述べるがいい」
「了承した。……以前にも伝えた通り、ファの家はギバ肉をすべて家の食事と屋台の商売に回しており、それでも足りない際は余所の氏族から買いつけることになっている。よって、生鮮肉の商売を受け持ったとしても、そもそも余剰の肉がないし……それ以前に、人の手も足りていない。ファの家にはふたりの家人しかないため、朝から肉の市場に出向くという仕事もままならんのだ」
アイ=ファは厳粛なる面持ちで、そのように答えた。
「城下町に売る腸詰肉とべーこんに関しても、それは同様の話となる。私もアスタもそれほど大量の腸詰肉やべーこんを作りあげる時間はないし、材料となるギバ肉も余ってはいない。無理にその仕事を受け持つとすれば、けっきょく余所の家から肉を買いつけ、余所の女衆に銅貨で仕事を頼むしかなかろう。それでは、本末転倒ではなかろうか?」
「うむ。それはルウ家も似たようなものだな。ルウは眷族が多いため、そうそう屋台で使う肉に不足することはないが、そうまでゆとりがあるわけでもない。また、屋台で多くのかまど番を使っているため、人手が足りないという面もファの家と同様だ。よって、これまで以上の仕事を抱えて家の仕事をおろそかにすることは、正しくないと考えている。ルウとファは屋台の商売で十分以上の富を得ているため、これ以上の仕事を抱えるべきではなかろう」
「しかしそれなら、俺たちディンはリッドの力を借りつつ、屋台の商売を行っている。ファとルウが仕事を受け持たないというのなら、俺たちも身を引くべきではないだろうか?」
と、ディンの家長が難しげな面持ちでそう発言した。
しかしアイ=ファは、落ち着いた眼差しでそちらを見返す。
「ディンやリッドは、ギバ肉に不足があるのであろうか?」
「いや。こちらの屋台ではギバ肉を使っていないため、不足はない」
「では、人手に不足があるのであろうか?」
「いや。宿場町には2名の女衆しか下りていないため、人手にも不足はない。しかし――」
「私もドンダ=ルウも、肉や人手に不足があるために、他の商売を受け持つことはできんと言っているのだ。ディンやリッドが後ろめたさを覚える必要はないように思える」
「そうだな」と、ドンダ=ルウも同意した。
「これも先刻の話と同じで、一族全体の安寧や繁栄を考えるべきであろう。ルウやファが無理に割り込めば、他の氏族が仕事を受け持つ割合が減じていくことになるのだ。富の偏りを避けるという意味でも、ルウとファはこれ以上の商売を受け持つべきではなかろうな」
「しかしそれでは、ディンとリッドばかりが多くの富を得ることになろう。これとて、富の偏りではなかろうか?」
「そちらはひとつの屋台しか出してはおらんのだから、ルウとファほどの富を授かっているわけではあるまい」
「だが、他の氏族よりも多くの富を授かることになるのは、確かだ」
ディンの家長が強情に言い張ると、ガズラン=ルティムが挙手をした。
「ディンとリッドが多くの富を授かるのは、それだけの苦労を担っているゆえと思われます。たとえばルティムにおいても、すでに自力で屋台を出せるだけのかまど番が育っているように思いますが……我々はあくまでルウの手伝いをするに留め、自ら屋台を出そうとは思いません。それは、大きな苦労を避けるためでもあるのです」
そのように述べてから、ガズラン=ルティムは俺に穏やかな眼差しを向けてきた。
「あまりくわしく聞いたことはありませんでしたが、それはファの屋台を手伝っている氏族も同じなのではないでしょうか?」
「はい。自分を手伝ってくれている方々も、まだまだ学ぶ側なのだから自力で屋台を出すなんてとんでもないという考えであると思います。それに、屋台を出すとなると原価率の計算や帳簿をつける必要まで出てきますので、見えない部分でも大きな苦労を抱えることになるはずです」
