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異世界料理道  作者: EDA
第六十六章 再興の日々
1132/1680

ルウの三姉の煩悶①~相談~

2021.12/11 更新分 1/1

・明日は2話同時更新です。読み飛ばしのないようにご注意ください。

 リリンの家でお世話になった日の、翌日――青の月の21日である。

 日の出とともに起床した俺とアイ=ファは、プラティカをともなってファの家に帰還し、慌ただしく朝の仕事に取り組むことになった。


 晩餐の片付けがない代わりに、移動でそれなりの時間を費やしているため、スケジュールはなかなかにタイトである。さしあたっては水場に出向くのを省略し、洗濯は水浴びと同時に済ませて、あとは薪と香草の採取時間を切り詰めるしかなかったのだが――


「ファの家、世話になっていますので、私、手伝います」


 と、親切なプラティカがそのように申し出てくれたため、普段よりも短い時間で切り上げたのに、普段以上の薪と香草を集めることがかなった。

 そうしてファの家に舞い戻ったならば、屋台の商売の下ごしらえだ。

 まったく慌ただしい限りであったが、これもリリンの家で楽しい時間を過ごした代価と思えば、何ほどのことでもなかった。


 その後は想定外の事態が生じることもなく、俺たちは定刻通りにルウの集落を目指すことになったのだが――想定外の事態は、そちらで待ちかまえていた。ルウの集落の入り口に、真っ赤な髪をポニーテールにした少女が人待ち顔でたたずんでいたのだ。


「やあ、ララ=ルウ。そんなところで、どうしたんだい?」


「どうしたんだいって、アスタを待ってたんだよ」


 俺が荷車の御者台から降りると、ララ=ルウはすかさず耳打ちをしてきた。


「今日の勉強会は、ファの家だよね。それとも、またリリンの家まで出向くの?」


「いや。手ほどきは数日置きのほうが効果的だと思うから、またしばらくしてからお邪魔させていただこうかなと考えてるよ」


「だったら勉強会の前に、あたしに少しだけ時間をもらえない?」


 そのように語るララ=ルウは、真剣そのものの表情であった。

 もともとボーイッシュというか少年めいたところのあるララ=ルウであるので、そのように引き締まった表情をしていると、まるで若き狩人のような凛々しさだ。

 そしてもちろん俺の脳裏には、昨日の日中にヴィナ・ルウ=リリンから聞かされていた言葉が蘇っていた。


「いつかララがアスタを頼ってきたら、相談に乗ってあげてもらえるかしらぁ……?」


 ヴィナ・ルウ=リリンは、そのように言っていたのだ。

 俺はそのときと同じように、「もちろん」と答えてみせた。


「俺なんかで力になれるような話なら、いくらでも相談に乗るよ。屋台の商売を終えた後でいいんだね?」


「うん。アスタたちが戻ってきたら、ルウの集落に寄ってくれるでしょ? そうしたら、あたしもジドゥラの荷車で一緒に行くよ」


 そうしてララ=ルウは同じ面持ちのまま「ありがとう」と言い置いて、駆け足で集落に戻っていったのだった。


 本日の屋台の取り仕切り役は、ララ=ルウではなくレイナ=ルウであるのだ。そちらはいつも通り、本家の母屋の前で俺たちを待ってくれていた。


「お待ちしていました。今日もよろしくお願いします」


「うん、よろしくね。荷車は、ファファのやつにどうぞ」


 ここ最近はファの家が荷車を2台準備して、ルウ家の荷車に乗りきらない人員を同乗させるのが通例であった。こちらはトゥール=ディンとその相方も同乗させるため、ファの家を出発する時点で2台の荷車が必要になるゆえである。


 それはともかくとして――ララ=ルウは、本当に俺などを頼ってくれたのだった。

 もともとララ=ルウはしっかり者の部類であったが、屋台の取り仕切り役を務め始めた前後ぐらいから、いっそう頼もしくなった印象がある。そんなララ=ルウから頼られるというのは、実に誇らしい話であり――そして、ララ=ルウの身が心配なところであった。


