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異世界料理道  作者: EDA
第六十六章 再興の日々
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ファの家の晩餐会②~勉強会~

2021.12/28 更新分 1/1

 母屋の裏手にあるかまど小屋にお招きすると、リフレイアは「まあ」と目を見開いた。


「ずいぶんたくさんの方々がいらしているのね。これがファの家の日常ということなのかしら?」


「うん。ここしばらくは、こんな感じだね。ほら、ダレイムの食材がなかなか手に入らなくなっちゃっただろう? だから、それ以外の食材で美味なる料理を作れるようにって、これまで以上に人が集まるようになっちゃったんだよ」


 その場には、実に16名ものかまど番が待機していたのだ。その顔ぶれは、フォウ、ラン、スドラ、ガズ、マトゥア、ラッツ、ミーム、アウロ、ベイム、ダゴラ、ラヴィッツ、ナハム、ヴィン、ディン、リッド、スンの氏族から各1名ずつというものであり――要するに、普段からファの商売に関わっている氏族がのきなみ集結しているわけであった。


「不公平がないように、各氏族の代表者が1名ずつ集まってるわけだね。リフレイアと面識があるのは、トゥール=ディンとユン=スドラ、マルフィラ=ナハムとレイ=マトゥア、それにフェイ=ベイムと――他にも何人かいたはずだよね?」


「はい。わたしたちも、礼賛の祝宴というものでご挨拶をさせていただきました」


 と、進み出たのはガズとラッツとリッドの女衆であった。彼女たちも、礼賛の祝宴では賓客として参席することになったのだ。


「いつの間にか、わたしはそれだけの方々とご縁を結ぶことができたのね。なんだか……とても感慨深いわ」


 穏やかな表情で言いながら、リフレイアはまたスカートのすそをつまんだ。


「お忙しい中に押しかけてしまって、本当にごめんなさいね。お邪魔をしないように心がけるから、どうか見学をお許しいただけるかしら?」


「わたしたちだって、アスタに手ほどきを願って押しかけている身なのです。何もお気になさらないでください」


 しっかり者のユン=スドラが、かまど番を代表してそのように答えてくれた。

 そしてその間に、リフレイアたちと初対面になるメンバーがひそひそと言葉を交わし合っている。その目はリフレイアばかりでなく、シフォン=チェルにも同じぐらい向けられているようであった。


「あ、あの……そちらの御方が、北から南に神を移したシフォン=チェルという御方なのでしょうか?」


 ランの若い女衆がそのように問うてきたので、俺は「そうだよ」と答えてみせた。


「とりあえず、紹介しておくね。こちらがトゥラン伯爵家のご当主リフレイアで、こちらが侍女のシフォン=チェル。武官のムスルと、えーと……サンジュラはどういう肩書きなのでしたっけ?」


「私、リフレイア、従者です」


「従者の、サンジュラ。それに屋台でお馴染みの、鉄具屋のディアルとラービスだね」


 この場に集まっているのはおおよそ屋台を手伝ってくれている女衆であったため、ディアルとラービスを知らない人間というのはほとんど存在しないはずであった。屋台の商売に参加していないフォウの女衆ですら、去年の建築屋の送別会でディアルたちとも顔をあわせているはずであるのだ。


「試食会や礼賛の祝宴でも思ったことだけれど……どうも森辺の方々というのは、シフォン=チェルに興味をひかれるようね」


 リフレイアがそのように言いたてると、またユン=スドラがすかさず「はい」と応じてくれた。


「シフォン=チェルがとても美しいので、みんな目をひかれてしまうのでしょう。これまでにも、そういった声は多くあげられていたのです」


「あら、そうなの? それはもちろん、シフォン=チェルの見目が整っていることに間違いはないけれど……でもそれは、あなたがたも同じことでしょう? 男女問わず、森辺の方々の見目の麗しさは城下町でも評判になっているのよ」


「シフォン=チェルは顔立ちが整っているばかりでなく、そのように背も高くて健康そうなお姿をしているから、余計に美しく感じられるのだと思います。森辺の民というのは、健康で力のある人間を美しいと思うように育っていますので」


 確かにシフォン=チェルを見やる人々の何割かは、憧憬や感心といった情感を眼差しに込めているように感じられた。

 ユン=スドラの説明に納得がいった様子のリフレイアは、「そう」とはにかむように微笑む。


「自慢の侍女が美しいと称されるのは、とても誇らしいわ。……ごめんなさいね。シフォン=チェルはちょっと出自が特殊だから、ついつい人の目が気になってしまうの」


「いえ。わたしたちとて南から西に神を移した一族の末裔なのですから、シフォン=チェルを忌避する理由はありません。もとより、森辺の民に北の民を忌避する気持ちが薄いということも、リフレイアはご存じなのではないでしょうか?」


