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異世界料理道  作者: EDA
第六十六章 再興の日々
1139/1680

森辺の家長会議②~序盤~

2021.12/31 更新分 1/1

・本年はご愛顧ありがとうございました。よいお年をお迎えくださいませ。

「ではまず手近なところから、飛蝗の被害について取り沙汰させていただこう。この数日はどの氏族からも特別な報告は為されていないが、何か不測の事態が生じたりはしておらんだろうか?」


 とりたてて、声をあげる者はいなかった。

「では」と、ダリ=サウティが挙手をする。


「おおよそのことはすべての氏族に伝えられているかと思うが、あらためて、こちらの狩り場の被害をつまびらかにさせていただこう。もっとも南方に住まうサウティの狩り場こそが、もっとも大きな被害を受けていようからな」


 ダリ=サウティの言葉に、多くの家長たちが居住まいを正した。母なる森がどれだけ傷ついたかというのは、森辺の民にとって家人の生命と同じ重さを持つ話であるのだ。


「サウティは6つの氏族から成り、その中でも南の端に集落と狩り場を持つのは、フェイとタムルになる。俺もこの目で確認させてもらったが――そちらの狩り場は、およそ2割ていどが失われてしまったと見なしてかまわんだろうな」


「2割?」と、ラッツの若き家長が大きな声を張り上げた。


「狩り場の2割が失われたとは、どういう意味であるのだ? ただ森の恵みを喰い尽くされたという意味ではあるまい?」


「狩り場の恵みは4ヶ月か半年ほどで、ギバに喰い尽くされるものであるからな。それで狩り場が失われることにはなるまい。……フェイとタムルの狩り場は、2割ていどの草葉が残らず喰い尽くされてしまったのだ。そうしてすべての草葉を失った樹木は、そのまま立ち枯れてしまうのではないかと思われる」


 その場に憤激の気配が満ちて、俺は思わず首をすくめることになった。森辺でも選りすぐりの狩人である家長とお供の男衆らが、いっせいに怒りをあらわにしたのだ。怒号をあげる人間がいなくとも、空気が瞬時に沸騰したかのような感覚であった。


「そちらの狩り場にそういった被害が出たとは聞いていたが、まさか2割とは……それは、確かな数字であるのか?」


「無用の怒りや困惑を招かぬよう、むしろひかえめに見つくろったつもりだ。まったくひどい有り様だが、3割には及んでいないはず、といったぐらいであろうな」


「そうだな」と重圧感に満ちた声をあげたのは、グラフ=ザザであった。


「俺たちザザの血族は、その多くがサウティの血族の狩り場で飛蝗の始末を受け持つことになった。ダリ=サウティの言葉に、誇張はない。とある場所などは、四方に矢を射っても届かない距離までまるまる草葉を喰い尽くされて、剥き出しの地面と葉のない樹木がさらされていたのだ」


 憤激の波動が、ますます高まっていく。気温が2度ほど上昇したのではないかと思えるぐらい、その場には狩人たちの怒りが渦巻いていた。


「かえすがえすも、邪神教団というのは許されざる存在だな。それを討伐できたことを、心から得難く思う」


 バードゥ=フォウは比較的沈着な声音で、そう言った。


「そしてそれは、フェイとタムルの狩り場についてであるのだな。それ以外のサウティの狩り場においては、どうなのであろうか?」


「サウティとヴェラの狩り場は1割ていど、ドーンとダダはそれ以下といったぐらいであろうかな。ザザの血族の尽力がなければ、こちらにも同じていどの被害が出ていたやもしれん」


「なるほど。それで、そこまで狩り場に被害が出てしまうと、ギバの収獲にも影響が出かねないということか」


「うむ。どのていどの影響が出るかは、もう少し時間をかけて見定めるしかないだろう。あまりに影響が大きいようであれば、もっと奥部にまで狩り場を広げるか、あるいはフェイとタムルのどちらかに新たな集落と狩り場を切り開いてもらうしかあるまい」


