表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異世界料理道  作者: EDA
第六十四章 群像演舞~七ノ巻~
1100/1681

第六話 祝宴の舞台裏(上)

2021.10/7 更新分 1/1

 ジェノスの城下町にて行われた、礼賛の祝宴――それに参ずることを許されたスフィラ=ザザは、誰よりも胸を高鳴らせてしまっていた。


 それは試食会というもので立派な成績をおさめたアスタとトゥール=ディンを祝福するための催しであるのに、ただの参席者に過ぎないスフィラ=ザザがそうまで心を乱すというのは、滑稽な話であろう。しかしそれはスフィラ=ザザにとって、中天を過ぎた森に踏み入るのと同じぐらい覚悟が必要な話であったのだった。


(大丈夫……わたしは大丈夫だ。1年以上もかけて、自分の気持ちを静めてみせたのだから……)


 スフィラ=ザザがそうまで心を乱しているのは、もちろんレイリスと顔をあわせてしまうためであった。

 昨年の、朱の月――スフィラ=ザザは、自らの心中を家族に打ち明けることになった。それまでの祝宴で2度ほど顔をあわせた城下町の貴族レイリスに懸想してしまったという、許されざる事実をである。


 そこから端を発して、森辺においては弟のゲオル=ザザとレイリスが剣技の力比べをすることになってしまった。レイリスの強さがスフィラ=ザザの心を惑わす一因であるのなら、せめて自分がそれだけでも打ち砕いてみせよう、と――ゲオル=ザザが、そんな無茶なことを言い出してしまったためである。


 しかし結果的に、スフィラ=ザザの心はそれで救われることになった。

 レイリスが力比べで敗北したためではない。勝負の後に、レイリスと言葉を交わすことが許されて――それでようやく、自分の想いを打ち捨てる覚悟を固めることがかなったためであった。


 自分は母なる森を捨てて、城下町に嫁入りすることはできない。

 レイリスもまた、城下町の家を捨てて森辺に婿入りすることはできない。

 だからふたりはおたがいに心をひかれつつ、それよりも大事なもののために生きるべきなのだ、と――スフィラ=ザザとレイリスは、そんな誓いを立てることに相成ったのだった。


 しかしもちろん、スフィラ=ザザがそれですべての苦しみから解放されたわけではなかった。

 いや、むしろ苦しさは増したぐらいかもしれない。スフィラ=ザザは、レイリスのほうまでが自分のことなどを懸想していたという信じ難い事実を知ることになってしまったのだ。それでもなお、思慕の気持ちを押し殺さなくてはならないというのは――ほとんど拷問のようなものであった。


 また、スフィラ=ザザがどれだけ森辺でつつましく生きていようとも、レイリスの話は勝手に耳に入ってきてしまう。森辺の民は城下町の貴族とも正しき絆を深めなければならないとされていたし、弟のゲオル=ザザは父たる族長の代理でたびたび城下町まで出向いていたため、レイリスの話題を避けて過ごすことは不可能であったのだった。


 かつて城下町で行われた仮面舞踏会という祝宴において、レイリスはおとぎ話に出てくる狩人の扮装をしていたという。

 いったいそれはどのような姿であったのか、そんな些末なことでも気になってたまらず、スフィラ=ザザは夜も眠れないほどであった。


 さらにレイリスは、ファの家で過ごしていたティアという娘を聖域に戻す際、マルスタインの代理として同行したという。

 レイリスが、どうか無事に戻ってこられるように、と――スフィラ=ザザは、他の森辺の同胞に対するのと同じかそれ以上の気持ちで、母なる森に願うことになってしまった。


 しかしそれでも、1年と2ヶ月ていどの時間が過ぎて、スフィラ=ザザはようよう心をなだめることができた。

 まだまだ他の男衆を伴侶に迎えようという心持ちにはなれぬものの、レイリスのことを思い出して胸が引き攣るような痛みを覚えることはなくなった。森辺の民としての幸福な暮らしが、自分は正しい運命を選んだのだという確信を与えてくれたのだった。


