東の果てより(四)
2021.9/20 更新分 1/1
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ドゥラの海賊団、《赤帆の一味》の本拠を突き止めて、壊滅させる――カミュア=ヨシュのそんな物騒な宣言が実行に移されたのは、その日の夜のことであった。
《赤帆の一味》の本拠というのは、最初から判明していたらしい。彼らは港町の衛兵を懐柔して身の安全をはかっていたため、本拠の所在を隠そうともしていなかったのだった。
《赤帆の一味》の本拠は海岸沿いにある倉庫と、そのすぐそばに軒をかまえる酒場であった。酒場の主人も海賊の一味で、彼らは夜な夜な馬鹿騒ぎをしているのだという話であった。
そちらの酒場を、カミュア=ヨシュたちが襲撃した。
それに加担したのは、ディアと4名の旅芸人たち――ギャムレイとピノ、ロロとゼッタという顔ぶれである。総勢50名から成る凶悪な海賊団を、彼らはたった6名で壊滅させてしまったのだった。
「シャントゥの可愛い子供たちにも協力を願えたら話は早いけど、町なかで獣を暴れさせたら、余計な罪に問われてしまいそうだからねえ。ドゥラのお偉方に反感をくらわないように、ここは徹底して正攻法でいこう」
「はン。正攻法が、聞いて呆れるよォ。海賊団のねぐらに真正面から突撃するなんざ、まともな人間の考えることかねェ」
「でも、それしか手はないように思うよ。中途半端に手を出したら、海賊団が懇意にしているという区長や衛兵たちに横槍を入れられてしまうだろうからね。そういった者たちが介入する隙を与えず、海賊団を殲滅する。あとはドゥラの藩主なり何なりに誠心誠意、申し開きをすればいいのさ」
カミュア=ヨシュはそんな風に宣言して、それを見事に実現させてみせたわけである。
チル=リムがもっとも驚いたのは、そのように無茶な真似をしたにも拘わらず、ひとりとして死者を出さなかったことであった。
こちら陣営の人間はもちろん、海賊団の側にも死者は出なかったのだ。まあ、もちろん無傷で済んだ人間も皆無なのであろうが――それでもやはり、10倍近い数の敵を殺さずに捕縛してのけるというのは、尋常な話ではないはずであった。
ともあれ、カミュア=ヨシュたちは海賊団を殲滅し――そののちに、倉庫のそばの岸にひっそりと停泊していた海賊船に火を放った。座長のギャムレイが得意とする火術でもって、ドゥラの領地のどこからでも目にすることのできるような火炎の柱を現出させたのである。
それは騒ぎを大きくするためと、あとはたまたま本拠を離れていた一味の残党をあぶりだすための算段である。のちの憂いを絶つために、海賊団の一味はひとり残らず成敗しなければならなかったのだ。実際それで5名ばかりの悪党どもが大慌てで駆けつけてきたため、それも速やかに捕縛されたのだという話であった。
なおかつカミュア=ヨシュは港町の人々に協力を仰いで、区外の衛兵の詰め所にも人を走らせていた。西の王国の《守護人》を名乗る者と旅芸人の一座が海賊団のねぐらに殴り込みをかけて、大変な騒ぎになっている――と、そのような報を届けさせたのである。
そういった裏工作が実を結び、現場には区外からどっさりと衛兵たちが駆けつけたという。そしてその中に、藩主から遣わされた一団もあったそうだ。万が一にも港町で大火事でも起きてしまったら大ごとなので、とうてい捨て置くことはできなかったのだろう。そうして首尾よく藩主の代理人と対面できたカミュア=ヨシュは、その場で滔々と事情を説明したのだという話であった。
「自分が懇意にしている旅芸人の方々が、善良なるドゥラの娘さんともども海賊団の一味に脅かされていると聞き、やむなく刀を取ることになりました。こちらの港町では区長も衛兵も海賊団に与する存在であるそうなので、ここは自分たちの力で切り抜けるしかないと判じた次第です」
