⑤七日目~夜~
2014.10/23 更新分 1/1 2015.10/5 誤字を修正
2014.10/24 収支計算表の誤記を修正
けっきょく営業7日目は、145食の売り上げで幕を閉じることになった。
あとほんの数十分も粘れば残り5食分も完売できたのであろうが。ルウ家との契約をないがしろにするわけにもいかなかったので、太陽が中天と日没の中間地点に達した時点で、俺たちはすみやかに帰り支度を開始した。
昨日もそうだったが、60食しかない『ギバ・バーガー』のほうが2時間ばかりも先に売り切れてしまうので、その空いた時間で翌日分の野菜の買い出しと銅貨の両替をお願いし、それも済んだら、ララ=ルウとシーラ=ルウは先に帰還することになる。余った時間は、やはり薪集めに費やしてくれるそうだ。
ちなみに干し肉は、2塊分、800グラムだけ売れた。
稼ぎとしては赤銅貨12枚に過ぎないが、元手は岩塩しかかかっていない商品なので、《銀の壺》を例にあげるまでもなく、売り方によっては相当な戦力になりうるであろう。
そんなこんなで、商売は何事もなく終了したのであるが。来期の契約について話したかったミラノ=マスは厨房にこもっており、受付台には森辺の民を怖れる娘さんしかいなかったので、話は後日に持ち越されることになった。
そして、閉店間際にまたレイト少年が『ミャームー焼き』を買いに来てくれたが、カミュア=ヨシュと顔を合わせることもなかった。
何となく――スン家との関わりが増えるにつれ、カミュアとの関わりが薄くなっていっているように感じられる。
ドンダ=ルウの言葉を胆に命じたカミュアが、意識的に関わりを避けているのか。あるいは、何か他に意図があるのか。それとも、たまたまそういう巡り合わせであっただけなのか……神ならぬ身の俺には判別がつかない。
(まあ、むやみに首を突っ込まれるよりは、ましか)
そんな風に自分を納得させて、アイ=ファとヴィナ=ルウのトリオで帰路をたどる。
まずは、ファの家に立ち寄って、必要品を持ち運ばなければならない。
具体的には、食糧庫に眠る食材すべてと、着替えや砥石や革紐などの日常品、そしてこれまでに蓄えた銅貨のすべてである。
銅貨は、白銅貨60枚以上にも及んだ。
この白銅貨が100枚に達すれば、ついに「銀貨」と交換できるのだが。それまでは、このかさばる銅貨を保管するなり持ち歩くなりしなくてはならないのだ。
「……6日間も、この家を離れるのだな」
空っぽになった食糧庫を見つめながら、アイ=ファが感情のない声でつぶやく。
俺にとっては2度目の長期外泊であるが、アイ=ファにとってはもちろん初めての体験なのだろう。
鉄鍋の中に可能な限りの荷物を積み込み、入りきらなかった分はアイ=ファが引き板を使って運搬する。ちょっとした引越し感覚で、俺たちはルウの集落へと向かった。
◇
「あ、おかえりーっ!」
刀を預けてからかまどの間に向かうと、そこではリミ=ルウとレイナ=ルウが晩餐の準備に取りかかっていた。
「えへへ。ほんとにルウの集落に住むんだね!」
昨日はあまりゆっくり話すこともできなかったリミ=ルウが、俺とアイ=ファに笑いかけてくる。
「うん。家長会議までの6日間、お世話になります。……今日はハンバーグなのかな?」
「うん! レイナ姉もリミも上手に作れるようになったんだよ! すっごく美味しいから、楽しみにしててねー!」
思わずこちらも笑顔を誘発されてしまうリミ=ルウの笑顔である。
そして、そのかたわらでアリアをみじん切りにしていたレイナ=ルウも、少し遠慮がちに笑いかけてきた。
「ルウの家にようこそ。アスタもこちらで仕事をされるのですね?」
「うん。隅っこで作業させていただきます」
ファの家から持ち込んだ余剰分の食材はすでに食糧庫に片付けさせていただいたので、俺はさっそく仕込みの作業に取りかかることにした。