(ここ最近は、ダカルマス殿下にまつわるイベントや邪神教団の騒動で、てんやわんやだったもんな。あれと同時進行で屋台の商売を続けるのは、俺だってそれなりに神経が削れたからなあ)


 しかも最近はダレイム産の食材が使えなくなったため、献立の変更と原価率の確認という厄介な作業まで増えてしまっている。それに、税を支払うために屋台の売上や人件費などもきっちり帳簿にまとめて、ジェノスの然るべき機関に提出しなくてはならないのだ。

 森辺の民はこういった計算に手馴れておらず、おおよそは俺とツヴァイ=ルティムが受け持っていたわけであるが――ルウ家においては特定の個人ばかりに負担を負わせるのをよしとせず、ツヴァイ=ルティムから仕事を引き継ぐための人員を育成しているはずであった。


(でも、原価率にせよ帳簿にせよ、最初に数字を出すのは取り仕切り役の仕事だもんな。それに、働くかまど番のローテーションを考えたり、それをそれぞれの家に通達したり……見えない苦労ってやつが山積みのはずだ)


 同じだけの仕事を担っている俺は、それを誰よりも痛感させられていた。

 しかしまあ、俺などは故郷で商売をしていたのだから、それほど苦労に思ったことはない。筆記用具を手に入れた現在では、そういった事務作業も格段に楽になっていたのである。

 だから俺よりは、ルウ家の人々のほうが大変であるはずなのだ。もちろんそこでルウ家の助けとなったのは、数字に強いツヴァイ=ルティムなのであろうが――それでもルウの血族の人々が自力でそういった困難を乗り越えられていることを、俺はひそかに感服していたのだった。


(それにララ=ルウは、面倒な仕事は自分が受け持って、レイナ=ルウには調理に集中してほしいって気持ちが強いみたいだもんな。それならなおさら、大変なはずだ)


 そんなララ=ルウの力になれるのなら、俺としても望むところである。

 そうして俺はみんなの知らないところで発奮しながら、その日の商売に臨むことになったのだった。


 商売のほうは、相変わらず順調だ。

 災厄の影も完全に払拭されて、客足のほうにも変わりはない。『ギバの玉焼き』は好評であるし、食材不足の影響で様変わりした献立のほうにも不満の声があがることはなかった。


 そうして粛然と仕事に取り組んでいると――やってきたのは、サンジュラであった。トゥラン伯爵家の当主リフレイアの従者にして、東の血をひく凄腕の剣士たる若者だ。邪神教団の騒ぎが収まってからは、彼もまたちょくちょく屋台を訪れてくれていたが、ここ最近は朝一番のラッシュ時にやってくることが多く、あまり交流は深められていなかった。


「アスタ、ひとつ、お伝えしておきたいのですが……リフレイア、とても悲しんでいます」


 と、サンジュラがそんな風に語り出したのは、注文された『ギバの玉焼き』が仕上がるのに若干の時間が必要となったためであった。


「リフレイアが? いったい何を悲しんでいるのですか?」


「無論、森辺の集落、おもむけないことです。リフレイア、シフォン=チェルとともに、森辺の集落、おもむくこと、楽しみにしていたのですが……ジャガルの王族、および、邪神教団によって、さまたげられてしまいました」


 シフォン=チェルとサンジュラは南の使節団とともにジェノスまで戻ったのだから、それはもうふた月以上も前の話になるのだ。そしてリフレイアは、ダカルマス殿下たちが帰国したらすぐにでも森辺に招いてもらいたいと主張していたのだった。


