災厄の日①~警戒態勢~
2021.10/26 更新分 1/1
そうして、その日――青の月の1日は、大きな不安と混乱の中でスタートを切ることになった。
日取りとしては、あのジェノスでも歴史に残るような規模となった礼賛の祝宴の、3日後のことである。
祝宴の翌日は臨時休業日として、緑の月の30日から屋台の商売を再開し、お祭り騒ぎの余韻を引きずりつつも、ようやく日常に回帰した矢先の出来事であった。
具体的には、まだ何も起きたわけではない。
ただクルア=スンが不吉な夢を見たのと――あとはメルフリードの使者から、町や森辺で衛兵の演習が行われるものと告げられたのみであるのだ。
だがしかし、城下町の使者が森辺にやってきたのは、太陽が出るかどうかという早朝のことである。よほどのことがない限り、そのような刻限に使者が送られることはないだろう。
ファの家でスンの家長らと話し合ったのち、俺とアイ=ファはフォウの家に力を借りて、新たな使者を族長筋に走らせることになった。俺の見解を、族長たちに知らせるための使者である。
昨年の青の月に衛兵の演習が行われた日、ジェノスは大地震に見舞われることになった。
その際に、アリシュナは星読みの力で地震の到来を予見している節があった。
そして本日は、クルア=スンもジェノスに災厄が訪れるという悪夢を見ている。
以上のことから、本日もジェノスに何か大きな災厄が勃発するのではないか――という、はなはだ根拠の不安定な論である。
ただこれは、星読みの力をどのように定義するかで、まったく意味合いの変わってくる話であるはずであった。
星読みの力をただの占いと判ずるなら、ほとんど狂人の妄想と変わらない話になってしまうことだろう。
しかし、星読みの力が人智を超えた予言の能力であると判ずるなら――決して笑い飛ばせない事態であるはずであった。
スンの家長やクルア=スンが思い悩んでいたのも、その一点に尽きる。ただ悪夢を見たというだけで今後の行動の指針にするなど、通常では考えられないことであるのだ。
しかし俺たちは、すでにチル=リムの存在を知ってしまっていた。
彼女は誰よりも強力な星見の力を持っているとされ、邪神教団につけ狙われることになってしまったのだ。
チル=リムが本当にそれほど物凄い能力を持っていたのか、実のところは誰にも証明することはできない。
ただ、それを真実だと信じて、自由開拓民の集落ひとつを焼きはらうような輩が、この世界には確かに存在するのである。あとはもう、受け取る側の問題になってしまうはずであった。
「我々は、星見だの星読みだのいう得体の知れない手管を信ずる立場ではない。しかし、この際は――君主筋たるマルスタインを見習うべきではないだろうか?」
急遽行われた族長会議の場で、ドンダ=ルウはそのように発言していた。立て続けに3組の使者を迎えることになった族長たちは、それぞれの家の中間地点に位置するルウ家に集まって、臨時の会議を行うこととなったのだ。
ザザとサウティは家が遠いため、この会議が開始されたのは夜明けから3時間ていどが過ぎてからのことであった。
そしてこのたびは、俺とアイ=ファもその会議に招集されている。他に参じたのはいつものメンバー、ガズラン=ルティムとバードゥ=フォウとベイムの家長であった。
「マルスタインを見習うとは? もう少し、わかりやすい言葉で話してもらいたいものだな」
そのように返したのは、ひさびさにお会いするグラフ=ザザであった。
早朝に叩き起こされて不機嫌なわけではないのだろうが、普段以上に迫力のあるたたずまいだ。しかし、それと同じぐらいの迫力を持つドンダ=ルウは、落ち着いた様子で言葉を重ねた。
「マルスタインは星読みの力を重んじることが許されない立場であるため、表面上は何くわぬ顔をしながら有事に備えていたと見なされているのであろうが? 我々も、それを見習うべきだと言っているのだ」
「有事に備えるとは、どのように? 地震いであればともかく、このたびはどのような災厄であるかも明かされていないのだぞ?」
「だったら、何が起きても慌てないで済むように、万事に備えるしかないだろうな」