「そうだったわね。あなたがたは森辺で働く北の民たちを、美味なる料理で力づけてくれたのだもの。……けっきょく、わたし自身が一番偏見にとらわれているということなのかしら」


「それはきっと、シフォン=チェルを大事に思うゆえに生じる警戒心なのでしょう。何も気になさる必要はないかと思います」


 話がそこまで進んだところで、俺もようやく口をはさむことができた。


「ユン=スドラは、ずいぶんリフレイアと親しくなれたみたいだね。やっぱり試食会のおかげなのかな?」


「え? ああ、そうですね。試食会では、数日置きにご挨拶をすることができましたし……差し出がましい口をきいてしまって、申し訳ありません」


「いやいや。リフレイアと交流が深まったのなら、何よりだよ」


 ということで、俺たちは勉強会を開始することにした。

 ただ、そこで問題が勃発する。今日は参加メンバーが多いために、6名もの客人をかまど小屋に迎えることが難しいようであるのだ。


「それじゃあ、ラービスは外で待っててよ。刀を預けなくて済むから、ちょうどいいんじゃない? 戸板を開けておけば、中の様子はわかるだろうしさ!」


 ラービスは何か言いたげな面持ちであったが、けっきょくは「承知しました」と応じていた。


「それじゃあこちらは、ムスルかサンジュラのどちらかに待機をお願いしようかしら」


「では、わたくしが」と、ムスルが笑顔で進み出た。その和やかな表情に、リフレイアはむしろ意外そうな顔をする。


「心配性のあなたが志願してくれるとは思わなかったわ。それだけ森辺の方々を信用してくれているということかしら?」


「ええ。何か面倒が起きるとしたら、それは建物の内部ではなく外からでありましょうからな。それにわたくしは図体が大きいため、いっそう窮屈になってしまいましょう」


 そうしてサンジュラから刀を預かったムスルも、外に居残ることになった。

 その足もとに待機したジルベとラムを見下ろしつつ、ムスルはまた笑う。この短い時間で、ジルベの姿にも見慣れたようだ。


「20名の兵士に加えてこれらの番犬もおりますれば、わたくしやラービス殿が刀を振るう機会もありませんでしょうな。リフレイア姫も、どうぞ心安らかにお過ごしください」


「ありがとう。それじゃあ、よろしくね」


 かまど小屋に入室したリフレイアとディアル、シフォン=チェルとサンジュラの4名は、邪魔にならないよう壁際に立ち並んだ。

 16名のかまど番たちは、数名ずつに分かれてそれぞれ作業台を取り囲む。やはりなかなかの人口密度であった。


「それじゃああらためて、勉強会を開始しましょう。ここ2日間で、何か問題が生じたりはしませんでしたか?」


 俺がそのように呼びかけると、ラヴィッツの眷族たるヴィンの女衆がおずおずと挙手をした。


「あの、これはアスタに告げても詮無きことなのですが……乾物の出汁を使わずにかれーを作りあげたら、やはり物足りなく感じるという声があがりました。他なる野菜をどれだけ加えても、アリアの代わりにはならないようです」


「なるほど。やっぱり乾物は安くないから、おいそれと手は出せないのかな?」


「いえ。他の料理では乾物を使うこともあるのですが……かれーというのはただでさえ、香草で銅貨をつかうでしょう? それで気が引けて、ついつい乾物を使わずにかれーを作りあげてしまったのです」


 俺はララ=ルウの相談に乗った日の勉強会で、和風出汁のギバ・カレーの作り方というものを近在の氏族に伝えていた。そこから派生した問題であるらしい。


「かれーにおけるアリアの大切さというものは、アスタもずっと口にしておりましたものね。その言葉に従わなかったゆえに、家族の不興を買ってしまいました。自分の至らなさを恥ずかしく思います」


「いやいや。無駄に銅貨をつかわないっていうのは大事なことなんだから、何も恥ずかしく思うことはないよ。そのカレーに物足りないっていう声をあげた人だって、まさか君を責めたりしたわけじゃないだろう?」


「は、はい。もとのかれーの美味しさを知っているから物足りなく感じるだけだと、そのように励まされることになりました」


「うんうん。アリア抜きのカレーに物足りなさを感じるってことは、それだけ舌が肥えてきたってことだもんね。それならいっそう、美味しい料理の作り甲斐があるんじゃないかな」


