リリンの家①~訪問~
2021.12/9 更新分 1/1
雌犬のラムをファの家の家人に迎えた、翌日――青の月の20日である。
その日は屋台の休業日であったため、俺はアイ=ファや他の家人たちと一緒にのんびりと午前の時間を過ごしていたのだが――そこに、時ならぬ客人を迎えることになったのだった。
「おひさしぶりです、アイ=ファにアスタ。どちらもお元気なようで、何よりです」
なんとそれは、リリン本家の家長の伴侶、ウル・レイ=リリンに他ならなかった。
なおかつそのかたわらでは、家長のギラン=リリンもゆったり微笑んでいる。ルウの血族の中ではそれなりの交流を持つ夫妻であったが、それにしても彼らがそろってファの家を訪れるというのは、かつてない話であった。
「いきなり家を訪ねてしまって、申し訳なかったな。今日は屋台も休みと聞いていたのだが、何か多忙ではなかっただろうか?」
「ええ、まったく。ご覧の通り、遊び惚けていたところですので」
ファの家においては朝方の仕事も完了したので、新参のラムともども犬たちとたわむれているさなかであったのだ。
「ふむ。雌の犬も、問題なく馴染んでいるようだな。なりは小さいが、賢そうな顔をした犬だ」
ギラン=リリンが膝を折って頭を撫でると、ラムは嬉しそうに「ばうっ」と鳴いた。
ブレイブとドゥルムアはアイ=ファの足もとに、ジルベは俺の足もとにすり寄っている。そのさまを見て、ウル・レイ=リリンは静かに微笑んだ。
「本当にファの家では、犬たちと親密な関係が結ばれているのですね。わたしたちもシュミラル=リリンのおかげで、他の氏族よりは犬たちと絆を深められたように思うのですが……ファの家には、それ以上に温かい空気を感じます」
「ふむ。新たな猟犬や雌の犬について、何か問題でも生じたのであろうか?」
「いえ、そういうわけではないのです。実は、アスタにお願いがありまして……」
と、ウル・レイ=リリンは水色の瞳を俺に向けてきた。
金褐色の髪をショートヘアにした、美しい女衆である。ただ美しいばかりでなく、森辺の民としては珍しいぐらい華奢な体格をしており、どこか妖精を思わせる不思議な雰囲気を有している。伴侶のギラン=リリンは壮年の男衆であったが、若くして婚儀をあげた彼女は二児の母でありながら、まだ20代の半ばであるはずであった。
「アスタが行っている勉強会というものも、無事に再開することがかなったのですよね? もし、よろしければ……本日はリリンの家にて手ほどきを願えないでしょうか?」
「リリンの家で、勉強会を? 何か具体的に、学びたいことでもあるのですか?」
「はい。現在は、ダレイムの野菜を使えない状況でしょう? それでも美味なるかれーを作りあげられるように、手ほどきを願いたいのです」
そこまで話が進めば、俺も事情を察するのは難しくなかった。
「なるほど。半年ぶりに帰還したシュミラル=リリンのために、美味しいカレーを準備したいということですね?」
「はい。本来であれば、こちらからファの家に出向くべきなのですが……ご存じの通り、ヴィナ・ルウ=リリンは荷車に乗ることを控えている身ですので」
つまり、修練を望んでいるのはヴィナ・ルウ=リリンである、ということなのであろう。
俺は、心からの笑顔を届けることになった。
「そういうことなら、喜んでお引き受けいたします。俺だって、シュミラル=リリンには喜んでいただきたいですからね」
「アスタなら、そう言ってくれると思ったぞ」
そう言って、ギラン=リリンも朗らかに笑った。こちらは灰色の髪と口髭をした、笑い皺が好ましい中肉中背の男衆である。
「それでこれは、アイ=ファにも願いたいところなのだが……よければ今日は、そのままリリンの家で夜を明かしてもらえないだろうか?」
「リリンの家で?」