 そんな中で持ち上がった、礼賛の祝宴である。

 ジェノス中から立場のある人間が集められて、アスタとトゥール=ディンに祝福を与える――そんな話を聞かされて、スフィラ=ザザは是が非でも参席したいと願った。それぐらい、スフィラ=ザザにとってトゥール=ディンというのは大事な血族であったのだ。


 トゥール=ディンは、とても清らかな心を持つ健気な娘である。出自はスンの分家であったので、スフィラ=ザザも当初は厳しい目で見守っていたのであるが。それで余計に、トゥール=ディンの純真さやひたむきさに心を打たれてしまったのだった。


 そんなトゥール=ディンが、アスタとともにジェノスで一番のかまど番であると認められたという。あの規格外な存在であるアスタと並べられて、トゥール=ディンがそこまでの栄誉を授かることになったのだ。それではスフィラ=ザザとて、じっとしていられるわけがなかった。レイリスに対する気まずさなどと比べて、トゥール=ディンへの思いを二の次にしてしまうなどというのは、スフィラ=ザザの気性が許さなかったのだった。


 そんな経緯でもって、スフィラ=ザザは礼賛の祝宴に参ずることを許された。

 最後に城下町へと参じたのは闘技会の祝賀会であったから、もう1年と5ヶ月ぶりのことになる。

 レイリスに対する気持ちはもう大丈夫だと、懸命に自分に言い聞かせながら――それでもなお、スフィラ=ザザはこうして胸を高鳴らせてしまっているのだった。


(……それにしても、なんて奇妙な宴衣装なんだろう)


 その当日、トゥール=ディンの菓子作りを手伝ったのち、浴堂という場所で身を清めたスフィラ=ザザは、城下町で準備された宴衣装に袖を通すことになった。

 やたらとふわふわとして重さを感じさせない、奇妙な生地でこしらえられた宴衣装である。それは既婚の女衆の装束のように腹から足もとまで隠すような作りでありながら、胸もとだけはずいぶんと大きく開けられており、そしてやたらと生地が軽やかであるためか、胴体や足の線などもくっきりと浮き彫りにされてしまうのだった。


「ふーん。あんたはやっぱり色っぽいな。あんたのほうが大丈夫でも、レイリスのほうが心を乱しちまうんじゃねーの?」


 ルウ本家の末弟たるルド=ルウは、そんな馬鹿げたことを言っていた。

 レイリスは、そのように浮ついた人間ではない。仮に、万が一、何かの間違いで、スフィラ=ザザの色香とやらに心を乱されたとしても、かつての誓いを破ったりは絶対にしないはずであった。

 そして、そんな風に考えつつ、自分は本当にそれほどの色香を持っているのだろうか――と、スフィラ=ザザのほうも無用の想念にとらわれてしまうのだった。


(色香……色香とは、何なのだろう)


 控えの間の奥に大きな姿見があったので、スフィラ=ザザはそこで自分の姿を検分することにした。

 森辺において、こうまではっきり自分の姿を目にする機会はない。そこに映し出されているのは――目つきの鋭い、ザザの家人に相応しい女衆の姿であった。


 顔立ちは、まあ端整なほうなのだろう。スフィラ=ザザは集落においても、「美しい」と称されることが多かった。これならきっと立派な男衆を伴侶に迎えることができる、あとは外見に負けない美しい心を育てることだと、スフィラ=ザザは婚儀が許される15歳になる前からたびたび言われていた。


 北の集落は豊かであるために、身体の肉付きも悪くはない。胸も尻も大きく張って、そのぶん腰がくびれている。腕や足にも、この年頃の女衆として恥ずるところのない力を秘めた筋肉が備わっていた。森辺における「美しい」という賞賛には、ただ顔立ちばかりでなくそういった肉体の作りも含まれているはずだ。


 結果、スフィラ=ザザは森辺において美しいと称されるぐらいの外見になっているはずなのだが――城下町においても、そういった美の基準というものに大きな変わりはないのだろうか。


 実のところ、スフィラ=ザザが森辺でもっとも美しいと感じる女衆は、アイ=ファであった。

 森辺においては、強さと美しさがしっかりと結びついている。ただ顔の造作が整っているだけの女衆よりも、強い肉体を持つ女衆のほうが、より美しいのだ。たとえばモルン・ルティム=ドムなどは背丈が低くて幼子のようにふくふくとした体形をしているが、頭半分大きな女衆よりも遥かに力が強い。そしてやっぱり幼子を思わせる無邪気な愛らしい顔と相まって、彼女も北の集落では「美しい」と称されていた。


