礼賛の祝宴⑥~交流~
2021.8/28 更新分 1/1
そうして俺とアイ=ファは、300名もの賓客が渦巻く大広間の内へといざ踏み込んだ。
本日も、料理は左右の壁際に作られたブースで配られている。最初のブースに向かう道中でも、実にさまざまな人々に呼びかけられて、挨拶を交わすことになった。
「試食会の3度にわたる優勝、おめでとうございます。今日の宴料理はその功績に相応しい出来栄えでありますな」
「これまでは、なかなかお言葉を交わす機会もございませんでした。これを機に、どうぞよろしくお願いいたします」
「ファの家のアスタ様! どうもおめでとうございます! ……あの、そちらのお美しい貴婦人は、アスタ様のご伴侶なのでしょうか?」
そうして呼びかけてくるのは、貴族を含む城下町の住人が多いようだった。やはりそういった人々は、祝宴なれしているのだろう。ふわりと近づいて短い挨拶を交わすと、また自然な足取りでふわりと離れていくのだ。なんとなく、今さらながらに城下町の社交の作法を体感させられたような心地であった。
(だけどやっぱり大半の人は、間近に見るアイ=ファの美しさに驚いてるみたいだな)
そもそも無言ですれ違う人々の数多くも男女の別を問わず、アイ=ファの美しさに目を奪われている様子であるのだ。容姿が秀麗な上に城下町の礼儀作法を習い覚えたアイ=ファは、誰が見たって文句のつけようもない優雅さであるのだろう。そしてそれだけ優雅であるのに凛然とした空気も健在であるのが、またとない魅力を生み出しているはずであった。
「あ、アスタ。どうもお疲れ様です」
ようやく最初のブースに辿り着くと、そこではカレー・シャスカが配られており、ダゴラとミームの女衆が働いていた。
「お疲れ様。何も困ったことはなかったかな?」
「はい。間もなく2回目のシャスカが炊きあがる頃だと思います」
そんな風に答えてから、ダゴラの女衆はにこりと笑った。
「何も問題はありませんので、どうかアスタたちは祝宴をお楽しみください。……あ、料理を食べていかれますか?」
「えーと、どうしようか?」
俺の問いかけに、アイ=ファは凛々しく応じてくる。
「こちらはひとりで2食の見当という話であったな。……ならば、のちのちのために取っておこうと思う」
「あはは。そんなこと言って、もしも食べ損なったら大変なことになりそうだな」
「……そのような事態も起こり得るのだろうか?」
アイ=ファがいっそう凛々しい面持ちで詰め寄ってきたので、俺は「いやいや」と慌てることになった。
「ごめんごめん、冗談だよ。料理はどれも多めに作ってるから、食べ損なうことはないはずさ」
アイ=ファは唇がとがるのをこらえながら、さりげなく俺の足を蹴ってきた。
そんな俺たちの姿を見やりながら、女衆らは晴れやかに笑う。
「でも、こちらの料理はとても評判がいいようです。初めてアスタの料理を口にされた方々などは、心から感服しておられるご様子でしたよ」
「そっか。試食会で優勝を勝ち取った料理ってことで、注目を浴びてるのかもしれないね」
「はい。そして、その期待を裏切らない出来栄えであると認められたようです」
やはり祝宴の熱気にあてられているのか、彼女たちも存分に昂揚している様子であった。朝から働き詰めであるのに、これっぽっちも疲れている様子はない。
俺とアイ=ファはしばらくその場に留まったが、侍女や小姓が料理を受け取りに来るばかりであったので、次のブースに向かうことにした。きっとひとりにつき2食という制限があるために、多くの人々はアイ=ファと同じ気持ちで楽しみを後に取っておこうとしているのだろう。
そして次のブースでは、ぞんぶんに人だかりができていた。
そしてその場に到着する前から、アイ=ファが小さく息をつく。俺たちがその場に到着すると、アイ=ファに溜息をつかせた張本人がぐりんと向きなおってきた。