大量の肉と、野菜と、果実酒を、作業台の上に広げる。
本来であれば、今日からルウ家の肉を購入して、それを商売で使う予定であったのだが。こういう状況になってしまったので、まずはファの家の肉を使いきってしまうことにした。
1日に27キロ強を使用するとして、明後日ぐらいにはもう尽きるはずだ。その後は、商売用も晩餐用もルウ家から買った肉でまかなうことになる――アイ=ファの傷が癒えるまでは。
さて、と三徳包丁を取り上げたところで、アイ=ファに「アスタ」と呼びかけられた。
「私は少し疲れた。ジバ婆と少し話した後は、空き家で休ませてもらおうと思う」
「わかった。大丈夫か? 熱が出たりしていないか?」
「大丈夫だ」
ヴィナ=ルウもすでに家に引き上げていたので、そこには俺とリミ=ルウとレイナ=ルウだけが居残ることになった。
もう1名のかまど番、ティト・ミン婆さんは外のかまどでポイタンを焼いているのである。
日没までは、あと1時間半ていど。
俺がなすべき仕事は、60個のパテ作成と、90食分の肉の切り出し、タラパソースの作成に、追加分ソースの香味野菜の仕込み、そして漬け汁の作成、である。
昨晩はルウ家のほうも少し晩餐の準備に手こずっていたので、俺も作業を終了させることがかなったが。本来は、この時間から始めて晩餐前に終わる作業量ではない。今日は晩餐の後にもしばしかまどの間を借りることになってしまうだろう。
まずは1番手間のかかるパテ作成のために、俺もアリアを刻むことにした。
「すごい量ですね。……こちらが終わったら手伝いましょうか、アスタ?」
「いやいや、これは俺の仕事なので、おかまいなく」
パテ、タラパソース、漬け汁、3種あわせて使用する香味野菜のアリアは、30個分だ。
必ずしもパテに香味野菜を混ぜる必要はないのだが。こればかりは、俺の好みなのでしかたがない。30個分、上等である。
「アイ=ファ、何だか元気がなかったねー。やっぱり腕が痛いのかなあ?」
そちらは刻み終えたらしいアリアを鉄鍋で炒めながら、リミ=ルウが心配そうにつぶやく。
「どうなんだろうね。もう3日目だから、そこまで痛むことはないと思うんだけど、俺も骨が外れたことなんてないから、よくわからないんだ」
「……今日も晩餐の後に、かいぎするの?」
「いや。今日は特に改めて話すことはないと思う。あ、ルティムのほうに連絡はいったのかな?」
「はい。ララが帰ってきた頃にはまだアマ・ミン=ルティムがかまどの間にいましたので、そちらから伝わっていると思います」
「へえ、まだアマ・ミン=ルティムは料理の勉強をしているんだね」
そう応じながらレイナ=ルウを振り返った俺は、そこに満面の笑みを見出して、ぎょっとしてしまった。
「ど、どうしたの? アマ・ミン=ルティムが、どうかした?」
「え? ……何がですか?」
不思議そうに小首を傾げつつ、やっぱりレイナ=ルウはにこにこと笑っている。
ものすごく、幸福そうな笑顔である。
「レイナ姉、どうしてそんなににこにこしてるの?」とリミ=ルウが指摘すると、とたんにレイナ=ルウは笑顔をひっこめて真っ赤になってしまった。
「わ、わたし、笑っていましたか? すみません、何でもないんです。……ただ、ひさしぶりにアスタと話せたのが楽しくて……」
ひさしぶりといっても、4日ぶりである。
その4日前も、別れ際には生来の無邪気さを垣間見せてくれたレイナ=ルウであったが。今の笑顔は――本当に、心の底から幸せそうだった。
「それに、家長会議のことも、ミーア・レイ母さんから聞きました。……アスタの仕事を手伝えることができて、わたしは本当に嬉しく思っています」
「いいなあ! どうしてリミには手伝わせてくれないんだろ! リミだって、みんなと一緒に行きたかったよぅ」
