エピローグ ~送別の晩餐会~
2021.11/25 更新分 1/1 ・11/29 誤字を修正
・今回の更新はここまでです。更新再開まで少々お待ちください。
かくして、邪神教団にまつわる災厄は終結した。
くどいようだが、ダレイム南端の復興には数ヶ月の時間がかかり、狩り場を荒らされた森辺においてもすべてが平常に戻ったわけではないのだが――それでも、ジェノスへの報復を目論んだ邪神教団は討伐され、飛蝗の始末も終えたのだから、ひとまず災厄は終結したと言い切っても問題はないだろう。あとは本当に平常の状態を取り戻せるように、ひとりひとりが力を尽くす他ないのだ。
そんな中、俺は城下町に招かれることになった。
遠征部隊が帰還してから、3日後。青の月の16日のことである。その翌日に、ダカルマス殿下がついに帰国することになったので、送別の晩餐会が執り行われることになったのだ。
本来は大がかりな祝宴が開催されて、俺がその厨を預かる手はずになっていた。
しかし現在の城下町は、祝宴を自粛中である。食材の流通に関する不安はほとんど解消されたという話であったが、無駄に浪費する財があるならばダレイムに寄付するべしという風潮であるそうなのだ。
もちろんジャガルの王子たるダカルマス殿下であれば、そんなジェノスの内情にはおかまいなく、たっぷりと持参した私財でもって好きに祝宴を開くことも可能なのであろうが――そうしないのが、ダカルマス殿下なのである。俺は今回の騒動を経て、ダカルマス殿下が心底から純真な気性であられることを、あらためて痛感させられていたのだった。
よって、この日に行われるのは、ごくつつましい晩餐会であった。
参席者も、ジャガルの関係者とジェノス侯爵家の面々、それに特別ゲストとして、フェルメス、デヴィアス、アリシュナの3名である。あとはまあ、森辺の側から俺とアイ=ファ、トゥール=ディンとゼイ=ディン、それにガズラン=ルティムにも同じ卓につくように願われたばかりであった。
「このお忙しいみぎりに無理を言ってしまって、本当に申し訳ありません! さしあたって、わたくしがこのような無理をお願いするのも今宵が最後となりますので、どうかご容赦をお願いいたしますぞ!」
晩餐会は、ダカルマス殿下のそんな言葉によって開始されることになった。
その左右に居並ぶのは、息女たるデルシェア姫、使節団長のロブロス、戦士長のフォルタ、それに書記官の4名だ。ひさびさにお会いするデルシェア姫は貴婦人の装束でにこにこと微笑んでおり、エメラルドグリーンに輝く瞳で卓上の料理を見回していた。
それと相対する森辺の一行も、本日は礼装の姿である。ただし、このような折に新しい装束をあつらえていただくのは申し訳なかったので、以前に進呈されたセルヴァ風のふわふわとした宴衣装を纏うことにした。
場所は白鳥宮の、ちょっとした広間である。この人数ではスペースが余ってしまうため、窓に面した壁際に卓と座席が据えられて、右手側と奥側の面は衝立でふさがれていた。
「どなたに対しても話は尽きないところでありますが、まずは料理をいただきましょう! ジェノス侯、ご挨拶をお願いいたしますぞ!」
「承知いたしました。……不測の事態によって2ヶ月近くにも及んだダカルマス殿下および使節団の方々の逗留も、ついに最後の夜を迎えることと相成りました。皆様のご尽力に感謝の念を捧げつつ、今後の健やかな生をお祈りいたします。……南方神と西方神に祝福を」
「祝福を」の言葉が、しめやかに復唱される。
あとはもう、いつも通りの賑やかさであった。
「では、森辺の方々の心尽くしをいただきますぞ! 今宵の晩餐は贅を尽くさずというお話でありましたが、まるで卓上が光り輝いているかのようですな!」
「ええ、本当に! でも、わたくしが森辺にお邪魔した際にもこれぐらい見事な晩餐をいただきましたから、アスタ様たちにとってはこれが平常の晩餐なのでしょう!」
マルスタインとダカルマス殿下からのお達しによって、俺は「平常の晩餐」というものを準備していた。なおかつ、ダレイム産の野菜はなるべく控えるようにという話であったため、そのように取り計らった次第であった。
