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異世界料理道  作者: EDA
第六十六章 再興の日々
1135/1680

ファの家の晩餐会①~来訪~

2021.12/27 更新分 1/1

・今回は全8話の予定です。

 寄生虫によるムントの狂暴化は、完全に収束した――そんな布告が森辺の集落に回されたのは、青の月の24日のことであった。

 日取りとしてはララ=ルウの生誕の日の前日であり、ララ=ルウとシン=ルウをファの家に招いた日の2日後となる。長きにわたって森辺の民を悩ませてきたその案件も、最初に狂暴化したムントを発見してから20日目にして、ついに終わりを迎えたのだった。


「このままでは、グリギの実をとり尽くしてしまう恐れもあったからな。これでようやく森辺においても、飛蝗のもたらした災厄が一段落したと言えよう」


 そんな風に語りながら、アイ=ファは俺の頭をわしゃわしゃとかき回してきたものであった。アイ=ファは何より、宿場町に行き来していた俺の身を案じてくれていたのだろう。たとえグリギの果汁で用心をしていようとも、万が一のことあったら――と、そこまで気を張ってしまうのがアイ=ファであるのだ。


「それじゃあ、ジルベたちはどうしようか? いちおうこれまでは、ムントへの用心で宿場町に同行してもらってたんだよな」


「そうだな……ジルベもラムも、宿場町に出向くことを楽しんでいるように見える。しかしそれでも、家のほうが気を休められるという面もあろうし……まずは1日置きに同行させて様子を見るべきではないだろうか」


 と、他の家人に対しても情愛深く、決して二の次にはしないアイ=ファであった。


 ともあれ、ムントの狂暴化が収束したという話は、翌日すぐに城下町まで通達されることになった。

 そしてその日の昼頃には、さっそくサンジュラが俺たちの屋台を訪れてくれたのだった。


「ムントの狂暴化、収束したこと、聞き及びました。リフレイア、森辺、訪れること、了承いただけますか?」


「はい。そのお話は前々から、族長たちにもおうかがいをたてていましたからね。でも、招待するのはルウじゃなくファの家でよろしいのでしょうか?」


「はい。リフレイア、もっとも縁が深い、ファの家ですので」


 それも始まりはまぎれもなく悪縁であり、このサンジュラなどは俺を誘拐した実行犯に他ならなかったのだが――それもすでに、2年近く前の話である。正確な日取りなどは覚えていなかったが、来月の白の月であの騒ぎからも丸2年となるはずであったのだった。


「こちらは前日にでもご連絡をいただければ、対応できるかと思います。明日は屋台の休業日ですので、明後日以降にご連絡をいただけますか?」


「はい。……明日、連絡し、明後日、招いてもらうこと、不可能ですか?」


「え? その場合は、森辺にまで連絡をいただくことになってしまうのですが……それでは、あまりに手間ではないですか?」


「手間、かまいません。リフレイア、1日も早く、来訪、願うかと思われます」


 サンジュラは虫も殺さぬ笑顔で、そのように言いたてていた。

 まあ、こちらとしてもそれを拒む理由はない。実のところ、明日は屋台を休む代わりに建築屋の面々を晩餐にお招きするつもりであったので、明後日にリフレイアたちを迎えると2日連続の招待ということになってしまうのだが――どの客人も宿泊するわけではないので、アイ=ファもそうまで苦い顔はしないはずであった。

 それでサンジュラは宣言通りに、翌日の朝方にファの家までやってきて、アイ=ファからじきじきに来訪の許しをいただくことがかなったわけである。


 そんな紆余曲折を経て、青の月の27日――

 まず最初に俺たちの屋台を訪れたのは、リフレイアとともに招待することになったディアルとラービスであった。


「えへへ。リフレイアたちは屋台が終わるちょっと前ぐらいに来るらしいけど、待ちきれないから先に来ちゃった!」


 いつも天真爛漫なディアルであるが、本日はその朗らかさにも磨きがかかっている。ぴこぴこと尻尾を振る子犬のようで、とても可愛らしい。

 そうしてディアルは青空食堂で食事をたいらげると、すぐさま屋台の裏側から俺のもとにやってきた。


「そういえばね、アスタに伝言があったんだよ。あの、なに考えてるのかよくわからない外交官のお人からさ」


「外交官? フェルメスが、ディアルに伝言を頼んだのかい?」


「うん。なるべく正確に伝えるね。えーと……本来であれば自分も同行するべき立場ですが、リフレイア姫がよからぬたくらみを抱いて森辺におもむく恐れは低いでしょうし、リフレイア姫も余人の同行をさぞかし嫌がられるでしょうから、このたびばかりは黙認しようかと思います。その代わりに、いずれ別の日にファの家に招待していただければ幸いです、だってさー」