カミュア=ヨシュは、そんな風に言っていたらしい。
そうしてカミュア=ヨシュの一行と《ギャムレイの一座》は捕縛された海賊団もろとも、藩主の住まう区域に連行され、そこで3日にわたる審問が繰り広げられることに相成ったのだった。
荒事に加担していないチル=リムなどは、ただひとたび審問官という人間の前に連れ出されて、カミュア=ヨシュとの関係や、ドゥラに出向いてきた目的などを問い質されたのみである。
その際には、カミュア=ヨシュに言い含められていた通りの言葉を返すことになった。すなわち――銀色の瞳を持つ自分には占星師としての素養が備わっていると聞いたので、《ギャムレイの一座》のライラノスという人物に弟子入りするために、その友人であるというカミュア=ヨシュに案内を願い出た――という、真実に多少の脚色を施した言葉である。
何にせよ、その審問は3日間で終了した。
その末に、カミュア=ヨシュの一行と《ギャムレイの一座》は何の罪に問われることもなく、無事に放免されることがかなったのだった。
「こんなにあっさり放免になったのは、町の連中が海賊団と区長の繋がりについて証言してくれたのと……あとはやっぱり、カミュアの旦那が携えてる《守護人》の証のご威光だねェ。あいつは西の王や貴族から、信頼できる剣士と見なされたってェ証だからさァ」
無罪放免を言い渡された日、ピノはそんな風に語らっていた。
「しかも、ドゥラの兵団長ってお人が《北の旋風》の名を知ってたんだから、また驚きさァ。西の《守護人》の勇名がシムの東の果てにまで鳴り響くってのは、どういう了見なのかねェ」
何にせよ、《ギャムレイの一座》を悩ませていた騒動は、これにて収束することになったのだった。
カミュア=ヨシュの告発によって、港町の区長や衛兵たちにも厳しい査察が入ったとのことである。海賊団に肩入れしていた人間には、一味と同じぐらいの重い罰が与えられるとのことであった。
そうして一行が解放された日の、夜――
港町の広場では、時ならぬ祝宴が開かれることになった。
町の人々もまた、海賊団の壊滅を心から喜んでいたのである。海賊団に財産や娘を奪われた人間も、10名や20名ではなかったのだろう。カミュア=ヨシュなどはほとんど英雄あつかいで、ドゥラの人々はまったく表情を動かさないまましとどに涙をこぼしつつ、お礼の言葉を述べたてていた。
「まあ確かに、あれは傑物と呼ぶに相応しい男なのだろうな」
たくさんのかがり火が焚かれた広場において、ドゥラの民からふるまわれた焼き魚をかじりながら、ディアはそんな風に言いたてた。
「審問の場でも、まあ見事なものだったぞ。虚言すれすれの言葉も巧みに交えて、自分たちに非はないと言いくるめてみせたのだ。ディアは虚言を罪とする習わしに身を置いていたので、あまり見習おうとは思わんが……ただ腕が立つというだけでない、石の都の勇者の底力を見せつけられた気分だな」
「そうですか。……でも何にせよ、ディアたちが罪に問われなくてよかったです。ディアに万が一のことがあったら、わたしは……」
チル=リムがつい弱気な言葉を口にしてしまうと、ディアは笑いながら頭を小突いてきた。
「話は丸く収まったのだから、そのように不安そうな顔をするな。ほら、魚を食え。……ライラノスも、もうひとつどうだ?」
「いえ……わたしはもう十分にございます……」
その場にはチル=リムたちばかりでなく、《ギャムレイの一座》の3名――ギャムレイとゼッタとライラノスも座していたのだった。
広場の中央では、ピノと大男のドガが軽業の曲芸を見せている。ドゥラの人々は無表情に手を打ち鳴らすばかりであったが、その分まで北の民たちが歓声を張り上げて場を賑やかしていた。
その中には、海賊団と悪縁を持ってしまった6名の若衆とドゥラの娘も含まれている。彼らもまた審問の場に呼びつけられ、海賊団の悪事を証言することになったのだ。