「ええ。ディンの家人たるトゥール=ディンは、そういった苦労も厭わずに屋台を出す仕事を担っているのでしょう。ディンとリッドは不当に多くの富を得ているのではなく、力のある家人のおかげでより多くの富を授かることができたのだと考えるべきではないでしょうか?」
そう言って、ガズラン=ルティムはゆったりと微笑んだ。
「それに、ひとつの屋台から得られる富が、生鮮肉および腸詰肉の販売から得られる富よりも上回っているとは思えません。それでもしもディンとリッドが損になる立場となってしまったなら、トゥール=ディンも屋台の仕事を取りやめるべきではないかと思い悩むことになってしまうのではないでしょうか?」
ディンの家長は気難しげな面持ちのまま、深々と息をついた。
「相分かった。俺も家人の尽力を無下に扱うつもりはない。多くの富を授かることに、後ろめたさではなく感謝の念を抱くべきであるのだな」
「はい。トゥール=ディンは、本当に立派なかまど番ですから」
俺がそのように答えたところで、シン=ルウがツヴァイ=ルティムとともに戻ってきた。
かまど仕事に励んでいたツヴァイ=ルティムは手拭いで額の汗をぬぐいつつ、ドンダ=ルウのかたわらにちょこんと座る。数多くの狩人たちを前にして、怯む気配は皆無であった。
「ツヴァイ=ルティムが到着したため、次なる話に進めさせてもらおう。……生鮮肉の商売に関しては計算の能力というものが必要であったため、すべての氏族がこのツヴァイ=ルティムの世話になったはずだ。今後の商売に関して見直すべき点を、このツヴァイ=ルティムに語ってもらいたく思う」
「……語っていいんだネ? それじゃあ語らせてもらうけど、まだまだ森辺の女衆は計算ってやつが危なっかしいよ。まあ、肉を売る仕事を受け持った連中に関しては、もう計算違いをすることもないだろうけどさ」
むすっとした顔で、ツヴァイ=ルティムはそのように語り出した。
「でも、それでこの先はどうするんだって話だヨ。アタシの知る限り、この仕事を受け持ってるのは、そのほとんどが若い女衆なんだからサ。せっかく修練を積んだ女衆が婚儀をあげて子でも授かったら、また別の人間が仕事を受け持つことになるんでショ? そうしたら、またイチからやり直しになっちまうわけサ」
「いや、いずれの家でもひとりの人間にばかり苦労を押しつけず、多くの人間が仕事を受け持てるように修練を積んでいるはずだが……それでもまあ、主たるは婚儀をあげていない若い女衆であろうな」
「それはそうだ。婚儀をあげた女衆には、子供の世話や家の仕事というものがあるからな」
ヴェラの家長の言葉に、ドーンの家長が相槌を打つ。それらの親筋の家長たるダリ=サウティは、とても興味深そうにツヴァイ=ルティムの言葉を聞いていた。
「それで? お前はどうするべきだと考えているのだ?」
「……こっからは、アタシひとりには荷の重い話なんじゃないのかネ」
ツヴァイ=ルティムが、ガズラン=ルティムのことをじっとりとねめつける。
ガズラン=ルティムはドンダ=ルウに了承を得て、ツヴァイ=ルティムの隣に座した。
「私はルティムの家長として、ツヴァイ=ルティムとそういった話を語らうことになりました。それで得た結論なのですが……やはり森辺の民は、幼い内からそういった修練を積むべきではないでしょうか?」
「幼い内から?」
「はい。すでにご存じの方々も多いかと思われますが、宿場町における聖堂という場所では、幼子を預かって計算や読み書きというものを教えているのです。……フォウの家では幼子たちを聖堂に預けてみてはどうかと思案されていたそうですね?」
「うむ。それで実際に、女衆と幼子を何度か聖堂に出向かせてみたのだが……やはり、幼子だけを置いて帰るということはできず、女衆が端から見守ることになったな」
