表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異世界料理道  作者: EDA
第六十六章 再興の日々
1138/1682

森辺の家長会議①~集結~

2021.12/30 更新分 1/1

 リフレイアたちをファの家に招いた日から、3日後――青の月の30日である。

 青の月の最終日たるその日に、森辺の集落においては年に1度の家長会議が行われることになった。


 本来の開催日からは、ちょうど20日遅れの開催である。

 俺たちは青の月になってすぐに邪神教団の災厄に見舞われたため、これだけの延期を余儀なくされたのだった。


「今回も、重要な議題が山積みなんだろうな。でもやっぱり、去年に比べれば緊張しないで済むよ」


 家長会議の会場たるスンの集落に向かう荷車の中で、俺はアイ=ファにそう告げてみせた。同乗するのはランとスドラの人々であり、チム=スドラが御者役を担ってくれたため、俺はアイ=ファとものんびり語らうことができたのだ。


「それはまあ、昨年はファの家の行いについて是非を定めるという議題が含まれていたのだから、気を張るのも当然であろう。しかし、そもそも家長会議で気をゆるめることは許されんぞ、アスタよ」


「それはもちろん、わかってるさ。ただ、フラットな立場で家長会議に臨むのが初めてだから、何だか感慨深いなあと思ったんだよ」


「ふらっと」


「あ、ごめん。えーとえーと……本来は、平坦とかそういう意味合いかな。俺は中立とかそういうニュアンスを込めてるけど」


「にゅあんす」


「わー、ごめん! なんだかんだで、俺もやっぱり緊張してるのかなあ」


 アイ=ファは苦笑を浮かべつつ、俺の頭を優しく小突いてきた。

 すると、ランの家長と語らっていたライエルファム=スドラが、俺よりも感慨深げな眼差しを向けてくる。


「俺たちが初めてアスタとまみえたのは、2年前の家長会議であったな。であれば、アスタと出会ってからちょうど2年と20日が過ぎたということだ。あの日を境に、スドラは滅びの運命から脱することがかなったのだから……俺のほうこそ、感慨深く思っているぞ」


「うむ。その日はスン家の者たちが、ファの家ばかりでなく俺たちにまで眠りの毒草を嗅がせるという悪辣な真似をしたのだったな。きっとスドラばかりでなく、森辺の民は誰もが滅びの運命に足を踏み入れかけていたのであろうと思うぞ」


 ランの家長も、そのように言いたてた。

 そんな家長らの感慨も知らぬげに、お供のジョウ=ランはひとりのほほんと笑っている。


「俺は今回初めて家長の供に選ばれたので、そういった奇禍にも見舞われていません。アイ=ファや家長たちがどのようにしてスン家に立ち向かったのか、この目で見届けたかったところですね」


「呑気な顔をさらしおって。どうしてお前が今日の供に選ばれたのか、忘れたわけではあるまいな?」


「もちろんです。俺は外界の民たるユーミと婚儀をあげる可能性がある人間なので、他の家長らに顔見せをするのですよね。本心を言えば、婚儀をあげた上でユーミとともに紹介されたかったところなのですが」


 あくまでも自分のペースを崩さないジョウ=ランに、ランの家長は深々と溜息をつく。すると、それをフォローするようにライエルファム=スドラが発言した。


「お前がユーミなる娘と縁を紡いだのは、前回の家長会議より少し前の時期であったそうだな。それでもまだ、おたがいが伴侶に相応しい存在であるかどうか見定められぬのか?」


「縁を紡いだのはその頃でも、思慕の情を抱いたのはもっと後のことですからね。そのあたりのいきさつは、ライエルファム=スドラもご存じでしょう?」


「それはまあ、ともにあちらの家まで出向いた立場であるからな。それで、いまだに気持ちは固まらぬのか?」


「俺の気持ちは、すでに固まっています。今は、ユーミやユーミの家族たちの気持ちが固まるのを待っているさなかであるのですよ。やはり、町の人間が森辺に嫁入りするというのは大ごとでしょうから、俺もユーミたちが心から納得できるまで待ちたく思っています」