「しかし、ピノたちの芸は見事なものだな。お前は芸を見せないのか、ギャムレイよ?」
「ふん。ドゥラのお偉方に、今後領内で火術を扱うことはまかりならんと言い渡されてしまったのだ。ならばあとは、料理と酒を楽しむばかりだな」
夜になると元気になるギャムレイは、凶悪そうな顔で陽気に笑っていた。
その隻眼が、ふっとチル=リムを見やってくる。
「お前は祝宴を楽しんできたらどうだ? この3日間はずっとライラノスと過ごしていたのだから、今日ぐらいは羽をのばしてもよかろう」
「あ、いえ……人混みの中に入るのは、少しつらいので……よろしければ、おそばに控えさせていただきたく思います」
「俺などのそばにおっても、楽しいことなどなかろうに。しかしまあ、お前はお前の好きにするがいいぞ」
そう言って、ギャムレイは椀に注がれた酒をあおった。
ライラノスは置物のようにじっとしており、ゼッタは頭巾で顔を隠したまま、がつがつと魚をくらっている。ゼッタは全身に黒い獣毛を生やした、人とも獣ともつかない奇怪な風貌の持ち主であったが――やはりチル=リムは、その外見で恐怖にとらわれることはなかった。彼はとてもやわらかい、灰色の猿の牙の星であったのだ。
(ゼッタはきっと、座長になついてるだけなんだろうけど、ライラノスは……座長のそばにいるのが楽なんだろうな)
ギャムレイは、ともすればふっと見えなくなってしまいそうな、小さくてかぼそい星を抱いている。そしてその周囲には、ぽっかりと黒い闇が口を開けているために――まるで『星無き民』のアスタみたいに、星の輝きに脅かされない優しい空間ができあがっているのだった。
(本当に、不思議な人たちだな……)
やっぱり一番不思議なのは、ピノとギャムレイだ。
しかし他の座員たちも、不思議でない人間などはひとりとして存在しなかった。
ギャムレイほどではないにせよ、やたらとかぼそくて赤ん坊のように無垢であるか――あるいはロロやライラノスやゼッタのようにつかみどころがなくて、ふわふわしているか――簡単に分けると、その2種類だ。
ただ、どちらに対しても言えるのは――たとえ星見の力をもってしても、彼らの行く末を見通すことなどできるのだろうか、という疑念であった。
もちろんチル=リムは星見の力を制御したいと念じているのだから、誰の行く末も見通す気はない。いずれ完全にこの力を自分のものとし、ライラノスやアリシュナのように占星師を生業にしようと考えることができるようになれば、それもやぶさかではないが――少なくとも現時点では、とにかくこの力を弱めたいという一心であるのだ。
ただそれでも、彼らの行く末を見通すことは難しいように思う。
それは彼らが、寄る辺なき風来坊ゆえなのであろうか? そういえば、《守護人》として世界を放浪するディアやカミュア=ヨシュやレイトの運命も、チル=リムには読み通すことが難しいように思うのだ。
まあ、理由などはどうでもかまわない。
とにかくチル=リムは、彼らの行く末を見通すことが難しいように感じており――それゆえに、またとない安心感を抱くことがかなったのだった。
「おやおや。こんなところでしっぽり身を寄せ合って、まるで逢瀬を楽しむ恋人だねェ」
と、広場の真ん中で曲芸を見せていたピノが、チル=リムたちのほうに近づいてきた。
ピノの相棒である大男のドガも退いて、代わりに楽器を携えた座員たちが中央に進み出る。今度は楽器の演奏で人々を楽しませるらしい。
「お前の芸も、きちんと見ていたぞ。まったく見事な身のこなしだ。……しかしお前は海賊どもを相手取っているときも、あんな感じだったな」
「そりゃまあアタシは武芸の心得なんざ持ち合わせちゃいないからねェ。曲芸の技でもって、悪党どもをぶちのめしてるだけさァ」
ピノはくつくつと笑いながら、曲芸で使っていたグリギの棒を肩に担いだ。
「お、珍しくボンクラ吟遊詩人が他の連中と音を合わせてるねェ。もう何日も歌を披露する場がなかったから、さすがに鬱憤がたまったのかもしれないねェ」