 では、女狩人たるアイ=ファはどの女衆よりも強い力を持っているために、こうまで美しく感じられるのだろうか。

 スフィラ=ザザは、違うような気がした。いや、きっとそれも大きな一因であるのだろうが、それ以外にも理由があるように思えるのだ。


 たとえば腕力の如何だけを問うならば、アイ=ファよりもレム=ドムのほうがまさっているはずであった。レム=ドムはアイ=ファよりも背が高く、そして手足にも胴体にも男衆さながらの筋肉が盛り上がっているのである。もちろんレム=ドムも美しい女衆であることに疑いはなかったし、それ以前にスフィラ=ザザにとってはとても大事な血族であったのだが――そういった思い入れを加算してなお、アイ=ファのほうが美しいように思えてしまうのだった。


 アイ=ファはスフィラ=ザザよりも背が高く、胸も尻もさらに大きく張っている。また、手足や胴体にはレム=ドムほどではないにせよ、並の女衆とは比べるべくもない筋肉が備わっており、まるでしなやかな獣のようだ。その顔にも、狩人らしい凛々しさや女衆らしいやわらかさが同居して――ともすれば、同性であるスフィラ=ザザが目を奪われてしまうぐらい美しかったのだった。


(レム=ドムは逞しいけれど、それは男衆を思わせる逞しさなのかもしれない。アイ=ファには、男衆らしい逞しさと女衆らしい優美さが両方備わっていて……だからこんなにも美しいの?)


 スフィラ=ザザがそんな想念に沈んでいると、血族であるリッドの女衆が「どうしたのですか?」と笑いかけてきた。


「何かずいぶん真剣そうなご様子ですけれど……何か気がかりなことでも?」


「いえ、大したことではありません」


 そんな風に応じながら、スフィラ=ザザはついその女衆の姿も検分してしまった。

 彼女は美しいというよりも、可愛らしい女衆であった。年齢も、15歳に達したかどうかというぐらいであろう。胸や尻もそれほど張ってはおらず、胸もとは花弁を思わせる飾り物で隠されている。胸の張っていない女衆の宴衣装には、後からそういう飾り物がつけられる作りになっていたのだ。


 これはきっと、色香とは関係のない可愛らしさであるのだろう。

 もっと幼いトゥール=ディンや、やたらと賑やかなマトゥアやナハムの女衆――彼女たちも、それに類する可愛らしさであるように思える。赤子や幼子が愛くるしいのと同じように、彼女たちも愛くるしかった。


 それに比べて、アイ=ファやレイナ=ルウといった年長の女衆には、はっきりと異なる美しさを感じる。きっと男衆が目を奪われるのは、ああいった女衆であるのだろう。そういえば、ヴィナ・ルウ=リリンなどはとても強靭な力を備えつつ、誰よりもなよやかな女衆であった。スフィラ=ザザがルウの集落に逗留していた際、若い男衆らが「色香の塊」などと称していたのを盗み聞きした覚えがある。


 その狭間にあるのは、ユン=スドラやララ=ルウといった年頃の女衆であった。

 彼女たちには、幼い愛くるしさと大人としての美しさを、両方感じる気がする。ユン=スドラは幼子っぽくて、ララ=ルウは少年めいているという違いはあったが、ふたつの魅力を兼ね備えているという意味では、とてもよく似ている気がした。

