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異世界料理道  作者: EDA
第六十五章 黒き竜の災厄
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復興の日々②~再会~

2021.11/16 更新分 1/1

「まったくさー! ちょっと目を離しただけで、こんな騒ぎになってるんだもん! つくづくジェノスってのは、静かに過ごすことができない町みたいだね!」


 そんな風に語らいながら、ディアルはおひさまのように笑っている。その背後から、従者のラービスもあたふたとディアルを追いかけてきた。


「アスタたちは昨日も屋台を休んでたって話だったから、いつになったら会えるのかなーって僕もやきもきしてたんだー! あ、僕もついさっき、ジェノスに到着したところなんだよ! 普通だったら中天ぐらいに到着するんだけど、アスタたちが心配だったから日がのぼる前に荷車を走らせたのさ!」


 マシンガンのように語りたおすディアルの言葉がいったん途切れたところで、先導役のマルスが「おい」と声をあげてきた。


「こんな場所で立ち止まっていたら、通行の邪魔になろう。目的の場所はもう目の前なのだから、歩は止めぬまま語らうがいい」


「あ、申し訳ありません。ディアル、そういうことでいいかな?」


「うん、もちろん! ユーミとは、もうたっぷり喋ったからさー!」


 俺たちが止められていた歩を再開させると、ディアルは跳ねるような足取りでついてきた。数日ぶりにご主人様と会えた子犬のようなはしゃぎっぷりである。


 ディアルが故郷に戻ったのは朱の月の終わり頃となるので、もう2ヶ月以上が経過している。もともとディアルの里帰りは2ヶ月ていどと聞いていたので、いったいいつになったら戻ってくるのかと、つい数日前まではそのように考えていたのだが――飛蝗にまつわる騒ぎのせいで、俺はすっかりディアルのことも失念してしまっていたのだった。


「ディアルのほうも元気そうで、何よりだったね。……でも、ちょっと印象が変わってたから、最初は驚いちゃったよ」


「えー? 2ヶ月ちょっとで、そんな変わったりしないでしょ!」


「でもほら、その髪がさ」


 ディアルは男の子のようなショートヘアであったが、現在はのびかけの髪を後ろでくくっていたのだ。それこそちょろんと小さな尻尾が生えたていどのものであったが、それなりの変化であることに違いはないだろう。

 が、ディアルは何故だか真っ赤になって、俺のことをにらみつけてきた。


「べ、別にいいじゃん! のびた髪が首にあたって鬱陶しいから、紐でくくってるだけだよ! 僕が髪をのばしたら、アスタに迷惑でもかかるっての?」


「いや、そんなことは言ってないけど……きっとディアルは、長い髪も似合うだろうしね」


「うるさいったらー!」と、ディアルは俺の肩をぽかぽかと叩いてきた。アイ=ファの目がなかったのは、誰にとっても幸いなことである。


 そんな風に騒いでいる間に所定のスペースに到着してしまったため、俺は屋台の準備をしながらディアルと語らうことにした。ルウ家と合流して40名にまでふくれあがった衛兵たちは邪魔にならない形で屋台を取り囲み、ジルベとサチは俺の足もとで待機だ。


「それで、ジェノスが心配で朝早くに出立したって話だったよね。ディアルはどこで、そんな風聞を耳にしたのかな?」


「どこでも何も、道中でジェノスの兵団と行きあったんだよ! あんな大きな兵団がジャガルに向かって突進していくもんだから、いったい何事かと思っちゃったよ! しかも、森辺の民までまじってたから、なおさらね!」


