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異世界料理道  作者: EDA
第六十五章 黒き竜の災厄
1119/1683

復興の日々④~期待と不安~

2021.11/18 更新分 1/1

 それからの3日間、俺はきわめて落ち着かない心地で過ごすことになった。

 討伐部隊から派遣された使者の言葉はすみやかにジェノス全土に布告されて、邪神教団の討伐が完了したことが知らしめられたのだが――討伐部隊の安否に関しては、その後もまったく不明のままであったのである。


「討伐部隊の本隊は辺境区域の奥深くに踏み入っていきましたが、そこからもっとも近在に位置する宿場町には、移動に使ったトトスや車を守るための部隊が待機しておりました。それで青の月の8日に任務完了の狼煙があげられたため、居残っていた部隊の中から取り急ぎ使者が出されたということですね」


 森辺に詳細を伝えに来てくれた武官は、そのように語らっていた。

 その宿場町から邪神教団の本拠までは徒歩で2日の距離と見なされていたため、ジェノスにやってきた使者自身も本隊の無事は確認していなかったのである。それでも邪神教団の討伐が完了したことは一刻も早くジェノスに伝えなければならなかったため、単身でトトスを飛ばしてきたとのことであった。


「つまり、討伐部隊の本隊はまだ辺境区域に留まっているか、今日になってようやくそちらの宿場町まで到着した頃合いということになるわけです。同行した森辺の方々がご無事であるか、さぞかしご心配なところでしょうが……どうか3日後の帰還をお待ちください」


 そんな言葉を残して、使者たる武官は立ち去っていった。


「ま、ガズラン=ルティムたちなら、心配いらねーだろ。ちっとぐらいは手傷を負うかもしれねーけど、そうそう後れを取ることはねーって」


 その日の夜の晩餐において、ルド=ルウは眠そうな顔で笑いながら、そんな風に言っていた。

 他の人々も、過度に心配はしていないようだ。森辺の狩人の出兵が決定した時点で、すでに覚悟は固められているのだろう。出兵の日にガズラン=ルティムが言っていた通り、森辺の民というのはどれほど心配であっても心を揺らさず、ただ信じて待つことのできる一族であるのだった。


(だからやっぱり、新参者の俺はまだまだ覚悟が足りてないってことだよな)


 そんな風に考えた俺は、内心の不安を懸命にねじ伏せながら、日々を過ごしていた。

 で、俺のそんな心境も、アイ=ファにはすべてお見通しであったのだった。


「お前がガズラン=ルティムやライエルファム=スドラたちの身を案ずる気持ちはわかる。しかし何にせよ、討伐部隊は邪神教団に勝利したのだ。それならば、これまでよりは無事に戻れる公算が高まったということなのだから、少しは心をなだめるがいい」


「うん。アイ=ファにまで心配させちゃって、ごめんな。森辺の民としての覚悟が足りなくって、不甲斐ないよ」


「……お前は森辺の民としてまだ2年の日しか過ごしていないのだから、これから成長していけばいいのだ」


 と、アイ=ファはとても優しい顔で微笑んでくれたのだった。


 ともあれ、俺は母なる森に同胞の無事を祈りつつ、日々の仕事に取り組むしかない。討伐部隊が帰還するまでの3日間、止めようのない焦燥は腹の奥底に封じ込めて、自分の仕事を果たす所存であった。


 屋台の商売は順調であるし、新メニューたる『ギバの玉焼き』も好評だ。

 それに、邪神教団の討伐が完了したことにより、宿場町は目に見えて活気が戻っていた。おそらくは、近在の領地に避難していた人々が舞い戻ってきたのだろう。荷車で半日の距離であるダバッグや北方のベヘットという宿場町などは、ここ数日大変な賑わいであったという風聞を聞くこともあった。


 それに、森辺における飛蝗の退治に関しても、着実に進展していた。

 青の月の10日を過ぎる頃には、集落から半日で戻れるすべての区域で駆除が完了したという報告が届けられることになったのだ。

 あとはそれより奥深くの、本来の狩り場より遠方の区域のみである。なおかつ、そちらはそれほど被害もひどくないようだという見込みが、すでに立てられていた。


「何せあいつらは食欲が旺盛すぎて、手近な草葉をたいらげずにはいられない習性であるようだからな。あちこち移動しては恵みを好きに喰い荒らすギバよりは、よほど御しやすい獲物であるのだ」


