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異世界料理道  作者: EDA
第六十六章 再興の日々
1129/1681

帰還と再来③~新たな家人~

2021.12/8 更新分 1/1

 翌日――青の月の19日である。

 俺がかまど小屋で商売の準備に勤しんでいると、ルウの集落まで出向いていたアイ=ファが帰還した。

 そしてアイ=ファの足もとには、1頭の新たな犬が控えていたのだった。


「さしあたって、10頭の雌犬は森辺で預かることになった。なおかつ、ファの家でも1頭を引き取るように言い渡されたので、こうして連れ帰ることになった」


 厳格なる面持ちで宣言するアイ=ファの足もとで、その犬はふんふんと鼻を鳴らしていた。かまど小屋から漂ってくる肉の香りに気を取られているのであろう。

 ブレイブやドゥルムアよりはひと回り小さいが、もちろん犬種は同一である。西洋的な角張った顔立ちをしており、毛の色は全身が明るい茶色であった。


「そっか。やっぱり森辺で預かることになったんだな。まあ、そうなるだろうとは思ってたよ」


 これはあくまで、お試しで預かるだけであるのだ。不要であれば引き取ってもらえるそうであるし、その際には代価も必要ないという。また、それまでの期間に不慮の事故などが生じても、森辺の民に責任は問わないという話であったのだった。


(つまりそれだけ、森辺の民を信用してくれてるってことなんだろう。きっと交渉役を担っているシュミラル=リリンがああいうお人柄だから、そうまで信用してもらえたんだろうな)


 俺がそんな風に考えていると、アイ=ファは「ただし」とつけ加えた。


「ファの家で引き取ったこの者に関しては、よほどのことがない限り行商人に返すことはないと、族長らにはそのように言い渡している。お前もそのつもりでいるがいい」


「え? どうしてそういう話になったんだ?」


 俺がそのように反問すると、アイ=ファはますます厳格なる面持ちをこしらえた。


「家で引き取る犬には、名を与えなくてはならんという話であったのだ。そして、ひと月ほどの時間をかけて、正式に引き取るかどうかを判別するという話であったのだが……名前を与えてひと月もともに過ごすならば、家人として迎える覚悟が必要であろう。この者がブレイブたちの害にならない限りは、今日より家人として扱うことにする。それが、私の判断だ」


「なるほど。そういうことなら、異存はないよ。家人に相応しいかどうかを見定めるなんて、数日も一緒に過ごせば十分だもんな」


「うむ。ジルベやサチも、そうしてファの家に迎えることになったのだからな」


 そう言って、アイ=ファは軽く犬の頭を撫でた。


「そしてこのたびは私が家人に名前を与える順番であったので、ジバ婆と相談をしてきた。……ラム、というのはどうであろうか?」


「へえ、いいじゃないか。どういう意味の言葉なんだ?」


「森辺に伝わる古い言葉で、『慈愛』の意味を持つそうだ。狩人ならぬ身で、子を生し育てるのが一番の仕事であるというのなら、そういった名が相応しかろう」


 そんな風に言いながら、アイ=ファは横合いを振り返った。そちらでは、ブレイブたちがじっとアイ=ファと新たな家人の様子をうかがっていたのだ。


「よし、アスタへの挨拶は終わったぞ。お前たちも、新たな家人を歓迎してやるがいい」


 ブレイブとドゥルムアとジルベが、ひょこひょことこちらに近づいてくる。

 新たな家人ラムは、とても穏やかな眼差しでそれを見守っていた。彼女も牧場育ちであるのだから、集団生活には慣れているのだろう。


 アイ=ファはとても緊迫した目で、それらの様子を見守っていたが――ラムは1頭ずつと鼻を寄せ合うようにして挨拶をすると、やがて満足げに「ばうっ」と鳴いた。

 猟犬は無用に声をあげないようにしつけられているので、ブレイブとドゥルムアは無言である。ただジルベだけは、元気に「わふっ!」と挨拶を返していた。ドゥルムアを招いた際にはいくぶん警戒の色を見せていたジルベであるが、さすがにもう新たな家人というものにも慣れてきた様子だ。

