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異世界料理道  作者: EDA
第六十四章 群像演舞~七ノ巻~
1095/1682

     東の果てより(三)

2021.9/19 更新分 1/1

 ずいぶんな人数にふくれあがった一行は、今度はピノの案内で物陰を進むことになった。

 チル=リムたちをここまで招き寄せたドゥラの幼子も、手に手に武器を取った5名の北の民たちも、一緒になって歩いている。その先頭をいくピノは街路に出ようとせず、薄暗い建物の裏手を軽い足取りで進んでいた。


「ピノと出会えたのは僥倖だけれども、これはいったいどういう状況であるのかな? よければ説明を願いたいところだねぇ」


 カミュア=ヨシュがそのように呼びかけると、ドゥラの幼子と東の言葉で語らっていたピノが歩きながら横顔を向けてきた。


「実はちょいと面倒ごとに巻き込まれて、アタシらはここ数日、姿を隠していたのさァ。そうしたら、見慣れぬ西の連中がアタシらの居所をかぎまわってるってことで、この坊が気を回してくれたわけだねェ」


「気を回して、北の民たちに俺たちを襲わせようとしたのかい? やっぱりどうも、話が見えないなぁ」


「そうせっつくんじゃないよォ、カミュアの旦那。アタシだって、そっちのおふたりが何者なのか、聞きたくて聞きたくてたまらないのを我慢してるんだからねェ」


 朱色のひらひらとした装束をひらめかせながら、ピノはそんな風に言いたてた。


「とにかくまずは、アタシらの隠れ家に案内するよォ。無法者どもに見つかったら、すこぶる厄介なことになっちまうからねェ」


 ピノの気安い言葉を聞きながら、チル=リムはまだ大きな驚嘆にとらわれたままであった。

 ピノというのは、不思議な童女である。チル=リムと変わらないていどの幼さに見えるのに、ひどく大人びていて、妖艶だ。その顔や剥き出しの足などは日に焼けた北の民よりも白いぐらいで、切れ長の目には闇を凝り固めたかのような瞳が妖しく瞬いている。派手派手しい朱色の装束と相まって、まるでおとぎ話の住人であるかのように見えてならなかったのだった。


 しかしそれ以上に不思議なのは、彼女の抱く星である。

 彼女の星はちかちかと明滅し、色も形も定まらず、まるでそれ自体が小さな流星群であるかのように思えてしまうのだった。


 好奇心に負けたチル=リムがそっと織布をめくって生身の彼女を見てみても、その印象は変わらない。彼女の星は七色の織布よりもさらに多彩な色合いを垣間見せて、チル=リムを翻弄した。赤かと思えば青、青かと思えば緑――そして形も、猫のような獅子のような、蛇のような竜のような――チル=リムがまばたきをするごとに色彩や形が変わり、まったく正体をつかませなかった。


 それはまるで、占星師なんぞに運命を読み解かれてたまるもんか、と――自分の運命は自分だけのものなのだ、と――そんな風に、妖しくせせら笑っているかのようだった。


(この世界には、こんな人もいるんだ。わたしは本当に、なんて何も知らないちっぽけな存在なんだろう)