 アイ=ファは、そんな風に言っていた。

 何にせよ、それで狩人の半数はギバ狩りの仕事を再開させることがかなったわけである。


 また、その頃にはダレイムのほうでも、すべての飛蝗を駆除できたものと布告されていた。高い木の上などに逃げられると兵士たちには手も足も出ないため、ダレイムでは畑の警護に注力しており、雑木林の飛蝗の駆除は後回しにされていたのだ。

 それでも10日ばかりの時間をかけて、兵士たちも何とか駆除を完了させることができた。もしものときには森辺の狩人に手伝いを懇請する算段が立てられていたようだが、その前に自分たちの手で仕事を果たしてみせたのだ。


 そういった話が布告されたことにより、ついに宿場町では外套で身を隠す人間もいなくなり、森辺においても雨具の着用は不要と見なされることになった。

 それが邪神教団の討伐完了とほぼ同時期のことであったので、町の人々はいっそう暗雲が晴れたような心地であったことだろう。

 森辺においてはムントの狂暴化という問題も残されていたし、狩人たちの負担もまったく減じていなかったが――それでも宿場町の賑わいは、そこで働く俺たちの心を励ましてくれた。


「だからそのぶん、リミたちは狩人のみんなを励ましてあげないとね!」


 そんなリミ=ルウの号令によって、ルウ家では毎日晩餐の献立に頭をひねっていた。少し余分の銅貨を出せば、これまで通りの野菜を城下町から買いつけることもかなうのであるが、この状況は数ヶ月ばかりも続くのだから、アリアやタラパが恋しいという声が家族からあげられるまでは、すぐに手に入る食材で何とかしようというのが基本的な方針であった。


 ただ唯一の例外は、チャッチである。ルド=ルウがチャッチを好物にしていたため、これは優先的に城下町から取り寄せることになったのだ。

 討伐部隊の帰還予定日である青の月の13日の前夜、俺たちはひさびさにハッセルバックチャッチをこしらえて、眠そうな顔をしたルド=ルウに快哉をあげさせたのだった。


「やっぱり、こいつも美味いよなー。ま、ころっけにはかなわないけどよー」


「ころっけはアリアも必要だし、うすたーそーすにはもっと色んな食材が必要なんだよねー。ルドが我慢できなくなったら、城下町で野菜を分けてもらおうね!」


 それこそ弟をなだめるお姉さんのような口調で、リミ=ルウがそんな風に励ましていた。

 ちなみに今宵のハッセルバックチャッチは森辺の民の好みにあわせて、ペルスラの油漬けではなくギバ・ベーコンを使っている。切れ目を入れたチャッチにギバ・ベーコンとギャマの乾酪をたっぷりはさみこんで、副菜としてはボリュームたっぷりのひと品であった。


 アイ=ファやドンダ=ルウたちは黙々と食事を進めているが、その旺盛な食欲が満足度を示してくれている。逆にまた、どれだけ疲労困憊の状態にあっても食欲の減退しない狩人たちの逞しさが、俺たちの心を安らがせてくれるのだった。


 そうしてその夜の晩餐も、終わりに差し掛かった頃――俺のかたわらで丸くなっていたサチが「なう」と鳴いて、来訪者の存在を告げた。しかし土間のジルベは静かなままなので、これは森辺の同胞がやってきたということである。


「夜分に失礼する。こちらはドムの家長ディック=ドムと、3名の家人たちだ」


 くたびれ果てている男衆が動く前に、ララ=ルウが素早く腰をあげて玄関に向かった。

 そこから現れたのは、まぎれもなくディック=ドムと――それに、レム=ドム、ディガ、ドッドの3名であった。


「まだ晩餐のさなかであったか。長い話ではないので、ここから言葉を伝えたく思う」


「うむ。サウティの集落で、何か変事か?」


 ドンダ=ルウが座したまま言葉を返すと、ディック=ドムは「いや」と応じた。


「変事が終わったことを告げに来た。森辺南方の区域も飛蝗の駆除が完了したため、明日からは手の足りていない場所に移ろうかと思う」


「へー、そっちも片付いたのか」と、ルド=ルウがまぶたの下がりかかった目もとをこすりながら、ドンダ=ルウのほうを振り返る。


「あれ? だけどこっちも仕事が片付いたから、明日からサウティのほうを手伝おうって話じゃなかったか?」


「ああ。他の氏族の者たちも、今日からサウティの血族と合流していたはずだな」


「うむ。それだけの氏族が合流したため、すみやかに仕事を果たすことがかなったのだ。サウティの血族の狩り場から、狩り場ならぬ狭間と奥部、および南方の街道沿いの区域においても、もはや飛蝗の痕跡は見られない。ルウのほうでも仕事が片付いたということは……残りは、ダイの血族らが受け持っている区域であろうか?」