ただし今宵は、フェルメスを同席させている。それでフェルメスのための食事を準備しつつ、他の人々にも味見用の余分を準備してもらいたいと言い渡されていたので、そのぶん品数が増したわけである。
主食は炊き込みシャスカで、ギバ肉を使ったものと、川魚のリリオネを使ったものをそれぞれ準備した。他の具材はタケノコのごときチャムチャムとブナシメジモドキで、山椒のごときココリでアクセントをつけている。
主菜は、ギバのミソ角煮。
フェルメス用は、アマエビのごときマロールをミンチにして団子に仕上げた、和風あんかけマロール団子だ。
汁物はシンプルに、ジャガル産の野菜やキノコ類をふんだんに使ったタウ油仕立てのけんちん汁で、他にもいくつか副菜を準備している。その中から、ダカルマス殿下が昨日開発したばかりの新メニューを指し示した。
「こちらの揚げ物は、フェルメス殿でも口にできる料理なのですな? いったいどういった具材でありましょうか?」
「そちらは、ノ・ギーゴと乾酪を使っています。それほど凝った料理ではありませんが、森辺ではなかなか好評でありましたよ」
それは、サツマイモのごときノ・ギーゴとギャマの乾酪を使ったコロッケ風の揚げ焼きであった。コロッケを好物とするルド=ルウのために、リミ=ルウと手を携えて開発したひと品である。
それをひと口で頬ばったダカルマス殿下は、「おお!」と瞳を輝かせた。
「確かに純朴な味わいでありますが、そのぶん素材の味が際立っておりますな! ノ・ギーゴの甘みと乾酪の塩気、さらにホボイや乳脂の風味が実に調和しており、美味ですぞ!」
そんな風に言ってから、ダカルマス殿下は笑顔でフェルメスのほうを振り返った。
「こちらはギバ肉を使っておりませんため、屋台で出されることもありませんでしょう! フェルメス殿が獣肉を口にできないゆえに、我々がこういった料理を口にできたという面もあるわけですな!」
「僕の偏食がわずかなりともダカルマス殿下の喜びにつながったのでしたら、心より幸いに存じます」
フェルメスは愛想よく微笑みながら、そのように応じていた。
噂によると、ダカルマス殿下は今回の騒乱を経て、フェルメスに好印象を抱いたようなのである。どうやらフェルメスが西の王都の意向よりも邪神教団の撲滅を優先させようとしていたことが、ダカルマス殿下にも伝わったらしく――それで、フェルメスの男気に感服した、という顛末であったようだった。
(まあ、最後の最後でフェルメスとも絆を深められたのなら、何よりだよな)
そんな思いとともに、俺は自分で準備した料理の味を噛みしめることにした。
自分で最初に宣言していた通り、本日のダカルマス殿下はさまざまな相手と別れを惜しんでいるらしく、俺以外の相手にもしきりに語りかけていたので、俺もいつになく自分のペースで食事を進めることがかなったのだった。
「それにしても、アリシュナ殿の星読みの技というのは、本当に凄まじいものなのですな! フォルタ殿からの報告を耳にして、わたくしも心から感服することになりましたぞ!」
「はい、恐縮です。星読みの技、重んじてくださった、王子ダカルマスの裁量、感謝しています」
「そうですな! わたくしも、大手を振って星読みの技を重用できる立場ではありませんが……このたびばかりは、選択の余地もありませんでした! その選択が正しかったことを、心より寿いでおりますぞ!」
そういったわけで、アリシュナまでもがこの晩餐会に招かれたわけである。
ご機嫌な様子で食事を進めていたデヴィアスも、「いや、まったく!」と賛同の声をほとばしらせた。
「小官などは、アリシュナ殿の託宣に部下の生命とジェノスの命運を託した立場でありましたからな! これでしくじっていたら、小官の生命ひとつでは贖えないところでありましたぞ!」
「デヴィアス殿は、果敢でありましたな」と、フォルタが控え目に相槌を打つ。
デヴィアスは豪放に笑いながら、「いやいや!」とそちらを振り返った。