 そんな風に言いながら、ディアルがぐぐっと顔を近づけてくる。


「それで事情は、昨晩逗留した町で聞くことになったんだけど……森辺の民まで徴兵されるなんて、ただごとじゃないよね! あの兵団は、どれぐらいの規模だったの?」


「半個大隊、500名だってさ。あと、南の王都の部隊が100名で、森辺の狩人が36名だね」


「わー、すごい! そんなのもう、ほとんど戦争じゃん! ……でもまあ相手が邪神教団だったら、それぐらいの兵力が必要ってことかあ」


 ディアルは、感じ入ったように息をつく。赤の月にはまだ彼女もジェノスに逗留中であったため、邪神教団にまつわる騒動もわきまえているのだ。


「あっ! あとね、僕はついさっきダレイムの南端で、バランたちにも会ってるんだよ!」


「え? どうしておやっさんたちが、そんな場所に?」


「あっちのほうでは、家の屋根まで飛蝗ってやつに食べられちゃったんでしょ? 村のお人らは畑のほうを何とかしなくちゃいけないから、バランたちが屋根の修繕を任されたんだってさ! これでまたジェノスに逗留する期間が長引きそうだって、嬉しそうにぼやいてたよ!」


 笑顔でそんな風に言ってから、ディアルはすぐさま真剣な表情になる。ころころと表情が変わるのが、彼女の個性であり魅力でもあった。


「その村落も、街道沿いにあったからさ。バランたちが働いてるのを見かけて、慌てて車をとめさせたんだよ。あっちの村落は……ひどい有り様だったね。飛蝗なんて風聞でしか知らなかったけど、あんな恐ろしいものだとは想像もしてなかったよ。畑とか家の屋根ばかりじゃなく、周囲の雑木林まで丸裸になっちゃってたもん。それこそ、神の怒りにでも触れたみたいな有り様だったね」


「神の怒りか……神は神でも、邪神だけどね」


「うん! 邪神教団なんていう胡散臭い連中がジャガルにひそんでるなんて、考えただけぞっとしちゃうよ! ……でもまあ森辺のお人らも力を貸してくれるなら、そんな連中に負けっこないよね! アスタも心配だろうけど、みんなの無事な帰りを待とうよ!」


「うん、ありがとう。俺もそのつもりだよ」


 俺が笑顔を返すとディアルもにぱっと笑ったが、その顔はすぐに曇ってしまった。


「……ところでさ、これはさっき城下町で聞いたんだけど……あの兵団にあいつが同行してるって、ほんとなの?」


「あいつ? ……ああ、もしかしたら、アリシュナのことかな?」


 アリシュナは進軍の吉凶を占うという名目で、討伐部隊に同行している。それはおおっぴらに布告されていない代わりに隠匿もされていなかったので、城下町であれば風聞が出回っていても不思議はなかった。


「なんかよくわかんないけど、ジェノスに逗留してるジャガルの王子の指示で、あいつは同行することになっちゃったんでしょ? 南の王子が東の民を領地に引き入れるなんて、意味わかんないよ! 第六王子のダカルマス殿下ってのは、風聞以上の変人みたいだね!」


「うん。ディアルはもともとダカルマス殿下のことをご存じだったのかな?」


「知るわけないじゃん! 王都なんて、行ったこともないもん! ただ、ジェノスには王子殿下の風聞があふれかえってたからね! まだジェノスに到着して何刻も経ってないのに、あちこちで名前を聞くことになったよ」


 そんな風に言ってから、ディアルは深々と息をついた。


「あいつ、大丈夫かなあ。ジャガルでおかしな騒ぎになってなきゃいいけど……東の民が南の領地に足を踏み入れるなんて、普通じゃ考えられない話だし……」


「ダカルマス殿下の許しがあってのことだから、大丈夫なんじゃないかな。それに邪神教団ってのは、山野にひそんでるはずだからね。街道をあるていど南下したら、すぐ人里から離れるはずだよ」


 顔をあわせれば喧々と言い合いを始めるディアルとアリシュナであるが、もはや2年近いつきあいであるのだから、存分に情は移っているのだろう。しかしそれを公にすることのできないディアルは、ひとり悶々と思い悩んでいた。


「邪神教団を相手取るのに王国の民同士でいがみあってる場合じゃないってのが、ダカルマス殿下の主張らしいからね。アリシュナはシムを追放された身だけど、それでも王国のために力を尽くそうっていう気持ちなんじゃないのかな」


