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異世界料理道  作者: EDA
第六十四章 群像演舞~七ノ巻~
1101/1681

     祝宴の舞台裏(中)

2021.10/8 更新分 1/1

 しばらくすると、高く設えられた壇の上にアスタとトゥール=ディンが招かれて、祝福の儀が行われることになった。

 300名からの人々が、壇上の2名に惜しみのない拍手や歓声を捧げていく。そちらと同じように手を叩きながら、スフィラ=ザザの胸には得も言われぬ幸福感が満ちていた。


(無理を言ってでも、参席させてもらえてよかった。……おめでとう、トゥール=ディン。あなたはこれだけの祝福に相応しいかまど番です)


 遠目にも、トゥール=ディンが幸福の涙をにじませているのがわかった。

 トゥール=ディンのそんな姿を見せつけられると、スフィラ=ザザのほうまで涙をこぼしそうになってしまう。隣のリッドの女衆などは、トゥール=ディンが壇上に現れた時点でもう目もとをぬぐっていたのだった。


 いっぽうゲオル=ザザなどは、たいそうなはしゃぎようだ。なんとなく、懸想した男衆が勇者の証を授かる姿を見守る女衆のごとき様相である。まあ、試食会というものがかまど番にとっての力比べであるのであれば、それもまんざら的外れではないのかもしれなかった。


 そうしていくぶん気持ちが落ち着いてくると、スフィラ=ザザの目はまたアイ=ファの姿に引き寄せられてしまう。彼女もまたアスタの付添人として、壇上にあげられていたのである。


 当然のこと、アイ=ファも城下町の宴衣装だ。

 アスタの付添人ということで、スフィラ=ザザたちよりも少しだけ豪奢な宴衣装を纏っている。しかしそのようなこととは関わりなく、やはりアイ=ファは誰よりも美しいように思えてならなかった。


 アイ=ファは凛々しく表情を引き締めながら、とてもやわらかい眼差しでアスタの姿を見守っている。家長らしい謹厳さと母親めいた慈愛の混在する、不思議な雰囲気だ。やはりこれは女衆でありながら家長であり狩人であるというアイ=ファならではの美しさなのかもしれなかった。


(アイ=ファは顔をあわせるたびに、美しさが増していくように感じられる。それはやっぱり、家長としての風格が増してきたからなのかしら)


 スフィラ=ザザがそんな想念にひたっている間に、祝福の儀は終了した。

 壇上の人々は大広間に下ろされて、祝宴の開始が告げられる。会場がいっそうのざわめきと熱気に包まれると、ゲオル=ザザが「さて!」と大きな声をあげた。


「あやつらは、しばらく王家の者どもの世話をしなければならないという話であったな! その間に、俺たちもぞんぶんに腹を満たすこととしよう!」


「はい。わたしが手伝ったのはトゥール=ディンの菓子だけですので、アスタの料理がとても楽しみです」


 リッドの女衆が笑顔でそのように応じると、ゲオル=ザザはいっそう愉快そうに笑った。


「今日ばかりはどこに出向いても森辺の料理と菓子ばかりなのだから、文句のつけようもないことは確かだな! では、ゆくぞ!」


 ゲオル=ザザを先頭にして、一行は手近な料理の卓を目指した。

 その道中で、「スフィラ=ザザ」と声をかけられる。

 それを耳にした瞬間、スフィラ=ザザの心臓が跳ね上がった。


「ようやくご挨拶ができました。……おひさしぶりですね、スフィラ=ザザ」


 スフィラ=ザザがゆっくり振り返ると、そこに予想通りの人物が立っていた。

 1年と2ヶ月ぶりに見る、レイリスである。

 スフィラ=ザザはどくどくと心臓が高鳴るのをこらえながら、城下町で習い覚えた礼をしてみせた。


「おひさしぶりです、レイリス。……お元気そうで何よりです」


「ええ、あなたも。ひさかたぶりにスフィラ=ザザが参席されると聞いて、ずっと心待ちにしておりました」


 そう言って、レイリスは優雅に微笑んだ。

 最後に見たときと何ら変わらない、穏やかな笑顔である。


 レイリスは、スフィラ=ザザより1歳年長なだけの若者であった。

 すらりとした身体に武官の白い礼服を纏い、その手に硝子の酒杯を携えている。その顔はとても端整であるが、森辺の狩人とは異なる貴族ならではの精悍さが宿されており――以前と変わらず、魅力的であった。