「おお、アスタ殿にアイ=ファ殿! 今日はアイ=ファ殿もいっそうの――」
と、そこでその人物は大きな口をぴたりと封じて、にんまりと微笑んだ。
「うむ! 自制心をかき集めて、美しいという言葉を呑み込むことがかなったぞ! これでアイ=ファ殿も、俺を見直してくれるであろうか?」
「……いや、まったく呑み込めておらぬようだが」
言うまでもなく、それは護民兵団の大隊長たるデヴィアスであった。
「さすがに今日は、あなた自身が出張っていたのだな」
「うむ! これほど立派な祝宴に参ずる機会を逃す手はなかったのでな!」
デヴィアスは、もともと試食会の参席者であった。が、6回中の半分ぐらいは同じような身分である武官に参席の権利を譲っていたのだ。やはり大隊長たる身分では、そうそう職務をおろそかにできないのだという話であった。
しかし俺が知る限り、試食会に代理人を立てていたのはこのデヴィアスただひとりである。試食会というのはダカルマス殿下の主催であり、審査員の顔ぶれが変わると味比べの結果にも影響が出かねないので、なるべく本人が出席するようにと通達されていたのである。
「試食会というものがこれほど頻繁に行われると聞かされていたら、俺も最初から参席など願っていなかったからな! まあ、俺以外の人間が同じ顔ぶれなら、大した影響も出るまいよ!」
と、本人はそのように語らっていた。かくも豪胆なデヴィアスなのである。
しかしそもそも彼が最初の試食会に参席を願ったのは、王家の方々について独自に調査した結果を俺たちに伝えたいがためであったのだ。それを思えば、俺たちも感謝こそすれ、文句を言う気にはなれなかった。
「それにしても、今日は素晴らしい料理ばかりだな! アスタ殿の力量を、あらためて思い知らされた心地だぞ!」
「それはどうも、ありがとうございます」
「うむ! アスタ殿は、ジェノスで随一の料理人であろう! ジェノスでもっとも美しいアイ=ファ殿のお相手には、相応しきお立場であるということだ! ……おっと、また口がすべってしまったな」
アイ=ファは、深々と溜息をついていた。髪飾りなどがなかったら、頭をかき回していたところであろう。
そこでデヴィアスは「おお!」と手を打ち、背後を振り返った。
「そうだそうだ、忘れておった! レイリス殿も、アスタ殿らとまだ挨拶をしていないという話だったな!」
デヴィアスの背後にも、まだたくさんの人々が集っていたのだ。そちらで歓談していたレイリスが、俺たちに気づいて「ああ」と声をあげてきた。
「アスタ殿、ようやくご挨拶ができました。あらためまして、おめでとうございます」
「ありがとうございます。……あ、スフィラ=ザザもご一緒だったのですね」
ギバ・カツサンドを手にしたスフィラ=ザザとリッドの女衆が、レイリスのかたわらから目礼をしてきた。その周囲に集っているのは、いずれも若い貴公子や貴婦人たちだ。
「彼らにスフィラ=ザザたちを紹介していたのです。よろしければ、アスタ殿とアイ=ファ殿も紹介させていただけませんか?」
「あ、はい。よろしくお願いいたします」
俺たちがそちらに近づくと、貴婦人たちがきゃあっと華やいだ。しかし幸いなことに、彼女たちが目を奪われているのはアイ=ファである。
「こちらの御方も、輝かんばかりのお美しさですわ。壇上のお姿を拝見したときから、ずっと気にはなっていたのですけれど……」
「ええ、本当に。間近で拝見すると、いっそうお美しい……それに、なんと凛々しいのでしょう」
「わたくしは、仮面舞踏会でもご挨拶をさせていただきましたわ。今日は舞踏の時間はないのかしら? せっかくアイ=ファ様にお会いできたというのに……」
お若い貴婦人を悩殺するにあたって、アイ=ファの美しさは絶大な威力を誇っていた。
レイリスは穏やかに微笑みつつ、そんな貴婦人がたをたしなめる。