 ジョウ=ランがそんな風に答えたところで、御者台のチム=スドラが「着いたぞ」と告げてきた。

 荷台から地面に降り立った俺は、思わず「うわあ」と感嘆の声をあげてしまう。スンの集落の広場には、祭祀堂の威容が待ちかまえていたのだ。


 もともとの祭祀堂は、昨年の大地震で倒壊している。よってこれは、バランのおやっさんが率いる建築屋が再建した、新たな祭祀堂であった。

 といっても、建築屋が手掛けたのは天幕を張るための柱や土台のみである。現在はそこに、ギバの毛皮でこしらえられた巨大な天幕が張り巡らされているのだった。


 真ん中に立てられた柱を中心に、ギバの毛皮が三角錐の形に張られている。内部は100名以上の人間が食事をとれるぐらいのサイズであるので、これはかなりの壮観だ。森辺においてもっとも重要とされている、家長会議の会場に相応しい風格なのではないかと思われてならなかった。


 そんな祭祀堂の様相に感心していると、「スンの家にようこそ」と年老いた女衆が近づいてくる。それはクルア=スンの祖母にあたる、長老格の女衆であった。


「ああ、アスタもご到着で……どうもおひさしぶりです。先日は、うちのクルアがたいそうなご面倒をおかけしてしまいました」


「とんでもありません。俺は迷惑なんて、何ひとつかけられていませんよ。クルア=スンもすっかり落ち着いたようで、何よりでしたね」


 女衆が「ええ」と微笑むと、その皺深い顔にいっそう深い皺が刻まれる。きっとティト・ミン婆さんよりは若年だろうと思うのだが、彼女は真っ白な頭をしており、長老の名に相応しい風貌であるのだ。うがった見方をするならば、ザッツ=スンと同時代を生きたのであろう彼女は、激動に満ちた人生によって深い年輪を刻まれているのかもしれなかった。


「もしも祭祀堂でくつろがれるなら、鋼をおあずかりいたします。それとも他の方々のように、かまど仕事の見物をなさりますか?」


「うむ? 俺たちよりも先んじた家長らがおるのであろうか? 中天には、まだまだ時間があるはずだが」


「ええ。ルウの血族の方々が何名か、かまど番とともにいらっしゃいました」


 そういえば、昨年もそうしてドンダ=ルウたちが先行していたような思い出がある。荷車の数には限りがあるので、時間を分けて来場する必要も生じるのであろう。


「他の家長らもかまど仕事の見物をしているのなら、俺たちもそうするか。ぞんぶんに日を浴びれるのは、この朝方だけだしな」


 ランの家長のそんな言葉にライエルファム=スドラが賛同を示したので、俺たちはみんなで本家のかまど小屋を目指すことになった。

 するとそこに、俺にとって嬉しい面々が集結している。すなわち、リリンの家長ギラン=リリンとお供のシュミラル=リリン、ラウ=レイとお供の男衆、そしてシン=ルウとジーダの6名である。


「おお、アスタたちも来おったか! お前はスドラの家長で――お前は、ランの家長であったかな?」


「うむ。レイの家長も息災なようで、何よりだな」


 俺にとっては親しい相手ばかりであったが、中にはこの家長会議でしかお目見えする機会もない相手も存在するのであろう。まずは全員が名乗りをあげて、身分を明らかにすることになった。


「なるほど。お前がルウ家の家人となったジーダなる男衆か。その話はずいぶん前にも聞かされていたが、今日は顔見せにやってきたというわけだな?」


 ランの家長の言葉に、ジーダは引き締まった面持ちで「うむ」とうなずく。


「3名の家人たちはそれぞれ仕事を受け持っているので、またのちほど挨拶をさせてもらいたい。今後とも、どうぞよろしくお願いする」


「うむ。風聞の通り、お前はどこからどう見ても立派な狩人だな。森辺の生まれでないというのが不思議に思えるほどだ」


 そんな風に応じてから、ランの家長はシン=ルウのほうに視線を移した。


「それで、お前はドンダ=ルウの供であるそうだが……ドンダ=ルウはこれまで、次兄を供にしていたのではなかったか?」


「うむ。今回はわけあって、俺が供に選ばれた。ルウ本家の子らは誰もが息災であるので、心配には及ばない」


「そうか。俺も自分の子ならぬ分家の長兄を供にすることとなったからな。……よもやそちらも、外界の人間に懸想したわけではあるまいな?」


 これは軽口の類いであろうが、シン=ルウはいくぶん頬を染めながら「そのようなことはない」と応じた。きっとララ=ルウとともにファの家を訪れた夜のことを思い出したのだろう。その切れ長の目が、ちらりと俺とアイ=ファのほうをうかがってくる。