「ああ、なるほど。そういえば、立場のある方々が森辺を訪れるときは、いつもフェルメスが同行していたんだよね。ジェノスの情勢を正確に把握するのが、あのお人の職務らしいからさ」


「ふーん。でもなんか、ずいぶん恩着せがましい感じだったよー。あのオーグっていう補佐官の目があったらこんな融通をきかせるのも難しかったけど、ここは僕の裁量でアスタとリフレイア姫の交流を応援させていただきますーだってさ。……きっとあのお人も、リフレイア抜きでアスタと会いたいだけだと思うけどねー」


 フェルメスのことをそんなぞんざいに品評する人間は珍しかったので、俺はついつい笑ってしまった。


「まあ何にせよ、フェルメスがいるとリフレイアも落ち着かないだろうから、ありがたい申し出だね。それはディアルも一緒だろう?」


「そりゃそーさ! 僕はやっぱり、あのお人は苦手だもん。いっつもにこにこ笑ってるけど、本心かどうか知れたもんじゃないしさー」


 正直さを美徳とする南の民には、やはりそのように感じられるのだろう。

 俺自身は、フェルメスと正しく絆を深めなければと心がけている。ただそれは、やはり余人の目がないほうが望ましいのだろうなと思えた。


「それじゃあ、補佐官のオーグが不在なことにも感謝だね。……というか、オーグはずいぶん帰りが遅いよね」


「あー、たしかあのお人は、朱の月になってすぐジェノスを出立したんだっけ? ってことは……もうすぐ丸4ヶ月になるわけかー。ま、便りがないのはいいことだって、外交官はそんな風に言ってたよ。報告書を読んだ西の王がジェノスの在り様に不満を持ってたら、4ヶ月も放っておくはずないってね」


 それは確かに、フェルメスの言う通りなのであろう。そして、すぐさま別の人員が届けられなかったということは、フェルメスの任期が延長されたという証であるのだろうと思われた。


(外交官の任期は半年でひと区切りで、2期か3期は同じ人間で継続されるのが通例って言ってたもんな。とりあえず、もうしばらくはフェルメスがジェノスに居残ることが確定したわけか)


 補佐官のオーグがジェノスを出立した時点で、すでに半年の任期は完了しているのだ。次の任期で人員が交代されるなら、あとふた月。さらに延長されるなら、もう半年が加算されるわけである。


(だけどまあ、邪神教団の脅威を退けられたのは、フェルメスのおかげでもあるわけだし……今さら別の外交官と交流を深めるのもしんどそうだから、ここはフェルメスの長い滞在を望みたいところだよな)


 何せフェルメスは出会ってから10ヶ月が経過した現在も、まだまだ底が知れないのである。あの究極的に個性的なお人を完全に理解するには、何年あっても足りなそうなところであった。


「アスタ、失礼します」


 と、そこで屋台の正面からサンジュラがやってきた。

 ディアルは俺よりも早く、「やあ!」と笑顔で出迎える。


「もう来たんだ? まだ商売の終わりまで、半刻ぐらいはあるはずだけど!」


「はい。屋台の商品、売り切れること、危惧しました。リフレイア、こちらで購入する、予定でしたので」


 そんな風に応じてから、サンジュラはやわらかい眼差しでディアルを見返した。


「ディアル、ご機嫌、麗しいようですね。私、そのような笑顔、向けられること、稀です」


「えー? 余計なこと言うと、笑顔が引っ込むよ? ま、もともとあんたは西の民なんだから、僕が忌避する理由はないしね!」


 ともあれ、まずはリフレイアのために料理の購入である。彼女は宿場町の入り口にトトス車をとめて待機しているとのことであった。


「じゃ、僕もリフレイアの様子を見てくるねー! また後で!」


 と、ディアルも元気な子犬のように駆けていく。ラービスがリードを忘れた飼い主のようにそれを追いかけるのも、普段通りの光景であった。


「ディアルは、相変わらずですね。見ているこちらが元気になってしまいます」


 と、俺の相方として『ギバの玉焼き』を仕上げていたユン=スドラが、笑顔でそんな風に言っていた。本日は晩餐の支度と賑やかしのため、彼女とトゥール=ディンにも同席を願っているのだ。


