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異世界料理道  作者: EDA
第五章 宿場町のギバ肉料理店
111/1675

③六日目~森辺の友~

2014.10/21 更新分 1/1

2014.10/24 収支計算表の誤記を修正

 そうしてその後は新たな災厄に見舞われることもなく、無事に仕事を終了させることができた。


 少しずつだが西の民のお客さんもやってきてくれて、時間いっぱいまで粘ったところ、141食の料理を売ることができた。


 営業6日目にして、ついに客足の底を見ることができたのだ。


 60食の『ギバ・バーガー』は、完売した。

 90食の『ミャームー焼き』は、わずか9食だけ余ることになった。

 赤銅貨282枚分の売り上げだ。

 胸を張っていい戦果であろう。


 この先、この数字がどのように変化していくかは不明なれど、想定をはるかに上回るハイペースで、目的に近づいていっているはずである。


 ギバの肉に、銅貨と換えられるだけの価値をつけたい。

 森辺に豊かな暮らしをもたらしたい。


 その目的を達成するために、俺たちはこんな無謀な戦いに挑んだのだ。

 誰にも絶対、邪魔はされたくない――と思う。



 そのために、俺たちはルウの集落を訪れることになった。

 商売を終えた後、ファの家に寄って必要品を補充したのち、その足でヴィナ=ルウとともに鉄鍋ごとお邪魔することになったのだ。


 ここまでスン家が正面切ってちょっかいを出してきたのだから、ルウやルティムの意向を無視して、ファの家だけで結論を出すことはできない。だから、ルウやルティムとの会談自体には、アイ=ファも異を唱えようとはしなかった。


 翌日分の仕込み作業はルウ家のかまどを借りて果たし、10日以上ぶりにルウの本家で晩餐にあずかり――そうしてその後は、深刻きわまりない3家合同の密談である。



              ◇



「まさか、スン家がそこまで馬鹿げたことを言い出すとはな……」


 果実酒の土瓶を片手に、きわめて不機嫌そうな声音で、ドンダ=ルウはそう言った。


 大広間に居残ったのは、ルウ本家の男衆が4名と、ミーア・レイ=ルウとヴィナ=ルウ。俺とアイ=ファ。そしてルティムの集落から駆けつけたガズラン=ルティムである。


「家長会議のかまどの番、ですか。べつだん、それがスン家の取り仕切りでさえなければ、何の問題もない話なのですが。相手の目的が見えないのが厄介ですね」


 およそ10日ぶりに見るガズラン=ルティムが、静かにつぶやく。

 もともと宿場町の出店に関しては無関心だったダン=ルティムは、全権をこの沈着きわまりない跡取り息子に託したらしい。


「すみません。まずその家長会議というのは、いったい何なのですか? 年に1度の大きな集まりであるそうですが」


「はい。そのヤミル=スンという女衆が言っていた通りのものです。年に1度、すべての家長がスンの集落に集まって、おたがいの行状を確認しあうのですね。何せ集落は広大ですので、そうしないとどの家がどのような状態にあるかも不明になってしまいますので」


 なるほど。その開催日が、青の月の10日――今から7日後になるわけか。

 朝方、アイ=ファが「青の月」に反応していたのは、このためだったのかもしれない。


「会議自体は昼下がりから行われ、その後にささやかな晩餐の会が催され、一晩をスンの集落で過ごしたのち、夜明けとともに帰還します。……スン家はその晩餐のかまどをアスタに託したい、と願い出てきたわけですね」


「ふうむ……いったい何なんでしょうね。たぶん、ミダ=スンのことはきっかけに過ぎないんですよ。それで俺の商売のことを知ったスン家が、何かしらを企んだと思うんですけど……俺をスン家に呼び寄せることに、いったいどういう意味があるんですかね?」


「わかりません。むしろ、アスタのほうにこそ、何かしら思うところがあるのではないのですか?」


 穏やかに見返してくるガズラン=ルティムに、俺は小さくうなずいてみせる。


「思うところというか、気になることがあるんです。あのヤミル=スンという女衆は、俺の料理が100食以上も売れたという事実を知っていました。本来ならば、これはありえないことなんです」