「ラウ=レイやギラン=リリンは、昨年もかまど仕事の見物をしていたな。では、ドンダ=ルウやガズラン=ルティムは、どこかで別の家長らと語らっているのであろうか?」


 アイ=ファの言葉に「うむ」と応じたのは、ギラン=リリンであった。


「ドンダ=ルウらは、グラフ=ザザやスンの家長らと語らっているようだ。族長というのは、つくづく気苦労の多いものであるらしい」


「ガズラン=ルティムなどは族長でもないのに、何にでも首を突っ込んでいるがな! しかしまあ、取り立てて深刻そうな様子ではなかったぞ。飛蝗の被害やら何やら、そういった話の再確認をしておるようだ」


 飛蝗の話題が深刻なものでなくなったのは、何よりの話であろう。まあ逆に言うと、そちらの騒ぎが一段落したからこそ、こうして家長会議を開催することができるようになったわけである。


「ところで、みなさんはここで何をされていたのです? かまど仕事の見物とうかがっていたのですけれど」


「はい。先刻までは。……ただ、追い出されてしまいました」


 シュミラル=リリンが、そんな風に答えてくれた。昨年は氏なき家人として家長たちに挨拶をさせられていたシュミラル=リリンが、このたびは家長のお供として来場したのだ。これも1年という時間の重みを実感させてくれる事象であろう。

 それはともかくとして、シュミラル=リリンの返答は若干の謎をはらんでいた。


「みなさんが、かまど小屋から追い出されたのですか? このように錚々たる顔ぶれが?」


 俺が驚きの声をあげると、ラウ=レイがまた大きな声で騒ぎ始めた。


「俺がヤミルに語りかけていたら、うるさいから出ていけと言われてしまったのだ! かまど仕事の見物といっても下準備ばかりでつまらんから、こちらは語るぐらいしかあるまい? それなのに、あいつは邪魔だと言いたてるのだ!」


「そのように大きな声で語られては、邪魔と言われても仕方あるまい。かまど番にとってのかまど仕事は、狩人にとってのギバ狩りと同じものであるのだぞ」


 アイ=ファがしかつめらしく掣肘すると、ラウ=レイはすねたように口をとがらせた。


「しかし、つまらんものはつまらんのだ。中天までにはまだ時間があろうから、ここは力比べにでも興じることにするか!」


「私たちは、これからかまど仕事の見物であるのだ。そもそも家長会議の前に力を使うつもりはない」


「つまらんぞー!」とわめきたてるラウ=レイを置いて、俺とアイ=ファはかまど小屋に向かうことになった。ただ、ライエルファム=スドラたちはルウの血族との交流を重んじたのか、その場に残るとのことである。


 戸板は開け放しであったので外から覗き込んでみると、見知った面々が料理の下準備にいそしんでいる。その中から、目ざといリミ=ルウが「あーっ!」と元気な声をほとばしらせた。


「アイ=ファたちも来たんだね! ほらほらスンのみんな、アスタだよー!」


 リミ=ルウの言葉に、スンの女衆らが顔を輝かせた。クルア=スンと、その母親と、分家に嫁いだクルア=スンの姉だ。スンの本家は邪神教団の騒乱によって、末妹のクルア=スンが星読みの力を開花させ、長兄が足に深手を負うという奇禍に見舞われたわけであるが――クルア=スンの母親も姉も、暗い影を落とすことなく元気な姿を見せていた。


「みなさん、おひさしぶりです。下準備のほうはいかがですか?」


「はい。ルウの方々のおかげで、問題なく進められているかと思われます」


 本日も、晩餐の準備には各氏族から手練れのかまど番が集められているのだ。スンの女衆だけで晩餐の準備をするのはひと苦労であるし、最新の美味なる料理をお披露目するというコンセプトも、昨年に引き続き実施されることに相成ったのだった。