ピノの言う通り、楽団の中心で楽器をかき鳴らすニーヤが、美しい歌声を披露していた。
それに合わせて楽器を鳴らしているのは、笛吹きのナチャラ、太鼓叩きのザン、金物鳴らしのアルンとアミン――そして、あのドゥラの若い娘であった。6名の北の若衆たちも、その若い娘の真ん前に陣取って歓声をあげている。
「どうやらあの頭に傷を負ってた若衆と笛吹きの娘は、恋仲だったみたいだねェ。残りの5人はその恋路を守るために、海賊団を相手に大暴れしたってわけさァ。まったく、親切なこったねェ」
「親切といえば、お前たちのほうだろう。ゆきずりの仲であったあやつらを救うために、逃げ出すこともままならなかったのだろうからな」
ディアがそのように言いたてると、ピノは「はァん?」と色っぽく鼻を鳴らした。
「そいつは何の話かねェ。あんな連中は関係なく、アタシらがこっそり逃げ出すなんて不可能だったろうさァ。なんせゴテゴテに飾りつけた荷車を7台も抱えてるんだからさァ」
「そうだろうか? ディアはお前やロロたちの力量を目の当たりにしてしまったからな。あれだけの腕を持つ人間がそろっていたら、たとえ海賊団に追いすがられても逃げ切れるように思えるぞ。そもそも海賊団の連中はこの区域でしかお目こぼしをもらえないのだから、そういつまでも追ってはこないだろうしな」
そう言って、ディアはにっと白い歯をこぼした。
「しかしそれでは、ドゥラの娘たちを見捨てることになってしまう。だから、自分たちだけ逃げるつもりにはなれなかった。……そういうことなのであろう?」
「ははァん。ずいぶん買いかぶられたもんだねェ。アタシらが、そうまで親切な人間に見えるってェのかァい?」
「うむ。お前たちなら、安心してチル=リムを任せられるように思っているぞ」
そんな風に言ってから、ディアはチル=リムを振り返ってきた。
「とはいえ、チル=リムがきちんと心安らかに過ごしていけるかどうか、しばらくは見届けなくてはならんからな。そんな早々にたもとを分かつつもりはないので、あまり不安そうな顔をするな」
「あ、いえ……申し訳ありません」
「だから、謝る必要などないというのに」
ディアは優しげに笑いながら、織布に包まれたチル=リムの頭を小突いてきた。
そこに、いくつかの人影が近づいてくる。それはドゥラの人々であり、先頭に立っているのはあの幼子であった、
「汁物料理ができあがったから、食ってみろってよォ。ああ、こいつはいい匂いだねェ」
人々は大きな盆で運んできた木の椀を、チル=リムたちの前に並べていく。いかにも辛そうな赤い色合いをした、汁物料理である。ディアは興味深そうに瞳を輝かせながら、椀のひとつを取り上げた。
「チットの香りがするようだが、それだけではないようだな。実に辛そうな香りだ」
「そいつは、マロマロのチット漬けを使ってるようだねェ。ドゥラの名物って言ってもいい食材だよォ」
椀の中身をすすってみると、確かにチットと似て異なる風味と辛さであった。
それにとにかく、魚や貝などの食材がどっさり投じられている。チル=リムたちはこの3日間もずっと魚介の食事を与えられていたが、これほど豪勢な料理を口にするのは初めてのことであった。
「****、********。***。*******?」
と、ドゥラの幼子がむすっとした顔で何か呼びかけてくる。
チル=リムが戸惑っていると、ピノがにんまり微笑みながら通訳してくれた。
「海の恵みをふんだんに使った宴料理だ。美味いか西の人、だってよォ」
「は、はい。とても美味しいです」
「********。***。***********」
「あの娘っ子と北の民たちを助けてくれてありがとサン、だってさァ」
「あ、いえ。わたしは、何もしていませんので……」
「きっと座員の全員に礼を言って回ってるんだろうさァ。アンタも《ギャムレイの一座》の人間になったんだから、ありがたく頂戴しておきなァ」