「……なるほど」


「で、いったいどこからそんな情報がもれたのか、ちょっと考えてみたんですが。店の売り上げを知る人間っていうのは、ファとルウの人間を除けば、宿場町にしか存在しないのですね。俺が懇意にしているドーラという野菜売りの親父さん、露店区域の責任者であるミラノ=マス、それに例のカミュア=ヨシュという男……」


 ドンダ=ルウの目が、一瞬だけ、ぎらりと光る。


「……あとは、貸付屋の主人ぐらいだと思います」


「貸付屋?」


「宿場町で、銅貨を貸し付ける店があるのです。俺は毎日そこで稼いだ銅貨を両替しているので、そこの主人なら、大雑把にですが店の売り上げを知ることは可能なんです」


 実際、俺は昨日も200枚の銅貨を両替した。

 それだけを換算すれば、ちょうど100食分の売り上げだ。


「……その中では、私にはカミュア=ヨシュという人物がもっともあやしげに思えてしまいますが、どうなのでしょう?」


「はい。俺もそれを真っ先に考えたんですけど、でもヤミル=スンはヴィナ=ルウを見て、『やっぱりルウ家が絡んでいたのね』と言っていました。カミュア=ヨシュが情報源なら、そんなことは最初から知れていたはずですし、別にごまかすような話でもないはずです。ミダ=スンやテイ=スンは、その前からヴィナ=ルウの姿を見ているのですからね」


「ふむ……」


「そして、ドーラの親父さんやミラノ=マスは何も知らないと言っておられましたし、そもそもスン家が宿場町の人々と交流を持っているとも思えません。……だから俺は、貸付屋から情報がもれたのでは、と思っています」


 もちろんガズラン=ルティムらには、まったく意味が通じていないようだった。

 牙や角と交換した銅貨はその日のうちに使いきってしまう森辺の民には両替など必要ないのだから、それはまあしかたのないことである。


「……その貸付屋というのは、領主の命で両替の仕事を営んでいるのですよ。だから、ジェノスの領主のそばにいる人間だったら、店の売り上げを知る機会もあると思うんです」


 その言葉だけで、ガズラン=ルティムの瞳には、深い理解の光が灯った。


「だから、都とやりとりのあるスン家ならば、そこから情報を得る機会もあったのではないかと思ったんですが、どうでしょう?」


「それは、そうなのかもしれません。……いや、まさしくその通りなのだと思います」


 まだあまり納得のいっていなそうな他のメンバーを見回しながら、ガズラン=ルティムは静かにそう言った。


「何せ昨日は、青の月の最初の日だったのですから。それは、3ヶ月に1度の、スン家が褒賞金を受け取る日なのです。彼らは都を訪れて、アスタの店がどれほどの銅貨を得ているかを知った――そう考えるのは、とても自然なことだと思います」


 そうだったのか。

 ならば、ミダ=スンとヤミル=スンの来訪に1日の間があったことも、しっくりきてしまう。


 ミダ=スンの言葉により、宿場町における俺の店の存在を知り。

 その翌日に、都の人間から、俺の店がいかに莫大な富を得ているかを、知った。


 もしかしたらスン家の連中は、それで初めて俺の店にちょっかいを出す気持ちを固めることになったのではないだろうか。


「それじゃあ要するに、スン家の連中はアスタの稼いだ銅貨に目をつけたってだけのことかよ? はん! 相変わらず馬鹿馬鹿しいやつらだなー」


 と、ルド=ルウが黄褐色の髪をかき回しながら、つまらなそうに大声をあげた。


「まあ、スン家らしいっちゃスン家らしいけどさ。あいつらは、銅貨に埋もれて暮らしたいとか考えてるんだろうし」


「あいつらというか、スン家の家長ズーロ=スンですね。……なるほど、かの家長の目には、銅貨を生み出すアスタの手腕がさぞかし魅力的に見えたのかもしれません。それは、得心のいく話です。肉を銅貨に換えられるようになったあかつきには、その富をスン家に独占させてはならないと考えていましたが、それ以前に、アスタの店が生み出す利益だけで、ズーロ=スンの心を惑わせるのには十分だった、ということなのでしょうね」