 そんな風に言ってから、ダリ=サウティはゆったりと微笑んだ。


「ただし、ルウの血族が新たに切り開くのは、ルウの集落よりもさらに北方という話であったから、俺たちがそこまで足をのばすことはない。ドンダ=ルウから事前に打診があったため、俺はそのように答えている。ルウとサウティで狩り場を取り合うような事態には至らないので、そういった懸念は不要だと伝えておこう」


「ほう。すでにそのような話まで交わされていたのか。さすが、周到なことだな」


「うむ。連絡を密に取れば、不要の争いは避けられるものであるからな。族長たる我々は、規範を示すべきであろうよ」


 すると、ガズラン=ルティムが「よろしいでしょうか」と発言した。


「これはあまりに時期尚早な話やもしれませんが、今の内に伝えさせていただきたく思います。……もしも本当に広い範囲の樹木が立ち枯れてしまうようならば、雨季には注意が必要になるかと思われます」


「雨季? それはどういった話であろうか?」


「はい。これはかつて、城下町にて聞き及んだのですが……森というのは多くの樹木が根を張っているため、地盤が頑丈であるそうなのです。しかし、樹木が立ち枯れたならば地盤がゆるみ、雨季には土砂崩れなどの危険が生じるやもしれません」


「待て」と声をあげたのは、毛皮のかぶりものをしたジーンの家長であった。


「今、城下町と言ったか? しかし青の月となってからは、会合の他に城下町まで出向くことはなかったはずだな」


「はい。その話をうかがったのは、ずいぶん昔のこととなります」


「その頃には飛蝗の被害もなかったのに、どうしてそのような話になったのだ?」


「私は集落と町の間に広がる森の端の樹木はどうして伐採されないのかと、常々疑問に思っていました。そちらの樹木を使えばダレイムを守る塀をもっと早くに築くこともできましたし、また、町の人間と森辺の民がこうまで隔絶することもなかったのではないかと思い至ったのです」


 とても穏やかな面持ちで、ガズラン=ルティムはそのように言葉を重ねた。


「それをあちこちの貴族に聞いて回ったところ、先の話を知ることができたのです。森辺の集落は平坦な場所を選んで開かれているために危険もありませんが、町との間に広がる森の端は斜面であるため、そちらの樹木をあまりに伐採してしまうと、土砂崩れの被害が出る恐れがあるのだという話でありました。それで、狩り場も平坦な場所ばかりではないため、地形によっては土砂崩れの危険が生じるのではないかと考えた次第です」


「ガズラン=ルティムはたびたび城下町の祝宴に招かれているが、貴族たちとそのような話に興じているのか? まったく、気苦労の絶えないやつだな!」


 と、笑い声をあげたのはラウ=レイである。

 が、他の家長たちの多くは感心した風であった。ガズラン=ルティムは平時から、そのようにして知識を蓄えているのだ。俺も感服の思いであったし、ガズラン=ルティムの聡明さが誇らしい限りであった。


「了承した。ガズラン=ルティムの言葉は、しかと胸に留めておこう。……フェイとタムルの家長も、わきまえたな?」


「うむ。次の雨季まで、胸に刻んでおこうと思う」


 ダリ=サウティは深くうなずき、ドンダ=ルウのほうに目を転じた。


「サウティからは、以上だ。進行をお願いする」


「では次は、ダイの家長に報告してもらおう」


 それからは南の側から順番に、狩り場の被害が報告されることになった。

 やはり北上するにつれて、被害の度合いは減じていく。それに、いずれの狩り場でもギバの数は落ち着いているとのことであった。


「狂暴化したムントというやつも、完全になりをひそめたようだな」


「うむ。こちらの狩り場では、寄生虫というものを宿したムントの屍骸をいくつも見つけることになった。あれはおそらく、飢えたギバに襲いかかって返り討ちにされたのであろうな。そういう屍骸には、おおよそギバの角と思しき傷痕が残されていた」