 そののちは、4頭でもつれあうようにして追いかけっこに興じ始める。そこまで見届けて、アイ=ファはようやく表情をゆるめたのだった。


「雌の犬は年に2度、黒と朱の月のあたりに繁殖期というものを迎えるそうだ。そしてこのたび森辺に連れてこられたのは、これから初めて繁殖期を迎える若年の雌犬であるという話であったな」


「そうか。ラムが誰と結ばれることになるのか、楽しみなところだな。……別にそれは、ジルベでもかまわないんだろう?」


「うむ。重要なのは、本人たちの心持ちであるからな」


 そんな風に語るアイ=ファは、子を見守る母親のように優しげな眼差しになっていた。そんなアイ=ファの横顔を眺めているだけで、得も言われぬ幸福感を覚えてしまう俺である。


「そういえば、他の雌犬たちはどの家が引き取ることになったんだ? それに、50頭も猟犬がいたら、配分が大変そうだな」


「猟犬はまず、前回配分されなかった3氏族、スドラとリリンとタムルに与えられることになった。残りの47頭は、それぞれの氏族の狩人の人数に従って配分の数が定められたのだそうだ」


「うん。その配分を決めるのが大変そうじゃないか? なんか、ツヴァイ=ルティムにお呼びがかかったって噂で聞いたんだけど」


「うむ。そのツヴァイ=ルティムの提言によって、このたびの猟犬はすべて親筋の氏族に与えられることになったらしい。それを血族の間でどのように配分するかは、それぞれの氏族の裁量に任されるのだという話であったな」


 森辺には、37もの氏族が存在する。それらの氏族の狩人の人数にあわせて猟犬を配分するというのは、あまりの手間であろう。その手間を軽減させるために、ツヴァイ=ルティムはそのような案をひねり出したようであった。

 ファの家を除けば、親筋となる氏族は10となる。ルウ、ザザ、サウティ、フォウ、ガズ、ラッツ、ベイム、ラヴィッツ、ダイ、そしてスン――それらの氏族から、眷族まで含めた狩人の総数を報告させ、それに見合った数の猟犬を配分するという形が取られたようであった。


「それで雌の犬たちも、スンを除く親筋の9氏族に分けられたそうだ。スンは眷族もなく、そのぶん猟犬の数も少なくなるのであろうから、まあ公正な判断であろう」


「なるほど。余所の氏族でも、うまくいくといいな」


「うむ。人間であれ犬であれ、家人が増えるのは何よりの喜びであろうからな」


 そんな風に言ってから、アイ=ファはそわそわと身を揺すった。

「どうしたんだ?」と尋ねてみると、アイ=ファは曖昧な表情で「いや……」と自分の頬を撫でる。


「犬の赤子とはどのような姿をしているのかと、頭を働かせてみたのだが……どうにもうまく想像できなかったのだ」


「犬の赤子か。俺は故郷で見たことがあるけど、それはもうたまらない可愛らしさだったぞ。人間の赤ん坊にも負けないぐらいだろうな」


「そうか」と、アイ=ファは身をよじらせる。


「なんであろうな。うまく想像もできていないのに、なんだか身の内をくすぐられているような心地であるのだ」


「あはは。アイ=ファはただでさえ情が深いから、赤ん坊なんて産まれたら大変な騒ぎになっちゃいそうだな」


 アイ=ファは一歩で俺に近づくと、足を蹴るのではなく肘で腕を小突いてきた。

 そしていくぶん頬を赤らめながら、俺の顔をすねたような目でにらみあげてくる。


「ブレイブたちは、いずれも大事な家人であるのだ。それが子を生し父親になるのかと思えば、胸が騒ぐのも道理であろう」


「ごめんごめん。茶化すつもりじゃなかったんだよ。俺だって、家人が増えるのは嬉しいさ。だた……雌の犬を正式に引き取ることになったら、その後はどうなるんだろうな」


「うむ? どうなるとは?」


「いや、今回の10頭だけならどうってことないけどさ。もしも猟犬のすべてに伴侶をあてがおうなんて話になったら、ものすごい勢いで子供が増えちゃうだろう? そうしたら、食事の世話だけで大変なんじゃないかな」


