ルウの三姉の煩悶③~真情~
2021.12/12 更新分 2/2
・本日は2話更新です。読み飛ばしのないようにご注意ください。
・今回の更新はここまでです。更新再開まで少々お待ちください。
そして、その夜である。
約束通り、ララ=ルウは日没になる寸前に、シン=ルウを引き連れてファの家にやってきた。
それよりも少し前に帰還したアイ=ファには、すでに事情を通達している。俺の考えていた通り、アイ=ファは迷うことなくララ=ルウの願い出を了承してくれていた。
「ありがとう。もしもこれで断られてたら、あたしらは干し肉を晩餐にするところだったよ」
ララ=ルウは懸命に気丈に振る舞って、そんな軽口を叩いていた。
4名分の晩餐を囲んで、着席する。ララ=ルウとシン=ルウを客人として迎えるというのは、とても新鮮な心地であり――このように悩ましい案件でなければ、さぞかし心も弾んだのだろうと思えてならなかった。
きゅっと表情を引き締めたララ=ルウのかたわらで、シン=ルウは普段通りの沈着な面持ちである。
俺より1歳年少であるシン=ルウも、出会った頃よりはずいぶん背がのびたはずだ。一緒に成長している俺は、普段あんまりそういうことを意識する機会もなかったのだが――こうしてララ=ルウと並んだ姿を拝見すると、彼の成長を実感することができた。
ララ=ルウは成長期が早かったらしく、出会った頃からすでにレイナ=ルウより背が高かった。そして彼女もこの2年でまた少し背がのびたように思うのだが――シン=ルウは、それよりもさらに成長していたのである。
両者の身長差が15センチほどという意味では、それほど変わっていないかもしれない。ただシン=ルウは、骨格の成長が秀でていた。今でも十分にすらりとしているし、いかにも俊敏そうなシャープな体形であるのだが、それでもやっぱり出会った頃よりは肩幅などががっしりとして、身体にも厚みが増したように感じられた。
16歳であったシン=ルウは18歳となり、12歳であったララ=ルウは間もなく15歳になろうとしているのだ。
出会った頃にはあれほど初々しかった両名が、ついに婚儀の話を本格的に考える年齢に至ったというわけであった。
「アスタから話は聞いている。……ルウ家が家を分けることになったそうだな」
晩餐を開始して、アイ=ファがすぐにそう切り出した。
ララ=ルウが無言であったため、シン=ルウが「うむ」と応じる。
「それで新たな氏族の家長を定めるべく、俺とディグド=ルウで力を比べることになった。俺が勝利を収めることがかなったのは、修練に手を貸してくれたアイ=ファのおかげであろう。その礼を言わねばと考えていた」
「何も礼を言われるような筋合いではあるまい。しかし、古くからの友であるシン=ルウが新たな氏族の家長に選ばれたことを、私も心から誇らしく思っている。……それで、もっと北側に新たな集落を開くという話であるのだな?」
「うむ。しかしそれも、次の休息の期間を迎えてからのことだ。そうして新たな集落を開き、すべての家が完成したならば、そこで新たな氏を授かることになる。その際には祝宴が開かれるはずなので、アイ=ファとアスタを招きたいと考えている」
「私たちを? しかしそれは、血族の祝いであろう?」
「俺にとって、ファの家とはそれだけ大事な存在であるからな。おそらく祝宴にはザザやサウティの人間も招かれるはずなので、アイ=ファたちにもどうか了承をもらいたく思っている」
アイ=ファとシン=ルウだけで語っていると、ものすごく穏やかでものすごく落ち着いた空気がたちこめた。
シン=ルウとて、ララ=ルウがどれだけ思い詰めているかは察していないわけもないのだが――それを沈静なる心持ちで迎えられるのも、きっと成長の証なのだろう。この2年、若き家長として家を守ってきたシン=ルウは、身体ばかりでなく心のほうも大いに成長したのだろうと思われた。
「それでお前はシン・ルウ=シンという新たな名を授かり、今後は女児にしかシンという名を与えられなくなるわけだな」
「うむ。しかし、女児にシンなどという名を与えようとする人間は、そうそういないだろうな」
