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異世界料理道  作者: EDA
第六十三章 大地の礼賛
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礼賛の祝宴⑦~巡り合い~

2021.8/29 更新分 1/1

 ティマロやマイムたちとの歓談を楽しんだのち、俺とアイ=ファは次なるブースへと足を向けた。

 今日はひとつのブースごとにそれなりの時間をかけているので、大広間を一周するだけで大仕事になりそうだ。ただまあ今日の俺は腹を満たすことよりも人々との交流に重きを置いていたので、このペースを変える気持ちにはなれなかった。


(でも、うかうかしてたら閉会の時間になっちゃいそうだもんな。半分ぐらいを回り終えたら、ちょっと休憩させてもらうか)


 そんな風に考えている間に、次なるブースに到着した。

 そこで配られていたのはノ・ギーゴのポタージュで、働いているのはクルア=スンとミームの女衆だ。

 そしてブースの前には、この祝宴でただふたりの東の民が居揃っていた。


「プラティカにアリシュナ、お疲れ様です。……うわあ、今日は一段と素敵なお召し物ですね」


 もともと彼女たちは普段からたくさんの飾り物をさげていたので、その姿のまま試食会に参じていた。しかし本日は正式な祝宴ということで、ユーミとよく似たシム風の宴衣装を纏っていたのだった。

 特にプラティカはもともとが中性的な装束であったため、すっかり見違えてしまっている。渦巻き模様の美しい長衣を纏い、ポニーテールのような形で金褐色の髪を結ったプラティカは、それこそシムのお姫様みたいだった。


「……私、祝宴に参席する機会、なかったので、ダレイム伯爵家、頼りました。その結果です」


 そのように答えるプラティカは、なめらかな黒い頬に血の気をのぼらせていた。紫色の瞳はいっそう鋭く、まるで怒っているかのようだ。つまりは、気恥ずかしいのだろう。


「ああ、きっとご当主の伴侶であるリッティアが力を添えてくれたのですね。あの御方は、人の宴衣装を見つくろうのがご趣味であるそうですよ」


「……一介の料理番、不相応な格好です。羞恥、禁じ得ません」


「それを言ったら、この場には100人ぐらいの料理人が居揃っているはずですよ。まず主賓の俺やトゥール=ディン自身がそうなのですからね」


 感情を殺しきれないプラティカは口もとをごにょごにょさせながら、アイ=ファのほうを振り返った。


「……アイ=ファ、沈着ですね。見習いたく思います」


「うむ。私はこの1年と少しで、さんざん着慣れぬ装束を着させられてきたからな」


 そう言って、アイ=ファは落ち着いた面持ちで視線を巡らせた。


「それにしても、この場にはお前たちしかおらぬのか? こちらの汁物料理が不評であるとは思えんのだが」


「はい。汁物料理、立ったまま食する、不相応なのでしょう。皆、料理を受け取った後、卓に向かっています」


「ふむ。お前たちは、かまど番らと語らっていたということか?」


「はい。私でなく、アリシュナ、この場に留まること、望みました」


 アイ=ファが目を向けると、アリシュナは恭しげに一礼した。


「アイ=ファ、美しさ、随一です。これだけの貴婦人、集まった中で、もっとも美しい、アイ=ファだと思います」


「……お前には、私たちの会話が聞こえていなかったのか?」


「はい。私、クルア=スンと語らうこと、願いました」


 アリシュナは、あまり多くを語ろうとはしない。

 すると、当のクルア=スンがいくぶん困惑気味の微笑をたたえながら声をあげてきた。


「アリシュナは、わたしのことを案じてくださっていたのだそうです。その……例の、星見の力のことで……」


 白銀の瞳をしたクルア=スンは、わずかながらに星見の力を授かっているのではないかと見なされている。星見の力というのは自分できちんとコントロールしないと危うい面があるので、自分でよければ力を添えよう、と――邪神教団にまつわる騒乱の際、アリシュナはそのように申し出ていたのだった。