 アイ=ファは俺のかたわらにひっついたまま、けげんそうに小首を傾げた。


「それはもちろん、限られた猟犬にだけ伴侶を与えるというのは、公正でなかろう。我々は現在でも血抜きに失敗した肉の多くを森に返しているのだから、食事の世話に不自由はあるまい」


「それでも、限度があるだろう? 俺の故郷の犬なんてのはいっぺんに3頭や4頭も産むのが当たり前だったし、それが何年か続くだけで大変な数になっちゃうぞ」


 アイ=ファは虚を突かれた様子で口をつぐみ、俺の顔をまじまじと見つめてきた。


「確かにギバも、ひとたびで多くの子を生すと聞き及ぶし……ダバッグで見たカロンも、数多くの子らに乳をやっていたな」


「うん、そうそう。現時点で、猟犬の数は100頭以上なんだからさ。その全員に伴侶をあてがったら200頭で、3頭ずつの子が産まれたら総勢で500頭――って、いざ数字にしてみると、余計に怖くなっちゃうな」


「……それはドンダ=ルウらに伝えるべきであるし、行商人にも確認を求めるべきであろうな」


 そう言って、アイ=ファは颯爽と身をひるがえした。


「猟犬の行商人は、明日までジェノスに留まるという話であったのだ。誰かしらを城下町に向かわせるように、提言してこよう。……ブレイブよ、私はまた少し出かけてくるので、ラムの世話を頼んだぞ」


 ブレイブは利発そうな目を瞬かせることで、アイ=ファの言葉に応じていた。

 それで俺は、ようやく自分の仕事に戻ることになったのだった。


                  ◇


「なるほど。それでルウ家のリャダ=ルウが、城下町に向かうことになったわけですね」


 そんな風に声をあげたのは、ユン=スドラであった。

 現在はすでに屋台の商売を開始しており、ユン=スドラは俺の相方だ。たこ焼き器の使い方をマスターさせるために、ここ最近は熟練のかまど番を中心に日替わりで担当者を交代させていた。


「確かに血抜きに失敗したギバの肉だけでも、数多くの犬を育てることがかなうでしょう。何でしたら、500頭でも難しくはないかもしれません。……でも、ひとたび子が生されるだけで、その数になってしまうということですね?」


「うん。それで猟犬も10年ぐらいは生きるのが普通らしいから、最初の世代が存命のうちに孫が産まれると思うんだよね。300頭の第二世代が3頭ずつの子を産んだら900頭で――三世代の合計は、1400頭か。すべての犬がいっぺんずつしかお産をしなくても、その数になっちゃうわけさ」


「そしてその後も、世代を重ねるごとに数が増えていくわけですね。それは確かに、とてつもない話であるようです」


 しみじみと息をつきながら、ユン=スドラはたこ焼き器の具材を鉄の串でひっくり返していった。会話をしながらでも、その作業に不都合はないようだ。


「ギバの数が減らない理由が、ようやくわかったような気がします。……でも、すべての獣がそれほど多くの子を生していたら、あっという間に地を埋め尽くしてしまいそうですよね。そうならないのは、何故なのでしょう?」


「俺も確かなことはわからないけど、野生の獣は厳しい自然の中で生きているから、子供の内に魂を返すことが多いって聞いた覚えがあるよ。逆に言うと、それだけ生存率が低いからこそ、たくさんの子を産むように進化したのかもしれないね」


「なるほど……そういえば、獅子のヒューイと豹のサラは、ドルイしか子を生していませんでしたね」


「ああ、大型の獣は子供の数が少ないって聞いた覚えがあるね。犬なんかは、身体が大きいほうがたくさんの子を産めるみたいだけどさ」


「そうなのですか? でも、カロンというのはとても大きな獣であるのにたくさんの子を産むようだと、リミ=ルウに聞いた覚えがあるのですが」


「そうそう。ダバッグの牧場を見学させてもらったとき、俺もそれを意外に思ったんだよ。だからまあ、俺の故郷の常識がすべて通用するわけじゃないんだよね。犬だって何頭の子を産むかもはっきりしたことはわからないから、そういうことを確認するためにも、行商人のお人に詳しい話を聞かなきゃならないわけさ」