(……でも、わたしは大丈夫だ)


 そんな風に念じながら、スフィラ=ザザはまた頭を下げてみせた。


「お言葉を交わす前に、まずは謝罪しなければなりません。……このたびはあなたとの約定を破ってしまい、心より申し訳なく思っています」


「約定? とは、なんのお話でしょう?」


 と、レイリスは一瞬だけ不思議そうな顔をしてから、「ああ」と首肯した。


「それはもしや、スフィラ=ザザが再び城下町を訪れることはないと宣言されたお話についてでしょうか?」


「ええ、もちろんです。わたしは決して軽々しい気持ちで、あのような言葉を吐いたわけではないのですが――」


「承知しています。ですがあれは、わたしとの約束というよりもスフィラ=ザザのお気持ちの表明と思っていましたので、お詫びには及びません」


 そう言って、レイリスはまた優しげに微笑んだ。


「スフィラ=ザザご自身が城下町を訪れても問題はないと判じたのでしたら、わたしはそのご判断を尊重いたします。ですから、どうかお気になさらないでください」


 スフィラ=ザザは、レイリスの優しさや誠実さに、深く胸を打たれることになった。

 そしてそれとは別の想念が、胸の奥底から湧き出してくる。

 レイリスは外見も内面も魅力的で、とても好ましく思えるのだが――それでもスフィラ=ザザの胸に、かつての引き攣るような痛みが生じることはなかったのだった。


(……やっぱり、わたしは大丈夫だ)


 そしてレイリスもまた、邪念のない眼差しでスフィラ=ザザを見つめてくれている。そこには無理に恋心をねじ伏せているような痛みも苦しみも感じられず、ただひたすらスフィラ=ザザとの再会を喜ぶ気持ちだけがあふれかえっており――それがまた、スフィラ=ザザをいっそうやわらかい心地にさせてくれるのだった。


「ふふん。そういえば、俺とレイリスの力比べを見届けた後、お前はそんなようなことを語らっていたな。先のことも考えずに迂闊な言葉を吐くと、こうして頭を下げる羽目になるということだ」


 ゲオル=ザザがそんな風に言いたてたので、スフィラ=ザザはそちらをねめつけてみせた。


「わたしが迂闊であったのは確かですが、あなたにだけは偉そうにされる筋合いはないように思います。あなたこそ、次代の族長に相応しい落ち着きを身につけるべきではありませんか?」