「フォルタ殿こそ、一騎当千の活躍でありましたぞ! そういえば、最後には崩落寸前の洞穴に飛び込んで、アリシュナ殿をお救いしておりましたな! 敵対国たるシムの民に手を差し伸べるその姿に、小官も大いに胸を揺さぶられたものです!」
「あ、いや、あれは……そちらの御方も分け隔てなく扱うべしと厳命されていたゆえですので……」
フォルタは気まずそうにしていたが、もちろんその行いを責めるような人間は存在しなかった。王国の法や習わしに厳格なロブロスも、素知らぬ顔でけんちん汁をすすっている。
この場には、遠征の参加メンバーが4名も居揃っているのだ。人々はそちらに大きな関心を寄せていたので、俺はいっそう静かに過ごすことができるようだった。
なおかつ、アイ=ファやゼイ=ディンはつい数日前まで飛蝗退治に奔走していたのだ。会話の切れ間には、マルスタインがそちらにもねぎらいの言葉をかけていた。
「このたびは、森辺の狩人らにも普段以上の負担をかけることになってしまったな。その後、ギバ狩りの仕事に支障はないだろうか?」
「うむ。サウティの血族などは相当に狩り場を荒らされてしまったため、事と次第によっては狩り場の移動や拡張を考えなければならないようだが……何にせよ、ギバの数に変わりはないのだからな。どうにかして、十分な仕事を果たせるように手を尽くすしかあるまい」
その美々しい装束には不似合いなほど凛然とした面持ちで、アイ=ファがそのように答えていた。
するとエウリフィアも、感じ入った様子で息をつく。
「森辺とダレイムの人々は、本当に大変な苦難だったわね。わたくしなどは城下町にこもってばかりで飛蝗の姿すら見ていないから、申し訳ない限りだわ。……オディフィアも、ずっとトゥール=ディンたちのことを案じていたものね」
「うん。みんな、ぶじでよかった」
オディフィアの熱のこもった視線を受けて、トゥール=ディンがにこりと微笑む。とたんにオディフィアも灰色の瞳を明るく輝かせて、透明の尻尾をぱたぱたと振りやったようであった。
「でも、そのように呑気なことを言っていられるのは、なんの職にもついていないわたくしのような人間だけなのでしょうね。本当はこの晩餐会に、ポルアースも招くはずだったのだけれど……ここ数日はあまりに多忙で眠るいとまも惜しんでいる様子だったから、声をかけるのを控えたぐらいであるのよ」
「はい。自分もこれまで通りの仕事を続けているだけでしたので、エウリフィアのお気持ちはよくわかるように思います。でもきっと、エウリフィアの存在を支えにしていた方々もたくさんおられるのだと思いますよ」
と、俺もひさかたぶりに発言させていただいた。
「たとえばガズラン=ルティムのお子さんなんて、まだ1歳にもなっていない赤ん坊ですが、ガズラン=ルティムの心をしっかりと支えていたはずです。もちろん苦労を担ってくれたのは、森辺の狩人や兵士の方々や、畑の復興にいそしむ人々なのでしょうけれど、まったく無関係でいられた人間なんて、ひとりもいないのだろうと思います」
「わたくしも、アスタ殿に賛同いたしますぞ! わたくしは、ジェノスの方々の団結力というものにも、大きく感銘を受けていたのです!」
ダカルマス殿下は満面に笑みをたたえつつ、その場にいる全員を明るい眼差しで見回した。
「邪神教団をこれほど速やかに撲滅できたのも、その団結力あってのことでありましょう! これならば、安心してデルシェアをおあずけできようというものです!」
「そのように仰るダカルマス殿下こそ、我々にとっては救いの神でありました。また、フェルメス殿とアリシュナについても、それは同様です」
マルスタインがそのように応じると、ダカルマス殿下はダン=ルティムばりにガハハと笑い声を響かせた。
「それは邪神教団を撲滅せんという大志あってのことでしょうが、それとは別に、ジェノスの有する魅力というものも大きく関わってくるのでしょう! ジェノスがこれほどに素晴らしい地であるからこそ、我々も故郷を守るような心地で力を尽くすことがかなったのです!」