「なるほど。ムントの狂暴化のせいで、リフレイアは今でも我慢を強いられているのですよね? そちらに関しては、そろそろ目処も立ちそうな感じなのですが――」


「本当ですか?」と、サンジュラが屋台の内にまで身を乗り出してきた。いつも穏やかであまり内心を覗かせないサンジュラがこのような姿を見せるのは、珍しいことだ。


「ムントの狂暴化、収束しますか? リフレイア、森辺、おもむけますか?」


「狂暴化したムントはもうほとんど姿を見せなくなって、森辺でもグリギの果汁の予防をいつ取りやめるか時期を見計らっているさなかであるのです。おそらくは、数日以内に警戒態勢も解除されるかと思うのですが……」


「そうすれば、リフレイア、歓喜します。私、あまり、祈りませんが……西方神、祈りたい、思います」


「サンジュラは、本当にリフレイアのことを大事にしているのですね」


 俺の周囲には、こういう際に気恥ずかしそうな顔を見せる人が多い。

 しかしサンジュラはいつも通りの微笑をたたえたまま、「はい」と首肯した。


「私、生きている、リフレイアのためですので。リフレイアの悲しみ、私の悲しみであるのです」


「では、リフレイアとサンジュラの悲しみが晴れるように、俺も祈っておきます。ムントの警戒態勢が解除されたら城下町にも報告がいくはずですので、そうしたらお招きする日取りを決めることにしましょう」


 そうして会話が一段落したところで、『ギバの玉焼き』が完成した。

 それを持参の容器に詰め込まれたサンジュラは、「ありがとうございます」と一礼して立ち去っていく。残りの玉焼きもサンジュラの後ろに並んだ人々に受け渡されたため、鉄板に新しい具材を流し込みながら、マルフィラ=ナハムはふにゃんと微笑んだ。


「わ、わ、わたしもムントの危険はそろそろ終わりそうだと聞いています。きゃ、きゃ、客人をお招きできる日が待ち遠しいですね」


「うん。本当だったら建築屋や《銀の壺》の人たちもお招きしたいところだからね」


 そうして朝一番のラッシュが終了すると、次にやってきたのはディアルであった。


「アスタ! あのサンジュラってお人に聞いたんだけど、もうすぐ森辺への行き来が許されるようになるの!?」


 屋台にかぶりついたディアルは、子犬のように瞳を輝かせていた。

 その微笑ましい姿に心を和まされながら、俺は「うん」と応じてみせる。


「たぶんだけど、数日以内に警戒態勢は解除されると思うよ。そうしたら、ディアルも森辺に遊びに来てね」


「もっちろーん! ていうか、どうせだったらリフレイアと一緒に行くよ! そのほうが、アスタだって面倒が少ないでしょ?」


「俺はどっちでもかまわないよ。でも、賑やかなほうが楽しいかもね」


「うんうん! あー、楽しみだなあ! 本当は、今すぐ行きたいぐらいなんだけどなー!」


 ディアルはずいぶんとご機嫌そうな様子であった。

 俺がそのように考えていると、ディアルはいっそう輝かんばかりの笑顔を向けてくる。


「あとね! その『玉焼き器』って鉄板だけど、ジェノスに持ち込んだ10枚は全部売り尽くすことになったよ!」


「え? 城下町だけで、全部売れたのかい?」


「うん! 今ってあれこれ食材が不足してるでしょ? だから城下町の料理人たちも、目新しい料理の開発に血まなこなのかもねー!」


 城下町には外部から買いつける高級なタラパなどが流通しているという話であったが、それではまかないきれない部分があるのだろう。それに、どれほど質の高い野菜であろうとも、ダレイム産の新鮮さにはかなわないはずであるのだから、そうまで大々的に買いつけられていたわけではないのだろうと思われた。


「森辺でも、こいつを買いたいって声が少しずつあがってるみたいだよ。それはいつか、まとめて発注させていただくね」


「うん! これならジェノスだけで、型をこしらえた費用を回収できそうだよ! ……あ、ちなみにダカルマス殿下も、1枚だけ持って帰ったから! うまくいけば、王都からも発注をいただけるかもねー!」