バードゥ=フォウは思慮深げな面持ちで、そのように答えた。
「しかし聖堂というのは本来、商売などで忙しい親たちが幼子を預ける場所であるのだ。読み書きや計算を教えるのは、そのついでであるようなものなわけだな。そうすると、俺たちに幼子を預ける理由はないし……女衆がそちらに居残るのでは、むしろ家の仕事がおろそかになってしまおう。何か筋違いなことをしている気持ちが否めなかったので、けっきょく取りやめることになってしまったのだ」
「なるほど。計算や読み書きの修練そのものについては、どうであったのでしょうか?」
「それは、きわめて有意だったように思える。聖堂とはそういった修練ばかりでなく、王国の情勢や歴史や神々について教える場でもあるのだ。我々は、そういった知識も身につけていかなくてはならない立場であろうからな」
「私も、そのように思います。幼子の内から宿場町に通っていれば、そちらの人々とも絆を深められるでしょうからね」
「うむ。それもあって、我々は聖堂に関心を寄せていたのだ。何せ、血族たるランの男衆が宿場町の娘と婚儀をあげるのやもしれんのだからな」
ランの家長は申し訳なさそうに一礼したが、当のジョウ=ランはにこにこと笑っている。
そちらに微笑みを投げかけてから、ガズラン=ルティムは言葉を重ねた。
「やはり何事につけても、修練というのは若い内から励むべきでありましょう。アスタの故郷においては、6歳ていどから読み書きや計算の修練が始められるという話でありましたね?」
「はい。その予備段階として、3歳ぐらいから通う場所も存在しました。まあ、本格的に修練を積むのは、もっと齢を重ねてからですが……何にせよ、読み書きや計算というのは幼子の内から修練を積むべきなのだろうと思います」
「ツヴァイ=ルティムは幼い頃から、銅貨を数えるのを好んでいたそうです。そういった経験が、ツヴァイ=ルティムに高い能力を育んだのでしょう」
ツヴァイ=ルティムは文句を言いたげに口もとをむずむずさせたが、なんとか我慢している様子であった。
「そこで提案したいのですが……やはり我々は、幼子を聖堂に通わせるべきではないでしょうか? なおかつ、それを送り届ける女衆も同じように聖堂で学べば、その場に居残る甲斐もあるように思います」
「うむ。幼子だけを置いて帰るのは、あまりに心配であろうからな。ただ、それは宿場町の民を信用していないという心の表れであるので……その役目を担った女衆も、少なからず後ろめたさを覚えたのだそうだ」
「ですから、ともに学ぶのです。たとえ幼子ならずとも、我々は計算も読み書きもままならず、王国の歴史や情勢もほとんどわきまえていないのですからね。そういう意味では、幼子と何ら変わらないように思います」
あくまでも穏やかな表情で、ガズラン=ルティムはそのように言いつのった。
「そうして聖堂に通い続ければ、いずれは幼子のみを置いて帰ろうという心持ちになれるのではないでしょうか? 私とて、今すぐ我が子を聖堂に置いて帰ろうという気持ちにはなれませんので……我々が安心を得るには、時間が必要であるかと思います。そして、聖堂に居残る人間も有意義な時間を過ごせるのであれば、決して無駄にはならないのではないでしょうか?」
「しかしそれは、どれだけの時間を預けるものであるのだ? 女衆とて、家の仕事というものがあるのだぞ」
保守派の代表たるデイ=ラヴィッツがそのように言いたてると、ガズラン=ルティムは穏やかな眼差しでそちらに向きなおった。
「宿場町の民が幼子を聖堂に預けるのは、半日弱といったところでしょうか。中天を真ん中として、五刻ていどと聞き及んでいます」
「ふん。行き来の時間まで入れたら、それこそ半日がかりだな。……しかしその聖堂という場所には、どれだけの人間が入れるものであるのだ? 森辺の幼子をすべて駆り出そうとしたら、とてつもない人数になるはずだぞ。それともそれは、フォウやルティムだけが受け持つ話であるのか?」