「みなさん、今日の主賓はアスタ殿でありますよ。まずはそちらからご紹介をさせていただけませんか?」
「あ、申し訳ありません、レイリス様。そちらの御方があまりに麗しいお姿でしたから……」
レイリスは「困ったものだ」とでもいうかのような表情で、スフィラ=ザザを振り返った。
スフィラ=ザザも、苦笑をこらえているような表情でそれを見返す。
そんな何気ない仕草が、俺の心をひどく温かくさせた。レイリスとスフィラ=ザザは報われることのなかった恋心を乗り越えて、新たな絆を結びなおすことができたのだ、と――確たる理由もなく、そう思えてならなかったのだ。
「実はさきほども、スフィラ=ザザを相手に同じような騒ぎが起きていたのです。申し訳ありません、アスタ殿」
「いやいや! アイ=ファ殿やスフィラ=ザザ殿ほどお美しければ、それも無理はあるまいて!」
そのように応じたのは、もちろん俺ではなくデヴィアスである。
するとスフィラ=ザザは、いつもの鋭い眼差しでそちらを振り返った。
「デヴィアス。あなたが森辺の習わしをないがしろにするのは、これで5度目となります。森辺の民ならぬあなたに、こちらの習わしを重んじよと言いつける筋合いはないのですが――」
「いやいや、申し訳ない! 森辺の方々のお美しさを前にすると、ついつい我を見失ってしまうのだ!」
「これで、6度目です」
スフィラ=ザザがぴしゃりとたしなめると、リッドの女衆がこらえかねた様子でくすくすと笑った。
「スフィラ=ザザもアイ=ファもこれほどに美しいのですから、デヴィアスのお気持ちもわかるように思います。やっぱり生まれながらの習わしでなければ、口を閉ざしていることも難しいのでしょう」
「あら、あなただって可愛らしいですわ。わたくしは家に連れ帰りたいほどですもの」
「ええ、本当に。デヴィアス様には、こちらの可愛らしさがご理解できないのかしら?」
とたんに貴婦人がたが黄色い声をあげて、リッドの女衆を気恥ずかしそうにさせた。そのリアクションから察するに、彼女も彼女で貴婦人たちから存分に愛でられていたようだ。屋台においてトゥール=ディンの右腕となっている彼女も、実に純朴そうな可愛らしい容姿をしているのである。
「でも確かに、森辺の方々はみんな魅力的だから、容姿を褒めそやすことができないのはとても不自由なのでしょうね」
「ええ。わたくしたちも、森辺の殿方の前では頑張って口をつぐんでおりますもの」
「だからデヴィアス様も、森辺の殿方を褒めそやせばよろしいのじゃなくって?」
旧知の間柄であるのか、貴婦人がたはデヴィアスに対しても屈託がなかった。
デヴィアスは「ふむ」と下顎を撫でながら、俺のほうに向きなおってくる。
「アスタ殿も、可愛らしさと凛々しさの同居する、きわめて魅力的なお人であられるな。俺が女人であったなら、アスタ殿のようなお人に心を奪われていたやもしれんぞ」
貴婦人がたはきゃあっと嬌声をあげて、俺は「あはは」と引きつった笑みを浮かべることになった。
そしてアイ=ファは、まるで姫君を守る騎士のような立ち居振る舞いで、俺とデヴィアスの間に割って入ってくる。
「デヴィアスよ、質の悪い冗談は控えてもらいたく思う」
「いやいや、俺は本心で語らっておったのだよ! あくまで俺が女人であったならという話なので、心配はご無用だ!」
そこで俺は、ようやく理解した。デヴィアスも貴婦人がたも、おそらくこの大がかりな祝宴によって普段以上に浮かれているのだ。その、森辺の祝宴とはいささか異なる浮かれように、森辺の民が翻弄されているという図式なのかもしれなかった。
(それならこれも、貴重な異文化コミュニケーションってことか)
そうして周囲の人々が浮かれているために、スフィラ=ザザやレイリスがいっそう落ち着いて見えるのかもしれない。ふたりは周囲の雰囲気に流されず、森辺の民と城下町の民が正しく絆を深められるように、架け橋の役を担おうとしているような――そんな気配すら感じられたのだった。