「それは駄目よ。スンの家には、乱暴な男衆もたくさんいるんだから。ドンダ父さんがそんなの許すはずがないでしょう?」
そしてレイナ=ルウは、一転して真剣な眼差しを俺に向けてきた。
「アスタの身は、必ずわたしたちが守ります。スン家がどのようなことを企んでいたとしても、決してアスタには髪一筋ほどの傷もつけさせません」
「あ、ありがとう」と、俺はひたすらアリアを刻む。
すると、レイナ=ルウはまたすみやかに表情を切り替えた。
今度は何やら、切なそうな表情である。
「ところで……スン家のヤミル=スンとは、いったいどういう人物なのですか? ヴィナ姉は、すごくあやしげで、すごく綺麗な姿をした女衆だと言っていましたが……?」
「ヤミル=スン? ……一言で言うと、薄気味悪い女性だね。ものすごく正直に言わせてもらうと、俺はあの末弟よりも薄気味が悪いと思ってしまったよ」
「そうですか」と、レイナ=ルウはまたにっこりと破顔する。
うーむ……
いささかならず感情の振り幅が大きすぎると感じられてしまうのは、俺の気のせいなのだろうか。
それも、アイ=ファがいなくなったとたんに――と、感じられてしまうのも。
(この前みたいに感情を隠されてしまうのも胸が痛むけど……けっこう両極端な娘さんなんだなあ)
まあ、レイナ=ルウとは少しずつ気持ちのズレを修正していくしかないだろう。
その後は、リミ=ルウも混じえて他愛のない話題に興じ、肉の切り出しを半分ほど残したところで、タイムリミットと相成ってしまった。
ルウ家の人間が勢ぞろいした広間に向かい、昨晩と同じように下座に陣取る。
本日の晩餐は、ハンバーグと焼きポイタン、アリアとチャッチとギバ肉のスープに、そして俺が献上した1キロばかりのミャームー焼き用の肉と、タラパソースの余り分だ。
ハンバーグもスープも、文句なしの味だった。
ルウ本家の女衆の腕前は、日々着実に向上しているようである。
「何だ、今日はこれっぽっちしか余らなかったのかよ、アスタ?」
と、タラパソースのからめられた肉の木皿を覗きこみつつ、ルド=ルウが不満そうな声をあげた。
「うん、昨日の半分ぐらいかな? 中途半端な量で申し訳ない」
「これじゃあ全員分には足りないじゃんかよー。どうすんだよー」
「うるさい子だねえ。だったら好きなだけ食べたらいいじゃないか? それで文句を言うのは、あんたぐらいしかいないんだからさ」
愉快そうに微笑みながら、ティト・ミン婆さんがルド=ルウをたしなめる。
昨晩は若干、張り詰めた感の否めなかった晩餐になってしまったが、こちら側の要求をヤミル=スンが文句のひとつもなく受け入れたことによって、それも緩和されたようだった。
もっとも――ルド=ルウ以外の男衆がにこりともしないのは、相変わらずのデフォルトであったが。
特に最近は、ジザ=ルウが静かであるように感じられてしまう。
もともと内面の読めない御仁であるので、俺としてはなかなか懸念の種ではある。
「だけど、アスタに分けていただいた肉をタラパにからめると、普通の肉をからめるよりも美味しく感じますね。あともうほんのちょっとだけ味は弱くてもいい感じはしますが」
と、そのジザ=ルウの伴侶であるところのサティ・レイ=ルウも穏やかに口をはさんできた。
「そうですね。そいつは果実酒とアリアとミャームーを混ぜた漬け汁に漬けておいた肉なんです。シーラ=ルウには、作り方を伝授したんですけど……」
そこで俺は、早めに通達しておかねばならない事項があることを思い出し、ミーア・レイ母さんを振り返る。
「すみません。食事中に何なんですが、この後はちょっと俺も作業が残ってしまっているので、今のうちにお話をさせていただいてもいいですか、ミーア・レイ=ルウ?」
「うん? 何だい?」
「もうすぐ俺が店を出して10日が経ちます。そうしたら、1日だけでも店を休みにして、家長会議に向けた調理の勉強会をしたいと思うんですけど、いかがでしょう?」