「でも、それで俺にかまど番をまかせたいっていうのは、いったいどういう話なんでしょうね? ギバ肉を調理する俺の技術を盗みたいっていうことなんでしょうか?」


 だったら、そのようなものは隠しだてする気もないのだが。

 しかし、ガズラン=ルティムはゆるやかに首を横に振った。


「堕落のきわみにあるスン家の家長ならば、そのように迂遠なことは考えないでしょう。ズーロ=スンは、おそらくあなたの身柄そのものを欲しているのですよ。……家に招いて、婿入りでも勧める算段なのではないでしょうかね」


「婿入りって……あのヤミル=スンにですか?」


 想像しただけで、背筋が寒くなってしまった。

 まあ、それがあのように薄気味悪い女衆でなくとも、俺は誰の婿になるつもりもないのだが。


「本家の末妹はまだ婿を迎えられる年齢ではなかったはずですが、女衆は分家にもいるので、それはわかりません。……何にせよ、暴力を使わずにアスタを手中にするには、それぐらいしか手段はないでしょう」


「ど、銅貨を稼げるっていうそれだけの理由で、俺みたいな異国人を婿に迎えるっていうんですか? いくら何でも、そいつはちょっと無理がありませんかね?」


「もちろん、まだ確証はありません。……しかし、ズーロ=スンを知る人間としては、それが1番腑に落ちる話だと納得できてしまいますね」


 ガズラン=ルティムが、ふっと息をつく。


「女衆の色香でアスタを惑わそうというのか、あるいはアスタの調理を失敗に追い込んでその責任を取らせようという算段なのか。どのような策略をもちいようとしているのかはわかりませんが、とにかくアスタの身柄を我が物にしたいという気持ちを得てしまったのでしょう。……ズーロ=スンというのは、そういう男なのです」


 すると、ドンダ=ルウが「くだらねえな……」と、つぶやいた。


「くだらなすぎて、あくびも出ねえぜ。こんな生白い異国人を、族長筋に婿入り、かよ」


 口調は静かだが、その瞳からは激情の火がこぼれ落ちている。

 ことスン家に関しては、普段以上に感情を抑制できないドンダ=ルウである。


「それで……貴様はどうするつもりなんだ、小僧?」


「ス、スン家に婿入りなんて冗談じゃないですよ。そもそもスン家のかまど番を預かるってだけで、十分に冗談ではないんですが……ただ、宿場町に下りてきたミダ=スンに暴れられたら、その時点で俺も町から追放されてしまう危険性があるでしょうね」


「何故ですか? それはミダ=スンの罪であり、アスタの罪ではありません」


「はい。ですが、店の料理が足りなくなって、シムとジャガルのお客さんの間でもめごとが起きそうになったときも、俺は町から追い出されそうになったんです。町の治安を守る衛兵や、露店区域を取り仕切るミラノ=マスにとっては、俺の存在自体が疎ましいのではないですかね」


「……それが都の法なのですか?」


「都の法というよりは、衛兵やミラノ=マスの気持ちひとつなのかもしれませんが」


「へー、都の人間ってのは、案外いい加減なんだな。法よりも自分らの気持ちを重んじるのかよ?」


 ルド=ルウが愉快げに口をはさむと、ドンダ=ルウが苛立しげにそちらをにらんだ。


「ルド、貴様に偉そうなことが言えるのか? 貴様が森辺の掟の何もかもを重んじてるとは言わせねえぞ?」


「大事な掟はちゃんと守ってるじゃんかよー」と、ルド=ルウは子どものように言い返す。


 そんな親子のやりとりを横目に、俺はさらに言葉を重ねてみせた。


「それにですね、以前にもお話した通り、あのドッド=スンともめごとを起こしてしまったとき、衛兵たちは俺やアイ=ファではなくスン家の人間の言い分を重んじているように見受けられました。それもあわせて考えたら、ミダ=スンが暴れても、俺だけが罰せられてしまうという最悪の可能性すらありうると思います。あのヤミル=スンという女衆は、そういう現状も踏まえた上で、ミダ=スンを俺にけしかけようとしているんじゃないですかね」