「いえ。すべての氏族がまんべんなく学ぶべきでしょう。宿場町の民とて聖堂に幼子を預けるのは数日置きであるという話ですので、我々もそれにならって、それぞれの氏族が数日置きに幼子を預けるべきかと思われます」
「しかし、幼子なぞ抱えていないファの家を除いても、森辺には36の氏族がある。ひとつの氏族ごとが交代で町に下りていたら、ひと回りするのにひと月以上だな」
「それは、6つていどの組を作るべきでしょうね。族長筋はそれぞれがひとつの組で、小さき氏族で3つの組というのが妥当ではないでしょうか」
「うむ?」と声をあげたのは、ベイムの家長であった。
「ちょっと待たれよ。小さき氏族で3つの組というと……それは、かなりの人数になってしまうはずだぞ。ファとスンの家を除いても、小さき氏族には6つの親筋があり、それぞれ眷族を抱えているのだからな。たとえば、ガズとラッツ、フォウとダイ、ベイムとラヴィッツという分け方にしたとすると……荷車などは何台必要になるかもわからんし、付き添う人間の数もずいぶん必要になろう」
「はい。そこは休息の日を選んで、男衆も付き添う形にすればいいのではないでしょうか? そのほうがより安心ですし、男衆とて王国のあれこれを学ぶことに無駄はないでしょう。トトスと荷車に関しては、それ専用のものを買いつける必要があるやもしれませんが……有事の際にはトトスや荷車が足りていないという事実も、先日の邪神教団にまつわる騒ぎで判明しました。決して銅貨の無駄にはならないように思います」
ガズラン=ルティムは、すでにそこまで話を詰めていたのだった。
デイ=ラヴィッツはひょっとこのように額に皺を寄せつつ、考え込んでしまっている。家族や血族に対してはきわめて情の深い御仁であるので、やはり悩ましいところであるのだろう。
「もちろん私も、そうまで早急に事を進めるべきだとは考えていません。まずはすべての氏族の人間が聖堂という場所に出向いてみて、様子をうかがうべきであろうと思います。それでこれが有意であると感じられたならば、少しずつ通う頻度を増やしていけばいいのではないでしょうか?」
「うむ。俺は復活祭の折に、自らの目で聖堂における修練の場を見届けている。決して無駄にはならぬと考えているぞ」
バードゥ=フォウがそのように宣言すると、しばらく推移を見守っていたドンダ=ルウも声をあげた。
「ではまず族長たる我々が、家人を聖堂という場所に差し向けるべきであろうな。幼子に関しても、我々がガズラン=ルティムの提案する形で預けてみて、危険や不足などがないものか確認するべきであろうよ」
「そうだな。俺もドンダ=ルウに賛同する。グラフ=ザザは、どうであろうか?」
「……我々は、ひときわ宿場町から遠い位置に集落をかまえている。往復で、三刻以上はかかろうからな。そのような労苦に見合う行いであるのか、よほど厳しい目で見定める必要があろう」
重々しい声音で、グラフ=ザザはそう言った。
「しかしまあ、食材の買い出しではそれだけの時間をかけているのだ。幼子を聖堂なる場所に預ける甲斐を見出したならば、同じ日に買い出しの仕事を果たし、最大限に無駄を削るしかなかろう」
「ほう! さすがにグラフ=ザザは、反対するだろうと思っていたぞ! 往復に三刻がかりというのは、俺でもいささかならず腰が引けてしまうからな!」
ラウ=レイが恐れげもなく声をあげると、グラフ=ザザは底光りする目でそちらをねめつけた。
「家が遠いという理由で手間を惜しめば、我々だけが異なる習わしに身を置くことになろう。森辺において、ザザの血族だけは計算や読み書きというものが不得手であり、宿場町の民とも縁が薄い、などという行く末を迎えるのは……決して望ましいことではあるまい」