(本当に、ふたりは立派だな)
俺もそんなスフィラ=ザザたちを見習いたいところであるが、この短い時間で少なからず毒気を抜かれてしまった。まずは気力と体力を補充するために、ブースの料理をいただくことにする。
そこで働いていたのは、ラヴィッツとヴィンの女衆らだ。手空きのかまど番は30名いたので、ひとつのブースに2,3名ずつが配置されているのだった。
「お疲れ様。こっちも問題はなかったかな?」
「は、はい。こちらは、なくなった分の料理を補充していくだけですので……」
淡い色合いの髪をしたラヴィッツの女衆が、はにかむような微笑を返してくる。余所の氏族に比べると少しはかなげな印象のある彼女たちであるが、それでも芯がしっかりしていることはこの数ヶ月で証明されていた。
「でも、この場にはさまざまな気質をした方々が集まっておられるので、ちょっと驚かされることも多いです。……ザザとリッドの女衆などは、なかなか大変そうでしたね」
と、ヴィンの女衆がこっそりとそんな感慨を伝えてきた。
ひと口サイズのギバ・カツサンドを頬張った俺は、それを咀嚼してから「そうだね」と答えてみせる。
「これだけ城下町に招かれてる俺でもまだ新鮮な驚きにとらわれることは多いから、初めて城下町の祝宴に出向いたみんなはもっと驚きなんだろうね」
「はい。ですが……決してつらいとは思いません。早く家に戻って、家人たちにこの驚きを伝えたく思います」
森辺においては閉鎖的な部類であるラヴィッツの血族であるが、彼女たちはもう何ヶ月も屋台で働いてきたので、外部の人々に対する免疫も十分なのだろう。マルフィラ=ナハムやナハムの末妹ともども、血族たちにこの驚きや喜びを伝えてもらいたいところであった。
そうしてレイリスの取り仕切りのもと、あらためて交流の場が作られると、そこに「おや」と近づいてくる者たちがあった。ラッツの家長と女衆である。
「アスタとアイ=ファ、ようやく会えたな。このまま顔をあわせずに祝宴を終えるのかと思っていたところだぞ」
「ああ、どうもお疲れ様です。そちらはいかがでしたか?」
「うむ。色々と興味深く拝見している」
そう言って、ラッツの家長はにやりと笑った。彼は若くてラウ=レイに負けないほど豪放な気性をしているのだが、今日はどことなくどっしりとした貫禄が感じられた。
「何せ俺がこのような祝宴に参じるのは、初めてのことだからな。森辺に町の客人を招いた祝宴を除けば、あとはせいぜい復活祭に宿場町の民と騒いだぐらいか。今日は酒もほどほどにして、しっかり検分の役を果たしたく思っているぞ」
「ほう。いささかならず、お前らしくない言いようだな」
アイ=ファがそのように発言すると、ラッツの家長は同じ表情のまま肩をすくめた。
「俺たちは試食会というものに関わりもなかったのに、族長たちの温情で参ずることを許されたのだ。ならば、そうそう浮かれてもおられまい」
「でも、そちらの彼女は試食会の日に屋台の取り仕切り役を果たしてくれましたし、今日のかまど仕事も手伝ってくれました。関わりがないということはないと思います」
俺がそのように言いつのると、ラッツの家長は気安い面持ちで「案ずるな」と手を振った。
「べつだんガズやベイムのように助力を願われなかったことをひがんでいるわけではない。というか、俺の心情を汲んでみろ。初めての城下町の祝宴で、このような格好をさせられて、このような場に放り出されたのだ。たとえうちの女衆が試食会に関わっていたとしても、俺自身の心持ちに変わりはない。多少は慎重に振る舞おうと考えるのが、普通であろうよ」