 その話は、俺も送別の晩餐会でうかがっていた。本当は在庫分をすべて買い占めたいぐらいであったのだが、それではむしろディアルの商売の邪魔になってしまうだろうと思い、自重したのだそうだ。かえすがえすも、実直にして公正なダカルマス殿下なのである。


「近い内に、宿場町でも売り込みをかけるつもりだからさ! アスタのほうでも、機会があったらよろしくねー!」


「うん、了解。ディアルが損をすることにはならなそうで、ほっとしたよ」


「えへへー。それもアスタが、愉快な調理器具を考案してくれたおかげさ! また何か思いついたら、いつでも話を聞かせてよ!」


 そうしてディアルもまた、にこにこと笑いながら料理を受け取って、立ち去っていった。

 屋台の商売は客足が順調なばかりでなく、来訪してくれる人々との交流も充実している。ジェノスは邪神教団によって大きく傷つけられてしまったが、現在はそれを乗り越えるための活力がみなぎっているような印象も見受けられた。


 俺は充足した気持ちで商売を終え、いざ森辺の集落に帰還である。

 ルウの集落に到着すると、そこには約束通り、ララ=ルウが待ち受けていた。


「あれ? そんなところで何をやってるの、ララ?」


 ルウルウの荷車から降りたレイナ=ルウは、不思議そうに小首を傾げる。ララ=ルウはすでに、ルウ家のもう1頭のトトスたるジドゥラの荷車をセッティングしていたのだ。


「あたしはちょっと、ファの家まで出かけてくるよ。ミーア・レイ母さんには、了承をもらってるから」


「ララが、ファの家に? え、どうして?」


 レイナ=ルウは事情を聞いていなかったようで、心から驚いている様子であった。

 そんな姉を前にして、ララ=ルウはすました顔で肩をすくめている。


「屋台の取り仕切り役の仕事について、アスタに相談があるんだよね。そんなに時間はかからないと思うから、レイナ姉は明日の商売の準備をよろしくね」


「う、うん。それはもちろんだけど……取り仕切り役の話なら、わたしも聞いたほうがいいんじゃない?」


「必要な話は、あたしが後で伝えるよ。じゃ、行ってくるから」


 ララ=ルウは、身軽に御者台へと移動する。

 レイナ=ルウが心配げな視線を向けてきたので、俺は笑顔を返すことにした。


「きっと何か、ララ=ルウなりの疑問だとかが生じたんじゃないのかな。何かあったら、レイナ=ルウにも伝えるよ」


「は、はい。わたしには、さっぱりわけがわからないのですけれど……とりあえず、ララをお願いいたします」


 そうして俺たちが出発しようとすると、バルシャが「おおい」と駆け寄ってきた。女衆の装束だが、自前の外套を羽織っており、腰には刀をさげている。


「ミーア・レイ=ルウに言われて、あたしも同行することになったよ。ムントの騒ぎも収まりそうだけど、いちおうの用心だとさ」


「えー? 森辺の道なら好きにトトスを駆けさせられるから、ムントに追いつかれることはないでしょ?」


「だから、いちおうの用心だよ。……ま、あんたがいきなりファの家に行きたいなんて言い出したから、ミーア・レイ=ルウも心配になっちまったんじゃないのかい?」


 ララ=ルウが渋面をこしらえると、バルシャは陽気な顔で笑った。


「心配しなくても、あんたの相談事を盗み聞きしたりはしないよ。あたしは外で犬たちと遊んでるから、あんたは好きなだけアスタと語らいな」


 それでようやく、俺たちはファの家に向かうことになった。

 このまま帰還するかまど番はファファの荷車に、勉強会に参加するかまど番はギルルの荷車に乗っている。ギルルの手綱を受け持った俺は、道中で荷台のユン=スドラに声をかけておいた。