「そういえば、こちらでは初めて寄生虫を宿したギバが発見された。べつだんその肉を喰らっても問題はないという話であったが、薄気味悪いので森に返すことにしたぞ」


 重要な話はトトスの連絡網で回されるが、やはり実際に対面しなければ細かい話は聞けないものだ。俺は大きな関心をもって、それらの報告を聞くことができた。


「飛蝗の被害については、これまでとするか。では、邪神教団にまつわる話として……スンの家長よ、末妹の様子はその後どうであろうか?」


 俺が小さく息を呑むかたわらで、スンの家長は静かに声をあげた。


「以前に伝えた通り、星読みの力というのはずいぶん強まってしまった様子だが、特に問題なく過ごせている。アリシュナという娘のおかげであろうな」


「そうか。我々は星読みというものに疎いため、いまひとつ実態がつかみにくい。ここは本人から直接言葉を聞きたく思うが、異存のある家長はいようか?」


 異存のある人間はいなかったが、戸惑い気味の顔を見せる人間は少なくなかった。

 俺自身、ここでクルア=スン本人が招集されるとは考えていなかったので、やたらと緊張してしまう。しかし、それに気づいたアイ=ファが「案ずるな」と耳打ちしてくれた。


「森辺にクルア=スンを忌避する人間など存在すまい。お前は黙って見守ってやるがいい」


 俺は「うん」と答えたが、やはりすべての緊張を解くことは難しかった。

 そんな中、スンの男衆に連れられて、クルア=スンが祭祀堂にやってくる。かまど仕事に励んでいたはずの彼女は、とても静謐な面持ちで一礼した。


「スンの末妹、クルア=スンと申します。このたびは多くの方々にご苦労とご心配をおかけしてしまい、心より申し訳なく思っています」


「何も貴様に罪のある話ではあるまい。……アリシュナという娘は、お前についてどのように語らっているのだ?」


「はい。わたしには小さからぬ星読みの力が備わっているそうですが、心を平穏に保てば何も心配はないというお言葉をいただくことがかないました」


「では、心を乱せば問題が生じるということか?」


 そのように声をあげたのは、デイ=ラヴィッツである。

 クルア=スンは銀灰色の瞳をそちらに向けつつ、「はい」と微笑む。


「ただしそれは、わたしが苦しむというだけのことであり、他の方々にご迷惑がかかるような話ではありません」


「何が苦しいというのだ? また勝手にこの世の行く末が透けて見えてしまうということか?」


「わたしが飛蝗の襲来を予見できたのは、邪神教団の妖術というものが大きく星図を乱すため、その波動にあてられた結果であるという話でありました。もともとわたしには、星が見えてもそれを読む技術というものが備わっておりませんため……どのような星の動きを目にしようとも、なかなかその意味を汲み取ることはかなわないのです」


「では、何が苦しいというのだ?」


「それは……言葉で説明するのが、いささか難しいのですが……まったく意味のわからない力の波動を感じ取り、恐れおののいてしまうといった感じでしょうか……」


「さっぱり意味がわからんな」と、デイ=ラヴィッツは肩をすくめた。

 すると、ライエルファム=スドラが声をあげる。


「それでお前は、アリシュナという娘から何を手ほどきされているのだ?」


「心を平穏に保つすべ……そして、星の動きを読み解くすべです」


「お前は、星読みの術を体得しようとしているのか?」


「はい。わたしは決して、占星師として生きようと考えているわけではないのですが……意味を知らずに恐れるよりは、自分の見えるものの意味を正しく知った上で、それを眠らせたく思っています」


 ライエルファム=スドラはしばらくクルア=スンの穏やかな顔を見つめてから、「そうか」とうなずいた。


「やはり俺にも、お前の言葉は半分がた理解が及ばないのだが……お前が苦しんでいないならば、得難く思う」


「ありがとうございます。スドラの家長の言葉は、わたしを大きく勇気づけてくれました」


 それは、チル=リムを森辺に招いた日のことを言っているのだろう。クルア=スンに星読みの力らしきものが備わっていると明かされたとき、ライエルファム=スドラは「それでお前を忌避するような人間は、森辺に存在しない」と言っていたのだ。


「以前に通達した通り、スンの末妹の星読みの力については、森辺の外で語ることを禁ずる。これは邪神教団の他なる一派の関心をひかないための用心であるため、決して破ることは許されん」