「うむ。俺の子らも、アスタに会いたいと騒いでいてな。常々、晩餐にでも招こうかと考えていたのだが、リリンとファでは家も遠かろう? 晩餐の後に帰るのでは手間がかかろうと思い、なかなか声をかけられなかったのだ」
リリンの家はルウの血族でも南方に位置するので、ファの家からはそこそこの距離であるのだ。
「アスタにも、シュミラル=リリンの喜ぶ姿を見てほしいところであるしな。寝具さえ準備してくれれば、部屋には空きがある。どうか了承をもらえないだろうか?」
「町の人間を晩餐に迎えた際などは宿に送ることもあるので、べつだん家に戻ることは手間でもないのだが――」
そんな風に言ってから、アイ=ファはちらりと俺のほうをうかがってきた。
「……しかしまあ、寝所を借りられるのであれば、晩餐の後も時間を気にせずに語らえるであろうからな。ギラン=リリンらの申し出を、了承しよう」
「そうか。ありがたく思うぞ。アスタも、問題はないだろうか?」
「はい。もともと勉強会に参加する予定だったかまど番も、希望者はリリンのかまど小屋にお邪魔して問題ないでしょうか?」
「もちろんだとも。勝手を言っているのは、こちらなのだからな」
そんな感じで話はまとまり、家長夫妻は早々にトトスの二人乗りで立ち去っていった。
ジルベやラムの頭を撫でながら、俺はアイ=ファに「ありがとうな」と告げてみせる。
「アイ=ファは余所の家で過ごすことがあんまり好きじゃないのに、俺のことを気づかってくれたんだろう?」
「ふん。お前はギバの骨をねだるジルベのような眼差しをしていたからな」
アイ=ファは肩をすくめつつ、ブレイブとドゥルムアの頭を撫でた。
「しばらくはルウの祝宴に招かれる予定もないので、シュミラル=リリンと語らう機会もあるまい。せいぜい絆を深めておくがいい」
「うん、そうさせてもらうよ。……というか、アイ=ファなんかはまだシュミラル=リリンと顔をあわせてもいないんだろう? アイ=ファこそ、シュミラル=リリンの無事な帰りを祝ってあげてくれよ」
「祝うことはやぶさかではないが、私はべつだんお前ほど、シュミラル=リリンに執着しているわけではないのでな」
「なんだかちょっぴりだけ不満そうなお顔だなあ。……あ、リリン本家は未婚の人間もいないから、たぶん俺たちは同じ寝所で寝られるぞ。それなら、さびしくないだろう?」
アイ=ファは身を起こし、赤いお顔でぺしんと俺の頭をひっぱたいてから、またブレイブたちの頭を撫で始めた。
そうして俺たちは、ひさびさにリリンの家にお邪魔することになったのだった。
◇
俺たちがリリンの家に向かうのは、おそらくシュミラル=リリンに狩人の衣が贈られたお祝いの日以来であろう。であれば、余裕で8ヶ月ぐらいは経過していそうなところであった。
逆に言うと、シュミラル=リリンたちが婚儀をあげてからも、すでにそれだけの日が過ぎているのだ。その間にさまざまなイベントや騒乱をはさんでいたため、もっと昔の話のように思えなくもないが――それでもやっぱり、月日の巡る速さを痛感させられてやまなかった。
(でも、その8ヶ月中の半年間は、離ればなれで過ごしてたんだもんな。そりゃあ思いもつのるところだろう)
そんな感慨を胸に抱きつつ、俺はリリンの家を目指した。
本日は俺個人の修練の日取りであったため、勉強会の参加希望者はトゥール=ディンとユン=スドラ、マルフィラ=ナハムとレイ=マトゥア、それに昨晩も森辺で過ごしたプラティカの5名となる。あとはルウ家から、レイナ=ルウとリミ=ルウとマイムが参ずるはずであった。
俺はその後も宿泊の予定であるため、ジルベとサチとラムも荷台に乗せている。レイ=マトゥアははしゃぎながら、新参のラムにかまっている様子であった。
「でも、リリンの家と関わりの薄いわたしたちまで同行してしまって、本当によろしかったのでしょうか?」
ユン=スドラがそんな声をあげてきたので、俺は「大丈夫だよ」と応じてみせる。