 俺がそのような言葉を届けると、ヴィンの女衆はひそやかに微笑んだ。

 ヴィンというのはスンに次いでファの商売に関わるのが遅かったので、他の氏族よりも若干蓄えにゆとりがないのだろう。なおかつヴィンは、清貧を旨とするラヴィッツの血族であるのだから、なおさらであった。


「確かに乾物の出汁を使うカレーっていうのは、他の料理よりも銅貨がかさむよね。ただでさえ、今は割高の食材でまかなわないといけないわけだから、費用の節約は重んじるべきだと思うよ」


 そこで俺は、ストックしていたアイディアのひとつをお披露目することにした。


「それじゃあその辺りのことも踏まえて、今日は新しいカレーに挑戦してみようかな。乾物じゃなく、キミュスの骨ガラを使ったらどうだろうって考えてたんだよね」


「骨ガラ? ギバではなく、キミュスのですか?」


「うん。ギバの骨ガラは、出汁を取るのに半日がかりだからね。それに、キミュスの骨ガラはタダ同然で手に入るからさ。ファの家では、常にピコの葉に漬けて備蓄してるんだよ」


「キミュスの骨ガラですか……くりーむしちゅーや汁物料理でも有用だと、ずっと昔に聞いた覚えがあります。ただ、わたしの家では扱ったことがないのですが……」


「普通の汁物はギバの肉や野菜だけでも十分な出汁が取れるし、最近は乾物を使うことが多かったからね。でも、キミュスの骨ガラは乾物と同じぐらい有用だと思うよ。レビたちのラーメンだって、出汁はキミュスの骨ガラが主体だからね」


 そもそも森辺の民はギバ以外の肉も扱わないため、肉の売り場に出向く機会すらないのだ。それで勉強会においても、キミュスの骨ガラは二の次にされている感が否めなかった。


「キミュスの骨ガラから出汁を取るのもそれなりに時間がかかるから、そいつを煮込みながら他の議題も検討しようか。誰か、骨ガラの壺を持ってきてもらえるかな?」


「はーい!」とレイ=マトゥアが元気に引き受けてくれたので、俺はその間に火の準備をすることにした。

 そこで大人しく見物していたリフレイアが、「あら」と驚きの声をあげる。周りの女衆たちが、いっせいに帳面を広げ始めたのだ。


「森辺の方々も、調理の内容を書き留めたりするものなのね。アスタたちはいつも帳面なんて見ないで料理をこしらえているから、すべて口伝なのかと思っていたわ」


「俺も必要な事柄は、すべて帳面に書き留めてるよ。でもまあ城下町でかまどを預かるときは、たいてい修練を積んだ後で内容を暗記しているからね。それでリフレイアが目にする機会がなかったっていうことなんじゃないのかな」


 笑いながら、俺はそんな風に説明してみせた。

 すると、今日の参加メンバーであったクルア=スンが遠慮がちに発言する。


「あの、アスタ……骨ガラとは、どのような文字を使うのでしょう? わたしはまだ、あまり読み書きも覚束ないもので……」


「あ、ごめん。実は俺も覚えてないんだ。普段あんまり使わない言葉は、故郷の文字で書き留めちゃってるからさ」


 すると、優しいトゥール=ディンがすぐさまクルア=スンのもとに馳せ参じた。もっとも古くから読み書きの修練を始めた人間のひとりであるトゥール=ディンは、俺などよりもよほど頼りになるのだ。

 そうしてクルア=スンが「骨ガラ」の書き方を教わっている間に、サンジュラが身を屈めてリフレイアに耳打ちする。リフレイアはびっくりまなことなって、クルア=スンのほうに向きなおった。


「あなたがクルア=スンという御方であったのね。あなたが邪神教団の討伐に同行していたという話は、わたしも聞き及んでいるわ」


 クルア=スンは、「はい」としか答えなかった。

 とても穏やかで、落ち着いたたたずまいである。数日にいっぺん、アリシュナのもとで星読みの力を制御するすべを習っているクルア=スンは、以前よりもいっそう神秘的な雰囲気を漂わせるようになっていた。