「うん……それは立派な心掛けだと思うけどさあ……」


 と、ディアルがまた嘆息をこぼしたとき、準備中の屋台の前にわらわらと人が集まってきた。


「よう! 屋台を再開するんだな! 昨日は姿を見せなかったから、心配してたんだよ!」


 それは常連客である、宿場町の民たちであった。用心深く革の外套を纏いつつ、嬉しそうに顔をほころばせている。


「ありがとうございます。もうすぐ準備できますので、少々お待ちくださいね」


「ああ! 昼はやっぱり、ここの屋台の料理を食わないとな! 宿屋の連中の屋台も悪くはねえが、やっぱりちょいと物足りなくってよ!」


 名前も知らない人々のそんな言葉が、俺の心に深い感慨を与えてくれた。

 俺たちは、こういった人々のために屋台を再開させることになったのだ。そのように取り計らってくれたメルフリードたちに、今さらながらに感謝したい心地であった。


「あ、そうだ! アスタから注文されてた品も、仕上がったんだよ! アスタたちと会えるかどうかわからないから、城下町に置いてきちゃった!」


 と、横合いからはディアルがくいくいと袖を引っ張ってくる。


「あ、そうなんだ? けっこう面倒な注文もしちゃったと思うけど、無事に完成したのかな?」


「うん! 僕はばっちりだと思ってるよ! 今すぐ、アスタに見てもらいたいところだけど……でも、どうしよう。料理の匂いを嗅いでたら、おなかがきゅるきゅる言い始めちゃった」


「あはは。そんなの、料理を食べ終わってからで十分だよ。どっちみち、商売が終わるまではじっくり拝見することもできないからさ」


「それじゃあ、後で運んでくるね! ラービス、僕たちも屋台に並ぼー!」


 ディアルがてけてけと駆けていき、ラービスはまた無言で追いかけようとする。その背中に、俺は慌てて声をかけることになった。


「あの! ラービスもお元気そうで何よりです! 挨拶が遅れてしまって、申し訳ありません!」


 すでに駆け出そうとしていたラービスは、首だけをこちらにねじ曲げて一礼し、主人の後を追いかけていった。

 ディアルもラービスも、本当に相変わらずのようだ。その存在は、俺にさらなる力を与えてくれたのだった。


(ジェノスがこんな目にあってるって知っても、ディアルたちは迷わず駆けつけてくれたんだ。そういう人たちのためにも、俺たちは頑張らなくっちゃな)


 そうして屋台の準備ができる頃には、普段と変わらないぐらいの人々が集まってくれていた。

 そういった人々の半数ぐらいは、革の外套を纏って不安そうに視線を巡らせている。飛蝗の出現を恐れつつ、それでも料理を買いに出向いてくれたのだろう。俺はひとりずつお礼を言って回りたいぐらいの心境であったが――ここは精一杯の思いを込めて、料理を届けるしかなかった。


 一緒に働く森辺のかまど番たちも、雨具のせいで大汗をかきつつ、それでも満身から意欲と喜びの念をほとばしらせている。自分の仕事が人々に喜びを与えているのだという充足感と、同じジェノスの地で苦難を乗り越えようという連帯感のようなものが、その身に満ち満ちているのだろう。少なくとも、俺自身はそうであった。


「こいつが噂のシャスカ料理か! もしかして、アスタはこれで勲章を授かったのかい?」


「いえ。これとは別の料理ですね。でもこの料理も、自信作ですよ」


「見てくれからして、奇妙な料理だよなぁ。ま、とにかく食べてみてからだな!」


 初のお披露目となるカレーチャーハンも、飛ぶような勢いで売れていった。なおかつこちらは作製に若干の時間がかかるため、レビたちのラーメンに負けないほどの行列ができてしまっている。レイナ=ルウが担当するノーマルのチャーハンも、それは同じことであった。