「まあ、この人数だとずっと同じかまど小屋に同席することは難しいだろうけどさ。ユン=スドラたちもリリンの人たちに手ほどきしてくれたら、きっと喜ばれると思うよ」
「ルウの眷族の方々に手ほどきなんて、恐れ多いことですけれど……でも、縁の薄い方々と絆を深められれば、嬉しく思います」
「そ、そ、それに、ウル・レイ=リリンという御方はルウの血族でも、屈指の腕を持つかまど番なのでしょう? こ、こちらのほうこそ、学ばせていただきたく思います」
マルフィラ=ナハムは、そんな風に言っていた。
まあ俺も、ルウの眷族の方々の技量をそこまで把握しているわけではないのだが。ウル・レイ=リリンが大したかまど番であるというのは、まぎれもない事実である。彼女はごく早い段階から料理に自分流のアレンジを施したりして、周囲の人々に感心されていたのだった。
「でも、マルフィラ=ナハムなんかは森辺でも屈指の腕を持つかまど番だろうからなあ。きっとリリンの人たちも、驚かされることになると思うよ」
「と、と、とんでもありません」
そんな言葉を交わしている間に、リリンの集落に到着した。
ささやかな規模の広場に、4つの家屋。遠い記憶にある通りのたたずまいだ。俺が荷車を進めていくと、本家の横手から小さな人影が飛び出してきた。
「アスタ! リリンのいえに、ようこそ!」
家長夫妻の長兄たる、5歳の幼子だ。ぶんぶんと手を振ってくる長兄に、俺も笑顔で手を振ってみせた。
「ひさしぶり。最後に会ったのは、きっとルウの収穫祭だよね。元気にしてたかな?」
長兄は、「うん!」と元気いっぱいにうなずく。明るい眼差しが父親とそっくりの、実に可愛らしい男の子である。シュミラル=リリンがジェノスを出立する前日、彼が寂しくて大泣きしていたのも、今となっては懐かしい思い出であった。
「ルウのみんなも、かまどごやにきてるよ! きょうはシュミラルのために、かれーをつくってくれるんでしょ?」
「うん、そうだよ。晩餐を楽しみにしててね。……あ、そうだ。よかったら、ジルベたちと遊んでてもらえないかな?」
俺の言葉に、ジルベが御者台の脇から顔を出す。その姿を見て、長兄は「うわあ」と目を輝かせた。
「リリンのりょうけんは、みんなもりだよ! ジルベは、おしごとないの?」
「ジルベは、家を守るのが仕事なんだよ。あと、ラムもね」
「呼んだ?」とばかりに、ラムも顔を覗かせる。それで長兄は、いっそうはしゃぐことになった。
「ああ、アスタ。お出迎えが遅くなって申し訳ありません。リリンの家にようこそ」
と、朝方にもお会いしたウル・レイ=リリンが、家の裏手からやってくる。こちらでは、ユン=スドラたちをあらためて紹介することになった。
ユン=スドラたちも前回の収穫祭に参席していたものの、ルウは血族が多いため、限られた相手としか交流は結べていないことだろう。幼子を抱えているばかりでなく、リリンの女衆の束ね役であるウル・レイ=リリンは、屋台の商売やその他のイベントにもなかなか参加できない身であるので、血族ならぬ相手と交流する機会に恵まれていなかったのだった。
「では、こちらの家人も紹介いたします。かまど小屋のほうにどうぞ」
そちらには、3名の家人が待ちかまえていた。ヴィナ・ルウ=リリンと、若いが既婚の女衆、そして10歳ぐらいの女衆である。リリンは家人が少ないため、もうひとりの産後まもない女衆で総勢なのだった。
「ヴィナ・ルウ=リリン、おひさしぶりです。……お身体のほうは、大丈夫ですか?」
「うん……重たいものは持てないから、そのぶん他の仕事に力を尽くそうと思うわぁ……」
ヴィナ・ルウ=リリンと顔をあわせるのも、俺は収穫祭以来の3ヶ月ぶりであった。
その3ヶ月で、ヴィナ・ルウ=リリンはすっかり見違えてしまっている。シュミラル=リリンは半年前にジェノスを出立したのだから、ヴィナ・ルウ=リリンの妊娠からもそれだけの歳月が過ぎているのだ。