ならばそれは、ラウ=レイやダン=ルティムよりは理性的な一面がある、ということなのだろう。ダン=ルティムは初めて参席する城下町の晩餐会でも、普段通りにガハハと笑っていたものであった。
「アスタ殿、そちらの方々は……?」と、レイリスが背後から声をかけてくる。
俺がふたりを紹介すると、貴婦人がたがまた少しわきたった。ラッツの家長や女衆はそれほど個性的な容姿をしていないが、森辺の民が織り成す独特な空気感だけで、彼女たちには十分刺激的なのだろう。
「ラッツの家長よ。こちらのデヴィアスは何度たしなめてもうかうかと女衆の外見を褒めそやしてしまう人間であるが、本人は悪気がないと言い張っているので、そのように取り計らってもらいたく思う」
アイ=ファがそのように口をはさんだのは、ラッツの家長の血気盛んな気性を重々承知しているゆえであろう。
ラッツの家長が「ほう」と目をやると、デヴィアスはたちまち笑み崩れた。
「これはこれは! また凄まじく腕の立ちそうなお人だな! 何も殺気などこぼしていないのに、これは……ジィ=マァム殿を上回るほどの手練れであるようだぞ!」
「誰だ、そいつは? ……というか、森辺の狩人と刀を交えたかのような口ぶりだな」
「いかにも! 俺は闘技会にて、ジィ=マァム殿やシン=ルウ殿に敗れておるのでな! それはこちらのレイリス殿も同様だ!」
「レイリス……ああ、ザザの末弟と2度やりあい、ひとたびは勝利を収めたという城下町の剣士というやつか」
ラッツの家長は好奇心をあらわにして、レイリスのほうを振り返った。
レイリスは、穏やかな笑顔でそれを迎え撃つ。
「お初にお目にかかります。サトゥラス騎士団のレイリスと申します」
「うむ。確かに腕の立ちそうな男衆だな。……そちらのお前も、町の人間としてはなかなかの力量が感じられるぞ」
「それはそれは、いたみいる! まあ、ディム=ルティム殿には辛くも勝利をあげることができたので、見習い狩人ていどの力量はあるとお墨付きをいただいておるよ!」
「ディム=ルティムは若年だが、もはや一人前の力量を有している。あなたの力量も、見習い狩人の域ではないはずだ」
アイ=ファがそのように口をはさむと、ラッツの家長はいっそう興味深そうに「ほう」と声をあげた。
「俺はそれほど、余人の力量を見抜くのに長けてはいないのでな。そこまでの剣士が居揃っているとは、なかなか興味深いところだ。よければ、俺もこの場に加えていただこうか」
「おお、存分に! スフィラ=ザザ殿らも、こちらの方々とは懇意にされておられるのだろうか?」
「わたしは、あまり。リッドとラッツの女衆は、屋台の商売で何度となく顔をあわせているのでしょうけれど」
スフィラ=ザザの言葉に、ラッツの家長は「ふむ」と視線をさまよわせた。
「ザザとリッドの女衆か。お前たち、男衆らはどうしたのだ?」
「適当に分かれて、それぞれの場で交流を広げています」
「ふむ。さすがザザの血族は、豪胆なことだな。……まあいい。俺たちも、こちらの料理をいただくか」
そうしてその場では、新たな交流が紡がれることになった。
それに10分ほどおつきあいさせていただいてから、俺たちは次のブースに向かうことにする。その道中で、アイ=ファがこっそり呼びかけてきた。
「ラッツの家長も、存外に慎重な一面があったのだな。ラウ=レイにも見習ってもらいたいものだ」
「あはは。俺はどっちも魅力的に思えるけどな。アイ=ファやシン=ルウやディック=ドムも含めて、やっぱり若くして家長の座を担った人たちはみんな立派だと思うよ」
「……ラウ=レイを除けば、誇らしい顔ぶれだな」
と、アイ=ファがふいに悪戯小僧のような微笑を垣間見せてきたので、俺はまたひそかにドギマギしてしまった。
次のブースには、ちょっと毛色の異なる面々が集結している。マイムにジーダ、ダイアにティマロにその弟子たち、そして《玄翁亭》のネイルに《ラムリアのとぐろ亭》のジーゼという、試食会でもお馴染みの顔ぶれであった。