 俺がそのように締めくくると、屋台の前で料理の完成を待っていた人物が愉快そうに笑い声をあげた。


「なんだかさっきから、難しそうな話をしてるなあ。森辺の民ってのは、そんなややこしい話にも頭を悩ませなきゃならねえのか?」


 それは宿場町に住む若者、ダンロであった。かつて復活祭でご縁を結び、のちにはトトスの早駆け大会で入賞することになった人物である。その背後には、彼のお仲間たる若者たちもやいやい騒いでいた。


「なんか、聖堂で読み書きを習ってた餓鬼の頃を思い出しちまったよ。その理屈で言うと、ギバってのはどうしてああまででかい顔をすることになったんだ?」


「ギバっていうのは、森辺の民がモルガに移住してくる少し前から、異常に数が増えたそうですね。だからその時期に、モルガの山から山麓の森に縄張りを変えたんじゃないかっていう説があるそうですよ。天敵になるマダラマやヴァルブの脅威から逃れて生存率が上がり、それが異常繁殖の原因になったんじゃないかっていう話ですね」


「なるほど! どんな話にも、理屈をつけることはできるんだなあ。なんだか、感心しちまったよ」


 ダンロは、陽気な笑い声を響かせる。ここ最近は姿を見ないと思ったら、青の月の半ばまでは建築屋の面々とともにダレイム南端で仕事を果たしていたのだそうだ。彼はそうして日雇いの仕事を果たしながら、日々の糧を得ているのだった。


「だったらその犬とかいう獣も、ギバに負けないぐらい増やしちまえばいいように思うけど……そうすると、食事の世話に手が回らなくなっちまうってわけか」


「そういうわけです。でも確かに、100頭もの猟犬が伴侶も子も得られないっていうのは、ちょっと切ない話ですよね。何かうまい具合に、話をまとめられればいいんですけど……」


「森辺の民は、苦労が絶えないねえ。ま、きっとどうにかなるだろうさ。これまでだって、うまくやってきたんだからよ」


 ダンロの言葉は能天気と評する他なかったが、それでも彼の陽気さは俺を力づけてくれた。彼は森辺の民を信頼してくれているからこそ、そういった言葉を口にしているのだろうと思えるのだ。

 そうして粛々と仕事を果たしていると、中天のラッシュを終えたあたりでリャダ=ルウが城下町から戻ってきた。


「アスタよ、とりあえず行商人から詳しい話を聞いてきた。いささか込み入った話であるので、帰りにルウ家に寄ってもらえるだろうか?」


「ええ。今日はもともとルウ家で勉強会の予定でしたので、問題ありませんよ」


「では、そのときに」と、リャダ=ルウは速やかに立ち去っていった。


「込み入った話とは、何なのでしょうね。何か族長たちが判断に困るような話なのでしょうか」


「どうだろう。なんとか丸く収まってほしいものだね。できれば俺も、猟犬たちに伴侶を与えてあげたいからさ」


 俺がそのように答えると、ユン=スドラは何か言いかけてから口をつぐんで、もじもじとした。その姿に、俺はピンと来てしまう。


「もしかしたら、猟犬の世話を焼く前に自分のことを考えろって言いたいのかな?」


「と、とんでもありません! わたしだって、伴侶を娶るのを先延ばしにしたいと願っている身ですので……ただ、アスタの情の深さに感じ入っているだけです」


 わずかに頬を染めながら、ユン=スドラはそんな風に言っていた。

 まあ俺は、犬でも猫でもトトスでも家人に上下なしというファの家の家風に従っているまでである。アイ=ファはブレイブたちに伴侶を与えられることをずいぶん喜んでいる様子であったから、その心情を慮りたいばかりであった。


 そうしてすべての料理を売り切って、ルウの集落に向かってみると、リャダ=ルウが本家のかまど小屋の前で待ってくれていた。


「世話をかけて、申し訳ないな。やはりアスタはもともと犬という獣を見知っていたため、有用な意見をもたらしてもらえるように思うのだ」


「はい。俺も猟犬たちの安らかな行く末を願っていますので、どうぞお気になさらないでください」


 ということで、他の人々には先に勉強会を始めてもらい、俺は母屋でじっくり話をうかがうことになった。同席したのは、本家で手の空いていた人々――ジバ婆さん、ミーア・レイ母さん、赤子のルディ=ルウを抱いたサティ・レイ=ルウ、それに幼子のコタ=ルウであった。