「わからんぞ。私の母も、かつてラッツの眷族であったメイという名であったのだ。それにたしか、ザザにも同じ名を持つ女衆がいたように思う。シンという名は響きが美しいので、喜んでつけようとする人間がいるやもしれん」
アイ=ファはどこか、普段よりも饒舌であるように感じられた。
もしかしたら――ララ=ルウのために、会話をしやすい空気を作ろうとしているのだろうか。
しかしその後もララ=ルウは口を開こうとせず、アイ=ファとシン=ルウが森辺の習わしやおたがいの狩り場の状況などについて語らい合うことになった。
そうして晩餐の料理も、いよいよ尽きかけてきた頃――ララ=ルウは、ついに口を開いたのだった。
「新しい氏族の家長になるって、すごいことだよね。これからずっと、シンの名前が氏として残されていくんだもん」
ずっと沈着な面持ちをしていたシン=ルウも、さすがにほっとした様子で息をつきつつ、ララ=ルウのほうに向きなおった。
「うむ。俺としては、恐れ多いという気持ちがつのるばかりだが……自分が魂を返した後のことなどは、考えても詮無きことであろうからな。まずは新たな家長として、新たな家人たちを正しく導いていきたいと考えている」
「シン=ルウだったら、大丈夫だよ。ルウの眷族に相応しい、立派な氏族にしてくれるはずさ」
そう言って、ララ=ルウは空になった木皿を敷物に置いた。
「あたしもシン=ルウが新しい氏族の家長に選ばれたことを、誇らしく思ってる。……その気持ちに嘘はないよ」
「うむ。ララ=ルウが虚言を吐くことはなかろう。ララ=ルウの祝福を、ありがたく思う」
「でも……あたしたちは、別々の集落で暮らすことになっちゃうんだね」
空になった木皿を見つめながら、ララ=ルウはそう言った。
「シン=ルウとは、ずっと同じルウの集落で暮らしてたから……別々に暮らすなんて、想像もつかないよ。もう、たまたま早起きしたシン=ルウと出くわしたり、シン=ルウがギバを抱えて帰ってくる姿を出迎えることも、できなくなっちゃうんだもんね」
シン=ルウははっとした様子で、座ったまま身体ごとララ=ルウに向きなおった。
「ララ=ルウ。これはまだ、正式に伝えられる言葉ではないのだが――」
「違うよ、シン=ルウ。あたしは嫁取りの話をせかしてるわけじゃないの。逆に……まだシン=ルウには嫁入りできないってことを伝えるために、わざわざ呼びたてることになったんだよ」
シン=ルウは、初めて驚きの表情を浮かべた。
その表情で、俺はひとつの事実に思い至る。
(そうか。きっとシン=ルウも、ララ=ルウが15歳になると同時に婚儀を申し入れるつもりだったんだ)
俺はララ=ルウの気持ちにばかりかまけて、シン=ルウの心境をまったく把握できていなかったのかもしれなかった。
シン=ルウは懸命に自制している様子で、ララ=ルウのほうに膝を乗り出す。
「ラ、ララ=ルウ。俺は何か、ララ=ルウを怒らせてしまっただろうか? この半月ほどは、邪神教団の騒ぎでゆっくり語らう時間もなかったし――」
「シン=ルウは、何も悪くないよ。ただあたしが我が儘を言ってるだけなの」
ララ=ルウもまた、意を決した様子でシン=ルウのほうに向きなおった。
「あたしは、屋台の取り仕切り役をまかされることになったでしょ? だから、しばらくは……そっちの仕事に力を尽くしたいの。あたしなんてまだまだ未熟者で、家と屋台の仕事を同時に取り仕切るなんてできっこないから……いつかきちんとした力を身につけるまでは、誰にも嫁入りできないの」
シン=ルウはすべてを理解した様子で、「ああ」と微笑んだ。
「なるほど、そういう話であったのか。それなら何も、気にする必要はない。すべてララ=ルウの好きなように取り計らうといい」
ララ=ルウは「え?」と目を丸くした。
「好きなようにしたらいいって……どういう意味?」
「その言葉の通りの意味だ。俺はララ=ルウが正しい道を選ぶと信じている。だから、ララ=ルウの気持ちが定まるまで、変わらぬ気持ちで待っていると誓う」
それは俺でもびっくりするぐらいの、潔い言葉であった。
心を乱さず、すぐさまそんな言葉を返せるぐらい、シン=ルウは成長していたのだ。