一枚布の装束に包まれたヴィナ・ルウ=リリンのおなかは、はっきりと大きくなっていた。
妊娠6ヶ月であれば、それも当然の話であろう。そしてヴィナ・ルウ=リリンは、最後に会ったときよりもさらに表情がやわらかくなっており――かつてのリィ=スドラやサティ・レイ=ルウのように、慈愛にあふれた眼差しをしていたのだった。
「今日はわざわざありがとうねぇ、アスタ……飛蝗の騒ぎが収まったばかりで、大変な時期だっていうのに……」
「何も大変なことはありませんよ。シュミラル=リリンのために、美味しいカレーを作りあげましょう」
「ありがとう……本当に、感謝しているわぁ……」
そんな風に言ってから、ヴィナ・ルウ=リリンは「あらぁ……」と微笑んだ。
「どうしたのぉ、ユン=スドラ……? 何か悲しいことでもあったのかしらぁ……?」
「い、いえ、すみません。なんだかちょっと、胸が詰まってしまって」
と、ユン=スドラは慌てて自分の頬をぬぐった。
「わたしはそれほどヴィナ・ルウ=リリンと語らう機会もありませんでしたが、それでも古くから見知っていましたので……そのヴィナ・ルウ=リリンが、もうじき母になるのかと思ったら……無性に心を揺さぶられてしまったのです」
「ああ……スドラでも、1年ぐらい前に赤子が産まれたのよねぇ……たしか、双子であったのでしょう……?」
「はい。どちらの赤子も、健やかに育っています」
「そう……身動きが取れなくなる前に、1度ぐらいは挨拶をしておきたかったわぁ……でも、しかたないわよねぇ……その頃は、赤子に興味なんて持っていなかったもの……」
そんな風に言いながら、ヴィナ・ルウ=リリンは大きくなったおなかを愛しげにさすった。
そんな姿を見せられると、俺まで涙をこぼしてしまいそうである。
「あと、あなたは……たしか、プラティカだったわよねぇ……顔をあわせるのは、ずいぶんひさしぶりなのじゃないかしら……?」
「はい。来訪、許していただき、感謝しています」
プラティカは、真面目くさった様子で一礼する。彼女は森辺の家庭料理の在り様を学ぶためにあちこちの氏族を巡っていたため、リリンの家を訪れたこともあったのだろう。そしてそれ以前には、数日に1度の割合で屋台を手伝っていたヴィナ・ルウ=リリンとも顔をあわせたことがあるはずであった。
「今日は、ひとりなのねぇ……あのニコラという娘も、元気にやっているのかしら……?」
「はい。ダレイム伯爵家、災厄の影響、大きかったため、ニコラ、屋敷、留まっています。私もまた、邪神教団、討伐されるまで、ダレイム伯爵邸、身を預け、調理の仕事、手伝っていました」
「そう……あなたも無事で、何よりだったわぁ……よかったら、あなたの意見もいろいろ聞かせてちょうだいねぇ……」
「はい。微力、尽くします」
そんな風に応じながら、プラティカは何故だか探るような視線をヴィナ・ルウ=リリンに突きつけていた。
が、プラティカの眼光が鋭いのはもともとであるため、俺以外の人々は気にかけていないようだ。ヴィナ・ルウ=リリンも結婚と妊娠を経て獲得した聖母のごとき眼差しでもって、プラティカを見返すばかりであった。
「それじゃあ、べんきょーかいだねー! シュミラル=リリンのために、がんばろー!」
と、ヴィナ・ルウ=リリンの脇に控えていたリミ=ルウが、満面の笑みで大声を張り上げる。レイナ=ルウもマイムも、無言のままにこにこと微笑んでいた。
「では、班を分けましょうか。二手に別れればちょうどいいと思うのですが、如何でしょう?」
「ええ。半数の方々に分家のかまど小屋を使っていただけたら、窮屈なこともないかと思います。こちらは、本家と分家の1名ずつで分かれましょうか。……あなた、ヴィナ・ルウをお願いね」
ウル・レイ=リリンに指名されたのは、ふだんルウ家の屋台を手伝っている女衆である。若いながらも二児の母であるその女衆は、にこやかな面持ちで「はい」と応じた。