 なおかつ、ユン=スドラは小柄なれどもスフィラ=ザザと同じぐらい胸や尻が張っており、ララ=ルウは身体つきもどこか少年めいている。

 だからやっぱり、身体の作りだけの問題ではないのだ。


「……あの、本当に大丈夫ですか、スフィラ=ザザ?」


 と、目の前にたたずむリッドの女衆がもじもじとした。

 スフィラ=ザザは彼女の姿を見つめたまま、物思いに耽ってしまったのだ。リッドの女衆は、恥ずかしそうに頬を赤らめてしまっていた。


「ごめんなさい。また物思いに心をとらわれてしまいました。大事な祝宴の前に、これではいけませんね」


「い、いえ! わたしもすごく緊張していますので、お気持ちはわかります。……でも、スフィラ=ザザでもそのようにぼうっとしてしまうことがあるのですね」


「わたしでも、とは?」


「あ、はい。スフィラ=ザザは、とても大人びているので……このような際でも、おそばにいるだけでとても心強いのです」


 そう言って、リッドの女衆は朗らかに微笑んだ。

 初めて顔をあわせた時分などには、スフィラ=ザザに対してもずいぶん固い態度であったのだが――それもまた、1年以上の時を経て、ずいぶん変じたようだった。そうして血族としての絆を深められてから、スフィラ=ザザも彼女のことを愛くるしくて魅力的な女衆だと感じるようになったのだった。


(わたしは……周囲の人間からどのように思われているのだろう)


 年齢で言えば、スフィラ=ザザもユン=スドラやララ=ルウとひとつかふたつぐらいしか変わらないはずであった。

 自分に幼子めいた愛くるしさなど残されていないことは、さすがに自覚している。では、アイ=ファやレイナ=ルウのように大人びた人間と見なされているのか、それともユン=スドラたちのように狭間の存在であるのか――自分では、なんとも判別がつかなかった。


「お待たせいたしました。それでは、会場にご案内いたします」


 しばらくして、扉の外からやってきた小姓の少年がそのように告げてきた。

 アスタやトゥール=ディンたちは、とっくに別室に移されている。40名になんなんとする残りの森辺の民も、ついに祝宴の場に導かれるのだった。


 脇道にそれていた想念が舞い戻ってきて、スフィラ=ザザの心臓を再び高鳴らせる。

 ようやくレイリスに再会できるという喜びと、それで自分の心がまたおかしな方向に傾いてしまったりはしないかという不安感が、こうしてスフィラ=ザザの胸を騒がせるのだろう。このような気持ちは杞憂に過ぎないと確信するために、スフィラ=ザザは一刻も早くレイリスと再会したかった。


 石造りの回廊を歩かされて、大広間の扉の前で整列させられる。入場の順番というものは、事前に城下町のほうから通達されるのが常であった。

 ザザの血族は、サウティの血族の次に定められている。ルウの血族はやたらと人数が多いので、そのように取り決められたのだろう。そうして弟とともに血族の先頭に立つと、その次の順番であるモルン・ルティム=ドムが微笑みかけてきた。


「いよいよですね。こういった祝宴は初めてですので、とても緊張してしまいます」


「ああ……あなたは古くからさまざまなかまど仕事を手伝っていたのに、城下町の祝宴に参ずるのは初めてであったのですね」


「はい。それにもう、1年以上も前から北の集落のお世話になっていましたので」


 彼女はちょうどスフィラ=ザザとレイリスの問題が持ち上がったぐらいの時分から、北の集落で暮らすことになったのだ。

 と、いうよりも――彼女はスフィラ=ザザの行いに感銘を受けて、自らの想いを家族に打ち明けたという話であったのだった。


(モルン・ルティム=ドムは、わたしなんかよりよっぽど立派な女衆なのにな)


 スフィラ=ザザは自分ひとりで気持ちを収めることができなかったため、周囲の人間を巻き込んでしまっただけの話であった。けっきょくレイリスへの想いは打ち捨てることになったのだから、周囲の人々に迷惑をかけただけの話であるのだ。


 しかしモルン・ルティム=ドムは、そうではない。彼女は自らの想いをつらぬいて、見事に成就させてみせたのである。

 ルティムとドムで婚儀をあげることなど、当時の森辺では決して考えられない話であった。しかし彼女は森辺の習わしをもくつがえして、それを達成してみせたのだ。それならば、周囲を騒がせた甲斐もあろうという話であった。


「わたしなんて、兄の聡明さにすがっただけのことです」


 モルン・ルティム=ドムはたびたびそのように言っていたが、それでも実際に行動したのは彼女なのである。何ヶ月もの時間を北の集落で過ごし――その末に、想いが報われないかもしれないという不安の気持ちも乗り越えて、愛する相手と婚儀をあげることがかなったのだった。