「あ、アスタ! あらためまして、おめでとうございます!」
と、目ざといマイムが、真っ先にぺこりと頭を下げてくる。
他の人々も口々に祝福の言葉を述べ、その中からティマロがずずいと進み出てきた。
「ちょうど今、アスタ殿のお噂をしていたところです。……まあ今日は、どの場においてもアスタ殿のお話で持ち切りでしょうがな」
「いえいえ、恐縮の限りです」
ティマロのきちんとした宴衣装を見るのは、これが初めてのことである。それはジャガル風の様式であったが、ぴんと立てた襟が耳の半ばほどもある上に、上衣の裾がくりんと反り返っており、なんだかちょっぴり前衛的であった。
いっぽうダイアは俺たちと同じようなセルヴァ流の長衣であったが、白髪まじりの髪をほどいているために格段に女性めいている。もともと穏やかでやわらかな顔立ちが、いっそう優しげに見えるようだ。
そして、ティマロの胸もとには赤い勲章が、ダイアの胸もとには青い勲章が、それぞれきらめいている。本日は誰もが、これまでに授与された勲章を装着するように言い渡されていたのだ。あまり華美でないシム風の宴衣装を纏ったネイルの胸もとにも、青い勲章が輝いていた。
「本日の宴料理にも、感服いたしました。たったひとりでこれだけの祝宴の厨を取り仕切れるのは、ジェノス広しといえどもアスタ殿とダイア殿のみでしょうな」
「いえいえ。それはもう、森辺のみんなの力あってのことですので」
「それは、謙虚でいらっしゃる」
そのように語るティマロは取りすました顔の中で、ただ目だけを強く輝かせていた。さきほどのシリィ=ロウと同質の、対抗心よりも向上心を思わせる眼差しだ。
「まあ、そもそもはこのように大きな祝宴の取り仕切りを任される機会自体が、なかなかないことでしょうが……しかしレイナ=ルウ殿やマルフィラ=ナハム殿などは、森辺において100名単位の祝宴を取り仕切っておられるそうですな」
「はいっ! あれは本当に大変なお役目だと思います! わたしなどには、とうてい真似できません!」
マイムが元気いっぱいに答えると、ティマロは「ふむ」と目をすがめた。
「あの方々があれほどの若年であれだけの手腕であられるのは、そういった経験も大きく関わっているのでしょうな。そして、それだけの試練に耐え得る資質をお持ちであるということです」
「ええ。砥石ばかりが優れていても、刀のほうがもたないという格言もありますからねえ」
にこやかに微笑みつつ、ダイアはそのように応じた。
「ともあれわたくしも、森辺の方々の力量には感服いたしました。今日の宴料理などは、どれをいただいても笑みがこぼれてしかたがありません」
「ありがとうございます。ダイアにそのように言っていただけると、光栄です」
すると、ダイアと同じぐらいやわらかな表情をしたジーゼも「そうですねえ」と相槌を打った。
「わたしも、同じ心地でございますよ。……でも、そちらのダイアという御方が手掛ける料理も素晴らしかったですからねえ。あなた様の宴料理で埋め尽くされた祝宴というのは、いったいどれほどの絢爛さであるのか……想像しただけで、胸がわきたってしまいますよ」
「まったくですね。それこそ、絵画のような美しさであるのでしょう」
と、無表情のネイルも声をあげてくる。
今さらながら、このメンバーが旧知の間柄のように語らっているのが、とても新鮮な心地であった。
「ネイルやジーゼのシム料理も、城下町の方々にすごく注目されていますよね。……まあその筆頭は、ヴァルカスでしたけれども」
「ええ。今日はヴァルカス殿が早々にお姿を隠されたので、ようやくこちらの方々とゆっくり語らえる時間を持てたのです。まったくあのお人だけは、始末に困りますな」
ヴァルカスに関してだけは、ぷんすかしてしまうティマロである。まあこれは相性やら過去のいきさつやらがあるので、仕方のないことであろう。