 その区域は、アイ=ファも担当のひとりである。

 さまざまな人々から視線を送られたアイ=ファは、綺麗に片付いたスープの皿を敷物に戻しつつ、凛然と答えた。


「報告が遅くなってしまったが、我々も今日の夕刻に仕事を終えている。晩餐の後にでも、いずれの場所に移るべきか、ドンダ=ルウに尋ねようかと考えていたのだ」


「それじゃあ、すべての場所で仕事が片付いたってこったな!」


 そんな声を高らかに響かせるや、両腕をのばしたルド=ルウが後ろざまにひっくり返った。


「あー、ようやく終わったー! 明日は中天まで寝てやるぞー!」


「ふん。それでもしばらくはムントどもが厄介だし、これまでの分までギバを狩らねばならんことを忘れるなよ」


 ドンダ=ルウが厳粛なる声で言いたてると、ルド=ルウは「そんなの、かまわねーよ!」と元気に応じた。


「朝から森に入らなくて済むだけで、十分以上だろ! ギバだろうがムントだろうが、いくらでも狩ってやらあ!」


「ふん。……さすがに明日ぐらいは、休息をくれてやろう。明日はちょうど、厄介な仕事を終えた連中が戻ってくる日取りだしな」


 すると、リミ=ルウが「わーい!」と飛び上がって、ドンダ=ルウのがっしりとした首にかじりついた。


「みんな、お仕事お疲れさまー! 明日はいーっぱい遊ぼうねー!」


「遊びではなく、休息の日だ」


「なんでもいいよ! とにかく、お疲れさまー!」


 きっとリミ=ルウも、普段は客人の前で家長に甘える姿を見せないように心がけているのだろう。しかし今は喜びの塊と化して、ドンダ=ルウの仏頂面に頬ずりをしていた。

 また、他の女衆たちも、無言のままに表情と眼差しで喜びをあらわにしている。コタ=ルウなどはきらきらと瞳を輝かせながら、ジザ=ルウの膝に取りすがっていた。

 ジザ=ルウはそんな愛息の小さな頭に手の平を乗せつつ、土間にたたずむディック=ドムたちを振り返る。


「ところで、ドム本家の家長たるディック=ドムが、自らそのような言葉を届けに来たのであろうか? それに、供の数もずいぶん多いようだが」


「うむ。どうせならば、ルティムの家で夜を明かそうかと思ってな」


 ディック=ドムが短い言葉で答えると、レム=ドムが横から「そうそう」と口を出した。


「わたしたちはずっとサウティの血族の家に泊まり込んでて、ルティムの人らと言葉を交わす機会もなかったしね。モルン・ルティムもさぞかし心配してるだろうから、ルティムの人らがどれだけ元気か伝えてあげないといけないのよ。……あと、こいつらも挨拶をしたい人間がいるでしょうしね」


 そんな風に語るレム=ドムも、はにかむように笑うディガやドッドも、みんな眠たげな面持ちであった。

 ただそれ以上に、彼らも喜びをあらわにしている。飛蝗の駆除がついに完了したのだという喜びが、じわじわせりあがってきたのだろう。


「ジェノスを離れた者たちの戻ってくる日の前日に、すべての飛蝗を退治し終えたというのは……何より、幸いなことだな。俺たちも、明日は仕事を休んで同胞の帰りを待ちたく思う」