 実のところ、それは憶測というよりも、半分は俺の願望でもある。

 本当にミダ=スンが鎖でつながれているだとか、ミダ=スンが衛兵に殺されてもかまわないなどと思っているだとか――そんな言葉は、絶対に真実であってほしくはないのだ。


 森辺の民としての誇りばかりか、家族への情愛まで持ち合わせていないなんて、それではあまりに、救いがなさすぎるではないか。


「ふむ……しかし、アイ=ファとしては、どうあってもアスタをスン家に近づけたくはない、という心情なのですね」


 そこで初めて、アイ=ファに話が振られることになった。

 が、アイ=ファはちょっと不穏な感じに瞳を光らせるだけで、返事もしない。


 ヤミル=スンと遭遇してから、アイ=ファはずっと不機嫌そうなままだった。


「その気持ちは、よくわかります。家長会議であれば、アイ=ファ自身がアスタのそばにいることもできなくなってしまいますし、それに――家長会議ならば、スンの眷族もやってくるのですからね。ある意味では、その眷族のほうこそが危険な存在にもなりえます。……ですが、アスタはまだこの先も宿場町で商売を続けていく心づもりなのでしょう?」


「はい。予想よりも遥かに商売は順調ですから、当初の目的を達成できるまで頑張りたいとは思っています」


「ふむ……それではやはり、根本的な解決をはかるしかないでしょうね」


 がっしりとした顎に手をやって、ガズラン=ルティムは考えに沈む。

 その横顔を眺めながら、ルド=ルウがまた好戦的な発言をした。


「なあ、別にスン家の申し出なんて突っぱねちまってさ。それであの肉野郎をけしかけられても、そいつを返り討ちにしちまえば済む話なんじゃねーの? 刀が使えねーとちっとばかりは厄介だけど、それでも俺ともうひとりぐらい男衆がいれば、両足をへし折るぐらいは、わけないぜ?」


「ですが、そうするにはミダ=スンが暴虐な振る舞いに及ぶのを待つ必要が生じます。あちらが何もせぬうちに手を出してしまえばこちらの罪となってしまいますし、暴虐な真似をされてしまったら――たとえミダ=スンを粛清できたとしても、けっきょくアスタは町から追放されてしまうかもしれません」


 自分の考えに沈みつつ、ガズラン=ルティムはきわめて理知的に言葉を返す。


「そして、いつ現れるかもわからないミダ=スンのために、2名もの男衆をアスタのそばに控えさせるのは難しいでしょう。それでは、狩人としての仕事も果たせなくなってしまいます」


「何だよ、面倒くせーなあ。それじゃあ、どうすんの?」


「そうですね……やはり、家長会議のかまどを預かる、という話はいったん了承するしかないと思います」


 ガズラン=ルティムの言葉に、アイ=ファの瞳がまたグラグラと煮えたっていく。


「しかし、アスタひとりでそれを受け持ってしまうのは、非常に危険です。向こうにどのような企みがあるのかもわかりませんから、アスタを守る算段を立てなくてはなりません」


「ふーん? そりゃまあ家長会議なんだから、親父やダン=ルティムや、それに付き添いの男衆もいるけどさ。だけど、かまどの間に入らない男衆じゃあ、アスタは守れねーよな?」


「はい。それは女衆の仕事となるでしょうね」


 そう言って、ガズラン=ルティムはドンダ=ルウとミーア・レイ=ルウの姿を見比べた。


「ルウとルティムの女衆を、アスタに同行させる。……それを、仕事を引き受ける条件にする、というのは如何でしょうか?」


「ふうん? あたしらもアスタと一緒に家長会議のかまどの番を預かれってことかい?」


 ミーア・レイ=ルウが、ちっとも動じていない様子でそう応じた。

 ドンダ=ルウは、探るような目でガズラン=ルティムをにらみすえている。


「はい。アスタの料理は、特別な料理です。そして、家長会議には80名近い人間が集まります。それだけの料理を作りあげるには、すでにその方法をわきまえているルウやルティムの女衆の力が必要だと言い張るのです。……そうして、スン家の女衆にも手伝いを要求し、否応なしに調理の技術を叩きこんでやるのです」


「なるほど。俺なんかがいなくても、ミダ=スンを満足させることはできる、という状況をこしらえてやるわけですね」


「はい。さらに言うならば、ルウやルティムはすでにその技術を習得しているという事実を知らしめて、アスタの存在をその中に埋没させてやれば、ズーロ=スンらもアスタひとりに執着することはなくなるのではないかとも思えます」