 それからしばらくして、いくつかの屋台がぽつぽつと販売終了し始めたぐらいのタイミングで、《銀の壺》の面々がやってきた。


「毎度ありがとうございます。本日は、ちょっと遅めのご来店でしたね」


「はい。商談、長引いてしまいました」


《銀の壺》は、もちろん毎日俺たちの屋台を訪れてくれている。宿屋の屋台村でいくつかの料理を食したのち、こちらで締めくくるというのが、ここ数日の日課であるようであった。


「ラダジッドたちは、ルウの血族の家に招待されたそうですね。次の機会には、是非ファの家にも招待させてください」


「ありがとうございます。ムントの脅威、退けられたこと、心より、喜ばしく思っています」


 ラダジッドはとても穏やかな眼差しで、そんな風に言っていた。彼自身はリリンの家に招かれるそうなので、さぞかし胸を弾ませていることだろう。


 昨日はファと近在の氏族に建築屋の面々を招待していたし、近日中にはルウの血族のほうでもお招きする予定であると聞いている。おやっさんたちはあと10日と少しで仕事を終えてしまうため、その間にかなう限りの交流を深めておきたいところであった。


 そして最近は、ドーラのおやっさんやターラといくぶん疎遠になってしまっている。おやっさんの管理する畑は、ダレイム南端の被害の影響で別のルートに野菜を回すことになり、露店で商売をする余剰分がなくなってしまったのだ。それでも朝方には宿屋に野菜を届ける仕事があるため、数日にいっぺんは俺たちが開店するまで宿場町に居残ってくれているのだが――これまでは毎日顔をあわせることができていたので、物寂しい限りであった。


(でも、ムントの騒ぎも収まったから、またターラをルウ家に招待したり、こちらからダレイムに出向いたりって話が持ち上がるだろうな)


 サウティやダイやルウの眷族といった南方の氏族の働きあって、ギバが人里に下りるという事態にも至っていない。ダレイム南方と森辺南方の被害はおびただしかったものの、それでも最善は尽くせているのだ。生活の随所に残されている災厄の後遺症を乗り越えて、完全に平穏な日々を取り戻せるように力を尽くすしかなかった。


 そうして下りの二の刻に至り、屋台の商売も終了の刻限である。

 俺たちが屋台の後片付けをしている間に、リフレイアを乗せたトトス車と騎兵の護衛部隊はしずしずと街道を南に下っていた。森辺に向かう小道の手前で、合流する手はずになっているのだ。


「アスタたちはこれから、お姫さんのもてなしか。せいぜい美味いものを食わせてあげな」


 たび重なる試食会で貴族とご縁を結ぶことがかなったレビは、屈託のない笑顔でそんな風に言っていた。

 そんなレビたちとともに《キミュスの尻尾亭》まで戻り、屋台を返却したならば、いざ森辺に出立である。

 その道中で、ユン=スドラが御者台の俺に語りかけてきた。


「リフレイアたちにご挨拶するのも、およそひと月ぶりですね。まあ、貴族の方々とはこれまでもそうまで頻繁に顔をあわせる機会もありませんでしたけれど……先月は試食会でたびたび顔をあわせていたせいか、ずいぶん懐かしく感じられてしまいます」


「確かにね。こうなると、城下町の料理人の方々と再会できる日が待ち遠しくなっちゃうね」


「ああ、そうですね。せっかく試食会でさまざまな相手とご縁を持てたのですから、もっと懇意にさせていただけたら嬉しく思います」


「うん。ロイやシリィ=ロウなんかは森辺の勉強会に参加したりもしていたのに、ダカルマス殿下たちがやってきてからは、それもつつしむことになっちゃってたしね」


 それもまた、失われた日常のひとつに数えられることだろう。ダカルマス殿下が帰国されたのちも、けっきょくはムントの騒ぎで客人を招くことができなかったし、城下町では派手な祝宴や晩餐会を自粛中であるため、俺たちがお招きされる機会も失われていたのだった。