 俺の足もとではジルベがででんと座り込み、その背中ではサチがあくびを連発している。それこそが、町が平穏である証であろう。おかげで俺は、憂いなく商売に没頭することができた。


「しゅ、しゅ、宿場町は人が減ってしまったという話であったのに、これまでと変わらない客入りですね」


 隣の屋台で働くマルフィラ=ナハムは、ふにゃんと笑いながらそんな風に言っていた。

 その言葉通り、料理はいつも通りのペースで売れていき――けっきょく閉店時間である下りの二の刻を迎える前に、すべての料理を売り切ることがかなったのだった。


「お疲れ様ー! それじゃあこれが、注文の品ね!」


 いったん城下町に戻ったディアルは、ラービスに台車を引かせて舞い戻っていた。その台車にのせられていた木箱の蓋が、笑顔のディアルによって取り払われる。


「まずこれ! 泡立て器? とかいうやつね! こいつはべつだん、難しい注文でもなかったよ!」


 ディアルが木箱から引っ張り出したのは、いわゆるホイッパーであった。俺たちは城下町の商店で木製のホイッパーを買いつけていたが、これを金属でこしらえることはできないものかと、ディアルに相談していたのである。


「うん。形や大きさは注文の通りだね。強度なんかは、どんなもんだろう?」


「これはねー、アゲイムっていう変わり種の金属を使ってるんだよ! 軽くて錆びにくくて弾力があるのが、アゲイムの特徴なの! あんまり熱に強くないから鍋とかには使えないんだけど、そうそう簡単には折れたりしないはずだよ!」


 ディアルから受け取ったホイッパーの先端をしならせてみると、確かな感触が返ってきた。これならば、正しく扱う限りはそうそう壊れたりもしないことだろう。


「いい感じだね。トゥール=ディンは、どうだい?」


「はい! 確かに重くもありませんので、これなら木造りのものより使いやすいように思います!」


 トゥール=ディンは、きらきらと目を輝かせている。木製のホイッパーを購入してからもう長きの時間が経過しているために、それがどれだけ菓子作りに役立つものであるかは痛感しているのであろう。レイナ=ルウやマイムなども、きわめて満足そうな面持ちであった。


「とりあえず、注文は3個だったよね。これだったら、何十個でも追加で準備できるからさ! ハリアスは3日後ぐらいにゼランドに帰るから、それまでに注文してくれれば、3ヶ月後ぐらいには届くと思うよー!」


「それじゃあ、聞けるだけの氏族に聞いておくね。あと、注文したのは――」


「次は、これね! これはもともとあった器具に手を加えただけだから、もっと簡単だったかなー」


 次なる鉄具は、カス揚げであった。丸くて平たい形をした目の細かい網に、持ち手をつけたものだ。もともとディアルの鉄具屋ではレードルや鉄網も扱っていたので、それを組み合わせてくれたのだろう。


「でもこれ、何の料理に使うの? 工場の人らも、首を傾げてたよー」


「これはね、揚げ物をすくうのに便利かなって思ったんだ。揚げ物は下手にすくうと、衣がくずれちゃうからね」


 俺は自作の菜箸を使っていたが、森辺において箸の技術を習得したかまど番はそれほど多くない。そういった人々のために、考案した次第である。


「で、最後はこれ! やっぱりこれが、一番職人泣かせだったみたいだねー!」


 木箱の底に押し込められていた最後の品が、ディアルの細くてよく動く指によって持ち上げられる。

 これは半分遊び心で発注させていただいた、たこ焼き器に他ならなかった。

 50センチ四方の鉄板に、いくつもの丸いくぼみが穿たれている。鉄板の色合いが黒ずんでいるのも、俺の故郷にあるたこ焼き器とよく似た姿であった。


「へえ、すごいね。こればかりは無理なんじゃないかって思ってたよ」


「ふふーん! うちの工場には、腕のいい職人がそろってるからね! ……だけどこっちもどういう使い方をするんだろうって、みんな首を傾げてたねー」


「このくぼみの部分で食材を焼きあげるだけなんだけど、これを使うとなかなか面白い料理を作れるんだよ」


 ディアルから受け取ってみると、やはりそのたこ焼き器は同じサイズの鉄板よりは軽い感じがした。きっと鉄と何らかの金属を混ぜ込んだ、鋳鉄であるのだろう。ただの鉄をこのような形状に加工するのは、さすがに難儀であるはずだ。