「ふうん? それはあたしらに料理を教えてくれるって意味だよねえ?」
「はい。俺が屋台でミダ=スンに食べさせたのは『ミャームー焼き』という料理なので、その作り方を覚えていただきたいんです。……別に難しい料理ではないんですが、商売をやっているとまったく時間が取れないので、その日にすべて済ましてしまおうかと」
「そいつは別にかまわないけどさ。でも、そうしたら、家長会議に出向くつもりの女衆が全員、身体を空けなきゃいけないってことなのかねえ?」
「俺のほうは1日空いていますから、何人かずつの交代でかまいませんよ。ルティムの女衆にも声をかけなければいけませんし」
そうして俺は、スープの木皿に沈めたハンバーグを豪快にかきこんでいるドンダ=ルウのほうに向きなおった。
「それで、そういった手間暇の分も考えて、スン家から支払われるという代価は、かまどの番に携わるすべての人間で均等に分けるべきだと思うのですが、いかがでしょう?」
「……何だと?」と、ドンダ=ルウはうるさそうに目を光らせる。
「スン家からのふざけた仕事を引き受けたのは、貴様だろうが?」
「それはそうですが、これはルティムの祝宴とはわけが違います。しかも、ルウとルティムの女衆は、俺なんかの身を守るっていう裏の仕事まで引き受けてくださるわけですから、それぐらいの代価が相応だと思います」
「…………」
「それに、表の仕事だけでも、これはけっこうな内容だと思いますよ? まったく何の予備知識もないスン家の女衆に指導をしながら、100名以上分の晩餐を作らなくてはならないのですから。ミーア・レイ=ルウたちも、俺と同じだけの苦労を背負いこむことになると思います。それなら、代価はなおさら均等にするべきですよ」
ドンダ=ルウは、「勝手にしろ」と言い、ミーア・レイ=ルウは「水臭いねえ」と苦笑した。
「そんな風に水臭いのは、ファの家の家風なのかい? 昨日も言ったけど、あんたたちはルウやルティムにとっての大事な友なんだよ、アスタ」
「そのお言葉は、本当に嬉しいです。そして、俺自身もルウやルティムの人たちはとても大事な存在だと思っています」
少なからず気恥ずかしかったが、俺は素直に自分の心情を述べておくことにした。
「だからこそ、大事な人たちとは貸し借りなしの関係でいたいと思いますし、それに――対等の存在として、スン家の連中に立ち向かいたいんです。ちょっとおこがましい言い方になってしまいますけど、森辺の行く末を憂える同胞として」
「ちっともおこがましくはないよ」と言ってくれたのは、ミーア・レイ母さんの隣りに座したティト・ミン婆さんだった。
「あんたは確かに異国の生まれなのかもしれないけれど、スン家の人間なんかよりも、よっぽど立派な森辺の民さ。……今回の一件で、それがますますはっきりわかったよ」
「……ありがとうございます、ティト・ミン=ルウ」
そんな風に、俺が答えたとき。
リミ=ルウが、「あっ!」と鋭い声をあげた。
アイ=ファの手を離れたスープの木皿が、まだ半分ほども残っていた中身ごと床に転がってしまったのだ。
そのままアイ=ファの身体がぐらりと揺れたので、俺は慌ててその肩を支えてやる。
「申し訳ない……大切な食事を、無駄にしてしまった……」
「アイ=ファ! お前、熱が上がってるじゃないか!」
それはもう、むきだしの肩にふれただけでわかるぐらいの高熱だった。
アイ=ファは床に右手をつき、苦しそうに眉根を寄せている。
「……ジバの部屋に寝具を出そうかね」と、ミーア・レイ母さんが腰を浮かせる。
アイ=ファは「……大事ない」と、振り絞るような声で応じた。
「ロムの葉は持っているので、それを飲んで休めば……すぐに回復……」
俺はアイ=ファの身体を支えながら、ミーア・レイ母さんを振り返った。