とりあえずこの場でも歓談を楽しむべく、まずはブースの料理をいただく。ここで配られているのはクリスピー・ロースト・ギバであり、働いているのはミンとルティムの女衆であった。
「お疲れ様です。何も面倒なことはありませんでしたか?」
「はいっ! まだちょっと祝宴の雰囲気に気圧されてしまっていますが、不始末は犯していません!」
比較的、近年になって屋台の商売を手伝い始めたルティムの若い女衆が、頬を火照らせながらそのように言った。いっぽうベテランの域であるミンの女衆は、動じた様子もなくにこにこと微笑んでいる。
「こちらの料理も、秀逸ですな。ただ焼いただけの肉では冷めると固くなってしまいがちですが、こちらの肉はじっくりと熱が通されたことで、瑞々しいまでのやわらかさを保っているようです。カロン肉の半焼き料理と通ずる部分のある作法なのでしょう」
と、俺が料理を食している間も、ティマロは熱心に声をかけてくる。これこそが、向上心の表れであるのだろう。
「ただ残念ながら、本日の宴料理においては城下町の作法も活かされていないようですな。アスタ殿が城下町の作法でもってどのような料理を作りあげるのか、いささかならず気にかかっていたのですが」
「はい。さすがにそちらにまでは手が回りませんでした。明日からじっくり着手するつもりです」
「そうですな。うかうかと手を出して質を落とすよりは、賢明なご判断でしょう。……ネイル殿などは、あれらの作法をシム料理に活かす道筋を見いだせたのでしょうかな?」
ティマロの向上心は、際限が知れなかった。これまでは、少なからず閉鎖的な気質である城下町の料理人というイメージであったのだが――数々の試食会を経て、何かのタガが外れてしまったのだろうか。
ティマロの関心がネイルたちに向いたのを幸いと、俺はひとりで所在なげにしているジーダへと耳打ちすることにした。
「料理の話ばかりで、ジーダは大変だね。この祝宴を楽しめているかな?」
「……俺は護衛役のつもりであるので、べつだん楽しさなどは求めていない」
そんな風に答えてから、ジーダは金色がかった瞳に優しげな眼差しをたたえた。
「それに、楽しくないことはないぞ。俺は新米の森辺の民だが……先達のアスタがこのような栄誉を授かったことを、嬉しく思っている」
「なんですかー? ないしょ話なら、わたしもまぜてください!」
と、マイムが笑顔で俺たちのほうにのびあがってくる。
そちらに向きなおったジーダは、仏頂面のままいっそう優しげな眼差しになった。
「マイムのように声が大きくては、内密な話など難しかろう。俺にはかまわず、料理の話に興じるといい」
「でも、ジーダが楽しくないと、わたしはいやです!」
「だから、楽しくないことはないというのに。……まったく、誰も彼もがいらぬ世話を焼こうとするのだな」
まだ若いジーダとマイムは、それこそ本物の兄妹のように仲睦まじく見えた。ほんの2年足らずの前まではまったく見知らぬ赤の他人同士であったなどとは思えぬほどだ。
そういえば、ジーダがかつてのトゥラン伯爵邸に忍び込んできたとき、ティマロやロイも同じ建物で過ごしていたのである。
そして、サイクレウスとの会合の際には、ジーダも無断で城下町に忍び入った罪で捕縛されることになった。その場に居合わせたのは、マルスタインやメルフリードだ。
そういった人々が、この場にはのきなみ集結している。
というか、もしかしたらこの会場には、俺が森辺の外でご縁を持った人々の9割ぐらいが集まっているのかもしれなかった。
(そんな人たちが、みんなで俺の料理を食べてくれてるなんて……やっぱり、すごいことだよな)
何とはなしに、俺はアイ=ファのほうを振り返った。
アイ=ファは「わかっている」とでも言いたげに、誰よりも優しげな眼差しになっていた。