「いい感じだね。それで、お代のほうだけど――」


「うん! 契約の通り、普通の鉄板と同じ代価でかまわないよ! その代わり、こいつの型はうちで引き取って、同じ商品を自由に売らせてもらうからね!」


「俺はそれでいっこうにかまわないけど、でもディアルは本当にいいのかい? こいつの売れ行きが悪かったら、きっと大赤字になっちゃうんだろう?」


「ふふーん! そこは僕の、商売人としての目利きだよ! ……まあもちろん、アスタへの信頼があってのことだけどさ!」


 そう言って、ディアルはますます朗らかに笑った。

 ただしその目は、商売人としての力強い輝きをたたえている。


「実はもう、10個ばかりは同じものを作りあげて、ジェノスに運んできてるんだよ! アスタにこいつの使い方を教えてもらったら、すぐに売り込みをかけさせていただくからね!」


「すごいなあ。まだ使い方もわかってないものを商品に仕上げるなんて、さすがの度胸だね」


「あはは。父さんも心配してたけど、最後には僕の目利きを信用してくれたよ! ……じゃ、契約完了ってことで問題ないかな?」


 まったく問題はなかったので、俺は定められていた通りの銅貨をディアルに差し出し、ずっと物入れに仕舞いっぱなしであった証文を破棄させていただいた。ディアル側の証文も破棄されて、無事に契約完了である。


「本当は今日にでも森辺までついていって、こいつの使い方を教えてほしいところだったけどねー! さすがにジェノスがこんな有り様だとラービスが心配するだろうから、屋台で使われる日を楽しみにしておくよ!」


「うん。勉強会が制限されちゃってるんで、少し時間がかかるかもしれないけど、数日中には何とかしてみせるよ」


「それじゃあ、帰りも気をつけてね! できるだけ、屋台に顔を出すようにするから!」


 そんな言葉と笑顔を残して、ディアルはラービスとともに城下町へと戻っていった。

 仏頂面で待ちかまえていたマルスに、俺は「お待たせしました」と頭を下げてみせる。


「こんな状況で居残りをお願いしてしまって、申し訳ありません。もう出発できますので」


「……商売のほうが早めに終わっていたのだから、定刻よりもさほど遅れたわけではあるまい。では、出発するぞ」


 屋台や食堂は他のかまど番たちが後片付けをしてくれたので、俺たちはいそいそと帰宅することになった。

 往来のほうにも変化はないし、衛兵以外の人通りも若干増えたような気がしなくもない。逗留客の数に朝から変動はないだろうから、家や宿屋に引きこもっていた人々が外に出てきたということなのだろう。《キミュスの尻尾亭》は逗留客が半減してしまったという話であったが、それほど宿場町の賑わいが減じたようには思えなかった。


 屋台を返却したのちは、粛々と森辺に帰還する。

 列が長くなると護衛しにくいということで、まずはルウ家の荷車と20名の衛兵たちに道をのぼってもらう。その姿が森の陰に隠れてから、こちらも後に続くことになった。


 この付近は優先して飛蝗の駆除がされたため、異変の兆しは見られなかった。御者台の脇に控えたジルベとサチも、平和なものだ。

 だが――ルウの集落に到着すると、そこには時ならぬ騒乱が巻き起こっていた。あちこちの家から雨具を纏った女衆が飛び出して、とある分家の家に駆けこんでいく姿が見えたのだ。