 ドンダ=ルウのそんな言葉によって、この一件は幕が引かれた。

 クルア=スンは一礼して去っていき、俺はほっと安堵の息をつく。


「では、次は……猟犬にまつわる話を片付けておくことにするか。シュミラル=リリンよ、こちらに」


 ギラン=リリンのかたわらに控えていたシュミラル=リリンが、再びドンダ=ルウのもとまで進み出た。


「シュミラル=リリンは森辺においてもっとも猟犬にくわしい人間であるため、こちらで言葉を聞かせてもらいたく思う。まず一番に語らねばならんのは、やはり猟犬の伴侶についてであろうが……雌の犬というものを預かってから10日ていどが経ち、何か問題の生じた氏族はあろうか?」


 言葉を返す人間はいなかった。

 ドンダ=ルウはひとつうなずき、シュミラル=リリンを目でうながす。


「雌の犬、森辺の家人、迎える否か、判別する期限、残り20日ほどです。20日ほど、経過したならば、猟犬の行商人、こちらの返答、聞くために、ジェノス、訪れます。正式、買いつけるならば、銅貨、必要になります」


「その値は、猟犬の半分ていどという話であったな?」


「はい。猟犬の値、白銅貨65枚、雌の犬、白銅貨30枚です。ただし、10頭すべて、買いつけるなら、1割、値引きする、言われています」


 白銅貨30枚であれば、俺の感覚でいうと6万円ほどだ。たとえ1割値引きされても、決して安い買い物ではないだろう。

 ただし、問題の本質は別のところにあった。


「雌の犬、1度のお産、3頭か4頭、子を生し、それを2度ほど、繰り返す、通例です。雌の犬、手に入れたならば、6頭か8頭、犬の子、授かる公算、高いです。あくまで、私、推測ですが……森辺の民、自ら、猟犬、調教すること、可能である、思います。森辺の民、獣と心、通じ合わせる、巧みであるためです。であれば、今後、猟犬、買いつける必要、なくなるため、雌の犬、手中にする、大きな利益、思います」


 落ち着いた声音で、シュミラル=リリンはそのように言いつのった。


「ただし……ファの家のアスタ、問題提起しました。すべての猟犬、伴侶、与えたならば、数、増えすぎることです。現時点、猟犬、100頭以上ですので、1度のお産、少なく見積もって、300頭。2度のお産、600頭。両親、あわせれば、800頭です」


 どよどよと、どよめきがあげられる。やはり数字にしてみると、とてつもなさが体感しやすいのだ。


「そして、600頭の子犬、雄雌、半々であったなら、それぞれ伴侶、得られます。300頭の雌犬、1度のお産、900頭。2度のお産、1800頭です。親と、親の親、加えたならば、2600頭です。すべて、順調、いったならば、10年以内、その数字、なります」


 そこでシュミラル=リリンは、ふっとやわらかい微笑をたたえた。


「もちろん、すべてのお産、上手くいく、限りません。子供、3頭、産まれても、全員、幼い内、魂を返すこと、ありえるでしょう。逆に、すべての犬、4頭、産んで、全員、健やかに育つこと、ありえます。その場合、さらに数、増えます」


「10年足らずで、2600頭か。それは確かに、笑って済ませられる数字ではあるまいな」


 そのように語りながら、ダリ=サウティは大らかに微笑んでいた。


「それで、俺たちが犬の子らを持て余すようであれば、行商人が引き取るという話であるのだな?」


「はい。行商人、森辺で、強い犬、産まれること、期待しています。それもあって、雌犬、森辺、売ること、思い至ったのでしょう。ただし、打算のみでなく、猟犬の幸福、願っていたようだと、リャダ=ルウ、語らっていました」


「ああ。その話を聞いたのは、そちらのシン=ルウの父親であるという話であったな。……それで我々は、猟犬にどのような行く末を与えるべきか、思案しなければならなくなったというわけだな」