(だからこれは、城下町の人たちとの交流を再開させる、第一歩目なんだ。リフレイアみたいに身分の高い姫君がわざわざ森辺まで出向いてくれたんだから、ありがたい限りだよな)


 そんな思いを噛みしめながら、俺は森辺の集落を目指した。

 ルウの集落で同乗させていたかまど番をお返ししたら、すぐさまファの家に出立だ。今日はファの家で勉強会を行う日取りであり、リフレイアからはいつも通りの日常を拝見したいと願われていた。


 このたび城下町から来訪したのは10名乗りのトトス車が2台と、騎兵が10名だ。ファの家に到着すると、まずは車の片方からもう10名の兵士たちが降りてきた。そしてもう片方の車からは、リフレイアの従者たるムスルが現れる。


「アスタ殿、本日はリフレイア姫の来訪をお許しいただき、心より感謝しております。まずは、護衛の兵士たちを配備させていただきます」


「はい。どうぞよろしくお願いいたします」


 デルシェア姫は護衛に30名もの兵士を引っ張り出していたが、今回の総勢は20名であるようだった。まあこれは、あくまで万が一の事態に備えての配備である。今のところ、ジェノスで貴族が無法者に襲撃されたというのは――復活祭のパレードにおいて、マルスタインに矢が射かけられたという例しか思い当たらなかった。


 とりあえず、こちらはユン=スドラたちに荷下ろしをお願いして、かまど小屋で待機していた人々にもひと声かけておく。しかしそちらのメンバーにもリフレイアの来訪は通達済みであったため、誰もが物珍しげに兵士たちの散開する姿を見やるばかりであった。


 やがて兵士の配置が完了すると、ようやくリフレイアが姿をあらわにする。

 それに同行するのは侍女のシフォン=チェルと護衛役のサンジュラ、同じ客人たるディアルとラービスの4名のみだ。

 普段よりも質素な装束を纏ったリフレイアは、それでもいつも通りにスカートのわきをつまんで貴婦人の礼をしてくれた。


「おひさしぶりね、アスタ。今日はお招き、ありがとう。……まあ、わたしが強引に押しかけただけの話なのだけれど」


「そんなことはないですよ。リフレイアをファの家にお招きできて、心から嬉しく思っています」


 俺がそんな風に応じると、リフレイアはわずかに眉をひそめつつ、視線を巡らせた。そこに待機しているのは、ムスルと護衛役の隊長らしき壮年の男性だ。


「それじゃあ予定通り、ムスルはわたしのそばに控えて、あなたが見張りの部隊の指揮官ね。くれぐれも森辺の方々の生活に支障をきたさないように、よろしく取り計らってちょうだい」


「かしこまってございます」という仰々しい挨拶を残して、隊長殿も引っ込んでいく。するとリフレイアは満足そうに胸もとをそらしながら、俺を見やってきた。


「さ、あとは気の置けない人間しか残っていないはずよね。アスタもそのつもりで口をきいてちょうだい」


「あはは。そんなに礼儀正しい言葉づかいがお気に召さないのかな?」


「だって、よそよそしく感じるじゃない」


 と、リフレイアは遠慮なく口をとがらせた。今日は完全に公務を離れたプライヴェートなのだと、無言のままに主張しているかのようだ。

 13歳となって半年が過ぎているリフレイアは、背丈こそ平均以下であったものの、すっかり子供らしさが抜けて妙齢の少女らしい雰囲気となっている。2年前にばっさりと切り落とした髪もすっかりセミロングの長さに落ち着いて、綺麗にくしけずられていた。


「それで、シフォン=チェルはどうなのかしら? 念願の、森辺の集落よ」


「はい……森の美しさと雄大さに、胸を打たれてしまっています……」


 そう言って、シフォン=チェルは侍女のお仕着せに包まれた胸もとに手をやった。

 その紫色の瞳には、言葉の通りの感情があふれまくっている。奴隷という身分にあった彼女はこれまでなかなか城下町の外に出ることが許されず、これが初めての来訪であったのだ。