 こちらの本家のかまどはルウ家の取り仕切りで、リミ=ルウ、レイナ=ルウ、マイム、ミケル、ヤミル=レイ、ツヴァイ=ルティムという顔ぶれがそろえられており、そこにクルア=スンたち3名が加えられている。バルシャは他なる眷族の家長たちを荷車で迎えに行くために、席を外しているのだそうだ。


「アスタ、お疲れ様です。ユン=スドラやトゥール=ディンたちも、分家のかまどで仕事を始めているようですよ」


「うん。今日ばかりは、俺もみんなの料理を味わう側だから楽しみだよ」


 俺はファの家の唯一の家人であるのだから、アイ=ファの供として家長会議に参席しなければならないのだ。しかしもちろん、森辺の変革のきっかけとなった俺は、家長会議に参席できることを心からありがたく思っていた。


 ルウの血族とザザの血族、それにファの近在の氏族がかまど仕事を受け持つというのも、昨年と同様である。ただ今回はルウだけでなくザザの血族も独立した班となり、それ以外の小さき氏族で編成された班をユン=スドラが取り仕切ることになっていた。


(何もかもが、去年と同じってことはないもんな)


 この1年で力をつけたユン=スドラは、何の心配もなく場を取り仕切ることができるだろう。いっぽうトゥール=ディンはザザの血族とより絆を深めて、そちらに編成されるほうが自然な立場となったのだ。


(そもそも去年は、ルウの血族だけで10名ぐらいのかまど番を準備してたはずだよな。そっちの人数を減らした分、小さき氏族のかまど番が増やされたわけか)


 ユン=スドラの部隊には血族たるフォウとランの女衆の他に、マルフィラ=ナハムとレイ=マトゥアが加えられている。そちらの両名も、この1年ほどでめきめきと腕をあげ、こういった場に招かれるのが自然な立場となったのだ。

 それに昨年の段階ではザザの血族もまだまだ未熟な状態であったため、それだけで一部隊を編成することは難しかっただろう。それがトゥール=ディンの手ほどきの甲斐あって、ルウや小さき氏族の混成部隊と肩を並べられるほどに成長したわけであった。


「ラウ=レイは、ヤミル=レイに追い出されちゃったそうですね。あっちでちょっとすねていましたよ」


「ふん。そもそもあの粗忽な家長が余計なことを言わなければ、わたしはこのような場に駆り出されることもなかったのよ。わたしなんかより腕の立つかまど番は山ほどいるのに、まったく迷惑なことよね」


「そんなことはありません」と応じたのは、クルア=スンの姉であった。


「かつてはあれほど恐ろしかったあなたが、こうしてレイの家人として健やかに過ごしている姿を目にできるのですから……わたしたちは、心からありがたく思っています」


「ええ、本当にねぇ。それはあなたも一緒ですよ、ツヴァイ=ルティム」


 と、クルア=スンの母親も穏やかに声をあげると、ツヴァイ=ルティムは彼女らしく「フン!」と鼻を鳴らした。


「アタシはもともと家長会議に引っ張り出される予定だったんだヨ。でも、そっちの出番は一刻もかからないだろうって、かまど仕事まで押しつけられることになったのサ」


 このヤミル=レイやツヴァイ=ルティムがもともとスンの人間であり、しかも暴君として恐れられていたというのは、俺にとってももはや遠い記憶であった。

 今の俺にとって、ヤミル=レイというのは物凄くクールで切れ者だが家族に対しては情が厚く、ときおり可愛らしい一面を見せたりもしてくれる魅力的な女性であり、ツヴァイ=ルティムというのは毒舌ながらも甘えん坊で、なおかつ商売に関してはとても頼り甲斐のある女の子で――かつての冷酷な顔やとげとげとげしい言動などは、思い出すのも難しいぐらいであったのだった。


(ツヴァイ=ルティムなんて、俺が出会ったのは前々回の家長会議だったから……その夜には罪が暴かれて、スンの氏を奪われることになったんだもんな。俺はツヴァイ=スンっていう存在とは、1日足らずのおつきあいしかなかったってことだ)