チル=リムはやはり当惑するばかりであったが、それでも何とか幼子に微笑みを返してみせた。
「わ、悪い海賊が一掃されて、わたしも喜ばしく思っています。これからは、平和な日が続くといいですね」
ピノがその言葉を伝えると、幼子はまた何がしかの言葉を発した。
「アンタにいい風が吹きますように、だってさァ。旅人に向けた、シムの挨拶だねェ」
そうして幼子は、ギャムレイたちにも声をかけ始める。そちらには東の言葉を解する人間がいないのか、またピノが通訳の役目を受け持つことになった。
ディアとふたりになったチル=リムは、心置きなく料理を楽しむ。すると、早々に演奏を終えた座員たちまでもがこちらに近づいてきた。
「汁物料理が仕上がったから食べるように言われたの。隣に失礼するわね」
そのように言いたてたのは、笛吹きのナチャラであった。東の民のごとき浅黒い肌をした、妖麗なる女人である。彼女は緑の星であったが――彼女や大男のドガは、ギャムレイに次ぐぐらい星の輝きがかぼそくて、如何なる獣であるのかも判然としなかった。
(彼女たちは、《ギャムレイの一座》で人生をやりなおすことになって……それで星の輝きが定まらないってことなのかなあ)
そんな風に考えかけたチル=リムは、慌てて頭を振ってその考えを外に弾き出した。座員たちの星はあまりに不思議なきらめきであるために、ついつい心をとらわれてしまうのだった。
するとナチャラが困ったように微笑みながら、「あら」とつぶやく。
「ここに座るのは迷惑だった? それじゃあもうちょっと、脇にずれるわね」
「え?」と目を丸くしてから、チル=リムは自分の失態に気づかされた。「隣に失礼するわね」というナチャラの呼びかけに対して、チル=リムは首を横に振ってしまっていたのである。
「あ、ち、違います! ちょ、ちょっと別のことに心をとらわれてしまっていて……ど、どうぞこちらにお座りください!」
「そう、それならよかったわ。たったの3日で嫌われてしまったら、悲しいものね」
ナチャラはゆったりと微笑みながら、ディアの脇に腰を下ろす。チル=リムは、顔から火が出る思いであった。
双子のアルンとアミンはチル=リムの目を避けるようにして、ナチャラの向こう側に膝を折る。小男のザンはひたひたと、ギャムレイたちのほうに向かった。
そうして最後にやってきたのは、7本弦の楽器を抱えたニーヤだ。
「ったく、やっと興が乗ってきたところだったのによ。俺の歌より、料理のほうが大事だってのか? まったくドゥラの蛮人なんざ、歌を聞かせる甲斐もありゃしねえな」
すると、ギャムレイのそばにいたピノが視線と言葉を飛ばしてきた。
「アンタ、滅多なことを言うんじゃないよォ。ドゥラのお人らが気を悪くするだろォ?」
「はん。西の言葉で何を言おうが、こいつらに理解する頭はねえだろ」
「ところがどっこい、こっちのお人なんかはしっかり聞き届けたみたいだよォ。あの無礼者を吹き矢で眠らせてもかまわないか、だってさァ」
ニーヤは顔面蒼白になって、総身を縮こまらせることになった。
「ば、馬鹿! 冗談に決まってるだろ! う、宴の熱気にあてられて、ついつい口がすべっちまっただけだよ!」
「そんなに慌てふためくんなら、最初っから黙っときなァ。ホントに西の言葉がわかるお人がいたら、どうするつもりさァ?」
ニーヤはきょとんとしてから、たちまち憤然とした。
「手前、また俺をかつぎやがったな! この性悪女!」
「性悪なのは、どっちだァい? アンタの口は歌うためだけにひっついてるんだから、べらべらと余計なことを喋るんじゃないよォ」
ニーヤは「うるせえよ!」とわめきながら、ディアの正面にどかりと座り込んだ。
「おい、酒! 新人だったら、気をきかせろよ!」
「うむ? 座員となったのはチル=リムであり、ディアはお前に命じられる立場ではないぞ。……そしてチル=リムのことも、そのように荒っぽく扱うのは控えてもらいたく思う」
