②六日目~背徳の使者(下)~
2014.10/20 更新分 1/1
スン本家の長姉、ヤミル=スン。
その不吉な匂いにまみれた女は、毒蛇のように微笑みながら、アイ=ファと、俺と、シーラ=ルウの姿をねめつけてきた。
その眼光に気圧された様子で、シーラ=ルウが後ずさる。
それと同時に、隣りの屋台からヴィナ=ルウが「ねえ、シーラ=ルウ……」と、呼びかけてきた。
「申し訳ないんだけどぉ、しばらくこっちと交代してもらえるかしらぁ……?」
シーラ=ルウは、ヤミル=スンの姿を凝視したまま、のろのろとそちらに移動していく。
その手にタラパソースを攪拌する木べらを託してから、ヴィナ=ルウはしなやかな足取りで俺たちのほうに近づいてきた。
「おひさしぶりねぇ……わたしのことを、覚えているかしらぁ……?」
「……もちろんよ、ルウ本家の長姉、ヴィナ=ルウ」
ヤミル=スンは、薄笑いを浮かべたままだ。
ヴィナ=ルウは、ミダ=スンと対峙していたときと同じように、眠たそうに目を細めている。
何だか……すごい取り合わせだ。
アイ=ファに、ヴィナ=ルウに、ヤミル=スン。
それぞれにタイプの異なる、それでいて突出した個性を有する3名の女衆が、不穏なトライアングルを形成する。
「ふうん。やっぱりルウ家がからんでいたのね。ルティムの祝宴でもこのファの家の異国人はかまどの番をまかされていたそうだし、ずいぶん懇意にしているのね、ルウの眷族とファの家は」
「そうねぇ……とても親しくしているわよぉ……? ……それで、あなたは何のために、こんなところにまでやってきたのかしらぁ……?」
「うふふ。わたしはただ、家長から伝言役を承っただけよお?」
そうして、ヤミル=スンは俺を見た。
冷たい、蛇のような目で。
「ファの家の異国人。あなたの名前を聞いてもいいかしら?」
「……俺は、アスタです」
べつだん、恐怖は感じなかった。
ただひたすらに、薄気味が悪い。
ミダ=スンよりも、テイ=スンよりも、俺はこの女衆が1番、薄気味悪かった。
どうしてこの女は、こんなにもはっきりと血の匂いなどを漂わせているのだろう。
ギバの解体をした直後だって、ここまで匂いが移ることはないと思う。
それでもここがギバの解体小屋だったら、何も薄気味が悪くなったりはしない。
ただ、そこにそうして手ぶらで立っているだけで、こんなにもはっきりと生臭い血の匂いを発散させている。その事実こそが、俺の不審感と嫌悪感をなで回してくるのだ。
「ファの家のアスタ、ね。……ねえ、アスタ、実はスン家では、今とても困ったことが起きてしまっているの」
「……はあ」
「ミダが、泣くのよ。……宿場町で食べたあなたの料理をもう1度食べたいってね」
ミダ=スンか。
それで――俺にどうしろと言うのだ?