 チル=リムがそんな風に考えていると、ピノがようやく歩を止めた。

 これまでと同じ、倉庫を思わせる石造りの建物の裏手である。その通用口と思しき扉をピノが叩くと、中からとぼけた面立ちをした娘が顔を出した。


「お、おかえりなさい、ピノ。な、何も荒事にはならなかったですか?」


「ああ、おかげサンでねェ。その代わり、面白いお客を案内してきたよォ」


「お客?」と視線を巡らせたその娘が、ぱあっと表情を輝かせた。


「うわあ、カミュア=ヨシュにレイトじゃないですかぁ! まさか、こんなところでお会いできるなんて――」


「ほらほら、大きな声を出すんじゃないよォ。無法者どもに気づかれちまったら、どうするつもりだァい?」


 娘は慌てた様子で口をふさぐと、そのまま嬉しそうに目を細めつつ、ぺこぺこと頭を下げ始めた。そんな娘を見返しつつ、カミュア=ヨシュも愉快そうに微笑んでいる。


「そちらも元気そうで何よりだね、ロロ。ここが君たちの隠れ家ってわけかい?」


「ああ、そうさァ。こんな立派な石造りの建物に身を寄せるなんて、旅芸人の名がすたっちまうねェ。……さ、いいから入っておくれよォ。トトスもそのまんまでいいからさァ」


 そうして一行は、トトスごとその建物に踏み入ることになった。

 するととたんに、強烈な魚の香りが鼻を突いてくる。それもそのはずで、そこには天井からびっしりと何百何千もの魚が干されていたのだった。


「ここは寒冷期に備えて干し魚をこしらえる場所なんだよォ。身を隠すにはうってつけだって、親切なお人が場所を貸してくれたのさァ」


「ふむふむ。《ギャムレイの一座》ともあろうものが、そんな風にこそこそと人目を忍ばなくてはならないなんて、これはなかなか驚きの事態だね」


「ははン。こっちにも、色々と事情があるんだよォ」


 一行は干し魚に頭をぶつけてしまわないように気をつけながら、壁沿いに進んでいった。

 しばらく進むと、ようやく開けた場所に出る。そこには粗末な敷物が敷かれて、若い男女が悄然と座り込んでいた。


「お待ちどうさァん。ご覧の通り、お仲間が危うい目にあうこともなかったよォ。……****。********。******」


 ピノが東の言葉で語りかけると、男のほうが安堵の息をついた。

 男は若い北の民で、女は若いドゥラの民だ。男は頭に包帯を巻いており、そこにうっすらと血をにじませていた。

 5名の北の民たちは北や東の言葉でやいやいと騒ぎながら、その男女を囲むように腰を下ろす。ピノは少し離れた場所に膝を折りつつ、カミュア=ヨシュに艶っぽい微笑を送り届けた。


「さ、とにかく座っておくれよォ。立ち話で済むような、簡単な話ではないんでねェ」


「うん。トトスはどうしようか?」


「ああ、そうだった。ロロ、手綱をお預かりしなァ」


「は、はい。……えへへ、遅ればせながら、おひさしぶりです。ジェノスで銀の月に別れて以来ですね」


 ロロと呼ばれる娘はふにゃんと笑いながら、こちらの手綱を1本ずつ受け取っていった。

 こちらの娘も、いささかならず不思議な星を抱えている。黄色の亀の尻尾であることに間違いはないのだが、なんだかやたらとふわふわ揺れていて、つかみどころがないのだ。


「他の座員らは、身を休めているさなかなのかな? どうやらそちらに、君たちの荷車やトトスが隠されているようだけど」


「ご名答ォ。ゼッタは2階の見張り役で、ディロは草原の民に化けて買い出し中、あとのボンクラどもは荷車ん中でいびきでもかいてるだろうさァ。こんな場所じゃあ、他にやることもないんでねェ」


「すっかり籠城戦の構えだね。いったいどのような災厄に見舞われてしまったのかな?」


「あァ、聞くも涙、語るも涙の物語さァ。お代はいらないから、どうか聞いてやっておくれよォ」


 そうしてピノは、軽妙な調子で語り始めた。

 どうやら事の発端は、最初に座していた若い男女のようである。この両名が、ドゥラの無法者どもと揉め事を起こしてしまったのだそうだ。


「とはいえ、アタシらもまったくの無関係ではなくってねェ。その娘さんが無法者どもに絡まれたとき、ロロとナチャラが一緒にいたんだよォ」


《ギャムレイの一座》は、この港町で芸を見せていた。天幕を開くほど大がかりな興行ではなく、楽器の演奏や軽業の曲芸などで小銭を稼いでいたのだそうだ。

 その芸に感銘を受けたドゥラの娘が、ナチャラという座員に誘いをかけた。彼女もまた酒場などで笛を吹くことを生業にする、芸人の端くれであったのだ。もちろんそれだけで食べていくのは困難なので、むしろ酒場の給仕として働くほうが本業であったようだが――ともあれ彼女は、ナチャラの笛吹きの手腕に感動した。それで是非、自分の笛も聴いてほしいと、ナチャラを酒場に誘ったのだそうだ。