 ここは母屋の前であり、それなりの広さを有する広場もろとも、深い森に囲まれている。俺にとってはすっかり見慣れた光景であるが、この地を訪れた人々は例外なく大きな感慨にとらわれるようであった。


「モルガの山も、あんなに間近に……あそこに、聖域の民というものが住まっているのですね……」


「それに、ヴァルブの狼とマダラマの大蛇もね。それと相まみえることのできたアスタたちを、わたしも羨ましく思っているわ」


 と、シフォン=チェルを見上げるリフレイアの顔が、幸福そうにほころんだ。シフォン=チェルを森辺の集落に連れていきたいというのが、彼女にとって一番の眼目であったのだ。


 そのかたわらで、ディアルは「うーん!」と大きくのびをしている。彼女が森辺を来訪するのも、すいぶんひさびさのことであろう。しかしその顔に気後れの色はなく、心から清々しそうに息をついていた。


「森辺はなんだか、空気が瑞々しいよね! ……あ、そうだ! ファの家自慢の番犬たちに挨拶をさせてもらわないと!」


「あ、そうだったね。みなさんも、こちらにどうぞ」


 本日は、ジルベとラムも家に居残る日程であったのだ。俺が嗅ぎなれない匂いをした人間をどっさり引き連れているものだから、ジルベたちもさぞかし落ち着かない気分でいるに違いなかった。


「ジルベ、ラム、ただいま。挨拶が遅れて申し訳なかったね」


 俺が戸板を引き開けると、まずはジルベが元気いっぱいに「ばうっ!」と飛び出してきた。その後に、ラムは無言のままひょこりと顔を覗かせる。


「お、おお、これが噂の獅子犬でありますな。これは確かに……なんとも勇猛そうな……」


 と、ムスルはひとりでたじろいでいる。まあ、獅子犬を初めて見た人間には、相応の反応であろう。


「でも、可愛い顔でしょー? よーしよし、今日はよろしくねー!」


 ディアルはここ最近の宿場町でもジルベと再会を果たし、ラムとも初対面の挨拶を交わしていたので、にこにこ笑いながら頭を撫でていた。いっぽうリフレイアとシフォン=チェルも、落ち着いた眼差しでジルベたちを見やっている。


「えーと、リフレイアにはジルベを紹介したことがあったっけ?」


「以前、森辺の祝宴に招待されたときに、家で預けられていたその子を拝見したわ。……それ以前にも、もとの飼い主である王都の監査官がこれ見よがしに連れ歩いていたしね」


「ああ、城下町でも顔をあわせていたのか。それじゃあもしかして、シフォン=チェルも?」


「はい……でも、その頃は……そちらのジルベという犬も、もっと険しい目つきをしていたように思います……きっと護衛犬としての仕事を果たすために、ずっと気を張っていたのでしょうね……」


 確かに俺もジルベと初めて顔をあわせたときは、この世にこんな恐ろしい姿をした犬も存在するのかと、度肝を抜かれたものであった。

 しかし今のジルベは、愛嬌の凝り固まったような存在である。もともと顔立ちはチャウチャウのように愛くるしいし、無邪気で人懐っこい性格がファの家の生活で開花されていたのだった。