「……なるほど。しかしお前は、べつだん何も不自由はしておらぬのであろう?」


「は、はい。もともとわたしには、そんな大層な力が備わっていたわけではありませんので……」


「うむ」とうなずき、アイ=ファはアリシュナを振り返った。

 アリシュナは、また優雅な仕草で一礼する。


「申し訳ありません。クルア=スンの存在、ずっと気にかかっていたのです。南の王族、取り仕切る祝宴において、不相応な話題でした」


「同胞たるクルア=スンの身を案じてくれたなら、私が文句をつける理由はない。……しかしこの場で星見の話というのは、そんなにも不相応なのであろうか?」


「はい。王子ダカルマスの内心、不明ですが、南の民、星見の力、不吉と見なすこと、多いようです。よって、本日の私、余興の占星師でなく、ひとりの賓客として、迎えられています」


「そうか。もとより東の民の身でこのような祝宴に参ずるのは、さぞかし気苦労がつのろうな。お前は身体が強くないとも聞いているので、無理をするのではないぞ」


 アリシュナは高貴なシャム猫のように小首を傾げつつ、アイ=ファの姿を見返した。


「アイ=ファ、常になく、慈愛深いです。華麗なる宴衣装、相まって、別人であるかのようです」


「その見識、誤っています。アイ=ファ、常に慈愛深いです」


「……やかましいぞ、お前たち」


 誰もが美麗なる宴衣装の姿であるのに、なんだか微笑ましい限りである。黙って話を聞いていたミームの女衆も、声を殺して笑っていた。


「せっかくなので、よかったらプラティカたちも一緒に広間を巡りませんか?」


「いえ。主賓たるアスタ、私たちとともにある、不相応でしょう。こちら、南の王族、主催の祝宴であるのです」


 そんな風に言ってから、プラティカは食い入るように俺を見つめてきた。


「ですから、南の王族たち、帰ったなら、勉強会、晩餐など、ともにすること、許してもらいたく思います。了承、いただけますか?」


「ああ、ここ最近はこちらも忙しくて、なかなかお相手もできませんでしたもんね。今後は城下町の作法などについて研究を進める予定ですので、また一緒に頑張りましょう」


 やはりプラティカも、ロイやティマロたちに負けない熱意であった。それにこのひと月半ほどはダカルマス殿下たちの目をはばかる場面も多かったので、向上心が鬱積しているのだろう。


 それでは俺たちも、どこかの席に座ってノ・ギーゴのポタージュをいただくべきかと思案したとき――新たな人影がこちらに近づいてきた。


「やはりお前たちは、ずいぶん目立つなりをしているな。どの貴族よりもきらびやかなのかもしれんぞ」


 挨拶もそこそこにそんな言葉を投げかけてきたのは、ラヴィッツの長兄である。

 そして彼の背後には、森辺の一行がひとかたまりになっている。マルフィラ=ナハム、モラ=ナハム、ナハムの末妹――そして、フェイ=ベイムにベイムの長兄という顔ぶれであった。


「ああ、どうも。みなさん、おそろいで」


「うむ。どこに行ってもナハムの三姉が取り囲まれてしまうので、ようよう逃げ出してきたのだ。この勲章というやつが、それだけの人間を集めてしまうようだな」


「なるほど。マルフィラ=ナハムは、それだけの力を持ったかまど番ですからね」


「と、と、とんでもありません」と、マルフィラ=ナハムはふにゃふにゃ笑った。


「それに、ベイムの末妹もな。アスタの手伝いをしたことで、やたらと顔が広まってしまったのだろう。ナハムの三姉に負けぬ勢いで声をかけられておったぞ」


「それこそ、とんでもないことです。分不相応という他ないでしょう」


 そのように答えるフェイ=ベイムは、せっかくの宴衣装なのに究極的な仏頂面だ。

 ラヴィッツの長兄はにんまりと笑いながら、そちらを振り返った。


「お前はしきりにスドラやマトゥアの女衆を引き合いに出していたが、あれこそ森辺で指折りのかまど番であるのだろう。それらを除けばお前が一番であるとアスタに認められたようなものなのだから、何も不相応なことはあるまい」