「だから、スン本家の家長ズーロ=スンからの言葉を伝えさせていただくわね。……ファの家のアスタ。一晩でいいから、スン家のかまどを預かってもらうことはできないかしら?」
じゃりっと砂を踏み鳴らす音がした。
アイ=ファが、半歩だけ前に進み出てきたのだ。
その瞳は――当然のごとく、青い炎を噴きあげていた。
「スン本家の長姉、ヤミル=スンといったか、お前は?」
「ええ、そうよ。ファの家の家長、アイ=ファ」
「アスタは異国人なれど、ファの家の家人だ。ファの家への用向きなら、家長の私を通してもらおうか」
「あら、そう? ……それじゃあ、あなたはどう……」
「断る」と、アイ=ファは鋭くヤミル=スンの言葉を断ち切った。
ヤミル=スンは、金属質の声でくすくすと笑う。
「……断るの?」
「断る」
「それは困ったわねえ。……一晩たてばミダも落ち着くと思ったのだけど、昨日になっても今日になっても、落ち着くどころか、よけいにおんおん泣きわめいているのよお? ディガやドッドがそれはもう怒りに怒って蹴ったり殴ったりしているのだけど、全然駄目なの。それでいて、食事だけはいつも以上に食べるんだから、本当に始末に負えないのよお」
「それはスン家の都合だ。ファの家には関係ない」
アイ=ファは、完全に怒り狂っていた。
完全に、狩人の眼光だ。
しかし――ヤミル=スンは、薄笑いを浮かべたままだった。
テイ=スンも、影のように控えたままである。
「どうしてかしら? ……ルティムの祝宴ではかまどを預かって、スン家のかまどは預かれないっていう、その理由がわたしにはわからないわ」
「理由? そんなものは、自分の胸に聞くがいい。これまでにスン家がファの家に行なってきた振る舞いを考えろ」
「ディガがファの家に忍びこんだこと? それともドッドがルティムの祝宴であなたたちに刀を向けたこと? ……それじゃあ、あの不出来な弟たちがあなたに詫びれば、かまどを預かってもらえるのかしら?」
「上っ面の詫びごとなど聞きたくもない。詫びるつもりがあるのならば、腕の1本でも差し出してみせろ」
その声は決して大きくなることはなかったが、深甚なる怒りの激情をおびていた。
アイ=ファがここまで怒りをあらわにするのは珍しいことだ。
それぐらい――俺にかまどを預かってほしいというスン家のふざけた要望が、アイ=ファの逆鱗に触れてしまったのか。
「アスタの料理が食べたいのならば、宿場町の法に従い、銅貨を払え。スン家の人間がアスタの料理を口にするには、それ以外に方法はない」
「銅貨、ねえ……だけど、あのミダの腹を満たすには、いったいどれだけの銅貨が必要になってしまうのかしら……」
と、そこでヤミル=スンの黒っぽい瞳があやしくきらめいた。
まるで、獲物を見つけた毒蛇のように。
「そういえば、アスタ、あなたはやっぱりルティムのかまどを預かる際に、相応の代価をいただいたのかしら?」
「え? ……それがどうかしましたか?」
「それはそうよねえ。ルウの眷族は100余名。しかもルティムの跡取りの婚儀の宴っていう大役を、眷族でもないファの家の人間が代価も受け取らずに引き受けるはずはないものね」
何か、危険な気配がする。
このヤミル=スンという女は、弟たちのように激情にまかせて暴れるような人間ではないのだろう。
その代わり――奸計をもって人間を陥れようとする人間なのだ、きっと。
「その代価は、いったいどれぐらいの額だったのかしら。……ギバ10頭分の牙と角? 20頭分? それとも30頭分ぐらいかしら?」
「……お答えする必要はないと思います」
「あらそう。まあいいわ。……それじゃあ、スン家は、ギバ40頭分の牙と角を代価として支払うことにするわ」
俺は、愕然と立ちつくすことになった。
ギバ40頭分の牙と角――それは銅貨で換算すれば、赤銅貨480枚分である。
いかにスン家がジェノスからの褒賞金を独占しているとはいえ、そこまでの富をこんな戯言で浪費できるものなのだろうか?