「そうですな。わたくしも、ジェノスが邪神教団に蹂躙されるなどという運命は、まったく容認できない心地でありました」
フォルタは厳つい面にやわらかい微笑をたたえて、そう言った。
「それに、デヴィアス殿やガズラン=ルティム殿とともに刀を振るえたことは、わたくしにとって忘れられない記憶になることでしょう。あれは悪夢のごとき数日でありましたが……それと同時に、わたくしにとってはかけがえのない時間であったのです」
「まったくですな! 最後の最後で置き去りにされてしまった400名からの兵士たちなどは、みんな不満そうにぼやいていたものです!」
陽気に笑いつつ、デヴィアスは酒杯の果実酒をひと息にあおった。
そんなデヴィアスやフォルタのことを、ガズラン=ルティムは穏やかな眼差しで、アリシュナは沈着な眼差しで、それぞれ見守っている。きっとともに死線をくぐりぬけた彼らの間には、強い絆が結ばれることになったのだろう。
「……そういえば、クルア=スンはその後、大過なく過ごせているのでしょうか?」
と、ごくさりげない口調で、フェルメスがそのような質問をアリシュナに飛ばした。
アリシュナは静謐なる表情で、「はい」とうなずく。
「星図、乱された影響で、クルア=スン、星読みの力、強まったようですが……ジェノス、帰還する道中でも、力、落ち着きました。もはや、心、乱されること、ないかと思われます」
「では、かつて邪神教団にさらわれた少女ほど、身に余る力を授かっていたわけではないのですね?」
「はい」と応じつつ、アリシュナはわずかに背筋をのばしたようだった。
「ただし、星読みの力、体調や、星図の動き、影響されます。私、クルア=スンに、手ほどきすること、願っています」
「手ほどき……占星師としての、手ほどきですね?」
「はい。クルア=スン、正しく生きるのに、必要、思います」
アリシュナの目が、マルスタインとガズラン=ルティムを見比べた。
まずそれに応じたのは、ガズラン=ルティムである。
「私はジェノスに戻る道中でもそういった話をうかがっていましたので、族長らにはすでに伝達しています。ジェノス侯の許しが得られるならば、アリシュナとクルア=スンの望むように取り計らっていただきたいとのことです」
「わたしもすでに、アリシュナから懇請を受けていた。数日に1度、クルア=スンを城下町に迎えたいという話であったな。……それで占星師としての手ほどきをすることがかなうのであろうか?」
「かないます」と応じるアリシュナの声は、静かながらも確かな力が込められていた。
マルスタインは鷹揚に、「よかろう」と首肯する。
「星読みの力は正しく行使されなければ危険であるということが、このたびの一件でいっそう痛感させられた。わたしの名において通行証を準備するので、其方の望むように取り計らうがいい」
「感謝します、ジェノス侯」
アリシュナは複雑な形に指先を組み合わせて、一礼した。
クルア=スンについては俺もガズラン=ルティムから聞いていたので、ほっと安堵の息をつく。確かにクルア=スンの星読みの力――あるいは星見の力もずいぶん収まったようであるが、それでも騒乱の前とは比較にならないぐらいの力を手中にしてしまったようなのである。
端的に言って、クルア=スンは意識を集中すると、人間の抱く星の形が見えるようになってしまったのだそうだ。
よって、その気になれば、余人の行く末を見通すこともできてしまうのかもしれない。ならばやはり、それは星読みよりも星見の魔術に近い力であり――制御のすべを学ばなければ、チル=リムのように危険な状態に陥る可能性もあるはずであった。
(アリシュナだったら、きっとクルア=スンを正しい道に導いてくれるだろう。本当に、アリシュナみたいな人がジェノスにいてくれたことが、一番の幸運だったよな)
それにやっぱり、フェルメスとダカルマス殿下だ。ジェノスの民はまぎれもなく一致団結していたように思うが、外来の民たるこの3名がいなかったならば、いったいどのような顛末を迎えていたのか――ちょっと想像するのが怖いぐらいであった。