「今日の俺は、まだ余人に頭を下げるような失態も見せてはおらんからな。であれば、姉の失態をたしなめることも許されようさ」


 すると、レイリスが小さく声をたてて笑った。


「いや、失敬。おふたりのこうしたやりとりも、とても懐かしく感じられます。相変わらずの睦まじい姿に、なんだかとても安心いたしました」


「何が睦まじいものか。だいたいこいつは俺と同じ齢であるくせに、歳をくった女衆のように口うるさくてかなわんのだ」


 スフィラ=ザザは頬が熱くなるのを感じながら、勝手なことばかりを言う弟の肩を引っぱたいてみせた。

 レイリスは楽しそうに目を細めつつ、「では」と声をあげる。


「よろしければ、わたしが案内人を務めさせていただきましょう。今日はひときわ、見慣れない人間も多いでしょうしね」


「何でもかまわんが、まずは料理だ! 今日は1日中甘い香りを嗅がされていたので、ギバ肉が恋しくてかなわんぞ!」


 そうしてレイリスを加えた一行は、あらためて料理の卓を目指すことになった。

 その道中で、リッドの女衆がこっそり微笑みかけてくる。


「レイリスという御方をこうまで間近から拝見したのは、初めてのことかもしれません。とても信頼の置けそうな御方ですね」


「ええ。その判断に間違いはないように思います」


 スフィラ=ザザがそれだけ答えると、リッドの女衆はどこか安心したような面持ちで口もとをほころばせた。

 きっと彼女も、スフィラ=ザザの心情を心配してくれていたのだろう。もしかしたらそれもあって、スフィラ=ザザと同行することを望んだのかもしれない。それぐらい、彼女は思いやりのある人間であるのだ。


 そうして手近な卓に近づくと、そちらに集っていた人々が華やいだ声をあげた。城下町の、若い貴婦人たちである。


「また森辺の方々がいらっしゃいましたわ。ああ、レイリス様、わたくしたちにもそちらの方々をご紹介いただけませんでしょうか?」


「承知しました。そちらの方々は――ああ、ラヴィッツの血族の方々ですね」


 レイリスがそのように応じると、低い位置で「ふふん」と鼻を鳴らす者があった。


「確かに俺たちはラヴィッツの血族だが、こちらにはベイムの血族も控えている。一緒くたにされてはかなわんと思う人間もおるやもしれんな」


「ははは。そうまで目くじらを立てるような話でもあるまい」


 と、別なる人間がそれに答える。最初に声をあげたのはラヴィッツの長兄、それに答えたのはベイムの長兄であった。この場には、ラヴィッツとベイムに連なる人々が6名ばかりも群れ集っていたのだった。

 スフィラ=ザザはかつてラヴィッツの集落で行われた合同の収穫祭を見届けていたために、それらの人々はおおよそ見覚えていた。きわめて優れたかまど番であるマルフィラ=ナハムと、その兄たるモラ=ナハム、そして末妹の少女だ。最後のひとりのフェイ=ベイムは昔から屋台の商売を手伝っていた女衆であるため、スフィラ=ザザも何度か挨拶をした覚えがあった。


「ベイムの方々ですか。申し訳ありません。わたしもまだまだ、森辺の方々との交流が足りていないもので」


 レイリスはそんな風に詫びてから、スフィラ=ザザたちを貴婦人たちに紹介していった。それでまた貴婦人がたが騒ぎだす前に、ゲオル=ザザは卓のほうを指し示す。


「交流を深めるのはけっこうだが、まずは腹を満たしたく思うぞ。こんな腹ぺこでは、何を語っても頭に入らんのでな」


「まあ、豪気な御方ですのね。さすがは族長筋の跡取りですわ」


 貴婦人がたの半分ぐらいは怖々と、もう半分は興味津々の様子で森辺の民を見やっている。今日は貴族たちもこれまで以上の人数で招かれていたため、森辺の民と初めて顔をあわせる人間も少なくはないのだろう。そして何故だかその内の何名かは、妙に熱っぽい眼差しでスフィラ=ザザのことを見やっていた。


「あなたも族長筋のザザという家の御方ですのね。ですからそのように、気品あるたたずまいなのでしょうか」


「気品? ……わたしは族長筋に相応しい人間であろうと自らを律しているつもりですが、それが城下町で言う気品というものに結びつくかどうかは判然といたしません」


 スフィラ=ザザがそのように答えると、貴婦人の何名かがきゃあっと黄色い声をあげた。

 なんとなく――アイ=ファになったような心地である。アイ=ファも城下町における昔日の祝宴において、こういった扱いを受けていたはずであった。


「それにしても、ラヴィッツとベイムでつるんでいたところに、ザザの血族がやってくるとはな。これはまさしく、ファの家の行いに反対の声をあげていた家の集まりではないか」