「いえ。ルウの血族には、わたしより力あるかまど番がいくらでも居揃っているはずです。アスタはあえてルウの血族に声をかけなかったので、わたしが選ばれたというだけのことです」


「ずいぶん頑なな女衆だな。おかしなちょっかいをかけられたわけではないのだから、べつだん問題はなかろうが? ……まあ、そのようにうすらでかい男衆がべったりはりついていたなら、ちょっかいをかけようとする人間などいようはずもないがな」


 フェイ=ベイムはたちまち顔を赤くして、モラ=ナハムは無表情のまま目を泳がせた。そしてそんな両名のことを、フェイ=ベイムの兄たる本家の長兄が興味深そうに見守っている。フェイ=ベイムとモラ=ナハムの間に存在するデリケートな関係も、ついに家族の知るところになったのかもしれなかった。


(それじゃあフェイ=ベイムが張り詰めたお顔をしてるのは、そっちが原因だったりするのかな?)


 モラ=ナハムは、フェイ=ベイムに懸想しているのである。そんなふたりが城下町の宴衣装を纏って祝宴に居揃っているというのも、なかなか運命の妙であった。


「で、そちらは東の民らと語らっていたのか。以前の試食会とやらで、ちらりと挨拶はしたはずだな」


「はい。再びお目にかかれて、光栄です」と、アリシュナのほうが一礼した。森辺にしょっちゅう出入りをしているプラティカと異なり、アリシュナはごく一部の森辺の民としかご縁を持っていなかったのだ。


「あの日は失念していたが、かつて邪神教団なるものが森辺を騒がせたとき、力を添えていたのはお前であったのだな。そうと知れていれば、挨拶だけで終わらせはしなかったぞ」


「はい。何かご用事、ありますか?」


「用事なんぞは存在せんが、森辺の同胞とともに苦難を退けた人間であれば、縁を深める甲斐もあろう」


 やはりこの御仁は、閉鎖的なラヴィッツの血族の中で、ずいぶん好奇心が旺盛であるようであった。

 ということで、このさい食事は一時休止として、しばし歓談に耽ることにする。いかにプラティカたちが遠慮しようとも、俺はこの場で彼女たちを遠ざける気持ちにはなれなかったのだった。


 しばらくすると、あちこちにたたずむ小姓や侍女たちが鈴を鳴らして、祝宴の終了まで残り一刻であると告げてきた。今日はたっぷり三刻も時間が取られていたはずなので、もう三分の二が過ぎ去ってしまったのだ。


「おっと、同じ人間とばかり語らってはおられんな。そろそろ移動するか」


 ラヴィッツの長兄を先頭に、森辺の一行は人混みの中に消えていく。プラティカとアリシュナも一礼して、別の方向に立ち去っていった。


「残り一刻なら、今のうちにひと休みさせてもらおうか?」


 俺がそのように呼びかけると、アイ=ファは凛然たる面持ちの中で瞳だけをきらめかせながら、「うむ」とうなずいた。ほんの5分でもいいからふたりきりの時間を作れれば、また新たな活力をみなぎらせることのできる俺たちなのである。


「えーと、バルコニーがあるのはあっちのほうだっけ。反対方向だから、行き道でもさんざん声をかけられそうだな」


 そうして俺たちは人混みをぬって、大広間の反対側を目指すことになった。

 予想通り、その道中ではさまざまな相手からご挨拶をされる。それに、見知った人々があちこちで談笑を楽しんでいる姿が確認できた。


 レイナ=ルウとジザ=ルウは、またサトゥラス伯爵家の人々と語らっていた。

 ユン=スドラはレイ=マトゥアやルイアとともに、城下町の料理人たちと語らっている。それに、若き貴族と思しき面々も何名か入り混じっているようであった。

 ナウディスもまた、城下町の面々に取り囲まれている様子である。やはり最後の試食会で第3位の座を獲得した影響が大きいのだろう。


 ザザの血族とジェノス侯爵家は、広間の片隅に大きな輪を作っていた。トゥール=ディンにゼイ=ディン、ゲオル=ザザにスフィラ=ザザ、ディック=ドムにモルン・ルティム=ドム――遠目にも、きわめて目立つ一団だ。それに、エウリフィアやオディフィアはもちろん、メルフリードの周囲には老若の貴公子が居並んでいる。もしかしたら近衛兵団の主要メンバーあたりが、ザザの血族に紹介されているのかもしれなかった。