 それは、なかなかに有効な手段であるように、俺には思えた。


「あんたの話は難しいね、ルティムの旦那。……だけど、アスタを手伝えって話なら、あたしには何の異存もないよ」


 そう言って、ミーア・レイ母さんは、にっと笑う。

 その笑い方は――ルド=ルウやララ=ルウとそっくりだった。

 顔立ちなんかはあまり似ていないが、やっぱり親子なんだなあと、ついつい俺は場違いな感慨を覚えてしまう。


「しかも、スン家の女衆の尻をひっぱたけって話なら、なおさら上等さ。家を腐らせてるのは男衆のせいばかりじゃない。男衆をとっちめるのはあんたたちにまかせるけど、女衆をとっちめる役目だったら、あたしは喜んで引き受けるよ?」


「おい。束ね役のお前が家の仕事をほっぽり出して、スン家なんざに出向くつもりかよ?」


 不満そうに言うドンダ=ルウに、「別にかまいはしないだろ?」と、ミーア・レイ母さんは笑いかけた。


「どうせ家には何人も残らないんだ。ティト・ミンとリミあたりを残していけば、家の仕事は回るだろうさ。……そういえば、家長はその日、誰をおともとして連れていくつもりなんだい?」


「ふん……本当ならば、ダルムなんだがな」と、ドンダ=ルウは次兄のほうに目をやった。


 頭のほうの包帯は外れたが、まだ顔の真ん中あたりはぐるぐる巻きにされているダルム=ルウである。


「家長会議までは、あと7日か。……まあ、それまでにどれだけダルムの傷が癒えるか、だな」


「ダルム兄が無理そうだったら、俺だよな?」と、ルド=ルウが楽しそうな声をあげる。


 はて、ジザ=ルウにはお呼びがかからないのかしらんと思っていると、かたわらのガズラン=ルティムが少し無念そうな目を向けてくる。


「家長会議がおこなわれる夜には、家長の後継者となる男衆が自分たちの家を守るならわしなのです。男衆の少ない小さな氏族ならばその限りではありませんが、ルウやルティムはそのならわしに従わなくてはなりません。ルティムからは、次兄が家長につきそうことになるでしょう」


「なるほど。……それにしても、家長とつきそいで合計80名ってことは、40名しか家長が存在しないってことになりますよね? 森辺の民の総勢は500名なのに、ずいぶん数が少なくありませんか?」


「家長会議に集まるのは、本家の家長のみなのです。分家は、ふくまれないのですよ」


 そういえば、ルティムの次兄にはすでに嫁も子もあり、自身が分家の家長であるのだった。


 しかし――どのみち分家など存在しないファの家長アイ=ファは、昨年の家長会議にもたったひとりで参加した、ということなのか。


 それも、悪縁を結んでしまったスンの家に、誰の助けを借りることもないままに。


 まったく、なんて強靭な我が家の家長だろうか。


「ダルム」と、ドンダ=ルウが厳しい眼差しを次兄に送る。


「そこのお調子者じゃあ、心もとねえ。あと7日でまともに動けるように、傷をふさげ」


「わかった」とダルム=ルウはうなずき、「何だよー」とルド=ルウが頬をふくらませる。


「それなら、家に残るのはジザとルド、それにジバとサティ・レイの4名だね。それならかまどの番もティト・ミンとリミで何とかなるだろうさ。あたしがヴィナとレイナとララを引き連れて、アスタの仕事を手伝ってやるよ。分家からだって、2人や3人ぐらいなら借りられるんじゃないかね」


「ルティムからも何名か出せれば、合計で10名ていどの女衆が集められそうですね。それだけの数の女衆が常にアスタのかたわらにあれば、スン家がかまどの間でよからぬ企みに及ぶこともできないと思いますが――いかがですか?」