「すみません。晩餐の途中ですが、しばし失礼します。……リミ=ルウ、アイ=ファの狩人の衣にロムの葉が入っているはずだから、それを取ってもらえるかな?」
「うん!」
「アイ=ファ、歩けるか?」
「……うむ」と、アイ=ファが俺の首に右腕を巻きつけてくる。
その手首をつかみ、もう片方の手でアイ=ファの腰を支えながら、俺は可能な限り、ゆっくりと立ちあがった。
ジバ婆さんに付き添ったレイナ=ルウが、実に複雑そうな面持ちで、俺たちの姿を見つめやっている。
が、そのようなことを気にしていられる状況でもない。
「すみません。アイ=ファを休ませてきます」
「そのほうが良さそうだね。リミ、ロムの葉を潰して、持っていってやりな。……ああ、アスタもまだ食べ途中なんだね。そうしたら、アイ=ファの分と一緒に持っていってあげるから、あんたもそのままアイ=ファのそばにいてやりな」
「はい。ありがとうございます」
俺はアイ=ファに肩を貸しながら、ともに玄関口に向かった。
アイ=ファは履物を履ける状態ではなさそうだったので、自分だけシューズをつっかけつつ、家の外に出る。
そこでいったん、俺はアイ=ファを地面に座らせた。
アイ=ファには、もうそれ以上自力で歩く力は残っていないようだった。
「大丈夫か? 食事前はそこまでひどくなさそうだったのにな」
言いながら、それでも俺には何となくその発熱の原因がわかるような気がしてしまっていた。
たぶんこれは――心的なストレスが原因なのではなかろうか。
日中からのアイ=ファの様子をあわせて考えると、それはあながち的外れでないように思える。
だから俺は、ちょっと性急なぐらいにアイ=ファを人目から遠ざけようと思ったのだ。
おそらく、このように弱り果てた姿を他者に見られることをこそ、アイ=ファは何よりも忌避したかろうと思えたので。
「……本当に不甲斐ないな」と、アイ=ファが力を失った声でつぶやく。
「そんなことはないよ」と、俺は手の平でその額の汗をぬぐってやった。
「怪我をした身で色んなことを考えすぎたせいで、きっと熱がぶり返しちまったんだろう。本当に頭を使うのが苦手なんだな、お前は」
アイ=ファは俺の胸もとにもたれかかりながら、不満そうに唇をとがらせた。
「いいから、仮の宿に急ぐぞ……リミ=ルウにも、このようにぶざまな姿は見せたくない……」
「そうか。それじゃあ、少しだけ辛抱してくれな」
俺は左手をアイ=ファの背中にそえ、右手を、両膝の裏に差しこんだ。
そうして、心の中で「せーの」と掛け声をかけてから、じんわり立ち上がる。
「うーん、やっぱりなかなかのもんだな、これは」
ほとんど身長差のない俺とアイ=ファである。
筋肉や骨の密度を考えたら、体重だって大差はないだろう。
こうして抱えあげただけで、腕も足もぷるぷる震えてしまいそうだった。
「……何をしているのだ、お前は?」
ぐんにゃりと俺の肩に頭をもたれつつ、お姫様だっこの形で抱えあげられたアイ=ファが少しぼんやりとした目で俺を見つめてくる。
「何って、仮の宿に急ぐんだろ? だったらこうするしかないじゃないか」
左腕の怪我さえなければ、おんぶのほうが楽であったのだが。ルウの本家から空き家までは、たかだか数十メートル。それぐらいは、頑張らせていただこう。
まかり間違ってもアイ=ファの身体を落としてしまわぬよう、俺は慎重に足を踏み出す。
「……これではますます、私がぶざまではないか……?」
「ぶざまじゃないよ。困ったときに助け合うのが、家族だろ? ……俺だって、お前が他の男衆にだっこされる姿なんかは、何がどうあっても見たくはないんだよ」
早くも全身に大汗をかきながら、俺は月明かりの下を進む。
毎日の運搬作業で鍛えられていなかったら、途中で休憩が必要だったかもしれない。