 俺がそんな感慨に耽っていると、ツヴァイ=ルティムがぎょろりとした三白眼を向けてきた。


「アンタは何をそんな目で、アタシらを観察してるのサ? 何か文句でもあるんなら、はっきり言えばいいじゃないのサ」


「何も文句なんてありはしないよ。ただ、2年っていう歳月の重さを噛みしめていただけさ」


 あまり長居をしては作業の邪魔になりそうであったので、俺も早々に退くことにした。レイナ=ルウらはともかく、目新しい料理の手ほどきをされているスンの女衆らは、かなり集中している様子であったのだ。


 そうして外に出向いてみると、人の輪が大きくなっている。じわじわと、他の家長らも来場しているのだろう。やはり誰もが祭祀堂にこもるより、明るい場所で交流を深めることを選んだようだ。


 俺とアイ=ファはひとまずかまど番への挨拶を果たすべく、分家のかまど小屋を目指す。

 その道行きで、アイ=ファが「アスタよ」と呼びかけてきた。


「どうもお前は、いちいち感じ入っているように見受けられるな。何か特別な思いでも生じているのか?」


「特別な思いっていうか……家長会議も、もうこれで3度目だろう? 俺が森辺に来てから丸2年が過ぎて、ついに3年目に突入したんだなあって実感がわいてきたのかもしれないな」


「なるほど。12歳のララ=ルウが、15歳になったわけだからな」


「そうそう。黄の月より後に産まれた人は、これから続々と3歳も齢を重ねることになるんだよ。それって、すごいことじゃないか?」


「それだけの日が過ぎたのだから、齢を重ねるのも当然であるがな」


 そんな風に応じつつ、アイ=ファはふっと微笑をもらした。


「しかし我々にとって、家長会議というのはいつも特別な日であった。それで余計に、月日の重みが実感できるのやもしれんな」


「うん。今回はどんな日になるんだろうな」


 笑いながら答えた俺は、アイ=ファの肩越しに見えたモルガの山の威容によって、新たな感慨に見舞われた。

 アイ=ファはすぐさま背後に向きなおり、「ああ」と低い声をもらす。


「このたびは、お前が何に感じ入ったのかもわかったぞ。……前回の家長会議では、ティアを連れていたのだったな」


「うん。ティアとは家長会議のちょっと前に出会うことになったんだもんな。……ティアは元気にやってるかなあ」


「あのティアであれば、心配はあるまい。幸い、飛蝗がモルガの山にまで入り込んだ気配はなかったからな」


 あくまでクールな態度を保持しつつ、アイ=ファの青い瞳にも感情のゆらぎが見受けられた。

 それを元気づけるために、俺が狩人の衣ごしに肩を小突くと、アイ=ファは肘で俺の脇腹を小突いてくる。

 そうして俺たちはさまざまな思い出に心を馳せながら、家長会議の開始を待ち受けたのだった。


                  ◇


 それから数刻が過ぎて中天に至ると、家長会議は定刻通りに開始されることになった。

 祭祀堂には、家長とお供の男衆がずらりと居並んでいる。森辺には37の氏族があるので、その総数は74名だ。三族長とそのお供は上座にあたる部分にどっしりと陣取り、他の人間がそれと向かい合う格好である。


 立派な毛皮の天幕で再建された祭祀堂であるが、その内の空間が1メートルほどの深さに掘られた竪穴式であるのは以前の通りであった。天幕は中央の柱の頂点に向かって斜めに張られているため、このほうがゆったりとスペースを取れるという利点があるのだろう。この人数であればまったく狭苦しいこともなく、血族同士で寄り集まった人々の間には、適度な隙間が空けられていた。


(こうしてみると、やっぱりこの1年でずいぶん多くの人たちとご縁を持てたよな)


 アイ=ファの隣に座した俺は、その場に満ちた厳粛な空気に背筋をのばしつつ、そんな感慨にとらわれていた。

 名前まできちんとわきまえているのは、ドンダ=ルウ、グラフ=ザザ、ダリ=サウティの三族長に、ガズラン=ルティム、ラウ=レイ、ギラン=リリン、ライエルファム=スドラ、バードゥ=フォウ、ディック=ドム、ラッド=リッド、デイ=ラヴィッツといった感じで、去年と変わっていないように思えるが――ルウの眷族はもちろん、ザザやラヴィッツの眷族も収穫祭にお招きされた関係で、家長の顔ぐらいは覚えられている。ガズやベイムやラッツの家長はもともとお馴染みであるし、ヴェラの若き家長は何度もファの家にお招きしているし――もはや、どこの誰かも見当もつかないという相手のほうが少ないぐらいかもしれなかった。