「はん。だったら部外者にどうこう言われたくないね。新人座員をどう扱おうと、俺の勝手だろ」
すると今度は、ナチャラがニーヤに妖艶な流し目をくれた。
「座員になったら、同胞よ。同胞に上も下もないってのが、この《ギャムレイの一座》の取り決めじゃなかったかしら?」
「はん。見せる芸もないんだったら、座員のために働くのが仕事だろ。こいつだって、俺たちの稼いだ銅貨で生きていくことになるんだしよ」
「あなたは自分の稼いだ銅貨を、自分の好きにつかってしまうじゃない」
「たまにはおこぼれをくれてやってるだろ。俺とお前らじゃ稼げる銅貨の額が違うんだから、横に並べられてたまるもんかい」
ナチャラは処置なしといった様子で、小さく息をついた。
チル=リムはニーヤのために酒の準備をするべきかと、腰を浮かせかけていたのだが――それよりも早く、長身の人影が背後からがっしりとニーヤの肩をつかんだ。
「やあ、ニーヤ。今日の歌は、もうおしまいなのかな? もっともっと君の歌声を楽しませてほしかったのに、残念だなぁ」
ニーヤはさきほどにも負けないほど青ざめながら、引き攣った笑みを浮かべた。その肩をつかんでいるのは、のほほんと笑うカミュア=ヨシュであったのだ。
「お、こいつは美味そうな汁物料理だ。俺もお邪魔させてもらってもいいかな?」
ニーヤが何か答えるよりも早く、ナチャラが「どうぞ」と笑いを含んだ声で応じた。
ニーヤの肩を解放したカミュア=ヨシュは、その隣に座り込む。いつもぴったりと寄り添っているレイトも、そのかたわらに腰を落ち着けた。
さらに、小山のような人影と長身の人影も近づいてくる。大男のドガと、壺男のディロである。これにて、剣王のロロと獣使いのシャントゥを除くすべての座員が勢ぞろいしたようであった。
「いやはや、大変な騒ぎだねぇ。まあ、それだけあの《赤帆の一味》という海賊団が、町の人々から忌避されていたということか」
「それはまあ、海賊団の存在をありがたがる人間なんて、そのおこぼれにあずかっていた悪漢だけでしょうからね」
カミュア=ヨシュはとぼけた笑みを浮かべており、レイトは穏やかに微笑んでいる。ひと月あまりも行動をともにしていた彼らが寄り集まると、チル=リムはいっそう安らいだ心地になれた。
あまりに眩い輝きであるばかりに、なかなか行く末を見通すことも難しいような、ディアとカミュア=ヨシュの星――あまりに小さな輝きであるために、ふとすれば闇の中に埋没してしまいそうな、ギャムレイやナチャラやドガの星――ふわふわとしていてとらえどころがなく、ぼんやりと霞んでいるような、他の座員たちの星――そして、ちかちかと明滅し、色も形も判然としない、ピノの星――どれだけ星の輝きにとらわれまいと念じても、チル=リムの心はどうしても安らいでしまうのだった。
「あなたはきっと、わたしが彼らとともにあることを選んだ理由を、すぐに理解することができるでしょう……」
ライラノスと出会った、最初の夜――カミュア=ヨシュたちが海賊団を殲滅するために倉庫を出て、チル=リムがひとりで不安に押しつぶされそうになっていたとき、ライラノスはそのように語らっていたのだった。
「ただし、星の輝きだけにとらわれてはいけません……彼らは星でなく、血肉をもった人間であるのです……あなたはまず、その事実をしっかり認識しなければなりません……」
ライラノスは、そんな風に言っていた。
座員たちの星は、とても心地好い。しかしそれだけに甘えてはいけないのだというのが、ライラノスの最初の教えであったのだった。
(わたしはこれからこの人たちと、ひとりずつしっかり絆を結んでいって……それで本当の安らぎを手にしなければいけないんだ)
そんな風に考えながら、チル=リムは横目でディアの様子をうかがった。