俺は、左右に立ち並んだアイ=ファとヴィナ=ルウの表情を確認する。
アイ=ファは相変わらず、火のように双眸を燃やすばかりだった。
ヴィナ=ルウは……眠たそうに細めたまぶたの間で、色の淡い瞳を不審げに光らせている。
「そ……それだけの代価を、たった一夜のかまど番に支払うというんですか? だったら、その代価でこの屋台の料理を買えばいいではないですか?」
「屋台の料理に、そんな代価は払えないわよ。あなたには、ルティムの祝宴と同じぐらい大きな仕事を託したいの」
はっと息を飲む音が聞こえたような気がした。
方向からして、たぶんヴィナ=ルウだ。
しかし、俺は女怪のあやしい笑顔から目をそらすことができなかった。
「青の月の10日目に、年に1度の家長会議がおこなわれるわ。そこに集まるのは、全氏族の家長と眷族がひとりずつ。およそ80名ていどの人間が集まるその夜のかまどを、あなたにギバ40頭分の代価で引き受けてほしいのよ、アスタ」
「そういうことぉ……どうりで気前がいいと思ったら、あなたはその家長たちにギバ1頭分ずつの代価を払わせるつもりなのねぇ……?」
「ええ。このアスタの料理には、それぐらいの価値があるのでしょう? 何せ、ギバを忌み嫌う宿場町でギバ肉の料理を売ることができるような腕前なのだもの。……どうかしら、アス……」
「断る」と、再びアイ=ファの声がその言葉を叩き斬った。
「いくら銅貨を積まれようと関係ない。そのような仕事を引き受ける筋合いは、我々にはない」
「あらあ……それじゃあ、あなたたちは富と秘密を独占しようという心づもりなのかしら?」
ヤミル=スンが、また唇を吊り上げて笑う。
「昨日なんて、100人以上もの宿場町の人間が、アスタの作る料理を買っていったのでしょう? 固くて臭くて不味いとされているギバの肉でそんな真似ができるなんて、奇跡みたいな話よねえ。……ファの家とルウの家は、その秘密を独占して、自分たちだけで富を得ようとしているのかしら?」
俺は、こっそり生唾を飲み込んだ。
この女は――やっぱり、何か手札を隠している。
そうでなければ、外部の人間が昨日の売り上げなどを知ることはできないはずだった。
「……それが何かの罪になるとでもいうのか?」と、アイ=ファが底ごもる声で応じた。
ドンダ=ルウもかくやという迫力だ。
「私たちに、恥ずべきところはない。森辺の掟などはひとつとして踏みにじっていない。……そして、その秘密が知りたいというのならば、頭を下げて教えを乞え。かまどをまかすなどという迂遠な真似をするな」
「だって、もともとはミダから始まった話ですもの。わたし自身はそのような富や秘密になど興味はないのよ、ファの家のアイ=ファ」
言いながら、ヤミル=スンは細い舌の先で唇をなめた。
「角と牙を40頭分。決して不満の出るような代価ではないでしょう? スン家としては、これで精一杯の敬意を払ったと言えるのじゃないかしら。……これでも応じてもらえないなら、わたしはすべてを諦めるしかないわねえ」
「……すべてを諦める?」と、応じたのは、俺だった。
その声や表情が、あまりに不吉すぎたのだ。
「ええ……ミダは可愛い弟だけど、わたしの力では守りきれない。だから、ミダの運命は天に託そうかと思うの」
「……言葉の意味がわからないのですが」
「別に、そのままの意味よ。あのままではディガやドッドに殴り殺されてしまうかもしれないから、鎖を外してあげることにするわ」
「……鎖?」
「ええ。お好きなところにおゆきなさい、と鎖を解いてあげるのよ。……もしかしたら、その結果として宿場町の衛兵に槍で突き殺されることになってしまうかもしれないけれど、家族に殴り殺されるよりは、よほど安楽な末路でしょう?」
本気で言っているのだろうか、この女は。
十中八九、ブラフだと思う。
言うことをきかなければミダ=スンをけしかけるぞと脅しているだけなのだ、きっと。
大体が、実の家族を鎖で拘束しているなんていうところからして、嘘くさい。そんな話が真実であるなんて、信じられないし、信じたくもない。
十中八九、ブラフであろう。
十中八九、ブラフであろうと思うのだが――