 リフレイアは、さらに言葉を重ねようとしたが――クルア=スンのかたわらにたたずむトゥール=ディンの不安そうな表情に気づいたのか、途中でふっと微笑んだ。


「ジェノスの貴族として、あなたの尽力にも感謝しているわ。でも今は、かまど仕事の修練の時間ですものね。わたしのことなどは気にしないで、どうぞ励んでいただきたいわ」


「はい。ありがとうございます」


 クルア=スンはいっそう静かに微笑み、トゥール=ディンはほっとした様子で息をついた。

 きっとリフレイアは、自分の大事な存在が好奇心であれこれいじくり回されるやりきれなさを思い知らされているのだろう。そんなリフレイアの姿を、シフォン=チェルがとても優しげな眼差しで見つめていた。


 そののちは、レイ=マトゥアの運んできてくれた壺からキミュスの骨ガラを鉄鍋に投じる。その分量と火力と火にかける時間を説明すると、多くのかまど番たちがそれを帳面に書き留めた。


「せっかくだから、カレーの他にもキミュスの骨ガラを使った料理に挑んでみようか。ちなみに、これまでキミュスの骨ガラを家で扱ったことのある人は、どれぐらいいるかな?」


 手をあげたのは、6名のみであった。ユン=スドラにトゥール=ディン、マルフィラ=ナハムにレイ=マトゥア、それにフェイ=ベイムとラッツの女衆という顔ぶれである。その中から、ラッツの女衆が声をあげた。


「ただし、最後に使ったのは数ヶ月前で、わたしもまだまだ手馴れているとは言えないような手際です。魚や海草の乾物というものが便利であったため、あまりキミュスの骨ガラを使おうという気にはなれなかったのです」


「なるほど。骨ガラの保存には塩やピコの葉も必要ですし、肉の売り場まで買いに出向くのも手間ですよね」


 古くからファの家の商売を手伝っているラッツの家は、銅貨にもゆとりがあるのだろう。そうすると、乾物の購入や使用にも躊躇いがなく、キミュスの骨ガラに対する興味も薄まってしまうようだった。


「ですがアスタの言う通り、ダレイムの食材が不足している間は、これまで以上に銅貨をつかうことになるのですよね。それが数ヶ月も続くのであれば、わたしたちも考えをあらためるべきであるように思います」


「はい。今後はそういう部分も意識しながら、新しい献立を考案していきましょう。安い費用で美味しい料理を作れたら、それに越したことはありませんもんね」


 とりあえず、本日はカレーや各種の汁物料理に関して、キミュスの骨ガラを使いつつ、それに調和する具材を選別することになった。

 骨ガラの出汁が取れるまでは、カレーの香草の調合や、他なる汁物料理の下準備だ。それで仕事の分担をして、ひとまず俺の手が空くと、すかさずディアルが声をあげてきた。


「ねえねえ。森辺の民って、そんなに銅貨に困ってるの? ジャガルや他の領地から買いつける食材だって、そうまで割高なわけじゃないでしょ?」


「うん。今すぐ生活に困るっていうほどの話じゃないけどね。でもやっぱり、長い目で見ると節約の必要は出てくるだろうと思うよ。フワノなんて、ポイタンの5割増しの値段なわけだからさ」


「うーん、そっかぁ。そういえば、森辺のお人らは新しい猟犬をどっさり買い込んだところだもんね! あれなんて、かなりの出費だったでしょ?」


「うん。でも、猟犬の購入は1年も前から決めていたことだから、みんなそれに備えて銅貨を貯めてたみたいだね。あと、遠征に参加したことで褒賞をもらえたから、それも家計の支えになったんじゃないかな」


 それでも銅貨を無駄につかわないというのは、森辺の民の誇るべき特性であるのだ。美味なる料理は無駄ではないと、家長会議ですべての人々に認められたものの――いや、そうであるからこそ、俺たちは無駄づかいをしないように心がけながら、美味なる料理を作りあげなくてはならないのだった。


「アリアやポイタンだって、他の領地から買いつけることはできるのでしょうけれどね。でも、それじゃあ輸送の費用も上乗せしないといけなくなるから、けっきょく割高になってしまうわけよ。それでダレイムの野菜より新鮮さは落ちるわけだから、あんまり買い手はつかないのでしょうね」


 リフレイアも発言すると、ディアルは「そっかー」と天を仰いだ。


「僕、アスタたちの屋台で売られてるタラパの料理とか、すっごく好きだったんだよねー。今はジャガルの食材なんかもふんだんに使われてるから嬉しいぐらいだったけど、それで何ヶ月も過ごしてたら、タラパの料理とかが恋しくなっちゃいそうだなー」