「それじゃあ、こっちはどうしようかな。レイナ=ルウたちは、どうする?」
「はい。アスタはヴィナ姉に手ほどきしてくださるのですよね? でしたら、別の班にはマルフィラ=ナハムを割り振っていただけないでしょうか?」
「わ、わ、わたしですか? て、手ほどきをするのでしたら、レイナ=ルウのほうが……」
「わたしは普段から、血族に手ほどきをしているのです。マルフィラ=ナハムであれば、わたしとは異なる手ほどきを為すことができるはずです」
レイナ=ルウは笑顔であるが、その瞳には真剣な光が宿されている。それでマルフィラ=ナハムも、レイナ=ルウの申し出を受け入れることになった。
「何にせよ、時間を区切って人員を入れ替えるつもりだからね。それじゃあ、そっちの班はマルフィラ=ナハムと……レイ=マトゥアとトゥール=ディンにお願いしようかな」
「では、こちらからはマイムにお願いいたします」
ということで、本家のかまど小屋に残るのは、俺とユン=スドラ、ヴィナ・ルウ=リリンとリリン分家の女衆、レイナ=ルウにリミ=ルウ、それにプラティカという顔ぶれに相成った。
時刻は中天を過ぎたばかりであるので、晩餐までにはたっぷりと時間が残されている。今宵の晩餐だけではなく、今後もさまざまなカレー料理を楽しめるように、俺は全力を尽くす所存であった。
「それじゃあまず、リリンではどのようなカレーを出していたのか、お聞かせ願えますか?」
現在は、ダレイム産の野菜を使えない状況にある。アリアにチャッチにネェノンというもっともオーソドックスな具材が使えないため、カレーを作りあげるには色々と細工を凝らす必要があるのだった。
「リリンの家人に手ほどきをしたのはわたしですので、わたしからご説明いたしますね。まず、普通のかれーに関しては、アスタの教え通りにマ・プラとマ・ギーゴとチャンを使っています」
レイナ=ルウが、そんな風に答えてくれた。
マ・プラはパプリカ、マ・ギーゴはサトイモ、チャンはズッキーニに似た野菜である。
「あとは同じ具材を使って、かれーうどんとかれーぞば、アスタも屋台で出しているかれーちゃーはん……あ、うどんは焼きうどんも含まれます。あとは、かれーのために調合した香草で、香味焼きを作っているはずですね」
「うん、そんな感じねぇ……それで、最初の日は普通のかれーとシャスカ、一昨日は香味焼き、昨日はかれーうどんを出すことになったわぁ……」
ヴィナ・ルウ=リリンの補足の言葉に、俺は「なるほど」と答えてみせる。
「それで今後に備えて、カレーそのものの質の向上と、カレー料理の幅を広げたいということなのですね」
「うん……以前はナナールのかれーやタラパのかれーなんかも出していたけれど……今はナナールもタラパも使えないものねぇ……」
「承知しました。それじゃあまず、追加の具材に関して考えてみましょうか」
そのように応じつつ、俺はレイナ=ルウに向きなおった。
「追加の具材で試してみたいのは、チャムチャムとティンファとレミロム、それに思い切ってシィマかな」
「シィマですか。たしか、《南の大樹亭》ではかれーにシィマを使っていましたね」
「そうそう。それに、キノコ類だね。俺もたまにマッシュルームモドキを使ったりするけど、他のキノコもカレーに合うんじゃないかと思うよ」
ジェノスに流通しているキノコは、4種。マッシュルームモドキにシイタケモドキ、ブナシメジモドキにキクラゲモドキというラインナップだ。
ちなみにシィマというのはダイコンに似た食材であり、これをカレーに使うというのはなかなかのチャレンジであろう。しかし、ジャガルの食材の使用に積極的であった《南の大樹亭》においては、ずいぶん昔からシィマやキノコ類がカレーに使われていたのだった。