「ジェノスは、素晴らしい土地であります! 今宵限りで帰参しなければならないのが、惜しいほどですな!」
卓の料理もずいぶん尽きかけてきた頃、ダカルマス殿下がそのように言いたてた。
すると、この晩餐においてはもっとも寡黙であったロブロスが、謹厳きわまりない声で「おそれながら」と応じる。
「ダカルマス殿下のジェノス滞在は、本来ひと月ていどと見なされておりました。それがひと月半にのび、さらにはふた月近くにも及んでしまったのですから、これ以上は滞在をのばすことも困難でありましょう」
「それは十分にわきまえておりますぞ! この痛切なる無念の思いは、次の来訪時まで眠らせておく他ありませんでしょうな!」
「ダカルマス殿下は、またジェノスを来訪されるご予定があられるのですか?」
俺が何気なく問いかけると、ダカルマス殿下は「無論です!」と肉厚な胸を張った。
「デルシェアを帰国させる際には、わたくし自身が迎えにあがる所存ですぞ! それに、また新たな食材をジェノスにお届けしなければなりませんからな!」
「新たな食材? そちらの通商に関しては、もう契約も結ばれたのでしょう?」
「いえいえ! このたびとは、また異なる食材についてです! 何せこのたびは急な話でありましたため、王都に余剰のある食材しか持参することがかなわなかったのです! 今頃は、南の王都においてもさらなる食材がかき集められているはずですぞ!」
俺が言葉を失っていると、マルスタインが微笑まじりに説明してくれた。
「それはべつだん急ぎの案件でもなかったので、もともと送別の祝宴にて明かされる手はずになっていたのだ。南の王都より新たな食材が届けられるのは数ヶ月後となるので、心の片隅に置いておいてもらいたい」
「こ、今回とはまた別の、目新しい食材が届けられるのですか。南の王都には、そんなにも目新しい食材が存在するのですね」
「王都には、ジャガル中の食材が集められておりますからな! まあ、そのように取り計らったのは、わたくしなのですが! わたくしは10年がかりで、ジャガル全土の食材が王都に流通するように手立てを講じてみせたのです!」
「ダカルマス殿下はそれらの食材と引き換えにして、シムやセルヴァの食材をさらに買いつけるおつもりであられるそうですね」
フェルメスの相槌に、ダカルマス殿下は「左様です!」とエキサイトする。
「シムの食材はもとより、バナームの黒いフワノや白いママリアの酢、バルド内海のティンファやレムロムやアネイラの乾物といったものなども、わたくしにとっては未知の食材でありましたからな! それらをすべて買いつけるのに、今回の食材だけでは事足りぬことでしょう! わたくしは、大陸全土の食材を南の王都に流通させるのが悲願であるのです!」
「大陸全土――では、マヒュドラの食材も含まれるわけですね」
「無論です! こちらのジェノスを起点とすれば、それも不可能ではありませんでしょう! 現時点でも、こちらにはゲルドの方々を通じて、マヒュドラの食材が何点か流通しているのですからな!」
そう言って、ダカルマス殿下は実に朗らかに微笑んだのだった。
「つまり、わたくしの悲願が達成される頃には、通商の起点となるこのジェノスにおいても大陸全土の食材が集結するということです! アスタ殿がそれらの食材でどのような料理を作りあげるのか、想像しただけで胸が高鳴ってしまいますな!」
どうやら最後の最後まで、ダカルマス殿下のスケールというのは俺の想像を超越するようであった。
しかし、邪神教団に比べれば、なんと前向きで無邪気な悲願であろうか。俺は何だか、真夏の陽光を満身に浴びるような清々しさを覚えることになった。
「では、新たな食材とダカルマス殿下のお越しを、心待ちにしています。明日からの道中も、どうぞお気をつけください」
「はい! アスタ殿も、どうぞお元気で! 不肖の娘を、よろしくお願いいたしますぞ!」
ダカルマス殿下は、出会ったときから何ひとつ変わっていない。しかし、当初は少なからずはた迷惑に思えたその強引さや奔放さが、今は好ましく思えてならなかった。