すると、静かな面持ちでそのやりとりを聞いていたダリ=サウティも、発言した。
「それで、表面上は何くわぬ顔をしながらというのは……やはり、屋台の商売に関してであろうか?」
「ああ。メルフリードの使者も、わざわざ屋台の商売を休むなと言いたてやがったからな。……こればかりは、サイクレウスとやりあってた頃を思い出しちまうぜ」
落ち着いた表情を保持しつつ、ドンダ=ルウはその双眸に炎のような眼光をたたえた。
サイクレウスとやりあっていた時代――ザッツ=スンとテイ=スンが北の集落から逃亡した際に、俺たちは屋台の商売を休まないように、サイクレウスから厳命されていたのだ。
「あれはおそらく、宿場町で働くアスタたちを囮にして、自らの手でザッツ=スンたちを捕らえたいという目論見であったのだろうな。しかし、このたびは――南の王家の者たちに対する体面というものが関わってくるわけか」
ダリ=サウティに視線を向けられたので、俺は「はい」とうなずいてみせた。
「ダカルマス殿下は、もう間もなく帰国されます。それまでの期間は屋台の料理を毎日買いつけるつもりだと、そのように仰っていたのですね。それで実際、昨日も使いの方が料理を買いつけにいらっしゃいました」
「ふむ。それでいきなり屋台を休んでしまったら、王子ダカルマスはさぞかし大騒ぎするのであろうな」
三族長の中でもっともダカルマス殿下と対面する機会の多かったダリ=サウティは、苦笑しながらそんな風に言った。
「しかしもちろん、護衛もつけずにアスタたちを宿場町に送り出すわけではあるまいな?」
「うむ。今日は町のほうにも、衛兵たちがあふれかえるのであろうからな。俺たちがそういう常ならぬ日に護衛役の人数を増やすのはいつものことであるから、そうそういぶかられることもあるまい」
すると、黙って話を聞いていたアイ=ファが「待たれよ」と声をあげた。
「やはり、屋台の商売は休まぬ方向で決定されてしまうのであろうか? 私としては……同胞の安全を一番に考えるべきであるように思うのだが」
「ふむ。お前はやはり、星読みの力というものを信じているわけか」
頭にかぶったギバの毛皮の上顎の陰から、グラフ=ザザがアイ=ファをねめつける。
アイ=ファは毅然とした面持ちで、それを見返した。
「私自身は、そうまで星読みの力を重んじてはいない。しかし、わずかなりとも危険が生じる恐れがあるならば、それは回避できるように努めるべきであろう」
「その危険とやらの正体がわからなければ、備えようもないように思うが……ガズラン=ルティムよ、何か言いたげな面持ちだな」
グラフ=ザザにうながされて、ガズラン=ルティムは「はい」とうなずいた。
「私も星読みの力を重んじる立場ではありません。ですが、表面上は平常の姿勢を保ちつつ有事に備えるという方針であるならば、やはり屋台の商売も敢行するべきであるように思います」
アイ=ファがほんの少しだけ心外そうに、ガズラン=ルティムのほうを見やった。
ガズラン=ルティムは、いつも通りの穏やかな表情でそれを見返す。
「なおかつ、私自身も友たるアスタの安否を何より案じておりますが……クルア=スンはダレイムと森辺の南方に危険が迫り、城下町からは南方の通用門に衛兵を配備すると告げられています。それでしたら、宿場町がことさら危険なわけではないように思えるのです」
「ああ。俺の家人たちなどは、今でも大きな不安の渦中にあることだろう。たとえ星読みの力を重んじておらずとも、災厄に見舞われるなどと言いたてられれば、嫌でも気にかけてしまうものだからな」
そのように語るダリ=サウティは、その瞳に静かな力感をたたえていた。
「俺はこの会合の結果がどうなろうとも、今日は狩人としての仕事を休み、万事に備えるつもりでいた。というか、現在はすでにすべての男衆を叩き起こして、万事に備えさせているのだ。願わくは、俺も一刻も早く家に戻りたいと考えている」
「最近は、猟犬のおかげでどの氏族も十分な収獲をあげ、数日に1度は休みの日を入れている。今日はすべての氏族に狩りの仕事を休むよう、通達するべきであろうな。それで何事も生じなければ、俺たちはいっそう星読みの手管というものを胡乱に思うだけのことだ」