 その伴侶となったディック=ドムも、彼女の横で静かに立ち尽くしている。ギバの頭骨を外して城下町の宴衣装を纏った彼もまた、普段とはまったく異なる雄々しさであった。


「……あなたは幸福ですね、ディック=ドム」


 スフィラ=ザザがついそのような言葉をもらしてしまうと、遥かなる頭上でディック=ドムは「うむ?」と小首を傾げた。


「いったい何の話であろうか? まったく心当たりがないのだが……」


「いえ。モルン・ルティム=ドムのように素晴らしい女衆を伴侶に迎えられて、あなたは本当に幸福だなと思ったのです」


「それは……いささかならず、唐突な物言いだな」


 ディック=ドムは、雄々しい顔にやわらかい微笑をたたえた。

 婚儀をあげる前の彼であったなら、きっと心を乱していた場面であろう。彼はこれだけ精悍な姿と強靭な力を持ちながら、男女の話ではきわめて純情であったのだ。


 もっと若年の時分には、スフィラ=ザザとディック=ドムで婚儀をあげることになるのではないかと囁かれていた。それは単に年頃と血筋だけで語られていた話であったので、おたがい気にかけていなかったのだが――きっとスフィラ=ザザと婚儀をあげていたならば、ディック=ドムがこんな風に微笑む人柄には変じていなかったことだろう。モルン・ルティム=ドムがこれほどに明朗で闊達な女衆であったからこそ、ディック=ドムも新たな自分を見出すことになったのだろうと思われた。


「どうしたのですか、スフィラ=ザザ? いきなりそのようなことを言われると、気恥ずかしくなってしまいます」


 そのように応じるモルン・ルティム=ドムも、幸福そうに微笑んでいる。両名とも、もうそのような話で気恥ずかしくなる段は越えたのだ。まだ婚儀をあげてからそうまで長きの月日は流れていなかったが、彼女たちは長年つれそった伴侶同士のように落ち着いた空気を漂わせていた。


(これこそが、正しい婚儀のありかたなのだろう)


 そこでゲオル=ザザに「おい」と腕を引っ張られた。


「次は俺たちの番だぞ。無駄口を叩いている場合か」


「わかっています。あなたが性急に過ぎるのですよ」


 ゲオル=ザザはこのたびの一件で、スフィラ=ザザ以上に心を躍らせているのだ。

 ゲオル=ザザは、スフィラ=ザザよりも多くの時間をトゥール=ディンとともに過ごしている。森辺においてはかまど仕事の手ほどきをされている分、スフィラ=ザザのほうがまさっているぐらいかもしれなかったが――トゥール=ディンが城下町に招かれる際は、ゲオル=ザザがたびたび同行していたのだ。トゥール=ディンが城下町でどれだけ立派な仕事を成し遂げたか、どれだけ愛くるしい宴衣装を纏っていたか――そういった話も、森辺にこもっていたスフィラ=ザザは弟から聞くばかりであったのだった。


(もちろん、まだ12歳のトゥール=ディンを婚儀の相手と見定めたわけではないだろうけれど……)


 しかし、弟がそれに近い感情を抱いているのではないかと、スフィラ=ザザはそのように判じていた。あるいはそれは思慕の情というよりも、妹や娘に向けるような心情であったのかもしれないが、何にせよ、家族に向ける情愛に近いということだ。


「森辺の族長筋ザザ家の第一子息、ゲオル=ザザ様……同じく第三息女、スフィラ=ザザ様」


 そのような紹介の言葉とともに、スフィラ=ザザたちは大広間の内に招かれた。

 ゲオル=ザザは末弟であるのだが、上の兄たちは死去したのでこのように称されるらしい。それで双子の姉であるスフィラ=ザザが第三息女と称されるのは奇妙な気分であったが、まあそれが城下町の習わしであるのなら文句はなかった。


(きっと重要なのは、ゲオルが次代の族長と示すことなのだろう。貴族というのはわたしたち以上に、序列というものを重んじているようだしね)