ただ――おそらくシン=ルウは、こちらの想像を上回るぐらいの成長を遂げていた。それで俺は、意外に思うことになり――当のララ=ルウは、心を乱してしまったのだった。
「……シン=ルウ、自分の言ってることがわかってるの? あたしがそんな力をつけるまで、何年かかるかもわからないんだよ?」
「うむ。ルウ家では、20歳になるまでに婚儀をあげるべしという習わしだな。しかしヴィナ・ルウ=リリンがシュミラル=リリンと婚儀をあげたのは20歳を超えてからであったし、ガズラン=ルティムなどはもっと婚儀が遅かったはずだ」
「……シン=ルウはそんな何年間も、ずっと待っていようってつもりなの?」
「うむ。どれだけの歳月が過ぎようとも、俺の気持ちに変わりはないからな」
シン=ルウが落ち着いた面持ちでそのように言いたてると、ついにララ=ルウが爆発した。
「何それ! あたしたちは、別々の場所で過ごすことになるんだよ? そんな何年間も離れて暮らして、シン=ルウは平気なの!?」
「う、うむ? それはもちろん、寂しくないといえば虚言になってしまおうが……」
「だったらどうして、そんなに落ち着き払ってるのさ! あたしは……あたしは、胸が破けそうになるぐらい苦しいのに!」
真っ赤な顔でわめきながら、ララ=ルウが大粒の涙をこぼした。
それでついに、シン=ルウも表情を乱してしまう。
「ど、どうしたのだ、ララ=ルウよ? 俺は何か、言葉を間違ってしまっただろうか?」
「知らないよ! どうせシン=ルウが、みんな正しいんでしょ! あたしが全部、おかしいんだ! あたしが未熟で、子供で、馬鹿なだけなんだよ!」
ララ=ルウはここ最近の煩悶がすべて噴出してしまった様子で、そのまま泣き崩れてしまった。
敷物に突っ伏して、ほっそりとした背中を震わせながら、わんわんと泣き声をあげてしまう。俺はシン=ルウに劣らずあたふたとして、思わず腰を浮かせてしまったが、とたんにアイ=ファに腕をつかまれてしまった。
アイ=ファのほうを振り返ると、そこには厳格なる眼差しが待ち受けている。
手出しも口出しも無用――と、アイ=ファの目はそんな風に語っていた。
その間も、ララ=ルウは大泣きしてしまっている。
それはまるで頑是ない幼子のようで――見ているだけで、俺は胸が痛くなってしまった。
そうしてしばらくあたふたとしていたシン=ルウは、やおら決然とした様子で言った。
「アイ=ファにアスタよ、しばし目をつぶっていてもらいたい」
俺が「え?」と反問するより早く、シン=ルウはララ=ルウの肩をつかんでその身を起こさせて――そしてその身を抱きすくめたのだった。
「すまん、ララ=ルウ。やはり、俺が悪かったのだ。だからどうか、許してほしい」
「シン=ルウは……なにもわるくないじゃん……」
ひっくひっくとしゃくりあげながら、ララ=ルウは震える声でそう言った。
シン=ルウは断固とした口調で、「いや」と応じる。
「俺はもう18歳だし、今でも家長の身であるし、これからは新たな氏族の家長となる身だ。だから、強くあることが正しいと信じ、そのように振る舞ってきた。それが、間違いであったのだ」
「まちがって……ないじゃん……」
「普段であれば、そうであった。だけど今は身分など関係なく、ひとりの男衆として振る舞うべきであったのだ」
そう言って、シン=ルウはララ=ルウのしなやかな肢体をぎゅっと抱きすくめた。
「俺だってララ=ルウと離れて暮らすのは寂しいし、婚儀を何年も待たなければならないのは、とてもつらい。そもそも俺は、ララ=ルウが15歳になってすぐに嫁取りを申し出るつもりであったから……本当に、崖から突き落とされたような気分であったのだ」
「でも……シン=ルウは、ずっとへいきそうなかおだったじゃん……」
「だからそれは、強がっていたのだ。……それに、嬉しさもあったからな」
と、シン=ルウの横顔が気恥ずかしそうな微笑をたたえた。
「ララ=ルウが嫁入りはできないと言い出して、俺はララ=ルウに見限られてしまったのかと心配になったのだ。そうではなく、数年だけ待っていてほしいという話であったので、俺は安心した。そういった心情が、顔に出てしまったのだろうと思う」
「あたしが……シン=ルウをみかぎるわけないじゃん……」