 と、ラヴィッツの長兄がにたにたと笑いながら、そんな風に言いたてた。

 すると貴婦人たちが、「まあ」と目を丸くする。


「ファの家というのは、あのアスタ様の家でしょう? その行いに反対の声をあげるとは、いったいどういったお話なのでしょうか?」


「どういったも何も、そのままの意味だ。宿場町で屋台を出すことも、ギバ肉を売りに出すことも、町の人間とむやみに交流を深めることも、俺たちはのきなみ反対していたからな」


「ええ? どうしてそんな……わたしたちは、同じジェノスの民ですのに……」


「ふふん。どうやらそちらは、例の傀儡の劇を目にしておらぬようだな。氏族の名までは明かされていなかったように思うが、あの劇でもそのあたりの事情はおおよそ語られていたはずだぞ」


 貴婦人たちの数多くが、好奇心に瞳を輝かせていた。

 レイリスは、どこか感心しているような眼差しでラヴィッツの長兄の姿を見守っている。


「かつての俺たちは野蛮なギバ喰いの一族として、宿場町の人間から忌避されていた。そして俺たちもまた、宿場町の民を柔弱の徒と蔑んでいた。それでも絆を結びなおす甲斐があるのかと、1年がかりで思案して……それでようよう、行く道が定められたという顛末だな」


 スフィラ=ザザよりも背の低いラヴィッツの長兄は、その場の貴婦人たちをすくいあげるようにして見上げながら、そんな風に言葉を重ねた。


「そもそも城下町の民は森辺の民と顔をあわせる機会もなかったため、そういった諍いが存在することすら把握していなかったと聞き及んでいる。嘘だと思うなら、他の人間に確かめてみるといい。都合のいいことに、今日は宿場町の民もたいそうこの場に招かれているようだからな」


「まあ、そうですのね……それであの、今のあなたがたは……?」


「だから、1年がかりで行く道を定めたと言ったろう? それでこうして俺たちも、城下町でお前たちと語らっているというわけだ」


 貴婦人たちはほっと安堵の息をつき、ラヴィッツの長兄は満足そうににんまりと笑う。すると、無言でこのやりとりを見守っていたレイリスが、スフィラ=ザザのもとにそっと口を寄せてきた。


「わたしは試食会の場で、初めてあちらの御方とまみえることになったのですが……なんというか、森辺ではあまり見かけることのなかったお人柄であられるようですね」


「ええ。わたしもほとんど見知らぬ相手であったため、少し驚かされています。ラヴィッツの長兄とは、このような人柄であったのですね」


 ラヴィッツの長兄は城下町の民のように髪を油で撫でつけた上で、宴衣装を纏っていた。その身からかもしだされる雰囲気は、まぎれもなく森辺の狩人のそれであるのだが――確かにこれは、森辺でもなかなか見かけない種類の人柄であるようだった。


「でも、たしか……あのラヴィッツの長兄は、狩人の力比べで勇者の座を授かっていたはずです」


「えっ! あの御方は、それほどの狩人であられたのですか?」


「ええ。勇者となったのは木登りの力比べでしたが、闘技の力量も相応であったように思います」


「そうですか……いや、お見それいたしました。わたしはあちらの立派な体躯をされた御方にばかり、目がいっておりましたので」


「ああ、あちらのナハムの長兄も、荷運びの勇者であったはずです。さすがは剣士の眼力ですね」


 スフィラ=ザザがそのように答えると、レイリスは気恥ずかしそうにはにかんだ。

 余人の耳をはばかっているために、その距離がとても近い。しかしスフィラ=ザザは、それでも自分の心臓が騒がないことに、じんわりとした喜びを抱くことができた。


「お前たちは、何をひそひそ語らっておるのだ? まさか、ふたりそろって思慕の情がよみがえってしまったのではなかろうな?」


 と、ゲオル=ザザが囁き声で割り込んでくる。スフィラ=ザザとレイリスの一件は城下町において秘匿されているので、こうして声をひそめる必要があるのだ。

 ともあれ、レイリスに対してまでそのような口を叩くのは非礼の極みである。スフィラ=ザザは奔放な弟をたしなめるために口を開きかけたが、それよりも早くレイリスが「とんでもありません」と微笑んだ。