「はい。ザザやサウティは家が遠いために屋台の商売に関わることも難しく、どうしても宿場町とは縁遠い立場でありました。このたびの行いが、少しでもそういった問題を緩和できればと思います」
ガズラン=ルティムのそんな言葉によって、この議題も締めくくられることになった。
幼子のいないファの家には関わりのない議題であったが、これほど有意義な内容であれば退屈するいとまもない。俺は大いに充足した心地で、ひと息つくことになった。
(それに、俺たちだっていつかはひょっとして――)
と、俺があらぬ想念を浮かべかけたとき、それを断ち切るようにドンダ=ルウが声をあげた。
「では、ツヴァイ=ルティムがいる内に、次の議題に取りかからせていただく。ファの家のアスタよ、貴様もこちらに並ぶがいい」
これは事前にお達しがあったので、俺はすみやかに「はい」と進み出た。
「生鮮肉や腸詰肉の商売に関しては、まだ問題が残されている。ファとルウを除くすべての氏族が平等に富を得るにはどういった形が望ましいか、ツヴァイ=ルティムとアスタに策を練ってもらおう」
俺たちは数字に強いということで、この役目を負うことになったのだ。
基本プランは、猟犬の分配と同じようなものである。それぞれの氏族の抱える家人の人数と、商売を受け持つ頻度が、なるべく比例するような形を模索すればいいのだ。これは俺とツヴァイ=ルティムのディスカッションという形式で話を進めさせてもらうことにした。
「すべての氏族の家人の数は、こちらに書き留めさせておいた。これをもとに、形を整えてもらいたい」
「承知しました。えーと、まずはいくつの組を作るかだけど……ファとルウの血族を除いた氏族の数は29だから、7つぐらいの組が無難かな?」
「そうだネ。ただ、血族だけで固めないほうがいいはずだヨ。肉や人手が足りないときなんかは、血族を頼れたほうが面倒も少ないだろうからサ」
「うん、確かに。でも、ザザ、ドム、ジーンの3氏族と、ハヴィラ、ダナの2氏族は、同じ組でいいんじゃないかな。困ったときは、おたがいを頼れるだろうからね」
「その理屈なら、サウティとヴェラ、タムルとフェイ、ドーンとダダも同じくくりで問題ないネ。ラヴィッツとヴィンとナハムは、みんな近い場所で暮らしてるんだっけ?」
「ヴィンだけ、少し離れてる感じかな。ラヴィッツとナハムを同じ組にすればいいと思うよ。あとは、ラッツとミームを組にして、アウロだけを外す形かな。フォウも2つの眷族があるけど、スドラの家人がちょっと少なめだから、これは3つともバラバラにしておこうか」
「そうすると……ラヴィッツ、ナハム、アウロ、スンで、ちょうどいい人数だネ。ヴィンは、北の一族とまとめるとして……」
「それじゃあ、ダナとハヴィラは、タムルとフェイかな。サウティとヴェラは……フォウとマトゥアで同じぐらいの人数になるね」
そんな感じで、俺とツヴァイ=ルティムはかたっぱしから組分けを完成させていった。
各氏族の家人の人数がつまびらかにされているので、それはべつだん難しい話でもなかったのだが――ラッド=リッドなどは、すっかり目を丸くしてしまっていた。
「よくもそのように、ぽんぽんと話を進められるものだな! それもやはり、計算や読み書きというものを習得しているゆえなのであろうか?」
「そうですね。計算はもちろん、数字を文字で書き留められるからこそ、こういった作業が楽なんだろうと思います」
「ではやはり、聖堂という場所に通う甲斐はあるのやもしれんな! 俺にはもう、何が何やらさっぱりだ!」
ダン=ルティムと似たところのあるラッド=リッドは、そんな風に言いながらガハハと高笑いを響かせた。
そんな中、組分けは滞りなく完了する。ツヴァイ=ルティムに押しつけられて、俺がそれを発表することになった。