 それとは別に、少人数でやたらと目だっていたのは、ガズラン=ルティムとフェルメスだ。

 どちらも供は連れておらず、ふたりきりで小さな円卓に陣取っている。フェルメスは一見貴婦人と見まごう美しさであったため、まるで若い男女が睦言を語らっているかのような雰囲気であった。


 あとは――リミ=ルウがターラと手をつなぎ、ルド=ルウやドーラの親父さんと一緒にてくてくと歩いている姿が見えた。休憩を終えたのちは、ぜひともそちらに合流させていただこうと念じる。


「そういえば、バランのおやっさんやデルスたちとも、まだ顔をあわせてないもんな。これだけの人数だと、やっぱり見知った方々にご挨拶をするだけでもひと苦労だ」


「うむ。……呑気に休憩などしている場合ではない、ということか?」


「いやいや。大きな仕事に休憩時間は必須だよ」


 俺が笑顔で応じると、アイ=ファは嬉しそうに目を細めた。

 そこで、見知った人々と正面から出くわしてしまう。これは、素通りできない面々であった。


「ダリ=サウティ、お疲れ様です。祝宴を楽しまれていますか?」


「ああ、アスタにアイ=ファ。うむ。これだけの人間が集められていると、思わぬ再会も生じるものだな」


 ダリ=サウティのかたわらには、ミル・フェイ=サウティとヴェラの家長とその伴侶が控えている。その正面に居並ぶのは――いずれも朱色の腕章をつけた、石塀の外の住民たちであった。


「あ、あなたは祝福の儀でご挨拶をさせていただきましたね」


「ええ。ダレイム領の南の端で、ひっそりと暮らしております」


 それはダレイムの畑の管理者の代表として、ドーラの親父さんの後に酒瓶を届けてくれた老境の人物であった。よく日に焼けた顔をしており、自らも畑で精を出していることが明白なたたずまいだ。


「他の方々も、ダレイムの畑の管理者であられるのでしょうか? ダリ=サウティは、どちらでこの方々とご縁を結ばれたのです?」


「俺が見知っていたのは、こちらのご老人だけだ。荷車が手に入るまでは、そちらでアリアやポイタンを買わせてもらっていたのでな」


 そういえば、サウティの集落は宿場町からずいぶん遠いため、ダレイムの南端の村落から直接食材を購入していたという話であったのだ。


「塩や果実酒などが必要なときは、事前にそちらで買い置きを頼んだりもしていてな。あの頃は、ずいぶん世話をかけていたのだ」


「とんでもない。……ただあの頃は、わたしらも森辺の民に恐れをなしていたんでねえ。そういう誤解が解けたとたん、顔をあわせる機会がなくなっちまったもんで……ずいぶん心残りだったんですよ」


 そう言って、その老人はくしゃっと笑い皺を深くした。


「でもそれが、こんな場で再会することになって……しかも、こちらの御方は森辺の族長になられたって話でしょう? すっかり驚かされちまいました」


「なるほど。それは、素敵な再会でしたね」


 そんな風に答えてから、俺は「あれ?」と小首を傾げることになった。


「でも、男衆が買い出しの仕事を受け持つことは、あまりないですよね。それでもダリ=サウティご自身が、こちらの御方とご縁を結ばれていたのですか?」


「若年のうちは荷物を運ぶのも修練の内だったし、長じてからも休息の期間などには買い出しの仕事を手伝っていた。そういう際に、こちらのご老人とは毎度顔をあわせていたのだ」