(復活祭なんかでも、ほとんどの家長が屋台まで挨拶に出向いてくれたもんな)


 ただし、そういった人々と交流を深めるのは、晩餐と酒宴のお楽しみである。現在は、ラウ=レイやラッド=リッドといった格別陽気な人々を除いて、誰もが粛然と座しているのだった。


「では、家長会議を始めたく思う」


 お供のシン=ルウをななめ後ろに控えさせたドンダ=ルウが、重々しい声音でそのように宣言した。


「家長会議の取り仕切り役は三族長が交代で受け持つという話になっており、このたびは俺がその役を担うことになった。誰か、異存のある者はいようか?」


 異存を申し立てる人間はいなかった。

 ドンダ=ルウは「よかろう」と首肯する。


「あれこれ論じ合う前に、ルウの家長として伝えたい話がある。……ジーダ家の家人にシュミラル=リリンは、こちらに」


 家長たちとは別枠で控えていたジーダ家の4名とシュミラル=リリンが、族長らのかたわらに並んで座る。その中で、マイムだけはさすがに少し緊張の面持ちであった。


「まず、リリンの家長の供として参じたシュミラル=リリンだが……以前にも伝えた通り、シュミラル=リリンはリリンの氏を授かり、ルウの長姉を嫁に迎えた。今後も森辺の同胞として、見知ってもらいたく思う」


 シュミラル=リリンが深々と一礼すると、多くの家長たちが礼を返した。

 シュミラル=リリンが氏を授かったのはもう9ヶ月ばかりも前の話であったが、やっぱり俺の胸にはじんわりとした喜びが去来してやまなかった。


「そして、客分の身であったこちらの4名は、正式にルウの家人に迎えることに相成った。昨年の家長会議においても顔ぐらいは見せるべきであろうという声があがっていたため、そのように取り計らわせてもらった。右から順に、家長のジーダ、家長の母バルシャ、家人のミケル、およびその子のマイムとなる。現在は氏なき家人であるが、いずれ婚儀で血の縁が結ばれた際には家人の全員にルウの氏を与えるものと決められている。……家長のジーダよ、挨拶を」


「承知した。……ルウの新たな分家の家長となった、ジーダだ。俺はかつてジェノスの貴族や森辺の民のことを父の仇だと思い込み、数々の悪行を働いてしまった身となるが……そんな俺を同胞に迎えてくれた森辺の者たちに、深く感謝している。今後は森辺の民として正しく生きていくことを誓うので、3名の家人ともどもよろしくお願いしたい」


 そうしてジーダが頭を垂れると、マイムたちも一礼した。

 こちらにも、やはり無言で礼が返される。俺もいささか緊張してしまったが、この件もトトスの連絡網によってリアルタイムで伝えられているため、今さら文句を述べようとする人間はいなかった。


「では、ジーダを除く3名はかまど仕事を手伝ってくるがいい。ジーダはこの場に留まることを許すが、意見を申し述べる立場にはないので、そのように心得よ」


「承知した。家長らの言葉を聞けることを、ありがたく思う」


 ジーダはシュミラル=リリンとともにこちら側に戻り、マイムたちは祭祀堂を出ていく。

 その姿を見届けてから、ドンダ=ルウは「さて」と居住まいを正す。


「ではまず、家長の交代があった氏族があれば、この場で挨拶をしてもらいたく思うが……この1年で、家長の交代があった氏族はあろうか?」


 今回も、声をあげる人間はいない。

 ドンダ=ルウは、また重々しく首肯した。


「昨年は、ルティムとヴェラで家長が交代されたのだったな。すべての家長がこの1年を無事に過ごせたことを、得難く思う。また、滅ぶ氏がなかったことも、同様であろう」


「うむ! 猟犬たちのおかげで、魂を返す者も手傷を負う者も格段に減っているからな!」


 物怖じというものを知らないラウ=レイが、元気いっぱいに言葉を返した。

 そちらをじろりとにらみつけてから、ドンダ=ルウはあらためて口を開く。


「レイの家長の言う通り、ルウの血族においてもこの1年で魂を返す狩人はなかった。なおかつ、新たな家人として迎えたミダ=ルウやジーダの働きも目覚ましく、いささか狩り場が手狭になってきたため……ここに、ルウから血を分けて新たな家を立てることを告げさせてもらいたく思う」