「わたしは邪念なく、スフィラ=ザザとの再会を喜んでいるのみです。それとも何か、ゲオル=ザザに誤解されるような振る舞いでもお見せしてしまったでしょうか?」


「そういった振る舞いとは、あやつらのようにか?」


 ゲオル=ザザが親指で、人の輪の外れにたたずむ男女のほうを指し示した。

 ナハムの長兄モラ=ナハムと、ベイムの末妹フェイ=ベイムである。前者は岩のような無表情で、後者は仏頂面であったが――何とはなしに、温かい空気が感じられた。


「あちらのおふたりは、恋仲であられるのでしょうか?」


「知らん。しかし、そうでないというのなら、まぎらわしい空気を作るなと言いたいところだな」


 そう言って、ゲオル=ザザは白い歯をこぼした。


「まあ、余所の氏族の色恋沙汰に口をはさむ理由はない。ただ、お前たちがあやつらのような空気を撒き散らし始めたら、遠慮なく口を出させてもらうぞ」


「いらぬ心配です。わたしもレイリスと、同じ気持ちですので」


 なんの憂いもなくそのように答えられることが、スフィラ=ザザには何より喜ばしかった。

 そうしてレイリスの笑顔に目を向けると、また胸が温かくなる。かつて恋心を抱いていたときとはまったく異なる、やわらかい気持ち――それは、スフィラ=ザザが名前を知らない感情であるようだった。


「それではそろそろ、次の卓に向かうとするか。いつまでも同じ場所に留まっていると、料理を食い尽くしてしまいそうなのでな!」


 ゲオル=ザザがそのように宣言すると、何名かの貴婦人が後をついてきた。

 行った先には、森辺の民と宿場町の民が群れ集っている。その中で、スフィラ=ザザが名前を知っているのは――ルウの家人たるジーダとマイムのみであった。


「あ、みなさん、お疲れ様です! こちらの料理も、素晴らしい出来栄えですよ!」


 まずはマイムが、そのように挨拶の声をあげてくる。たしか彼女はトゥール=ディンと同い年で、とても可愛らしい容姿をしていた。

 いっぽうジーダは、かつて外界の民であったとは思えぬほど、森辺の狩人らしい精悍さを持つ若者だ。齢はゲオル=ザザより年少のはずであったが、何度かはルウ家の力比べで勇者の座を得たほどの力量なのである。


「ほう、確かにこいつは美味そうだ! おい、俺たちにも取り分けてくれ!」


 名前は知らないがルウの血族である女衆が、鉄鍋の料理を皿に取り分ける。これはたしか、アスタたちがホイコーローと呼んでいる料理であった。


「スフィラ=ザザも、お疲れ様です! えーと、そちらは……?」


「わたしは、レイリスと申します。以前にリーハイムとともにご挨拶をさせていただきましたね」


「あ、そうでした! すみません、最近は色々な方々とご縁を結ばせていただいていたので――」


 と、マイムがわずかに心配げな表情を浮かべた。スフィラ=ザザが問題を起こしたとき、彼女はすでにルウ家の客分であったのだ。ならば、レイリスとゲオル=ザザの力比べもルウ家の集落で見届けているはずであった。


 すると、気をきかせたリッドの女衆が、マイムに耳打ちをする。リッドの女衆が身を離すと、マイムは明るい笑顔を取り戻して鉄鍋のほうを指し示した。


「みなさんも、どうぞお召し上がりください! こちらの料理は、ホボイ油やラマンパ油の使い方が秀逸ですよ!」


「ええ」と応じつつ、スフィラ=ザザはリッドの女衆に目礼をしてみせた。リッドの女衆は、マイムに劣らず朗らかな笑みを向けてくる。


(わたしは人の世話になってばかりだな)