「ま、旅芸人風情が酒場にお邪魔するなんて、そりゃあ出過ぎた真似なんだろうけどさァ。だからって、こうまで苦労を背負うことになろうとはねェ」


 座長からの許しを得たナチャラは、ロロを護衛役としてその酒場に向かうことになった。驚くべきことに、ロロは剣術の達人であるそうなのだ。しかしピノがそのように言いたてると、ロロは惑乱しきった面持ちでそれを否定していた。


 そうしてナチャラたちは娘からふるまわれた酒と食事を楽しみつつ、彼女の笛の音を堪能した。それから感想を聞くために、娘がナチャラたちと同じ卓を囲んだとき――酒場に無法者どもが押しかけてきたのだそうだ。


 それはこの港町で幅をきかせる《赤帆の一味》なる海賊団であった。

 その首領が、以前からこの娘をつけ狙っていたらしい。それで配下の子分どもが、娘を力ずくで外に連れ出そうとした。それで酒場に居合わせたこの6名の北の民たちが、娘を救うべく無法者どもにつかみかかり――


「それでも北のお人たちは人数で負けてたから、ついに『騎士王』ロロ様が正義の刃をふるうことになったってわけだねェ」


「や、やめてくださいよぅ。ボクなんて、なんのお役にも立っていないんですから」


「なァに言ってんだい。10人中の5人ぐらいは、アンタが叩きのめしたってんだろォ? 甘えられるお仲間がそばにいないほうが、アンタも本来の力を発揮できるみたいだねェ」


 それで娘を救ったロロたちは、北の若衆らともども酒場から遁走することになった。

 ここで終われば、めでたしめでたしであったのだが――相手は凶悪な海賊団である。しかも最悪なことに、その無法者どもはナチャラと北の民たちの素性をわきまえていたのだった。


「ナチャラはここ数日、笛吹きの芸でぞんぶんに顔をさらしてたからねェ。なんだったら、ナチャラも一緒にさらってやろうって勢いだったらしいよォ」


「それならなおさら、ロロは奮起してしまうだろうねぇ。……で、こちらの北の方々は?」


「このお人らは、いわゆる出稼ぎの人間さァ。1年の半分は船乗りとして過ごして、もう半分は温暖期のドゥラで働いてるらしいよォ。で、迎えの船が来るのは、まだ何ヶ月も先なんだってさァ」


「なるほど。それでこうして、娘さんともども隠れひそんでいる、と。……衛兵だか何だかに助けてもらうことはできないのかな?」


「できないねェ。《赤帆の一味》ってェのはこの区域の区長やら衛兵やらにも顔がきくみたいでさァ。だからいっそう、海でも陸でもやりたい放題って話なんだよォ」


「そうか」と、カミュア=ヨシュは目を細めて微笑んだ。


「天下の《ギャムレイの一座》がこんな風に小さくなっている理由が、ようやくわかったよ。相手が区長や衛兵まで囲い込んでいるとなると、さすがに分が悪いねぇ」


「天下が聞いて呆れるよォ。寄る辺なき旅芸人の集まりに、天下もへったくれもあるもんかねェ」


「うんうん。君たちは王国の法にとらわれない流浪の民であるのに、たいていの王国の民よりも清廉潔白だからねぇ。王国の法がきちんと機能している場所のほうがぞんぶんに力をふるえるってのは……なかなか皮肉な話だと思うよ」


「なァにが清廉潔白さァ。佞悪醜穢ねいあくしゅうわいの間違いじゃないのかァい? ……ま、これで喧嘩をおっ始めたら、海賊団じゃなくアタシらのほうがお縄になっちまうだろうからねェ。かといって、あんなぞろぞろ荷車を引いてたら、人目を忍んでおさらばすることもできないからさァ。進退きわまるとは、こういうこったねェ」