ララ=ルウの手も、おずおずとシン=ルウの背中を抱きしめた。
「それじゃあ、シン=ルウは……あたしのわがままをゆるしてくれるの……?」
「最初に言ったろう。俺は、ララ=ルウの正しさを信じている。ララ=ルウがそうしたいと願ったのなら、それが正しい道であるのだ。屋台の取り仕切り役の仕事に力を尽くして、そののちに婚儀をあげる――それがララ=ルウにとって、もっとも正しい道なのだろう。それなら俺は、寂しいと思う気持ちをねじ伏せて、ララ=ルウが正しい道を進む姿を見守りたく思う。……ララ=ルウを幸福にすることが、俺の願いであるのだからな」
ララ=ルウはシン=ルウの胸もとに顔をうずめたまま、また何度かしゃくりあげた。
その赤い髪を愛おしそうに撫でながら、シン=ルウは優しい声で言う。
「それに俺は、シュミラル=リリンのことを思い出していた。シュミラル=リリンは、半年もの間を家族と離れて過ごしているだろう? しかし、半年ぶりに家族と再会できるという喜びは、その苦しみを乗り越えた人間にしか味わうことができないのだ。きっと数年間も婚儀を我慢する俺たちは、とてつもなく幸福な気分を味わえるはずだぞ」
「……シン=ルウは、そんなことを考えてたの……?」
「うむ。それに、もうひとつ――ヴィナ・ルウ=リリンを嫁として迎えることになったシュミラル=リリンは、婚儀をあげてもヴィナではなくヴィナ・ルウと呼ぶことになった。俺もララ=ルウをララ・ルウと呼ぶことになってしまうので……それだけが、唯一の心残りだな」
ララ=ルウは、くすりと笑ったようだった。
「あたしもシン=ルウのこと、シンって呼びたかったかも……でも、こればかりはしかたないよね」
「うむ。森辺の習わしに背くことはできんからな。しかし、愛する相手と婚儀をあげる幸福の前には、ささやかな不満だ」
シン=ルウは最後にぎゅっとララ=ルウの身体を抱きしめてから、腕を離した。
ララ=ルウも同じようにしてから、身を遠ざける。
そうしてふたりは、ひどく満ち足りた表情でおたがいの姿を見つめていたが――サチが退屈そうに「くわあっ……」とあくびの声をもらすと、我に返った様子で背筋をのばした。
「ア、アイ=ファ、すまなかったな。もう目を開いてかまわないぞ」
「そうか」とアイ=ファが応じたので、俺は心からびっくりしてしまった。
「ア、アイ=ファは本当に目をつぶっていたのか?」
「うむ? お前は目を閉ざしていなかったのか?」
「アスタはずっと、目を見開いていたようだ。心から、気恥ずかしく思うぞ」
シャープな頬を赤く染めながら、シン=ルウはそのように言いたてた。
手拭いで涙をぬぐいながら、ララ=ルウは赤い顔で笑っている。
「でも、見守ってほしいってお願いしたのは、あたしだからね。アスタを責めることはできないでしょ。……それに、目を閉じてるだけじゃあ、どうしようもなくない?」
「う、うむ。アイ=ファにも、すべて聞かれてしまったわけだからな。……本当に、羞恥で悶死してしまいそうな心地だ」
「案ずるな。私は決して余人にこの夜のことを語ったりはしないし、お前たちを茶化したりも冷やかしたりもせん。……そして、お前たちの心が通じ合ったことを、心から喜ばしく思っている」
「そ、そのような言葉を真正直にぶつけられるのも、たいそう気恥ずかしいのだが」
そんな風に言いながら、シン=ルウは俺のほうに目を向けてきた。
「俺もアスタを責める気はないが……でもどうか、他言無用でお願いしたい。とりわけルド=ルウには、こういった話を知られたくないのだ」
「もちろんだよ。俺がそんな口の軽い人間に見えるかい?」
「いや……しかしアスタは、ルド=ルウと懇意にしているからな」
「それは心外な言いようだな。俺はシン=ルウのことだって、ルド=ルウと同じぐらい大事に思っているよ」
俺がそんな風に答えると、シン=ルウはいくぶんびっくりしたように切れ長の目を見開き――「そうか」と微笑んだ。
それは父親のリャダ=ルウとよく似た笑顔であり、2年前から変わらないシン=ルウの魅力的な笑顔であった。
そうしてララ=ルウとシン=ルウは、ひとつの大きな試練を乗り越えて――そして、将来を誓い合うことに相成ったのだった。