そんな風に言いながら、ドンダ=ルウはグラフ=ザザのほうを見やった。
グラフ=ザザは「ふん」と大きな肩を揺する。
「狩りの仕事を休ませることに、異論はない。となると、残りは屋台に関してだけか。宿場町に危険はないというのなら、むしろ無用の人手を駆り出すことで、家を手薄にしてしまうことになろう」
「宿場町にいっさい危険がないとは限りません。クルア=スンはジェノスそのものが災厄に見舞われると言っているそうですし、マルスタインは宿場町にも衛兵を配備するようですしね。……ただ、より危険であるのはダレイムと森辺の南方であるようだ、ということです」
「ふん……やはり夢で見た話を現実のことのように語るのは、なんとも据わりの悪いものだな」
グラフ=ザザは、毛皮ごしに頭をかきむしった。
「ともあれ、今日という日はすでに始まっているのだ。方針が定められたのなら、早々に通告するべきであろう。宿場町に同行するのは、屋台の商売に関わっている氏族から出すということでかまわんのか?」
「ああ。それぞれの氏族から女衆と同じだけの男衆を同行させるようにすれば、それほどの負担にもなるまい。いちどきにふたり以上の女衆を出しているのは、俺の家ぐらいであろうからな」
そう言って、ドンダ=ルウはその場にいる全員の姿を見回した。
「あらためて言うが、俺たちは星読みの力などというものに重きを置いているわけではない。しかし、東の民や聖域の民、それに邪神教団などというものに関わったせいで、それがあながち馬鹿にできた話でないということも十分にわきまえている。実際に災厄が起きるかどうかは別として、どのような災厄に見舞われてもぬかりなく対処できるよう、家人や同胞に通達するのだ」
ドンダ=ルウのそんな言葉で、臨時の族長会議は締めくくられることになった。
ダリ=サウティとグラフ=ザザはお供の男衆とともに、トトスの二人乗りでそれぞれの家に戻っていく。そうして俺たちが荷車の準備をしていると、ガズラン=ルティムが申し訳なさそうな笑顔でこちらに近づいてきた。
「アイ=ファ、さきほどは申し訳ありませんでした。決してアスタの身を軽んじているわけではありませんので、どうぞご容赦ください」
「それはもう、さきほどの言葉で思い知らされている。私の考えこそが浅はかであったのであろう」
アイ=ファはちょっぴりだけすねたような眼差しで、ガズラン=ルティムを見返した。
ガズラン=ルティムは穏やかな表情のまま、眼差しに張り詰めたものを漂わせる。
「宿場町には、もちろんアイ=ファが同行されるのですよね?」
「うむ。ドンダ=ルウも、かまど番ひとりにつき同じ家の狩人ひとりが同行すべしと言っていたからな。そうでなくとも、このような状況で他の狩人に護衛の仕事を任せる気にはなれん」
「どうか、くれぐれもご用心ください。宿場町に危険が少ないという見解に間違いはないように思うのですが……私も、アスタの身が心配でならないのです」
「そのように思い詰めながら、ガズラン=ルティムは沈着に大局を見通すことがかなうのだな。私には、なかなか真似のできない振る舞いであるように思う」
「ええ。本心を言えば、私もアスタを自分の家に閉じ込めておきたい心境です。ですがアイ=ファであれば、どのような場でもアスタを守ることができるでしょう。アスタのかたわらにアイ=ファがあることを、私は何より得難く思っています」
そう言って、ガズラン=ルティムは俺のほうを見つめてきた。
「アスタ、どうかお気をつけて。……森辺で無事なお帰りをお待ちしています」
「はい。ガズラン=ルティムも、どうかお気をつけて」
いったい何に気をつければいいのか――そんなこともわからないまま、俺たちはそんな言葉を交わし合うことになったのだった。
◇
その後はつつがなく、屋台の商売の準備が進められることになった。
とはいえ、何もかもが平常通りであったわけではない。下ごしらえの仕事には営業時間よりも数多くのかまど番が集められるため、それに付き添う男衆も大挙してファの家を訪れることとなったのだ。