 そんな想念を浮かべつつ、スフィラ=ザザはその場に踏み入っていった。

 この日には、300名もの客が集められている。そしてその全員が宴衣装を纏っているものだから、これまでに見たこともないほど絢爛な様相であった。


 そしてこの中に、レイリスも参じているはずであるのだ。

 そう考えると、スフィラ=ザザの胸はまたひそかに高鳴った。


 そうしてたっぷりと時間をかけて、すべての森辺の民が大広間の内に招かれる。

 40名もの人間が集まれる隙間はなかったし、同胞だけで固まっていても甲斐はなかったので、スフィラ=ザザは弟と一緒に空いた場所へと歩を進めた。

 すると後ろから、リッドの女衆が追いかけてくる。


「あ、あの、わたしもご一緒させていただけませんか?」


「うむ? リッドの長兄はどうしたのだ?」


「あちらは、ディンやスドラの方々と行動をともにするようです。わたしは、その……スフィラ=ザザのおそばにいたかったので……」


 と、リッドの女衆はまた頬を赤らめた。

 彼女はもっとも古くからトゥール=ディンの屋台を手伝っていた女衆である。宴料理の準備には他にもディンとリッドから1名ずつが加わっていたが、祝宴への参席を許されたのは彼女ひとりであった。


「それなら、好きにするがいい。ただ俺も、いつまでもそばにはいられんかもしれんぞ。城下町にも、それなりに見知った相手が増えたのでな」


「あ、はい。それならなおさら、スフィラ=ザザとともにありたく思います。さすがに女衆がひとりでは、不用心でしょう?」


「ふふん。お前の色香というやつは、男衆ばかりでなく女衆をも惑わせるようだな」


 ゲオル=ザザが軽口を叩くと、リッドの女衆は赤い顔をしたまましなやかな腕に力こぶを作った。


「もしもおかしな人間がスフィラ=ザザのおそばに寄ってくるようでしたら、わたしが退けてみせましょう。ゲオル=ザザも、どうかご安心ください」


「おお、これは頼もしいことだ。スフィラもよき同胞を持ったものだな」


 陽気に笑うゲオル=ザザをよそに、スフィラ=ザザはリッドの女衆に向きなおった。


「そのように言っていただけるのはありがたいのですが、でも、どうしてなのでしょう? わたしなどより、リッドやディンの人間とともにあったほうが心強いでしょう?」


「え? いえ、せっかくの祝宴ですので、スフィラ=ザザのおそばにいたいと願ったのですが……ご迷惑だったでしょうか?」


「迷惑なことはありませんし、わたしたちも血族であるのですから、身を寄せ合うのはおかしな話でもないでしょう。ただ、わたしなどのもとに参ずる理由がわからないので……」


「理由……は、特にないのですが……ただ、スフィラ=ザザと絆を深めたく思ったのです」


 そう言って、リッドの女衆は朗らかに微笑んだ。

 虚言は罪であるし、この笑顔に嘘があるとは思えない。ならば――その言葉が心情のすべてであるのだろう。


「なんだ、ずいぶん不思議そうな顔をしているな。年少の人間になつかれるなど、べつだん珍しい話でもあるまい?」


「いえ。わたしはそのように、年若い人間から慕われた覚えもありません」


「そうなのか? まあ、お前は北の集落でもほとんど束ね役のような立場であったし、そうでなくとも素っ気ない人間であったから、そのようになつかれることも少なかったのやもしれんな」


 あくまで陽気に笑いながら、ゲオル=ザザはそう言った。


「そう考えてみると、お前もこの1年ほどでずいぶん気安い人間になったのではないか? 少し前なら眷族の女衆など、なかなか近づいてこなかったのだろうしな」


 スフィラ=ザザはわずかに困惑しながら、リッドの女衆を振り返った。

 しかしそこに待ち受けているのは、これまでと同じ朗らかな笑顔である。彼女がそのようにしてトゥール=ディンや他の血族に笑いかける姿は、たびたび目にしていたのだが――それが真正面から自分に向けられるのは、今日が初めてであるのかもしれなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] ガン見=ザザまじシシュンキ=ザザ
[良い点] 長く触れられなかったスフィラ=ザザのエピソードなのでどう収まるのかかなり楽しみです。 [一言] (設定紹介のみの回もあるとはいえ)1100話まで書かれるのは凄いことだと思います。 これから…
[一言] 1100更新おめでとうございます
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