 ジルベとラムは土間でくつろぎつつ、ルウ家で引き取った雌犬と親睦を深めている。サチは俺の足もとで丸くなり、コタ=ルウに背中を撫でさせていた。


「俺がこちらの懸念を伝えると、行商人たる南の民はずいぶん先の心配をするのだなと、愉快そうに笑っていた。それから、猟犬の行く末を真剣に考えていることに感謝する、などと言いたてていたな」


「そうですか。その人物も、猟犬の行く末を思いやってくれているのですよね?」


「うむ。その南の民は問屋という身分であるそうだが、もともとは猟犬を育てる家に生まれついたのだそうだ。牧場というものは兄が受け継ぐことになったので、自分はそれを正しく売りさばく仕事を志したのだという話だな」


 そういう出自の人物であれば、きっと信用に価することだろう。

 それで彼が、どのような行く末を想定していたかというと――


「その者も、アスタが抱いた懸念をすでに想定していた。確かに犬というものはひとたびに3、4頭の子を生し、それを2度ほど繰り返すのが普通であるので、100頭もの猟犬すべてに伴侶を与えれば、すぐに大変な数になってしまうだろうということだ」


「なるほど。それで何か、打開案でもあるのでしょうか?」


「その者は、森辺の民が犬の子供を持て余すようであれば、自分が引き取ると言っていた」


 リャダ=ルウの言葉に、ミーア・レイ母さんが「へえ」と目を丸くした。


「ずいぶん簡単に言うもんだねえ。その行商人ってお人は、何百頭もの子供を引き取ることができるっていうのかい?」


「うむ。その者はいくつもの牧場と懇意にしているので、何も問題はないと言っていた。それに……森辺でギバ狩りの仕事を果たし、ギバの肉を食して過ごした猟犬の子ならば、これまで以上に強い力を持って産まれてくるかもしれないとも言っていたな。そういう思惑もあって、我々に雌の犬を受け渡す気持ちを固められたのだそうだ」


「なるほど。つまりは最初っから、子供の犬を引き取る算段を立ててたってわけかい。やっぱり商売ってもんを生業にしている人間は、逞しいもんだねえ」


「うむ。よって問題は、我々がその言葉をどう受け止めるべきかであろう」


 リャダ=ルウは切れ長の目に真剣な光をたたえつつ、俺を見つめてきた。


「猟犬に伴侶を与えるべきという言葉に異を唱える人間は、森辺に存在しなかったように思う。それは猟犬を、大事な家人と見なしているゆえであろう。であれば……産まれた子を引き離して、遠きジャガルの人間に受け渡すというのは、得心がいかないのではないだろうか?」


「それは……そうかもしれませんね。たぶんアイ=ファも、そんな簡単には納得しないと思います」


「アスタは、納得できるのであろうか?」


 それは、難しい問いかけであった。


「うーん。俺も故郷で犬を家人に迎えたことはないのですけれど……俺の故郷では、産まれた子犬を余所の家に引き渡すのも、普通の行いであったように思います。ひとつの家で何頭もの犬を育てるというのは、やはり大変なことですからね」


「そうか。行商人たる南の民も、そのように言っていた。肝要なのは産まれた場所ではなく、育つ場所なのだと言ってな」


「ああ、なるほど。それはそうかもしれませんね」


 俺がそのように答えると、リャダ=ルウがぐっと身を乗り出してきた。


「アスタは、納得できたのか? その理由を教えてもらいたい」


「あ、はい。俺は森辺に引き取られた猟犬たちのことを考えていました。それらの猟犬も、親もとを離れて森辺にやってきたわけでしょう? それでも幸せに過ごせているはずだと、俺はそのように信じたく思っています」


「なるほど。余所の家に、嫁や婿を出すようなもんかい。それでもあたしらは集落の中だけで生きてきたから、目の届かないジャガルの地に犬の子らを受け渡すってのが、ひどく薄情に思えちまうのかもしれないねえ」