「わたしはそれより、やっぱりアリアかしら。タラパの料理なら城下町でも口にできるけど、アリアなんていうのはほとんど流通していないものね」


 その言葉に、レイ=マトゥアが「え?」と顔をあげた。


「城下町では、アリアが売られていないのですか? そもそもダレイムの食材だって、今もあるていどは城下町に流されているのでしょう?」


「ダレイムの食材は、基本的に城下町以外の領地に優先して売られているのよ。城下町の民は生活にゆとりもあるのだから、余所から買いつけられる割高な食材でまかなうべし、ということね。もちろん、外来のお客にはご満足いただけるように、宿屋や大衆向けの食堂なんかにはこれまで通りに卸しているようだけれどね」


 そう言って、リフレイアは優雅に肩をすくめた。


「それでアリアに関しては、もともと貧者の野菜なんて蔑称を与えられていたから、城下町にはほとんど流通していなかったの。森辺の方々に厨を預ける際なんかは、特別にダレイムから取り寄せたものを使ってもらっていたはずよ。あの試食会でも、城下町の料理人はアリアなんていっさい使っていなかったでしょう?」


「い、言われてみれば、そうかもしれません。ただ、ヴァルカスやお弟子さんたちは、普通にアリアを使っていたように思うのですけれど……」


「ヴァルカスは食材の値段や風評なんて、いっさい気にしていないもの。自分の料理にアリアが必要だと思ったら、いくらでも買いつけるのでしょうね」


 それはいかにも、ヴァルカスらしい話であった。

 レイ=マトゥアは、感じ入ったように溜息をついている。


「城下町において、アリアはそのような扱いであったのですか。わたしはアリアが大好きなので……なんだかちょっぴり、物悲しい気持ちです」


「肥大した自尊心というのは、目を曇らせるものであるのよ。わたしなんて幼い頃から自尊心の塊であったから、それを誰より痛感させられているわ」


 そんな風に言ってから、リフレイアは屈託なく微笑んだ。


「ただ、食材に関しては別かしら。売り値が安いから貧乏たらしいなんて、そんなのは味と関係ないものね。それでわたしはあなたがたにアリアの美味しさを思い知らされたから、一刻も早くダレイムの畑が回復することを祈っているわ」


「はい! アリアを食べられる日が待ち遠しいですね!」


 やはりレイ=マトゥアも、リフレイアに対して気後れはないようだ。彼女たちはかなり年齢も近かったので、なかなかに微笑ましい交流の図であった。

 そしてそれを見守るシフォン=チェルは、姉か母を思わせる慈愛の眼差しである。リフレイアとシフォン=チェルは日を重ねるごとに絆を深めているようで、俺も温かい気持ちを授かることができた。


「あ、ずいぶん灰汁が出てきたね。キミュスの骨ガラもギバほどではないにせよ灰汁が多いから、こまめに取り除くように心がけてね」


 そうして骨ガラの出汁が完成に近づいてきたとき――開け放たれたままの戸板から、ムスルが「アスタ殿」と呼びかけてきた。


「ラヴィッツの長兄なる御方が面会を願っておられるのですが、いかが取り計らいましょうか?」


「え?」と目を丸くしたのは、リリ=ラヴィッツと交代で屋台の商売に参加しているラヴィッツ分家の女衆である。俺も小首を傾げつつ、戸板のほうに向かうことにした。


「どうも、ご無沙汰しています。今日は狩りの仕事もお休みだったのですか?」


「ああ。こちらの狩り場は大した被害も出ていないし、ギバの数も落ち着いてきたので、これまで通りに休みの日を入れているぞ」


 小柄で、落ち武者のようなヘアースタイルで、やたらと骨ばった顔立ちをしたラヴィッツの長兄は、にんまりと笑いながらそんな風に応じてきた。


「それで今日はトゥラン伯爵家の当主というものをファの家に招くと聞き及んだので、挨拶にうかがったのだ。何か不都合なことでもあるか?」


「いえ。何も不都合なことはありませんよ。そちらも試食会などで、リフレイアとはご挨拶をしているでしょうしね」


 いまひとつつかみどころのない性格をしたラヴィッツの長兄であるが、彼が悪人でないことや、見かけに寄らず好奇心が旺盛だということは、こちらも重々承知していた。

 ただ――彼は邪神教団討伐の遠征を経て、いっそう迫力のある面相になっている。秀でた額から禿げあがった頭頂部にかけて、15センチはあろうかという生々しい縫い傷がななめに刻み込まれてしまったのだ。