 そう言って、ダリ=サウティはいくぶん気恥ずかしそうに微笑んだ。つまりこの老人は、まだ狩人ならぬ若年のダリ=サウティとたびたび顔をあわせていたわけである。


「うちなんかは、本当にジェノスの端っこにへばりついてるような、貧しい村落なんでねえ。それがこんなたいそうな祝宴にお招きされるなんて、世の中わからんもんです。……でも、魂を返す前に心残りが晴らせたんで、心より嬉しく思っておりますよ」


「魂を返すには、まだ早かろう。それに、森辺の道が切り開かれてからは、そちらもなかなか賑わってきたという話ではないか?」


「ええまあ、森辺の道を出て最初に行きつくのが、うちらの村落なんでねえ。ひと休みさせてもらいたいなんてお人らが後を絶たないもんですから、ついには茶屋なんてもんをつくることになりましたよ」


「これからも、そちらの村落はますます賑わっていくのだろう。長きを生きて、その繁栄を見届けるがいいと思うぞ」


 なんだか、とても胸の温かくなるやりとりであった。

 別れの挨拶をしてその場を離れると、アイ=ファもいくぶん感じ入った様子で俺に呼びかけてくる。


「ルウからサウティの集落までは、荷車を使っても一刻がかりだ。つまりはあの老人の暮らす村落というのも、宿場町からそれだけ離れているということなのであろうな」


「うん。ダレイムの領土がそこまで広いっていうのは、なかなか驚きだよな。……それで俺たちのあずかり知らないところで、ああいうご縁が結ばれてたってわけだ」


「当時は、悪縁であったのであろうがな。それが正しき関係に変じたのだから、ダリ=サウティらも喜ばしい限りであろう」


 アイ=ファがそんな風に、しみじみとつぶやいたとき――長身の人影が、ふわりと眼前に立ちはだかった。

 誰かと思えば、フェルメスの従者であるジェムドである。そういえば、さっきフェルメスはひとりきりでガズラン=ルティムと語らっていたのだ。


「ジェムド、お疲れ様です。こういう場でフェルメスと別行動というのは、お珍しいですね」


「はい。ファの家長アイ=ファにお伝えしたき話がありましたので」


 深みのあるバリトンの声で、ジェムドはそう言った。

 本日は彼も武官の礼装であるので、とても凛々しい見目である。ちょっと異質なフェルメスと異なり、彼はいかにも貴公子らしい容姿をしているのだ。


「アスタにではなく、私にか? いったいどのような用件であろうか?」


 アイ=ファがいくぶんうろんげに問い質すと、ジェムドは「はい」と恭しげに一礼した。


「森辺の民、ファの家長アイ=ファ。……あなたを再び舞踏にお誘いすることを許していただけますでしょうか?」


「なに?」と、アイ=ファは軽く目を見開いた。


「舞踏とは、なんの話であろうか? 今日はそのような余興も存在しないように見受けられるが」


「本日は、最後の半刻に楽士たちを呼びつけて、舞踏の余興を行うそうです。この祝宴は宴料理を楽しむことが主眼でありますため、普段とは異なる形式が取られたのでしょう」


「そうか」と、アイ=ファは小さく息をついた。


「しかし申し訳ないが、その願いを聞き届けることはできん。理由は、以前にもフェルメスの口から語られていたであろう?」


「はい。森辺の民は家人ならぬ異性の身に触れてはならぬ習わしがある、と……ですが、かつての仮面舞踏会において、森辺の族長ダリ=サウティやゲオル=ザザは城下町の貴婦人と舞踏に興じておられました」


 そんな風に語りながら、ジェムドは右手を礼装の懐に差し込んだ。

 そこから取り出されたのは、瀟洒な刺繍のされた絹の手袋である。


「その際には、こういったものを着用されていたのだろうと推測されます。舞踏で触れ合うのは手の先のみですので、これで素肌が触れ合うことを避けることがかなうのです」


 ジェムドはあくまで普段通りの、穏やかな無表情である。

 そんなジェムドを見返しながら、アイ=ファは静かな声音で応じた。


「……本来は、装束の上からでも異性の身に触れるのは望ましくないと見なされているはずだ。しかしダリ=サウティらは自分たちの習わしばかりを重んじるのは正しくないと考え、城下町の習わしと折り合いをつけるために、エウリフィアたちの誘いを受け入れたのであろうな」