 そんな風に語りながら、ピノは妖艶に微笑んでいる。

 いっぽうカミュア=ヨシュのほうも、実に涼しげな表情であった。


「ところで、このあたりの誰に話をうかがっても、旅芸人なんて知らぬ存ぜぬだったんだよね。あれは面倒ごとに関わりたくないってことだったのかな?」


「そりゃそうさァ。ま、半分ぐらいのお人たちは、アタシらに同情してくれてるみたいだけどねェ。……この坊は、この隠れ家を準備してくれた旦那の息子さんなんだよォ」


 ピノに流し目を向けられると、険しい目つきで黙りこくっていた幼子が東の言葉で何事かをまくしたてた。

 カミュア=ヨシュはうんうんとうなずいてから、チル=リムたちに向きなおってくる。


「彼や周囲の人々も、海賊団には恨み骨髄らしい。それでもって、笛吹きの娘さんや北の民の面々とも、以前からの知り合いであったそうだよ」


「なるほど。それでディアたちを海賊団の手先と思い込み、あのように振る舞っていたわけか。……まだ幼いのに、勇敢な子供だな」


「うんうん。こうなったら、我々も彼らの窮地を救うためにひと肌ぬぐしかないだろうねぇ」


 そう言って、カミュア=ヨシュはピノのほうに視線を戻した。


「俺たちは、高台の詰め所で話を聞いて、この区域まで下りてきたのだよ。その詰め所の衛兵たちも、最初に出くわした門番たちも、《ギャムレイの一座》に含むところはないように見受けられたねぇ」


「ふうン? それがどうしたってんだァい?」


「つまり海賊団が抱き込んでいるのは、あくまでこの区域のお偉方だけってことさ。それならまあ、なんとかなるんじゃないのかな」


「あらァ、天下の《北の旋風》が、アタシらみたいなロクデナシの集まりに救いの手を差し伸べてくれようってェのかァい?」


「あはは。さっきの仕返しかな? まあ俺も、《ギャムレイの一座》には自由の身でいてもらわないと困る立場だからねぇ。そうじゃなきゃ、わざわざシムにまで出向いてきたことが無駄足になってしまうからさ」


 ピノは「ふうン」と繰り返して、チル=リムたちのほうに目を向けてきた。

 織布の向こうで、ピノの星は相変わらず無秩序な輝きを見せている。チル=リムは心臓が高鳴るのをこらえながら、とりあえず目礼してみせた。


「カミュアの旦那は、アタシらを追っかけてドゥラにまでやってきたってェ話だったねェ。何かそちらの娘サンがたにまつわる面倒ごとを押しつけようってェ魂胆なのかァい?」


「うん、まあ、多少の面倒は生じてしまうかな? でもきっと、それ以上の楽しさがもたらされるはずだよ」


「そっちの、金色の目をした娘サン……アンタは、聖域の民だったりするのかねェ?」


「よくわかったな」と、ディアはほっそりとした肩をすくめた。


「しかしディアは、すでに聖域を捨てた身だ。今は四大神を父とする、外界の民となる」


「なるほどねェ。ま、森辺の集落でお見かけした聖域の娘っ子と雰囲気がそっくりだから、そうなんだろうって思っただけのこったよォ。で、もう片方の娘サンは……ひょっとしたら、占星師かい?」


 チル=リムは、ディアほど平静ではいられなかった。


「は、はい。こ、こちらのライラノスという御方に、占星師として生きるすべを学びたく思っています。……でも、どうしてわたしが星見の力を持つ者とわかったのですか?」


「そりゃまあそんな風に目もとを隠すのは、星の輝きってやつをやわらげるためかと当たりをつけただけのことさァ。……つまりアンタは修行の成果じゃなく、もともと星見の力を持って生まれてきたってわけかァい?」