しかし、残りの一、二割で、もしかして本気なのかもしれない、と思わせる不吉さが、この女にはあった。
「……私たちの、知ったことか」と、それでもアイ=ファの声に変化はない。
「スン家の末弟が私の家人を害そうというならば、森辺の掟に従って、私が叩き斬る。衛兵などの出る幕もないわ」
「ふうん、ずいぶん頑ななのね、あなたは」
いっかな怯む様子も見せず、ヤミル=スンはまた笑った。
「まあいいわ。今の話はわたしの思いつきに過ぎないから、家に戻って家長に話を通してくるわよ。明日、同じ刻限に返事を聞きにくるからね。それまでに答えを決めておいてちょうだい」
「今日も明日も答えは変わらぬ。気に食わないのなら、そちらも好きに振る舞えばいい」
「あなたの気持ちはわかったわ、アイ=ファ。だから後は、ルウやルティムやアスタと話しなさい。……それじゃあ、また明日ね」
そう言って、ヤミル=スンはかたわらのテイ=スンに顎をしゃくった。
ついに最後まで一言も喋ろうとしなかったテイ=スンは、感情の欠落した目で俺たちに目礼をし、女主人とともに去っていく。
その後には――悪夢の残滓のような静寂だけが取り残された。
「……ドンダ父さんに相談しなくちゃねぇ……」と、やがてヴィナ=ルウが溜息混じりにぽつりとつぶやく。
「あの女、いったい何をしようとしているのかしらぁ……ただ難癖をつけて、ひっかき回そうとしているようにしか思えなかったけどぉ……」
「どうでしょうね。俺は何だか、ものすごいペテンにかけられてる気分です」
あの女の言動の、すべてがこの場の思いつきだとは思えない。
あの女は、あまりに事情に通じすぎていた。
一昨日のミダ=スンとテイ=スンだけでは知りえない情報すら、あの女はしっかりとわきまえていたのである。
(昨日の売り上げが100食以上だったなんて、そんなことは1日中店を見張っているか、それとも内情に通じている人間に話を聞かない限り、わかるはずはないんだ。あいつらは――俺の料理に執着するミダ=スンをダシにして、何か企んでいるに違いない)
「……何を考えこんでいるのだ、アスタ」と、低い声でアイ=ファに呼びかけられる。
振り返ると、アイ=ファはその瞳に激情の残り火をちらつかせながら、無表情に俺を見ていた。
「何も思い悩む必要はない。お前はお前の仕事を果たせ。スン家の人間の戯言など、聞き流しておけばよいのだ」
「ああ、だけど……」
「だけどではない。スン家のかまどを預かることなど、私は絶対に許さぬからな」
怒気の混じった声で言い捨て、アイ=ファはもといた木陰へと退いていった。
見てみると、『ギバ・バーガー』の屋台からは、シーラ=ルウとララ=ルウがひどく思いつめた目つきで、俺たちのほうを見つめている。
そちらに「大丈夫だよ」とうなずきかけてから、俺はかたわらのヴィナ=ルウに目線を戻した。
「ヴィナ=ルウは、あのスン家の長姉とお知り合いだったんですか?」
「お知り合いっていうかぁ……何年か前に、ちょっとしたもめごとがあってねぇ……あのスン家の長姉が目をつけていた男衆が、よりにもよってわたしなんかに嫁入りを願ってきたことがあったのよぉ……」
「ははあ。それはものすごい構図ですね」
「けっきょくその男衆には、ルウでもスンでもない女衆を嫁に取らせて、丸く収まったんだけどねぇ……その頃から、何を考えているのかわからない女ではあったわぁ……」
「なるほど。……それにしても、あの匂いは何なんでしょうね?」
「……匂いがどうかしたぁ……?」
「え? 何だかずっとおかしな匂いが漂っていませんでしたか?」
ヴィナ=ルウは、ゆるゆると首を振る。
「ミャームーの匂いが強すぎて、わたしはなんにも気づかなかったわぁ……」
そうなのか。
まあ、嗅覚だけは人一倍すぐれている俺なので、俺だけが感じ取れるぐらいの、微細な匂いであったのかもしれない。
そうだとしても、俺の内の不審感は変わらない。
俺はもうちょっとスン家とヤミル=スンについての話が聞きたかったが、そこにひょっこりとジャガルのお客さんがやってきてしまった。
「おい、大丈夫か? 何だか剣呑な雰囲気だったじゃねえか?」
「あ、すみません。……いえ、大したことじゃないんですよ」