「俺はちょっとララ=ルウと話があるから、先に勉強会を始めてもらってもいいかな? とりあえず、昨日リリンの家で考案した内容を伝えてほしいんだよね」


「承知しました。昨日考案した料理はいずれも素晴らしい出来栄えであったので、みんな喜ぶことでしょう」


 ユン=スドラは、ララ=ルウの行いをいぶかしく思っている様子はなかった。ユン=スドラには屋台の取り仕切り役をお願いする機会も多かったため、ララ=ルウの苦労が正しく理解できるのだろう。ましてや、ララ=ルウは14歳という若年であるのだから、その苦労もひとしおであるはずであった。


 そうしてファの家に到着したならば、荷下ろしもユン=スドラたちにお願いして、俺はララ=ルウを母屋に招く。バルシャは約束通り外に居残って、ジルベたちとたわむれる構えであった。


「さて。それじゃあ、聞かせてもらおうかな。屋台の取り仕切り役の仕事に関して、俺に相談があるんだよね?」


「うん。……こんな話、アスタにしかできないからさ」


 そこで俺は、おやと思った。広間の敷物で膝をそろえたララ=ルウが、何故だか頬を赤く染めていたのである。

 そうしてララ=ルウは、まるで怒っているような顔で俺をにらみつけてきたのだった。


「それでさ、相談させてもらう身でこんなことを言うのは図々しいんだけど……この話は、なるべくアスタの胸に収めておいてもらえる? もちろん必要な話は、あたしがレイナ姉やミーア・レイ母さんに話すから」


「うん。それじゃあ、アイ=ファはどうだろう? ファの家は、隠し事をしないっていう家訓があるんだよね」


「アイ=ファだったら、別にかまわないよ。……アスタがこんな話をアイ=ファにしたいかどうかはわからないけどさ」


 ますます謎めいた文言である。

 俺が小首を傾げていると、ララ=ルウは自分の髪に負けないぐらい顔を赤くしながら言葉を重ねた。


「それじゃあ、話すけど……あたしはね、これからも屋台の取り仕切り役を頑張っていきたいって思ってるんだよ。レイナ姉には、なるべく料理のほうを頑張ってほしいから、それ以外の面倒ごとはあたしが引き受けたいって考えてるの」


「うん。ララ=ルウだったら、きっと大丈夫だよ。きっとララ=ルウは、性格的にも取り仕切り役に向いてるだろうからね」


「本当に? どうしてそう思うの?」


 と、ララ=ルウがぐっと身を乗り出してくる。

 俺は精一杯の誠意を込めて、それに応じてみせた。


「ララ=ルウがこれまでに頑張ってきた姿は、俺も目の届く範囲で見届けてきたからね。たとえば、一昨年の復活祭のときなんて、所定の場所からお客さんがあふれかえっちゃったとき、ララ=ルウがすぐに対応してくれただろう? あのときから、ずっと大したもんだって思ってたんだよね」


「……そんなに古い話を、よく覚えてたね」


「それだけララ=ルウの活躍っぷりが印象的だったんだよ。ああいう不測の事態が起きたときこそ、その人の本領が発揮されるんだろうと思うしさ」


 あえて言葉にはしないが、当時の取り仕切り役であったシーラ=ルウはひかえめな気性であったため、ララ=ルウがいっそう心強く思えたのだ。シーラ=ルウもレイナ=ルウも調理の面では非の打ちどころもなかったが、場を取り仕切るリーダーシップ性というものに関してはララ=ルウがずば抜けているように感じられた。