 一部の家長らが、どよめきをあげた。これは連絡網で回されていない話であったため、初耳となる家長も少なくなかったようだ。


「新たな集落を築くには休息の期間を待たなければならないため、まだ何ヶ月かは先のことになろうが……新たな氏族の家長はすでに定められたので、この場で紹介させていただこう」


 シン=ルウが膝をすって、ドンダ=ルウのかたわらに進み出た。


「俺の末弟となるリャダ=ルウの子、シン=ルウだ。見ての通りの若年であるが、シン=ルウは勇者の力を持つ狩人であり、新たな氏族の家長に相応しい器量を有しているものと見なし、その役を与えることになった」


「シン=ルウか。お前は昔日、ジェノスの闘技会においても最後まで勝ち抜き、剣王なる称号を授かっていたな」


 ダリ=サウティが横から穏やかに呼びかけると、シン=ルウは落ち着いた面持ちで「うむ」と応じた。


「次の家長会議からは、俺も新たな家長としてこの場に参ずることになる。どうか見知り置きをお願いしたい」


「うむ。森辺に新たな氏が生まれるのは、数十年ぶりであるはずだな?」


 ダリ=サウティが斜め後方に呼びかけると、今回もお供として参じた長老のモガ=サウティが笑顔でうなずいた。


「あれはこの老いぼれが洟を垂らしていた時分であろうな。氏が滅ぶばかりであった森辺に新たな氏が生まれるというのは、実にめでたきことよ。心からの祝福を授けるぞ、ドンダ=ルウにシン=ルウよ」


「うむ。正式に氏を授かるのはまだ先の話であるとのことだが、この場で祝福をさせていただこう」


 ダリ=サウティの呼びかけによって、あちこちから「祝福を」の声があげられた。

 シン=ルウは凛々しい面持ちでその声を聞き届けているが、わずかに頬を紅潮させているようである。そしてそんなシン=ルウの姿を見やっていると、俺まで胸が熱くなってしまった。


「……涙などこぼすのではないぞ、アスタよ」


 アイ=ファがすかさず耳打ちしてきたので、俺は「大丈夫だよ」と笑顔を返してみせた。

 だけどやっぱり、感慨深いのは確かである。シン=ルウは、俺が出会ってすぐに父親のリャダ=ルウが奇禍に見舞われて、16歳という若さで家長を継ぐことになり、アイ=ファに危険な『贄狩り』の作法を教えてもらいたいと懇願し――それを断られたのちも、家長として相応しい人間になろうと懸命になっていた。そして、俺の身がサンジュラたちに誘拐された折などは、自分の無力さに歯噛みをして、それでいっそう強き力を求めたのだ。


(俺が城下町から解放されたときは、涙を流して喜んでくれたっけ)


 あの頃と比べて、シン=ルウはものすごく頼もしくなっている。しかしシン=ルウは大きく成長を遂げながら、その優しさと誠実さは昔のままであるのだ。そんなシン=ルウが家長たちに祝福の言葉を贈られているさまが、俺の情感を揺さぶってやまなかったのだった。


「親筋たるルウの家長として、皆の祝福を得難く思う。では、シン=ルウは下がるがいい」


 ドンダ=ルウにうながされて、シン=ルウはもとの位置まで引き下がった。

 祭祀堂には再び静寂が訪れて、そこにドンダ=ルウの声が響く。


「では、氏と家長にまつわる話はここまでとして……ひとつずつ、議題を片付けていくとしよう。この年も前年に劣らず、語らう話に不足はなかろうからな」


 そんなドンダ=ルウの宣言によって、家長会議もいよいよ本格的に開始されたのだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