「うむ。その話は、すでにすべての氏族に通達している。細かい数字などは伝えておらんかったが、血族の意見をまとめておくように言葉を回されたはずだ」


 進行役であるドンダ=ルウが、力のある眼差しで家長たちを見回した。


「俺は、3つの道があると考えている。すべての猟犬に伴侶を与えて、育てきれない子供の犬は行商人に引き渡すという道。あるいは、このたびの10頭だけを受け入れて、産まれた子供はすべて森辺で育てるという道。あるいは、猟犬に伴侶を与えないという道だ」


「うむ。確かにそのような言葉を回された。ちなみに、10頭のみを受け入れた場合は、どれほどの数になるのであろうかな?」


 ダリ=サウティの問いかけに、シュミラル=リリンが「はい」とうなずく。


「雌犬、10頭、2度のお産、60頭です。2世代目、子を生したなら、180頭です。5年から10年で、すべての世代、総数、350頭です」


「なるほど。そのていどの数であれば、問題なく育てられるように思えるな」


「はい。ただし、3世代目、子を生したなら、540頭です。4世代目、子を生したなら、1620頭です。20年以内、子だけで、その数です」


「わはははは!」と大笑いしたのは、ラウ=レイであった。


「それではけっきょく、同じことだな! 人間でも6名ぐらいの子を授かることは珍しくもないが、5年やそこらで子を産めるようになってしまうため、人間よりもすぐに数が増えてしまうというわけか!」


「はい。なおかつ、ジャガルの犬、2歳から、出産、可能です。このたび、預かった雌犬、すべて2歳です。2歳から、5歳までで、2度の出産、行う、通例、聞きました」


「あやつらは、たった2年で大人になってしまうのだな! ……まあ、わずか10年ほどで魂を返してしまうのなら、べつだんおかしいわけでもないのか」


 と、ラウ=レイは妙にしみじみとした調子で言った。

 そしてまた、元気いっぱいに声を張り上げる。このたびはダン=ルティムも参席していないため、その分まで騒ごうとしているかのようだ。


「人間よりも短い時間しか生きられないのなら、その分めいっぱい可愛がってやるしかあるまい! ドンダ=ルウよ! 俺の考えは以前に伝えた通りだからな!」


「今からそれを論じ合うところだ。ちっとは家長会議の作法を学びやがれ」


 と、普段の伝法な物言いをちらりと垣間見せてから、ドンダ=ルウはあらためて家長たちを見回した。


「まずは親筋の家長たる10名に、それぞれの血族の総意を聞かせてもらおう。他の家長の顔色をうかがうことなく、正直な意見を聞かせてもらいたい。ではまず、すべての猟犬に伴侶を与えるべきと考えた氏族は――」


 と、ドンダ=ルウの声に応じてアイ=ファは挙手をしようとしたが、その前に「待った!」と声をあげる者があった。

 ラウ=レイといい勝負をできるぐらい豪放な気性をした、ラッツの若き家長である。


「今の話を聞かされて、俺は考えが変わってしまった! 眷族の家長らともういっぺん話し合わない限り、総意を述べることはできんな!」


「うむ? 考えが変わったとは、どういうことであろうか? 何も目新しい話は出ていないはずだが」


「そんなことはあるまい! 俺は産まれた犬の子をジャガルに送りつけるなど気が進まなかったので、このたびの10頭だけを引き取るべきだと考えていたのだ!  しかし、それでもけっきょくそのような数になってしまうのでは、問題を先送りにするだけではないか!」


「俺も、同じように考えていた」と、手を挙げる者がいた。こちらもラッツの家長に負けないぐらい若年の、ダナの家長である。ザザの収穫祭の力比べでは3種の競技で勇士となった、若いながらも卓越した力を持つ狩人であった。


「グラフ=ザザよ。俺もラッツの家長と同じ意見を述べたはずだが、それは撤回せざるを得ない。俺はすべての子を森辺で育てられるならという理由で、10頭の雌犬のみを引き取るべきだと考えたのだからな」


「ふむ。しかし、それだけの数に増えるのは、曾孫の世代であるという話であったようだが」


 グラフ=ザザがうろんげな目を向けると、ダナの家長は気合の入った面持ちで応じた。


「それでもたかだか20年後の話であるのなら、見過ごすことはできまい。……いや、それが30年後や40年後であったなら、なおさら厄介であろうよ。その頃には、俺たちものきなみ魂を返しているか、自分の子に家長の座を受け渡しているのであろうからな。自分たちが問題を先送りにして、将来の家長たちに苦悩を押しつけるような事態は避けたく思うのだ」