「……そっか。誰になんて言われようとも、あたしは頑張るつもりだったけど……アスタにそんな風に言ってもらえるのは、すごく嬉しいよ」


 と、ララ=ルウはそんな風に言ってから、いっそう顔を赤くした。


「それじゃあ、本題に入るけど……」


「え? まだ本題に入ってなかったのかい?」


「うるさいな! 黙って聞いててよ!」


 ここ最近では珍しい、ララ=ルウの直情的な物言いであった。つまりそれだけ、ララ=ルウは心を乱してしまっているのだ。

 俺は居住まいを正して、ララ=ルウの言葉を待つ。

 ララ=ルウは自分の胸もとに右手を置いて、呼吸を整えつつ、言った。


「実は、あたしね……もうすぐ15歳になるんだよ。それで、本当は……15歳になったら…………」


 と、そこから先は蚊の鳴くような声になってしまい、神経を集中していた俺にも聞き取ることができなかった。


「ごめん、なんて言ったのかな? もういっぺんお願いできるかい?」


「だから! 15歳になったら、すぐシン=ルウに嫁入りするつもりだったの!」


 俺は、きょとんとしてしまった。

 ララ=ルウは顔を伏せながら、ポニーテールの髪を乱暴にひっかき回す。


「ルドにもさんざん冷やかされてたから、アスタだって察しはついてたでしょ? あたしは……シン=ルウの伴侶になりたいんだよ」


「う、うん。もしそうなったら、俺も全力でお祝いさせていただくよ」


「……でもさ、あたしは屋台の取り仕切り役を頑張りたいの。だから……今すぐ嫁入りを願うことはできないんだ」


 俺は心から驚きつつ、「どうして?」と問うことになった。


「別に婚儀をあげたって、取り仕切り役の仕事は続けられるだろう? シーラ=ルウだって、それでしばらくは頑張ってたわけだし――」


「でも、すぐに子ができて仕事をやめることになっちゃったじゃん。それであたしが、仕事を引き継ぐことになったんだからね」


 まだ顔は赤くしたまま、ララ=ルウはとても真剣そうな表情を取り戻した。


「それにあたしは、子ができなくても……婚儀をあげたら、少し気持ちが変わっちゃうと思う。シン=ルウの嫁として、家のことを頑張らないとって……そういう気持ちになるはずだし、そういう気持ちにならないといけないんだ。タリ=ルウに家のことを全部まかせて、あたしは商売にうつつを抜かすなんて、そんなのは許されないはずだからね」


「そっか。でも、それこそシーラ=ルウは、婚儀をあげても取り仕切り役の仕事をきちんと務めていたよね」


「だからそれは、シーラ=ルウがすごいんだよ。ダルム兄と婚儀をあげて、自分の家を出て、伴侶とふたりきりの生活を始めて……それで取り仕切り役の仕事まで果たすなんて、あたしには無理だもん」


「そうかなあ。そんなことはないように思うけど……」


「そんなこと、あるんだってば! もしも、シン=ルウと婚儀をあげたら……あたしはシン=ルウに夢中になっちゃうに決まってるもん」


 このたびの言葉もさきほどに負けないぐらいひそめられていたが、俺はなんとか聞き取ることができた。


「それで、アスタに相談したいんだけど……アスタは今でも、アイ=ファに対して変わらない気持ちを持ち続けてるの?」


「え? な、なんだい? どうしていきなり、俺の話になるのかな?」


「いいから、答えてよ! あたしだって、死ぬほど恥ずかしいのを我慢してるんだから! あたしが何のために、アスタに相談したと思ってるの!?」


 と、ひとたび激昂してから、ララ=ルウは子供のようにぷるぷると首を振った。


「ごめん。勝手に相談しといて、こんな言い草はないよね。でも、こんな話はアスタにしか相談できないから……お願いだから、答えてくれない?」


「う、うん。何を答えればいいんだろう?」


「だから、アイ=ファに対する気持ちだよ。アイ=ファは狩人として生きるために、アスタと婚儀をあげることができないんでしょ? だったら、あたしと同じじゃん。あたしだって、取り仕切り役の仕事を果たすために、婚儀を後回しにしようとしてるんだから……」


 ララ=ルウはきゅっと唇を噛んでから、すがるように俺を見つめてきた。


「アスタは、アイ=ファを好きなんでしょ? 本当は、婚儀をあげたいぐらいなんでしょ? でも、アイ=ファの都合で望み通りにはいかなくって……それでも、アイ=ファに対する気持ちは変わらないの? それとももう、アイ=ファと婚儀をあげることはあきらめちゃったの?」