きっとアイ=ファも、同じ心地であるのだろう。ダカルマス殿下やデルシェア姫を見る眼差しが、とても穏やかだ。
そうしてすべての料理が尽きたならば、食後の菓子が運ばれてくる。トゥール=ディンが試食会で勲章を授かったスイート・ノ・ギーゴと、礼賛の祝宴でお披露目したガトーラマンパだ。どちらもどっしりとした味わいであったものの、それに不満げな顔をする人間は存在せず、オディフィアなどはもちろん幸福そうなオーラを渦巻かせながら大事そうに食していた。
そしてそれをも食べ終えたならば、ついに最後の余興である。
小姓たちの手によって、右手側の衝立が除去されると――そこには、リコとベルトンが立ち並んでいた。
「本日はわたしどものように卑しき旅芸人をお招きくださり、心より感謝しております。拙い芸ですが、わずかなりともお楽しみいただけたら望外の喜びでございます」
そのように語るリコは、簡素ながらも城下町の準礼装であった。ベルトンも同様の姿で、言っては何だがとても可愛らしい。
「ああ、ようやくあの傀儡の劇を拝見できるのですね! わたくしは、ずっと心待ちにしていたのです!」
デルシェア姫が、はしゃいだ声をあげている。ロブロスやフォルタはかつてジェノスに向かう道中でリコたちの傀儡の劇を観る機会があったそうだが、デルシェア姫とダカルマス殿下はこれが初見であったのだ。
よって、披露されるのは『森辺のかまど番アスタ』である。
これは事前に告知されていたので、アイ=ファも懸命に羞恥心をこらえている様子であった。
もちろん俺も、存分に羞恥心をかきたてられている。
しかし今はそれ以上に、嬉しい気持ちもわきあがっていた。ダカルマス殿下とデルシェア姫に、もっと自分や森辺の民や、それにジェノスのことを知ってもらいたい――という気持ちが生まれていたのである。
王族の方々を友などと称するのは、あまりに無礼な話なのであろうが――それでも同じ苦難を乗り越えたダカルマス殿下たちは、もはや同志のようなものであった。
それにきっと俺たちは、もっと団結するべきであるのだ。
邪神教団というおぞましい勢力に屈しないように、すべての王国の民は手を携えるべきなのではないかと――俺は、そんな思いに達してしまっていた。
俺は、この世界を大切に思っている。まったく異なる世界で生を受け、この大陸アムスホルンではまだ2年ていどの歳月しか過ごしていない俺が、これほど強い気持ちでこの世界を大切にしているというのに、どうして邪神教団の面々はこの世を呪うことしかできないのか――それを思うと、俺にもガズラン=ルティムの悲しみが少しは理解できるような気がした。
「……お前はずいぶん晴れやかな顔をしているようだな、アスタよ」
と、観劇のために設えられた席のほうに移動しながら、アイ=ファがこっそりそんな風に呼びかけてきた。
俺は心のままに、「うん」と笑顔を返してみせる。
「本当に今回は、これまでで一番厄介な騒ぎだったかもしれないけど……そのおかげで、俺は自分にとって何が大切なのか、再確認できたような気がするよ」
アイ=ファは俺の目を真っ直ぐに見返しながら、「そうか」と微笑んでくれた。
「まあ、込み入った話は家に帰ってからにするべきであろう。今は、最後の試練を乗り越えなければならないからな」
「あはは。試練ってのは、さすがに言いすぎじゃないか?」
「何を言うか。これから過ごす半刻のことを思えば、まだしも狂暴になったムントを相手取るほうが安楽であろう」
そのように語るアイ=ファは、とても穏やかな面持ちであった。
きっと何を語るまでもなく、俺の心中などは察してくれているのだろう。
俺の根本にあるものは、この『森辺のかまど番アスタ』の中で語られている時代から、何も変わっていないのだ。
邪神教団がそれほどまでにこの世界を憎んでいるというのなら、俺はそれ以上に強い気持ちでこの世界を大切にしてやろう。
そんな思いを噛みしめながら、俺はアイ=ファとともに最後の試練を乗り越えるべく、観劇の席に着席したのだった。