 その言葉は、俺とアイ=ファの両方に向けられたものだった。

 けっきょくのところ――決断するのはアイ=ファであり、俺なのだ。


 スン家からのあやしげな仕事を、引き受けるか否か。

 引き受けるならば、ルウとルティムはこれだけの力を貸してやろうと言ってくれている。


 宿場町における俺の仕事は、森辺の行く末に関わる大仕事なのだという認識のもとに、彼らは助力を乞われる前から、すでに尽力を約束してくれているのだ。


 アイ=ファは――

 少し苦しげに、唇を噛んだ。


「やはり……どうしても、スン家からの申し出は受けなくてはならないのだろうか」


「はい。宿場町でアスタを守るよりは、かまどの間でアスタを守るほうが、より安全だと思われます。……仮にミダ=スンを退けたところで、ズーロ=スンがアスタへの執着を捨てない限り、いつまでも不安の種を抱えこむことになってしまうでしょうから」


 ガズラン=ルティムは、苦悩するアイ=ファの横顔をじっと見つめやる。


「そして、事態がここまで及んだからには、ファの家がどのような目論見で宿場町に店を出したのか、ということを、家長会議においてすべての氏族に知らしめるべきでしょう。そして、それには血抜きや解体といった技術が必要なのだ、ということも」


「え? この段階でもうそれを明るみにしてしまうのですか?」


 俺の言葉に、ガズラン=ルティムは大きくうなずく。


「こうなってしまっては、いたしかたがありません。アスタの商売の邪魔をすることは、森辺の繁栄を阻害する行為である、という事実をすべての氏族に知らしめるのです。……そして、ギバの肉に価値を与えることができれば、現在のアスタの商売よりもなお多くの富を得ることができるようになるのですから、そういう意味でも、ズーロ=スンの目をアスタ個人からそらすこともできるやもしれません」


 そして、ガズラン=ルティムはふっと口もとをほころばせる。


「家長会議でそうした話をしたのちに、家長たちはアスタたちの作った料理を口にするわけです。そうすれば、我々の言い分はさらに強い力を得ることができるのではないでしょうかね。こんなに美味い料理だったら、町の人間もギバの肉を欲するようになるかもしれない、と」


 ガズラン=ルティムは、この苦境を利用して、一気に森辺の主導権を握るつもりなのかもしれない。

 攻撃は最大の防御というが――ちょっと空恐ろしいほどの決断力である。


「しかし、それはあくまで私にとって最善と思える道です。ドンダ=ルウにはドンダ=ルウの考えがあるでしょうし、そして、決断をするのはアイ=ファとアスタです」


「ふん……俺は別に、貴様らの口車に乗って力を貸しているわけではない。相応の代価と引き換えに、女衆を貸しているだけだ」


 ドンダ=ルウは、ぶっきらぼうに言い捨てる。


「家長会議のかまどの番に、ルウの女衆を使いたければ、それ相応の代価を支払え。俺に言えるのは、それだけだ」


「何だい、本当に意固地な家長だねえ」


 ミーア・レイ母さんは呆れたように言い、ドンダ=ルウは「うるせえ」と、そっぽを向く。


 そうして――アイ=ファは、横目で俺を見た。

 俺は、大きくうなずき返してやる。


「スン家のかまどを預かるなんて、考えただけでもぞっとするけどな。それが家長会議なら、またちょっと話は別だ。それで、ルウやルティムの人たちと一緒に、少しでもスン家の歪みを正してやる――とでも考えれば、まあ納得もできるんじゃないかな」


「…………」


「何にせよ、スン家なんかに商売を邪魔されるのは我慢ならない。俺の力が及ばなくて失敗するならしかたないけれど、私利私欲のためだけに、それをスン家なんかに邪魔されるのは――何がどうあっても、俺には我慢できないな」


 また、腹の中でじわりと激情が蠢きそうになる。

 それを必死に抑えつけながら、俺はアイ=ファの瞳を見つめ返した。


「……そうか」と、アイ=ファは目線を伏せる。


「……眷族でもないルウやルティムに、そこまで力を借りるのは非常に心苦しいのだが……」


「何とも水くさい言い草だね! あんたたちは、ジバの魂を救って、あたしたちに美味しい料理の作り方を教えてくれて、ルティムの祝宴をあんな素晴らしい日に仕立てあげてくれたじゃないか? あんたとアスタは、あたしたちにとっても大事な友人なんだよ、アイ=ファ」