「何か異変が生じたようだな。宿場町に戻る前に、状況を確認させてもらうぞ」


 緊迫の表情を浮かべたマルスとともに、俺とレイナ=ルウがそちらの分家に向かうことにした。

 そうしてレイナ=ルウが声をあげようとするなり、玄関の戸板が開かれる。そこから顔を出したのは、ダルム=ルウであった。


「ダルム兄、いったいどうしたの?」


「レイナ、戻ったのか。……分家の若い男衆が手傷を負っただけだ。さしたる深手ではないので、お前が気にする必要はない」


 そんな風に語りながら、ダルム=ルウは青い瞳を爛々と燃やしている。おそらくは、ダルム=ルウが負傷した男衆をこちらの家まで運んできて、あちこちの女衆がその手当てをしているということなのだろう。


「しかしその割には、ずいぶんな騒ぎであるようだな。本当に、危険な状況ではないのだろうか?」


 マルスが口を出すと、ダルム=ルウが物騒な眼光をそちらに突きつける。マルスはわずかに身をのけぞらせたが、しかし怯むことはなかった。


「森辺に異変が生じた際は、俺たちが上官に報告する役目を負っている。何か常ならぬことが起きたのなら、こちらにも伝えてもらいたい」


「……この家の男衆は、ムントに噛まれてしまったのだ。ムントの牙は毒そのものであるため、特別な薬が必要になる。その準備に、いささか手間取っただけだろう」


「ギバではなく、ムントか。このように言っては何だが、森辺の狩人がムントに噛まれることもあるのだな」


「ムントは、5匹がかりで俺たちを囲んできたのだ。こちらは3人で組を作っていたため、未熟な若い男衆が後れを取り――」


 そこまで言ってから、ダルム=ルウは険しく眉を寄せた。


「……そうだな。何か常ならぬことがあったかと言えば、ムントがそうまで群れを為すのは珍しいように思う。しかも、森辺の狩人を恐れもせずに襲いかかってくるというのは……まるで、飢えて我を失ったギバさながらだ」


「まさか、邪神教団に操られたのでは?」


 マルスが勢い込んで尋ねると、ダルム=ルウはしばし黙考してから、首を横に振った。


「そのすぐ前には、若いギバが俺たちに気づいて逃げ出していった。邪神教団とかいう輩は、ムントだけを操るなどという小器用な真似でもできるのか?」


「いや、獣を操ろうというのなら、むしろギバを操りそうなものだが……」


 マルスも不審顔で小首を傾げると、俺にぴったりと寄り添ったジルベの背中でサチが「なう」と短く鳴いた。


「よー、ダルム兄も戻ってきてたのかー。もしかしたら、ムントに誰かやられたのかー?」


 聞こえてきたのは、ルド=ルウの声である。矢筒を背負って弓を肩に掛けたルド=ルウは、いつも通りのぷらぷらとした足取りでこちらに近づいてきた。


「ルドか。どうしてこちらがムントにやられたと知っているのだ?」


「だって、ムントの様子がおかしいだろ。飛蝗はだいぶん片付いたみたいだけど、今日は朝から何匹ものムントを相手取ることになっちまったよ」


 そんな風に応じつつ、ルド=ルウはくりんとマルスに向きなおった。


「あー、あんたか。ちょうどよかった。こいつを城下町のフェルメスってやつに届けてくれねーかなー?」


「フェ、フェルメスとは王都の外交官殿のことか? 俺はそのような身分の方に気安くお目見えできる立場ではないぞ」


「でも、ここいらで一番物知りなのは、あいつだろー? あいつだったら、こいつの正体もわかるんじゃねーかなー?」


 そう言って、ルド=ルウは手に携えていたものをマルスのほうに掲げた。ゴヌモキの葉をフィバッハの蔓草で縛った、簡易的な包みである。

 そうしてルド=ルウの手によって、その包みが解かれると――ダルム=ルウを除く面々が悲鳴をあげることになった。


「な、なんだ、それは? モルガの森にひそむ蛇は、そのような姿をしているのか?」


「蛇じゃねーよ。こいつは、ムントの腹の中に隠れてたんだ。そこから引っ張り出したら、すぐにくたばっちまったけどなー」


 ゴヌモキの葉にくるまれていたのは、ひょろひょろと紐のような形をした何かであった。太さは俺の人差し指ぐらいで、真っ直ぐにのばしたら20センチぐらいはありそうだ。ゴムのような質感で、ところどころが赤い血にまみれているが、そいつそのものは人間のような黄白色をしており――そして、目のない頭には吸盤のような口が生えていた。