「はい」


「我々は、森辺の外の人間とも正しく絆を深めなければならん。ならば森辺の習わしばかりにとらわれず、時にはそうして外界の習わしにも目を向けるべきなのだろうと思う」


 そう言って、アイ=ファは凛々しく表情を引き締めた。


「私も同じ思いでもって、かつては城下町の貴婦人らと舞踏に興じることになった。しかし……ジェムド、あなたからの申し出は断らせていただきたく思う」


「やはり、分不相応な願い出でありましたでしょうか」


「身分などは、関係ない。ただ、私は……家人アスタを除く男衆とは、舞踏に興じる心づもりになれんのだ」


 凛々しい表情を保持したまま、アイ=ファはそう言った。

 ジェムドもまた穏やかな無表情のまま、その手の手袋を懐に仕舞い込む。


「承知いたしました。アイ=ファに不快な思いをさせてしまい、心から申し訳なく思っています」


「何も不快な思いなどは抱いていない。こちらこそ、あなたに不快な思いをさせてしまったのではないだろうか?」


「とんでもありません。舞踏の誘いにそれほど重い意味がつきまとうことはありませんので、どうかアイ=ファもお気になさらないでください」


 ジェムドは恭しげに一礼して、きびすを返そうとした。

 わずかに迷いの表情を見せながら、アイ=ファは「待たれよ」と呼び止める。


「かつてモルガの聖域において、私たちはあなたの言葉に大きく救われることになった。私はあなたとも、正しい絆を紡ぎたく思っている」


「わたしはフェルメス様の代理人としての役目を果たしたに過ぎませんので、そのようなお気づかいは不要です。もしもアイ=ファが感謝の気持ちを抱いておられるというのなら、それらはすべてフェルメス様に向けていただきたく存じます」


 そう言って、ジェムドは――まったく感情の読めない微笑を口もとにたたえたのだった。


「わたしなどは、フェルメス様の影に過ぎませんので……あなたがたが気にかけられる意味も理由も存在いたしません」


 それだけ言い残して、ジェムドは人混みの向こうに消え去ってしまった。

 アイ=ファは軽く唇を噛み――それから毅然と、俺のほうを振り返ってきた。


「……では、しばし休息させてもらうか」


「う、うん。そうだな」


 俺はひそかに、大きく困惑させられてしまっていた。

 ジェムドがいったい何を考えているのか――アイ=ファに対してどのような気持ちを抱いているのか、さっぱり理解が追いつかなかったのである。


 ジェムドがアイ=ファに舞踏の申し入れをしたというのは、たしか闘技会の祝宴においてである。ならばそれは銀の月の終わり頃であったから、もう5ヶ月も前のことになるのだ。

 それ以降、ジェムドがアイ=ファにアプローチをしたという事実はない。俺とアイ=ファが城下町において行動を別にすることはほとんどないのだし、そんなわずかな間隙をぬってジェムドが声をかけてきたのなら、アイ=ファもきっとそれを隠したりはしないだろう。その一点を、俺が疑うことはなかった。


(ジェムドはただでさえ、内心がわかりにくいからな……舞踏の誘いに重い意味はないって言ってたけど……あのお人が、そんな軽い気持ちでアイ=ファを舞踏に誘ったりするんだろうか?)


 俺はそんな想念を抱え込みながら、人混みをぬって歩を進めることになった。

 バルコニーの設えられた壁は、もう目前だ。

 換気のためか、バルコニーに通じる扉は大きく開かれており、その両脇に1名ずつ守衛が立ち並んでいた。

 そうして、俺がその守衛たちに声をかけようとしたとき――「アスタ様」という可愛らしい声が響きわたったのだった。


「ようやくお会いできましたわね。ほんの少しだけお時間をいただけますでしょうか?」


 それは、おつきの武官であるロデだけをかたわらに控えさせた、デルシェア姫に他ならなかった。

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