「は、はい。ライラノスという御方も、わたしと同じ境遇だと聞いて……」


「ははァん。確かにこいつは、大層な面倒ごとだァ。……それでもって、愉快じゃないかァ。つまりアンタは、《ギャムレイの一座》の一員になりたいってわけだねェ?」


 チル=リムは胸中にわきあがる不安の念をねじ伏せつつ、「はい」とうなずいてみせた。

 ピノは血の色をした唇を半月の形に吊り上げると、朱色の装束をひらめかせてふわりと立ち上がる。


「だったら、座長と話してもらわないとねェ。カミュアの旦那にも挨拶をさせないといけないしさァ」


「うんうん。どうかよろしくお願いするよ」


 これまで通りの気安い調子で答えつつ、カミュア=ヨシュはチル=リムのほうを振り返った。

 その紫色の瞳には、とても透き通った光が浮かべられている。


「じゃ、行こうか。何も心配はいらないからね」


「は、はい!」


 そうしてチル=リムたちは北やドゥラの人々をその場に残して、建物の奥部に進むことになった。

 一同が座していた敷物の背後には、天幕をかぶせられた荷車がずらりと並べられていたのだ。つぎはぎだらけの天幕をかきわけると、荷車と荷車の間でトトスたちが大きな身体を丸めていた。


「ボンクラ座長、どうせ眠りこけてるだろうけど、お邪魔するよォ」


 ピノは荷台の扉を開けて、チル=リムたちを差し招いた。

 カミュア=ヨシュ、チル=リム、ディア、レイトの順番で、荷台に乗り込んでいく。

 そこに待ち受けていたのは――このように温かいのに頭巾と外套で人相を隠した、ひとりの老人であった。


「おや、ライ爺は起きてたのかァい。アンタに弟子入りを願ってる娘っ子がいるんだよねェ」


「弟子入り……?」と、その老人が面をあげた。

 頭巾の陰に覗く顔は、これ以上もなく痩せ細っている。そして皺深いその顔には、あちこちに奇怪な刺青が刻みつけられていた。


「ふむ。それは……聖域に伝わる封じの刻印と似た模様であるようだな」


 ディアは興味深そうに言ってから、居住まいを正した。


「おっと、ぶしつけに申し訳なかった。自分はいちおう《守護人》を生業にしているディアで、こちらは自由開拓民であったチル=リムという。このチル=リムに、占星師としての手ほどきをしてもらえないだろうか?」


 占星師の老人ライラノスは、まぶたを閉ざしたままチル=リムのほうに顔を向けてきた。カミュア=ヨシュいわく、彼は盲目の身であるのだ。


 ライラノスの星は、茶の犬の耳であった。

 ただ――ロロと同じようにふわふわとしており、つかみどころがない。なんとなく、白いもやの向こうで茶色の星がぼんやりと煙っているような様相であった。


「……一座においてすべてを取り決めるのは、座長の役目でありますれば……何を願うにせよ、まずは座長と語らうべきでしょう……」


「そうだねェ。だからとっとと起きておくれよォ、ボンクラどもの総元締めサン」


 ピノは音もなく歩を進めて、ライラノスよりも奥まった場所に積み重ねられていた毛布の山を蹴り飛ばした。

 すると、一番上の毛布がはらりと床に落ち、「ううん……」という寝ぼけた声が響きわたる。それを耳にした瞬間、チル=リムは仰天することになった。


(そんなところに、人がいたの?)