ディアは敷物に運ばれた料理に舌鼓を打ちながら、隣のナチャラと楽しそうに言葉を交わしている。いつしかそちらにはドゥラの娘や北の民たちも寄り集まり、酒杯を交わしていたのだった。
ディアの抱く金の星は、とても魅力的だ。
だがしかし、チル=リムは彼女の眼差しも、無邪気な笑顔も、優しくて勇敢な心のありようも、何もかもを好ましく思っていた。たとえその内にきらめく星の輝きが見えなくなったとしても――その事実に変わりはないはずであった。
ギャムレイたちは、どうなのか。彼らの星はいずれも真実をぼやかしており、チル=リムには何も判別することができない。ただ、カミュア=ヨシュやアスタたちが信頼する彼らのことを、同じように信じたかったし――そしてチル=リムは、自分自身の目でそれを見定めなければならなかったのだった。
(それで初めて、わたしはこの人たちの同胞になれるんだ)
チル=リムがそんな風に考えたとき、ディアがくりんとこちらに向きなおってきた。
「チル=リムは何をさっきから、ディアの顔をちらちらうかがっているのだ? 話したいことがあるなら、なんでも話せばよかろうに」
「え? ど、どうしてそちらを向いていたのに、そのようなことがわかるのですか?」
「ディアはかつて聖域の狩人であったのだぞ。こんな間近からの視線に気づかぬはずがなかろう」
そう言って、ディアはにこりと屈託なく笑った。
「しかしべつだん、思い詰めた顔つきはしていないようだな。それならぞんぶんに、祝宴を楽しむがいいぞ」
「はい」と、チル=リムも笑ってみせた。
そこに、「み、みなさぁん!」というロロの声が響きわたる。
「よ、ようやく衛兵の方々にお許しをいただけましたぁ! こ、これから獣使いシャントゥの芸を披露しますので、どうぞお楽しみくださぁい!」
「ロロ、西の言葉で何を言ったって、アタシらにしか通じやしないよォ」
「あっ! そ、そうでした! せっかく恥ずかしいのをこらえて大声を張り上げたのに!」
ピノはくつくつと笑いつつ、ロロの言葉を東の言葉で伝えた。
ほどなくして、広場の隅に置かれていた荷車から、数々の獣たちが姿を現す。北の民たちは歓声をほとばしらせ、ドゥラの民たちは無表情に手を打ち鳴らした。
「ようやくあいつらの出番か。どんな芸を見せてくれるのか、楽しみなところだな」
ディアがいっそう無邪気な笑みをチル=リムに向けてくる。
その金色の瞳は、彼女の抱く星に負けないぐらい、魅力的で美しかった。
(もうしばらくだけ、その美しい瞳でわたしの行いを見守っていてください。いつか必ず……ディアたちが取り戻してくれた運命の道を、自分の足でしっかり進んでみせます)
そんな思いを込めながら、チル=リムはディアに笑い返してみせた。
かがり火の赤い炎に照らされて、銀獅子や豹や黒猿や――それに、ギバが進み出てくる。彼らは森辺の民に力を借りて、このギバを同胞に迎え入れたという話であったのだった。
現在は、黄の月の終わり際。遥かなるジェノスにおいてはようやく雨季の終わりが見えてきた頃合いで――アスタは同じこの夜に、ルウの家で最長老ジバ=ルウの生誕の日を祝福しているさなかであった。
しかし、星見の力を制御しようと努めるチル=リムに、そのような運命を読み解くことはかなわない。そして、アスタたちと再開できるかどうかも、すべては闇の中である。
だが、チル=リムは希望を抱くことができていた。
運命の星図を盗み見るのではなく、自らの尽力で望むような行く末をつかむのだと――そんな風に、自分を奮い立たせることができていた。
(待っていてください、アスタ。いつか必ず、あなたのもとを訪れて……きちんとお礼の言葉を伝えてみせます)
不思議なきらめきを帯びたたくさんの星の輝きに包まれながら、チル=リムはそんな風に考えた。
そうして東の果ての港町で開かれた祝宴の夜は、新たな生を生きなおすことになったチル=リムの幼い胸の中に、深く刻みつけられることになったのだった。