「なるほど、そういう話なんだね」


 俺がふっと微笑をもらすと、ララ=ルウはついにその目に涙を浮かべてしまった。


「あたしは、怖いんだよ。もしもこれで、シン=ルウに嫌われちゃったらどうしようって……あたしが好きに生きてる間に、シン=ルウが他の娘を見初めちゃったらどうしようって……だから、あたしは……」


「シン=ルウの気持ちは、シン=ルウにしかわからないよ。でもララ=ルウは、一生婚儀をあきらめたわけじゃないんだろ?」


「うん。あたしももっと齢を重ねれば、シーラ=ルウみたいに婚儀をあげても屋台の仕事を頑張れると思うから……でも、そんなのあたしの我が儘だし……」


「俺は、ララ=ルウのこともアイ=ファのことも我が儘だなんて思っていないよ。仕事を頑張る楽しさや、かけがえのなさは、俺だって十分にわきまえているつもりだからね」


 俺は、そんな風に語ってみせた。


「それにシン=ルウだって、狩人の仕事に誇りを持ってるんだからさ。仕事を頑張りたいって気持ちを、我が儘だなんて思わないはずだよ。シン=ルウの気持ちはシン=ルウにしかわからないけど……シン=ルウがどれだけ立派な人間であるかは、わかってるつもりだからね。シン=ルウだったら、ララ=ルウの気持ちをないがしろにしたりはしないさ」


「……本当に、そう思う?」


「そう思うよ。それに俺は、ララ=ルウとシン=ルウが別の相手と婚儀をあげる姿なんて、まったく想像がつかないね」


 俺がそんな風に言ってみせると、ララ=ルウは泣き笑いのような表情を浮かべた。


「あたしだって、アスタとアイ=ファが別々の相手と結ばれる姿なんて想像もつかないけど……アスタはどうして、そんなに強い気持ちでいられるの? もしもアイ=ファが森に朽ちたら、アスタの気持ちは一生報われなくなっちゃうんだよ?」


「それだって、ララ=ルウと同じことなんじゃないかな。ララ=ルウだって15歳になるまでは婚儀をあげられないから、シン=ルウの無事な帰りを待つしかなかっただろう? 俺は、アイ=ファを信じて待つだけだよ」


「そっか……」と、ララ=ルウはうつむいた。

 その目に溜められていた涙が、ぽたりと膝の上に落ちる。


「あとは、シン=ルウと話すべきだと思うよ。……ララ=ルウの生誕の日って、いつだったっけ?」


「25日。だから、4日後だね」


「あ、もうそんな目前に迫ってたんだね」


「そうだよ。あたしはずっとアスタに相談したかったけど……試食会だの邪神教団だので、相談どころじゃなかったんだもん」


 そんな風に言いながら、ララ=ルウは伏せていた顔を上げた。

 そこに浮かべられていたのは、ララ=ルウらしい朗らかな笑顔である。


「ありがとう、アスタ。今夜ひと晩じっくり考えて、シン=ルウには明日話そうと思うよ」


「うん、頑張ってね。シン=ルウなら、きっと大丈夫だからさ」


 その時点で、俺は何の懸念も抱いていなかった。シン=ルウであれば、ララ=ルウの気持ちをないがしろにしたりはしない――誰が何と言おうとも、俺はその一点を信じていたのである。


 もちろんシン=ルウは、俺の信じていた通りの人間であった。

 しかし――この話が解決するには、もうひとたびの騒動を乗り越えなければならなかったのだった。

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― 新着の感想 ―
[一言] そっか、もうララ=ルウも結婚できる年齢になるんだ・・・
[良い点] アムスホルン大陸記を読んでると、この二人(二組)の仲にニヤニヤせざるを得ない。
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