 チル=リムはなるべく星の輝きにとらわれないようにと心がけていたが、それでもこのように間近なところにいる人間の存在を見過ごすことなど、そうそうありえなかったのだ。


 そんなチル=リムの驚きもよそに、ひとりの男がもぞもぞと身を起こす。その者は積み重ねた毛布の山の上で、惰眠をむさぼっていたのだった。


「なんだ、もう夜か? その割には、燭台もなしに明るいようだが」


「いいから、シャキッとしなさいなァ。せっかくの新人座員に愛想を尽かされちまうよォ?」


「新人座員? お前の話は、いつも唐突だな……」


「そりゃあアンタが、いつでも寝ぼけてるってこったろォ」


 ピノはにんまりと微笑みながら、毛布の上で半身を起こした人物を指し示してきた。


「コレがボンクラどもの総元締め、火術使いのギャムレイだよォ。ボンクラ中のボンクラなんで、どうかそのつもりで語っておくれェ」


 それは、異様な風体をした壮年の男であった。

 左目を派手な眼帯で隠しており、肘から先のない左腕にも赤い帯を巻いている。腰から上には何も纏っておらず、ただ仰々しい飾り物をじゃらじゃらと下げていた。

 黒褐色の髪はうねうねと渦を巻いて肩まで垂れており、細くとがった下顎にもギャマのような髭を生やしている。鼻はくちばしのように大きく突き出て、頬の肉はげっそりとこけており、やや垂れ気味の目は深く落ちくぼんで――こんなに寝ぼけた顔をしていなければ、それこそ盗賊と見まごうような凶相であった。


 しかしやっぱりピノと同じように、チル=リムを驚かせたのは彼の抱く星の輝きのほうであった。

 彼の星は、とてもかぼそい。闇夜に散った火花のように、赤くてぽつんとした星が、漆黒の中心で細々と瞬いているのである。


 死にかけている人間は、とても星の輝きが弱く見えることがある。

 しかし彼は、死にかけているというよりも――むしろ、生まれたての幼子であるかのようだった。それほどに、無垢で小さくて頼りなげなきらめきであったのだ。


「ううむ、まったく寝たりんな。……で、新人座員が何だって?」


「こちらの娘サンが、ライ爺に弟子入りを願ってるんだよォ。なんと、生来から星見の力を持ってるそうでさァ」


「へえ……」とあくびまじりに言いながら、ギャムレイは眠そうな目つきでチル=リムを見つめてきた。


「目がちかちかして、顔もよく見えんな。その織布をどけてくれんか?」


「あ、も、申し訳ありません!」


 チル=リムは、慌てて顔にかぶせていた織布を剥ぎ取った。

 そうして生身の目で見ても、印象は変わらない。ギャムレイの星は、壁に空いた小さな穴からこぼれる日の光のように、かぼそかった。色は赤だが、どのような獣のいかなる部位であるかも判然としない。


「なんだ、賢そうな顔をした娘じゃないか。こんなはぐれものの集団に加わりたいなど、酔狂なことだな。あとで後悔しようとも、俺たちは責任なんぞ取れんぞ」


「は、はい。だけど、あの……」


 チル=リムはギャムレイの星の奇妙さに心を奪われてしまい、うまく喋ることができなかった。

 それを見かねて、カミュア=ヨシュが言葉を添えてくれる。


「彼女は故郷を滅ぼされたあげく、邪神教団の巫女に祀りあげられそうになってしまったのですよ。それで出自は自由開拓民で、おまけに星見の力を備えているものですから、王国を頼るわけにもいかないのですね。名目上はセルヴァからシムに追放された身でありますため、今後はおおっぴらに名を名乗ることも許されません」


「ふうん。……と、誰かと思えば、カミュア=ヨシュではないか。こんなところで出くわすとは、奇遇だな」


 そう言って、ギャムレイはまた大きなあくびをもらした。

 さしものカミュア=ヨシュも、苦笑をこらえられずにいる。


「相変わらずですね、ギャムレイは。まあ、今さら邪神教団に恐れおののくあなたがたではないでしょうけれども。……そんなわけで、彼女を《ギャムレイの一座》に加えていただきたいのです。彼女はまだ星見の力を制御しきれないので、先達たるライラノスに弟子入りを願いたいというわけですね」


「ほう、弟子入り。……肝心のライラノスは、なんと言っているのだ?」


「わたしは……座長たるギャムレイの言葉に従います……」


「俺のことはどうでもかまわんから、この娘が気に入ったかどうかを尋ねておるのだ」


「はい……こちらの娘が以前のわたしと同じ苦悩を抱えているのでしたら……それを救う一助になりたいと願います……」


「そうか。だったらべつだん、かまわんぞ」


 ギャムレイは、至極あっさりと言ってのけた。

 が――次の刹那、その隻眼がぎらりと強い輝きをたたえた。


「ただし、ふたつだけ条件がある。娘よ、お前にそれを守ることができるかな?」


「は、はい。どのような条件でしょうか?」


「まず、ひとつ。俺たちは血の縁も持たない、ロクデナシの集まりだ。俺たちを繋いでいるのは、口約束ひとつとなる。……お前は一座の人間を同胞と見なし、決して裏切らないと誓えるか?」