 ミーア・レイ母さんが、ゆったりとした面持ちでそう言った。

 すると、ジバ婆さんも「そうだねえ……」と声をあげる。


「どんなに可愛い子供でも、いずれは自分の手を離れちまうもんさ……それに、家族とどれだけの時間を過ごすかは、人と獣で異なっているんじゃないかねえ……ギバや黒猿、ムントやギーズなんてのは、子供が自力で餌をとれるようになったら、別々に暮らすようだしさ……」


「そうですね。人間の価値観だけで、犬の心情を汲むことはできないように思います。伴侶も子も得られないまま一生を終えるのと、たくさんの子を生して余所の地に受け渡すのと……どちらが犬にとっての幸いであるか、そこを考えるべきなのではないでしょうか?」


 リャダ=ルウは引き締まった面持ちでその場の人々を見回し、最終的に俺を見据えた。


「ルウ家の人間はこれから族長ドンダのもとで話をまとめるので、ここはアスタの意見を聞いておきたく思う」


「俺個人は、猟犬に伴侶を与えたいと思っています。たとえ産まれた子供たちを手もとで育てきれなくて、猟犬の牧場に受け渡すことになっても……ブレイブやドゥルムアの子供たちがあちこちの狩り場で活躍するのかと思えば、それも幸いなのではないでしょうか?」


「そうか」と、リャダ=ルウは重々しく首肯した。


「何にせよ、犬が繁殖期というものを迎えるのは黒の月以降と聞かされている。それまでにはまだふた月以上も残されているのだから、おそらくはこのたび預かった犬たちを即刻返すという話にはなるまい。これは森辺のすべての人間が頭を悩ませて、正しき道を探し出すべき話であろうからな」


「うん。幸いというか何というか、この前の騒ぎのせいで家長会議が後回しにされちまったからねえ。それまでじっくり、頭を悩ませることにしようか」


 そんな風に言ってから、ミーア・レイ母さんはリャダ=ルウのほうを見た。


「でも、それならどうしてアスタをこんな風に呼びつけたんだい? べつだん、急ぐ話でもなかったんだろう?」


「ああ、それは……俺個人が、アスタの意見を聞いておきたかったのだ。城下町で話を終えてから、どうにも気分が落ち着かなかったのでな」


 そう言って、リャダ=ルウは滅多に見せない微笑を覗かせた。


「俺のせいで時間を取らせてしまってすまなかったな、アスタよ。アスタであれば、俺の内に生まれた疑念を解きほぐしてくれるように思ったのだ」


「いえいえ、とんでもない。俺もみなさんと語らうことで、気持ちや考えが整理できたように思います」


「そのように言ってもらえれば、幸いだ。あとはアイ=ファと存分に語り合い、ファの家の総意をまとめてもらいたい」


 俺としては、そちらのほうが難題であるように思えてならなかった。何せアイ=ファというのは、家人に対してとてつもなく情が深いのである。


(産まれた子犬を余所の地に受け渡すなんて、アイ=ファが了承するかなあ)


 そんな疑念を胸に抱えつつ、俺はレイナ=ルウたちの待つかまど小屋を目指すことになったのだった。


                 ◇

 

 そうして、その日の夜である。

 晩餐のさなか、俺が昼間のやりとりをそのまま伝えてみせると、アイ=ファは案の定、とてつもなく難しい顔をこしらえたのだった。


「産まれた子らを、ジャガルの牧場に受け渡す、か……それは確かに、人間の習わしにはまったく沿わない話であるようだな」


「うん。もちろん、産まれた子供をすべて受け渡さなきゃいけないってわけじゃないけどさ。でも、いつか育てきれないほどの数になるってのは、確かな話だと思うよ。俺たちはそこまで考えてから、雌の犬を受け入れるかどうかを考えなきゃいけないと思うんだ」