ただやっぱり、その場の人々にそれほどの緊迫感が生まれているわけではなかった。
何せ騒動の根源は星読みの託宣であるし、どのような災厄が訪れるかも不明であるのだ。人々はむしろ、本当に災厄の到来を予見することなど可能なのであろうかと、期待感にも似た昂りを覚えている様子であった。
「わたしたちにとっては、星読みというものもずいぶん縁遠い存在であったのです。チル=リムという娘についても、この目で見たわけではありませんし……」
フォウの女衆などは、そのように言いたてていた。
おそらくは、森辺においてもそういった人々が大部分であるのだろう。実際に騒動に見舞われた人間と、それを事後に聞いた人間とでは、どうしたって意識の差が生じてしまうのだろうと思われた。
(でもきっと、これはチル=リムじゃなくってディアの影響のほうが大きいんだろうな)
星見の力を備えていたのはチル=リムであったが、俺たちはそうまでその力を目の当たりにしたわけではない。それよりもむしろ、チル=リムの存在を重んじるディアこそが、星見の力の信憑性を高めているのであろうと思われた。
星見というのは、もともと魔術の類いであったという。
見識の浅い俺はついつい混同してしまうが、おそらく「星見」というのが魔術の一種であり、それをルーツにした現代の術式が「星読み」であるのだ。王国の法で禁忌とされているのは「星見」の魔術であり、「星読み」に関しては存在が許されている――そうでなければ、シムの人々もおおっぴらに星読みを行うことはできないはずであった。
ややこしさの根源は、おそらくアリシュナの存在であろう。
彼女は星読みの術者であるが、どうもその枠に留まらない星見の力を備え持っているようなのだ。だからこそ、自然に他者の星が見えてしまい――俺が『星無き民』であることをひと目で看破することがかなったのだろう。
シムであれば、星読みを行うことができる人間もたくさんいるに違いない。
しかし、自然に他者の星が見えてしまう星見の使い手というのは、ごく限られており――その中に、アリシュナやチル=リムや《ギャムレイの一座》のライラノスも含まれるのだろうと思われた。
それでもって、星見の力が魔術であると明言していたのは、ディアであるのだ。
それはれっきとした魔術であるのだから、大神が目覚めるまでは行使することが許されない。聖域の民は、それを禁じるために封じの刻印というものを施しているのだと、彼女がそんな風に打ち明けてくれたのである。
つまり――封じの刻印というものを施さなければ、聖域においてはあちこちで星見の力が発現してしまう恐れがある、ということだ。
そして、聖域の民と王国の民はもともと同じ一族であったから、チル=リムは聖域において不浄の存在とされる文明の利器に囲まれて育ちながら、突然変異の先祖返りとして星見の力を授かってしまった――というのが、俺なりの解釈であった。
だから俺は、思うのだ。
チル=リム本人よりも、むしろディアやティアや聖域の民に大きく関わった人間のほうが、星見の力の信憑性を感じられるのではないか、と。
俺やアイ=ファやガズラン=ルティムなどは、モルガの聖域にまで踏み入っている。そこで暮らす不可思議で魅力的な人々と、一夜を明かすことになったのだ。そんな俺たちは、聖域の民の特殊性をまざまざと体感しており――彼らであれば、どんなに不思議な術を使っても不思議はないという心情に至ったのかもしれなかった。
(あんな不思議な人々が存在するなら、星見なんていう不思議な術が実在したっておかしくはない……っていう心境なのかな)
ともあれ、聖域の民と大きく関わった人間とそうでない人間では、星見の力に対する印象が違っても当然なのであろうと思われた。
フォウの人々などは復活祭の時期にたびたびティアを預かってくれていたものの、彼女は聖域や魔術に関して多くを語ろうとはしなかったから、やはり影響は少なかったのだろう。
そんなわけで、その日のかまど小屋にはどこかお祭り気分にも似た熱気が満ちることになった。