 チル=リムは痛いぐらいに跳ね回る心臓を抑えつけながら、「はい」と答えてみせた。


「わたしには、もはや行く場所もありません。こんなわたしを迎え入れてくださるのでしたら……決して裏切ったりはしないと誓います」


「そうか。では、ふたつ目。……俺の星を、勝手に読むな。いや、ライラノスのように勝手に見えてしまうというなら、それを決して俺に語るな。俺の運命を勝手につらつらと語られるのは、どうにも気分が悪いのでな」


 そう言って、ギャムレイはやおら白い歯をこぼした。


「このふたつの条件を守れるのなら、お前を歓迎しよう。俺たちもお前と同様に、行き場のない人間の集まりだからな。今日から俺たちがお前の同胞で、俺たちのいる場所がお前の帰る場所だ。せいぜい気楽に過ごすといい」


「ありがとう……ございます」


 チル=リムは、深く頭を垂れてみせた。

 今日出会ったばかりの人々を、そんなに容易く同胞と思えるわけがない。ギャムレイやピノというのはあまりに不可思議な存在で、善人か悪人か判じることも難しい。本当にチル=リムは、彼らのもとで苦悩を解消することができるのか――何もかもが、闇に包まれていた。


 しかし、カミュア=ヨシュが《ギャムレイの一座》を頼るべきと提案したとき、アスタは心から賛同の意を示していた。

 これこそが正しい道であるのだと、アスタやカミュア=ヨシュたちが判じてくれたのなら――チル=リムは、それを信じたかった。


「入団、おめでとさァん。ま、イヤんなったらいつでも辞めりゃあいいだけのことさァ。アンタにとって、ここが居心地のいい場所かどうか、のんびり見定めりゃあいいよォ」


 そう言って、ピノもチル=リムに笑いかけてきた。

 これまでに見てきた中で、もっとも人間らしい笑顔だ。チル=リムも自然に笑顔になって、「はい」と答えることができた。


「さて。それじゃあそっちは一件落着ってことで。今度はアタシらの問題をどうするべきか、頭を悩ませなくっちゃねェ」


「それはまあ、何とかなるだろうと思うよ。俺たちが一致団結して、困難な運命に立ち向かえばね」


 カミュア=ヨシュがのんびりとした顔で言うと、ピノはそちらに流し目をくれた。


「ああ、イヤだイヤだ。なにか剣呑なことを思いついたんだねェ? アンタがそういう目つきをするときは要注意だよォ」


「何もそんな面倒な話ではないよ。この区域のお偉方が頼れないというのなら、それよりも立場のある方々を頼ればいいだけのことさ」


「ふうン? ドゥラのお偉方に、何かツテでもあるってェのかァい?」


「いやいや。俺だって、ドゥラにはまだ数えるほどしか来たことはないからね。要は、立場のある方々が動かざるを得ないような状況を作りあげればいいのだよ」


 そう言って、カミュア=ヨシュはにっこりと微笑んだのだった。


「海賊団の本拠を突き止めて、壊滅させよう。それだけ大きな騒ぎを起こせば、ドゥラの藩主だって大慌てで直近の部隊を派遣してくるはずさ」

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― 新着の感想 ―
[一言] カミュアヨシュがなんも言わないということは 自称守護人は特に問題ないんですねえ
[一言] ん~、やっぱり群像演舞は面白くない。 もう今後は一週間読み飛ばします。
[一言] 〉海賊団の本拠を突き止めて、壊滅させよう。  さらっと凄いこと言いますよね、カミュア=ヨシュ……  でも、カミュア・ディア・ギャムレイ一座の面々と言う面子が揃えば、大抵の海賊・山賊は壊滅さ…
感想一覧
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