「ゆっくり休んで、早く良くなってくれ。俺にはお前が必要なんだよ、アイ=ファ。……お前がいてくれるから、俺は頑張ることができるんだ」
「……それはどうだかな……今となっては、私よりもお前のほうこそが真っ当な森辺の民として生きているように感じられるではないか……?」
「そんなことは、絶対にないよ」
やはり、そのようなことを思い悩んでいたのか。
日中から、そんな感じはしていたのである。
「森辺の民とかそういうのは関係なしに、お前はただ他人に頼るのが苦手ってだけなんだと思うよ。それでこの2年間は立派に生き抜くことができたんだから、何も恥じることじゃないはずだ」
「…………」
「俺にはそんな強さなんてなかったからさ。人に頼ったり頼られたりが当たり前の毎日だったんだ。……ずっと前には、俺も家族を頼るのが苦手みたいな発言をしちゃったけどさ」
だけど、言っている内容に矛盾はないと思う。
そういう人間だからこそ、俺は「甘える」と「頼る」の見極めが下手な人間になってしまったのだろう。
そしてまた、アイ=ファのほうは俺と正反対の理由から――あまりに強靭すぎるゆえに、他者を頼るのが下手な人間になってしまったのだと思う。
まったくの正反対でありながら、どこか似たもの同士の俺とアイ=ファであるのかもしれない。
「きっと、俺にはお前みたいに生きることはできないし、お前も俺みたいに生きることはできないんだろう」
だいぶん息が切れてきてしまったが、それでも俺はアイ=ファに笑いかけることができた。
「だったら、おたがいに足りない部分を補い合って生きていくことができればいいだろ? ……お前とそうすることができれば、俺は何より嬉しいよ」
「……熱の上がっているときに、小難しいことを言うな……」
ごつっとアイ=ファが俺の頬に頭をぶつけてきた。
そのまま、ぐりぐりと強めに熱い額を押しつけてくる。
「痛い痛い。……まあ要するに、お前のお役に立てるのは感無量って話だよ。普段はなかなか俺の力なんて必要としてくれないからな、お前は」
「……つくづく、うつけ者なのだな、お前は……」
もうあんまりきちんとした意識もなさそうな声で、アイ=ファがつぶやく。
「……私のほうこそ、お前の存在が必要なのだ……だから、ずっと……」
最後のほうは、聞き取れなかった。
だから俺は、自分の心情をこっそり述べておくことにした。
「ずっと一緒にいような、アイ=ファ」
アスタの収支計算表
*試食分は除外。
・第七日目
①食材費
『ギバ・バーガー』60人前
○パテ
・ギバ肉(10.8kg)……0a
・香味用アリア(15個)……3a
○焼きポイタン
・ポイタン(60個)……15a
・ギーゴ(60cm)……0.6a
○付け合せの野菜
・ティノ(3個)……3a
・アリア(3個)……0.6a
○タラパソース
・タラパ(5個)……5a
・香味用アリア(10個)……2.4a
・果実酒(1.75本)……1.75a
・ミャームー(1/5本)……0.2a
合計……31.55a
『ミャームー焼き』90人前
○具
・ギバ肉(16.2kg)……0a
・アリア(45個)……9a
・ティノ(4.5個)……2.25a
○焼きポイタン
・ポイタン(90個)……22.5a
・ギーゴ(90cm)……0.9a
○漬け汁
・果実酒(3本)……3a
・ミャームー(3本)……3a
・香味用アリア(4.5個)……0.9a
合計41.55a
2品の合計=31.55+41.55=73.1a
②その他の諸経費
○人件費……21a
○場所代・屋台の貸出料(日割り)……4a
諸経費=①+②=98.1a
145食分の売り上げ=290a
純利益=290-98.1=191.9a
純利益の合計額=455.37+191.9=647.27a
(ギバの角と牙およそ53頭分)
*干し肉は、800グラム、12aの売り上げ。10日目にまとめて集計。