 スフィラ=ザザは自分の至らなさとともに、料理の味を噛みしめた。

 後をついてきた貴婦人たちも、きゃあきゃあ言いながら同じものを口にしている。


「……彼女たちは、レイリスとご縁を深めたいのではないでしょうか?」


 スフィラ=ザザが声をひそめて呼びかけると、レイリスはきょとんと目を丸くした。


「いえ。彼女たちが関心を向けているのは、あなたですよ。あの眼差しを見れば、一目瞭然でしょう?」


「そう……なのでしょうか? わたしが初めてまみえたお相手に慕われる理由はないように思うのですが……」


「城下町の貴婦人というものは、何より美しい存在を好むものであるのです。……これ以上言葉を重ねると、森辺の習わしに背いてしまうことになりますね」


「まあ」と、スフィラ=ザザはまた頬を熱くすることになった。


「まさかあなたが、そのような軽口を叩くとは思ってもいませんでした。わたしはあなたのお人柄を誤解していたのかもしれません」


「申し訳ありません。ひさびさの再会で浮かれているものとご容赦くだされば幸いです」


 レイリスの表情は、あくまでも穏やかであった。

 では彼も、そんな軽口を叩けるぐらい心が安らいでいるということだ。そう考えると、羞恥の念とは別に、嬉しく感じてしまうスフィラ=ザザであった。


「ところで……あちらのマイムにジーダといった方々は、かつてトゥランやマサラの民であったのですよね?」


「ええ。わたしはそのように聞いています」


「それが今ではおたがいに森辺の民として、親愛を深めているというわけですね。……わたしには成し得なかった所業ですので、とても眩しく感じられます」


 そのような言葉を口にしても、レイリスの声に悲哀や苦痛の気配がにじむことはない。

 スフィラ=ザザはいくぶん神妙な心地で、マイムたちのほうを振り返った。


 ジーダはともかく、マイムのほうはまだ婚儀も許されぬ年齢だ。しかし、マイムを見つめるジーダの目や、ジーダを見つめるマイムの目には、ただの親愛とは異なる感情が見受けられた。それはまだ恋愛感情と呼ぶような段には至っていないのであろうが――しかし、それに準ずる感情であるように思えた。


(わたしはいつから、こんな風に人の想いを感じ取れるようになったんだろう)


 さきほどのフェイ=ベイムとモラ=ナハムに関しても、以前のスフィラ=ザザであれば思慕の気配など感じ取れなかったように思う。やっぱりそれは、自分が初めて恋心というものを体験したからこそ、感じ取れる空気なのかもしれなかった。


「……レイリスの仰ることも、わからなくはありません。ですが、それを言うのでしたら……ジョウ=ランとユーミのほうが相応なのではないでしょうか?」


 スフィラ=ザザがそのように応じてみせると、レイリスは不思議そうに小首を傾げた。


「ジョウ=ランと、ユーミ? ……ああ、宿場町の宿屋の娘が、森辺に嫁入りするかもしれないという話は聞いています。ついにその話が決せられたのでしょうか?」


「いえ。ですが、彼女たちもこの祝宴に参じているはずです」


「そうなのですか」と、レイリスは変わらぬ面持ちで微笑んだ。


「それはさぞかし眩しく見えましょうが……ご挨拶をさせていただくのが楽しみです」


 レイリスの笑顔には何の陰りも感じられなかったので、スフィラ=ザザも心からの笑顔を返すことができた。


「おお、レイリス! どこに行ったかと思えば、ザザのおふたりと一緒だったのか」


 と、横合いから新たな一団が接近してくる。それはルウの血族と、レイリスの血族たるリーハイムであった。

 貴婦人たちは恭しげに一礼し、宿場町の民たちも慌ててそれにならおうとする。しかしリーハイムは鷹揚に笑って、それを制した。


「今日はいちいちそんな風に格式ばってたら、キリがねえだろ。主催者である南の王家の方々も、そんなもんは望んじゃいねえさ」


 リーハイムは伯爵家の第一子息という、きわめて身分の高い人物であるのだ。ただし、口のききかたはぞんざいであったし、気取った外見の割には堅苦しい形式を好まない様子であった。