「それは確かに、その通りだな」と、ベイムの家長も声をあげた。


「実のところ、俺たちもまずは10頭の雌犬だけを引き取って、様子を見るべきかと考えていた。しかし、それでもいずれ手に余るほどの数になってしまうというのなら……90頭以上もの猟犬に孤独を強いる甲斐もない。それではあまりに、不憫だからな」


「うむ。俺も同じように思うぞ」と、隣のダゴラの家長も賛同した。

 ベイムにはダゴラしか眷族がないので、これでいちおう総意もまとまったことになるだろう。しかし、ラッツやダナはそういうわけにもいかなかったし、他にも考え深げな面持ちをした家長が多数存在したのだった。


「……細かい数字を伝達するのは手間かと思ったのだが、それはこちらの考え違いであったようだな」


 やがてドンダ=ルウが、重々しい声音でそう言った。


「これは、最初に言葉を回した俺の不手際であろう。しかし、ここから血族の総意をまとめていては、時間を食うばかりだ。この際は、37の氏族の家長ひとりひとりの考えを表明してもらいたく思う」


「うむ! 俺の考えは変わらんので、何がどうでもかまわんぞ!」


 ラウ=レイの気安い言葉は黙殺し、ドンダ=ルウはあらためて発言した。


「では、決を取る。すべての猟犬に伴侶を与えるべきだと考える家長は、挙手を願いたい」


 今度こそ、アイ=ファは凛然と手をあげた。

 俺はそろりと周囲を見回し――そして、少なからず驚かされる。実に数多くの手が、そこにのばされていたのだ。

 自身も手をあげたドンダ=ルウは無言のままに視線を巡らせて、その数を計測していき――やがて、ふっと息をついた。


「37の氏族の家長が、すべて手をあげているようだな。念のために確認しておくが、別なる意見を持つ家長はないだろうか?」


 声をあげる者はいない。

 ドンダ=ルウは厳粛なる所作で首肯し、あげていた手をおろした。


「では、手をおろすがいい。……育てきれない子供をジャガルの地に送ることになろうとも、すべての猟犬に伴侶を与える。全員、それでかまわんということだな?」


「うむ。ただし、ファの家においてはかなう限り、産まれた子らを自分のもとで育てたいと考えている」


 アイ=ファがそのように言いたてると、「それは当然のことであろうよ」とラウ=レイが愉快そうに言った。


「お前は何をそのように気負った顔をしておるのだ、アイ=ファよ? 産まれた子を手放したいと考える人間など、森辺にいるものか。ラッツやダナやベイムの家長も、それを避けたいからこそ10頭のみに留めるべきと考えたのであろうからな」


「うむ。私ひとりが筋違いな考えを抱いていたわけではないと知ることできて、嬉しく思っている」


 アイ=ファがやわらいだ眼差しで答えると、ラウ=レイはまた陽気に笑い声をあげた。


「犬というのはあれほど可愛らしい連中なのだから、そう考えるのが当然であろうよ! 犬の赤子がどれだけ愛くるしい姿をしているか、今から楽しみなところだな!」


「ふん。俺たちは、猟犬を外から買い続けることを馬鹿らしいと考えたまでだ」


 と、デイ=ラヴィッツが面白くなさそうに口をはさんだ。


「猟犬などは1頭で白銅貨65枚もするのだから、それを何頭も産むことのできる雌犬を半分足らずの銅貨で買えるなら、見過ごす手はあるまいよ。ここは何としてでも、自力で猟犬を育てるすべを身につけるべきであると思うぞ」


「きっと、可能でしょう。森辺の民ならば」


 シュミラル=リリンは、とてもやわらかい微笑とともに、そう答えた。

 そうして10頭の雌犬たちは正式に買いつけられることになり、残りの90頭以上に関しても購入の手立てが講じられることに決定したのだった。

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