「そうなのか? とてもそういう風には見えなかったがな。……おい、おかしな騒ぎを起こして、町から追い出されたりしないでくれよ? お前さんの料理が食えなくなっちまったら、1日の楽しみがなくなっちまうよ」
「そんな風に言っていただけるのは、とても光栄です。……おひとつでよろしいですか?」
「ん? いや、3つだよ。おおい、もう大丈夫らしいぞ!」
すると、壮年のジャガル人たちがもう2名ばかり、わらわらとやってきた。
ヤミル=スンたちがいなくなるのを待ち受けていたのだろう。
『ギバ・バーガー』の屋台のほうにも、ジャガルやシムのお客さんたちが寄っていく。
(そりゃあ、森辺の民があんな物騒な雰囲気を撒き散らしてたら、とても近づけたもんじゃないよなあ)
これはたぶん、正念場だった。
ついにスン家が、正面切って俺たちにちょっかいを出し始めたのだ。
さきほどのヤミル=スンの胸糞悪い話がすべてペテンだったとしても、銅貨を持たないミダ=スンが店に押しかけてくるだけで、大混乱は必至である。
それで大きな騒ぎになれば、今度こそ俺も宿場町を追い出されることになりかねない。
スン家のかまどを預かるなんて、考えただけで身の毛もよだつが、ただ拒絶すればいいという話ではない。しっかり考えて対処しなければ、せっかく軌道に乗ってきた店も終わってしまう。
(今の状態じゃあ、カミュアは頼れない。……やっぱりドンダ=ルウやガズラン=ルティムに相談するしかないだろうな)
そして、それをアイ=ファに納得させねばならない。
もしかしたら、それが1番難渋するかもな、と俺は小さく息をついた。
そうして小さく息をつきながら――俺は、自分の下腹にも、何か猛烈な激情が渦巻いてしまっていることに、初めて気がついた。
何だこれは、と自分でも驚いてしまうほどの、それは激しい感情のうねりだった。
ゆるせない……と、俺の中で誰かが囁いているような気がする。
だけど俺の中には他者の人格などは潜んでいないはずなので、その囁きも俺自身の声であるはずだった。
何が許せない?と、俺は自問する。
俺の邪魔をするやつは許せない、と、もうひとりの俺が応じてくる。
俺はそこまで、短絡な人間だっただろうか?
スン家の人間が悪逆なのは、今に始まったことではないではないか?
何をそんなに激しているのだ、俺は。
(だってそれは……まるであいつらみたいなやり口じゃないか?)
あいつら?
あいつらというのは……
もしかしたら、非道な手段で親父の商売の邪魔をしてきた、あいつらのことか?
言うことをきかない親父を車ではね、ついには店に火までつけたと思われる――あの暴虐な連中とスン家を重ね合わせてしまっているのか、俺は?
(ちょっと落ち着けよ。それは確かに、自分たちの都合だけで他人の商売を無茶苦茶にしてやろうっていう下衆な考えは一緒かもしれないけど……別にそこまでシチュエーションが似通ってるわけじゃないだろう?)
俺は大きく息を吸い込んで、じわじわと這いのぼってきていた激情を飲み下した。
(もちろん、スン家のいいようにはさせないさ。……だけど頭に血を昇らせちまったら、勝てる喧嘩も勝てなくなっちまうよ。まずは、落ち着け)
ふと気づくと、ヴィナ=ルウがぽかんとした目で俺を見ていた。
「どうかしましたか?」と問うと、ぷるぷる首を横に振る。
「アスタって……そんな目つきをすることもあるのねぇ……まるで、ドンダ父さんやアイ=ファみたいな目つきだったわぁ……」
「ええ? そいつはまずいですね! 客商売には、あるまじきことです!」
俺はおもいきり、自分の両頬を叩いてみせた。
ものすごく、痛い。
「……仕事に集中いたしましょう。またシーラ=ルウと交代をお願いします。ララ=ルウが『ギバ・バーガー』をきちんと作成できるように指導してあげてください」
「うん……」と、名残惜しそうにヴィナ=ルウがひっこんでいく。
まずは、目の前の商売だ。
思い悩むのは、その後でいい。
気づけば、すでに中天も間近である。
料理も、まだまだ残っているのだ。
煩悶の種は胸の内にしまいこんで、今は全力で仕事に取り組むしか道はなかった。