 実のところ、スフィラ=ザザが彼と顔をあわせたのは、去年の闘技会の祝宴のみとなる。その際には、ずいぶんと力ない様子であったのだが――今日の彼は、別人のように溌剌としていた。


(まああの頃は、ようやくルウ家とサトゥラス伯爵家の和解が為されたところであったし……闘技会にはその後始末という意味合いで、森辺の狩人が参ずることになったのですものね。問題を起こした張本人としては、さぞかし肩身がせまかったことでしょう)


 しかしその後、ルウ家とサトゥラス伯爵家は恩讐を越えて絆を深め、ついにはレイナ=ルウ個人に晩餐会のかまどを預けたのだと聞いている。そのレイナ=ルウもリーハイムのかたわらに控えており、屈託なく笑顔をさらしていた。


 リーハイムはレイナ=ルウに恋心めいたものを抱いていたのだが、それを打ち捨てることによって、新たな絆を深めたのだという話だ。ならばそれは、スフィラ=ザザにとってもっとも見習うべき姿勢であるはずであった。


「……ご覧の通り、不肖の従兄弟たるリーハイムも、ルウ家の方々と正しき絆を結びなおすことがかなったようです」


 と、レイリスがまたこっそりと呼びかけてくる。


「まあ、わたしも彼のことをとやかく言える身ではなくなってしまいましたが……そうだからこそ、スフィラ=ザザとこうして正しい心持ちで再会を果たせたことを、何より得難く思っています」


 スフィラ=ザザはぐっと胸を詰まらせながら、ようよう言葉を返してみせた。


「わたしもです。……わたしもずっと、そのように考えていました」


「はい。スフィラ=ザザも同じ心情でいてくださることを、ひしひしと感じていました。それでいっそう、喜ばしく思っていたのです」


「……それもまた、わたしと同じ心情であるようです」


 こらえようもなく、スフィラ=ザザは微笑んでしまった。

 レイリスもまた、優しく微笑んでくれている。

 恋心とは異なる熱い何かで、スフィラ=ザザは胸の隅々まで満たされる心地であった。


(なんだろう。レイリスと婚儀をあげたいなんていう気持ちは、これっぽっちも蘇っていないのに……どうしてこんなに、胸が熱くなるんだろう)


 そんな思いを抱えながら、スフィラ=ザザはしばしその場でリーハイムたちと交流を重ねることになった。

 驚いたことに、宿場町の民たちはリーハイムを見知っていたらしい。つい最近、リーハイムとレイリスは宿場町で行われた吟味の会というものに見届け役として参じていたそうなのだ。リーハイムがやたらと鷹揚であるためか、宿場町の民たちも次第に打ち解けた様子で言葉を交わせるようになっていた。


「リーハイムは宿場町を治めるサトゥラス伯爵家の次期当主ですからね。こういった交流も、きっとのちのち実を結ぶことでしょう」


「でも、それを言ったらレイリスだって、サトゥラス伯爵家の血筋でしょう?」


「わたしは騎士に過ぎませんし、今は父の汚名をそそぐだけで手一杯です」


 そのように語りながら、レイリスは力強く微笑んだ。

 かつてのスフィラ=ザザは、彼のこういった部分に強く魅了されていたのだ。森辺の狩人とは比べるべくもない、下手をしたら柔弱に見えかねない容姿であるのに、ふとしたときに精悍な一面を垣間見せる。そして、弟のゲオル=ザザをも打ち負かせる力量を持つ彼に、スフィラ=ザザはどうしようもなく心をひかれてしまったのだった。


(それで今日などは、気安く軽口を叩くという新しい一面まで見せつけられてしまったけれど……)


 それでもスフィラ=ザザの決意に、変わるところはない。

 スフィラ=ザザには、それが何より誇らしかったのだった。

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