 と、ミーア・レイ母さんが大きな声で言い、笑う。


「それで、スン家を放っておいたら、アスタの店も潰れちまって、ヴィナやララの仕事も台無しになっちまうっていうんだろ? だったらこれは、ルウの富を守るっていうおこないでもあるのさ。だから、あんたが遠慮をすることはない。むしろあんたが遠慮をしたら、ルウは損をかぶることになる。そいつをきっちりわきまえた上で、あんたが正しいと思える道を選んでおくれよ」


「それならば……力を借りてもよろしいだろうか?」


 アイ=ファは右手の拳だけを床につき、くいいるようにミーア・レイ=ルウを見つめた。


「家長会議であれば、私もかまどの間に近づくことはできない。……その間、私の家人を守ってもらえるだろうか?」


「守るよ。絶対スン家の連中におかしな真似はさせないさ」


 ミーア・レイ=ルウのかたわらでは、ヴィナ=ルウも真剣な面持ちでうなずいてくれている。


 アイ=ファは、しばらく黙りこみ――それから、すっと頭を下げた。


「では……私も、ガズラン=ルティムの意見に……同意する」


 たぶんアイ=ファは、自分や俺の命運を少しでも他者にゆだねてしまうのが意に沿わないのだ。

 だから、こんなに苦しげな面持ちになってしまうのだろう。


 だけど、もともと俺たちの力だけでは、宿場町に店を出すことは不可能だった。

 それが不本意だというのなら、ずっとファの家で、俺とアイ=ファのふたりきりで、つつましく生きていけばいいだけのことだったのだ。


 それでも俺たちは、森辺の行く末を案じて、宿場町に店を出したい、と願ったのだから――とぼとぼと道を引き返すつもりでないのならば、ルウやルティムとともに力を合わせて進んでいくべきなのだろう。


 そんな風に、俺はアイ=ファを説得するつもりであったのだが……どうやらアイ=ファは、こんなに深く思い悩みながらも、どうやら自分の意志で俺と同じ結論に達したようだった。


 俺は、誰にも知られぬまま、ひっそりと喜びを噛みしめる。


「決まりだな。……それじゃあ後のややこしい話は明日の朝にでもしろ。俺は、もう眠る」


 ドンダ=ルウの重々しい声で、3家合同の密談はひとまず終了と相成った。


 ルウの家人はおのおのの部屋へと戻り、客人3名は玄関口へと向かう。

 婚儀の前祝いのときと同様に、ガズラン=ルティムはルウの分家に、俺とアイ=ファは例の空き家で一夜を明かす段取りになっていた。


 ガズラン=ルティムは一足先に外に出て、俺は片腕のアイ=ファが履物を巻き終えるのを待つ。


 そこに、ミーア・レイ母さんが近づいてきた。


「ねえ、アイ=ファ。思ったんだけどさ、家長会議の当日まで、あんたたちにルウの集落に留まってもらうことはできないもんかね?」


「……何故に?」


「そりゃあもちろん、この先も何べんだって打ち合わせをする必要が出てくるだろうし、それに、家長会議で出す料理については、あたしたちも修練を積まなきゃならないだろうからさ。だったら最初からこの集落で寝起きをしてもらったほうが、都合がいいだろう?」


「しかし……」


「ファの家の肉や野菜なんかは、全部こっちに持ってきちまえばいい。そうすれば、いちいち家に戻る必要もなくなるだろう? ……それに、ダルムやレイナのことも気にしなくていいよ。あんたやアスタがそばにいようがいなかろうが、あの子らの胸の苦しさに変わりはないんだろうからさ」


「ミ、ミーア・レイ=ルウ、それはいったい……?」


 俺が慌てて口をはさむと、ミーア・レイ母さんはにんまり笑った。

 同じにんまりでも、カミュアなんかとは大違いの温かい笑みである。


「息子や娘の気持ちなんかはお見通しさ。特にあの子らはあたしや家長の若い頃にそっくりだからねえ。ジザやヴィナなんかはちょっと難しいところがあるけれどさ。……とにかくね、スン家っていう厄介な連中を相手にするんだから、万全の態勢でのぞもうじゃないか。よろしく頼んだよ?」