もちろん純真なる森辺の民であるので、族長たちからの警告を軽んじているわけではない。むしろ族長たちの警告を重んじているからこそ、今日は大地震にも匹敵する騒ぎが生じるのではないかと、奇妙な昂りを覚えている様子であった。
そして、人々の多くは、クルア=スンに心配げな視線を向けていた。
スンの家長の言葉もまた、すべての氏族に届けられることになったのだ。クルア=スンが星見の予見めいた力を持っていることなど、これまではごく一部の人間にしか知らされていなかったため、誰もが小さからぬ懸念と困惑を抱え込むことになってしまったのだった。
「……大丈夫かい、クルア=スン? 昨日はあまり眠れなかったんだろうから、屋台の当番は他の誰かと交代してもらっても――」
「いえ。このような騒ぎを起こしておきながら、自分の役割を放り出すことはできません。決してご迷惑はおかけしませんので、どうかよろしくお願いいたします」
本日は、よりにもよってクルア=スンが屋台の当番の日取りであったのだ。
クルア=スンは気丈に振る舞っていたが、大きな心労を負っていることは明白であった。他の人々も、決してクルア=スンのことを粗略に扱おうとはしなかったが、いったいどのように扱うべきかを判じかねている様子であったのだった。
そうして2時間ばかりが過ぎて、下ごしらえの仕事は完了する。
表には、護衛役の狩人たちがずらりとかまど小屋を取り囲んでおり――その輪の中で、ファの家の人間ならぬ家人たちがたわむれ合っていた。
「あれ? サチが一緒になって遊んでるなんて、珍しいな」
ジルベの背中にちょこんと乗っていたサチは、俺の姿を確認すると優雅な仕草で地面に降り立った。
その姿を見て、アイ=ファも「ふむ」と声をあげる。
「どうやらこやつは、ひさびさに宿場町まで同行するつもりであるようだな。……やはり、この場の不穏な雰囲気を察知しているのであろうか」
「そっか。サチの気持ちはありがたいけど、危険はないのかなあ?」
俺がそのように言いたてると、サチは何やら不満げな様子で「なうう」と鳴いた。
「人間風情に心配されるいわれはない、とでも言いたげだな。まあ、こやつであれば自らの身を守ることもできよう。私としては、ジルベを連れていくべきかどうか悩んだのだが……災厄の正体が知れないため、ブレイブらとともにフォウの家に預けることにした」
「うん。何かの天変地異である可能性もあるわけだもんな」
クルア=スンの悪夢は得体の知れない怪物めいたものがジェノスの恵みを喰らい尽くすという内容であったが、それはあくまで比喩や抽象の表現である可能性も否めないのだ。クルア=スン自身、これほどはっきりと未来を予見するような夢を見たのは初めてであるということで、まったく判断がつかなかったのだった。
そうして俺たちが荷物を荷台に積み込んでいると、自前の荷車に乗ったトゥール=ディンたちがやってくる。今日の相棒は一番の古株であるリッドの女衆で、護衛役の片方は父親のゼイ=ディンであった。
「お疲れ様。今日はディン家の荷車を使うのかな?」
「はい、男衆を含めると4名になりますので、こちらも荷車を出すべきという話になりました。……あ、クルア=スン」
と、トゥール=ディンはクルア=スンのもとに駆け寄った。
その小さな手が、クルア=スンの手をとらえる。かつてスンの家人であったトゥール=ディンは、クルア=スンと幼い頃から縁を持っているのだ。
「大丈夫ですか、クルア=スン? お話をうかがって、ずっと心配していました」
「大丈夫です。ご心配をかけてしまって、本当に申し訳ありません」
クルア=スンは銀灰色の目を切なげに細めて、トゥール=ディンの手を握り返した。
それを横目に、ゼイ=ディンはアイ=ファに語りかけてきた。
「ディンとリッドからは、我々が同行することになった。やはり自分の家人だけを守るのではなく、すべての狩人ですべてのかまど番を守るという形にするべきだと思うのだが、どうであろうか?」
「うむ、私もそのように考えていた。ルウの狩人らと事前に相談したく思う」
宿場町に向かうかまど番は、ファとルウの屋台で8名ずつ、ディンの屋台が2名で、総勢18名にも及ぶ。本日は、それと同数の狩人が護衛役として同行するのだった。