「それで、お前は……いずれ子供たちを手放すことになろうとも、雌の犬を受け入れるべきであると考えているのだな?」


「うん。あくまで、俺個人の意見だけどな。納得いくまで、アイ=ファと話し合いたいと思ってるよ」


 アイ=ファは決戦に臨む剣士のような眼差しで「承知した」と言った。


「しばし、思案する。私の考えがまとまるまで、お前は待っているがいい」


「うん、了解」


 それからアイ=ファは、完全に黙考のかまえであった。ファの家の晩餐がこれほどの静寂に包まれるというのは、かつてなかったことである。

 しかしそれだけこの案件は、アイ=ファにとって深刻なものを孕んでいるのであろう。家人の幸いなる行く末を案じるのが家長の役割であるし、そうでなくともアイ=ファはブレイブたちのことを溺愛しているのだ。


 それでけっきょくアイ=ファの考えがまとまる前に、晩餐は終了してしまった。

 食器の片付けを終えたのち、アイ=ファは土間のすぐそばに陣取って、犬たちの様子をじっと見守る。その頃には、4頭の犬たちも身を寄せ合って眠りに落ちていた。


 繁殖期ならぬ現在は、ラムも罪のない顔で眠っている。ひと回り身体の小さなラムはいかにも末っ子めいていて、本日顔をあわせたばかりのブレイブたちを信頼しきっている様子である。


 10分ばかりもその寝顔を見守ってから、アイ=ファはやおら立ち上がって、無言のままに寝所を目指した。

 たたまれていた敷布を広げて、髪をほどいて、横たわる。その顔は、晩餐の頃から変わらぬ厳しさをたたえたままだ。


 それでも俺はアイ=ファの考えをさまたげぬようにと、自分も無言のままに寝具に横たわった。

 そうしてさらに10分ほどが経過して、俺がうとうととしかけたとき――アイ=ファはふいに「決めた」と言い放ったのだった。


「私も、お前に同意する。家長会議が開かれたならば、猟犬に伴侶を与えるべきと進言することにしよう」


「そうか。別にそんな、急いで決断しなくてもいいんだぞ? 家長会議は、まだ日取りも決められてないんだからさ」


「このような思いを抱えたままでは、落ち着かなくてたまらんからな。そうであるからこそ、リャダ=ルウもお前との対話を望んだのであろう」


 そう言って、アイ=ファは俺のほうに向きなおってきた。

 俺もまた身体ごとそちらに向きなおり、横たわったままアイ=ファの姿を真っ直ぐに見つめる。


「でも、本当にいいのか? 産まれた子供を親もとから引き離すっていうのが、アイ=ファには不満なんだろう?」


「それを人間に置き換えたならば、不満に思わぬはずがない。しかしお前の言う通り、犬には犬の道理というものが存在するのであろう。……確かにブレイブたちとて、親から引き離されたことを悲しく思っている様子は見られないからな」


 そんな風に言いながら、アイ=ファはようやく表情をやわらげた。


「とにかく私は、何も為さぬ内からあきらめるべきではないと考えた。どれだけ子供が増えようとも、可能な限りはファの家で育てる所存だぞ」


「うん。俺もそれで、異存はないよ」


 俺がそのように答えると、アイ=ファは腕をのばして俺の頬に触れてきた。


「ところで、アスタよ。産まれた場所よりも、育つ場所が肝要というのは……自らの境遇に重ねた言葉であったのであろうか?」


「え? いや、そこまでは考えてなかったよ。俺は別に、産まれたそばから森辺に引き取られたわけじゃないしな」


 そんな風に答えながら、俺はアイ=ファの手に自分の手を重ねてみせた。


「でも、言われてみれば、少し重なる部分もあるのかな。……森辺で暮らすことができて、俺は幸せだよ」


「それは、知っている」


 アイ=ファはやわらかく微笑みながら、親指で俺の鼻筋を撫でさすってきた。

 そうしてファの家の総意はまとまり、ラムは正式に家人として迎えられることに相成ったのだった。

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― 新着の感想 ―
[一言] 猟犬の血に獅子犬の血を掛け合わせるとかこの世界では絶対やってなさそうだし、数世代後には新しい犬種が生まれてそう......
[気になる点] 第2世代が3頭ずつ産んだら900って、第2世代は全部メスってことになってる?
[気になる点] ラムの伴侶候補はジルべも?と思ったらやはりそうでしたか。イメージとしてブレイブ達はポインターかセッター、ジルべはチベタンマスティフだったのでジルべの仔ならどんな姿になるか想像が膨らみま…
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