「基本的にカレーは味が強いから、たいていの食材は調和すると思うんだよね。それで、具材を増やせば増やすほど、出汁が重なって下味を支えてくれるんじゃないかな」
「そうですね。わたしもダレイムの野菜を使えなくなってから、何度かかれーを手掛けてみたのですが、やはり物足りなさを感じてしまいます。どうもそれは、アリアを使えないゆえだと思えてならないのですが……」
「うん。アリアはもともとカレールーのほうにも使ってたぐらい、土台の存在だったからね。やっぱり一番影響が大きいんだと思うよ」
と、そこでヴィナ・ルウ=リリンが忍び笑いをもらした。
「あ、ごめんなさいねぇ。アスタとレイナがそんな風に熱っぽく語らうのが、なんだかとても懐かしくって……あなたたちはいつもそうやって、熱心に言葉を交わしていたわよねぇ……」
「あはは。レイナ姉は、今でもこんな感じだよ! でもやっぱり、アスタがいるといっそう元気になっちゃうもんね!」
「そ、そうかなあ」と、レイナ=ルウは顔を赤くした。
ヴィナ・ルウ=リリンはとても穏やかな眼差しで、そんなレイナ=ルウを見つめている。
「話の腰を折ってしまって、ごめんなさいねぇ……とてもためになっているから、続きをお願いできるかしらぁ……?」
「う、うん。……ええと、それで、ユラル・パなどはいかがでしょうか? 他の料理ではアリアの代わりにユラル・パを使うことが多いのに、かれーの際にはアスタも名前を出しませんでしたよね」
「あ、ユラル・パか。そうだね。カレーうどんなんかには合うと思うけど……とっさに名前があがらなかったのは、やっぱり俺の固定観念かな」
普通のカレーに長ネギが入っていたならば、俺はびっくりしてしまうだろう。しかしそれは、ダイコンのごときシィマやタケノコのごときチャムチャムも同じことだ。食材不足の件がなくとも、俺は故郷でつちかった固定観念を打破したいと願う身であった。
「そうだなあ。ただ具材を追加するだけじゃ芸がないし、出汁のほうにも手を加えてみようか。カレーうどんなんかには、めんつゆを加えてるんだよね?」
「はい。そのほうが、うどんに調和するというお話でしたので」
「それも俺の、固定観念なんだけどね。それを一歩進めて、和風のカレーってやつに挑んでみようか。乾物で出汁を取って、それに調和する食材を吟味するんだ。そうしたら、ユラル・パなんかもいっそう調和するんじゃないのかな」
「なるほど。アリアを使えない物足りなさを、乾物の出汁で補うのですね。それならば、これまでと異なる味わいを生み出せそうな気がします」
「うん。ミソやタウ油の汁物料理なんかを土台に考えると、味を組み立てやすいように思うよ。ルウ家で出してるモツ鍋の具材なんかが、そのまま転用できるかもしれないね」
「今のモツ鍋で使っているのは、ユラル・パとチャムチャムとマ・ギーゴと……もともと使っていたシィマとティンファとオンダ……それに、キノコ類ですね」
「いっそ、ギーゴも使ってみようか。マ・プラも、邪魔にはならないだろうね」
「はい。ギーゴの粘つく食感がかれーとどのような調和をもたらすのか、興味深く思います」
最近のレイナ=ルウは、打てば響くという印象が強まっていた。ユン=スドラたちだって、料理にかける熱情というのはまったく負けていないのだが――これは半分がた、気性の問題でもあるのだろう。こと料理に関して、レイナ=ルウの積極性というのは際立っているのだった。
(あとはやっぱり、マルフィラ=ナハムだよな)
マルフィラ=ナハムはあれだけ謙虚な気性であるのに、料理に関してはレイナ=ルウに負けないぐらいの積極性を発揮する。マルフィラ=ナハムはどちらかというと、思いついたことを反射的に口にしてしまうという様相であるのだが、その発想力が豊かであるために、自然に口数が増大するのだった。