「で、親父の言いつけで他のムントの腹もかっさばいてみたら、全部の腹にこいつが隠れてたんだ。こんな虫、今まで見たこともねーからよー。こいつも邪神教団の仕業だったら、まずいだろ? だから、物知りの連中に聞いてみてほしいんだよ」


「……そうか。承知した。ならば、俺が上官を通して、必ずや立場ある方々のもとまでお届けしよう」


 マルスは表情を引き締めて、ルド=ルウからゴヌモキの葉の包みを受け取った。


「それで、森ではムントが狂暴化しているのだな? なるべく正確な状況を教えてもらいたい」


「そうだなー。ギバやギーズに変わりはねーけど、ムントだけがおかしな感じだよ。ムントってのは腐肉喰らいだから、生きた人間に襲いかかるなんてそうそうありえねーからなー」


「も、もしかして、ムントは飛蝗の屍骸を喰らってるとか?」


 俺が思わず口をはさむと、ルド=ルウはきょとんと目を丸くした。


「飛蝗ってのは殻と水っ気ばっかりで、肉のひとつもついてねーだろ。さすがのムントでも食う場所がないんじゃねーか?」


「いや。少なくとも、腹には内臓が詰まっている。そして俺は何日か前、飛蝗の屍骸にムントの群れが群がっている姿を見かけている」


 そのように語りながら、ダルム=ルウは俺に詰め寄ってきた。


「それで、ムントが飛蝗の腐肉をあさったら、なんだというのだ?」


「い、いえ、さっきの虫って、寄生虫っぽくありませんでしたか?」


「……きせいちゅう?」


「生き物の体内に寄生する虫のことです。……あ、そうか。ギバには寄生虫とかいませんよね。俺の故郷には、そういうやつがいたんですよ。それで、宿主が他の虫や獣に捕食されると、そちらに住処を移しかえるっていう寄生虫もいたような気がしたので……」


「もともとこいつは飛蝗の中に隠れてて、そいつを食ったムントに居場所をかえたってことか? そいつはずいぶん、けったいな話だなー」


 肩をすくめながら、ルド=ルウはマルスのほうを振り返った。


「ま、いーや。できれば今のアスタの言葉も、一緒に届けてくれよ。俺たちには、さっぱりわけがわからねーからさ」


「承知した。これは危急の事態であると、上官に伝えておこう。……どうかくれぐれも、気をつけるように」


「あー、そっちもなー」と、ルド=ルウは気安く笑顔を返す。かつて北の民が森辺に街道を切り開いた際、監視役として配置されたマルスはギバの襲撃で深手を負ってしまい、ルド=ルウに手当てをされたという過去があるのだ。


 それはともかくとして――邪神教団のもたらした災厄には、まだ続きがあったのだ。

 ダイの狩り場で仕事に励んでいるアイ=ファのことを思うと、俺は胸の奥を締め付けられるような心地であった。

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― 新着の感想 ―
[良い点] たこ焼きプレート良いですよね。屋台等の出物の定番。ヌニョンパでたこ焼き&明石焼き。後は焼きドーナツや、具をソーセージやあんこ等、味のバリエーションは無限大。 ミニ焼おにぎりも出来ますね。鉄…
[一言] ほう……たこ焼きですか。ここだとヌニョンパだから……ヌニョ焼き? うーん、和名はやめておこう!! まぁ細かくしたギバのチャーシューや角煮入れるって手段もあるか、乾酪とかもあるし、ヌニョンパに…
[一言] ゾンビカタツムリ状態かい……細長けりゃ寄生虫も有りなんですかケットゥア信者。
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