「あ、それじゃあシムの猫ってやつは? あれはリフレイアも見たことないんじゃない?」


「シムの猫? ファの家には、そんな物珍しい獣までいるの?」


「うん! 僕は宿場町で拝見したよ! ずーっとジルベの背中で寝てるばっかりだったけどねー!」


 俺が玄関から覗いてみると、サチは広間の片隅で丸くなっていた。


「猫のサチは、昼寝中みたいです。もともと愛想のないやつなんで、紹介は晩餐のときでもいいでしょうか?」


「それでまったくかまわないけど、その言葉づかいはどうしたことかしら?」


「あ、いや、ムスルやサンジュラとかにも向けた言葉だから、それは気にしないでおくれよ。リフレイアとディアル以外は、みんな年上なんだからさ」


「でも、この場で主人という身分にあるのは、わたしとディアルなのよね。だったら従者の者たちにも、同じ言葉づかいでかまわないのじゃないかしら?」


「いやいや、そういうわけにはいかないよ。本当は、リフレイアに対しても丁寧な言葉づかいで統一したほうが楽なぐらいなんだけどね」


 とたんにリフレイアが口をとがらせたので、俺は笑顔で言葉を重ねてみせた。


「でも、リフレイアの希望には沿いたいと思ってるよ。これまでも、丁寧な言葉づかいはよそよそしいって主張する人らが、けっこういたからさ」


「あらそう。アスタの中では、我が儘な人間とひとくくりにされていそうね」


「そんなことはないよ。ちなみにそのひとりは、ユーミだしね」


 ユーミも森辺と城下町の祝宴で、リフレイアとはずいぶん気安い仲になっているはずであるのだ。リフレイアはようやく機嫌をなおした様子で、すました顔をした。


「あのユーミは、誰に対しても遠慮がないわよね。むしろわたしは、それを好ましく思っているわ」


「ああ、リフレイアのことをあんた呼ばわりしてたもんね。大した心臓だとは思うけど、見習いたいとは思わないかなあ」


 すると、ディアルも「あはは」と笑い声をあげた。


「例の試食会ってやつで、リフレイアはずいぶんユーミと仲良くなったみたいだねー! そんな楽しい催しに間に合わなかったのが、唯一の心残りだよー!」


「ダカルマス殿下はまたいずれ目新しい食材を持参するという話だから、そのときにはまた試食会や祝宴ずくめになるのじゃないかしらね」


 そんな風に答えてから、リフレイアはふっとかたわらのシフォン=チェルを見上げた。シフォン=チェルはこちらがやいやい騒いでいる間も、ずっと森の様相に視線を巡らせていたのだ。


「……シフォン=チェルは、ずいぶん森辺がお気に召したようね?」


 リフレイアがそんな声を投げかけると、シフォン=チェルは澄んだ面持ちで「はい……」と応じた。


「わたくしも、山中の集落に生まれた身でありますので……もちろんマヒュドラの雪山と森辺の集落では、まったく様相が異なるのですが……それでもいくぶん、懐かしさのようなものを感じるようです……」


「そう。……里心がついてしまったということかしら?」


 リフレイアの眼差しに、一瞬不安そうな影がよぎる。

 しかし、それを見返すシフォン=チェルの眼差しは、果てしなく優しかった。


「わたくしはすでに南の民ですし、故郷と呼べるのはリフレイア様のもとだけです……待つ人間もないマヒュドラには、なんの未練もございません……」


「ああ、あなたは西の民に親を殺められてしまったのだものね」


 まるで自分を責めるかのように、リフレイアはそう言った。

 しかし、シフォン=チェルの眼差しは変わらない。


「わたくしは、そのような運命を与える神々を恨んでいたこともありました……でも、それでリフレイア様と巡りあうことができたのですから……大きな不幸を負った人間には、同じだけの大きさをした幸福が訪れるのではないかと……そんな風に思うことができるようになりました……」


 リフレイアはその内に渦巻く感情をこらえるように、きゅっと表情を引き締めた。

 するとディアルが、おひさまみたいに微笑みながらリフレイアの肩に手を置く。


「森辺の開放的な空気が、そんな会話を呼び起こしたのかな? それはちっともかまわないけど、そろそろかまど小屋で待ってる人たちに挨拶をしておかない?」


「ええ……ごめんなさいね、アスタ。わたしは今日という日を心待ちにしていたから……ちょっと情緒が落ち着いていないようだわ」


「俺もちっともかまわないよ。今日は友人としてのリフレイアを招待したつもりだからね。くつろいだ気分で、好きに振る舞っておくれよ」


 そんな風に答えながら、俺はリフレイアとシフォン=チェルに笑いかけてみせた。

 リフレイアは大人びた微笑をたたえ、シフォン=チェルは変わらず優しげな笑顔だ。それで、他の人々はというと――サンジュラが穏やかな笑顔でラービスがむっつりとした無表情ということに変わりはなかったが、ムスルは何やら鼻を赤くして、むせぶのをこらえているような面持ちであった。リフレイアがいつになく年齢相応の情感をあらわにしているため、感じ入ってしまったのだろうか。


(ディアルひと筋のラービスはともかくとして……本当にリフレイアは、身近な人たちに愛されているんだな)


 そんな思いを噛みしめながら、俺はひさびさに迎えた客人たちをかまど小屋に案内することになったのだった。

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