特筆するべきは、マルフィラ=ナハムのペアとして兄のモラ=ナハムが同行していることであろうか。
そして本日は、フェイ=ベイムも屋台の当番となる。そのペアとなるのは礼賛の祝宴にも出席したベイムの長兄であり、彼は何かとモラ=ナハムに声をかけている様子であった。
(こんな危急の際に何だけど、少しでも氏族間の絆が深まれば幸いだな)
そうしてルウの集落に向かうと、そこでもいささか意想外な人物が待ち受けていた。
ファの屋台の当番であったヤミル=レイのかたわらに、その家長たるラウ=レイが傲然と立ちはだかっていたのである。
「あ、あれ? もしかしたら、ラウ=レイが護衛役として同行するのかな?」
「うむ! 家人のヤミルを護衛するには、同じ家で暮らす俺こそがもっとも相応しかろう!」
ルウの血族はただでさえ屋台に関わる人間が多いため、今日ばかりはヤミル=レイも他のかまど番に当番を代わってもらっては如何かと、俺は朝の内に打診していた。それは無用の気づかいであるという返事をいただいていたのだが――よもや、家長みずからが護衛役を志願するとは、ここ最近ではなかなか見られない光景であった。
「何せこのたびは、星読みがらみの騒ぎであろう? それではこやつも、ひときわ心細かろうと思ってな! まあ、それがなくとも俺が護衛役を受け持つことに変わりはないのだが!」
「どうしてわたしが心細いのよ。あまりわけのわからないことを大声で言いたてないでちょうだい」
「だってお前は星読みの結果などに心を乱して、涙まで流していたではないか! ……あ、痛い痛い! 耳をひねるな!」
1年以上も昔の話だが、ヤミル=レイは《ギャムレイの一座》のライラノスに星を読んでもらったことがある、という話であったのだった。
家長の耳を解放したヤミル=レイは、豊かな胸の下で腕を組みながら、「ふん」と鼻を鳴らす。
「何にしたって、本家の家長が護衛役に名乗りをあげるなんて、他の氏族ではそうそうありえないことでしょうね。またレイの家が道理に外れたことをしていると、後ろ指をさされることになるのじゃないかしら」
「以前は俺だって、しょっちゅう護衛の役目を果たしていたのだぞ! レイには頼もしい狩人がそろっているから、俺が留守にしようとも危険はないのだ!」
そういえば、昔はルド=ルウとシン=ルウとラウ=レイのトリオが、護衛役の定番メンバーであったのだ。
そして本日は、その3名が勢ぞろいしているようであった。それは何故かと問うならば、屋台の当番にリミ=ルウとララ=ルウが含まれていたためである。
なおかつこちらでは、ジョウ=ランが護衛役の一団に加わっていた。
本来であれば、ユン=スドラのペアとしてスドラから1名の狩人が加わる手はずであったのだが、どうかその役割を肩代わりさせていただきたいと、ジョウ=ラン自身が懇願してきたのだそうだ。
「俺は宿場町のユーミが心配でならないのです! 決して護衛の役目を二の次にしたりはしないとお約束しますので、どうかよろしくお願いします!」
ジョウ=ランのそんな言葉を、ライエルファム=スドラが了承した格好であった。もとよりスドラは狩人の人数が少ないため、血族たるランが力を添えると考えてみてはどうかと、バードゥ=フォウもそんな風に取りなしたのだそうだ。
しかしジョウ=ランは唯一の例外であり、他の氏族はおおよそかまど番の近親者が護衛役として同行している様子である。ララ=ルウとシン=ルウは血筋ではなく個人間の親密度が理由であるのであろうが、それでも身分としては従兄弟同士であるのだ。もう1名、マイムのペアに関しても、やはり同じ家のジーダが受け持っていたのだった。
そんな狩人の一行も、決してそうまで緊迫しているわけではない。
しかしまた、油断をしている人間などはひとりも存在しないことであろう。彼らは星読みで危険を示唆されていなくとも、いつだって大事な同胞を守るために死力を尽くそうという覚悟で護衛の役目を果たしているはずであった。
そうして俺たちは、頼もしい狩人たちに囲まれながら、いざ宿場町に出陣したわけであった。