「あとは、料理の種類だね。香味焼きの要領で、色んな料理にカレー用の香草を加えてみるんだ。カレー味のコロッケだとか、お好み焼きだとか……あ、回鍋肉や麻婆料理なんかはどうだろう」
「ええ? ほいこーろーやまーぼー料理のように味の強い料理に、かれーの香草を加えるのですか?」
「うん。カレー用に調合した香草ってのは、それぐらい汎用性があると思うよ。もちろん料理によっては、少し味付けを変える必要があるかもしれないけど……でも、調和しないことはないんじゃないかな」
「それじゃあ、ボナは?」と、リミ=ルウが無邪気な笑顔で発言した。
完全に虚を突かれた俺は、「ボナかあ」と笑ってみせる。
「それはまったく考えてなかったなあ。頭の固さを痛感させられるよ」
「えへへ。まーぼーみたいに辛い料理でもいいんなら、ボナもいいのかなーって考えたの!」
ボナとは南の王都よりもたらされた、ワサビのごとき食材である。それをカレーに使おうとは、まったく想像の外であったのだった。
「それもやっぱり料理の味付けや香草の調合に手を加える必要が出てくるかもしれないけど、ちょっと試してみたいところだね。そういえば、ノ・ギーゴとかも無意識に避けてたなあ」
「ノ・ギーゴは、甘いもんね! かれーの辛さと合うのかなあ?」
「それも候補として、頭の片隅に置いておこうか。まずは、乾物の出汁を使うカレーの完成を目指してみよう」
それでようやく、俺たちは調理に取りかかることになった。
身重のヴィナ・ルウ=リリンも、可能な範囲で作業に取り組んでいる。重いものを持つことと身を屈めることを除けば、それほど不自由な様子ではなかった。
「そういえば、ララ=ルウは来なかったんだね。もともとの勉強会に来る予定はなかったけど、リリンの家に変更になったから、4姉妹が全員集合するかと思ってたよ」
俺がそのような言葉をこぼすと、火の準備をしていたリミ=ルウが「うん!」と応じてくれた。
「ララとリミは、この前リリンの家にお泊りしたの! だから、今日はいいんだってー! リミはヴィナ姉に会いたいから、また来ちゃったけど!」
俺は「なるほど」と納得した。
が、何故だかヴィナ・ルウ=リリンが、ちらりと俺のほうに視線をよこしてくる。それがいかにも意味ありげであったため、俺はさりげなくヴィナ・ルウ=リリンのもとに身を寄せることにした。
「ヴィナ・ルウ=リリン、どうですか? 身体がおつらくなったら、無理をせず休んでくださいね」
「うん、ありがとう……ねぇ、アスタは最近、ララと言葉を交わしたかしらぁ……?」
案の定というべきか、ヴィナ・ルウ=リリンはそんな言葉をこっそり囁きかけてきた。
いつの間にやら10センチ以上の身長差になってしまった俺は、ヴィナ・ルウ=リリンのために身を屈めながら「はい」と答えてみせる。
「ララ=ルウは1日置きに、宿場町に下りてますからね。つい昨日だって、顔をあわせていますよ」
「そう……いつかララがアスタを頼ってきたら、相談に乗ってあげてもらえるかしらぁ……?」
俺はずいぶんと驚かされたが、それでも「はい」と繰り返してみせた。
「もちろんです。俺なんかがララ=ルウの力になれるなら、いくらでも相談に乗りますよ」
「ありがとう……アスタは頼もしいわねぇ……いつの間にか、こんなに背も大きくなってるし……」
そう言って、ヴィナ・ルウ=リリンはにこりと微笑んだ。
以前であれば、制御不能のフェロモンが放出されるところであろうが、今はそれよりも穏やかでやわらかい雰囲気に満ちている。
それはともかくとして――ララ=ルウが俺に相談とは、いったい何事なのであろうか。俺にはまったく、思い当たる節がなかった。
(でも、ララ=ルウは屋台の取り仕切り役をものすごく頑張ってるもんな。それで何か、新しい悩みでも抱えちゃったのかな?)
何にせよ、ララ=ルウのためであれば、どのような苦労も厭いはしない。
そんな思いを抱きつつ、俺は目の前の仕事に取り組むことにした。