「4つから5つの氏族で編成される7つの組が、これで完成しました。これをどのような順番で回すかは、各自の休息の期間次第ということになるのでしょうね」
「ご苦労だった」と、ドンダ=ルウは重々しい声音でねぎらってくれた。
「それ以外に、何か留意する点はあろうか?」
「そうですね。女衆の間で話題になっていたのは、雨季についてです。雨季は町でも外来の客人が減るため、宿屋の方々が生鮮肉を買い控えるようになるのですね。その時期の担当となった氏族は授かる富が少なくなってしまうため、そちらにも対策を講じたいと思います」
「対策とは、どのような?」
「商売を受け持つ期間を、ひと月から10日間に変更するのです。そんな頻繁に入れ替えるのはちょっとせわしないかもしれませんが、大きな富がいちどきに入ってくるよりは、短い周期で収入があるほうが、家計のやりくりも考えやすくなるでしょう? なおかつ、そうすればほとんどの氏族が雨季の間に仕事を受け持つことになって、ほどほどに平等になるのではないかと思われます。それに、雨季の間は稼ぎが減るという事実を、みんなが体感できるのではないでしょうか」
「ふむ……」
「太陽神の復活祭の時期は、逆に売り上げが上がりますけれど、こちらは半月足らずの期間ですので、すべての氏族にまんべんなく仕事を回すというのは、いささか難しいです。ただ、最近では森辺の民も復活祭を楽しむようになっていますし……そんな忙しい時期に仕事を受け持つということで、売り上げが上がる分はご褒美と考えてみてはいかがでしょうか」
「なるほど」
「あとは、不測の事態が生じた際ですね。この青の月も邪神教団のせいで、10日ぐらいは生鮮肉の商売を取りやめることになってしまったでしょう? あんな騒ぎはそうそう起きないと信じたいところですが、そういう際にも稼ぎの減り具合に応じて仕事を受け持つ期間を延長したりすれば――」
「ちょっと待て」と声をあげたのは、ザザの眷族たるハヴィラの家長であった。
「ファの家はそれらの商売に関わっていないのに、どうしてそうまで事情をわきまえているのだ?」
「俺は屋台の商売で数多くの氏族と交流をもたせていただいているので、自然に耳に入ってくるのですよ」
俺はそのように答えてみせたが、ほとんど過半数ぐらいの人々が感服しきった面持ちになってしまっていた。
「ううむ。俺も家長として、聞くべき話は聞いているつもりであったのだが……こうしてみると、やはり商売については何もわきまえていないような心地になってしまうな」
「それはべつだん、かまわないように思います。俺たちだって、ギバ狩りの作法などはまったくわきまえておりませんしね」
俺は笑顔で、そのように答えてみせた。
「もちろん家長ともなれば、必要最低限の話はわきまえておく必要があるのでしょうけれど。女衆らは誰もが責任をもって仕事を果たそうとしていますので、どうかご安心ください。俺たちは、狩人が生命をかけて手に入れたギバ肉を無駄にしないように、料理や商売を頑張ろうと心がけています」
「うむ。心強い話だな」
と、ダリ=サウティがやわらかい笑顔でそのように言ってくれた。
「俺たちは自身が商売について頭を悩ませるよりも、まずアスタや女衆らの尽力に感謝するべきであろうよ。そうしてその言葉に耳をよく傾け、助力が必要な際にはこうして力を添えればよいのだ」
「女衆らに、感謝の念を忘れたことはないぞ! 何せ商売の話などは、聞いているだけで頭が痛くなるようなものばかりだからな! これならギバを追っているほうが、まだしも楽に思えるほどだ!」
ラッツの家長が豪放に言い放つと、他の家長らも笑い声をあげた。
そうしてそんな中、ひとりでじっと座したアイ=ファは、とても優しく誇らしげな眼差しで俺のことを見守ってくれていたのだった。