 そんな言葉を残して、ディック=ドムらは立ち去っていった。

 戸板を閉めて閂を掛けたララ=ルウは、満面の笑みで家族たちを振り返る。


「ドンダ父さん、ジザ兄、ルド、アイ=ファ、みんなお疲れ様! 明日は何もしなくていいから、ぐっすり休んでね」


「あー、最初っからそのつもりだよ」と、腕を枕にしたルド=ルウがあくびまじりに答える。

 するとジバ婆さんも、透き通った眼差しで家族たちを見回した。


「あとは、ディグド=ルウたちが無事に戻ってくるのを待つばかりだねぇ……母なる森よ、どうぞ大きな仕事を果たした同胞たちに幸いを……」


「心配ねーって。ディグド=ルウは死ぬほどの深手を何回負っても、ああして元気に生き永らえてるんだからよ」


 広間には、温かい空気が満ちみちている。

 そんな中、アイ=ファが気がかりそうな視線を向けてきたので、俺は「大丈夫だよ」と囁きかけてみせた。


「もちろん、みんなの元気な姿を見るまでは、心から安心することもできないけど……俺も、森辺の狩人の強さを信じるよ」


「うむ。ガズラン=ルティムらであれば、その卓越した力で仕事を果たしてくれたことであろう」


「それに、アイ=ファたちもな。今日まで、本当にお疲れ様。……明日からは、ファの家でぐっすり休もうな」


 アイ=ファは頭をかくふりをして余人からの視線を防ぎつつ、「うむ」と微笑む顔を俺だけに見せてくれた。


                  ◇


 そして、翌日――

 口では偉そうなことを言いながら、俺はいよいよ切羽詰まった気持ちで宿場町に向かうことになった。


 飛蝗の駆除が完了したことは朝から連絡網で回されたため、他のかまど番たちは大いにわきかえっている。ディック=ドムが言っていた通り、飛蝗の始末が完了した翌日に同胞たちがジェノスに戻ってくるということで、誰もが大きな喜びを授かることがかなったのだ。


 そして、飛蝗の一件は朝一番でリャダ=ルウが城下町にまで伝えてくれたので、俺たちが宿場町に下りる頃にはお触れも回されて、大変な賑わいになっていた。これで完全に邪神教団にまつわる災厄は終結したのだと、まるで復活祭が再来したような騒ぎになってしまっていたのだった。


「遠征してた兵団が戻ってきたら、町の連中に果実酒をふるまうんだとよ。うちの宿にも、どっさり届けられたんだ」


 屋台を借り受けるために《キミュスの尻尾亭》まで出向いてみると、レビは笑顔でそんな風に言っていた。

 さらに、露店区域に向かってみると、青空食堂の正面のスペースに衛兵たちが待機していた。そこに積み重ねられているのも、やはり果実酒の樽である。これは本当に、復活祭を思わせるふるまいであった。


(マルスタインたちにしてみれば、ジェノスはもう安全だって全力でアピールするべきタイミングだろうからな)


 もちろん俺も、この騒ぎを心から喜ばしく思っている。ただ、胸の奥底に不安な気持ちが残されているため、二重の意味で浮足立っているようなものであった。

 遠征部隊の兵士たちの家族であれば、きっと俺の心境も理解できるだろう。あるいはそういった人々も、森辺の民のように覚悟を固めているのであろうか?

 そんなことは知るすべもなかったので、とにかく俺は自分を律して、討伐部隊の帰還を待ち受ける他なかった。


「よう、アスタ! ついに、みんなが戻ってくる日だな! 早くガズラン=ルティムたちの無事な姿を拝ませてもらいたいもんだよ!」


 そんな風に言いたてたのは、早い時間から屋台を訪れてくれた建築屋のひとり、メイトンであった。


「南にある宿場町からジェノスまでは、荷車でのんびり進んで半日ってところだ。だからまあ、到着するのは中天ぐらいだろうな」


「ええ。みなさんも、ジェノスに到着するのはいつもそれぐらいですもんね。……本当に、待ち遠しいところです」


 屋台を訪れる人々も、俺に負けないぐらいそわそわとしていた。ジェノスと関係の薄い人々でも、いつ600余名の兵団が街道をのぼってきて、果実酒がふるまわれることになるのかと、期待をふくらませているのだろう。まるで町そのものが沸騰しているかのようである。


 そんな中、俺以上に不安をあらわにしている人物が、ひとりだけいた。

 トゥール=ディンである。

 俺が食材の補充のために荷台のほうまで出向いてみると、隣の荷車のかたわらにたたずんだトゥール=ディンが、両手をあわせて一心に祈っていたのだった。


「……大丈夫かい、トゥール=ディン?」


 はっとした様子でこちらを振り返ったトゥール=ディンは、たちまちその瞳を涙で曇らせ――こらえかねたように、俺の胸もとに取りすがってきたのだった。


「申し訳ありません……どうしても、クルア=スンの身が心配になってしまって……」


「うん、気持ちはわかるよ。俺だって、みんなのことが心配でたまらないからね」


 クルア=スンは女衆の身でありながら、討伐部隊に同行しているのだ。幼い頃から懇意にしているトゥール=ディンが不安に押し潰されそうになっても、なんら不思議とは思えなかった。