 そうしてこちらの返事も待たぬまま、ミーア・レイ母さんも自分の部屋へと戻っていった。


 俺とアイ=ファは、きわめて複雑な感情のこもった目を見交わす。


「……何だか今日だけで、ミーア・レイ母さんの器を思い知らされちまったな?」


 アイ=ファは小さく息をつき、革の履物を足に巻きつける。

 そうして家を出ると、外ではガズラン=ルティムが待っていてくれた。


「お疲れ様でした、アイ=ファにアスタ。明日も商売だというのに、すっかり遅くなってしまいましたね」


「いえ。晩餐の前にすべての仕込みは終わらせておきましたから、後はもう眠るだけです。問題はありません」


 今日の晩餐はルウの女衆だけでこしらえていたので、そのぶん俺は仕込みの作業に時間を費やすことがかなったのだ。


 そして明日のパテとポイタンを焼く薪は、俺とアイ=ファで集めればルウ家に迷惑をかけることもないだろう。

 ルウの集落に身を置いても、商売に悪い影響はない。むしろ少しゆとりが出るぐらいだと思う。


「この段階で、ズーロ=スンがアスタの存在に着目するとは思っていませんでした。……というか、この短い期間でアスタがそれほどまでの銅貨を稼げるということを、私は予測することができませんでした」


 明るい月の下、おたがいのねぐらに向かって足を進めながら、ガズラン=ルティムがゆったりと笑いかけてくる。


「アスタの力のほどはわきまえていたつもりでしたのに、自分の不明を恥じるばかりです」


「俺の力じゃなく、ギバ肉の力ですよ。俺のほうこそ、商売を始めた当初はギバ肉の力を見誤っておりました」


「……そのギバ肉の力とアスタの力が合わされば、きっと森辺にさらなる豊かさをもたらすことは可能になるでしょう。そのためにも、スン家の暴虐はここで食い止めねばなりません」


 穏やかだがとても力のこもった目で、ガズラン=ルティムは俺とアイ=ファの姿を見比べた。


「父ダンやドンダ=ルウとも相談してからですが、私は他の眷族たち、ミンやレイやマアムなどにも事情を打ち明け、力を合わせる必要があると思っています。……ともに手を携えて、この苦難を乗り切りましょう、アイ=ファ、アスタ」


「はい。こちらこそよろしくお願いします」


 スン家の存在は脅威的だが、ルウとルティムと、そしてアイ=ファがいる限り、スン家などに屈することはないだろう――と信じることはできる。


 俺自身の力はちっぽけでも、彼らなら大丈夫だ。

 ヤミル=スンやテイ=スンなどは、ひどく不気味な存在であったが。これからあの連中以上に厄介な相手が登場してきたとしても、何も臆することはない。


 俺も、俺に果たせる仕事を果たそう。

 不当な手段で、俺たちの店を潰させはしない。


 俺のいた世界とは異なる絵を描く満天の星空を見上げやりながら、俺はいっそう固く心にそう誓った。

アスタの収支計算表


*試食分は除外。


・第六日目



①食材費


『ギバ・バーガー』60人前


○パテ

・ギバ肉(10.8kg)……0a

・香味用アリア(15個)……3a


○焼きポイタン

・ポイタン(60個)……15a

・ギーゴ(60cm)……0.6a


○付け合せの野菜

・ティノ(3個)……3a

・アリア(3個)……0.6a


○タラパソース

・タラパ(5個)……5a

・香味用アリア(10個)……2.4a

・果実酒(1.75本)……1.75a

・ミャームー(1/5本)……0.2a


合計……31.55a



『ミャームー焼き』90人前


○具

・ギバ肉(16.2kg)……0a

・アリア(45個)……9a

・ティノ(4.5個)……2.25a


○焼きポイタン

・ポイタン(90個)……22.5a

・ギーゴ(90cm)……0.9a


○漬け汁

・果実酒(3本)……3a

・ミャームー(3本)……3a

・香味用アリア(4.5個)……0.9a


合計41.55a


2品の合計=31.55+41.55=73.1a



②その他の諸経費


○人件費……21a


○場所代・屋台の貸出料(日割り)……4a


○食材運搬用の皮袋(1枚)……15a



諸経費=①+②=113.1a


141食分の売り上げ=282a


純利益=282-113.1=168.9a



純利益の合計額=286.47+168.9=455.37a

(ギバの角と牙およそ37頭分)

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