 俺の呼びかけによって参じたリフレイアも、まずはその傷痕に「まあ」と声をあげることになった。


「ラヴィッツの長兄とは、あなたのことであったのね。そのお傷は、いったいどうされたのかしら?」


「これは、邪神の影やらいう得体の知れない存在を相手取ったときの手傷だな。べつだん、大した深手ではない」


「あなたも遠征に参加されていたのね。森辺の方々も何名かが負傷されたと聞き及んでいたけれど……あなたがたの勇気ある行動に、あらためて感謝の言葉を贈らせていただくわ」


 リフレイアが胸もとに手をやりながら一礼すると、ラヴィッツの長兄は愉快げに口の端をあげた。


「そちらは息災なようで何よりだ。今は、かまど仕事の見物か?」


「ええ。森辺における日々の生活というものを拝見したくて、そのようにお願いしたのよ」


「日々の生活、か。このように余所の家人を集めて料理の手ほどきをするなど、ファとルウぐらいのものであろうがな」


 両名がそんな言葉を交わしていると、こっそりこちらの様子をうかがっていたディアルが「わっ」と驚きの声をあげた。


「あ、話の邪魔をしちゃって、ごめんねー。本当にすごく大きな傷だから、びっくりしちゃった」


「うむ? お前は……そうか、今日は南の鉄具屋の娘というものも招くという話だったな」


「うん。僕はゼランドのディアルというものだよ。よろしくね」


 ディアルはラヴィッツの長兄の悪党めいた風貌に怯んだ様子もなく、にこにこと笑いながら戸板の外に出てきた。

 シフォン=チェルとサンジュラはリフレイアのかたわらに控えているので、客人はこれで総勢だ。それらの姿を順番に眺め回しつつ、ラヴィッツの長兄は「なるほど」とつぶやいた。


「貴族というのは従者というものを連れ歩くので、これほどの人数になってしまうわけか。それで、スドラとディンの女衆に晩餐の準備の手伝いを願ったわけだな?」


「ええ。そこまでご存じでしたか」


「俺が聞いたのは、そこまでだ。ところでスドラやディンの家は、女衆だけをファの家に預けるのか?」


「いえ。今回は、男衆もひとりずつお招きすることになりましたが。それが何か?」


 俺がそのように答えると、ラヴィッツの長兄は落ちくぼんだ三白眼をきらりと光らせた。


「では、そこに俺と分家の女衆を加えたならば、ファの家の広間は人であふれかえってしまうのだろうかな?」


「え? いえ、あとふたりぐらいでしたら、なんとかなるかと思いますが……でも、どうしてです?」


「どうして? 森辺の外の人間に対する興味だけでは、足りんのか?」


 この唐突な申し出には、俺もいくぶん困惑させられてしまった。


「いえ、俺はまったくかまいませんけれど……リフレイアたちは、どうかな?」


「わたしたちは、アスタの判断に従うわ。たくさんの方々とご縁を深められるなら、何よりよ」


「僕も一緒だよー。遠征の話とか聞かせてもらえたら嬉しいかな!」


「それじゃあ、あとはアイ=ファ次第ですね。もちろんアイ=ファも、無下に断ったりはしないかと思いますけれど……」


「では、ファの家長に断られたときは、分家の女衆にそう伝えてもらおうか。こちらもその返事次第で、晩餐の量が変わってしまおうからな」


 にんまりと笑いつつ、ラヴィッツの長兄は早々に身をひるがえした。


「では、それまでは大事な家族たちと過ごすことにするか。いい返事を期待しているぞ、アスタよ」


 そうしてラヴィッツの長兄は立ち去って、後には俺たちだけが残されたわけであった。


「なんというか……あの御方は、森辺ではあまり見られないお人柄であるようね。試食会でお会いしたときから、ずっとそのように思っていたのだけれど」


「うんうん。でも、気さくで喋りやすい人だねー! 顔だけ見てると、盗賊みたいだけど!」


 とりあえず、リフレイアたちも彼の唐突さにはいくぶん驚かされつつ、それでも悪い印象は持っていない様子であった。彼の森辺の民らしからぬ立ち居振る舞いが、むしろ親しみやすさに通じたりもするのであろうか。

 まあ、ファの家はラヴィッツの方々とも正しく絆を深められることを願っている身である。俺自身、彼の来訪を忌避する理由は持ち合わせていなかった。


「それじゃあ、戻ろうか。これから試食用の料理を作りあげるので、忌憚なきご感想をお願いするよ」


 そうして俺たちはかまどの間に戻り、楽しい勉強会を再開させることに相成ったのだった。

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