「でも、大丈夫だよ。きっとみんな、元気な姿で戻ってきてくれるさ。森辺の狩人が36人もそろってる上に、600名もの兵士たちが一緒なんだからね」


「はい……」と小さく肩を震わせてから、トゥール=ディンは身を離して涙をぬぐった。それから、感じやすい頬を赤く染めて、俺の顔をおずおずと見上げてくる。


「ほ、本当に申し訳ありません。……で、できればその、アイ=ファには黙っておいていただけるとありがたいのですが……」


「うん。俺も足を蹴られたくないからね」


 と、俺が明るく努めた声で答えたとき――往来に、歓声が響きわたった。

 俺とトゥール=ディンは食材を運ぶことも忘れて、屋台のほうに舞い戻る。


 すべての人々が、南の方角を向いていた。

 あの災厄の日には、多くの人々が飛蝗に埋め尽くされた南の空を仰いでいたものだが――今日は誰もが真っ直ぐ街道の果てを見据えており、そして表情を輝かせている。そうして同じ方向を向いたまま、街道の左右に別れ始めたのだった。


 屋台の前にも人が押し寄せてしまったため、往来の様子はさっぱりわからなくなってしまう。

 俺は意を決し、トゥール=ディンを手招きしてから、荷車のほうに駆け戻った。


 街道からはいっそう遠ざかってしまったが、御者台にのぼれば高さが稼げて、あちらの様子をうかがうことができた。

 南の果てに、兵団の影が見える。

 俺がこれまでで初めて目にするほど、大勢の兵士たちである。トトスを引いた兵士たちが先頭に立っており、その後にはトトス車の行列が続いた。


 たとえ負傷者が出ていたとしても、それは車で運ばれているだろうから、目に見える兵士たちはいずれも壮健な姿だ。10日以上にも及ぶ長旅のおかげで外套や甲冑は砂塵まみれであったものの、その足取りは力強く、面頬をあげた顔には勇壮なる表情がたたえられていた。


 トトスの手綱を握った兵士だけでも100名以上、車などは何十台なのか見当もつかないほどである。600名を数える兵士が遠征するには、これだけの準備が必要であったのだ。


 街道をふさいでしまわないよう、おびただしい数の車が1列になって進んでいく。それを見送るだけで、かなりの時間が必要とされた。

 そして――ついにそれらの車もすべてが通りすぎて、また何名かの騎兵たちが続いた後、しんがりに森辺の狩人の姿が見えたのだった。


 人数は、10名ほどである。

 その先頭に、ガズラン=ルティムの姿があった。

 どこにも怪我を負った様子はない。俺が知っている通りの、ガズラン=ルティムの頼もしい姿であった。


 その姿を目にしただけで、俺が涙ぐみそうになったとき――往来までは何メートルもあるのに、ガズラン=ルティムがふっとこちらを振り返った。

 そうしてトトスの手綱を引いたまま、空いていた手を口もとにやって、ガズラン=ルティムはその言葉を届けてくれたのだった。


「魂を返した者はいません!」


 往来にはとてつもない歓声が巻き起こっているのに、その言葉は真っ直ぐ俺の胸に突き刺さってきた。

 そうしてガズラン=ルティムは俺のほうに軽く手を振ってから前方に向きなおって、そのまま通り過ぎていったのだった。


 きっとガズラン=ルティムは俺の内に渦巻く不安を察して、あんな言葉を届けてくれたのだろう。

 10日以上もかかった遠征から戻るなり、俺のことを気づかってくれたのだ。ガズラン=ルティムというのは、そういうお人なのである。

 そんなガズラン=ルティムの優しさが、俺の心をやわらかく包み込み――そうして俺は、こらえようもなく涙をこぼしてしまったのだった。

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― 新着の感想 ―
[一言] ガズラン=ルティムがかっこよすぎる。 みんなが無事で本当によかった!
[一言] みんな無事に帰ってこれてよかった・・・。
[気になる点] これからガズラン=ルティムが討伐のあらましを語ってくれるのでしょうか?仕込まれた寄生虫がまだ火種のように燻ってる気がしてなりません。
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